Staff BlogTokorozawa

Satsuki Kudo
所沢店

工藤 さつき

こんにちは!
工藤さつきです。
2018年で7年目を迎えまして、ベテランを通り越してお局になってしまいました(笑)。

出身は神奈川県横浜市。
海が近く、港があり、何より坂の多い街です。
良いお店たくさん知っています。

好きなものは、様々で読書・映画・野球・猫・パンクロック好きです。

読書は、文学系・時代物・哲学書などが好きです。
好きな作家は和田竜さんです。
歴女なもので、時代物大好きなのです。
また、哲学だとハンナ・アーレントが好きです。
かっこいいですよね、彼女。
生きざまも尊敬しています。

映画はメジャーも好きですがミニシアター系が好きで、横浜だとジャック&ベティ、都内だとuplinkに出没したりします。
お気に入りの映画は、「seven years in tibet.」、「世界の果ての通学路」など。

野球は、毎年忙しくても観戦に行きます。
27年以上横浜ファンで大洋ホエールズ時代からのファンです。98年は、優勝パレードに行き感動で泣いていました。
今年は、横浜にいい逸材がたくさん入りましたね。
野球ファンのパパさん、語らいましょう(笑)。

猫は、写真集を出すくらい好きです。
台湾に行って猫を撮ったときは至福でしたね。
ゆくゆくは、イタリアやトルコへ行って猫を撮ってみたい。
猫カフェ一緒に行ってくれる方募集です。

パンクはマイナーなアイリッシュパンク系が好きです。
Flogging Mollyとか来日してくれないかなぁ。
知っている人います?

結構多趣味なので、こんな私に興味がある方、お話しましょう。

ライフスタジオでは主に写真を撮っていますが、私がカメラを始めたのは15年前。
学生の頃に、フィルムカメラを趣味で始めたのがきっかけです。
風景や猫、日常を切り取ることに夢中でしたが、いつしか「生きた写真」を撮りたいと思うようになりました。
その対象が「人」です。

その「人」を撮りたい、「人」に触れたいという思いから、ブライダル写真を経て、ここライフスタジオに来ました。

そんなこんなで最初の店舗は横浜店でした。
私は横浜店でライフスタジオの多くを学び、たくさんのご家族に触れ、人との繋がりの大切さを実感しました。

そうして、横浜店から横浜青葉店へ。
横浜青葉店では、写真をじっくり学び、ここで初めて哲学に触れることになります。

そのあと、数々のプロジェクトを通し、横浜のライフスタジオだけではなく、草加店・浦安店・越谷店と、地域にかかわらずライフスタジオはライフスタジオだということを経験してきました。

そんな経験を通し、スタジオや環境でスタイルが変わることなく、「私」は「私」としてここにいます。

ライフスタジオは「人」が「人」として存在し、「人」として生きる場所。
そんな当たり前のことすら、この社会で生きているとできなくなりますよね。
ここではそんな「当たり前」を写真を通じて感じてもらいたいと思います。
偉そうなことをいいましたが、ただ私がここにいる理由は、私と出会った人たちの温かみを感じたいと思っているからかもしれません。
寂しがり屋なもので…(笑)。

そのとき、その瞬間でしか、出会えないOnly Oneの時間を、一緒に過ごしましょう。

今は所沢店で、皆様との出会いをお待ちしております^^

【ひとりごと】最近の私について。

2019/2/26

187 1

少し写真分析をすることから離れていました。写真分析を休んでいたからと言って、写真へ向ける眼差しまでも止めるわけではありません。少し、静かに自らの心を見つめる時間が欲しかった。休んだ理由はただそれだけだったのですが、そうでもしないと、日々起きるたくさんの出来事の中で、心の水面の波と澱みが落ち着かず、自分が何者で自分の意志がどこにあるのか見失っていくところだったからです。

 

写真とは、撮影者の視点と意志の表れですから、自らの心の状態というものは非常に大きく関係しています。だからこういう時間も必要。なぜならば、写真も人生も、全ては自分の意志で決めるものだからです。

 

私にとっての写真の話を少ししようと思います。ライフスタジオに入社するより以前、私は自分が写真を撮る理由を、「自己証明」のためだと思っていました。そんな自分の考えが、入社して半年ほどに浅はかであると知るのですが、私個人の小ささを教えてくれたのは、周りにいてくれた「人」でした。愚かなことに私は、なぜ私が写真を撮るのかという理由は揺らがないものであると錯覚をしていました。しかし、実際は自問自答の連続で他者に触れることで「人」の存在の大きさと自分の小ささを知るということの繰り返しの中で、私は写真を撮ることになります。

 

独り善がりの私は、次第に「自己証明」をすることが写真を撮る理由ではなく、「他者の存在をより美しく際立たせること」が目的であり、そのためには時には自分の意志だと思っていた意地とプライドも無意味であることも知っていきました。

 

「私」という存在が、「人」と出会うことで自分の視界が拓けていき、自分から少し離れられる。最も重要であると勘違いし固執していた「私」自身に固執しなくて済むような、私から抜け出ていく感覚。「私」という存在は、目的を遂行するための媒介でありそれ以上ではないことを知っていきました。

 

うまく言えないのですが、良い意味で自分を捨てるという感覚を持っていくことだったのだと思います。

かといって、何もなくなってもいいわけではないので、私が生きている以上は自分の意志を明確に持ちながら、人生の中で撮影というものの認識が変わっていくことでしょうか。自分の視点は大切に。だけど、時には自分を手放して。目の前にいる人の、眼差しに拠り。

 

撮影を重ねていくたびに、たくさんの人に囲まれて、たくさんの人と関わることで、自分の証明なんてちっぽけなものはいつの間にかどうでもよくなってきて、大切なものは「人」がちゃんと「人」らしく生きることができているかどうかだったり。

 

ああ、だから写真を撮っているんだなって思う今日この頃。

ただの独り言メモでした。

ちゃんちゃん。

この記事をシェアする