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店舗フォトジェニック集
ライフスタジオで撮影した各店舗のベストフォトを集めました。
写真を楽しむ
2017/12/31
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photo by HIRO coordinated by volvo ライフスタジオで写真を撮り始めてちょうど一年。 気づけばいつの間にか時間は過ぎ、一つ目標にしていた一年が経ちました。 この一年間を振り返ればたくさんのご家族に会い、たくさんの思い出を綴る手助けをさせて頂き、改めて人の人生の1ページに携われる仕事なんだなと感慨深い思いになります。 人の心に響く写真をどうしたら撮ることができるのか。 人に見てもらう写真を撮る仕事なので、この問いは永遠の課題であるでしょう。 スタジオの写真だけでなく、誰かに見てもらいたいと写真を撮るなら必ず考えないといけないものです。 でもこればかりは人の気持ちなので、 100%心に響く写真になるとは言うことができません。 より100%に近付けるために、その方法を探したり、その為のスキルを磨いていくことはできるかもしれませんが、 マニュアルのような確実な方法は存在しません。 自分がうまく撮れたと思った写真でも見る人には何も伝わってないかもしれないし、逆にうまく撮れなかったと思う写真が心に響いていたりするかもしれません。 そんなことを考えながらこの一年間撮影をしてきましたが、今思うのは人の心に響く写真を撮るために一番必要なこと、 それは 「写真を楽しむこと」 なんじゃないかと思っています。 あまりにも当たり前で、あまりにも楽観的かもしれませんが・・・。 人によって写真の何を楽しむかは違うでしょう。 写真で人を喜ばすことに楽しみを感じる人もいれば、 新しい世界を写真で創造することを楽しみとする人もいるでしょう。 自分の表現としての楽しみもあれば、被写体の内面を表現することの楽しみもあるでしょう。 写真を楽しんで撮ることの形はいろいろあるかもしれませんが、その楽しむという心から向上心も生まれるし、被写体とも向き合うようになるし、写真にプラスαを生み出して、それが人の心に響く何かを生み出すのだと思います。 今回の写真は自分の中で、いつもの自分の習慣から抜け出し、ワクワクしながらプラスαを作れた瞬間でした。 被写体は七五三を迎えたクッキリな瞳が印象的な3歳の女の子。 七五三の撮影で来てくれていて、少し緊張気味でしたが落ち着いて頑張ってくれていました。 その日は天気は曇りで、どちらかというと少し落ち着いたトーンの写真が多くなっていました。 彼女は大笑いするタイプの子ではなく、優しく笑う子だったので、写真のトーンと合わさって少し大人しいイメージに。 彼女のキラキラした瞳に合うように本当はもっと光を入れた写真も撮れたらいいのになと思いながら撮影をしていました。 1シーン目の撮影の時からシャボン玉に興味があって、微笑みを見せてくれていた彼女。 ドレスでの撮影の時にも、彼女の興味を引こうとコーディネーターのボルボさんがシャボン玉を吹いてくれました。 そのシャボン玉に目を輝かせシャボン玉を見つめている姿を見て、彼女の輝きを光を入れて表現する方法を見つけました。 「このシャボン玉が光に反射するのを前ボケにして、光の輝きを入れよう。」 ボルボさんが彼女の目線がカメラに来るように、カメラの前でシャボン玉を吹いてくれていたのに合わせて、表現の方法を決定しました。 構図は彼女が光に包まれてるよう、横に流れていくシャボン玉の光が広く入るように横構図に。 アングルは彼女が見上げた表情が可愛いのを事前に見つけていたので、いつも登らない段に登ってハイアングルに。 画面下に白いハッキリとした前ボケを大きく入れて全体にボケ感の統一感を出し、シャボン玉の光に包まれている世界観を更に演出しました。 あとはシャボン玉が流れていく隙間に、彼女のキラキラした瞳が現れる瞬間を狙いシャッターを押しました。 モニターの時、この写真が流れた瞬間パパさんがとても喜んでくださり、 彼女の魅力を更に表現しようとチャレンジしたプラスαが心に響く何かを届けられたんじゃないかと感じました。 以前に自分の大好きな写真家さんとお話しをさせていただく機会があり、 その時アドバンスを頂いたのは「自分の心が動く瞬間を大切にする」こと。 良く聞く当たり前のことかもしれませんが、自分の心が動かなければ、見る人の心を動かすことはできないのでしょう。 だからやっぱり写真を楽しむことを忘れたくない。 いつもワクワクを忘れないで撮影をしていけるようにしたいです。 きっとその先に出会えたご家族や、写真を見て下さる方の心を動かす写真があることを信じて。 最近写真を通してたくさんの人と繋がれたり、新しい世界が見れたり、感動を頂いたり、本当に写真の力と魅力を実感する日々です。 2018年はとにかく写真にもっと没頭したいと思っています。 そして、もっともっと写真を楽しんで人の心に響く写真を目指していきたいです。 2018年もよろしくお願いいたします!
一緒に
2017/12/31
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Photo by Lisa Coordi by Suzuki 3兄弟の末っ子。 この日はお兄ちゃんたちが来ていなかったので彼女は少し心細かったかもしれません。 慣れない着物ということもあり、最初は緊張していました。 笑顔こそ見せてくれるものの、心からの笑顔というより最初は少し無理して笑顔を作ってくれていたのかもしれません。 私たちとの会話を通して徐々に慣れてきて、最終的には心からの笑顔と彼女らしい自由な姿を見せてくれました。 初めての人の前で見せる建前の彼女の姿から、チラッと覗かせる本当の彼女の姿。 7歳ともなると、学校でも敬語に触れるようになり、高学年の先輩児童や大人との距離の取り方を自然と学ぶようになります。 その為、建前が使えるようになることは悪いことではなく当たり前で成長の証かもしれません。 2シーン目、徐々に慣れてきた彼女。 光と影を使い彼女の持つ2面性を表現する為に順光を選択しました。 影は建前の彼女を表し、光は本当の彼女を表し、 影の中で、光が差した場所からチラッと覗かせる動作から、 本来の彼女の姿が覗き始めた様をこの1枚に表現しました。 光と影を分かりやすくする為にモノクロを使いました。 彼女の前にスッと植物を持ってきたのは鈴木さんです。 急に課題を突き付けられたように、一瞬これをどう活かそうか、どう切り取ろうか戸惑いましたが、撮影を通して彼女の姿を観察していたので、今回のイメージが湧き、葉の裏を覗いてもらう動作を呼びかけました。 そして前に置いたものが植物であると分かるよう、葉脈を写すようにかなり絞りました。 撮影は人と一緒に作り上げるものだということ、鈴木さんから教わりました。 この写真も鈴木さんが植物を用意してくれことから生まれたものです。 そして被写体の彼女の存在があったからイメージができたのです。 この写真だけに関わらず、大切なことはほとんど鈴木さんから教わりました。 鈴木さんと一緒に過ごしたこの1年があって、この写真があります。 ちょうど1年前。 2017年1月より私は草加店への配属が決まりました。 当時所沢店で働いていた私はこのメンバーで働く所沢店が大好きでした。 撮影も楽しかったし、撮影以外の時間もずっと笑っていました。 もちろん注意を受けることもありましたが、基本的に所沢店のスタッフは皆優しく、社暦の近い同僚も居たのでとても居心地が良かったです。 そんな所沢店を離れ、新しいメンバーでの草加店。 挨拶は交わしたことがあるものの、どんな人でどんな撮影をするのか、よく知らない先輩方。 緊張しないわけがありません。 店長は鈴木さん。 鈴木さんは、私がライフスタジオのスタッフで一番最初に会った人です。 面接時に駅までの送り迎えをしてくれ、緊張しないようアドバイスをいただけたので、リラックスして面接に臨めました。 今、私がライフスタジオにいるのは鈴木さんのお陰かもしれません。 入社してからも全体会議などで会う機会はあり、会議で司会をする鈴木さんの姿しか知りませんでした。 私が入社して驚いたことの一つに全体会議がありますが、私の経験したことのある「一般的な会議」とは大きく違います。 レクレーションがあったり、皆真剣に個人をプレゼンしながらも、ボケ要素を取り入れていて、会議のようでお祭りのように感じました。 そうした中、私の知っている鈴木さんは、変な格好でボケながら司会をする人でした。 表面的なことしか知らないまま、昨年の年末に鈴木さんにお会いしました。 2017年の草加店で何がやりたいのか、このメンバーで働くことになり、今どんな気持ちなのか尋ねられました。 よく考えれば、相手のことを知らないのはお互い様で、私だけが鈴木さんや他の先輩方を知らないのではなくて、鈴木さんも他のみんなも私のことを知らないのでした。 不安を持っているのは私だけではないと、当たり前なことに気付き、一緒に頑張っていこうと思いました。 しかし、いざ草加店が始まってから最初はうまく溶け込むことができずにいました。 撮影中もカメラマンに合わせ、指示に従うだけ、カメラマンが作った雰囲気にリアクションをして乗っかって楽しんでいるだけ。 それは顧客に寄り添っていなければ、スタッフにも歩み寄っていなかったような気もします。 草加店の先輩方は写真に対してこだわりが強いと勝手に決めつけ、撮影の流れはカメラマンに丸投げしていました。 自ら行動を起こさず、自分を撮影に投げ出さないことで、常にある程度の距離を保っていたのかもしれません。 そんな日々の中、先輩方に言われることがありました。 「一緒に撮影を作っている気がしない。」 「普段のリサちゃんらしさが撮影に出ていない。」 一緒に作るってどうやるんだろう、と思いながら ある日、先輩同士のペアで撮影しているところを見ました。 息の合った撮影で、二人で盛り上げながら空気を作って、二人で被写体を動かしていました。 コーディネーターも一緒に撮影を作っていいのだと、 作らなくてはいけないのだと、そこでようやく気付いたのです。 それからは、2月から始まるカメラマン教育を目標にアシスタント技術を徹底的に鍛えていただきました。 頭で分かってはいるもの、いきなりは実践することができません。 鈴木さんにはたくさんたくさん怒られ、厳しい言葉もいただきました。 叱ることが簡単なことではないこと、過去の経験から知っているつもりです。 感情的になってはいけないし、理論がないと無茶苦茶なことになるし、叱ることで相手に嫌われるかもしれないし、言い方ひとつで伝わり方は変わってきます。 鈴木さんは厳しさを私の為に、恐れず与えてくれました。 しかし分かってはいても、当時は毎日のように怒られて落ち込む日が多かったように思います。 悔しさをバネに、認めてもらいたいが為に、なんでもやるようになりました。 たとえ失敗したとしても鈴木さんはチャレンジしたことを褒めてくれました。 日々成長を実感し、多くの鞭と少しの飴を与えながら鈴木さんが私を育ててくれ、涙の数だけ強くなれたと感じます。 2月の写真教育には間に合いませんでしたが、見送られたお陰でアシスタント技術においては胸を張れるようになりました。 自信がつくと余裕も生まれ、素直に子供が可愛いと思え、今ではどんな子も我が子のように愛しく思います。 それが撮影に表れ、自分が主体的に撮影を作りながら、時にはカメラマンに撮らせるかのように被写体を動かすことができるようになります。 そしてついに5月から始まった写真教育。 毎日のように鈴木さんが一緒に撮影に入ってくれ、練習にもたくさんお付合いいただきました。 写真の技術面然り、カメラマンとしての心構え然り、1から10まで教わりました。 いや本当は20.30.40…とまだまだ教わることはあったのかも知れませんが。 途中で伸び悩み、結果としてなかなか表れてこない時にも、鈴木さんは私を諦めずに指導してくださいました。 写真のことで悩んだり、躓く度にどんどんネガティブになっていく私に対して、 いつも鈴木さんが言うことは「写真を楽しめ!」ということでした。 自分で写真を作る楽しみを 自分で見つける新しい発見を 写真を通して広がる価値観・世界観を 「こうしなければいけない」という固定概念が強い私を軽くしてくれたのはこの「写真を楽しめ!」という言葉があったからです。 まだまだ私の頭は固いですが・・・ また、この言葉は写真を撮ること自体を楽しめ!ということでもありますが、 撮影全体を楽しむことも意味すると解釈しました。 コーディネーターと一緒に空間を作りあげ、一緒に写真という結果物を作りあげることで撮影はもっと楽しくなること、コーディネーターをやっている時に気付き教わった筈でした。 撮影を楽しめば、被写体も楽しくなるし、コーディネーターも、自分自身も楽しくなり、写真にも表せるのです。 今度は私がコーディネーターも巻き込んで、時には巻き込まれて一緒に撮影を楽しみシャッターを押す時なのです。 鈴木さんから教わったことを次に引き継ぎながら、今後も写真を、撮影を楽しみたいと思います。 草加店に来れて、良かったです。 この1年、一緒に歩んで、時には一緒に走ってくれて、ありがとうございました。 ここから先の道は、しっかりと、自分の足で。
瞬間で決める
2017/12/31
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瞬間で決める 撮影時間の1時間ぐらいほぼカメラマンたちはカメラを構えてファインダー越しの被写体に集中しています。 その子らしい瞬間を残すため、その子の可愛い瞬間を残すために。 瞬間で見せてくれたその子らしい仕草はもう一回やって欲しくても同じくはできない場合が多いです。 特に赤ちゃんの撮影の場合一瞬で泣き止んで笑ったり、捕まり立ちしたりするので自分がシャッターを切るスピードと瞬間の大事さをすごく実感します。 笑っていなかった赤ちゃんが急に笑いそれを写真に残した時は自分もすごく嬉しくなります。 なのでずっとカメラを構えてその瞬間が来たときに抑えないと行けないと考えています。 キッズの撮影時はまだ親が見てない子供の瞬間の顔だったり仕草を残したいと心がけています。 3シーン撮影の中で1シーン終わったときに一緒に入ったコーディと話をしてポーズを誘導したり小物を使ったりします。 彼の撮影の時は上手すぎて彼の動きに完全に合わせながら撮影をしていきました。 最後に来た洋服は大人っぽい服装。 3歳で自分の好みもはっきりしていた彼はこの帽子はかぶってくれてもっとお兄ちゃんに見えました。 コーディがかけたくれた一言で下を向いた彼は窓からの光で3歳らしいちょっとむちむちしてるほっぺが分かりやすくなり、右手はいつものなのか動かしているのもすごく可愛く感じました。 来年になったらまた成長してお兄ちゃんらしくもっと私たちと会話できたりポーズもやってくれると思いますが、3歳らしい瞬間を感じた1枚でした。
共感覚者のディアレクティーク
2017/12/31
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サムネイルを見ただけでは、それが何か判然としない 拡大してみるとまずギターの存在がわかり、そこに乗せられた手が見えてくる。 演奏の為だろう。袖が捲られたその腕は無骨なようにも見えるが、繊細さも感じられる。 もう片方の腕は袖が捲られず、その対比がより右手のアクティブさを強調する。 曲げられた足はステップの途中なのかもしれないし、力強い音を放出した瞬間なのかもしれない。 背中側で上着のような物が揺らいでいる事から、モーションの瞬間である事は確かなようだ。 足元にある四角い箱のようなものは、前述の状況からアンプであろう。奥と手前にも似たような物がある。共にはっきりとは写っていないものの、それらが同じものである事が想像できる。 シルエットで辛うじて髪と鼻筋が見えるが表情はわからない。目を閉じて音楽やこの場の空気に酔いしれているようにも、真剣な表情で指先を見つめているようにも見え、それは見る者の想像に自由に委ねられる。 芸術と名のつく物は押し並べて概念化の方向に進む傾向にあるが、写真館のフォトグラファーは今以って実存に敬意を払う必要がある。 それが今日の私達を制限してきたが、撮影における切り口を転換する切っ掛けも提案してくれる。 即ち実存の為の概念ではなく、概念の為の実存であると。 例えば普通にスマホで自分の手を撮れば、撮られた手の写真はそれが手である事を容易に認識できるはずだ。 しかしこの写真の彼の手はそうではない。この手だけを切り取ってしまうと、それが何であるかは判断が難しい。全体を俯瞰してみてようやくわかる構造だ 。 表情もそうだ。顔だけを切り取っても、表情を想像するのは容易ではない。足元のアンプも、この人物がいなければ何なのかさっぱりわからないだろう。 見る者によってはギターの音色が聞こえてくるかもしれないし、これが舞台に見えた者には観客の歓声さえ聞こえてくるだろう。 描かれ切れていない物を、実は脳が補っている。 こうして1を描いて、2を感じてもらう。広義の共感覚がそれを助ける。これはそんな戯れ者のディアレクティークだ。 - 夜目、遠目、笠の内 - 日本人古来の感性を表すこの言葉が好きで、写真人生が始まった時からこの概念は大切にしてきた。 一説には江戸時代に端を発するこの言葉。 夜の行灯や月明かりの下でぼんやりと見える女性。遠くからなんとなく見える距離の女性。笠を被り、時折チラリとその顔が見える女性。 この三つの条件はその女性本来の美しさをより引き立たせてくれるという、日本人が持ち合わせている曖昧さからアプローチ。 もちろんこれは女性だけでなく、男性やその他人間以外の対象物にも適用される。 しかしこれが極まれば共感覚の一辺に到達する。即ち印象が実存への依存から解脱し、それ独自の構造を作るストラクチャーだ。 例えばこんな三つのアレゴリーを参考にしたい。 ①おばけ屋敷は、おばけが出て来るまでが怖い。 ②銃口は銃弾よりも支配力がある。 ③25日に至る12月の全ての日が、クリスマスである。 ①は最も興味深い事例だ。 そこにまだおばけはいなくても、視覚を含むあらゆる体験のプロセスをジャンプして「恐怖」という感覚へ直結させる。どんなおばけが現れるのか。そこを歩く人によってその想像がそれぞれ異なってくる点も面白い。誰もまだ体験していないのだから、当然の事だが… 日本と欧米のホラー映画の性格を比べるとこの違いは顕著で、「13日の金曜日」のジェイソンは序盤から大暴れだが「リング」の貞子はラスト5分まで現れない。にも関わらず「匂わす」演出によって、見る者に終始不安と恐怖を与える。 実存に頼らないこの手法。興行物である事を無視すれば、一切おばけの出て来ないホラー映画も作れるだろう。 ②は少し誤解を招きやすい。 もし目の前の相手に突然くすぐられたら、次その人が同じ仕草を見せれば、実際にはまだされずともくすぐったいと感じてしまうだろう。しかしこれはただの生理的反射であり、①と似ているようで全く異なる。誰かにくすぐられた経験は誰しもあっても、銃で撃たれた経験は殆どの人はまずない。 それでも、もし目前に暴漢が現れたら銃弾ではなく銃口に恐怖する。 それが例え箸であっても、向けられる事を人は嫌悪する筈だ。 ③はわかりやすいシンプルな方程式だ。 12月になると、街角ではあらゆる場所でクリスマスソングが流れる。 あらゆるお店の装飾はクリスマス仕様になり、あらゆるメディアがクリスマスの特集を取り上げる。 25日になるまでの期間は全て、人々の心はクリスマス一色になりうる。 人々はクリスマスでなくても、「クリスマス」を楽しむ事ができる。 ただその期間に置かれている間はそれに気が付きにくい。 26になった瞬間夢から覚めさせられ、改めてその事実に気付かされる構造だ。 被写体の概念化における、たった一つのルール。 画面内の要素は、説明する為ではなく、誘い込み、想像させる為にある。 photo:Hisho Morohoshi model:Masashi Kuroki
『 白紙の教科書 』
2017/12/31
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No.24 Life studio Shonan photo by Masashi Kuroki coordi by Satomi Sugawara 昨今、世の中は便利な時代となり、知らない事、触れたこともない事を一瞬にして検索することが出来ます。 いわゆる「ググる」ということです。 そして、その調べただけの知識をあたかも自分の知識や経験としてしまうことも少なくないかもしれません。 勿論、教科書に載っているような事は全て調べれば良いのかもしれませんが、では、教科書に載っていない事を調べるにはどうすれば良いのでしょう? 無論、この答えには「発想する」という答えしか私には見当たりません。 ですが、何でも検索することに馴れてしまうといずれ人が考える事をしなくなってしまう時が来るかもしれません。 少々大袈裟ではありますが、私達が「人の人生を写真とする」にあたっての私なりの教科書の綴り方のお話をします。 「今までとこれから」 私たちは日々、縁あって巡り会った人達の「今」を撮らせてもらっています。 つまりその「今」というのは「今まで ○ これから」の○の部分を指します。 入学、誕生日など、あくまで「今」の瞬間です。 ですが、それは樹木で言うところの「皮」いわゆる表面の部分なのかもしれません。 もっと言ってしまえば、大木を切りそこに刻まれている「年輪の一番外側の円だけ」を撮っている事なのかもしれません。 そこで、私は常に「今までと今、そしてこれからの全て」を一枚の写真に残したいと考えてしまいます。 勿論、生まれたての瞬間から毎年毎年を残していくことでその一つずつの年輪は残せていっているのですが、私が欲張りなのか異常なのかその全てを出来る限りその一枚に残したいと思ってしまうのです。 その欲のようなものが私の頭を支配してしまうのが「家族写真」なのです。 家族が多ければ多い程にその年輪は多くなります。 そしてお父さんお母さんは勿論の事ながらおじいちゃんやおばあちゃんがいればその年輪はさらに深くなっていきます。 それを一枚に、となるととんでもない重圧が私にのしかかります。 でも、家族写真はそれだけ重いものなんですよ。 とはいっても、重いという分、考える要素が多くてこれがまた楽しくしてたまりません。 私はその「人そのもの」を残したいと思う時は迷わず白の部屋を選びます。 何にも邪魔されることなく、その人たちだけと向き合える真っ白というとても贅沢なインテリア。 しかし、良い事だけではなく、しっかりと向き合い想像し構成していかないと悪さも露呈してしまう怖いインテリアでもあります。 だからこそ、そうならないためにここで重要なのは「そこに写る人たちとの会話」です。 私たちは撮影を進める上で彼らと話し、少しずつ角度、向き、カメラからの距離そして余白のバランスを構築していきました。 • 先ずは先に述べた「今まで」の構築です。 二人の今まではご主人の背中にある余白がそれを意味します。 その余白は「今まで」の表現なので二人の正面側横から届く光が少なくあくまで通り過ぎた過去を表せるような「過去の余白」から作り二人を配置します。 • 次に「これから」の表現ですが、それは写真左側から二人にそしてお腹の中にいる新たな命に向かって差し込む光、そしてわずかな余白です。 • 最後に「今」の表現ですが、これは二人が支え合いながら共に並んで歩み続けているという意味での二人の位置関係です。 カメラから見て二人に少々前後差を設けることでその奥行きが今のリアリティと「歩み」を表します。 合わせて、「過去」「現在」「未来」を意味するための「色味」。 彩度を落とすことにより、明暗を強調し今の臨場感を際立たせると共に過ぎ去って行った過去も表現しています。 二人はアスリート。 共にその「ひとつのこと」に長い時間をかけ、一緒に追い続けてきた仲間同士。 そして夫婦となり、さらにその一点に向け支え合いながら歩み続ける二人。 そんな二人が歩んできた人生の苦悩や葛藤そして惜しみない努力、そういった話を二人は笑顔で語ってくれました。 勿論、二人の人生の話と言っても極々一部分なのでしょうが、撮影を進めながらそのお話に耳を傾け、時に私たちはカメラを置き、二人の話を聞き入ってしまう時間もありました。 そしてお話は今回の撮影に至る話になりました。 マタニティ撮影を勧めたのはご主人であるとのことでした。 奥様はご自身の撮影など考えてもいなかったようです。 そんな素敵なエピソードも聞き、私はなおさら「二人の人生」を一枚に残したいと考えざるを得ませんでした。 だからこそ「今までも、今も、そしてこれからも」を一枚に納める方法を考えなければなりませんでした。 私達が「人生の写真館」にいるのならば、そして「カメラを人の人生に向けている」のであるならば、私達の教科書はどこかから引っ張ってきた文字で埋め尽くされているものではなく「白紙の教科書」であるべきなのです。 きっかけはいつでもどこにでも沢山あります。 そのきっかけが見方によってはその教科書の1ページとなっていくのでしょう。 私は今、何ページ綴れているのでしょうか? 何ページで終わりが来るのでしょうか? あなたは今、何ページ綴れていますか?
remember
2017/12/31
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photo fujita coordinator tanaka 彼とは初めて会ったのは6年も前で、そのときは赤ちゃんでした。 今は6歳。もうすぐ入学の年になります。 一年に一度来ていただいていましたが、私はなかなか会う機会が持てずこのときは久しぶりの再会でした。写真を撮りたいと予約をくださり、撮影の希望があるのはたいていの場合ママさんなのですが、こちらのご家族はパパさんが写真が好きでブログも書いており、よく話してくれる方でした。スタッフのことを覚えてくれており、私が撮影に入らなかったときも「藤田さんによろしくお願いします」と言って下さっていたようで、たなちゃんがそのことを教えてくれました。 予約の入った段階で、彼のことをよく知るたなちゃんと一緒に、彼に再会できるのを喜んでいました。 彼がまだ赤ちゃんの時にパパさんから言われたのは「笑顔はよく撮れるので、仕草を撮って欲しい」ということでした。 初めて言われたことなので、とても記憶に残っています。 言われたときは「なるほど」と思いつつ、「さて、」とも思いました。 どう撮ろうか、頭をフル回転させました。 写真といえば笑顔というイメージは強いです。 現に、笑顔の写真を欲しがる方は多くいます。カメラを向けるとぎこちなくなってしまう子が多いからだと思いますが、ご家族が写真に残したい、と思うのはやっぱり心から笑っている顔です。だから私たちはまず先にお子様の心を掴むための練習をします。 でもすぐに自然に笑える子であれば、確かに笑顔を引き出す難しい努力はあまりいらないのかもしれません。彼もやっぱりよく笑う子でした。 そのままとれば普段の写真に、背景と光、衣装が加わった具合になるでしょう。 笑わせることはできるとすると、次に必要なのが動きをつけること、そしてそれを「形にする」ということです。 このときは特に仕草などの希望はありませんでしたが、やはりよく笑う子でしたので、笑顔ばかりでなく普段見られない一面も撮れたらと思いました。 赤ちゃんの時と違うのは、自然に仕草は出てこないという点です。 むちむちな手や足が動くだけで赤ちゃんは可愛いものですが、これぐらいの年齢になると少し動いたぐらいでは形になる仕草は出にくくなります。 仕草の写真というのは言い換えると自然な写真ともいえます。 ライフスタジオに来ていただく方で「自然な写真が欲しい」という人は多くいます。 そのため私たちカメラマンはよくよく考えなければなりません。「自然な写真とは何か?」というのは何度も議題にあがるテーマです。 子供がまだカメラを意識しない年齢であれば、コーディネーターと遊ぶことで仕草自体は結構出ます。年齢が高くなってくると、大人を気にしない自由奔放な子はあれこれ遊びますが、カメラを気にして固くなってしまう子も少なくありません。 また自由に動いていたとしても、カメラに背を向けていたり、ずっと何かに集中して変わり映えがしなかったり、背景がなにもなかったり、光がなかったりと、不都合な部分も色々出て来ますので、完全に動きを被写体に任せるというのも少し違います。 そこで行う作業としては、自然な動きをどうやって被写体に負担なく行わせるかということではないかと思います。 しかしただただ動きを引き出してシャッターをきるスナップというわけにもいきません。スナップは、被写体の動きを中心に考え、瞬間を逃さないよう拾ったものです。お客様の求める「スナップではないが自然な写真」との違いは、余白や副主体の使い方にあるのではないかなと思っています。それが形にするということではないかと考えます。 少し前にブログで、被写体をインテリアのストーリーに組み込むことを書きました。 ストーリーへの組み込むというは、その空間を取り入れて世界観を作ることです。 空間を取り入れるとは写真の中に副主体をつくるということと考えています。 この場合の副主体は左のテーブルです。 テーブルを副主体にするためには横の構図にする必要がありましたが、横の写真というのは空間が多く入ってくる分整理する範囲が広くなります。 そのため余計なものが入らないようはじめから場所を整えておく必要があり、部屋の空間によっては全身の横写真を撮れる場所が少し固定されます。頭の中にあったのは、どうすれば、バランスよく彼の全身とインテリアをおさめられるかなということでした。 彼のコーデは全身のイメージが固まっていたので、全身で撮りたかったのです。 彼の全身のコーディネートを潰さないように、またカラフルな色の多い2階のインテリアから浮かないように…とどこに位置させればいいのか考えました。 テーブルは固いイメージながらもガラスのおかげで重たくはなりません。色味も2階の中では落ち着いたものなので、静かな存在感を持ってくれます。 彼の座った椅子の意味合いも、テーブルと他の椅子があることで意味が出てきます。 次にポーズですが、ほどよく肩に力をいれない、抜け感のあるポーズというのは、モデルではない素人には難しい芸当です。抜け感といっても腰を入れる、肩を下げるなど、やることが多くあります。それをつくるためにどう指示するのかも知恵の必要な部分ですが、もうひとつ私が昔教わったのは「ポーズが完成する前にシャッターをきる」ということでした。彼がサングラスをかけてテーブルに手を置く前に撮ったのも、それがあったからでした。 仕草を引き出して、あとは形にするというのは、カメラマンが写真の中で主役である被写体と他の要素を融合させる作業が必要なのだと思います。 ちなみにサングラスはポーズの完成する直前にたなちゃんがかけてくれたものでした。 そのおかげで写真の中に、左の副主体に負けない被写体の存在感が出たと思います。 照れて笑ってしまった口元もなんだかニヒルに見えます。。 サングラスやコーディネートのイメージに合わせてクールなイメージのポーズもいいと思うのですが、カメラでも画角の中でもないどこかを見ている顔、手、少し動きが欲しくてちょっと頑張って曲げてもらった足、少し微笑んだ口元、100%全部指示をしたわけではなく彼に任せて、どう切り取るかは私に任せてもらって完成したこの一枚がナチュラルでお気に入りです。 クールな格好ながらもまだまだ子供らしくて可愛いのですが、赤ちゃんだった彼が少年になったかっこよさも入った写真になったなと思います。
彼と私の間
2017/12/31
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自由なその子を撮ることが好きだ というのは正直ずるいのではないかと思っていた カメラマンとして、その子次第で変わる写真 その子任せの写真を残すということは 悪く言えば「偶然の産物」 当然それに至るまでに その子がどのような性格なのか その子の素敵な表情、衣装 感じ取るものからステージを作ることはしているだろう 意図しないところへ被写体の彼が行く 今だと思ってシャッターを切っているのか とりあえずシャッターを切っているのか そこをいつも考えていた 当然前者でなくてはならない 常にそうでなくてはならないのだがそのためにはどうしたら良いのだろう 考えた結果一言で言うなら 「自由であるために 自由にできるフィールドを用意する」 心がけていることは出来るだけ変化のある光の条件を作っておくということだ 被写体が動く、ということは承知の上で 何処でも撮れるという条件というより 「何処でも効果的に撮る方法」を考えていたいと思っている ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最初に設定する光は 被写体の動きを予想した時に何パターンの効果を生むことができるだろう ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 彼の後ろに用意している椅子に座った時のイメージは当然一番にあった 彼にもう少しクローズアップをし、外からの窓枠はあまり入れないように明るい部分を切り取るようにしただろう もっと、彼が奥の光のところへ行ったのであれば、逆光の光をつかい感度を上げて さらにはガラスの暈かしを入れるように幻想的に撮ることを選んだだろう そして彼が窓の方へ近づいた時 この写真は 奥が最も明るい分、彼のシルエットが出た時だ 厳密に言うと外はやや明るく、彼の表情は見えるくらいだが それは彼以外の誰か、という抽象的なものではない「彼の写真」ということが表されている あとは光の位置関係による遠近感を出したかった そのためにはどこの部分まで入れるのかということが問題であった コントラストの割合を考えてみると少し広い範囲を入れたくなる 外の暗さからだんだんと中へ追っていくようにしたかった また、 斜めに入り込んでくる室内の梯子の線と 外に立てかけてある梯子の角度を会わせて2本の線でバランスをとるようにした そして彼の顔の角度がちょうど斜め下を向くようなタイミングがあったのでそこを狙う 正面から見て全体の方向が斜め左下へ向かうイメージで一貫性を出したかったからだ ちょうど私と彼の数センチ単位の距離が様々な効果を生んでいるのだと考えると 表現の幅がおおいに広がるような気がする 最終的に これが素敵だ!という自分の感性に任せることになってしまうのだが 頭の中にあるイメージや今までに見てきた影響を受けるものであるのは間違いない その判断すらも質の高い判断であるようにしなくてはならないだろう すべて想定内の出来事になるのはなかなか難しい 想定外の出来事が自分の中で処理できてなおかつ、自信を持ってシャッターを切れるようになっていたい それまでの過程を充分に楽しみながら。。 Photo:Shibata Coordi:Suzuki Nisshin
色〜モノクロを使う理由〜
2017/12/31
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この一枚に至るまでの撮影の時間で現れたあなたの姿は きっとあなたが撮影前に想像していたような 理想的な自分の姿ではなかったのではないかなと感じました そんなあなたの「色」を写真で表現するには 物理的な「色」が無い方がいいのかもしれないと思って 原本データの中に一枚だけ、そっとこの写真を入れることにしました 撮られるのは好きだけど恥ずかしさを紛らわそうとしてついふざけてしまうというのは子供達のよくある行動のひとつです。 その行動自体を「彼女そのもの」として規定し撮影する事はいたって普通の流れですし、笑っている姿が見えればそれでよしとする事も普通です。 そうした彼女も本当の彼女であり、決して間違いではなく、普通だと思います。 でも、なんだかもう一歩踏み込みたい気持ちが私の中にありました。 そう思うのには理由があって、撮影中10回に1回ほど私たちの声掛けに対して急にラジオのチューニングがあったかのように しっかりと受け止めて動いてくれる彼女がいたからです。 9回は違う方向を向いたり動いてごまかそうとする姿を見ながらその一回を逃さないようにして どっちが本当の彼女なのかを見定める力が必要でしたが、ドレスのシーンになり その答えを彼女の方から教えてくれる事になります。 撮影の合間、私が分類を終えて部屋に行くとドレスを着た彼女は自分の中の撮られたいという気持ちを 隠さず、照れを消し、堂々とした姿で私からの指示を待っているようでした。 それはひとつ前のシーンで見せた照れ隠しの表情はまるで存在していませんでした。 これは私の中に引っかかっていた彼女の本質を隠す何かを拭いされるかもしれないと思い 声掛けを続けましたが、どうにもせっかく彼女が自分の殻を破って出てきたのにその「彼女の色」を 写真で表現してあげる事ができないでいるような気がしながらシャッターを押し続けることに違和感を拭えないでいました。 恐らくは、照れを脱却した彼女からは撮ってほしいという本心に近い気持ちが現れたけれど 今度は「撮られる」という意識が彼女の身体中に駆け巡り、指先から目力までを作り上げてしまっているのが 原因ではないかとその時に直感的に感じました。 ファインダーをのぞきながら違和感としてふと私の前に主張してきたのは「物理的な色」と「わざとらしさ」でした。 物理的な色をもってわかりやすく彼女を表現する事は、どうしても彼女の内面に届かない何かが つきまとう状態を作り上げ、そこから抜け出せませないまま時間を経過させました。 例えばモノクロで撮られた坂本龍馬を現代の技術でカラーにしてみたら奇抜な色の着物を着ていた 事がわかったように、「物理的な色」は写真により多くの意味付与をします。 うまく使えばその写真から伝えたい事を分かりやすく伝える事ができますが、 反対にうまく使わなければその要素を強く増幅させ、本当に伝えたい事が曖昧になったりもします。 私の中でモノクロを選択する一番の理由は「伝えたいものを色が邪魔しないように」する為です。 だからモノクロを選択はしましたが、彼女に似合うのは濃淡の少ない薄いモノクロです。 今は「撮られる喜び」が目に表れている。喜びを表すに濃淡の強い要素は違うと思い、 彼女にはライドボックスをできるだけ近くに背負ってもらいました。 輪郭を飛ばすほどの強さで光を当てる事は、女性を下から撮影するならば当たり前の方法であり、 写真右よりも左から光が回ってくるように位置付いてもらい、顔よりも頭が少し 暗い程度の明暗差になるようにする事は全体的な面積を減らす為です。 「わざとらしさ」を無くす為にはシャッターを押すタイミングを変える必要がありました。 前のシーンでは照れもあったためシャッターは声掛けと同時でした。 ドレスのシーンでは「撮られたい気持ち」が「わざとらしさ」を生む為、彼女を何らかのオーラが包み込みます。 そのオーラが消えるのは、声掛けをしてシャッター音がした2秒後。 その時にもう一度シャッターを切りました。 ドレスを着たプリンセスとしての彼女ではなく 撮られる事に対する内面的な喜びだけが撮れればいい。 「意思」が現れるのは「目」です。 だから目だけにフォーカスが当たれば良いと思ってクローズアップを選択し それもできる限り余分を排除したセオリー通りのフレーミングで・・・。 写真分析を書く時に「感覚(感情的)な部分と技術的な部分のどちらかに偏ってしまう」という声をよく聞きます。 私も100枚以上の写真分析を書きながら未だにはっきりとした答えは持てていませんが、これだけはと思っているのは 「どちらが欠けても写真分析にはならない」という事です。 例えばモノクロ設定の事や光の事だけを詳しく述べたとしても「なぜそうしたのか?」に対する根拠が 技術だけでは説明する事ができませんし、反対に撮影過程や彼女の性格についてどんなに深く知ったとしても 「それをどう表現する?」という説明がなければ説得力がありません。 感情と技術は、写真を撮る為の目的と手段であり、写真に写す根拠と表現力です。 良い写真とは何か? という問いに対して考察しながらもう何年も経ちます。 なかなか結論が出せずに苦しんでいますし、もしかしたら結論なんてないのかもしれません。 でも、この写真がモニターで出た時に喜んでくれたという事実は私たち撮影者とお客様の間に ひとつの「答え合わせ」ができた事だと思っています。 こちらの主張がお客様にとって望むものとなるならば それはひとつの「真理」と言えると思いますし それが現れる事が「良い写真」なのかななんて思ったりもしている今日この頃です。 「彼女の色」を表現するには 「物理的な色」を無くして 「私の色」を入れる・・・ 写真とは、私とあなたの人生の交差点を記録した「過去の一瞬を見せ続ける」時間旅行のようなものだと思っています
本当の自由
2017/12/31
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撮影は3月のことです。 撮影後、この日にフォトジェニックにあげようと決めていました。 どうしても、2017年の最後にあげたかったから。 彼女との出会いは、2014年 赤ちゃんの時しっかりと泣いて、自己主張がしっかりとしている彼女の印象 たくさんきていただいている中でいつも悩むことがあります。 「自由」な場所を提供できているだろうか? 私たちは、たくさんのお客様にであい、その中でたくさんのお話をするように言われます。 コミュニケーションをとり、楽しめる空間を作れるように努力します。 撮影中、コーディに入る人とも自分とも楽しめる空間ができるよう心がけながら 遊んでみたり、ちょっとお願いをして、しっかりポーズを決めてもらったり、 光の場所で止まっててもらったり、希望の動きをお願いしてみたり。 結局お願いが多いのだが、その中でも「笑顔」 それがバロメーターなような気がしていた。 彼女はそこを汲み取ってしまう。 こちらがアクションを掛ける そのアクションに反応して「笑う」 しかも自然に それは無理しているわけではない 「笑顔」という行為がなんのためにあり、どうゆう作用があるのか知っているかのように。 周りのために、自分のために 本来の「笑顔の力」をしっかりと把握しているように思える。 ここで撮影をしようと準備をし、 あとは「名前を呼んだら振り返ってね」とアクションが起きる声かけと、タイミングを待つだけ。 しかし彼女は、イラズラっぽく 上から振り返って見せた 自分から「あれがしたい」「これがしたい」と言われたことはない。 そして、 私が何をさせたいかを瞬時に察知されてしまう そんな彼女が動きをする事に、私の中で何かが弾けた。 彼女の自由がちゃんと動き出した。 コーディに入ってくれていた塩澤さんの力も借りながら、 彼女から、自分からのアクションを起こせる環境を整えることができた。 3年の月日と、いろんな関係と環境とがうまく寄り添って やっと本当の本物の自由を収めることができたと。 やってきてよかった、あの時に私はここにいてよかったんだ これからもそんな関係が変化しながら続いていけばいいと心より思った瞬間でした。 私の、私なりの愛情が届きますように Photo:Suzuki Codi :Shiozawa SHIMOKITAZAWA
小物と光
2017/12/30
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インテリアや小物を購入する時に、こういう風に使いたい!というイメージがある。 今月に入って購入した小物も、みんなで話し合い実際に店に行き、こっちの方がサイズ的に良いのではないか?質感はこっちのほうが良いのではないか?と吟味しながら購入したものだ。 ハーフバースデー前の赤ちゃん用のうつぶせ用のクッションは大きすぎず、体を隠しすぎないもの。 そして質感は肌に触れても柔らかく心地良いもの。 ラグは淡いピンク色で、心地良い素材のもの。 ぬいぐるみは赤ちゃんより目立ってしまわないように小さなサイズの、かわいい顔のもの。 そして、天蓋は光を優しくディフューズしてくれ、赤ちゃんの肌や、それぞれの質感を活かせるように。 全ては赤ちゃんの撮影の為に揃えて用意していたもの。 この赤ちゃんが撮影にやってきて、自分の思い描いてたイメージにぴったりとピースがはまりました。 photo by Tonegawa coordi by Ren
自由
2017/12/29
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2017年がもうすぐ終わります。 今年は新しい写真学習が始まり写真の幅が広がりました。 まだまだ限界は遠いです。 今年入社した後輩たちがカメラマンデビューをして、 基礎を覚えて撮影にも慣れてきた頃です。 カメラマンになった以上、歴なんて関係なくて みんなライバルです。 名古屋、日進では 私と藤さんによる写真の学習が行なわれています。 ・毎日写真に触れること ・人の写真をみること 以上をモットーに楽しく、厳しく写真を学んでいます。 みんな負けず嫌いなので、教える側からしても、 刺激的な時間になっています。 最近、私たちカメラマンの間では 「撮影に自由はあるのか」 と話されることが多くなってきました。 自由の意味はいろいろあります。 一つはカメラマンの表現の自由。 少しの基礎さえおさえていれば、残りはカメラマン次第で写真は出来上がります。 少なからず私はそう思っています。 今年、私たちは西さんから分厚い写真マニュアルを頂き、愛読しています。 そこにはあらゆる技法が書かれています。 「必殺技を作れ」 西さんはよく私たちに言います。 クローズアップや圧縮など決め手となる撮影技法を使い、原本に変化を出す。 平坦な写真が75枚並んでいても、説得力は無いのです。 ここぞとばかりに必殺技を使い原本を作り上げます。 いまだ、と思った瞬間、 頭の中でどの技を出すか、決めて必殺技を決め込みます。 逃さないように瞬時に光と露出を決定し、 シャッターを押します。 技が決まったと確信した時、とても心地が良いのです。 もう一つの「自由」 被写体に自由はあるのか。 この写真は光も構図も決して新しいものではないです。 しかし、私が思う頭からつま先までの彼女の美しさ写したものです。 なんて声をかけたか覚えていないです。 足を触ってと言う指示ではないことは確かです。 カメラマン自身が声をかけてその瞬間にシャッター切ります。 被写体の動きを逃さないためにはやはり自分自身でその瞬間を作るしかないのです。 良い写真の定義が光や構図などの技術面しか見れていないことが多いです。 アシスタントが指示をして撮影者はシャッターを切るだけになってはいけません。 良い写真が生まれた瞬間、 それが偶然ではなく必然でなくてはなりません。 結局は正解なんてなくて、自分自身で写真は変わるということです。 撮影者がいればいるほど方法はあります。 「自由」と「自然」は永遠の課題です。。。 ただ、私は待っているだけでなくて自分から動こうと思います。何に対しても。
plus
2017/12/27
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plus 「足し算」となるか「引き算」となるかは私自身の捉え方次第ではないだろうか? つまりどんなこともそれはそのままその事実なのであって 自身がどう捉えどう判断するかなのだ だからこそ人生に起きる全ての事はplusとなっていくことができるのだ 気がつけば 新年を迎えてからあっという間に年の暮れを迎えようとしていた 新しい私を踏み出す中 日々もまれながら、葛藤を重ねていた私だった でもそれはいつのひかplusとなって私の糧になるはずだと信じている この日私は、彼らしさを見つける「plus」を探していた 色んな投げかけをしながら探していく ふと彼が好きな映画の話を聞かせてくれた瞬間 かっこよくて大人っぽい彼にplusして 生き生きとした楽しそうな彼が加わった 一度はその姿勢で撮影を終え、立ち上がろうとした彼に 「もう一度そこに座って」と声をかけ360°c色んな角度からとらえた 新たな可能性が生まれ、plusされていった 思いより先に体が動いた 鼓動が高鳴り、シャッターの早さが後から聞こえてくる 何年も見てきたインテリアだけど この一瞬は初めてきたかのうように感じられ、更なる可能性は私をワクワクさせてくれた いつもの自分の「安定」の殻を破る事ができた気がする 沢山の可能性を見せてくれた彼に感謝がつきない 今年一年は私にとって新しい挑戦の連続だった 時には迷う事もある、悩む事もある、逃げ出したい時もある だからこそ挑戦しよう やってみよう 失敗からこそ学ぼう、悔しさを乗り越えよう 私は私にこれからもplusの選択をしていきたいと思った
アリス
2017/12/27
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photo:iku / coordi:kazu / hairmake:saito 年の離れた3姉妹の真ん中に生まれた彼女。 彼女が支度中、11才になる姉は、3ヶ月の妹の面倒をお母さんのようによく見ていた。 ずっと末っ子として育ち、最近姉の立場になった彼女は、この姉妹の真ん中で、果たしてどんな性格で何が好きなのだろう。 水戸店にいらっしゃる美容担当の先生の仕事ぶりは、毎回想像の上を行く仕上がりを見せてくれ感動させられる。 古典柄の赤い着物に、クリクリの目、凹凸が深い日本人離れした彼女の魅力的な顔立ちを、今回もヘアメイクでバランスよくまとめてくれた。 その気持ちに応えるべく慎重に撮影していた。 そのため、着物の撮影では彼女の緊張もあり、私は彼女らしさを見つけることが難しくいた。 ただただ、日本人離れした彼女の魅力的な顔を着物とどうバランスよく撮影するかに集中した。 ドレスへチェンジし、メイクルームから出て来た彼女に私は度肝を抜かれた。 まだ掴めていない彼女の性格が「不思議」というワードとシンクロし、 凹凸が深い魅力的な顔、重めのボリュームのある髪、重めの髪飾り、赤いチーク まさに「不思議の国のアリス」だと。 一緒に撮影に入ったかずくんにそのことを伝えると、これどうですか?あれどうですか?とどんどんイメージを提案してくれた。 これまでに見たことない姿に驚きを感じながらも、かずくんの新たな魅力を見つけることができ嬉しかった。 それから私の中では「アイデアバンク」のかずくんとして頼れる存在になっている。 被写体である彼女も、そんな私たちのイメージに寄り添うようにカメラの前に存在してくれた。 このドレスの写真は、被写体の彼女、美容さん、コーディネーター、カメラマン、みんなで作り上げた作品だ。 魅力とはなにか? 辞書には、人の心をひきつけて夢中にさせる力とある。 人間的魅力を持っている人に共通しているのは「単純な人ではない」ということではないだろうか。 つまり、引き出しを多く持ち、臨機応変にその場その場で一番適切な引き出しから、ベストな判断や対応を出来る人というのが、ある種の人間的魅力を持っている人ではないかと思う。 そして、喜怒哀楽を自分自身である程度コントロール出来るかどうかが人間的魅力を持っている人かどうかということなのだろうと思う。 何に喜ぶのか、どういう理由で喜ぶのかということが適切な人は、やはり人から魅力的な人間だと思われるだろう。 例えば、怒る時にはくだらないことで怒るのではなく、社会正義に照らして正しいかどうかを判断基準とし、何に対してどういうふうに怒るのかが、やはり人間的魅力を持つ人は全く違ってくる。興奮するような怒り方をする人はやっぱり魅力的ではなく、抑えるべきところは抑え、本当に怒るべきところに怒らねばならない。喜び方、怒り方、悲しみ方、楽しみ方が心から適切にできる人は、魅力があるというふうに言いきれると私は思う。そういうふうに魅力的になるには、そう単純なものではない。様々な困難や苦しみ、悩みを経験した人は痛みが分かり、人の痛みを自分の痛みとして捉えることができる。そのことこそが、人間的魅力を持つということに非常に関わっているとおもう。人の喜怒哀楽について、自分がそれをシェア出来る人、人の気持ちになって考え感じることが出来る人というのが、人から見て魅力的で素晴らしい人だというふうに思われるようになるのではないかと思う。 不思議な魅力を1枚の写真に構成する 実は彼女はうさぎとお茶を飲んでいる。その姿を前ぼかしで大きく隠すことで、見た人に想像させる。 温かく降り注ぐ夕日に照らされ、眩しさと、本当の姿を隠すという意味で、手前のカーテンで体を半分おおう。 ふわっとした髪に光が注ぎ、太陽の暑さにスカートをめくる被写体から出て来た仕草が一層の深みを出している。 そっとのぞかせた顔はしっかりと私たちの存在を確認している。 未知な部分をいくつも作ることで、この1枚の写真を見たときに想像せざるをえなくなり、不思議な魅力を持つ写真となる。 今回、撮影する過程で魅力とは何か考えるきっかけをもらえた。 被写体にあったヘアメイクを提供してくれた美容さんの技術。数ある技術の引き出しの中からベストなスタイルを選んでくれ、仕上げてくれた。子どものコンディションを見るだけでなく、コーディネーターとして写真を作り上げるアイデアを数多く提供してくれたアイデアバンクのかずくん。被写体として、不思議な魅力をカメラの前で放ち続けてくれた彼女。 水戸店で働き始めて1ヶ月を過ぎたときの、この出会いに感謝です。 私はこの撮影で、初めて水戸店のチームワークを感じた。 これからどんどん魅力的な写真が生まれるだろうとも確信している。
二人三脚
2017/12/27
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・光を背負って壁に写し出した影 ・茶色の壁により絵の様に表現 ・壁に投影された少女の輪郭と姿 今回は新たな発見にトライしました。 この日は日差しも強く影もくっきりと浮かぶ日でしたのでコーディネーターと一日中、影をテーマに撮影を行いました。 以前から私は影を上手く写せないだろうかと日々考えておりましたが今回は納得がいく物を形に残せたなと感じた。 何故、私が影を撮ろうとしていたかと言うと影は一生付き合っていくもう1人の自分の姿だと考えているからだ。 時刻は14時頃。窓から斜めの光が差し、その光は壁に向かい額縁の様な影を演出していた。その光に合わせ少女には椅子に座ってもらい、そこからはコーディネーターと細かな角度の調整を行った。 しっかりと影が写るようシャッタースピードを早め私はシャッターを切った。 すると油絵の様な茶色の壁には少女の横顔の輪郭と姿がくっきりと浮かびあがりまるで私は物語の1ページを見ているかの様に感じました。 産まれて、そして最後まで切っても切り離す事の出来ない、もう1人の私。彼女が大きくなるに連れもう1人の彼女も大きくなる。 これは被写体本人を撮ることと同じであって同じ時を過ごす影である被写体もその瞬間にしか撮ることが出来ない。 ライフスタジオの75cutの中だからこそ表現出来る事。 これからも新たな発見ができる様、私も成長を続けていきたい。 photo by kazuki coordi by ikuyo
シンデレラストーリー。
2017/12/15
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この子たちが来たのは今月のはじめ。 日が落ちるのが早い冬の時期、僕はどうしようか迷ってた。 撮影に入る前、以前いらした時の彼女たちの写真を確認した。すごくうまかった。 西日が窓からきれいに入り、彼女たちのポージングと表情もよし。 綺麗な逆光の光に照らされ、背筋をピンっと伸ばし、スカートを持って憂いの表情をしている写真に一気に引き付けられた。いろいろな意味で一目ぼれだった。 しかしそれを見た瞬間、このままでは今回の撮影、印象に残らないで終わるということが脳裏によぎった。 過去の写真に対抗するためには今までどおりじゃダメ。まだ皆がやったことのない事をしないと太刀打ちできない。 その思いが通じたのか、コーディがお店に入ったばかりの新しいドレスを提案してくれた。 美容さんは二人にぴったりなへアセットをしてくれた。 素晴らしかった。 しかしまだ足りない。 どうやったらさらに新しさを取り入れ、クオリティを上げられるか。その子達の可愛いを引き出せるか。 外は真っ暗、自然光の加護も得られない。 撮影場所に向かう途中、最近買ったLEDの電飾が視界の隅っこに入った。 その瞬間イメージが雪崩のように前頭葉に流れこむ。 時折ある、迷いから確信へ変わった瞬間、この瞬間がたまらない。 自分の中で革命が起きた気分だ。 場所は神秘的なイメージができる緑がある部屋を選ぶ。 自称紳士な僕。二人を対象的に座るよう心からお願いをする。 仲が良く、なおかつ神秘的なイメージを出すために手を繋ぎそれを下に下ろしてもらう。 そして電気を消す。そこにはLEDに照らされ浮かび上がる2人のお姫様がいた。 何度かシャッターを切る。 撮った写真を見せたところ彼女達は自分たちを絵本に出てくるお姫様みたいと言って喜んでいた。 しっかり二人にも僕のイメージは伝わったようだ。一瞬でもいい、2人の姉妹を絵本の物語のヒロインにしてあげたい。 非日常を楽しんでくれた。非日常を表現してあげられた。それを表現させてあげられたのが僕でよかった。 この写真でお客様が満足しているか僕にはわかりません。 喜んでくれたかもしれないし、落胆されたかもしれません。 しかし、もし、お客様が今回の撮影した写真をみて喜んでくれたなら凄く嬉しいです。 この投稿を読んでいるかわかりませんがこの場を借りて今一度、感謝の気持ちを伝えたいと思います。 掲載不可なところ、掲載許可を出していただきありがとうございました。 僕のできることを最大限に表現したつもりです。 本当に、ありがとうございました。 photo by nihei cordinaiter by toshi
撮りたいものはなんなのか。
2017/12/1
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ライフスタジオの写真は自由であり、幾通りもの表現方法が許されています。 私たちスタッフも人なので、それぞれに個性があり、出来上がった写真からはカメラマンの色が表れます。 光を読み、光をポイントとした写真を得意とする人。 センサーを敏感に張り、一瞬の仕草を逃さずキャッチできる人。 お客様に寄り添い、家族の形を表現することが得意な人。 一人一人に強みや、特徴があります。 なので、スタッフは誰が撮った写真か分かる人が多いです。 それぞれのカメラマンがどこにポイントを置いているのか、 カメラマンの「撮りたい」と思うものが現れていることが多いです。 では、私の撮りたいものはなんなのか。 自分の写真を規定することは、固定概念が生まれそうな気もしますが、私は 「自然な写真」=違和感のない写真 を目指しています。 ついつい良い写真を撮ろうと、普段しないようなポーズを作りすぎてしまったり、 馴染みのない小物に囲まれた非日常的な空間を演出してしまったり、 それが必ずしも悪いわけではありませんが、私の目指す「自然な写真」からは遠いものです。 また、自然な写真を目指しているからといって、 何も考えずにシャッターを押してしまってはお客様の想像を超える写真にはなりませんし、スナップ写真になってしまう場合もあります。 そこで第一に、空間の整理をします。 カバンと小さな椅子は、鈴木さんが用意してくれました。 縦に並んでいることで奥行が作られ写真に立体感を出しました。 そして無駄な余白を作らないこと。 写真の左側にレースのかかったポールを前ボケとして使い、余白を埋めるだけでなく写真の重心とバランスが作られました。 被写体の服装とインテリアの統一。 白いドレスに合うように、あえて後ろの緑を隠しました。 後ろにレースのカーテンを無造作に掛ける工夫は布の質感で柔らかい印象もプラスさせます。 このように空間を整理しすぎて、なんだかこの写真も、作られすぎているように思えます。 なので、それらの違和感を無くさなければなりません。 その違和感を無くすポイントとして最後に追加したのが被写体の仕草です。 集中できる何かを指示することは自ずと自然な仕草が生まれやすいです。 写真の彼女は3歳の女の子です。 3歳ともなると、女の子特有の感性が芽生え始め、 キラキラしたものが好きだったり、好きな色はピンクだったりする子が多いです。 このキラキラな靴を渡した時の反応に期待しました。 更に「靴を履いてみて!」と声かけをすると、靴を触りながら、もしくは座りながら履いてくれるのかな? と予想をしましたが、立ったまま手を使わずに一生懸命履いてくれました。 左手が見えなくなる程に体をねじって一生懸命履くこの仕草は、狙っては撮れません。 予想外の行動ではありましたが、作られすぎた違和感を良い意味で崩してくれました。 結局、私の撮りたい自然な写真は 私が「かわいい!」と感じた瞬間に訪れるのかもしれません。 一緒に空間を作りあげてくれた鈴木さんと、被写体の可愛い彼女に感謝します。 Photo by Lisa Coordi by Suzuki
眼が眼を呼ぶ
2017/11/30
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私たちが普段見ている景色は同じでも、見方や捉え方といった感覚的な部分には個人差が多いです。食に関してはかなりの個人差が見られると感じます。ご飯の好き嫌いもマヨネーズが好きな人も嫌いな人も使い方も個人差があります。ちなみに私はご飯にマヨネーズをかけてもいけます。しかしサラダを食べる時はドレッシングはかけずに野菜そのものの味を楽しみます。ついでに言えば嫌いな食べ物はキノコ類全般です。。。私ならばパスタをおかずに白飯だって食べることができます。 と、まあ食べ物の話はさておき、、、 人によっては違和感を感じることが写真でも多く存在します。わたしがライフスタジオに入って違和感を感じたのが前ボケと圧縮写真です。 これを時間をかけゆっくりとかみ砕いてきました。まだその旅の途中ですがその経過です。 眼が眼を呼ぶ 【違和感とその証明】 Photo by Chiba Coordi by Nishijima Lifestudio Jiyugaoka ◇前ボケの効果 いる、いらないで議論もしたことがあります。そのときは“何となく”が自分の中に存在し、先輩にそれを見破られたことがありました。何となくの前ボケは今でもありますが昔と現在の何となくは別なものだと言えます。 雰囲気で挑戦することがありますがそれってどこか失礼な話ですよね。 それは雰囲気でシャッターをきった時に感じた違和感とこんな写真ありだよねと自分に言い聞かせる空っぽの自分がそこにはいました。 知識をつけてどんな風に私は前ボケというものを使っているのか今更ながら自問自答。 ・デザイン ・曖昧さ 結局のところこの二つです。 デザインとして全体的に白く柔らかい雰囲気を出す場合が多くみられると思います、花や葉、花瓶、扉、サンキャッチャーなどアースカラーと呼ばれる色合いで幅広いものが前ボケとして使用されています。また光の反射を利用しガラス越しに撮影する場合かっこよさだったり、静かな雰囲気でまた異質な雰囲気を作ります。 そしてもう一つライトや電飾を使い前ボケにして幻想的な雰囲気だったり、シネマチックなかっこよさなど表現しています。 雰囲気に合わせて使いこなすことで撮影者が楽しめる撮影方法の一つがデザインを目的とした前ボケと感じております。 ソフトフィルターを使うのと同じですね。 次に曖昧さに関する前ボケは言葉の通りです。写真では昔から手をきることや足をきること頭をきることが懸念されていました。今でもその概念は残っています。しかし写真を撮るにあたって四角い長方形で処理しなければなりません。バストアップもクローズアップもたくさんの写真を商品として思い出として残したい中で手足頭を切る場面は必ずと言って訪れます。そういったときに使用するときがあります。切れ目を曖昧にぼかし切れ目を柔らかくします。 当たり前のことを書いていますがまだこれ以外にも前ボケに関する効果というのはたくさん存在していると思います。 ◆圧縮効果 圧縮とはなんだと以前に人に聞きまくったことがありました。前ボケと同じようになんとなく発進で撮影していた私には謎が深まるばかりでした。それからというもの他店のフォトジェニックを読み漁り、ブログを読み漁り、お酒を飲みながら圧縮って何ですか?美味しいんですか?なんて日々を過ごして点と点が結びついたように今では線として存在しています。 ・望遠レンズの効果 ・トリミング効果 圧縮って何って言われた時上記の2点をシンプルに説明します。 望遠レンズの特徴に被写界深度の浅さがあります。つまりは背景がぼけやすく被写体が手前に浮き出てくるように見える3D までとはいかなくとも立体感を持たせることができます。 そしてトリミングに関しては様々な要素を排除します。シンプルに表現するように大胆に切って写真の主題が何か明確にさせた1枚にしたり、写真を撮るにあたり「これ!」「この瞬間!」「この仕草!」と原本のクライマックス的写真にする、もしくはそうなることがあります。フレーミングやバランスがよくないとなかなか理解しがたい写真になることがあります。 上記に挙げた2点「前ボケと圧縮効果」は私たちが普段自分の眼で見ている世界は少し違ってくるものです。言わばカメラの眼で捉えたカメラならではの景色になります。故に違和感を感じるのだと思います。そのカメラでみた景色を自分の眼で創造しじっと見つめたくなる1枚を残せるようにしてきたいですね。 その違和感があるから立ち止まりその1枚を見つめて魅了される。違和感こそが魔法のスパイスです。 この写真はその一枚です。 薄く白い前ボケが彼女にかかることによってコントラストとは違く眼が眼としてはっきりと見えます。カメラは前ボケがあることによって対照的な色味のものを引き立てます。白い前ボケは黒い彼女の瞳を引きたてました。 また望遠レンズで圧縮したことによって被写界深度が浅くなり背景はすべて飛び幻想的に。 それがこの1枚の違和感です。けして私たちの見ている景色では確認できないものです。 幼い彼女が一休みしている瞬間を、自由に表現した際に待っていた場面でもあります。 いつなんどきもシャッターチャンスで表現の自由を私はそう捉えます。 家ではいつもの光景もスタジオで撮る時はそれに+α カメラならではの景色が私は好きです。そしてもっと知りたいところです。
~KANSATSU~
2017/11/30
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Photo by volvo codi by hiro 三姉弟の真ん中にあって、彼は自分の出番が来る事を待ちわびているようでした。 そしてお待たせしたと伝えた瞬間、彼からは何か闘志のようなやる気をメラメラと感じました。 照れは隠せませんでいました。 実際にソロ撮影が始まってみるとそのやる気とは裏腹に複雑な感情が表に出さずにはいられません。 闘志と緊張が混ざった表情から笑みは多くありませんでした。 それでも必死に応えようとしてくれる彼の心の中には撮られたい気持ちと、この撮影場所への期待が込められているようでした。 この場所で撮るには理由がありました。 このご家族が所沢店に撮影にきてくれるのは今回で7回目。 彼がまだ赤ちゃんの頃からのお客様です。 私が所沢店で店長を勤めるようになったのは今年の1月からですから、このご家族は私なんかよりずっと前から所沢店の事を よく知ってくれています。 彼のママさんから確認電話をもらった時、慣れ親しんだ所沢店での撮影を楽しいにしてくれているようでしたが 「ひとつだけ・・・」といってご要望をおっしゃってくれました。 それは「この場所(ガレージ)で撮りたい」というものでした。 撮りたい場所があるというご要望はよくある事ではあります。 もちろん可能な限りそれには応えたいとおもってはいますが、当日の状況や被写体である彼らとの兼ね合いもあるので 「可能な限り」という域を脱する事は困難です。 でも今回は少し事情が違いました。 ママさんから聞いたのは「7回目なんだけど、まだ撮った事がなくて」という言葉でした。 ガレージは小学生以上を対象とさせていただいているのもあって知らない方も多いかもしれません。 暗くてシビアな光を使用している事や、ひとつひとつのインテリアが大きい事、基本的には暗いことなど 写真の完成度や安全面などからそうさせていただいてますが、それにしても14歳のお姉ちゃんがいるこのご家族ならば 一度くらい経験していてもおかしくはないはずでしたが、行った事がないということでした。 ご来店いただいてからも、カウンセリングをさせていただきながら改めてガレージで撮りたいというご要望をきき よくよく話しているとそれどころかガレージの存在自体今年になって知ったという事でした。 案内不足を申し訳ないなと思うと同時にこのガレージという撮影対象が限定的な場所をどのように宣伝すればいいのか わからない無力感を感じながら特にどのように撮りたいのかを入念にインタビューすることにしました。 最初は、ガレージの車やドラムでカッコよく撮りたい!というご要望にとどまっていました。 しかし話を深めていうちにそれは姉と弟に挟まれた長男という存在を、子供でしかなかった長男を 明るく笑顔の写真を撮ってきた長男の違った側面を表現してほしい。 そのように聞こえてきたような気がしました。 それは対話を深める事によって この場所で撮りたい=車やドラムで撮りたい だけではなく この場所で撮りたい=彼の新しい一面を見つけたい という方に視点が変化していきました。 そのように規定をするならば、車やドラムといったインテリアは目的ではなく手段として 使用する事ができるようになります。 もし車やドラムで撮る事が目的になっていれば、ただ車に乗っかっているだけの彼やドラムを叩いているだけの彼を撮ったでしょう。 彼の新しい一面を見つけるための手段としてのガレージ。 そう規定したならば私はそのために技術を結集するのみです。 光を探します。 冬の昼下がりの西日は毎年私たちの撮影に楽しみを加えてくれます。 使用する事に決めました。 使い方はいろいろあります。順光でこのようにとってもいいし、逆光で神秘的に撮る事もできます。 今回は、彼の情熱と緊張の混ざった瞬間を撮るためには順光のドラマ感を選択しました。 あえて顔の部分に光を当てなかった理由も同様に、彼の緊張を表現するには明るすぎないほうがいいという判断です。 表情が隠れている事も同様です。 背後に佇むドラムセットは、光が届かないことでどこかのプロモーションビデオ風になりました。かね?汗 世界が終わるまでは〜的な。 正直、彼の新しい一面を見つける事ができたかどうかはわかりません。 でもこうして撮影をしていく事が「被写体を深く見る」ことだと思っていますし 「写真を通して関係を作る」という意味だとおもっています。 PS:ちゃんと車やドラムを使用した写真も撮りましたよ。
hikari
2017/11/30
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家族の形は様々です。 このご家族はライフスタジオの写真や評判を見て聞いて来店してくれました。 普段着慣れないかっちりとしたフォーマルな衣装ではなく、飾らないシンプルな白シャツにジーンズがこの家族にとても似合っていて、最初は緊張感があったものの、話していくうちにすぐに打ち解け、笑顔が溢れる空間になっていきました。 撮影を通していろんな角度から意識して見ていく内に、そのご家族ならではの大切にしている形が現れている瞬間が見えてきます。 まず1つ目に、みんなでお揃いにして着てくれた白のTシャツとジーンズ。 女の子にはスカートやフリフリしたものを着せたいと思うのが一般的で、ベビーで1人目の子であるとなおさらその思いは強くなります。 しかし飾らない白いTシャツにジーンズといったシンプルな格好は、お子様はもちろんご家族の雰囲気にピッタリでした。 そう感じれるのは何故かというところに意識してみると、パパさんママさんが一般的な可愛さではなく、ヒカリちゃんに似合うものを考え、家族の雰囲気はもちろん、何をどう残したいかを意識したものが形として現れているからだと考えます。 2つ目に共に楽しむ空間に意識を向けてみると、私達が自ら率先して楽しみ楽しんでもらおうとする空間にパパさんママさんも積極的に入り一緒に創り作り出す空間がそこにはありました。 その空間に1歳ながらも何かを感じとり、感情で表現してくれるヒカリちゃん。 コミュニケーションを通じて撮影が出来るキッズ撮影では、言葉を通して1人の人としてフィルターをかけずに関係を築く必要がありますが、 思いを言葉にして伝えられないベビーにとって大人とのコミュニケーションは感情で表現するしかありません。 ヒカリちゃんがこの時見せてくれた感情は笑顔でした。その表情を見せてくれた瞬間に、笑っているのではなく笑いかけてくるような、言葉はないが会話をしているような関係がそこにはあり、パパさんママさんが自然と寄り添う形が生まれていました。 その時、言葉を通じて撮影が出来るキッズ撮影において、1人の人としてフィルターをかけずに関係を築く必要がある空間と本質は同じだなと改めて気付かされた瞬間でもありました。 最後に子供のTシャツにデザインされたhikari という可愛らしい文字に意識を向けてみると、パパさんママさんには無く、ヒカリちゃんにだけデザインされたものでした。 そこには親と子の関係と大切なものへの思いを 感じる事ができます。 人はいろんな場面で右葉曲折しながら進んでいきます。その時に欠かせない要素はたくさんありますが、1つに成長していく事というのがあるのではないでしょうか。 人は、食べて身長が伸びるだけでは成長とは言いません。それは発育というもので、成長とは学ぶ事であり可能性を広げてくれる存在です。 この場所に生まれ、いろんな右葉曲折がありながら成長していく中で夫婦になる。子供が生まれれば親という役目と子という役目が現れる。 その過程の中で、いろんな支え合いや与え合い、時にはキズ付け合いがありながらも、大切なものは育まれ、成長していける場所が家族という存在で、生まれた時から変わらない家族の大切な形はそんな中で作られていくのではないでしょうか。 何があっても大丈夫だという力とその家族の大切な思いを共に表現し写真に残すこと。 hikari というTシャツの文字にはその大切な思いが現れているように感じました。 写真の一瞬がいつまでも、共にあるという力になるように
be playing
2017/11/30
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名古屋店で渡しているデザインの文字。「be playing」という言葉。 ひそかに好きな言葉です。 遊ぶということは、ライフの撮影スタイルにしっくりくると思っています。 普段はカメラを向けられるとすっかり固くなってしまって笑わなかった子も、ライフに来ると笑ってくれるという言葉を頂けることがあります。それはライフの撮影スタイルが、制限を設けずに、被写体である子供に合わせながら撮っていくものだからだと考えます。 ですが、被写体に合わせるというのは、追いかけまわしてひたすら四角の画面におさめるだけということでもありません。 そこに、光や構図、絞り値や露出など、どのように決めてどのように切り取るのか?を決める作業があり、それがないと写真は綺麗にまとまらない上、やるとなかなか複雑です。 同じカメラ、同じレンズ、同じ光でも、何かひとつが違うことで写真は大きく変わってきます。 私がカメラマンになる前に思ったのは、なぜ同じカメラを使っているのに、先輩たちとこんなに差があるのだろう?ということでした。 そこから学んできてわかったのは、写真を1枚撮るのに多くのことを考え、決めていく作業があるということでした。その部分の決定権はカメラマンにあり、ここでこういう数値でこう撮る、というマニュアルはありませんので、たとえば極端にいえばロボットにはできない作業になります。 ライフスタジオの自由は、被写体となる子供だけなくカメラマン側にもあります。 数値も場所も制限をすれば質の安定したものとなりますが、それを良しとしないのは、ライフスタジオが人の持つ感性、感覚を尊重しているからだと考えます。 そして、その感性、感覚の自由度があるからこそ、無限に新しい写真は生み出されてゆき、提供する写真の質が変わっていきます。カメラマンの持つ自由は、変化・発展していく組織のために必要な土台です。 そして同時に私たちにはその感覚をつけていく必要が出てきます。 その感覚を持つためには、何が美しいのかを知るということが必要になってきます。 美しさというのは、数値などで定義されたものと、自分にしかないものの2つに分かれると考えます。 たとえば黄金比などは、定義されており、多くの人が美しいと思う比率を割り出したものです。 ですが、たとえば紅葉だったり、滝だったり、高い山からの景色だったりは、美しいと思う人と思わない人とがいます。自分が美しいと思うものを、美しくないと思う人もいる。 逆に考えると、何を美しいと思うのかが、自分を形成する要素のひとつとなります。 定義された美しさは、たとえば光の向きだったり、構図だったり、カメラの数値であらかた決めることができますが、自分が思う美しさは「その撮影で、どの場面をどのように切り取るのか」という瞬間で表現できます。 私の中で後姿も良いと思う瞬間です。ですが、後姿の写真は、魅せ方が重要です。 ただ後姿を撮るだけであれば簡単にできます。でも、その瞬間にインパクトを与えるために撮るとなると、もっと要素を足さなければなりませんし、なぜ撮るのかという理由も必要です。 私は顔の見えない写真も好きです。 好き嫌いがあるので、必ず撮るわけでもありませんが、まったくこちらを向いていなくても、絵になると思います。それは、私が「曖昧なものが好き」というのもあると思います。たとえば小説では名前が出てくるよりも「彼」「彼女」や「少年」「少女」のような、曖昧な表現が好きです。 少し前のブログにも書きましたが、ターナーの絵のような線の曖昧な表現も好きです。 だから後姿というのも好きで、たとえ顔が見えなくてもその子という存在を示してくれる姿だと思います。 彼は3歳の男の子で、小柄だけどエネルギーがあって、人見知りが全くなく、たくさん笑い、たくさん遊んでくれる子でした。ちょこちょことお部屋の中を走り、インテリアやおもちゃを触ったり、はっぱや布を両手でバサバサ!と揺らし、自分の履いているかぼちゃパンツをまくり上げたかと思うと、コーディネーターののんちゃんのズボンまでもなぜかまくり(ママ曰く生足が好きだそうです)、とにかく自分の興味のあるものに向かって動く、好奇心旺盛な子でした。 私はその彼の動きがとても面白く、愛くるしくもあって、どんどん自由に撮っていきました。 ちょうどお昼を過ぎたころで、太陽は傾き始めており、1階の大きなガラス窓からは西日とはいかなくとも強めの長い光が差し込んでいました。 その光はインテリアに当たり、男の子に当たり、カメラ側のガラスにもあたっていたので、ガラスを被写体とカメラの間に挟みこむことでちょうどよく綺麗なボケみをだすことができました。 ガラスを挟み込むと、物がはっきりとは映らず、まるで波のない静かな水面に映っているかのような滲みができます。そうした滲みのある景色を美しいと思う人は多いと思います。 そうした景色となった中では、被写体はあまりくっきりと映らず、背景と馴染んできます。 だからこそ、人だけに集中せず景色として切り取ることができるので、人の写真ではなくストーリーを感じさせるイメージ写真が作りやすいのです。 人中心ではなく景色となった画面の中では、被写体の動きが重要になります。私の見ていた画面の中で、彼が見せた何げない背中が、イメージを感じる切り取るべき瞬間でした。 楽しさはじけるちいさなからだでいっぱい遊びまわり、走り出す後姿を、魅力的に写すことができたのではないかなと思っています。 この場所では絶対に良い写真が撮れると信じてシャッターを切ったのを覚えています。 写真を撮るということは、自分にとってどのようなことなのだろうか? 昔聞かれたことがあります。 カメラマンとなって数年たちますが、私にとって写真は自分を支えてくれる心強い存在となっています。 もっと感性を磨いて、ちゃんと技術と知識をつけていく必要はまだまだ無限にありますが、ライフで写真を撮ることが自分を幸せにすることに繋がっています。 正直、写真という存在が自分の中でこんなに大きくなるとは、昔は思ってもみませんでした。 何者かになりたい、と思って過ごしていた時期がきっと誰にでもあると思います。 何になれるのか、なりたい姿になれる素質はあるのかを考えていた自分が、カメラマンとしていろんな人を見たり、いろんな写真を撮っていくうちに、前は無かった奥行きができていって、ちゃんとはっきりと形作られていくのを感じ、そのたびに写真を撮れることを誇らしく思っています。 もちろんまだまだ腕を磨くことは必要ですが。。 写真はカメラマンだけの作業ではなく、コーディネーターや、被写体となるご家族や子供と協力する共同作業なので、取り組むことに大きな価値があるのだと思います。もっと深く人のことを知り、良いものを撮っていくことで、人だけでなく自分自身も幸せになると考えます。 だからこそライフでの撮影は撮る側も撮られる側も自由に遊んでいる「be playing」な空間で、楽しさを生み出すことができるのだと思います。
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