フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

Evanescence

投稿日:2014/12/30

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Yokohama Aoba No.99
Cordi by Kaori and Rika / Photo by Kudo 

撮影者が消失する瞬間。
それが撮影者の意図であること。

『撮っている人がいるんだけど、いないように見える写真』
誰かと写真の話をしているときにそんなことを言ったような気がする。
それは、写真の中の被写体がまるで撮影者がいないときのような表情や動きをしていること。
しかし、その場には実際は撮影者がいるわけで。
撮影者が隠し撮りをしたり、その存在を消しているわけではない。
その時、撮影者が意図してその瞬間を創り出していること。
それが、撮影の最も難しい技術のひとつであると私は思う。

それは、いわゆる『自然な写真』と呼ばれるものなのかもしれない。
被写体は、必ず撮影者を意識する。
緊張する人、おしゃべりになる人、怖がる人、その反応は様々だ。
家族だけの空間ではなく、初対面の他者がいる空間ではそれが当然である。
まだ家族と他者を認識する段階ではないbabyは例外かもしれない。
だから赤ちゃんが自然な姿が撮りやすいと言える。
撮影者が認識されていない瞬間が多いから。

しかし、kidsは必ず他者を意識する。
いつもと違う空気を感じ取り、いつもと違う表情を見せる。
撮影者を意識し、話を聞いたり、指示を待ったり、常に被写体の心の中には撮影者がいる。
被写体の中に撮影者がいるということは、指示が通りやすく、目線や笑顔も撮りやすい。
しかし、それは作られたものであるというのが一目でわかる。
被写体が、撮影者と接続されている写真になる。
もちろん、75カットの中にそういった写真は重要であり、必須である。
そういった写真の中に、非日常の中の日常を美しく印象的に切り取ったような写真があったなら、
それは、人の心の琴線に触れるような写真になるだろう。
それがライフスタジオでしか撮れない『自然な写真』なのだと私は思う。
私はいつも、この『自然』であり『とても普通』な写真をいつも撮りたいと思っている。
不自然なポージングを繰り返し指示し続けることは、本望ではない。
私は、『自然で普通』な瞬間を美しく切り取りたい。

その『自然で普通』の姿の写真を、意図的に撮るには(kidsは特に)被写体を動かす必要がある。
また、被写体や家族の心に残るような関係性を創っていきながら撮影を進めていく必要がある。
そういった条件を作っていきながら、さらに条件を作るために投げかけ続けていくこと。
望んでいる瞬間は、その連続の中に発生する。
そして、その瞬間はあまりにも儚く過ぎ去っていく。

動きと動きの隙間に、撮影者が消失する瞬間は潜んでいる。
とてもとても短い瞬間に。
ポージングが決まった瞬間ではなく、わざと過程を要する動作をしてもらう。
ファスナーもあり紐もある、履くのに少し時間を要するブーツを履いてもらう過程。
その過程の中で、その動作に集中している姿に被写体が誰であるかが垣間見ることができる。
その瞬間を見逃さず、ちゃんと準備しておくこと。
撮影の1時間の中でそういった瞬間を連続して起こしていくこと。
『自然で普通』な瞬間を、そういった空間を、意図的に作り出していくこと。

​『自然で普通』を創り出していくこと。
そのための消失の瞬間。
それが私の撮影の中でいつもこころがけていることである。
 

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