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店舗フォトジェニック集
ライフスタジオで撮影した各店舗のベストフォトを集めました。
『 1 / 210240 』
2014/12/31
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『 1 / 210240 』Shonan photo by Kuroki codi by Hyogoシャッターを切るという事。それは単に写真を撮るという事ではなく「ご家族にその瞬間を渡すという事である」という事なのではないのかと私は思いながらシャッターを切っています。 そうであるならば、全てのシャッターに「自信」を持って切らなければならない訳で、これは勿論、私を含め全てのカメラマンが当然だと思っている事だとも思います。しかし、私には撮影中この自信が揺らぐ事が時として存在します。それはこういった「泣き」などの瞬間です。特にBabyは感受性が豊かなので前触れも無く泣き、自分で作る事無く笑います。勿論、子ども達の泣いた顔も怒った顔も逆に無表情であったとしてもそれぞれに可愛くそして愛くるしく感じます。しかし、こういった表情を求めていないご家族もいるかもしれません。そこでその揺らぎが一瞬発生するのです。そしてこの揺らぎは事前にある事が成り立っていないとそのまま引き続いてしまいます。そのある事とは、ご家族との繋がりであり、そこで欠かせないのがコーディネーターの存在です。私達は通常二人のペアでその撮影を担当している訳ですが、コーディネーターがご家族を出迎えてから間も無くして私達とご家族を繋げてくれたからこそ、このワンシャッターに自信を持って切れたと言えるでしょう。 写真を求め店舗に足を運んで頂いたご家族と触れ合えるのはわずか一時間。その一時間が一年間で一度しか訪れなかったとすると、365日の内の1/210240時間。そんな貴重な一時間をコーディネーターと共に徹する事でより多くの、そして全てのシャッターに自信を持つ事に繋がるのだと核心したワンシャッターでした。 残した成果は小さかったかもしれない。しかし、経験とはただ「する」ということの積み重ねだけでは決して成らず、小さな成果の積み重ねだと思います。その小さな成果がこの一押しの自信に繋がりました。
Evanescence
2014/12/30
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Yokohama Aoba No.99Cordi by Kaori and Rika / Photo by Kudo 撮影者が消失する瞬間。それが撮影者の意図であること。『撮っている人がいるんだけど、いないように見える写真』誰かと写真の話をしているときにそんなことを言ったような気がする。それは、写真の中の被写体がまるで撮影者がいないときのような表情や動きをしていること。しかし、その場には実際は撮影者がいるわけで。撮影者が隠し撮りをしたり、その存在を消しているわけではない。その時、撮影者が意図してその瞬間を創り出していること。それが、撮影の最も難しい技術のひとつであると私は思う。それは、いわゆる『自然な写真』と呼ばれるものなのかもしれない。被写体は、必ず撮影者を意識する。緊張する人、おしゃべりになる人、怖がる人、その反応は様々だ。家族だけの空間ではなく、初対面の他者がいる空間ではそれが当然である。まだ家族と他者を認識する段階ではないbabyは例外かもしれない。だから赤ちゃんが自然な姿が撮りやすいと言える。撮影者が認識されていない瞬間が多いから。しかし、kidsは必ず他者を意識する。いつもと違う空気を感じ取り、いつもと違う表情を見せる。撮影者を意識し、話を聞いたり、指示を待ったり、常に被写体の心の中には撮影者がいる。被写体の中に撮影者がいるということは、指示が通りやすく、目線や笑顔も撮りやすい。しかし、それは作られたものであるというのが一目でわかる。被写体が、撮影者と接続されている写真になる。もちろん、75カットの中にそういった写真は重要であり、必須である。そういった写真の中に、非日常の中の日常を美しく印象的に切り取ったような写真があったなら、それは、人の心の琴線に触れるような写真になるだろう。それがライフスタジオでしか撮れない『自然な写真』なのだと私は思う。私はいつも、この『自然』であり『とても普通』な写真をいつも撮りたいと思っている。不自然なポージングを繰り返し指示し続けることは、本望ではない。私は、『自然で普通』な瞬間を美しく切り取りたい。その『自然で普通』の姿の写真を、意図的に撮るには(kidsは特に)被写体を動かす必要がある。また、被写体や家族の心に残るような関係性を創っていきながら撮影を進めていく必要がある。そういった条件を作っていきながら、さらに条件を作るために投げかけ続けていくこと。望んでいる瞬間は、その連続の中に発生する。そして、その瞬間はあまりにも儚く過ぎ去っていく。動きと動きの隙間に、撮影者が消失する瞬間は潜んでいる。とてもとても短い瞬間に。ポージングが決まった瞬間ではなく、わざと過程を要する動作をしてもらう。ファスナーもあり紐もある、履くのに少し時間を要するブーツを履いてもらう過程。その過程の中で、その動作に集中している姿に被写体が誰であるかが垣間見ることができる。その瞬間を見逃さず、ちゃんと準備しておくこと。撮影の1時間の中でそういった瞬間を連続して起こしていくこと。『自然で普通』な瞬間を、そういった空間を、意図的に作り出していくこと。『自然で普通』を創り出していくこと。そのための消失の瞬間。それが私の撮影の中でいつもこころがけていることである。
『Logic』
2014/12/29
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photo by Ryo codi by Kaori in Yokohama Aoba 「俺の持論を理解し自分のものにしてくれた唯一の人でもあります」そういってもらえた事があります。 Volvoさんとは2年間毎日のように写真の話をしていました。いったいどれだけ写真の話をしたのか、内容は覚えきれないくらいです。彼の写真の素晴らしさの一つとしてクローズアップが特徴的です。一緒の現場で撮影をするようになり、目を引きつけられた写真を今でも良く覚えています。美しい引き写真から、見る物に強い印象を与えるクローズアップ。75カットが一つの作品のように完成されていました。 自分の近くに素晴らしい技術を持つ人が居ると言う事は、自分の成長にこの上ない栄養になります。その人の写真の考え方を聞き、自分の写真の考え方を話す。この繰り返しは毎日の写真に日々変化を与えてくれます。互いに良い所も弱い所も知っているからこそ、より向上に効果的な会話が展開されていきます。 写真について話し合われるとき、ついつい私たちは自分たちの感覚の話をし、共感するか否定するかの結果で終わってしまいます。これは非常にもったいない事です。私は常に相手の感覚を欲しています。自分の考え方と相手の考え方を照らし合わせるのではなく、相手の考え方の中に自分に無い物を探しています。相手から何かを見つけると言う事は自分のなかの狭い世界を広げて行く効果があります。写真は全ての人が認める正解も、不正解もありません。だからこそ多くの事を自ら求め知って行く必要が有ります。撮影中に絶え間なく被写体にアプローチをし、相手を知っていくように、共に居る人の写真の考え方に常にふれて、自分の中に吸収して行く事も自分の中にある写真の世界観を広げるために重要な事です。 今の私の写真は多くの会話、そして様々な人の写真への考え方から産まれた。取り入れ昇華して行く。その繰り返しが写真の上達へ最も効果的であると私は考えています。 個人の感覚に限界はありませんが、学び方次第で本来無いはずの限界を知らないうちに作ってしまう事も有ります。それを突破するには自分に無かった感覚や考え方を持つ人の存在が必要です。今も私の近くには素晴らしいカメラマンが沢山居ます。これからの写真の変化が楽しみです。
みつめる
2014/12/28
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Photo by RollyCoordinaite by Kazumiphoto in Shinmatsudo... そらすことなく真っ直ぐに瞳をみつめるとき人はどんなことを考えているのだろう。相手が何を考えているのかを見透かそうとしているのか。相手の息づかいやタイミングに自分もあわせようとしているのか。興味や好奇心の感情のままにいつのまにかそらすことを許されないのか。まばたきもせずにカメラを挟んで視線が交わりまるでお互いを試しているかのように緊張感ある空気が流れる。そこにあるのは静かな駆け引きと意思表示。カメラマンと被写体との真剣勝負。そっとそばで見守るのが好き。Kazumiその日は小さな窓から強い光がさしこんでいた。撮影がすすむにつれて彼女からつたわってくる強さのようなものが私の欲を一層かきたてていった。部屋の灯りを消すとその部屋には私と彼女と強い光。ハイライトをつくりながら明と暗で組み立てる。まっすぐに私にむかってくる彼女の意思。そこに言葉はいらなかった。Rolly
大人写真 椅子を使って
2014/12/27
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椅子を使っての初めての大人家族写真色々な椅子がある。その特徴をいかしてみました。主役はカッコよく目立つようにパパは男らしくお兄さん達はカッコよく少し子供っぽくママとママのお姉さんは綺麗に可愛く特徴のある動きその家族を写し出せた気がしました。Coordinaite by HinaPhoto by Yukiphoto in mito
大人の家族写真 みんなでハグ ギュー
2014/12/27
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20歳になる主役の彼彼はみんなに優しく見守られているみんなの愛に暖かく囲まれているみんなが祝ってくれる凄く幸せなのが伝わるみんなが繋がっているこの家族は愛であふれている!!家族みんなのこの密着感なかなか出来ない私はこんな家族になりたいCoordinaite by HinaPhoto by Yukiphoto in mito
人 光 線・・・・・
2014/12/26
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Coordinaite by ErikaPhotoessay by AkanePhoto by YukiPhoto in Mito ふんわりとした大人っぽさを出したかった。それが、私の持つ最初のイメージだった。 スタジオ内には、時間帯によって様々な種類の光が溢れている。私は、その一つひとつを丁寧に汲み取ることにした。 希望の光・・・優しい光・・・幸せな光・・・様々な意味をこめて、あたたかい光が女の子を包んでいる。 この女の子は9才の女の子。見た目は大人っぽいお姉さんですが心の中は小さな女の子1つ前のカジュアルの撮影は動きを出して可愛らしく変身。そして、このドレスの時は少し大人っぽさを演出して、更にもう1つの時より大人らしさを表現した。写真を構成する要素の中で、一番重要に置いているものこそ私は光だと考えている。水戸店では今回の一枚のような、光の効果が美しく演出された種類の写真は、今現在も未開拓である。だからこそ、私はこの写真に挑戦したという想いとこれからの水戸店の写真の発展に期待してシャッターを切った。被写体が光の中に立っているような効果的な美しい光が目の前にあるのを確認した。その美しさを綺麗に残したくて女の子をこの場所に導いた。その事によって、被写体の存在感がより効果的に引き立つことが確認できた。この写真には多くの線が存在していることが分かる。女の子の後ろに見える玄関の線や右横にある棚の線、廊下の線、左側にある壁の線、などなど、写真に写りこむ線は非常に多く存在している。しかし、この線が大きな主張をせずに感じさせてくれていることが分かるだろうか。効果としては、被写体の手前に少し丸みのある前ボケを持ってくることによって、この線の存在感をやさしく包み込み、一枚の写真としたときに、光、線、被写体、小物、ポーズ、全てを調和させてくれた。逆に、前ボケがない場合は写真を見たときに余計に線が気になり、この写真で伝えたい光の効果や被写体の存在感が失われてしまう。この写真を、色という主題で見てみると、白、黒、紫色、深緑が存在していることが分かる。この色の関係性も非常に愛称がいいものだったことにより、一枚の絵として統一感がより強調されることになった。独特な雰囲気を醸し出す女の子は、ヘアスタイルや表情の種類が少し大人っぽい要素を多く持っているため、一見大胆なポーズを求めがちではあるが、女の子の顔が雰囲気と比べすこし幼いことにより、美しいアンバランスさが生まれた。このアンバランスさがあることによって、女の子の今を映し出すことができた。 私は、今回初めてフォトジェニックに参加させて頂いた。フォトグラファー歴としては10年という長い月日を過ごしてきたが、今後はライフスタジオの一員として「本当の意味での人の自然な部分とは何か、人の喜びとは何か」を追及していく最大限努力して表現できるカメラマンになっていけるよう、成長と発展を目指していきたい!!
『機微』
2014/12/26
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Coordinaite by Nakayama Photo by Volvo Photo in SOKA ポートレート撮影を一日に何百枚と撮り続けていると、次第に人の表情に敏感になってきます。その人の美しい部分やかわいい部分等もそうですが、その写真を見た時に見る側の機微に触れるような瞬間を記録したい、そう思うようになりました。 それは写真にしか残せない瞬間でもあり、動画では何事もないように過ぎ去っていってしまうような瞬間でもあります。 その瞬間を引き出し、また捉えるには人に集中しなくてはなりませんし、深く入っていかなければいけません。何を伝え、何を取り入れ、どうやって接し、どのタイミングがその人にとって特別なのかを一時間という短い間に判断します。 それと同時に技術も伴います。せっかく引き出しても露出が合ってなければ意味がありませんし、トリミングが雑であれば機微に触れる効果は半減します。 結局ポートレートとは人間関係であり、カメラを持っていなかったとしても人との関係作りは変わらないように思います。
Estimate
2014/12/26
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Coordinaite by Nakayama Photo by Volvo Photo in SOKA 撮りなれないスタジオで撮影をするに当たり、フォトグラファーは「予測ができない」という現象に陥る事があります。毎日撮影をしているスタジオであれば、この時間にこの場所でこのフレーミングをすればこれくらいの写真が出来るというある程度の予測が可能となります。慣れない場所でシャッターを切る行為は、自分の中にあるそうした予測機能を狂わせる妨害電波になることもあるし、逆に習慣を打破してくれるカンフル剤になったりもします。このように習慣が自身の写真を支配していく現象は、見方によれば写真が安定したとも取ることができますし、違う側面から見れば慣れたのは技術ではなく「場所」であることに気づきます。そしていざ他の場所に直面した時、自身に技術不足の洗礼が襲ってきます。例えばスポーツ選手がグランド整備の整っていない外国では普段のプレーが出来ない様に、誰でもこの現象は起こりえるものだと思います。しかしプレーの本質をわかっている選手は、場所が何処になろうと変わらぬプレーをすることができます。それは、冒頭に書いた「予測ができない」という現象が限りなく少ないからではないかと思います。逆に言うとすれば「予測ができる」状態と言うことができますが、そのような状態と言うのは、フォトグラファーで言うと「光」を知るということではないでしょうか。光が予測できる状態と言うのは、すなわち目でこの世にあるものが見えている限り写真の質が落ちることはないことを意味し、それはどこのスタジオに行ったとしても写真が良い意味で安定するということを意味していると思います。最初にママさんと話をしながらこの子に似合う写真と、私の持っているものをどう合わせていけばいいかイメージを膨らませていました。草加店の初日だったこの日は、無意識に予測が可能になるような環境面におけるアドバンテージはあまりありませんでした。しかし私の中にある少しの経験とコミュニケーションによって生まれた空気感が、照り返しやフレアを予測し、この場所を「慣れない場所」から「予測可能な場所」へと変化させてくれました。あとは、この子のイメージに合わせて被写体を動かしていく行為となります。これも光と同様に被写体に対する「予測可能な状態」を作るために相手に深く入り、どう言う言葉をかければこのようなしぐさをしてくれるか深く考えます。このふたつがうまく揃った時、写真そのものが「予測可能」なものへと表現されていきます。
気持ち
2014/12/23
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photo by Shurei codi by Kazumi この仕事を長くしているといつのまにか自然にこの場所でであった家族の歴史にそっと静かによりそっている。年に一度お会いできるかできないかでもこうして再会できたときそれまで過ぎた時間が子供たちの成長と家族の絆の深まりを、より強く感じさせてくれるんだね。そしてそこにはきっと不思議なご縁があってこんなふうに大切によりそう機会をいただけていることが私たちの心を温かく豊かにしてくれていると思うと日々本当に感謝の気持ちでいっぱいになる。 2年ぶりに再会した彼女たち。あのころの赤ちゃんは、陽気なお話上手な女の子に。 『ねぇ、お姉ちゃん。もっとこっち!』『もっとこっちー♪』仲良しなふたりはお互いに右に左に距離を縮めあってその表情がとっても素敵だったからふたりのやりとりの邪魔をしないように、静かにでも必死にLight boxの位置を調節したんだ。お互いに大好きで一緒にいることが楽しくてそんなふうに『気持ち』が動いている瞬間だから写真から思い合う優しさがあふれてくる。『気持ち』写真のなかにもっともっと詰め込んで次に会うときまで?うんうん?ちがう。 写真のなかに永遠にとじこめて
『street scene』 新しい一歩
2014/12/23
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photo by Ryo codi by Maimai write by koba / in YokohamaAoba 「写真を撮ること」一言で言ってしまえば、簡単な作業のように聞こえてしまいますが、その中身は皆が口々に言うひとつひとつの構成要素がなければ一枚として成り立たない、なんとも難しく複雑なもののように思います。だからこそ、1枚の表現、75枚の表現というものがどこまでも限りなく展開することが出来るのだと思います。必要なものは技術でもあり知識でもあり、経験、人と人をつなぐ、引き付ける力、動かす力、視野の広さ、その中で養っていく感覚や自分のイメージ・・・何一つ欠けることは無く、一つに集中することは難しいものです。全てはすべての要素に繋がっているからです。ただイメージだけを持っていても技術や知識がなければ表現は出来ない、技術や知識だけを持ち合わせていても、人と人をつなぐ力、見る力、動かす力がなければその技術は生かされることは無く、目の前の大好きな人たちをどのようにその四角の中に表現したら「幸せの一枚」になるのかもわからない、人と人の感情の動きに敏感でつなぐ力や受け止める力があっても、技術や知識、そしてイメージがなければ、その受け取ったものを表現することは出来ずに終わってしまうでしょう。すべてをつなぐ力が必要であり、その重要さを気づき、築き上げながら、表現の新しい一歩を踏み出すためにも、常に、新しい視点で着手する必要があると考えます。では、新しい視点とはどこを見るべきなのでしょうか。それは「自分が当たり前と感じ見なくなったもの」にヒントがあるように思います。何かに集中しているとどんどんと次の目的が表れてまた集中しての繰り返しですが、全ての基盤がある程度自分の中で「当たり前」だと認識されるようになったときに、その部分の固定概念にこそ新しいヒントがかくれているのです。自分が見ている表現の世界、培った知識、外の景色、何気ない日常、培って養ってきた「イメージ」。持ってはいるけれどなぜ、それをスタジオで「表現」出来ないのかと言えば、その環境や現場への視点を変えることが出来なくなっているからだと思うのです。新しい視点、一歩違う自分の立ち位置から見る世界。スタジオという空間は狭く、時間も立てば見え方もだんだんと新しいものは見えずらくなっていきますが、その狭い空間にはまだまだ様々なヒントが隠れていて、一歩違う場所に立つだけで見える世界も変わってくるのです。その「一歩」を実行するためにも、「イメージ」を具体的に考え、想像し、与えられたその空間でどのように表現が出来るのかを見て考えていく、「当たり前」だけれど「当たり前」になってしまっているがゆえに見なくなったものを「見る」作業が必要なのです。そしてそこへ取り組むための、今まで培ってきたもの、足りないものを探りながらの作業、この作業が「新たな課題を生み出す一歩」になるのではないでしょうか。横浜青葉店はとても広い空間です。それでも日々撮影していれば見える世界は「当たり前の場所」となり新しいものが見えずらくなるので、「もっとなにか隠れているのでは」と試行錯誤し、悩みながらも新しい一歩を探します。探す作業をやめてしまえば、きっとそれ以上の見え方はできなくなってしまい、限りない空間を限りのあるものにしてしまう恐れがあります。それは限りない被写体の表現を限りあるものにしてしまう恐れとつながってきます。狭い世界に広い視野の表現やイメージを当てはめ、具現化すること。そして世界を広げていく。全体的な画として使われていなかったこの壁を使い、あたらしい「家族写真」と「イメージ」を融合した一枚。離れた場所で、成長したそれぞれお互いがお互いの世界を作りながら、広げながらも、皆が一つで画として成り立つ「家族写真」。「家族写真」という概念を超えながらも、「一枚の画」として表現したもの。あの場所と外の世界を一致させることが出来、はじめましてと顔を合わせたすてきなご家族へのイメージとの一致、自らの技術や知識の一致、新しい視点を探る向上心の一致。全てが当てはまって、この一枚が完成したのだと、思います。この写真も、横に並ぶ写真も、すべてどの要素が欠けても出来なかったものでしょうし、一致させる力がなければ生み出されなかったものと考えます。これからどこへ向かい、何がしたいのか。何を生み出したいのか、何を表現したいのか。自分たちはどうやって写真に取り組めばいいのか。「再確認」と「新たな一歩」を提示して見せてくれたこの一枚、そして隣の一枚。進むことの大切さを教えてくれたすべてのもに感謝しながら、私も歩みを止めてはいけないと感じました。ありがとうございました。
『street scene』
2014/12/23
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photo by Ryo codi by Mai in Yokohama Aoba 人は皆、止まる事無く進み続けています。この世界に存在する全ての人にそれぞれの人生が有り、一人一人が人として止まる事の無い時間の流れの中にいます。街の中であたりを見回すとよくこのような光景を目にします。立ち止まって何かをしている人、忙しそうに歩く人。写真はその一瞬を記録する物ですが、皆必ずその瞬間に確かに存在しています。人の目もカメラもピントを合わせている所はよく見えますが、その他の部分は薄く、見えにくい物です。 私たちが記録者として見るべきはその空間の全てであり、見た物を写す感覚を育んで行くためにはファインダーの外の日常も出来るだけ多くの物を見る必要が有ります。気がつかないうちに固定観念に縛られ、この場所で写せる物を限定してしまう。そこに気がついた瞬間また、私の見える世界が膨らんで行く。 写真は作るものではなく探し、再現する物だと思います。なぜなら私たちは自分の知っている物しか知らないから。自分の感覚に物足りなさを感じた瞬間、新たに知るために様々な物を見聞きする。その行動がやがて今までに無い感覚を人に与えてくれます。 想像の街、その街角の風景に日常的な物を感じ、新たな物を感じた。 何故だろうか、何時も私を外に連れ出してくれるのは出会う人たち。共に努力し、沢山の感情を共有しながら同じ時間を過ごす仲間達。そして、偶然にその日に出会う素敵な家族。 一人で出来る事には常に限界がある、その限界を認める事もまた、今の自分のその先に進むための大切な事では無いでしょうか。 進み続けましょう、きっと写真にも人にも限界なんて無いですから。
『 心 』- shin -
2014/12/20
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『 心 』- shin -Shonan photo by Kuroki codi by Hara 人の生き方の種類は人の数だけあります。 それぞれにこだわりがあり、執着する部分も違っていて、それをいわゆる個性とかその人の価値観と一般的に呼んでいます。しかし、どれだけ種類があっても負ける事が好きな人などはいないでしょう。勿論、執着している部分が勝ち負けではなく過程である、という人もいると思います。ですが、動物や昆虫の世界を見てみても「負けず嫌い」というのは本能であり、「人」という名の動物として考えてみればそれは当然誰もが持ち合わせている本能であるような気がします。しかしその感覚は時に醜く、自分自身を辛くさせます。このような状態を望む人はいないでしょう。自分もこれまで生きてきてそういった辛い経験をした事は多くあります。そこで、いつの日か向けていた矛先を自分自身に向けるようになりました。それはどういった事かと言うと、自分自身に自分だけの課題を用意し日々それに取り組むというもの。この行為の事は「メタ認知」というものだ、と大宮店のヒョヌク氏から教わりました。つまりはまず自分自身と勝負するという事。一歩踏み出した所を目指し次の一歩を考える。こうする事でその本能である負けず嫌いというものをうまく使えていけるのではないかと思っています。 その一歩として今、自分への課題として取り組んでいる事は「シルエットを強調した写真」。そしてそれは一枚絵として成立し、そこに写る人たちの「心」までをも捉える事。こう言うととても大それた事に聞こえますが、日々の撮影で75cutという写真が基本ベースとなっている私達は、そこに写る人たちの繋がりや愛情を複数の写真で表現するという事が常となっています。しかし、改めて考えればこの特殊条件を当たり前としてしまっている事で気が付かないこともあるのではないのかと感じます。例えば、そのご家族が「欲しいのは一枚だけで、家族の宝物になるような写真が欲しい!」と言われたらあなたはどんな一枚の写真を撮って渡すでしょうか?この状況に悩まない人はいないでしょう。それもそのはず、答えは人の数以上に存在し、ましてやマニュアルなどは決して存在しないのですから。ただこの瞬間、皆が必ず思う事は「いかにしてその家族の多くをその一枚に集約するか」ということではないでしょうか。ですから、普段からこの意識を持ち撮り進めていく事で、その一枚の質が変わりその一枚が意味を持ち出すでしょう。そしてその一枚を撮る為にはこちらだけの問題ではなく、人と人との繋がりが必要なのだとひしひしと感じるはずです。でもこれに関しては永遠のテーマに近いことだと思うのであくまで例えばですが。。。しかしここが、そんな75枚の撮れる場所であるならばこれまでに無い写真館なのではないでしょうか。 そんな意識の第一歩として私は「シルエットの強調」を選びました。シルエットというものは表情と同じく、人の心をも写し出す事が出来るものであると思っています。自分への課題、自分自身との勝負。一生負け続けてしまうかもしれませんが、それが自分というシルエットを作る糧になっています。 いつか親父を越えるその日まで。
愛を整理する…
2014/12/11
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新横浜家族写真 人に写真に自分自身に深く入っていきたい・・・ 新横浜店のマインドにはような想いが込められています。「はぐくむ」種が土から芽を出すように。子供たちが初めての一歩を踏み出すように。変化してゆく毎日の中に、人は希望を見出しているものだと思います。 はじまりは、そばにいる人から。大切な人を大切に。大切な時間を大切に。「育んでゆくこと」大切に、日々を営んでゆくこと。近くの人から、また隣の人へ。伝えたいこと、感じ合いたいこと。ここは、そんな育みを感じられる場所。気持ちだけではどうにもならない。理想と現実の中で、わたしたちが育んでゆくこと。それは出会った人たちと共に自分自身の成長でもあります。人が人に影響されて、人とつながっていく。価値観と、価値観とが結びつくことで、それが「私達互いの」世界観に変化する。それが、新しい価値の創造になってゆく。価値観とは、信念と似ていると思います。生き様であり、言い換えれば人生そのものではないでしょうか。それぞれの人生を、それぞれに。そのために日々どう過ごしてゆくのか。肩の力を抜いて、感じて、笑いあって、そこからまたつながってゆくことがきっとあるはずです。 これらの文章に込められいる想いを私達は現場でそのように実践していく必要があるのでしょうか?一つ挙げられるとしたら、私達ライフスタジオはこのような考えを持っているのではないでしょうか?【常に人のことを考えて生きていくこと】です。人は人なしでは生きていけません。私達の人生には必ずあなたの存在が必要なのです。その信念をもって、私達はその人達の存在を最大限美しく記録していくことを仕事にしました。写真はあくまでも手段であって、目的は美しい人の存在を証明することなのです。その証明を継続的に行いながら人が人の事を考えて生きていくということがどういうことなのかを実践しようとしているのです。ライフスタジはその目的のためのひとつの空間です。 この一枚の写真は家族という被写体(父親・母親・双子の娘息子)と光と愛で構成されています。最大限、この家族の柔らかい雰囲気を表現するために必要のないものは省きました。ここにインテリアや小物が入ってしまうとその存在にどうしても目が行ってしまうことを懸念しました。 この写真を生み出す過程で、パパとママの夫婦写真も撮影しました。肌と肌がふれあいお互いの体温を感じる感覚を掴んでもらいました。また、母と子供・父と子供、のような日常的に予想される組み合わせでの撮影も行いました。理由は、家族の存在を撮影の中で改めて感じてほしいからです。関係を作って一緒に笑いあい、シャッターを切る。そして、記録として残す。そして、最後に家族4人全員が集まり、ほんの少し手足の配置を指示して、この一枚の写真が完成しました。最初からこの一枚を狙っていたわけではありません。関係を繋ぎながらの過程で生み出したのです。 愛は何によって表現することができるのか?とても難しい問いではありますが、私が知っていることでは相手の立場に立って最大限行動することが挙げられます。いくら心で思っていてもそれを外部に出さなければ相手には伝わりません。だから、家族写真の中でも抽象的な愛というものを表現するためには、写真に携わる全ての人がその一枚に向かって行動していくことを目指しています。被写体もカメラマンもコーディネーターも全ての人達を。。。そしてその気持ちを一枚にまとめて整理します。この整理という技術が家族写真ではもっとも高度な技術なのではないかと個人的に考えています。その技術が加わることによって、より美しさを明確に表現することができます。この技術があるかないかでは大きな違いが写真で現れてきます。その単位は髪の毛1本、様々なバランスを保つための10センチ感覚の微調節などが現場でのやりとりでは行われています。それらを整理をすることによってより家族という一つの単位が一枚の四角の中に浮かび上がってきます。この整理するという技術に関しては写真という分野以外でも私自身今一度見なおさなくては行けない部分であり今後、クリアしていくべき大きな課題でもあります。 Photo by Ouchi codi by Kuroki in Shinyokohama
『空間』
2014/12/2
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No.99 Yokohama Aoba Coordinaite by Kaori Sasaki Photo by Manami インテリアが入った写真を撮影するときはいつも緊張の連続です。 構図は悪くないだろうか?フレーミングは綺麗だろうか?水平垂直は取れているだろうか?被写体に光は当たっているだろうか? 子どもたちは長くは止まれないから一瞬の中でそれを考えてシャッターを押さなければなりません。水平垂直の取れた写真は美しく、見たときに自然と綺麗だと感じます。インテリアがある場所では引きの絵であればある程、水平垂直が重要で、少しでも曲がっているとなぜだか居心地が悪く、少しだけ違和感を感じます。それぞれの店舗にはそれぞれの店舗独自のインテリアがあり、そのインテリアの中で撮影をします。インテリアの作りを理解し、そのインテリアへのアプローチの仕方を考えることで沢山のバリエーションが生まれます。この線が多いインテリアはどこから入ってどこから写せば綺麗に見えるのか。外からの光がそれぞれの被写体の顔の輪郭や服のしわに入ったことでモノクロの質感を少しやわらかく表現できました。撮影の中にはいつも無限の可能性が広がっています。けれどその無限の可能性のうち、自分たちが撮影の中で拾うことができるのはほんの一握りだと私は思います。その一握りの可能性をどんどん確実なものにしていけるよう日々考え撮影していかなければと思います。
Special common
2014/11/30
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No.99 Yokohama Aoba HairMake&Coordinaite by Kaori Sasaki Photo by Volvo ライフスタジオの写真がオープンより8年間培ってきたものを次のステップに進める為にオープンした『.with』というスタジオがあります。.withのオープンによって提示されたカメラマン達への次のステップが「大人を撮る」という事でした。 なぜ子供写真館なのに大人の写真を撮る事が次のステップとなるのか。それは一言で言えばライフスタジオの活動目的のひとつに「関係性の創出」があることがあげられます。 写真は「人に対する技術」と「写真に対する技術」の両面へのアプローチが必要だと西さんの写真分析には書いてありました。より生命力のある写真を撮る為には写っている被写体の「人間性」を知る必要があり、深く入っていかなくては良い写真を創出する事はできません。互いの人間性を知る為には、多様性を認めてある種の「新しい価値観」を与え合う事で関係が作られていきます。 コーディネーターのかおちゃんに「今日はどういうヘアメイクでいくのか?」と訪ねたら「会ってから決めます」と即答で返ってきました。当然のように聞こえるかもしれませんが、案外こうした考えは行っていないもので、つい型にはめ込んでしまいがちになってしまいます。 こうした人間の多様な部分は、年を重ねるごとにその人の特徴として表れていきます。それは外見も同様です。大人になればなるほど心の壁は種類も増えて厚くなり、気をつけなくてはならない部分も増えていきます。 私達が本当に「関係性の創出」を求めているのならば、そろそろ次の段階に上がるべきではないのか?という事に対するひとつの道筋が「大人の撮影」だったのだと思います。 この写真は10歳ではありますが条件は大人と変わらず、光を細かく設定し、カメラの設定でコントラストを強め、できるだけ無駄を省いたフレーミングをし、自然なポーズを人工的に作り出す作業をできるだけナチュラルに誘導しました。ナチュラルに実践する為には深く相手に入っていかなければ結果として写真には不自然さが表れてしまいます。 良いカメラマンは人に深く入れる事が条件なのかもしれません。
endless
2014/11/30
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photo by Ryo codi by Kaori in Yokohama Aoba 追いかける気持ちはいつまでたっても終わらない。何回写真に触れても、人と接しても探し追いかける気持ちはいつも新鮮なまま。今まで沢山の家族と時間を共有し、沢山のコーディネーターと共に写真を作ってきました。それは環境が変わる度新鮮で、触れ合う事で常に新しい感覚を私に提供してくれます。日々絶え間ない私たちの感覚の運動は、写真に無限を見せてくれます。 感覚をリセットする。時に苦痛すら感じるその作業は、変わりゆく感覚の中で、産まれる確かな世界が常に共に居るあなたさえも違う人のように感じさせてくれる。 私にとって写真とは呼吸をするように必要な事。小さく、時に大きく深く深く吸い込む息は写真に命を与え、私に確かな実感を与えてくれます。 終わりの無いこの運動は自分自身に成長のタイミングをくれる物だと信じています。仲間達と、私が作り上げる時間、そして写真はこの先も終わる事無く、確かな物を築いていくのだと感じます。
『Limit』
2014/11/30
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No.99 Yokohama Aoba HairMake&Coordinaite by Kaori Sasaki Photo by Volvo 「美しさを表現する楽しみの空間」と定義されたライフスタジオの撮影において私達が100個の構成要素を用意しなければいけないのだとしたら「美しさを表現する」という部分において一体何個の構成要素を準備できているでしょうか。 私達が毎日行っている撮影を「楽しみの空間」として成立させることはシステムが確立されている事から恐らく入社して1年も経てば一定の水準で実践していくことはそんなに難しい事ではありません。そして私達は顧客満足という至上命題に対して「楽しみの空間」を作るという信念を踏襲していくことで向上させていく道を歩んでいます。しかし「楽しみの空間」を作る事だけに固執する事は本質からずれた行為であると言えます。例えば写真に対する反省において撮影そのものの空気感などを話す事は「美しさを表現する」部分よりも「楽しみの空間」を作る事に重きを置いてしまいがちになっているという事が言えます。 このように「楽しみの空間」と「美しさを表現する」事を別々に考えてしまう行為は「過程と結果の因果関係」をきちんと把握していない状態であり「楽しみの空間」として存在している撮影のその時間が「美しい写真」を表現する事とリンクしなくてはライフスタジオ本来の信念とは似ているようで全くの別物となってしまい、ただの楽しい時間で終わってしまいます。「美しさを表現する」という点において「横構図のクローズアップ」は成し遂げたい課題のひとつでした。バランスの難しさや被写体の最も奇麗なポイントを探す事。光の加減やどこで切るかなど気をつけなければならない点はたくさんありましたが、一番はこの子の鼻で表情がわかる事でした。 「人と人が共に楽しむ」には意思疎通が必要だと考えます。意思疎通によって他人という境界線が薄くなり、楽しみの空間となる。また、撮影者は同時に被写体の「美しさ」を表現する為に外面的な疎通もしなくてはなりません。 そして、意思疎通によって「楽しみの空間」となった場所で出てくる被写体の表情を出来る限りの美しい「表現」をすることでそれまでにあった互いの見えない壁達が薄くなり、撮影者と被写体との間にあるのはカメラの「最短撮影距離」という物理的な「境界」のみとなっていきます。 写真の距離は心の距離だと個人的には思っています。
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2014/11/30
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Shinyokohama No. 17Cordi by Chisaki / Photo by Kudo「分かち合うこと。」家族写真を撮るときに、大切にしていることはたくさんあります。声掛け・光・構図・背景・配置・体の角度・手足の位置・タイミング・スピード…etc家族写真を撮るときは、見るべきところがたくさんありカメラマンはファインダーに集中しがちですが、何よりも大切な技術は楽しく撮るということだと思います。カメラがあっても無くても自然な姿のままでいられる赤ちゃんと違い、大人は写真を撮られることに慣れている人は少ないと思います。パパとママは、すごく恥ずかしく照れくさい思いをしながらも、カメラ目線をくれたりや撮影者の指示通りに動いてくれます。良い家族写真を撮るということは、そんなプレッシャーの中にいるパパとママを動かす技術が必要です。私の中で、その技術の最も重要な要素のひとつは、「楽しませること」です。それは、緊張を解すための方法でもあり、雰囲気を向上させる方法でもあり、その家族に入る方法の一つでもあります。その家族に入るということは、その家族の人生の一部に入ることでもあり、その家族と私達との時間を共有するということです。私達はこの「共有」を撮影の目的としています。お客様と私達の人生の時間をほんの少しでも共有し、感情や感動を分かち合うことができたら、「お客様」と「スタッフ」という枠を超えて、本当に人として分かち合えるの時間と空間を生み出すことができます。もしかしたら、それがお互いの一生を変化させる重要な要素なのかもしれません。そういったことが出来る場所、そういったことを生み出す人が、ライフスタジオであり、私達であるのだと日々実感しています。家族が感じるそのときどきの喜びも、幸せも、愛情も、分かち合い、何倍にも、何十倍にも、何百倍にもするということ。それは一人ではできません。私達だけではできません。その家族だけでも限界があります。誰かと一緒に作り上げていく事こそが、人生の価値となっていくのだと私は思います。秋の陽の光が眩しい日に、眩しいばかりの優しさと、愛情で満ちた時間を一緒に作ってくださったこと。家族の幸せを一緒に感じられたこと。それを分かち合えたこと。本当にありがとうございます。また、お会いしましょうね。
『 無という音楽 』
2014/11/29
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『無という音楽』 Shinyokohama photo by Kuroki codi by Reiri 今回は「写真」と「音楽」の話をしようと思います。 写真という物にはもちろん音はありません。音楽という物には画はありません。しかし私は今まで写真や映像と音楽を別々に考えた事はありません。なぜなら、映像の中に音楽は存在し、音楽の中に映像が存在するからです。これは別に特別な事ではなく、当然に思う人も多くいることでしょう。 なぜ今回「音楽」という言葉を出したのかというと、それは「無の境地」の話をしたいからです。そこで、まず2010年に行なわれたある人達の対談を用いようと思います。その対談とは、皆さんもよくご存知のバンド、THE BLUE HEARTSのドラムス梶原徹也氏をはじめとするミュージシャン達とチベットのダライ•ラマ法王14世の対談です。その対談を知った時、一体どういう話がなされたのか興味津々でした。そこでなされた会話の内容とは平和と音楽についての話であり、チベットや世界の平和を強くアピールする平和音楽祭の開催計画に携わっているミュージシャン達の対談でした。その対談を読み進めていく中で、私がとても興味深く感じた一節がありました。それは“音楽と共に瞑想する人もいれば、音のない静かな精神で修行する人もいます”というダライ•ラマ法王の一節でした。この一節を目にした時、以前、梶原氏から「一ヶ月の間寺に籠り、音には一切触れずに瞑想する」と聞いた事を思い出しました。私は自分をそんな状態に置いた事はありません。その時はその意味を理解出来ていなかったのかもしれません。しかし、今はその言葉の意味をとても深い部分で感じる事が出来ます。追求するという事。探究するという事。何においてもそうしていく為には、真の意味で何処かで原点に戻る事、その為に「無の境地」に自分を置く事が必要なのではないかと思います。 例えば、追い求めているものが100として70の地点で立ち止まり中断したとします。すると、再び追い求めようとした時には、自然と人は70の辺りから始めようとしてしまいます。それを0から始めようとする事などなかなか出来ません。それは0といういわゆる「無」という状態には戻れないからです。一度得た経験や知識、技術、プライドなどはなかなか忘れられず、捨てる事も出来ず、本当の意味で新たに始める事などは難しいという事です。 人生の中で多くの人とふれ合い言葉を知る。そしてその言葉が日々の日常とリンクする。この写真に写る彼と目が合った瞬間、私の頭の中には初めて「無という音楽」が流れました。その瞬間は、カメラを持つ右手の方向から一筋の風が吹き、記した全ての事を思い起こせたぐらいとても長く感じられた瞬間でした。そして何より、これまで自分の中で繋げられなかったものが繋がった瞬間でもありました。 私は今、写真の世界にいます。だからこそまた、音楽をはじめます。 「未来は僕らの手の中」 人生の貴重な瞬間はいつでも存在しています。
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