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店舗フォトジェニック集
ライフスタジオで撮影した各店舗のベストフォトを集めました。
動き続ける時間の中で
2015/2/28
0
兄弟とはなんだろう。血がつながっているだけの存在。それともそれを超えた不思議な関係性。 私がこの写真から伝えたいのは、その子達の躍動感と、そしてその場に吹き荒れた風、兄弟ならではの信頼性だ。 躍動感を撮影する時に、必要なのはタイミングだ。それは相手の行動の0.5秒先を見るという事。そのためには、その子がどのような子なのか、またどのような動きをするのかをあらかじめ意識し把握しておく必要がある。そして、その場所はいつなのかを考えつつ、自らの知識と技術で構成していく。 この写真では、各々の個性や、動きを損なわぬよう、寄りの写真ではなく、全身での引きの写真がベストであると感じた。そして引きの写真の中でも、インテリアを入れての引きの写真にすることで、その場の空気を閉じ込めることにした。なぜなら、私が表現したかった躍動感というものが、この時この瞬間に、体から溢れる兄弟の関係性を、「動きの写真」で表現したかったからである。 そしてもう一つの要素インテリアに関して言うと、勿論意識をしなくてはならない。インテリアが整理されていなければ、人の意識は整理されていない部分にいってしまい、1番伝えたい躍動感という部分が損なわれてしまうからである。 止まってしまう時の中で、動き続けていてほしい。 その思いと知識と、視点と場所と人と、自分と風と声がこの写真を生む最大のエネルギーになった。 Photo: Kojiro OtsukaCoordi:Mai Kobayashi
知ること
2015/2/28
0
Photo by OkamuraCoordinaite by Koidedressing / hair make by MigitaPhoto in URAYASU人に深く入る撮影とは、どういったことでしょうか。私たちは日々知らない人を撮ります。毎年来てくれる方や、指名をしてくれる方や、ファミリー顧客からの紹介等々・・・。厳密にいうと全く知らないわけではないですが、ここでの「知らない」は、その被写体の美しさを「知らない」ということです。私たちは恋心を抱くような相手や、心が近くに居る人間のことは知っています。その人の美しい角度を知っています。美しい部位も知っています。どうしたらそれが美しく見えるのかも、知っています。それは何故でしょうか。それは、その人に深く入っているからです。それでは、私たちが初対面の名前と性別と年齢ほどの情報しか得ていない相手を「知る」にはどうしたらいいのでしょうか。その人に深く入るには・・・。「人に深く入る撮影」とは、よくライフスタジオで言われている言葉です。聞き流してしまえば、それは単なるただの綺麗な言葉なのでしょう。でもせっかくの綺麗な言葉を紐解いて見る機会を持たなければなりません。カメラマンとして、人として。良い機会に恵まれ、私はこのことに集中して考え出してから、色んなカメラマンの撮影をそこに注目して見学するようになりました。あるカメラマンは、人一倍良く被写体と、またその家族と話していました。自分の娘も同じ月齢くらいだとか、乗ってきた車の話だとか、その子のする一挙一動全てに声をかけ、声のトーンを家族と合わせ、ゆっくりと丁寧に。その撮影は、私が傍から見ていても被写体が徐々に心を開いていく様子が分かりました。被写体だけでなく、そのご家族もでした。またあるカメラマンは、自分がエンターテイナーになり、笑いを持ってしていきなり家族の心を掴み、親から笑わせその親のリラックスしている姿をみて子どもが笑っていました。また違うカメラマンは、忍びの如く潜み遠くから望遠でその子の様子を撮影していました。でもそれは決して人に深く入っていないわけではなく、そのカメラマンの方法でその子ならではの美しさを鋭敏に探しているようでした。このように、「人に深く入る撮影」に絶対のマニュアルはなく、自ら条件を作り出すことがとても重要なようでした。そしてそのように撮影を編み出して進んでいくことが、私たちが切り取り顧客に提示しなければならない“美”を見つけるためのプロセスなのでしょう。では私はどのようにして、被写体に深く入ってゆくべきなのでしょうか。正直、私の中にそのマニュアルはありません。それは被写体によって変動的なのが常だからです。ですが、被写体が赤ちゃんであろうが、成人であろうが、男であろうが女であろうが・・・核にある根本の想いは同じだと考えます。それは「その人の美しい姿を残したい」「あなたはこんなにも美しいんだ」ということを確かな説得力を持って伝えたい。ということです。ここでの説得力、これは写真を意味します。ですが、どうやら写真だけでなく撮影中に既に伝わっていることがあると、以前被写体から言われたことがあります。その方からは「(私に)撮影されていると、見守られているような愛されているような気分になる。きっと美しく撮ってくれているんだと実感する。」という言葉をいただきました。なるほど。きっと、私の「深く入る」はそこなのかも知れない。それが撮影中から被写体に確かに伝わっていくことなのかも知れない。例えばこの写真。彼女は成人式の撮影で来てくれた二十歳の女性です。当初着物のみの撮影をお願いされましたが、彼女の魅力をどうしても着物だけで終わらせたくなくて、自ら懇願しカジュアルの写真も撮らせていただきました。ですので、この写真は着物を脱いだ後に本当に5分程の時間で撮影されたものです。すべてはイメージの融合から始まりました。それは私が彼女に抱いた第一印象と、着物の撮影を通して確信した印象と、私の脳裏にあるビジュアルイメージの融合です。来店時、彼女はセットのされてない無造作な髪と、メイクのしていない肌でした。それが私と彼女の初対面。成人式の撮影だからきっとロングヘアーの女性が登場するのかと勝手に思っていましたが、来店されたのは髪の短い女性でした。玄関から入る逆光で彼女の少し痛んだ髪は透き通り、八重歯を携えた唇はすこし歪な形をしてすぐに閉じました。そのイメージがすごく強烈にそして至極魅力的に私の脳裏を刺激しました。そこに彼女の自作のネイルのテイスト、雑誌は『VOGUE』を読んでいるという話から得た彼女の目指すべき美への印象、そして着物の撮影中に見せた色んな瞬間をプラスして。徐々に彼女の「美しさ」を知っていくことが出来たように思います。着物を脱いでカジュアル服に戻った彼女に、融合したイメージを当てはめていく。髪を手でかき乱してもらうこと、ハイコンで撮影すること、光を後ろから当てること。凛と、見上げてもらうこと。八重歯の輪郭をもった唇を閉じてもらうこと。自身がコンプレックスに思っている部分が、私にとってはとても魅力的だと伝えること。そして、それを美しく表現すること。イメージの融合。この作業がとても面白い。2人きりでの撮影中。「あなたの美しい姿を残したい」「あなたはこんなにも美しい」という私の想いが、伝わったのかもしれないと確信してしまうほどの表情、仕草、笑顔がそこにはありました。そしてこれが、その中の一枚。私が写真を撮り続けたい理由が、そこにはありました。
醍醐味
2015/2/28
1
Photo by OkamuraCoordinaite by Koidedressing / hair make by MigitaPhoto in URAYASUこのスタジオに入る前までは被写体は常に成人だったのに、いつの間にか主たる被写体は子どもとなり、成人撮影に対して気後れしてしまう自分が居る。それは何故なのでしょうか。いつのまにか子どもの撮影が私の中で習慣化し、それに順応している自分が確かに居て、成人を撮影するという変化に少しの気後れを覚えるようになってしまった。だからこそ、この撮影は私の凝り固まった習慣に刺激を与えてくれるとても良い機会でした。ライフスタジオが目指すべき写真の話を良く他のカメラマンとします。その際に必要なものとして「成人写真」は欠かせないと私は考えます。成人写真で必要な要素は、必ずどの被写体にもどの写真にも通用します。例えば、行き場のない足元や置き場の無い指先、角度の無い単調な姿勢は写真全体をゆるくすることを覚えていれば、常にそれに注意して画を作っていくでしょうし、ポージングや美しいライン作りと四肢全てに行き場を作ることの礎さえ頭にあれば、あとはいかようにでも応用が利きます。そして、インテリアへの被写体の配置。浦安店はライフスタジオの中で今や数少ない天井の低い店舗です。いつもこどもを配置しているそれで同じように大人を撮影していては、どうしてもアンバランスになってしまいます。ですので美しい配置を考えます。まずは天井の高さと被写体とのアンバランスさを解消すべく被写体を座らせ、障子を開け被写体に光を当てます。一枚画になった際に美しいバランスになるように、前ボケにより無の間を埋め、床の間の掛け軸や小物の位置を子どもの撮影時とは違ったそれに調節しました。美しい配置の完成です。ヘアメイクさんは、いつもいつも私の写欲を掻き立てるヘアメイクをしてくれます。ですので、その髪形をより美しく見せる角度、そして同時に彼女の輪郭を美しく見せる角度を探しました。ハプニング的な面白さ、偶然的な美が難しい成人写真だからこそ、そうやって計算し尽くして写真を作っていくことが本当に面白い。作り上げ行き着いた先にある美に、眩暈を覚えることすらある。美しさを知ってしまうと、癖になる。この感じ。「所詮カメラは人間の目を越えることは出来ない」と聞いたことがあるけれど、それが覆る瞬間は、この仕事の醍醐味だ。
クワイエットな時も。
2015/2/28
2
らしさの追求 毎日毎日この「らしさ」とは何かと思い撮影を行います。抽象的な言葉な為に、らしさを表現する事も捕らえることもとても大変なことであり、絶対の正解はありません。 この子はこういう子だ子供の印象はその子供を見た人の認識で決定されます。近くに居れば居るほどらしさ気づく物が多く、その反面気づかないものも多いです。常にそのらしさを追いかける姿勢を忘れては居ませんが、あえてそのらしさの対極へベクトルが向いている写真を撮りました。 「とにかく活発的だ」こんな印象を持った撮影でした、とても動きが速く、人のところに駆け寄っていくことが多く普段からもその様子らしいです。とにかく元気良く活発的におもちゃを持ちながら動き回ります。原本には笑顔があふれんばかりにあり、その元気さは誰が見ても感じると思います。そんな時よりらしさを演出する事ができるのはなんだろうか考えます。色々と考えた現在の結果は、全く違う写真を75cut内に入れることでした。 らしくない一枚は、らしさを想像以上に際立たせます。その子のらしさから一度出て考える事で、そのときの思い出は一層深みをますと考えます。私が思うその子らしさを出すことは、その子のらしさの外側を探すことでした。らしさと、らしく無さの二つが一つの流れに入ることで、さらなるらしさを引き出すことができるのではないか?常にこれからもその子の内側と外側に目を向け、らしさを追ってゆきたいものです・・・
僕(ら)が写真を撮る理由
2015/2/26
0
Photo by Rolly.Coordi by Kazumi僕らが写真を撮る理由はなんだろうか。人が好きだから、写真が好きだから、子供が好きだから、カメラが好きだから、モテたいから、カッコいいから、誰かに近づきたいから、あなたに近づきたいから。色々な理由があると思う。カメラを握る人が100人いれば100通りの理由があるだろう。じゃあ、自分が写真を撮る理由は一体何なのか。それは、自分が写真と言うものが嫌いだからだ。正確に言うと、写真を撮られる事が嫌いだからだ。嫌いと言うと語弊があるかも知れないが、未だに苦手な事に変わりは無い。デジタル一眼レフが普及したからこその、第三世代の写真館としてライフスタジオが有るが、私が小さいころは当たり前のようにフィルムカメラしか無く、写真を撮るときにはかならず静止してカメラに向かって笑顔でなければいけなかったし、なるべく精細に写真が写っていなければならなかった。と思う。小学校・中学校と、儀式の様に写真を撮るときにはカメラ目線で笑顔でなければならず、何を笑えば良いのか、対して面白くもないのに「はい笑って~!」なんて言葉に従わなければならず、とにかく写真と言うものが気づいたら苦痛でしかなかった。もちろん、高校時代の写真なんて3年間で5枚も無いっていうレベルだと思う。そして大人になって気づいた時には、青春時代の写真が欠落していた。ではなぜ自分が職業としてカメラマンを、ライフスタジオを選んだのか。笑ってない写真を撮り、カメラ目線じゃない写真を撮り、あまつさえ顔の写ってない写真を堂々と撮影する写真館だからだ。こども写真館なのに顔が写ってないと言うのは衝撃的だった。しかし、なんだか判らないけど自分が子供の時にこんな写真を撮ってもらっていたら、きっと写真を撮られる事に対する抵抗は今よりももっと少なかったんじゃないか。と思う。もしも、笑顔じゃなくても良いんだ。顔が写ってなくても良いんだ。と思える人が増えたら、自分と同じように過去を振り返るときに写真が無く、ほんの少し悲しい気持ちになる人は減るんじゃないだろうか。そんな理由で第三世代の営業写真館で働きたいと思ったのだ。話は変わるが、写真撮影、特にポートレートに於ける一番大切な要素はなんだろうか。光や構図など、写真の出来に左右するハード的な物だろうか。それとも、コミュニケーションや関係性などのソフト的な物だろうか。人それぞれの答えがあると思うが、自分にとって大切なのは後者の方だ。営業写真館と言う事業の社員である以上、綺麗な写真を撮る必要は絶対的に有るし、カメラマンとして、技術的に綺麗な写真を撮る技術と言うのは持って無ければならない。しかし、綺麗な写真さえ撮れればそれでいいのかと言うとそうではない。いつも自分がプライベートでモデルさんを捕まえて写真を撮るときに念頭に置くのは、「その写真を撮る」と言う行為を通して、被写体がより自分の事を好きになれるか。である。極端な話、楽しく撮影出来たらオッケーなのだ。技術は無くても良い写真は沢山ある。親の愛が詰まった一枚には、例え技術的には勝っていても他の部分ではきっと全敗なのだと思う。だからこそ、撮影の時には被写体に向き合い、写真に向き合い、覚悟と信念を持ってローリーで居るのだと思う。この写真は子供の顔がほとんど見えないし、明らかに笑ってないし、前ボケに光が乱反射を起こして明瞭な写真でもない。彼女の75カットは沢山の笑顔があったが、それでも顔の写っていない写真は撮りたかった。楽しい撮影で写真を撮られる事を好きになって貰えるように努力はしたけれど、いつか彼女が写真を撮られる事に抵抗を感じたりした時に、ふとアルバムを見返したタイミングでこの写真が目に入って、僕が写真を撮る理由と同じように、何かを感じてもらえたら。と言う思いを込めて。
”Serendipity”
2015/2/23
5
PHOTO by SU & Ikuyo Kitamine 赤ちゃんが幼児に成長してゆくのは自然の成り行きであり、毎日の成長をタイムラプスのように知覚はできない。だが子どもの写真を撮る以上、その被写体を線密に観察しながら、徐々にできることが増え、自我が生まれ、イヤイヤ言うようになっていく成長の過程に眼を注がなくてはならない。ゆりかごから解放され、哺乳瓶やオムツの必要がなくなれば、子どもの活動領域は広がり、いつどこでどんなことをするか予想もつかなくなる。四足ではっていた頃から二本の足でドッシリと立つようになると、休むことなくマグロやカツオか!?とツッコミを入れたくなるほど動き続ける。そして次第に言葉という表現手段をつかい、まわりの世界との接触を深める。こうして周囲の世界を己の底なしの探究心で広げ、ときには訴えかけるように、ときには平然として、人格を形成する。こうした子どもの変化は、撮影者にとって新しい機会であると同時に、新しく突きつけられた挑戦状でもある。その挑戦状に撮影者は、子どもが周囲の世界について知識を深めるのと同じく、写真の構成要素について知識を深める必要があるのだろう。 子どもが自意識過剰になったり、固くなったり不自然になりすぎてしまうことがあれば、逆に子どもが自然に撮影に参加してくれるようにもなる。説得次第では非常に協力的になり、カメラの前でポーズするくらいのことはちょちょいのちょい、場合によっては写真の構成のことまで考えてくれることもある。 そうするためには、まずは彼らに自分自身を知ってもらうこと。私が彼らにどうしてほしいと思っているのかを話したり、気持ちを楽にさせる気の利いた一言をかけたりしてみる。それでも協力することが恥ずかしかったり、気が進まなかったりするなら、子どもに気づかれないように撮らせていただくのもいいと思う。と、いってもそれも無限にある可能性のなかのひとつの方法でしかないけど… 赤ちゃんなら誰かに抱きあげてもらうか高い椅子に乗せれば、あまり動かなくなるだろう。大人はカメラが目の前にあれば、これまでの経験ですっかり身についた表情を浮かべ、仕草を見せ、ポーズをとる。そして撮影者の指示も通る。だが子どもは、それがまだ固まりきらない変化の過程にあり、あいまいで不安定なためにそれは容易でない。同じ1人の子どもでもナイーブなときもあれば、逆に自己をよくわきまえているときもあり、場合によっては両面が一度にあらわれることもある。矛盾に満ちたこんな被写体を相手に、わずか1秒足らずの間に撮影者が表現できるものとはなんだろうか? それはカメラのレンズでも照明、背景、ポーズなどの問題ではなく、撮影者の姿勢の問題にある。子どもという被写体を、子どもとして撮影者は精一杯とらえようとする。被写体になった子どもには、カメラを完全に意識している子もいれば、静かな遊びや飛び切り激しい活動に夢中になっている子もいる。いずれにせよ、撮影者は子ども自身になって子どもを見ようとしなければならない。子どもという被写体を写真にとらえるには、プロとしての技量と眼、さらに重要なものとして、十人十色である彼らの細やかなアクションを受容すること。自分の価値観や世界観と相容れないものであっても拒絶しないこと。それを面白く発展させるには、どのような方法がありうるかをストイックに問い続けることだと思います。 さあ、そろそろ写真にうつる彼女に注目してみましょうか・・・^^;写真をみつめてみて、彼女をどのようにとらえますでしょうか。あどけない少女としてか、はたまた大人としての女性か、そのどちらでもないのか、そのどれも彼女の中に存在するものであり、さらに探求していくことも可能です。しかしそこには、うかがい知れないほどの彼女の姿が存在し、さらに撮影の中でも新たな自分に出会っていきます。それらを全てとらえることは容易いことではないでしょう。 私たち撮影者と被写体である彼女との間で、共通認識がされるような関係性がつくられた私たちに、表現できないものはなかったと思っています。だからこそ葛藤はありました。彼女は、真剣に撮影と向き合う事もあれば、たわいない話で笑い転げることもあり、また自分の世界に入り込み、ありのままに舞い踊る一面ものぞかせてくれました。無数に存在する彼女の中から、どのような彼女を招いて写真として残せばいいのか。。。そして、この1枚は撮れてしまった。 はじまりは「大人っぽく」という安易で抽象的なイメージから。照明を組み、レンズを交換し、プログラムを想定する。コーディネーターは魔法のような手使いで、アップヘアーにドレッシーな髪飾りとポーチでつかの間に変身させる。そのあまりの可憐なる装いにさらに概念を付与させていく。「”幻のように” ”手の届かない” ”高嶺の花”」そんな言葉が浮かび上がり、私はくもりがかった窓越しに彼女にまなざしを向けた。条件はふとした偶然をきっかけに整った。あとは彼女からあふれ出る、もう一人の私を、彼女自らが発見する瞬間を待つだけ。その瞬間こそ、シャッターを押す決定的瞬間だ。気強く、まっすぐに伸びる腕とまなざしそこに一瞬、美しさの発見ともう一人の新たな彼女を表現できたという幸運をつかむ事ができた。
About you.
2015/2/5
1
photo by Shiibacodinate by Matsukawain Kokubunji 人は色んな面を持っている。たった1時間ちょっとでは分からない部分がとても多いですが、その時間の中でどれだけその人の事を知ろうとするか、出来るかというのがポートレイトを撮影する上でとても大切な要素となります。だからこそ私達が心を開いてもらえるような人になる事もとても大切なのです。 同じ場所で同じ年代の子を毎日撮影していても、新しいものを発見出来る時があります。新しいものとはなんなのでしょうか?それは撮ったことのない場所を見つけて写真にすることではなく、その子自身を見つめる時に出てくる次元なのかなと思います。 お絵描きが好きなあなた。大きな目と口と輪郭。真剣な眼差しも素敵だけど、楽しそうに、そして一生懸命に絵を描く姿が印象的になるように、強く優しい日差しに力をもらってそれを表現したかった。75カットがあなたの色んな部分を表現するようなものでありますように。
Baby,
2015/1/31
0
どんなひとも、あかちゃんからはじまる。 新横浜店は、Babyの撮影を中心としているスタジオである。毎日、色んな赤ちゃんが訪れる。生まれたばかりで、小さくてか弱くて、でも温かくて、力強い。そんな、たくさんの赤ちゃんたち。 彼らの撮影をする時、この1時間の撮影で、何を残せるかを考える。10ヶ月もの間、ママのお腹で育まれて、生まれて来た。そして、3ヶ月だったり6ヶ月だったり1年だったりするきっかけで、こうして写真を撮りに来る。あっという間に成長してしまう赤ちゃんの、今の姿。今だけの姿の記録を、残したい。その為に、シャッターを切る。 丸まる。転がる。からだの感覚を楽しむように、遊ぶ。からだの柔らかい赤ちゃんが、お腹にいた頃の名残のように丸まって、ころころ転がる。そんな動きを撮りたくて、私たちは赤ちゃんの遊びを誘発できる環境を整える。赤ちゃんには、難しいことは分からない。大人の都合も、関係ない。でも、光の綺麗なところで、気ままに遊んでくれたら良いなと思う。だから、そうしてもらえるように、整えていく。繊細な子はママの近くで。元気な子には思いっきり。その子の個性に合わせた環境を作り出す。赤ちゃんとのコミュニケーションは、とても原初的だ。触れる、目を見る、観察する。言葉は、声という音として届ける。私のそれでは届かないなら、ママのそれを届けよう。ママの笑い声というのは、きっと赤ちゃんにとって最高に楽しい音である筈。赤ちゃんにとって、ころころ転がって遊べる安心できる環境。おうちの布団でじゃれ合うような、そんな時間の1コマを、スタジオで再現できるように。 振り上げた足と丸まったおむつのお尻が、とっても『Baby』な瞬間だった。笑顔のキュートなママさんと、目尻下がりっぱなしなパパさんが作ってくれた、彼の安心できる場所。そこでの、今だけの、『Baby』な瞬間。 こんな時間を積み重ねながら、誰もが大きくなっていく。 あっという間に通り過ぎていってしまう、そんな瞬間だからこそ、こうして写真に残したい。 photo by Reiri / coodi by Eunjeongin shinyokohama
『 あなたの写真 』
2015/1/31
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『あなたの写真』Shonan photo by Kuroki codi by Hyogo 発想 理想 印象 飛躍的 経験 革新的 具体化 知識 抽象的 判断 優先 挑戦 無難 想像 理論 核心 状況 創造 形成 感性… 様々な意識という「ことば」が存在します。 カメラを被写体に向けた時、その中から私たちはそのどれかを選択します。私はその瞬間、そのことばを多くは選びません。勿論、その写真に含まれる全ての要素を意識しアンテナは何本も立たせ一枚の写真を作っていくわけですが、この意識という「ことば」を複数選択してしまうと初めに捉えようとようとした画から迷いが生じ反れていってしまいます。なぜなら選択肢が増えてしまうからです。しかしこの選択肢は全く選ばないわけではなく、ひとつずつ選んでいきます。それではいつそれを選ぶのか?それは「反復」している時です。何においてもただ一回の試行により出たものは偶然でしかなく「確実」なるものではありません。何度も何度も反復し、繰り返し挑戦する。それをいわゆる経験とすることでいつでもどこでもそれを撮ることが出来るのです。現代、非常に便利な世の中になったこともあり知識などとは簡単に触れる事が出来ます。ですから知識に触れただけでそれを得たように勘違いをしてしまう事もあるでしょう。そのおかげで自分を見失ってしまう事もあるかもしれません。ですから一度に多くを入れず一つ一つを反復して確かめる。それを継続していくことで小さな「核心」が見えてくるのだと思います。 反復を繰り返し、そして最終的に選ばれたその「ことば」を用いたその写真こそが「あなたの写真」になっていくのではないでしょうか。江戸の町、茶屋の横の路地裏を追手から逃れようと走り去っていく娘。その追手から逃れた娘はひと時、安堵の表情を浮かべる。
FREE WILL
2015/1/31
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Photo by Volvo in Tokorozawa フォトグラファーとは「自ら条件を作ることができる人」と社長は言います。 例えば料理がうまくなりたいと思ったときに思いつくのはクックパッドです。そして本当に良くなりたいと思ったなら、クックパッドを見るためにスマートフォンを手に入れ、それを台所で見やすいように台を作ります。快適に料理をするために音楽なんかもかけながら、クックパッドに会員登録をしてより調理方法に関する詳細な情報を取り入れようとします。 しかし料理を良く作るためにクックパッドを見ることはあっても乗り換え案内を見ることはしません。それは自分が料理を良く作るために「何を見たらいいか」知っていて、向上するための最適な環境を自ら作り出す手段を講じることができるからです。 では写真はどうでしょうか。 私たちはいつも写真を良くしたいと願っています。写真のクックパッドがあったら楽なのですが、残念ながらそうはいきません。なぜなら写真は醤油や砂糖を同じ分量入れれば同じ味になる肉じゃがのようにはいかず同一の情報を取り入れたとしても写り手や写し手によってでてくる写真が変わってくるからです。 先日、所沢店のみんなと話をしているときにウギュさんの「写真は自分のスタイルが重要だから一定の部分を超えると教えることはできない」という言葉を聞いて共感する部分がありました。 自分のスタイルがあるということは写真にクックパッドは無いかもしれませんが、自分なりの向上の条件を見つけ、それに到達するまでのプロセスを作り出すことはできます。 ところが、筋肉トレーニングをすることが写真の向上にとって適切な手段ではないように、向上していくにあたって「何かを一生懸命がんばればいい」という見解は思っているような結果を得られない可能性があります。 写真の向上に万能薬が存在しないということは、自分なりの向上の条件を見つけることに関して本当に多くの分岐点をかいくぐって見つけていかなくてはならないことを意味し、うまく自分なりの条件を作らなければ筋肉トレーニングと同様の結果になりかねません。(筋トレが悪いわけではないのですが) こと撮影内においても同様のことが言えます。自分なりのスタイルを現場で発揮するためには、その為の条件を自ら作りださなくてはいけません。撮りたいものがあるのならば準備しなくてはいけないし、被写体によって発揮されないのはスタイルとは言えません。自らこの会社のスローガンである「自立」にとって必要なツールであると志願した福利厚生要員として店舗を渡り歩き「広角」の使い方を少しずつ自分に条件を課して行きました。33mmという難しい焦点距離で違和感なく整理する方法を探し、かつ自分のスタイルを失わず被写体にとってベストな状態で撮影をする。それを一ヶ月という期間いさせてもらった所沢店で表現できた事を嬉しく思っています。 自分というものに対して、今、何が必要で、何をすべきかを判断できる力を持つこと。それが自由意志なのではないでしょうか。
一致
2015/1/31
0
Soka No.12Coordi by Akane / Photo by Kudo撮影者には、いつでも、どんな環境でも、どんな状況でも、コンスタントに美しい写真を撮り続ける責任があります。それは、自分以外の人やもの・変化に対して自ら適応できることであり、そして自らに環境や人を寄せることができることでもあります。それは、被写体の性格や特徴を、自ら見つけ引き出すこと。どのようなイメージを構築するのか、自分の意思で決めること。どのような光で撮るのかを選択すること。被写体に向かい、実際の適切な言葉と行動を以て動かすこと。被写体の動きや表情に、どのようなフレーミングが適切か判断すること。美しいとはどういうことなのか、提示すること。関係性を美しく表現すること。それらを常にできてこそ、条件を自分で作ることができる撮影者であると思うのです。条件を作ることができる撮影者とは、自分の意思と周囲を近づけることができる人であると思います。それは関係性を築くことが上手である人だと言えます。人と人は、常に向かい合っています。ライフスタジオの撮影空間では、なおさら人としてお互いが向かい合うことが常です。相手の意思のみでは、自分は無くなってしまいます。かと言って自分の意思のみでは、相手に強要してしまうことになります。人と人とは、お互いが立っているために自然にバランスをとります。もしかしたら、お互い摩擦が起きないように遠慮深く回避することがあるかもしれません。しかし、回避では人に対して作用することにはならず、お互いの意思が疎通していることにはなりません。それは相手に受け取りやすい形で自分の意思を発信して、実際に他者を動かすことができることだと思います。それには、相手の立場になって自分を見ること、それを受けて自分に戻ってくることが必要です。しかしながら、自分の視点と相手の視点を完全に一致させることは難しいかもしれません。しかし、相手に自分から近づくことはできます。少なくとも相手の立場に立てば、どういうタイミングで言葉をかけるのが適切かを予想して考えることができるからです。自分から近づくことで、撮影者と被写体との関係性の条件を整えていくことができます。物理的な条件である光・インテリア・カメラの設定・フレーミングなどは、自分の意思のみで整えられる条件ですが、人と人との関係性の条件は、生きているもので、自分の意思のままで変化をさせることはできません。それは自己と相手の視点を限りなく一致させることで、人を動かし、その人だけの美しさを引き出す写真となります。撮影者の中で感じるその人だけの美しさが伝わる写真にするには、また自分の感覚とお客様の感覚を一致させる必要があります。撮影者だけが美しいと思っても、それが相手に伝える術が無いとその美しさは存在しないと同じ事になります。だから、表情・動き・光・フレーミング、美しさを構築するものを自己満足ではなく、相手の視点と一致させていくこと。そのうえで、美しさを提示し、良い意味で相手の概念を破ることが想像を超えた美しさになるのかもしれません。向かい、投げかけ、一致させ、引き寄せ、超えていくこと。これが、常に基準を上げていくコツなのかもしれません。この女の子はまだあどけなさが残る恥ずかしがりやさんでした。照れ隠しでふざけたり面白いことを言ったりしていましたが、彼女は成長しつつ女性となろうとしている姿も垣間見えました。それが今の彼女の一部だと思い、美しい逆光の中で美しい彼女だけの姿を表現しました。彼女の今と未来を繋ぐものとしてこの写真が存在するなら、私は幸せです。
『音無く止まる』
2015/1/31
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Photo by Ryo/Coordinaite by Comein Shinyokohama写真の表現手法の一つであるモノクロ。カラー写真の中に数枚モノクロ写真がはいるだけで、全体のイメージを大きく変えてくれます。ですが、どのような写真にもモノクロがイメージ的に合うかは必ずでは有りません。モノクロの特徴としては、写真にイメージを強く持たせる役割が有ります。カラーでは表現しきれない撮影者のイメージを白と黒以外の色を排除し表現する物です。 モノクロは人により様々なイメージを持っています。レトロ、ドラマチック、見慣れない新鮮さ、想像力をわかせるなど、モノクロに対して思う感覚は皆それぞれに持っています。どの感覚が正解か不正解かを決めることは出来ません。その一枚が、持たせたかったイメージを表現できていればその写真は成り立ちます。 私の感覚として、モノクロは『より強く印象づける』を目的として撮影をします。光や、衣装、背景などの白と黒のバランスももちろん毎回気にしますが、その条件だけでモノクロで写す事は少ないです。75カットの中に入る時も有れば入らない時も有り、入れる場合でも枚数を決めている訳でもないのですが、より印象的な物はそんなに多く存在する必要も無く、その一枚が大きな存在感を放ちます。この瞬間、これをのこしたいと思った瞬間自然と写真から色が抜けて行く、そんな感覚でしょうか。 カメラの設定でいつでもモノクロで写す事は可能ですが、表現手法を活かすには明確な狙いが必要です。そのタイミングをつかむにはやはり自分の中に沢山のイメージを持つ事が必要とされます。白と黒の割合や光により画的に美しく写る条件のみ満たしても、タイミングを取り違えればそれはただの美しいモノクロで終わってしまいます。それでも良いのかもしれませんが、写真にはそれで良いは結局存在しません。満足もやがて物足りなさを感じます。その時に隙間を埋めてくれるのは美しさだけでは足りなかったその何かなのではないでしょうか。その『何か』をつかんだ瞬間、自分の写真が変化し、生命力をもった一枚が産まれます。 音も無く静止する瞬間。絶え間ない運動の中で、彼の瞬間を記録する。光、小物の配置、衣装。 その全ては必然と少しの偶然のために。その瞬間、被写体である人がどのような事をするのか、全てを知っているカメラマンなどいないと思います。そう、全てを知ってしまう事は時に可能性をなくす瞬間なのかも知れません。だからこそ、その手前の瞬間にこそ、その先の想像に繋がる何かがあるのかもしれません。帽子を見つけた彼のこの後の行動はその場所に居た人しか知らない。 見る人に想像力を持たせる写真。そんな一枚も私たちの75枚の中で必要なのではないでしょうか。
motion
2015/1/31
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Yokohama Aoba No.99Coordi by Kaori / Photo by Kudo人を被写体にした写真とは、「生」なるものである。私たちは毎日写真を撮っています。その被写体となるのは、「人」です。「人」を被写体としているということは、「人」をテーマにした写真を撮っているということです。「人」をテーマにしているということは、写真の中で「その人が誰であるのか」を表現するということです。「その人自身」を表現するのに、誰にでも当てはまるポージングやパターン化した撮り方では、「その人」を表現することにはなりません。「その人自身」を表現した写真は、カメラ目線の写真かもしれませんし、もしかしたら笑顔の写真かもしれません。それはお客様は喜ぶ写真なのだと思います。だけど、「その人自身」を表現するときには、いつも誰もが見ている表情だけではなく、ふとした瞬間に現れる、普段は見過ごしている表情を美しく表現する必要があります。そうすることで、家族は被写体である「その人」の生をより鮮明に感じることができると思うのです。ポージングをして止まっているだけの写真では、その表情を引き出すことは困難です。その人の眼に見えるアイデンティティとは、動いたときに現れるものであると思います。「動く」ということは、被写体の自発的な意思が含まれます。そのため、「動きと動きの隙間」や「静が揺らいだとき」に、その人のアイデンティティである「生」を感じられるものになるのです。大きな動きでなくてもいいかもしれません。何かを自分の意思で行うこと。何かを見ようとしたり、何かを触ったり、匂いを嗅いだりすることは、自分の五感を使って自分の意思で確かめようとすることです。歩いたり、後ろを向いたりすることは、自分の意思でそこへ向かおうとすることです。年齢が高ければ高いほど、初対面の人の前で興味本位で自由に動くことが少なくなります。「人」をテーマにした写真を撮ろうとすると、そういった状況で「その人自身」を撮ることは難しくなります。しかし、私たちも「人」です。自分の意思で行動をしている「生」ある人間です。だから、私たちは自分たちの意思で条件を変化させることが必要となってきます。その条件が被写体の動きを誘発させることです。被写体を固定せず、動きを誘発させて、その隙間を撮っていくこと。これが被写体を動かすことになり、こうすることで「生」の在る写真を撮ることができると思うのです。私たち撮影者は「人」として、被写体である「人」に対し向かい合い、動き、動かし、「その人」を表現していくこと。「生」を表現すること。これが私たちの価値のひとつであると思うのです。
インテリアと被写体
2015/1/31
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Coordinaite by KaoriPhoto by Manami in Yokohama Aoba 写真を撮影している時、私はまず縦の引き写真から撮影をする事がほとんどです。撮影をしたいインテリアに移動してきたら、この場所にしかないインテリアが入った写真を撮影したいと純粋に感じるからでもあります。写真はその場所にあるものしか写していないはずなのに、カメラとゆう機械を通す事で人が肉眼で見ている映像とは違った形の絵を写し出すことが出来ます。 被写体とインテリアに対して正面から構えなければ、インテリアは少し歪み居心地が悪くなります。正面から被写体を捉えればフレーミングを考え、被写体をどこに配置すればいいのかもおのずと見ててくるでしょう。正面からの光が強い分、画面左上の屋根のあまり光が入らない場所は少し暗く見えてしまいがちですが、前ぼけを入れることで左側の暗さに明るさをプラスする事ができます。左右と後ろからの光が入ってきているので被写体の来ているドレスの白が綺麗に透けて、画面真ん中の色味のバランスが綺麗にとれました。当たり前ですが人物を撮影しているのであれば、引き写真の中にいる被写体にもどれだけ集中できているかも重要です。この写真はでは被写体の顔の輪郭にしっかりと光のハイライトが入っており、クロスさせている足にもしっかりと光のハイライトが入っています。右からの自然光で入る足のハイライト、左からのライトから入る顔のハイライト、その場所にある光を活かして被写体に一番当たって綺麗な状態を探して撮影しました。 私は絵画が好きです。その中でも特に好きなのは印象派の絵画です。人が目で見た情景や人の移りゆく時間や描く人の感覚を少し一手間加えて描くことでもしかしたら肉眼で見る以上にその場所を表現できる可能性を持っています。 写真は絵とは違うものですが、私は少し写真と絵は似ている部分があると思っています。絵も写真もまったく同じものはほとんど作れません。絵の具の色、紙質、キャンパスの大きさ、気候、天気、光、被写体、フレーミング、その時、その時で変わっていくものに対して作り手はどうやって対応していくのかが大切です。私たちは同じものを作りたく撮影している訳ではありません。刻々と変わっていく被写体たちや毎日の撮影の中で変わっていく自分自身をどう表現していくのか沢山の可能性の中からヒントを拾ってそれをエッセンスとして加える事ができれば毎日少しづつ何かが変わって進化してゆくのではないかと思います。絵も写真も同じものは二度と出来上がりません。今この瞬間感じる何かを少しでも形に残す事が出来ればいいなと思います。
寄り添う
2015/1/31
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Photo by kaori kobayashiCoordinaite by ryo takahashiin Yokohama Aoba 「“知らない”ものは、撮れない」写真を撮るようになり、よく質問されることがあります。なぜ、写真をやっているのか。写真で何を伝えたいのか。何を表現したいのか。 私は写真という方法で、自分の存在意義を見出したいという思いと繋がって、何か自分が出来ること、与えられるものを、一瞬でも、少しでも、目の前の大切な人に何かを残せる自分でありたいと願い続けています。その瞬間が未来に届くことで変わるもの、変わらないもの、蘇るものが人生にはたくさんあります。その可能性や力を、写真という“形”に込めて、届けられる自分でありたいと、常に考えています。 では、具体的にその家族や目の前の大切な人たちに伝えたいものや残したいものを≪写真≫で表現するためには、何が必要なのでしょうか。 写真技術、コミュニケーション力、観察力、イメージ力・・・必要なものを上げればきりがないと思いますが、すべてにおいて共通していることは“知る”ということです。 相手を知る、技術を知る、イメージを知る、それらを知る方法を“知る”。相手を知って、表現したいイメージが確実に頭の中で再現されなければ、それは偶然が呼び起こしてくれない限り、結果物として写真を生み出ることは難しいです。イメージも何もかもすべて、自分が知っている範囲でしか表現は出来ません。もっと多彩に表現がしたいと思えば、まずは知ることからつなげていくしかないのです。幸せを表現したいと、感情だけで表せたのであれば写真に技術は必要がないことになりますし、技術だけで幸せを表現できるのだとしたら、幸せという確かな正解のないものを、無理やり形にあてはめてしまわなければいけないことになります。どちらも必要であり、同じものなど存在しない。だからこそ、一つずつ知っていくことがまずは必要なのです。表現したいイメージを、まずは再現するために必要なのは写真の、イメージの分析です。なぜ、この写真が好きなのか。なぜきれいだとかんじるのか、魅力があるのか。そしてそれを再現するために必要な方法を探り、形を変えて目の前の状況にあてはめて、頭にある「知っているイメージ」を目の前の「自分が知っている被写体のイメージ」とリンクさせ、そこにしかない表現を確かにしていくことが必要です。目の前のお客様に対して感情を最大限表せるようになるために、型にはめないで、新しくそこにしかない形を自らつくっていけるようにならないといけないのです。それでもおおもとになる主軸のイメージは“知っているもの”でしかなく、そこからしか広げることはできないのです。知らないものは、頭にも浮かばないのです。感動してもらうために。必要なものはたくさんで、感情はとめどない。よくばりになっていては何もつかめないのであれば、確実に一歩ずつ、自分に必要なものを固めて、見直して、そしてまた新しい形を作っていく過程が必要なのです。ただその一枚に集中するのではなく、その過程を楽しみながら、“一枚”に思いを込めて整理していきます。その瞬間、そこにしかない形が出来上がります。その達成感を繰りかえし感じる中で、自分の“知っている”物が増え、どんどんと世界が広がっていき、表現も見える物も、広がっていくのです。知ることで、自分の中の疑問を線でつなぎ解決していき、また次へと進んでいく。写真という、わかりやすく目で見て表現できるもので、正解がないからこそ、その繰り返しをつづけていきながら追求し、果てしなく世界を広げていけるものなのだと実感しています。まだ一歩。先は広く、その先をどう広げていくのかは自分次第。そのために、ひとつずつ着実に結果として残し、目の前のものを大切に出来る自分であり続けたいと思います。 お年頃な二人は普段は喧嘩も良くするとのことで、昔の幼いころのようにぎゅーってしたり、べたべた遊ぶのは、少し気恥ずかしいものです。それでも初めての場所で安心を与えてくれるのも、また互いの存在で。一人よりも、やっぱり二人。二人だけの空間を表すために、その互いの距離感を大切にしながら二人だけの空気をつくる一枚の画が頭に浮かびあがりました。青葉の広い空間を利用し、普段はあまり写らない空間も細部まで写るように被写体を配置し、“青葉店”の店舗で撮影したというイメージを残しつつ、緑の前ボケを入れることで余分な部分を隠すことと、奥行きの表現を可能とし、撮影において自分の存在が写真の中に写りこまないように、二人には細かいポーズの指示はしないで、撮影しました。ここまでくる過程において撮影しながら出来上がった空間の中、ふたりはいつもの“ふたり”の空気を取り戻していました。だからこそ細かな指示はここでは必要なかったのです。一言、二言の声掛けと、あとは二人がどうするかの予想。ぴたりとあてはまりました。 意図しながらも頭の中のイメージの再現を細かくしていくことで一枚が成り立っていきます。 75枚をつなげながら、一枚に込める思いを強めていくこと、確実に表現していくこと。そうして「幸せの表現」と定義されるフォトジェニックの一枚が生み出されていくのだと感じます。これからも、振り返りながらも一歩ずつ確実に世界を広げていきたいと強く思います。あてはめず、知っているものの形を変えながら新しいそこにしかない表現を生みだしていくこと。今年はもっと広い世界に触れられるよう、写真を通して人と寄り添えるように、自ら進んで、可能性を広げていける一年にしたいです。 拙いですが、まずは、これが、一歩です。
『スキ』
2015/1/30
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Photo by ShureiCoordinaite by Kazumiphoto in Shinmatsudo... 『スキ』 その甘酸っぱい感情はオンナノコにどんな変化をおこすの? 『スキ』を思い浮かべるだけで世界がキラキラ輝いてみえて 『スキ』を感じるだけで優しくなれる。 『スキ』に気づいてほしくて一生懸命になってそんな自分のこともどんどん『スキ』になる。 世界にはたくさんの『スキ』があるけれど 彼女をこんなにも輝かせる『スキ』にもっともっとふれたくて。 優しくながれる時間を味方にしてそっと引き出していく。 まっすぐみつめる彼女の瞳の中を敏感に感じながら。 Kazumi 白いドレスと、コーディネーターが途中で編んでくれたヘアスタイル。この柔らかい雰囲気をどう表現するかに重きを置いた。【光】この場所には自然光は入らないので、自分で光を作る。表現したい雰囲気がはっきりとあったので、『いかにもここから光を当てた』というような、光の作り方はしなかった。あくまでもふわっと、やわらかく。被写体右と背後から強めの光を被写体少し離れて当てて、被写体にできる陰影の差は微妙な程度にした。【ポージング】柔らかい雰囲気を作るために、させた感満載のぎこちないポージングをしては全く意味がない。彼女の身長に合った高さのインテリアに腕を乗せ、更にそこに顔を乗せてリラックスできるポージングを組む。そして、次は表情。このカットは撮影のなかでも後半の方で、ある程度彼女との会話は盛り上がっていた。そこでさりげなく、前半に尋ねた好きな男の子の話をまた聞いてみると、自然と彼女の表情はやわらぎ、嬉しそうに意中の彼の話をしてくれた。この瞬間、彼女のポージングは完璧に出来上がった。Shurei
『心帰る場所』
2015/1/28
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Photo by Ryo / Coordinate by Misatoin Yokohama Aoba 町の中であたりを見渡せば必ずと言っていいほど写真が目に入ります。看板や広告、お店の中に展示されているものなどその存在は様々な方法で私たちの目に入ってきます。少し意識してみるだけで、私たちの生活の中には写真があふれている事に気がつきます。 動画とは違い、音も無く、見た目にも動かないそれは何故、このように求められるのでしょうか。モニターが無いとながせない動画に比べ、張り出すだけで何処でも見れる写真は確かに便利なため、需要が有るのも納得できるのですが、それだけの理由ではなく、見ている人に強くインパクトを与えるツールとしても効果が高いからだと考える事が出来ます。動画は一連の流れを時間をかけてみなければその内容を理解するのは難しい。しかし、写真はその一枚から短時間で強い印象を受けます。従って見る者に対しても負担が少なく、動かないその条件から対象の想像力すらわかせてしまうのが写真の力だと思います。写真は動画より歴史も長く、昔から使われてきた物です。古くから現在まで続く物は習慣となり、生活から切っても切り離せないものとなります。写真館に訪れる事もまた、人々に写真を残す習慣が有ったからできた文化でもあります。もちろん写真に興味が無く、写真館などいかないと言う人も多く居ますが、全体的に見れば何か記念の時に写真を残す人もかなりの割合で居ます。広告にもなり、思い出を残すものとして使え、手軽で使いやすいから皆写真を必要とするのではないでしょうか。最近ではデジタルカメラの普及により、更に写真が身近な物になりました。大人から子供までがカメラを簡単に扱い、日常生活の中でも、旅行などでも皆がカメラを利用しその日を記録しています。カメラの性能も日々発展し、一般ユーザー向けのカメラでさえ私たちが技術で表現している物を性能としてカバーしている物が増えています。 カメラの進化、それは使用しやすく機能的な発展はもちろん、結果物である写真自体が美しく写るように変わっていっています。より美しく、それを条件として変わってきた写真。プロが撮影していたような物が一般の人も撮影できるようになり、プロは今まで以上美しさにこだわり、表現の限界に挑戦し続けています。 私たちは写真館としてお客様の記念を記録し続けています。しかし、写真館は人と人とのふれあいの場でも有るため、単純に写真の見た目の美しさを求めるべきではなく。撮影環境はもちろん、一枚の写真に残す『記憶』も良い物を残さなくてはいけません。写真の魅力の一つは、撮影された日の事を記憶の中から思い起こせる事です。動画のように音、動きが無いため、その日の印象から見る人、一人一人がその日を思い返す事が出来ます。見た目に素晴らしい写真であっても、撮影された日の記憶が最悪の物であった場合、その一枚は価値を無くしてしまうのです。だから、写真館は記憶も大切にしなければいけません。写真の美しさを残したいのであれば、その写真に残る記憶まで美しい物でなければ本当の意味で良い写真は残らないのだと感じます。 写真とは何故こんなにも不完全で、安定しない物なのだろうか。この仕事についてから写真の事を考えるたびに思います。たとえお客様が喜んでも、自らの向上心からか、自分自身はもっとこのように出来たのではないかとその一枚に満足しない事も有れば、自分自身が納得した写真でも、お客様は他の写真に感動していたりする物です。でも、それが面白さだと私は感じます。価値観の違いを感じなければ写真も変化する事は無く、ある一定の物で自分自身が満足し、写真から外の感動に捕われ、写真単体の価値を無くしてしまう事にも繋がりかねません。 有る一定の技術を手に入れた瞬間、気持ちに走り、技術的な向上をおろそかにしてしまう。これがプロカメラマンとして最も有ってはいけない状態だと思います。お客様と繋がって行くには人間関係も重要ですが、私たちとお客様は写真を媒体に繋がった訳ですから、提供できる物の質を常にあげて行く事は私たちの使命であると考える事も出来ます。 この考え方次第で白にも黒にもなる不完全で安定感の無い『写真』形は有るのに無いようにも思えるこの存在は、私たちに幾度となく考える時間を与えてくれます。写真とは人と繋がるコミュニケーションツールの一つでもあり、自分が社会と繋がるツールであり、人へ感動を提供するものでもあります。この全ての要素は人に成長の機会を与えてくれます。見つからない物を探し続ける楽しさ、だから写真は飽きないのかもしれません。 私が写真を撮る確かな理由は、今日出会う人に感動を与えたいから。この先の未来この一枚が良い思い出として残したいから。今このように毎日素敵な人たちに出会える事に感謝の気持ちを忘れないように。 彼女は将来モデルになりたいと言っていました。20年後この写真を見ている彼女は夢を叶えモデルなのか、それとも素晴らしい人生の中でまた新たな夢を手にしているのか、向かっているのか。この写真は既に存在し変わらない物ですが、人の人生はいくらでも変化して行きます。昔の写真を見返すとき、そんな時はだいたい思い出に心を休めたいときだったりするのかもしれません。その時にまたこの写真が背中を押してあげられますように。 人の心の帰る場所、それが過去の記録であってもそんな場所を記録し、残せる事は私にとって幸せな事です。 撮るのも人、そして撮られるのも人。あなたが欲しかったもの以上の一枚を。それを提供するのが私の写真でありたい。
つぼみ
2015/1/28
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Photo by Rolly...Coordinaite by Kazumiphoto in Shinmatsudo...3年前それが彼女と私たちとの初めての出会い。 小さなかたいつぼみがやわらかくなるのに必要な時間はそれぞれでお日様のあたたかさとうるおいでやさしく彼女を包み続けたことを覚えてる。すこしずつすこしずつふくらんでいくそんなつぼみの変化を待ちわびながら。...3度目の再会春がすこしずつ近づいてきていたその日私たちに起きた出来事はすばらしかった。長い間まちこがれていた花開く瞬間やさしい香りを漂わせながら覆われていたものがなくなっていく。待ち焦がれていた美しい花に私たちはやっと出会うことができた。kazumi彼女を撮影するのは3度目になる。小学生になった彼女がやっとみせてくれたやわらかい表情と笑顔が距離の縮まりを感じさせる。待っていた。ずっと待っていた。だからこその喜びが私の被写体への感情移入を加速させる。少し目を伏せた雰囲気のある表情がとても綺麗で、どんなエッセンスを加えればより素敵になるのかを考えながら。バランス、光、表情...さまざまな要素をリンクさせていく。鏡の中にうつる彼女も目の前の彼女もどちらも彼女自身。今回の撮影で彼女という存在をより多く感じることができた。Rolly
ベスト瞬間
2015/1/26
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photo by Yang codi by Hara SHONANこの一枚は8ヶ月の赤ちゃんとママさんの2ショットです。撮影が始まり、1シーン目の兄弟写真の時ママさんから離れ泣き出しました。人見知りがあることでもなく、場所見知りがあることでもなかったのですがアシスタントの人のアシストも効くことなく、お子様が限界になった際にどうするべきなのか無理のない撮影の為に撮影を終わりにするのかいろんな案があると思いますがママさんやパパさんと絡んで撮影をするのかカメラマンによって色々の選択があるかと思いますが、ここでまた色んな選択をしないといけません。ママさんと二人になった時撮影に関わる私達(カメラマン、アシスタント)の距離感はどのぐらいで居ればいいのかとか私達の存在が写真に溶け込んであったり、反対に被写体の空間を守りつつ私達は第3者の記録係りとして存在するのか大人の撮影と違って赤ちゃんの撮影は全てのことにアンテナを張らないといけません。どれが正解でもなく、その場その場の判断でベストの瞬間を決める。それが私達の仕事であり、いい仕事をしたと言えるのだと想います。
恥じらい
2015/1/4
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Coordinaite by Yoshie Photo by Hina Photo in MITOこの一枚は、コーディネーターと一緒に作った一枚だと自分は思います。自分一人では作ることが出来なかった自分はそう感じます。 自分は、こども達に後ろ向きで手を繋いで手を見ている感じで撮影をし、そこからほっぺをくっつけて後ろを向く姿を考えていました。手を繋いでと声をかけたのですが、最初は照れくさく繋いでくれず、顔も見てもらえませんでした。どうしようかなと思っていたら、吉江さんが「ほっぺにチューをして」と声をかけました。最初はしないだろうそう思いましたが、その瞬間ほっぺにチューをしてくれました。 これは、その瞬間に撮影出来た写真です。彼の中で、もういいやそう思った瞬間なのかそこから手を繋いでくれたり照れくさいながらもいろんなことをやってくれました。 そして、本当は仲の良い兄弟、であることが分かると思います。そして着物なのですが、きちきちした雰囲気ではなくこども達がチューをしていることでこどもの足の乱れも生かされたように感じます。 そして、たくさんの事を想像で来るような余白を開けてみました。
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