フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

意志との連動

投稿日:2018/5/31

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どちらかといえば
理性的であって
本能的ではない

どちらにも悪いということはないが

私はブレーキを利かせすぎる
 

例えば個性という言葉に悩まされるのは
結局は模倣から抜け出すことはできないからだ

そしてはじめからそれを分かっている
(と思っている)

 

たが模倣ならば
ある程度保証がある

それを個性だと言い張れば
私も傷つかず
自分自身をごまかすことはできる

…そうは言ってもこれには
危険があるわけで..
 

模倣からかけ離れることに対して
見えてしまう自分
それを隠す方へ進んでしまうことだ
 

理解されたい

当然の思いだが

それが一番になれば
誰かの理解の中へ飲み込まれていることに
気づかないまま
自分の感覚へ変わってしまう

 

私がいつも
フォトジェニックを選ぶとき

誰かの意見を必ず聞いている

そういえばそうだ

そしてこの写真も
「綺麗だと思う」
の言葉に後押しされたからだ

だが私には

「綺麗だと思う」

それ意外にどんなことを語れるだろうか

間違いなく
この写真を撮った時に
テンションは上がった
その感じは確かだ

だが
私が撮ったという絶対的要素を
語るにはどうしたら良いだろう

 

絶対的要素
…本当にそれがあるのかはわからないが

私が解釈し
伝える言葉が多ければ

誰かの理解を優先するのでなく
自分の感覚を理解しようとする方へ
必然的に変わっていけるだろう

今のところは
それくらいしか方法はなさそうだ
 

そうしたら
少し踏み込んでも

自分の意思で
楽しめるようになるだろう
 

今はまだ

「綺麗だ」

まずは大事だけど

本当に語りたいことを
語ることができるように…

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