フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
Estimate
投稿日:2014/12/26
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Coordinaite by Nakayama
Photo by Volvo
Photo in SOKA
毎日撮影をしているスタジオであれば、この時間にこの場所でこのフレーミングをすればこれくらいの写真が出来るというある程度の予測が可能となります。
慣れない場所でシャッターを切る行為は、自分の中にあるそうした予測機能を狂わせる妨害電波になることもあるし、逆に習慣を打破してくれるカンフル剤になったりもします。
このように習慣が自身の写真を支配していく現象は、見方によれば写真が安定したとも取ることができますし、違う側面から見れば慣れたのは技術ではなく「場所」であることに気づきます。
そしていざ他の場所に直面した時、自身に技術不足の洗礼が襲ってきます。
例えばスポーツ選手がグランド整備の整っていない外国では普段のプレーが出来ない様に、誰でもこの現象は起こりえるものだと思います。
しかしプレーの本質をわかっている選手は、場所が何処になろうと変わらぬプレーをすることができます。
それは、冒頭に書いた「予測ができない」という現象が限りなく少ないからではないかと思います。
逆に言うとすれば「予測ができる」状態と言うことができますが、そのような状態と言うのは、フォトグラファーで言うと「光」を知るということではないでしょうか。
光が予測できる状態と言うのは、すなわち目でこの世にあるものが見えている限り写真の質が落ちることはないことを意味し、それはどこのスタジオに行ったとしても写真が良い意味で安定するということを意味していると思います。
最初にママさんと話をしながらこの子に似合う写真と、私の持っているものをどう合わせていけばいいかイメージを膨らませていました。
草加店の初日だったこの日は、無意識に予測が可能になるような環境面におけるアドバンテージはあまりありませんでした。
しかし私の中にある少しの経験とコミュニケーションによって生まれた空気感が、照り返しやフレアを予測し、この場所を「慣れない場所」から「予測可能な場所」へと変化させてくれました。
あとは、この子のイメージに合わせて被写体を動かしていく行為となります。
これも光と同様に被写体に対する「予測可能な状態」を作るために相手に深く入り、どう言う言葉をかければこのようなしぐさをしてくれるか深く考えます。
このふたつがうまく揃った時、写真そのものが「予測可能」なものへと表現されていきます。
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