フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

”Serendipity”

投稿日:2015/2/23

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PHOTO by SU & Ikuyo Kitamine

 赤ちゃんが幼児に成長してゆくのは自然の成り行きであり、
毎日の成長をタイムラプスのように知覚はできない。
だが子どもの写真を撮る以上、その被写体を線密に観察しながら、徐々にできることが増え、
自我が生まれ、イヤイヤ言うようになっていく成長の過程に眼を注がなくてはならない。
ゆりかごから解放され、哺乳瓶やオムツの必要がなくなれば、子どもの活動領域は広がり、
いつどこでどんなことをするか予想もつかなくなる。
四足ではっていた頃から二本の足でドッシリと立つようになると、
休むことなくマグロやカツオか!?とツッコミを入れたくなるほど動き続ける。
そして次第に言葉という表現手段をつかい、まわりの世界との接触を深める。
こうして周囲の世界を己の底なしの探究心で広げ、
ときには訴えかけるように、ときには平然として、人格を形成する。
こうした子どもの変化は、撮影者にとって新しい機会であると同時に、
新しく突きつけられた挑戦状でもある。
その挑戦状に撮影者は、子どもが周囲の世界について知識を深めるのと同じく、
写真の構成要素について知識を深める必要があるのだろう。
 
子どもが自意識過剰になったり、固くなったり不自然になりすぎてしまうことがあれば、
逆に子どもが自然に撮影に参加してくれるようにもなる。
説得次第では非常に協力的になり、カメラの前でポーズするくらいのことはちょちょいのちょい、
場合によっては写真の構成のことまで考えてくれることもある。
 
そうするためには、まずは彼らに自分自身を知ってもらうこと。
私が彼らにどうしてほしいと思っているのかを話したり、
気持ちを楽にさせる気の利いた一言をかけたりしてみる。
それでも協力することが恥ずかしかったり、気が進まなかったりするなら、
子どもに気づかれないように撮らせていただくのもいいと思う。
と、いってもそれも無限にある可能性のなかのひとつの方法でしかないけど…
 
赤ちゃんなら誰かに抱きあげてもらうか高い椅子に乗せれば、あまり動かなくなるだろう。
大人はカメラが目の前にあれば、これまでの経験ですっかり身についた表情を浮かべ、
仕草を見せ、ポーズをとる。そして撮影者の指示も通る。
だが子どもは、それがまだ固まりきらない変化の過程にあり、
あいまいで不安定なためにそれは容易でない。
同じ1人の子どもでもナイーブなときもあれば、
逆に自己をよくわきまえているときもあり、場合によっては両面が一度にあらわれることもある。
矛盾に満ちたこんな被写体を相手に、わずか1秒足らずの間に撮影者が表現できるものとはなんだろうか?
 
それはカメラのレンズでも照明、背景、ポーズなどの問題ではなく、撮影者の姿勢の問題にある。
子どもという被写体を、子どもとして撮影者は精一杯とらえようとする。
被写体になった子どもには、カメラを完全に意識している子もいれば、
静かな遊びや飛び切り激しい活動に夢中になっている子もいる。
いずれにせよ、撮影者は子ども自身になって子どもを見ようとしなければならない。
子どもという被写体を写真にとらえるには、プロとしての技量と眼、さらに重要なものとして、
十人十色である彼らの細やかなアクションを受容すること。
自分の価値観や世界観と相容れないものであっても拒絶しないこと。

それを面白く発展させるには、
どのような方法がありうるかをストイックに問い続けることだと思います。
 
 
さあ、そろそろ写真にうつる彼女に注目してみましょうか・・・^^;
写真をみつめてみて、彼女をどのようにとらえますでしょうか。
あどけない少女としてか、はたまた大人としての女性か、そのどちらでもないのか、
そのどれも彼女の中に存在するものであり、さらに探求していくことも可能です。
しかしそこには、うかがい知れないほどの彼女の姿が存在し、
さらに撮影の中でも新たな自分に出会っていきます。
それらを全てとらえることは容易いことではないでしょう。
 
私たち撮影者と被写体である彼女との間で、共通認識がされるような関係性がつくられた私たちに、
表現できないものはなかったと思っています。だからこそ葛藤はありました。
彼女は、真剣に撮影と向き合う事もあれば、たわいない話で笑い転げることもあり、
また自分の世界に入り込み、ありのままに舞い踊る一面ものぞかせてくれました。
無数に存在する彼女の中から、どのような彼女を招いて写真として残せばいいのか。。。


そして、
この1枚は撮れてしまった。
 
はじまりは「大人っぽく」という安易で抽象的なイメージから。
照明を組み、レンズを交換し、プログラムを想定する。
コーディネーターは魔法のような手使いで、
アップヘアーにドレッシーな髪飾りとポーチでつかの間に変身させる。
そのあまりの可憐なる装いにさらに概念を付与させていく。
「”幻のように” ”手の届かない” ”高嶺の花”」
そんな言葉が浮かび上がり、私はくもりがかった窓越しに彼女にまなざしを向けた。
条件はふとした偶然をきっかけに整った。
あとは彼女からあふれ出る、もう一人の私を、彼女自らが発見する瞬間を待つだけ。
その瞬間こそ、シャッターを押す決定的瞬間だ。

気強く、まっすぐに伸びる腕とまなざし

そこに一瞬、美しさの発見と
もう一人の新たな彼女を表現できたという幸運をつかむ事ができた。

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