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店舗フォトジェニック集
ライフスタジオで撮影した各店舗のベストフォトを集めました。
ノワール
2017/11/30
0
ふと私はなぜシャッターを切るのかということを考えた瞬間がありました。 インテリアの中を駆け回り子どもたちと楽しい時間をすごし、そこで最高の瞬間を撮る! それは当たり前であるけれども、そうでないのではと思う瞬間がありました。 私自身写真を撮る時にはその家族・人の人生に寄り添いたいという思いがあります。 それはただこの場が出会いと写真を残す記念の場ではなく人生の中の1編として、 その人の心のなかに存在する写真館・スタッフになりたいという思いからだと考えます。 そのことはライフスタジオのマインドにも書いてあります。 もう一度シャッターを切る際に何を考えるべきか?ということを考え撮影に入っていきました。 その考えを写真の分析を通して皆さまに伝えることが出来たらと考えております。 -描写- 具体化されているかもしれない、あるいはされていないかもしれない主題は、あいまいであるが、遠近法、光をとおして写真の核心に迫ることができる。 キラキラと光るインテリアはただただ一人の「女性」を称えるかのように存在しています。しかし壁に寄りかかった彼女にはどこかしら儚げな印象を覚えてしまうでしょう。これから先の未来は明るく輝いている周りの大人達は必ずそのような言葉を彼女に投げかけるでしょう。そんな彼女が無言で見つめる先には一つのドアがあります。それは彼女にしか開けることの出来ないドア、そう大人への入り口です。それを人は社会というのかもしれません。その先には風が吹くのか美しい草原が眼下に広がるのか腕組みするビルが待ち構えているのでしょうか? -遠近法- まず街角のような壁に接する場面で撮ることを決めた。 壁に被写体を寄りかからせることにより被写体の位置を明確に表し、鑑賞するものの生理的視線誘導をスムーズに完結している。 更に被写体の視線がドアの向こうに向かうことにより鑑賞するものの心理的視線誘導をすることによりこの写真の背景を思い立たせるような深い存在感を写真自体に与えている。 この生理的視線誘導と心理的視線誘導をただ単に写真自体が視覚的情報で完結するものではなく内面的な意図を含んだような一種の深みを与えることで被写体の存在感をより大きいのもへと昇華させている。 -光- インテリアからこぼれる、人為的な、人造の光の効果は好奇心を表現している。 外から入る光は被写体のアウトラインをなぞるように存在することにより女性的美しさを映し出す。 被写体の背後から来る光は被写体の輪郭を映し出し、被写体の存在を強調している。 -インスピレーションの元- 私は暗闇には不安感を、陽の光には安心感を感じます。 中心は「明と暗」がテーマで、明と暗がわかれる、これからの人生を彷彿とさせる雰囲気が存在すればと考えました。 人生が垣間見えるほどの静けさを表現したかったのです。 そして明暗が、見る者の想像を掻きててやまない何かがあるのかもしれないということも考えました。 非日常を明と暗のコントラストを通して人に想いを巡らせずにはいられなくなる人生を一篇の芸術作品として、存在する美しさをてつくりあげていくという “存在の美学” を実践しました。
接近
2017/11/30
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Photo&Write by Reiri Kuroki Coordi by Misaki Nakagawa @Yokohama Aoba 写真が好きだ。 迷いなく、そう言い切ることができない時間が、少し続いていました。 カメラを持って長い分、幾らかは経験でリカバーしながらも、時折自分の中でモチベーションが枯渇します。 ファインダーの中で迷いながら、それでもシャッターを押して写真を残し、 『写真って、これで良いのだろうか?』と悶々と悩む時間は、カメラマンとしては少々情けない時間です。 「良い写真って、なんだろう」 毎日撮影をしていく中で、カメラを持った自分の動きが、声が、鈍くなっていくのを感じていました。 ファインダーの中は整理がされず、アタマの中は混乱し、目に見えるものをそのまま見るばかりになっていく。 「写真って、なんだろう……」 気が付けば、7年もカメラを持って写真を撮っていながら、何となく、自分は『写真家』と言える程、写真に対してストイックな訳ではないことを知りました。 それでも、『写真館のおねーさん』としての割り切った『作業』にしてしまえる程に熱がない訳でもなくて、『写真』に対しての幾つかの欲は持っていて、だからこそ、厄介なのかも知れません。 写真が好きだし、良い写真を撮りたいし、写真で承認されたいという欲求も多少なりともあるのでしょう。 そうならば、私はもっと写真に対してストイックであるべきではないのか? そうなれないのであれば、私は写真に対しての誠実さを欠いているのではないのか? 自分の中に、澱のように溜まっていく後ろめたさが、心と身体を鈍化させていく……それはシンプルに、『疲れ』という言葉に置き換えることのできるものであったかも知れません。 写真を撮る、ということが、苦しく感じられるその時間は、自分がライフスタジオにいる意味を考えさせる時間にもなりました。 「わたしは、なにをしているのだろう……」 と、まあ、思い詰めやすいのが私の悪い癖なので、とにかくマイナス思考のアタマを空っぽにできるように、ひたすら書きまくりました。 6月にも、『写真大辞典』を題材に、書いて書いて書きまくって、その先で撮った写真が自分の世界をほんの少し、変えました。 あの時くらいやれば、この悶々とした暗いトンネルから抜けられるんじゃないだろうか。安易にそんな考えに至りましたが、如何せん自分の中に積もり積もった後ろめたさと疲れは、ヘヴィーな写真分析を量産する程の気力を私に残してはくれませんでした。 だったら、もう少しカジュアルに、自分の気持ちが楽しめることを書いてみよう。 楽しいこと、は、結局日々の撮影のことでした。 可愛い可愛いBabyを、小難しいことは考えずにただ『かわいいいいいいいいいいい!!!!!!』と書くBlog。 やんちゃな子どもたちを、その独特な世界観を、コミュニケーションを、『はじめまして』の時間に交わす幾つもの感情を、心の赴くままに書き綴ることを、ほぼ毎日、していました。 ひょっとしたら、7年目の人間が書くにはあまりにも、カジュアルな内容であるのかも知れません。 しかし、自分にとっては本当に重要な、スポーツ選手で言うところの基礎練習のような、筋トレのような、そのくらい大切な基盤でした。 幾つものエピソードと、そこに行き交う感情を書きながら、確認をします。 『写真』が好きなのかは、ちょっと今はわからない。 でも、『撮影』は、好きだ。 ひとと関わりながら、撮影をする時間は、好きなんだ。 どうやら私は、そうみたいなんだ……。 それでもまだ、写真が少し苦しかった時に、彼女に出会いました。 7歳の七五三で来てくれた女の子。1歳の時以来と言うから、実に6年振りの、ライフスタジオでの撮影でした。 支度中から口も開かず、一言も発さず、緊張感を漂わせていた彼女は、撮影が始まると、自分の身体の動かし方さえわからなくなってしまったのではないかと心配になる程、身じろぎもせずに硬直してしまっていました。 それでも、7歳という年齢からモノゴトの理解はしていて、一生懸命、こちらの指示に応じようとしてくれていました。 その姿勢から、真面目な子であることは伝わってきて、だからこそ無理をさせたくはなくて、コーディネーターのSakiちゃんと一緒に、たくさん話しかけながら撮影を進めていました。 そんな彼女の大きな瞳から、突然ぼろぼろと溢れた、涙。 恐らく、彼女自身にも制御の効かない感情は、堰を切ったように溢れ出していました。 それは、私にとって、強烈な一撃でした。 ぼんやりしていたところに冷水をぶっかけられたような、弱音を吐いていたところに平手打ちを食らったような、世界が一瞬ひっくり返ったような、衝撃。 そして、もう一度、思い知ります。 「わたしはなにをしているのだろう」 関係を、ちゃんと作らなければなりません。 一方的な指示は、それがどれだけ「彼女を早く楽にさせてあげたい」という想いに基づいていたとしても、真面目で一生懸命な彼女を追い込むばかりでした。 早く楽にさせてあげる為に的確な指示を出して撮影を進める、のではなくて、彼女の緊張を解す為の会話と時間、それを経て『彼女』と『私』の関係を作ることこそが、必要でした。 私は、『緊張のあまり動けなくなってしまっている、着物を着た7歳の女の子』を撮っているのではなくて、そういう現象の奥にいる彼女自身を探すべきでした。 彼女自身が出て来やすくなるように、空間を整えるべきでした。 彼女は一生懸命でとても真面目だから、自分がとても不自由な状態に置かれながらも、頑張って応じようとしてくれていました。 その不自由を、できる限り取り除いてあげることこそ、私がするべきことであったのです。 少なくとも、着物という物理的な不自由から解放された彼女は、硬直していた身体が幾分か柔らかくなったようでした。 そして、強烈な一撃を浴びた私は、彼女に対しての申し訳なさを抱えながら、それでももう一度、カメラを持って彼女と向き合います。 まだ撮影は終わっておらず、悶々と悩んでいた私の目を醒まさせた彼女が目の前にいてくれるから。 もう一度、丁寧に向き合って、『彼女』を捜す。 ゆっくりと、ゆっくりと。 私は、『写真家』でもなく、『写真館のおねーさん』だけでもいられない、ライフスタジオのカメラマンです。 どこまでも、技術と表現の向上のみを追求していくような集団においては、私は写真の楽しみを見出せなかったでしょう。 また、固定されたカメラで指定された位置に立つ被写体を撮るだけのお仕事であれば、こんなにも悩んだりすることもなかったでしょう。同時に、写真の楽しみも見出せなかっただろうと思いますが。 カメラを持って、目の前の『あなた』という存在の美しさを、探す。 『はじめまして』という言葉を交わすところから始まって、会話をして、時間と熱と空間を共有する。 緊張していたり、恥ずかしがっていたり、機嫌が悪かったり怯えていたりする『あなた』たちを、できる限りニュートラルな状態にまでエスコートして、時に笑いや楽しみを共有して、『あなたらしさ』という曖昧な、でも価値のある大切なものを、『わたし』という人間のフィルターを通して、カメラを通して、表現する。それを模索する、ひたすら試みていく、過程。 その過程こそが『撮影』であって、そういう過程を踏みながら到達するのが、きっと『良い写真』なのだと、思います。 ひとつひとつの小さな、でも大切なものを、大切に拾い集めながら、『あなた』に接近していく、その過程。 そういう、ライフスタジオの撮影が、私は好きなのです。 眩しい西陽が差し込んできた瞬間に、ファインダーの中が整理されました。 彼女は、未だに緊張を伴い、ニュートラルな状態とは程遠かったかも知れません。しかし、西陽の中でふとカメラに向けられた視線には、彼女の意思が見えました。 少し窺うようにこちらを見たその瞳と、無理をして微笑む形を維持しなくなった口元に。 接近した、と思った根拠が何処にあるのか、とても感覚的で上手く言えないのがもどかしいのですが、でも確かにこの瞬間、近付いた、と思いました。 彼女を捜す、その過程を、何度も道を間違えながら行ったり来たりして、最後は西陽に導かれて辿り着いた、この写真は『良い写真』だと、思っています。 緊張しながら、怯みながら、それでも『わたし』を見てくれた。 そんな彼女に、ただただ感謝を伝えたい。 大切なことを教えてもらい、見失いがちなことを思い出させてくれました。 大切なものを、大切に。 今なら、迷いなく、写真が好きだと言えます。
伝える
2017/11/30
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今年自分が撮影した写真の中から、自分でとっておきの1枚を選ぶ事の難しさ… 他人が選ぶ写真と自身が選ぶ写真は違うという話をよく聞きます。私自身も実際、自分はこれが良いと感じた写真と選んでもらう写真が全く異なる事が多々あります。写真を選ぶ基準は様々あると思います。他者が選ぶ写真は技術や好み、表現力、その写真から感じられる共感力などいろいろあると思いますが、自分が選ぶ写真の基準は何かと考えた時に、私は何を基準としているのか分からなくなる時があります。 どの写真もその1枚1枚には思いであったり、その時持てる技術は詰め込んだ写真であるのに、その中からさらに1枚を選ぶ「決めて」は何であるのか?いつも悩みます。私は以前、報道写真展を見に行ったことがありますが、たった1枚の写真から「伝える」という力をとても強く感じました。何枚も切られるシャッターの中から選ばれた写真にはその画角に収まったモノと撮影者の魂が凝縮され、それが1枚から溢れていました。その写真展を見に行ってから、少し私の選ぶ基準というモノに変化が出たように感じます。 私が今年最も伝えたかったモノは「家族の愛」です。スタジオでは家族写真は必ずと言う程撮影しますが、家族写真は多くの方がカメラマンのお任せでと言う方が多いです。もちろん、カメラマンが構図やライティング、ポーズを指示するのは当たり前の事なのかと思いますが、私はスタジオで家族写真を撮影する理由は、家族の関係性を再確認するためだと考えています。その再確認の場でカメラマンが家族の想いを結ぶ手伝いをするのが役割だと思います。だから、全てお任せという一方通行撮影では家族の関係性は見えてこないし、感じる事も難しいと思います。 その家族の関係性や愛は、その家族の中でしか計り知れないものであり、あくまで他者であるカメラマンが推し量って良いものではないのだと私は考えています。この事は被写体との距離感とは全く違う話であって、家族写真を撮影するカメラマンの役割についての私個人の考え方です。このご家族は、こういう写真を撮影してほしいという明確なモノがありました。それは、この家族が思う家族の関係を写真という形で残し、今後に繋げていきたいという意思をを強く感じました。 私がこの家族の想いが詰まった1枚を残すためには、最大限同じく撮影に携わってくれているコーディネーターと共に、その家族がありままでいられる空間をつくりあげ、浸すたらたった1枚が生まれる瞬間に狙いを定める事です。たった一瞬、ママとパパの目線からこの家族の愛の輪が生み出されました。パパとママの目線の中心にいる子供に向けるまなざしが、このご家族の在り方全てを語っていると私は感じ、それ以外の余分なものは必要では無いと思いました。この画面いっぱいの画角を構成は、その為です。 この1年間と言わず、写真に携わるようになって、今日まで何度も光や影、構図など様々な事を学ぶことを繰り返してきました。この学習には終わりが無く、私がカメラを握っている間はずっと繰り返していくことなのだと思います。なぜ、学ぶのかそれはこのような写真を撮影するために学び続けるのだと思っています。たった1枚、そこには文章も何存在しない、けれど多くの人に、たった一つの家族に「伝わる」写真を残すために、学びつづけたいと思います。
二人は二人
2017/11/30
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撮影していると兄弟の性格の違いが見える。それは当たり前の事だしそれは個性なので改めて感じることはあまり無かった。 今月久々に双子ちゃんの撮影に入らせてもらった。 この兄弟の撮影の時にこの二人の性格や個性の違いは似たところと真逆なとこを目の当たりにして、双子のこういう点はとても面白くそして愛らしさも感じてしまい心をわしづかみにされた。 会った瞬間からこの二人の対応は真逆。 一人はじーっと観察で、もう一人はニコニコ。 第一印象で最初のアプローチ方法を定めていく。 しばらく時間をおいてもこの感じに変わりはなかったはずだった・・・。 あれ?? 何が違和感が…。 何だろう? そうなんです。 ニコニコ男子が急に慎重派の観察派に。 じーっと男子は何かが解決したかのように好奇心旺盛に。 だからか!! そっくりすぎる顔の二人を性格で区別していたのにまさかわずかな時間でここまで反対になるとは。 ママさんから 「逆です!」と言われてその違和感解決。 ママさんパパさん、すみません。 双子はシンクロするというイメージがあり、もちろんその瞬間も多くありました。 が、ちょっとの時間で二人の性格や個性の違いが変わったのはびっくりでした。 そんな二人を見ながらの撮影はまた面白く、②ショットの撮影はまた違った見え方もできたので可愛いショットも面白いショットも撮影出来ました。 よく泣く子もよく笑う子もいれば、ノーリアクションの子もいる。 それもその子の個性であっていいのです。 そんなの子らしさ、この子達らしさを今残せたらこの仕事冥利に尽きるなとつくづく感じた今日この頃でした。
『とくに意識せずに…』
2017/11/30
1
新横浜店写真分析 人に写真に自分自身に深く入っていきたい 私達が本当に映し出したいものは何か? 最近改めて考えるきっかけがありました。 それは、Yukiちゃんのコーディネーター教育を務めさせて頂いてる中でのことでした。 ライフスタジオのコーディネーターに必要なことは大きく分けて二つあります。 技術とマインド。この二つです。 なぜ、この二つが必要なのかというと家族みんなの心の扉を開いてあげるためです。 お客様がスタジオに入り靴を脱いでスリッパに履き替えた瞬間から まず最初に解決されなければいけない部分が心の扉を開放するという事です。 そして、撮影が始まってから家族みんなが自ら自由に動けるようにしてあげることです。 キレイな四角をつくることは誰でもできることですが ライフスタジオのスタッフがするべきことは 人の心と体を自然に動けるようにしてあげることです。 もし写真館でこなすように撮影を進めているのなら良い写真など決して残すことはできないと考えます。 専門のモデルを撮影すると彼女たちのポーズはすべて自分たちで積極的に自然に出てくるものですが 一般のご家庭の皆さんをモデルのように撮影するには基本的に心と体の扉を開いてあげて 積極的に撮影に参加できるようにしてあげることが必要です。 だから、ライフスタジオのスタッフは人生の勉強を優先することになったのです。 カメラ技術にあたる露出、照明、インテリアなど・・・よりも もっと重要な勉強が心理学、リーダーシップ、人間関係、哲学、文学、時事などが 撮影や人間関係作りに必要だと考えます。 よってライフスタジオでは、学習を通じて人間的成長をしていくことが日常化できるように努力をしています。 また、ライフスタジオは関係設定に対して執拗さを持っています。 スタッフ同士がお互いに心を開いて接することができなければ お客様とどのようにしてフレンドリーに接することができるのでしょうか? だから、いつも私自身大切にしていることがあります。 人に写真に自分自身に深く入っていくことです。 この部分が本当に難しいので今でもまだまだ学びが必要だと感じています。 だからこうして、自分の考えを整理して文章を書き続けているのかもしれません。 7歳以下の子供や赤ちゃんの撮影の場合、2人一組の息が合っていることが重要です。 現在日本の写真館でアシスタントの役割は着物の線に問題ないかどうかのチェックや カメラマンの身の回りのことをこなす程度の場合がほとんどですがそれでは いい写真が撮れるはずがないと思います。 心と体の扉を開かせるということは、スタッフ間の心が通じていることが必須です。 韓国のベビースタジオではスタッフのデニムが3ヶ月で破けてしまうという話を社長から聞いたことがあります。 1日中子供の心を開くために床をはいつくばっているからです。 緊張で固まってしまっている子供に春の雪解けのように心と体を自由にほぐすことのできる 2人1組のすばらしいコンビが良い写真のための魔法だといえます。 なのでYukiちゃんと撮影に入るときは、特に意識的に私達たちの向き合っている家族一人一人が どんな人か細かく観察をしてその都度共有してどのように向き合うのかを話しています。 その積み重ねが、人を知ることに繋がりますしお互いのコンビネーションも高まっていくと考えるからです。 今回の写真の核心は先ほど話した観察が細部まで行き届いている所です。 具体的には、被写体の左足の指先の一瞬の仕草から読み取ることが出来ます。 この仕草は彼女が無意識にしていることでした。 しかも、この仕草は撮影前にしていたのを確認していて、あぁぁ~いいなぁと思いながら また、撮影中にもあの仕草してくれないかなと心の中で思っていました。 だから撮影が始まるよ!!という空気をあえて作らないよう自分の存在感をなるべく消すように 心がけ静かにシャッターを切り始めました。 そして、この一枚の写真が生まれました。 この写真を残せたとき、彼女の心と体を自由に開放させてあげることが 少しは出来たのではないかと確認することが出来ました。 なぜならば、無意識から生まれる人の美しさに勝るものはありません。 誰かを意識した美しさはどこか人工的な匂いがします。 被写体が自分自身に向き合い自分の美しさと対面する空間こそ私たちが提供したい空間です。 冒頭に話したように、私たちが本当に映しだしたい『自然な写真』は 今まで話したような過程があってこその結果だと思います。 Yukiちゃん、少し長くなりましたが人に写真に自分自身にこれからも深く入っていきましょう^^ ~技術解説~ ・小物の設定の意味 写真のイメージが、片付けがあまりされていな自分の部屋のような雰囲気を演出したく 洋服、靴、楽器など無造作にかつ計算的に配置しました。 一枚の資格を見たときに、被写体の重さと一番手前位にあるびわのようなカタチをした楽器を リンクさせ、写真の左下と右下両方に重さを持ってくることで大胆なトリミングに違和感を感じさせないよう バランスをもたせることができました。 ・コーディネートの意味 透明感のある写真を個人的には好みです。 最近は、被写体の肌の色に馴染みやすいベージュを使ったコーディーネートが一押しで 今回のお子様にはオーバーサイズのタンクトップをさらっと着てもらい ゆるい感じのルームウェアー的なコンセプトで提案をしました。 ・イメージカットの意味 イメージカットの場合、伝えたいたいものが何かをメインに考えます。 ですので、背景をぼかしたり余計な物を写さないようにします。 よって写す前に、整える事が大事になります。 今回の場合背景や小物をぼかすことで被写体の仕草がより引き立って見えるようになりました。 ・トリミングの意味 75CUTにはストーリーが大切だといつも心がけています。 その中でこのようなイメージカットが原本に1枚2枚入ることによって 全体的な質が高まる効果を齎すことができます。 今回の写真は被写体の表情を四角の中に取り込まず 肩の部分で思いっきりトリミングをしました。 なぜならば、被写体の無意識な仕草をより美しく表現したかったからです。 ・光の意味 新横浜店の光源は限られた窓から入る自然光によって写真の表現が左右されます。 大体午前中はホリゾントの手前の窓から光が入ります。 また、床が白いので反射板の役割を果たし椅子に座った被写体にも全身光が綺麗に当ります。 しかし、午後は逆にここからの光は入らずに化粧台の前から光が入ります。 ですのでこの写真はあの時間帯だったから撮れる写真です。 ここに椅子を置いた意図、この向きで被写体を座らせた意図、 カメラマンがどこから撮るか位置を考えた意図 全てこの光を美しく表現するために考えました。 技術解説を読んでいただくと分かるように題名とは矛盾した計算的な写真分析になります。 題名では、『とくに意識せずに…』ですが 文章では、『かなり分析して意識的に…』が似合います。 それだからいいのだと思います。 被写体にカメラマンの指示が命令的に伝わったら自然な写真は撮れません。 だから、私達は相手に話しかけるようにシャッターボタンに触れなければいけません。
好きだ。
2017/10/31
1
Photo by Yatsu Coordi by Kai ライフスタジオから教わりました。 型にはまらず、ありのままをどのように私たちが受け入れていくかということ。 悩み、考え、行動すること。 間違えても恐れずに進んでいくこと。 時々は振り返ること。 挫けそうでも真っ直ぐ前を向いていくこと。 隣の人の顔をちゃんと覚えること。 その人の心の中を見ようとすること。 疲れているときは一緒に食事をして、酒を呑むこと。 人の可能性を諦めないこと。 固定概念にとらわれないこと。 世界を真っ直ぐに見ること。 世界と自分を繋ぐこと。 この世の中のことは自分事であること。 人と人の間にある、関係という見えない何かが、人を美しくさせているということなのかもしれません。 だから、人は美しいのです。 美しいものを、様々な構成要素を整理整頓することで、表現に変えます。 見えにくいその関係性を、私たちが浮かび上がらせることで、 被写体の関係性を視覚的に確認することができるのです。 私の正面にいるあなた。 私の隣にいるあなた。 私の後ろにいるあなた。 お客様も、スタッフも、インテリアも、寫眞も、すべてのものが関連しているその関係という何かを、 ライフスタジオは全力で表現する努力を続けている場所だと思っています。 それを記録する側と、記録される側が同じものを見ようとしたとき、 カメラマンは、様々な柵から開放されるんだと思います。 寫眞は、よく晴れた日の草加店です。 前ボケを入れなくてもいいほどに、眩しい日差しでした。 両側はカーテンで飛ばし、左にはソファーを置き、子どもたちが登るインテリアの線と線対称になるように空間を作りました。 地面にひし形の線が描かれます。 そうすることで、自然と奥にある空間が作られ、前ボケを入れなくても奥行きを感じられるようにしました。 生い茂る緑と、子どもたちのアースカラーの衣装と、 ひとりは靴を履いて、もうひとりは裸足であることも、 この2人の自由な姿を映し出しています。 自由という状態は、自然でもあり不自然でもあります。 大切なのは、それをどう受け入れるかという私たちの哲学にあります。 私の寫眞は、自由だ。 その答えをくれたのは、ライフスタジオでした。 いままでありがとうございました。
眠れる森の美女
2017/10/31
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眠れる森の美女 お姫様になる夢。 撮影するときに時によく聞く言葉「大きくなったら何になりたい?」それに答える女の子たちは「お姫様」って答えてくれます。ドレスを着たときの女の子たちの表情を忘れられません。 みんながあこがれているお姫様。そして撮影でそれをもっとかわいく、本当のお姫様みたい写真を撮ってあげたいと思っています。 撮影で被写体を綺麗にかわいくかっこよく写したいと誰もがその考えを持って撮影に入ると思います。 一緒に撮影に入るコーディもずっとそれを考えながら小物を変えてくれたり撮影の合い間も子供が興味持っているものなど把握し伝えてくれたりします。それをまた撮影に活かすことも出来ます。 この子が一番かわいく移る角度、この子だけの魅力、この子の性格など、1時間ぐらいの撮影で私たちは子供といろんな話をしながらそしてファインダ越しの子供を観察しながらずっと考え探し続けます。 このポーズの方がこの子に似合うか、この動きがいいか、ポーズの指示もしてないときのこの子の動きが綺麗過ぎてその動きをもう一回お願いしたり、ポーズを真似してもらうけどそれをやってくれる姿が綺麗でそれを切り取る場合もあります。 ずっと集中しているからこそ見える姿は普段親が見ている顔もあったり、普段は見せない顔を見せてくれたりする場合もあるみたいです。 普段はどういう顔をしているのか私たちには分からないので撮影が終わり、モニターのときのママさんパパさんの言葉で普段もやっている顔だと分かるようになったり、逆に普段はあまり見せない顔だと分かるようになります。 ライフスタジオのライバルはディズニーランドだということを聞いたことありますか? スタジオに来てくれるみんなを楽しませ、子供が何年後に見てもそのときの思い出や写真を見てかわいいと思えるように日々撮影に入りたいと思っています。 今回撮影に来てくれたのはしっかりしている6歳お姉ちゃんとかわいい2歳のかわいい姉妹でした。 2歳の下の子にあわせて姉妹の撮影も終わり。下の子の撮影のときずっと待ってくれていたお姉ちゃん。 兄弟の撮影に入るといつも上の子に感謝の気持ちばっかりになります。 待ってくれたり、下の子にあわせてくれたり、一緒に遊んだり下の子を呼んだりしてくれるのもお姉ちゃんお兄ちゃんたちです。 もちろんアシスタントも二人がよく遊ぶように小物を持ってきたり誘導したりもするけどでもやっぱり大きい役割をしてるのはお姉ちゃんお兄ちゃんたちです。 ほとんどの撮影で上の子は3シーン目でソロ撮影をすることが多いです。そのときは本当に待ってくれてありがとう、色々やってくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。 自分の中でももっとかわいくかっこよく撮ってあげたいという気持ちが高まるところです。 今回の撮影で下の子を思うお姉ちゃんの姿がすごくかわいくてドレスを着た彼女を見た瞬間浮かんだイメージは「お姫様」でした。女の子誰もが一回は夢見るお姫様。 真っ白の絨毯に周りに小さい花を散らかして自然光がいっぱい入るところにうつ伏せになってもらいました。 ちょうどコーディで小物を変えたのが花冠でイメージにぴったりの小物でした。 そして目を閉じてもらいこの1枚を残しました。 Jiyugaoka Photo by serin, coordi by gahee
『 Yui 』
2017/10/31
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新横浜店写真分析 人に写真に自分自身に深く入っていきたい 新横浜店がリニューアルをしてからちょうど3ヵ月が経ちました。 新しいコンセプト、新しいコーディネート、新しい出会い、そして、新しい写真の誕生。 この過程は全てライフスタジオが追及する価値そのものだと考えます。 この世の中には綺麗で興味を惹かれるものが数多く存在しています。 インターネットの普及もあり現代は世界中のあらゆる文化や流行の最先端を クリック一つで見ることができる時代になりました。 しかし、それらが全て美しく見えるわけではありません。 私達が考える美しさとは・・・ 適切な空間に様々なものがお互いに調和をもって整理されるとき表現されるものだと考えます。 つまり、『人とインテリアの調和』です。これは新横浜店の写真主題でもあります。 新横浜店のインテリア計画書を振り返ってみると、このような内容が書かれていました。 ライフスタジオの写真は、自然ですねとお客様から沢山の声を頂いています。 では、お客様はなぜライフスタジオの写真を見て自然な写真と言っているのだろうか? 私達なりの解釈としては、いつもの姿を写してくれているという側面もありますが、 もう一方で日常生活にも馴染みがある雑誌やTV、広告ページのどこかで見たことのあるような 憧れのイメージや雰囲気がライフスタジオに存在しているからではないでしょうか。 つまり、自分が求めていたものや憧れていたものが現実になり、 それが75CUTの中でストーリーとして創り上げられているのを確認したその瞬間に 「私が探していたものはこれだったんだ」という「理想と現実の一致」から お客様は自然という言葉を選択して口にしているのではないでしょうか。 今回の1枚の写真は、新横浜の新しいインテリアの中にある『シャワールーム』での一コマ。 YuiちゃんにはYuiちゃんだけの魅力があります。それは、まさに私の憧れのイメージそのものでした。 このような少女には半年に一度会えるか会えないかの確立です。 しかもコーディネーターは私への理解が深いおいちゃん。今日は何か生まれる。 長年の勘ですがそのような感覚を抱きました。 Yuiちゃんの魅力は『素直さ』でした。 その素直さとは自分の心に正直で飾らない姿をそのまま行動や仕草で差し出してくれるところから汲み取りました。 彼女は撮影前から一人で自由に遊びまわり、まるで自分の部屋で寛いでいる自由さがあり、 見ている私たちに心地よさまで与えてくれるようでした。 そんな被写体に出会えると、シャッターを切る感覚がいつも以上に研ぎ澄まされます。 もちろん、Yuiちゃんに向ける眼差しもそうです。 このときは『観察』という主題で撮影をしていたわけではありませんが今回の写真分析を機に振り返ってみると こういうことが観察だったのだと気が付く点がありました。 ここでいう観察の意味は二つあります。 一つ目は見慣れたように見ない。二つ目は鋭く見るです。 私たちはいつも一日3組のご家族と出会い、2時間という限られた時間の中で 美しさを表現して、思い出を写真で記録して、楽しい空間を共に創り上げていきます。 その中で、最初に私たちスタッフが行う行為が『観察』です。 これは、一緒に撮影を組むカメラマンとコーディネーターがそれぞれの観点から行います。 では、これは何のために行うのでしょうか?上記で話した自然な写真を生み出すためです。 その自然な写真をライフスタジオはこのように規定しています。 それは、『美しさを表現して、思い出を写真で記録して、楽しい空間を共に創り上げていきます』という内容です。 つまり、この定義に基づいて私たちは行動していきます。 少し前の写真分析でも話しましたが、観察というと少し言葉が固いので、私なりの言葉に変換してみるとこうなります。 『あなたのことを知りたい』です。 相手のことを知れば知るほど、自然と相手との距離も近くなると思います。なぜならば、相手の情報量が増えるからです。 その量が多ければ多いほど、相手を写真で表現しやすいからです。 今回、Yuiちゃんと私たちは沢山の会話を交わしたわけではありません。 しかし、ポイントポイントで彼女の意思を確認するためにいくつかのボールを投げました。 1つ目、両親とじゃれ合ってもらうこと 2つ目、自分でお着替えをしてもらうこと 3つ目、おもちゃで遊んでもらうこと 4つ目、シャボン玉を見てもらうこと 1つ目の両親とのじゃれ合いはベットの上で両親と顔をくっつけたり、抱きしめ合ったりしながら いつものように少し嫌がりながらも嬉しそうにハニカンでいました。 両親もいつものように、逃げないでよーと笑顔で言いながら愛する娘さんを温かく抱き寄せていました。 これは、家族愛を確認するための1つの方法でした。 2つ目、自分でお着替えをしてもらうことは、彼女のできることと自我を確認するために投げた方法です。 2歳になると早い子ではおしゃべりがスラスラでき自分のやりたいことが明確になったり 逆に自分のできないことに対して苛立った感情を素直に表現する子もいます。 そんな中、Yuiちゃんは不器用ながら自分でシャツやズボンを脱いで お母さんが準備してくれたワンピースに不器用ながらも着替えていました。 そんな姿を見て自分のできることを理解しちゃんと一人でできる子なんだということが分かります。 3つ目、おもちゃで遊んでもらうことは、彼女の独創性を確認するために投げた方法です。 おもちゃの遊び方にルールはありません。本人の自由意志がそのまま楽しさに変換され、 それが自分流の遊びとなります。このとき、Yuiちゃんは鳥のおもちゃを手にし to photogenic 98でUPした写真のように、おもむろに格子に鳥を添わせ飛んでいるように表現しました。 https://www.lifestudio.jp/?run_id=staf_blog&bs=staff_blog&po_u_seq=16&page_no=2&po_seq=149169 この姿を見て彼女の発想と表現力に心を奪われました。 Yuiちゃんには自由な表現力と可能性が沢山あることを確認しました。 最後の4つ目、シャボン玉を見てもらうことはどんな反応をしてくれるのかを確認するために投げた方法です。 シャボン玉を見た瞬間彼女が左手を強く握りしめながら立ち止まりました。 そして、彼女が一瞬緊張しました。この一瞬を私は確実に捉えていました。 と同時に彼女のリアクションの理由を瞬時に思考しました。きっと『不安』の表れだと思いました。 また、その不安は『知らない』ことからくる反応ではなかったかと思います。 たぶん、Yuiちゃんはシャボン玉の存在は知っていたと思います。 しかし、シャボン玉は外でやるもの。というYuiちゃんの固定概念が突然覆され室内でいきなり おいちゃんという見慣れない人から突然足元にシャボン玉を貰ったことからビックリしたのではないかと思います。 私には、その光景がとっても新鮮で美しく見えました。 このように観察とは、『投げ受け』から始まる行為であり、 その受けた情報から被写体の心情を汲み取り被写体の美しさを掬い上げることだと思います。 また、今回の1枚をコーディネート観点からも話していきたいとも思います。 ライフスタジオのコーディネートも様々な歴史があります。 11年前のライフスタジオは原色基調としたインテリアと洋服の提案をしていたのでPOPな色味の写真が多く 元気でハツラツとしたイメージをみた人に与えていたと思います。 そして、日進店初めてホワイトルームが出来た時期から、全身真っ白い洋服を提案し 小物の色味だけで遊び心を加えるホワイトコーディネートが流行りました。 そこからまた数年後、10歳のハーフ成人式の撮影がチラホラと始まったころから 大人の洋服をミニチュアサイズにしたような大人っぽいシンプルでモノトーンな洋服の提案が流行りました。 そして、草加店のリニューアルしたインテリア機に少しづつアースカラーがコーディネートにも取り入れられました。 アースカラーとは大地や木の幹の色、そして、空や海の水の色、新緑から紅葉へと季節により変化する 木の葉の色など自然の降りなす美し色を言います。 そして新横浜の新たな提案として、『着せないコーディネート』をお薦めしています。 これは、被写体の素材を最大限生かすための手法です。 時にこのコーディネートが似合う年齢が1歳後半から2歳後半までの 赤ちゃんらしさが抜ける変化の途中にある被写体がお薦めです。 理由としては、赤ちゃん時期卒業前の最後となる手足のムチムチ感という『感触』 それが永遠ではないことが…あの時(小さい頃)の美しさとして両親の記憶に残るのだと思います。 また、彼シャツ(彼氏のシャツを彼女が借りるの略です)の原理と同様、 子供がパパの大きいTシャツを着ていたずらをするという情景を思い浮かべ、多くの人がほほ笑むというように、 『自分しか知らない愛おしさ』という感覚を得やすい特徴のあるコーディネートです。 特に、新横浜店にあるシャワールムではこのコーディネートがインテリアとも相性がいいです。 スリッパやタオルや観葉植物やコップなど生活感と連結しやすい小物たちもより インテリアと被写体の調和を演出してくれます。 今までの話を整理すると、今回の写真のポイントは『被写体の観察+写欲イメージ=自然な写真』 とまとめることが出来ます。被写体の観察も写欲という 私たちがどんな価値を写真で表現したいのかということもどちらも終わりはありません。 きっと永遠に行うことだと思います。 しかし、その都度一番いいなと自分で感じた直感を信じ、何がいいかを丁寧に規定し また上書き保存をしていく繰り返しなのです。 つまり写真分析が写真を変化発展させる一つの方法だと思います。 この写真分析も10年続け、100個達成することが出来ました。素直に嬉しいです。 小さな夢である写真展をいつか開いてみたいと思います^^ 皆さん、もしよかったらその時は観に来てくださいね。
服が人を造る
2017/10/31
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韓国のことわざの中で「服が人を造る」ということわざがあります。 学校やお仕事の制服を着ると所属感や責任感を感じる様に、人は自分が着た服に合わせて行動する傾向がある。という意味の言葉です。 最近撮影をしながら、このことわざ通りになる事が多いなと私は感じています。 スーツを着ると紳士の様に、 ドレスを着るとお姫様の様に、行動してくれるお子が多い気がします。 普段は見たことのない光景で笑ってしまうママさんパパさんも多くて、 どこで覚えてきたのかそれなりのポーズをしてくれたりして、子供の目線からみた「お姫様」、「紳士」の解釈に毎回驚くばかりで感心しています。 この日出会ったのは、元気いっぱいの女の子。 お兄ちゃんと一緒に撮影をすると二人ともふざけ合うおてんば娘でした。 でも、ドレスを着ると目が変わり仕草も少し変わってきた気がしました。 全然違う彼女の世界観に引き込まれる様に撮影をすると まれに出てくる純粋な彼女の笑顔がたまらなくなってきました。 そういう姿に笑いを隠せないパパさんママさん。 その妙な空気は私をどんどん撮影に集中させてくれます。 昔から作られて口から口へと伝わってくることわざが今の時代にもちゃんとはまるところを実感し興味を持つ様になりました。 「服が人を造る」 日本にはないことわざですが、皆様も共感しませんか?
観察
2017/10/31
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彼女との出会いは、私に変化と自信をもたらしました。 そして3年後の再会。私にまた新たな変化と視点をもたらしてくれました。 ありがとう。出会いに、感謝です。 彼女との再会については、以前ブログに書かせて頂きました。 https://www.lifestudio.jp/?run_id=staf_blog&bs=staff_blog&po_u_seq=731&po_seq=150733 大切な再会の日であるからこそ、その時間のすべてを写真に詰め込めるように、 私は写真の主題のキーワードである“観察”を頭に置きました。 久しぶりに再会した彼女をまず観察。 恥ずかしがりやで、照れた表情で常に私たちと向かい合い、ほっとした表情をして笑うとき、いつも目線の先には同じように笑顔で笑っているママさんがいました。 はじめて会ったときも、きゅっと結んだ口元、緊張に揺れる大きな瞳が印象的だったことを今でも覚えています。 まじめでしっかりした性格の彼女、お願いすればどんな要求にもこたえてくれるのですが、彼女の肩の力が抜ける瞬間を探しました。 ママさんと話していて、彼女の情報を聞き出していると、言われたくなかったことを言われてジェスチャーで、言わないで!!とママに向ける視線だったり。 ふとママのほうを見て、笑いあう二人の姿だったり。 おどけて彼女を楽しませようとあの手この手を繰り出すなっちゃんのふざけ具合に思わずくしゃっと笑ってしまったり。 くるくる変わる彼女の心情を観察しました。 まっすぐカメラだけを意識する瞳と緊張。 ママがいる安心感からふと力が抜ける瞬間。 どちらも同じ彼女なのですが、違う表情と心持。 どちらの表情からも、昔は見えなかった彼女の成長を感じました。 次に光と空間を観察。 運動会が雨で延期になったからこそ彼女と再会できたわけですが。 撮影時、運命的に天候回復。強い西日が差し込みました。 強く入る西日が彼女のどちらの表情を捉えるのにも最適だと感じました。 スタジオに強く入る西日は、私が過去このスタジオで見てきてよく知る西日です。 それをどの瞬間にどのように使うかを考えます。 ママさんを見てふと力が抜けるような彼女の笑顔。 それはオレンジ色の西日を逆光であたたかく表現することが合うと考えました。 きらきらと光る、西日のオレンジ。 望遠を使って背景を光のきらきらとボケ味で室内である事を強く感じさせないようにして、手前にもきらきらと反射するスパンコール素材のリボンを前ボケに使い、全体的に彼女の周りをきらきらとさせました。 逆光により彼女の横顔とはにかんだ表情、くるくると巻いた大人っぽい髪型を際立たせています。 狙うのは一瞬。彼女に後ろを向いてもらい、振り返りママを見てもらい、目が合った瞬間を狙いました。 私たちに向ける、照れた表情ではなく。 ママと目が合うことで素に戻る瞬間、力が抜ける瞬間を撮りたいと思いました。 きらきらしている彼女の横顔、安心、そして成長を感じる一枚を。 大きくなったなあ、と感じる瞬間は、その子の言動、風貌の変化ももちろんですが、 横顔を見たときに感じることがあります。 あごのラインや顔立ち、表情が、どんどん大人に近づいていくのです。 目線をあえてこちらにもらわないことで、親御さん目線で、いつも見ているであろう、だけど見ていない、意識していない一面を、捉えることが出来ると感じています。 私が見た彼女は、彼女自身の10のうち、もしかしたら2、3しか見えていないかもしれません。 それでも得た情報の2か3を最大限表現しなくてはいけないと思っています。 それが出来て初めて写真というものが何かを表すことが出来るのだと、感じています。 オレンジ色の秋の西日は、暖かくも、鋭くも使えます。 別の写真で、彼女の緊張したまっすぐな瞳は、逆に直射日光を順光として使い、その“瞳”を強調して撮りました。 光の捉え方一つで表現の仕方も変わり、撮影者が何を移したいのかでその選択も変わります。 彼女自身の変化を残せるように。 表現したいものを、適切な表現力で残せるように。 見えないものを全部見ることは出来なくとも、見えた部分を最大限残せるように。 これからも胸を張って“会えて嬉しい”と言える様に。 いって貰えるように。 これからも自分の力を伸ばして行きたい。 そんな風に彼女に再会できたことで改めて深く、思いました。 photo by Kaori Kobayashi coordi by Natsuko Takagawa in YokohamaAoba
変化の瞬間
2017/10/30
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相手の表情の変化が見えた瞬間、 それが、私が写真を撮っていて一番ハッとなる瞬間です。 その瞬間はいつ訪れるかはわかりません。 逃さないように常にアンテナを張って、被写体を観察します。 頭の中で、スイッチが入る音が聞こえたとき、 それはやってくるのです。 さっきまで無邪気に笑っていたのに、 急に真剣な眼になったり、、、 そんな時に力が試されます。 特別な1枚を撮るように大事にシャッターをきります。 それまでの時間を全部詰め込むように... . 私たち写真家はたくさんの技法を使って写真を作り上げます。 その中の一つとしてクローズアップがあります。 寄り切ることが大事ですが、 見えない部分では、いかに被写体と心の距離を縮められるかが重要で、 その距離が被写体が出す表情に繋がると思っています。 そして、撮るタイミングも重要です。 『今だ』 と、狙いを定めてシャッターをきる、、、 技を決め込むこの瞬間はいつも緊張します。 . この写真が生まれた瞬間、 私の中に安堵が湧き、同時に彼女との見えない距離で繋がっていることを実感しました。 私にとって触れられそうで触れられない距離が心地良いのです。 嘘偽りない真っ直ぐな眼が等身大の彼女を映し出しています。 何年か経った後にこの写真をみて、彼女自身が少しでもこの撮影を思い出してくれたらいいなと思います。
For unseen you
2017/10/30
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write & Photo by volvo 大丈夫 あなたは生まれるべくして生まれて 所沢店にいるべくして存在している そして今日 着物を着て 写真を撮られるべくして この場所に存在している それは変わらない真理・・・ 私たちから見ても、あなた自身から見ても 誰にだって人には必要とされたいという欲望があります。 親にもらえる無償の愛は私を私としてここに存在させる意味をもたせてくれるものであるし 職場で相談を受ける回数が多いと頼りにされている事を実感します。 少し視野を広げて社会に目を向けてみても同じです。 私という存在が今この仕事をしていて、いまのような私生活を送っている意味は 社会全体から見ればとってもちっぽけに見えて実はとてつもなく大きいもの。 私が一人の親として存在している事は保育園に通い扶養を抱えている事になるし カメラマンとしてライフスタジオで活動する事は 年間700件ほどのご家族を笑顔にする使命を持っていることになります。 またそれとは逆に、時には自分が必要とされているかわからなくなり自信を持てない時もあります。 親に見捨てられれば自分はなぜ生まれてきたのかと自暴自棄になるかもしれないし 仕事の経歴ばかりが重なっていきながら誰にも相談されない立場となっていけば自分の存在に疑問を持つかもしれません。 育ってきた環境や過ごしてきた時間によってその感覚は様々でも 大なり小なり自分の存在意義について他者からどう認識されているか感じることが人間であり そもそもそれ自体が社会という大海原の中で自分が存在する理由のひとつのようにも思います。 所沢店写真プロジェクトPOPの次回の話をしながら、京都で着物を着て撮ろうという話が出て より一層皆で盛り上がっていた時、その盛り上がりの中で密かに不安な気持ちを忍ばせていた人がいました。 モデルとなった工藤さんです。 彼女の悩みはこれでした。 私が被写体でいいのだろうか? この一言には相当な重みがありましたし、実際そう思うのも無理はないようでした。 彼女は自分に自信が無いというのは「写真と人」でも書きましたが 彼女と共に働き始めてから長いこと経ちますので ある程度彼女の性格や仕事に対する考え方などは知っているつもりです。 私の経験から見て判断する工藤さんのその時の心情の中には二つの理由が混在していたように思います。 ひとつは単純に自分がプロジェクトの被写体として務まるのかという不安。 そしてもう一つは、自分がみんなの中にどのように「存在しているのか」を知ってしまう不安。 そんな風に見えました。 まず、着物で撮るということに彼女は抵抗がありました。 自分がプロジェクトの被写体として務まるのかという不安は、工藤さん自身がもっているある経験が そう思わせ着物に対する抵抗感を強めていると自ら口を開いて説明してくれました。 工藤さん自身が着物を着た経験は二回、七五三と成人式。 大抵の日本人女性と同じように人生で2度の経験があったようですが、その2回ともが 工藤さんにとって振り返りたくないものだったそうです。 特に成人式の写真は幼少期とは違うこともあり見返したくも無いと言っていました。 人は誰にでも思い返したくも無いいわゆる「自分的黒歴史」は持っているものですが まさかそれが自分の好きな仕事によってめぐり合わせて返ってくるとは思いもしなかったのかもしれません。 その時の事を思い出すと、着物を着たくないという気持ちが大きくなるのも当たり前です。 なぜなら「着物を着た自分」のイメージがその時から10年以上も更新されず変わらないで自分の中に存在しているからです。 一方で、自分がみんなの中にどのように「存在しているのか」を知ってしまうということについては 事の本質を映し出している根本的な要素だと思います。 今回のPOPのテーマは「存在」 存在とはその人の本来持つ「私は誰か」といった本質を探るものでもあるし、その探る過程でその人を主観によって規定することでもあります。 つまりはそれは誰が彼女を見るかによって捉え方は変わってくるものです。 工藤さんという何千万の構成要素でできている人のどの部分を確認しているかによって、工藤さんの見え方は変わっていきます。 私が1から1千万の要素を確認して規定した工藤さんと、たくみが三百万から千五百万の要素で工藤さんをみたのとではそれぞれの考える工藤さんは違います。 しかし工藤さんは工藤さんで変わる事はありません。 皆がどのように彼女を見ようとも彼女が彼女であることは変わりません。 私が「実は男なんじゃないか?」と思ったところで彼女が男であるはずもありません。 そこで互いの認識が違います。 人というのは主観で判断するしかないので どんなに正しいと思っていても相手とは違う考えになってしまいます。 自分自身が被写体となり、書かれる側になることによって見えてしまう周りの人たちの主観。 周りの人たちの中にいる「工藤さつき」という存在のあり方。 それと自分自身が思う「工藤さつき」という存在とのギャップ。 それによって見える仲間との本質的な関係性。 みんなは私をどう見ているのか?という部分。 工藤さんは常々言います。 「一番いやなのは嫌われる事でも憎まれる事でも無い、関心が無い事だ」と。 自信を持てない彼女の言葉の端々からは 皆の中の自分の存在が、もしかしたら自分が思っているよりもずっとちっぽけで 被写体を担う事によってどれがあらわになってしまうのではないかという 不安を感じている事を受け取れました。 写真とは存在証明の道具です。 もしかしたら工藤さんは 人に写真を撮ってもらうというのは 存在を証明する行為であるという事を知っているからこそ 写真を撮って存在をはっきりさせる事で 逆に自分の存在を否定する証明になってしまうのではないかと 思ったのかもしれません。 「存在」というのは、更新されるものです。 私がおもう工藤さんも日々変わっていきますし、工藤さん自身も日々変わっていきます。 しかし変わってこなかったものがありました。 「着物を着た自分」と「所沢店の自分の必要性」 という自分の中にいる自分という存在 今回の撮影のポイントはここだと私は思いました。 〜今日のあなたは、昨日のあなたではない〜 実際には変わってこなかったのではなく、変わっていないように見えていただけ・・・ それを証明してあげたい。 私はこの撮影をするにあたり、それをテーマにする事に決めました。 そのイメージを工藤さんに伝えるために、撮影前、彼女にこう伝えました。 今からあなたは着物モデルだ。 着物を着て歩きながら街を紹介するイメージ。 そう、今から雑誌の撮影をするんだ。 どんな雑誌か?着物でブラブラしているような・・・ そうだ!OZだ!OZトリップだ! OZがどんな雑誌なのかイメージしか頭にないのでこの声かけが効果的であったかは微妙だったけれど、 工藤さんには「順番が回ってきたから被写体になっている」のではなく 「着物で京都で撮るならあなたが適任なんです」という事に気付いて欲しかったのでそう表現しました。 雑誌のように撮るというのは今までもたくさんやってきたことですし 誰でも目指そうとすることだと思います。 でも今回はただ「美しく撮る」というだけではなくて 「あなたは美しい存在なんだ」 ということに気づいて欲しい願いがありました。 だから写真のすべての構成要素を「工藤さんの中の工藤さつき」が変わるようにセッティングする必要がありました。 着物は、今の工藤さんにとってベストな選択ができるようにお店を選び、ようちゃんが細かくコーディネートしてくれました。 そして実は、もう一つの「存在」が更新されるテーマがありました。 それは私の中にある「京都」という存在です。 私は私がカメラを始めるきっかけをくれた場所であることから京都に強い思いを持っています。 しかし私の中にある「京都」はあくまでも「風景写真の京都」でした。 京都そのものにはいろんな要素があって、もちろん風景も魅力的で風景写真を撮りにきたり 楽しみに来る観光客が多いですし、むしろそれがほとんどだとも思います。 私はこの仕事を始めてからも何度か京都に足を運んでいますが、しっかりとポートレートを 撮った事はありませんでした。 ライフスタジオで人を撮るようになり、次第にポートレートに対する考えが強くなっていきながら 京都という場所を見つめ、いつかここで人を撮りたいという欲望が強くなっていく事を感じていました。 自信はありました。 街で撮ろうがカフェで撮ろうが、またはお寺で撮ろうとも、絵にならない場所は無いと言ってもいいくらいの 京都という街は、ライフスタジオのインテリアが写真を撮るようにうまくできているのと同様に いわば街全体がコンセプトのはっきりした大きなインテリアのような存在感を発揮しているからです。 それと同時に当然不安もありました。京都といえば日本有数の観光名所。人も多ければ規制も多い。 なにより自分の腕がこの街に通用するのかという疑問はぬぐえずにいました。 ところが、初めて京都にカメラを持って行ってから約10年。 「風景写真の京都」から「ポートレートの京都」へ変化していく事を感じ、実際に 工藤さんを撮りながらその自信と不安は撮れるという確信に変わっていくのを感じる事ができました。 蓄積された私の中にある「京都」が次から次へと工藤さんを撮影することに対する代案を提示してくれる 感覚を覚えながら、久しぶりに写真のイメージと被写体、そしてインテリア(京都)が一致していく事を実感します。 それは私の中で京都という「存在」が変わっていくようでした。 しかし、実際には京都という場所は、撮影という面から見れば最初から風景写真もポートレートの面も両方持ち合わせています。 ただ私の中にポートレートの要素がなかっただけで、実際にはあったのです。 という事は、私の中の「京都」と「京都そのもの」は少し近づく事ができたのだと思います。 工藤さんとも同じです。 私の中にいる工藤さん強い側面と弱い側面を持ち合わせた人。 工藤さん自身がみていた「着物を着た自分と所沢店の自分の必要性」。 このどちらも間違いではなく、工藤さんを構成している要素のひとつではあると思いますが 情報の少ない主観でもあることから正しくはない部分もあります。 しかしこうして写真を撮り、工藤さんについてふかく考えることで お互いの中に存在している「工藤さつき」が更新されていくことを感じました。 写真というのは不思議な道具です。 たった一回の撮影、たった一枚の写真で撮る側も撮られる側も それまで見ていたのとはまるで違う世界が見える。 気にしなければそんな事には気付きもしないし 心を込めないで撮影が行われればそんな変化も無いかもしれない。 しかし実際にそういう不思議な撮影はあるし、写真にはそういう力があります。 撮影という行為が撮影者と被写体、二人の人生のクロスポイントであるという認識でいれば 自分の中にある様々な「存在」が更新され、いつか真の存在「真理」へと近づいていく事になるのではないかと思っています。 工藤さんとはもう長い付き合いになりますが、まだまだ知らないことがたくさんありました。 意見が違うことも多いしケンカもよくするけれど 今回、京都という場所で工藤さつきという存在を撮影できた事に感謝しています。
the warm
2017/10/30
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今回の主題が「インテリアと光」でした。 10月は天候も台風などで不安定で、自然光が弱い日々でした。 青山店は自然光が入らないと暗くなってしまうので、自然光とライトを組み合わせたミックス光を利用して撮影しようと考えました。 被写体の男の子は4才で1才の弟がいます。 弟に対してとても優しく、温かい印象を持ちました。 ママに聞くと弟が生まれたばかりは赤ちゃん返りがひどかったそうですが、弟が1才半になった今、すっかりそれを乗り越えたように感じました。 終始弟のペースに合わせ、お兄ちゃんのお着替えが多くなってしまう撮影の順番になりましたが、「お着替え増えちゃってごめんね。」と言うと「いいよ~♪」と優しい返事が返ってきました。 私はお兄ちゃんの心の底からの優しさを感じ、その優しさを写したいと思いました。 窓からの光はメインの光にするには弱かったので補助光とし、スポットライトと画面右奥のオレンジ色のライトをメインに設定しました。 ここのインテリアは木が全面に使われていて、木の温もりを感じます。 木や肌の色が綺麗に見える様に考えました。 レンズは85mmの単焦点レンズを使用しました。このレンズは明るく、ボケ味もとても優しく柔らかい印象を与えます。 ママと二人で話している時は甘えた様子が全身から伝わり、まだあどけないほっぺが丸く笑いました。 Photo by Tonegawa Coordinate by Amemiya
懐かしい感覚
2017/10/29
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No.18 Lifestudio Nagoya Photo by Yoshiaki Tamada Coordi by Hitomi Kusano 私たちの身の回りには数えきれないほどの物が存在しています。 物の数だけ、それを使ったやり方や遊びがあり、 なければある程度の物は買ったり、もらったりして手に入れることが大人になった私たちはできます。 しかし、私たちが幼い頃、まだ自分で物を手に入れる手段を持っていなかった時、 何かを求めて探しにいくのではなく、そこに今ある物たちで 自分だけの世界を作り上げて遊んでいたことがよくありました。 知っている遊びの為に物を得ようとするのではなく、 あるものだけを駆使していかに楽しく遊ぶか考えられることにおいての想像力は 大人になった今より子供の頃の方があったのではと思います。 私の中で特に思い出に残っていることは、 初めて買ってもらった勉強机の下でひとり秘密基地のように 隠れながら物を並べて空間を作り上げて遊んでいたことです。 側から見たら狭い空間に物を並べているだけに見えますが、 遊んでいる私本人からすると、そこには私の中で壮大な世界が広がっていました。 子供の頃は、 リビングにおいてある椅子の下でも、 陽の光をいっぱいに浴びたカーテンの中に包まった時でも、 ふかふかのベッドに親にばれないようにこっそり潜り込んだ中でも、 もしくは外で遊んでいるときに偶然見つけた小さな草陰の中でも、 その場所、もしくは物を見つけて、ここでこれをしよう!と決めた時、 すごく心が高鳴って、どう空間を作り上げていこうかとわくわくする感覚がありました。 今の私は、実在しているものをそのまま自分の世界にしています。 それは部屋のインテリアだったり、小物だったり 子どもの頃と比べると 何か想像を膨らませて頭の中で思い描いていくことがだいぶ少なくなってきました。 その場所、その時々で描く豊かな発想を いつの間にか失くしてしまったような、そんな気がしました。 しかしそんな私の子どもの頃の懐かしい感覚を思い出させてくれるふたりがいました。 光と共に星を並べて手に取る兄弟、 陽射しを一直線に受けた先にある星 お兄ちゃんはもう新しい遊びを見つけたかのような微笑みをして 弟くんはまだわからず少し不安げな顔で星を見つめている表情 きっと2人にしかわからないストーリーが この兄弟の中で膨らんでいることでしょう 子どもの頃の豊かな発想は 大人になっていくに連れて消えてゆき現実的な考え方になっていきます。 それは子どもの頃に無限に広がっていた発想をなくし、気づかないうちに思考の幅まで狭くしてしまっているのではないでしょうか 写真の世界も同じような気がします。 カメラのフィルターを通して現れてくる世界にリミットなどなく、 光や切り取る空間、そして十人十色の被写体によって無限に生み出されていきます。 私は、撮りたい写真を思い描いてシャッターを切ることはもちろんですが、 被写体がふとした時に見せる表情や動きを見た時、大きく心が惹かれるものがあります。 その人自身にしかない、そして今まで見たことないものを見ることができた時に大きな胸の高鳴りを感じます。 この感覚はいつかの子供の頃に感じていた新しい遊びを見つけた時のわくわく感に似ていたのかもしれません。 いつの間にかなくしてしまっていたかのように思っていたことでも、写真と被写体との触れ合いの中で蘇っていたのです。 「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで…」 とある映画で印象に残っている台詞、 人間の記憶は、思い出せないだけでどこかに残っているもので、 写真を撮っていく中で、突然、普段全然思い出せないような子供の時の体験を不思議と思い出すことがあるのです。 毎日写真を撮っていく中で、アドバイスを受けることとして “写真の中にストーリーを持たせる” というのがあります。 お客様と私自身の繋がりから写真を通して、まだ見たことのない世界を切り取りに、 そして幼い頃にたくさん思い描いていた世界を再び創造する旅に、この先も出掛けていきたいと思います。
“Bon Voyage!”
2017/9/30
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Tennis shoes to soar in the sky, one slingshot to fell the dragon. Surely marbles at the bottom of your pocket are the eyes of dragons. 空を駆けるためのテニスシューズ,ドラゴンを倒すためのパチンコひとつ ポケットの底のビー玉はきっと,退治したドラゴンの目玉なんだろう 〜『The November Sanatorium』より〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 台風一過の爽やかな秋晴れ。 そのファミリーと出会ったのは、光溢れる穏やかな昼下がりでした。 玄関には、両親の陰に隠れる今日の主役の幼い少女。そして隣でそれを優しく諭す頼もしい兄。 パパさんママさんはそんな二人を優しく見守る様子で、その後も少女が最近よく見ているというアニメの話で一緒に盛り上がったり、お気に入りの英語の歌をみんなで歌ったりして、スタジオが一体となって撮影が進んだのを覚えています。 私もそうだったのですが、兄弟において兄の方はその責任の多さもあってか、(家族からも、私達のような第三者からも)ついつい名前ではなく「お兄ちゃん」と呼ばれがちです。 今回の少年もやはり例外ではなく、妹の撮影を時には暖かくそして驚くほど綺麗な瞳で見守り、時にはカメラマンの私やコーディネーターのまゆちゃんと一緒に楽しく撮影を盛り上げてくれたりと、その「お兄ちゃん」ぶりをたくさん発揮してくれました。 撮影も中盤に差し掛かった頃、ふと私達が「お兄ちゃん」の存在にとても助けられている事に気が付きます。周りから自然と頼られている事に、本人が負担に感じている様子はありません。でもだからこそ、「お兄ちゃん」ではない本来の、そして固有の彼自身を知りたいという気持ちが次第に高まり、もっと深く彼と向き合ってみたいと私はこの時決めたのでした。 今回撮影の舞台にスクールバスを選んだのには、作戦がありました。 一つはシンプルに、彼が乗り物好きであるという事。 そしてもう一つは、少年という「時代」 、その生き物の本質にあります。 バスに乗り込むとまもなく、コーディネーターのまゆちゃんがその場から離れ、私と彼の二人きりの空間となりました。 予期せず彼が閉めてくれたドアはバスという密室空間を一切の喧騒から遮断し、僅かに開いた窓からはどこかのお家の金木犀の香りが流れてきます。 私は一旦カメラを置いてさっきまでの兄妹撮影の空気をリセットし、そして同じ男として彼と向き合った、彼自身にフォーカスを当てたお話をしてみます。初めは「少年」と「お店のお兄さん」だった関係が、みるみる少年同士のようになっていくのを感じました。 ほどなくして少年は堰を切ったように沢山の話をしてくれました。 将来の夢や、大好きな映画の話。 彼の愛する恐竜やサメ、宇宙や宝探しの冒険について。 家族みんなで行った旅行と、やっぱり、大切な妹。 そして今年の4月から入学した、小学校という新天地に対する希望や不安の数々。 そうだ、自分にもまったく同じ時期があったーー 恐竜の図鑑に齧り付いて、もう二度と見る事のできない世界に思いを馳せた日々。 天体望遠鏡を持っているとクラスのヒーロー。友達と代わり代わり覗いた。 裏の林をみんなで冒険して、秘密の地図を作った。 学校からの帰り道はいつだってサメの海だったし、箒を持てばメジャーリーガーになれた。 あの時の私達はたしかに、「大人」とは別の世界線を生きていた。 そしてー 私がLifestudioに入ったのも、同じ今年の4月。 道は違いますが、同じ日に同じく新しいスタートを切った者同士、お互い大きな大きな夢を持っています。 彼の前へ前へと進む姿から私もまた勇気をもらいます。 彼がキラキラとした瞳で沢山のお話をしてくれたその時その一瞬、 初めて、彼は「お兄ちゃん」ではなく一人の「少年」として私の前で笑い、 私はそれをつい見惚れそうになるのを堪えて、ようやくシャッターを切りました。 いくつかのキーワードが、その時たしかに、二人の世界線をつなげました。 永遠にも、ほんの一瞬にも感じる午後のひと時。 こうして二人の少年を乗せたバスという密室空間は、たちまち二人だけの秘密基地となっていったのでした。 ************************* 写真とその考察について ■構図 少年の表情をストレートに表現できるよう、主役は日の丸に配置。 少年の頭上にはイマジネーションの余裕を、目線の先には進むべき未来の空間を空けました。 ■光 フロントガラスから差し込む光が、少年のイキイキとした表情を際立たせます。 木漏れ日の玉ボケが画面に爽やかな印象と奥行きを生み、被写体との間に挟んだ窓が午後の光を和らげました。 ■色 紅潮した少年の表情、バスの車体の黄色、街路樹の緑、ミラーや窓ガラスのコーティングの青。 少年の夢中な空間を表現する沢山の色で画面が賑わう中、衣装の色がシンプルである事でバランスが取れています。 ■moment 湘南店では現在『movement』と題して、如何に被写体の『動き』を収めるかを課題に奮闘しています。 今回は少年の内面にある心の『動き』を収める為、先述の空間作りと、それが肉体に顕在化された時に最も活きるタイミングを探す事に特に神経を注ぎました。 ************************* 湘南店の黄色いバスは、子供達の行きたいところへ、どこへでも連れて行ってくれます。 それは時には湘南の子供達の定番スポット「えのしま」であり、夏休みに新幹線で行った「おじいちゃんち」であり、「動物園」も「水族館」も、どんなに楽しい遊園地も、どんなに美味しいケーキ屋さんも、海の向こうの知らない国も、空の上の見た事のない世界だって、子供達のイマジネーションのままにほんの数秒で着いてしまいます。 運転手によって目的地は変わりますが、一つだけみんなに共通している行き先があります。 それは、他でもない彼ら自身の「未来」です。 運転席の前。舵取りの仕方を教えようとする私に、彼は言います。 「大丈夫、一人で出来るよ!」 私は頷き、彼の横顔を見守ります。 「しゅっぱつ!」 昨夜の忘れ形見の一陣の風が街路樹を鳴らし、新たな門出を祝うように麗らかな陽の光が射し込んできました。 視界良好。燃料は満タン。 彼の冒険はまだ、始まったばかりなのです。 No.24 Lifestudio Shonan Photo by Hisho Morohoshi Coordi by Mayuko Hara
空と自由
2017/9/30
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10月、ベットから起きて仕事に出かける際、まだ日が昇っていないことに私は気づきます。 電車に揺られていると日が昇るのと合わせて荒川の煌めきが目に移り、私はそこで朝が来たことを知ります。 毎日とは、退屈の中に何か一つ希望の様な煌めきが存在するからこそ繰り返し繰り返し生きて行こうと思うのかもしれません。 ・私は代々木店に来た始めの頃このような一文を書いた。 私は小さな頃から、都会の街で育った都会っ子だ。 田舎の風景の青空より、果てしなく青く澄んだ大空よりもこの写真のような空がしっくり来る。 小さな頃から、小さな空を見上げてきた。 電線やビルに覆われた場所から見える空。 私はそんな空が好きなのだ。 大宮店では不思議だった空の感覚が、ぴたっとはまり少年と空を撮りたいと思った。 これからもこの空を楽しんでいこうと思う。 都会の表現者として。 https://www.lifestudio.jp/?run_id=staf_blog&bs=staff_blog&po_u_seq=102344&page_no=3&po_seq=140140 この様に私が文章を書いたのは理由がある、それは代々木店のマインドの存在があったからである。 スタジオをのアイデンティティは自らが写真を撮る指針となる。 では代々木店のマインドを以下に記す。 "こころを自由に遊ばせる” 何かに没頭し、無我夢中で遊ぶ子供たち その自然な姿が、あんなにも愛おしく美しいのはなぜなのだろう 子供たちは何にも縛られていない どんな時も、ここがどんな場所であろうとも 世間のルールも常識も、関係ない ただ世界をあるがままに受け入れて その中で思いきり楽しむことだけを考えている そんな風に"こころを自由に遊ばせている状態"が 本来私たちのあるべき姿なのかもしれない そしてそんな姿は愛おしく美しい 新宿駅の人混みを抜け、大通りを少し入った静かな路地 くるくると螺旋階段を登ると、そこは都会のビル群を見渡す開放的なスタジオ 喧騒から離れ、いつもの自分を少し横に置き 大人も子供もこころを自由に遊ばせる場所 この場所が、ただ記念に写真を撮る場所ではなく 写真を通して何かを確認する場所であってほしい 自分と自分の大切なものが こんなにも愛おしく美しいのだと再確認する場所 自分が今まで知っていたようで気がつかなかった 「幸せ」に出会えるかもしれない 私がこの代々木店という環境のアイデンティティを体現するそれが私の一つの目標でした。 このマインドを私はこの写真で表現した。 写真の構成について語るならば ・なににも縛られない世界を、ダイナミックな空のトリミングにより表現しています。 子供達の表情はそんな世界に心をはせている”こころを自由に遊ばせている状態”ということができます。 電線ビルの存在が現実を呼び起こし、その空間の位置を場所を指し示しています。 二人の兄弟は撮影を楽しんでくれていました。お兄ちゃんは少し恥ずかしがっていたかもしれません。二人が皮のジャケットを着た瞬間、私はは空と兄弟を撮ろうと決めました。 それは自分に兄がいたから都会の空と自分を投影していたのかもしれません。 それがピタッと二人に当てはまったのでした。 私はこの写真を通して私自身が『幸せ』に出会いました。 写真で人々を幸せに。その言葉は無限の可能性を秘めているのです。 この写真はそんな幸せの願いを秘めた一つの自由への道しるべなのです。
One day
2017/9/30
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今日までに何度笑ってきたのか想像もできません。 何度悔しい思いをして、何度嬉しい気持ちになってきたのか。 仕事も何度出勤して、撮影も同じ何回シャッターをきってきたのだろうか。 毎日は当然過ぎて、当たり前の様に明日が来て、昨日をいつの日か忘れていきます。 1日に起こる出来事をすべて記録できないから記憶という曖昧なものを頼りに昨日を語っていくのだと思います。 「One Day」 Photo by CHIBA Coordi by Kashiwagi Lifestudio Jiyugaoka 1日の記録のツールに写真があると思います。それはとある日でも特別な日でもストーリーが全て存在します。 きっと昨日撮った写真は見たらほとんどのことを語ることができます、それを私たちは何度も繰り返していきそれを「思い出」と呼んでアルバムやスマートフォン、もしくは記憶の中にしまい込みます。1年、2年、10年経ってもまたそれで話せるように。 今回この家族が来店した時、お兄ちゃんが元気よく玄関にいてパパさんママさんも明るく挨拶をしてくれました。そのママさんの影にかくれて様子を見ていたのが妹です。 家族写真や兄弟写真といった複数人の写真は関係性が直接的に見えてくる、見えやすいものそう私は思っています。そしてその時この家族やその関係の中で今を残せるものは何があるだろうか自分に問いかけます。今しかない瞬間づくり、お客様がこの写真を見て振り返った時あの時あーだったよな、この時こーだったよね、とストーリーが表に出やすいように。そんな記憶をたどり将来、話を蘇らせてくれるのが写真の存在であると思います。 来店時から緊張の解けない妹の姿をみて、私は家族写真、兄弟写真という順序で撮影することが多いです。知らない場所にきて、さあ出番ですよ!!といったところでそんなやっつけな撮影はできません。この撮影ではお兄ちゃんが妹のために頑張ってくれました。話によると普段から妹のために張り切ってふざけて笑わせたり、手をつないだりしてくれるそうです。それが「今日」を残す私の使命だと判断しました。 クローズアップは情報が限りなく少なくなっていきます。そのため画面いっぱいに伝わる情報を詰め込むのもクローズアップの1つだと思います。もちろんシンプルに何かを、ポイントを伝えるのも可能にする面もありますがクローズアップで何がこの日起きたのがわかればその写真は原本のアクセントになると思っています。 夏の雰囲気も残るコーディネートにサングラス。お兄ちゃんがサングラスかければ真似して妹もかけてくれました。今回このアイテムが妹の緊張を閉ざされた中から解放してくれる瞬間をつくってくれるものに。 また日差しも兄の優しさやあたたかさをより強調してくれます。この兄に差し掛かる日差しがあるなしだと印象は少し変わってみえるかもしれません。クローズアップのアクセントに、また兄の存在を後押ししてくれるものだと思います。 そして兄の声が妹の耳へと入るたび、少しずつ表情にゆとりが出来、口元がゆっくりとほぐれていくところでシャッターを押しました。 きっとそれだけでなくパパさんやママさんもできるだけ近くから見守っていただきそれも彼女の気持ちを少しづつ和らいでくれたのだと思います。 兄の頑張りと家族のあたたかい視線。その先に現れた彼女の笑顔。 これが今を表すものであり、クローズアップを選択した理由です。 5歳の兄が感じたもの、3歳の妹が感じたもの、親御さんが感じたもの、そして私たちが感じ集めた情報を、みんなが共有しできた1枚は美しいと言える写真だと私は思います。 そしていつの日かこの1枚が語られることを祈っています。 今日までの成長や辿ってきた道の中には人それぞれの数えきれないほどのストーリーがあります。 「1歳の時は本当に笑わなかったんだよなー笑」 「それはそれで将来クスッと笑っちゃうんじゃないですか?笑」 人生を断片的に見たとき写真は人生のシオリなんだと改めて学んだある日のこと。。。
愛の条件
2017/9/30
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Photo by Shie Coordi by Gahee 毎年ライフスタジオで写真を残しに来てくれるご家族。 毎年撮りに来てくれるという事自体は、今や私達にとって当たり前になっているが、それがご家族にとっても当たり前になっているというのは本当に嬉しいことです。 写真を残すため、いつもとは違う場所に向うために、前もって曜日を設定し、お洋服を新調し、体調管理に気をつけ、当日は早く起きて、お化粧をし、お気に入りのお洋服をまとい、今日という日に期待する。 スタジオに来ればカメラを構えられ、非日常な空間の中でいつもはしないポーズや会話をしながら時間を共に過ごしていく。 そこにはご家族の日常とは違う要素がたくさん存在しているが、この一枚には母の信念と愛が垣間見え、二人を非日常空間から、自然へと導いた瞬間でした。 私が好きな本にエーリッヒ・フロムの「愛するということ」という本があります。 この本には真の愛とは何かを200ページに渡って書いており、その中に「愛があることを証明するものはただ一つ、二人の結びつきの深さ、それぞれの生命力の強さである。 これが実ったところにのみ、愛が認められる」という言葉があります。 この言葉には、ライフスタジオのマインドにもある「子供達と一緒に横になってお互いの存在を確認するその瞬間、愛する人の吐息を聞きながら感じる平穏という美しさ」に通ずるものを感じ表現したいと考えていた一つ。 このご家族とは去年も撮影をさせてもらった関係で、その当時ママさんと一緒に写っている子はお腹の中でマタニティー撮影をさせてもらっていました。お互いに前回の撮影の頃の思い出話をしながら楽しい時間が流れ、今回は産まれたばかりのお子様をメインに撮影も終盤をむかえる中、ママさんが大事な事を忘れていたと言わんばかりに授乳シーンも希望してくれました。 授乳シーンを撮影する事はごくごく普通のことかもしれませんが、たくさんの人の笑い声が高い天井に響き渡り、たくさんの人が行き交う自由が丘店の非日常空間の中で、希望してくれたというのは、私たちとの関係性だけではなく、母なる信念と愛が無ければ出来ないのではないでしょうか。 エーリッヒ・フロムの本には愛とは信念だと書いてる章もあり、その一文に「愛は能動的な活動であり受動的な感情ではない。 そのなかに「落ちる」ものではなく「みずから踏みこむ」ものである。 愛は何よりも与えることであり、もらうことではない。 たくさん持っている人が豊かなのではなく、たくさん与える人が豊かなのだ」という言葉があります。 ママさんの行動には、子のかけがえのない今という瞬間を大切に考える信念と愛が垣間見えました。 表現者として、人として、愛について知っているものは、そんなに深くないかもしれませんが、自らが愛について何かを知っており、何を信念にし活動するかで、その人の人への深さが写真に現れます。 普段から母と子の授乳シーンを記録する中で、この写真は、天井から無償に降り注ぐ光が、母から子への無償の愛の形として表現し、ローアングルで光の道筋が見え繋いでる手と手に当たるように意識しています。 そうする事で、自然とママさんの手を掴んだお子様の手が、二人の結びつきの深さ、それぞれの生命力の強さに通ずるよう表現していきました。 人がその瞬間に何を求めるのか、自分自身に何が出来るのか。まだまだ追究の日々は続きます。
自分の規定
2017/9/30
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最近何かと自分の人生を振り返ることがあります。 まだ人生を振り返るには早いだろとツッコミを入れられそうですが、人生を振り返りながら、自分が思う自分について考えます。 サッカーをやったり、バンドやったり、色んな資格を取ったり、留学したり、リゾートアルバイトしたり、フィリピンにもワーキングホリデーで行ったりもしました。 なんだか、色んなことをやっていきましたが、これらのことに共通して言えることは、「なんとなくで行っていた」です。 基準があるようで基準がない。分かっているようで分かっていない。 それが僕でした。 しかしここ1ヶ月くらい前にこのままではだめだと思うようになりました。 きっかけは先月のフォトジェニックの集計をしているときです。 さまざまな店舗が推薦する写真と推薦ポイントを書き込んでくれていましたが、特に印象的だったのは草加店と下関店のコメントでした。 結論をいってしまえば、撮影者が追求するものに対して自らが「規定」を下し結果として出したことが推薦ポイントでした。 このコメントを見て、「あ、自分は今まで規定をしてこなかった」と胸に何か刺さった感覚がありました。 そういえば昔社長に、「カツは海の上に浮いているペットボトルです。右から風が吹けば右にいき、左から風が吹けば左にいき、風はふかなければ浮いているだけ」 といわれたことがあ ります。 その時は、軸がないから自分だけの軸うまれたらいいなと考えていましたが、今回の規定をすることの発見により、自分の中で、社長の話と規定という言葉がリンクしました。 自分の軸がないのってそもそも自分だけの規定がないからだって。つまり自分だけのルール、基準を定めることによって、自分が何ができて、何ができていないのか。 自分というものを知るきっかけになると思いました。規定をたくさん作りながら自分だけの基準を作り、ぶれない自分軸を作られていくんじゃないのかなって。 じゃあもう僕が進むべき道は決まっています。 脱!なんとなくの自分! いくぞ!規定創りの道へ! そして自分軸、KATSUスタイルを作るぞ!!!! っということで、自分の写真を規定してみました。 今回は「主体と副主体」の規定。 よく自分が上手く撮れたと感じた写真は色んなに人に見てもらいます。 でも、その時によく言われるのが、被写体の瞬間と光を意識して撮っているのは感じるけど、副主体の整理ができていない。 ある人は、被写体と副主体を一致させなければ本当の1枚にならないと教えてくれました。 自分でも自覚していましたが、なかなか主体と副主体の一致というものが漠然としていて分からないというのが僕の現状でした。 しかし僕の中で唯一ある基準「僕が思うあなた、ありのままのあなたを美しく撮る」ということを念頭に集中して考えていった結果1枚の写真が生まれました。 それが今回の写真です。 6歳の彼女はツンデレでした。 ママはデレがないツンツンといっていましたが。笑 彼女は撮影中僕が声をかけてもあえて反応しなかったり、僕にそっけない態度をとったりして、僕を困らせた姿を見て笑うそんな子でした。 素直に気持ちを伝えるのが恥ずかしい子。それが一番彼女にあっている言葉だと思います。 実際に撮影終わりに、僕が撮影空間を片付けているときに後ろから背中をツンツンとして、僕が振り向いた時に急いでどっかに隠れる姿をまだ鮮明に覚えています。 もっと素直になればいいのにと思いながら、また片付けをしようとチラっとたまたま外を見たら雨だった天気が晴れていました。 その瞬間にツンデレの彼女と天気というのが僕の中でリンクしました。 もしかした ら、今だったら自分の納得いく被写体と副主体の関係が分かる1枚が撮れるかもしれない。 そう思い急遽撮影終わりにママに頼んで写真を1枚だけ撮らせてもらいました。(僕撮影はアシスタントで入っていました) テーマ「心の変化」 彼女のツンデレという性格。 本当は甘えたいのに素直に甘えられない。 でもやっぱりママの前では作っている自分がどんどんはがされて、本当の姿を見せていく。 この表現をそのまま副主体に当てはめました。 最初は雨だったのが晴れた。 それは彼女の心を表しているかのように。 実際に写真を撮ったときは雨がやんで晴れていたので、あえて、傘をもってもらい、傘と植物にホースで水をかけました。 また水滴の反射と逆光を利用して雨上がりを表現し、ママは明るく、子供を暗く写すことにより、これからの未来を連想させました。 結論、副主体は被写体という主体をより引きたたせる構成要素でなければならず、写真をデザインさせる要素でなければならない。 そのためには被写体を観察し、どういった視点で、どういった側面を残すのか明確にすることで、副主体の整理とデザインをすることができる。 という答えが出ました。 またこの写真を撮り発見もありました。 被写体の色んな側面を見て、シャッターを切るだけでなく、自分自身に新しい知識、情報を身につけていかなければ、ただその被写体となる人物を撮っているだけになってしまう。 その子にあった写真を撮るために・より深く被写体に入るためには、たとえば今回の撮影でいうのであれば、そもそもツンデレとは何か。なぜそうなってしまうのか。どう解決するのか。 自分の中に知識があればもっとちがった表現ができたかもしれない。ただツンデレと知って、ツンデレを撮るのではなく、そこに隠れたもっと何かを写すために僕は知識と情報を学んでいかなければならない。 そう感じました。 急な撮影を快く引き受けてくださりありがとうございました。 また会える日をお待ちしています^^
男三兄弟
2017/9/30
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Photo by HIRO Coordinated by Takumi 一年に一回の大切な家族の記念。 一年に一回ではなく、何年に一回かもしれません。 もしかしたら一生に一回だけの方々もいるかもしれません。 スタジオで今の家族の姿を残すということ。 一回の撮影で残る写真が、そのご家族には大切な宝物になるかもしれません。 写真はそこに写るものだけでなく、その時の想いや感覚、思い出を残すことができると思います。 写真の中に何を残し、どのように表現するのか。 それによってその家族にどんな思い出を未来に残すことができるのかが変わる。 そう考えると何をどう残したらいいのだろう?といつも悩みます。 本当にその子やその家族の姿を捉えて表現しているのか。 自分の中のセオリーや固定概念に当てはめて撮影をしていないだろうか。 今月の写真主題は写真大辞典の「観察」という内容を主題に取り組んで来ました。 観察とは、 ・見慣れたものを見慣れたように見ない ・鋭く見る ということ。 固定概念ではなく、しっかりと自分の眼で被写体を見つめてそれを自分というフィルターを通して表現するということです。 今回の主題ではその観察の実践方法として、その被写体に対してなるべく多くの情報を得るという方法で撮影に適応を試みていました。 そのため、カウンセリングからカメラマンも一緒に入り情報を把握するようにしていました。 今回の写真はその中で生まれた一枚です。 しっかり者のお兄ちゃん二人と走り回っている元気満点の2歳にもまだならない弟君。 初めてのライフスタジオなのにとても気さくに話してくださるパパとママ。 撮影が始まる前から楽しく思い出に残る撮影になると確信を持つような、そんな出会いでした。 カウンセリング時にママさんから、 「お兄ちゃんたち二人の柔道着姿を残したいんだけど、できればそこに下の子も入れたい」 というご要望がありました。 よく聞いてみると「下の子もお兄ちゃんの真似をして正座で挨拶ができる」とい情報が。 しかも下の子の裸姿も残したいから、三人の時に下の子は裸ん坊でもいいと…。 ・・・少し想像しただけでも確実に可愛い!!! まだ言葉も喋れない2歳にもならない子がお兄ちゃんを見習って頑張っている姿。 どれだけそれが可愛いでしょうか。 そしてお兄ちゃんたちは、しっかりと弟の世話をしてくれているようなお兄ちゃん。 きっとパパさんママさんからすれば心強いお兄ちゃんたちでしょう。 その情報を得ることで、自分の中の兄弟写真のセオリーの考え方から抜け出し、 すぐに表現したい兄弟の関係が思い浮かびました。 「兄の背中を追って逞しく成長していく弟と、それを優しく見守る兄たち」 まさに今の彼らの関係を表現できると思いました。 あとはそれをどう適切に表現していくか。 準備をしてもらってカメラを持って向かうと、 そこには上半身裸で白帯を巻いた末っ子君が寝っ転がっていました。 あまりの彼の可愛い存在感。 その瞬間に表現方法は決定しました。 まずは、柔道着での撮影だったので和室かホリゾントでの撮影を検討しました。 和な感じを出すために畳での撮影でもよかったのですが、 今回は被写体の三人の関係に集中させたかったので、シンプルに被写体に集中できるホリゾントを選択しました。 光はホリゾントで真っ白な柔道着が飛んでしまわないように後ろのライトを消して調節。 まだ1歳らしいぽっこりお腹とムチムチ感の質感を出すために、左のライトのみをつけています。 構図に関しては、下の子が同じく道着を着ていれば背の順も考えましたが、 彼の裸ん坊の存在感を出すために真ん中に座ってもらいました。 下の子を中心にシンプルにシンメトリー構図にすることにより、 構図としての安定感と写真のビジュアルの強さを出しています。 そして今回一番ポイントにしたのは、三人の配置です。 兄弟写真の多くは兄弟がくっついていて一緒に遊んでいる姿など、距離の近さを表現として使います。 その方が前後差ができず、しっかりとピントが合うという技術的な問題もありますが、ややもすれば安直に兄弟写真のセオリーとだけ考えてしまうかもしれません。 今回は三人の並びをギュッと寄せるのではなく、少し距離を置いて間を空けて配置しました。 ギュッと三人寄って正座してもらい、三人の仲の良さを表現することもできます。 このシーンでは実際に他のカットでギュッと寄ってもらったカットも入れています。 でもこの一枚で表現したかったのは 「兄の背中を追って逞しく成長していく弟と、それを優しく見守る兄たち」。 そのために仲の良さに集中させるのではなく、一人ひとりそれぞれが逞しく成長しているという表現にしたかったので、 三人をひとまとめにするのでなく、あえて三人の距離を離してそれぞれが際立つようにしました。 コーディネーターで入ってくれたたくみもお兄ちゃんたちの間に自然と弟君を誘導してくれて、 特に事前に打ち合わせはありませんでしたが、きっと撮りたい絵は同じものを見てくれていたのでしょう。 最後に、これは自分では予想のできなかったものではありますが、 表情もそれぞれの個性が表れたんじゃないかと思います。 いつもニコニコとしてしっかり者の長男君。 どこか自分の世界観を持っているような次男君。 そして、僕だってできるんだというような表情を浮かべた末っ子君。 今の彼らの姿が表れた一枚になったのではないかと思います。 ちなみにフォトジェニックには一枚しか上げれないのでここには載せませんが、 この写真は流れがとても可愛く面白い連続写真になっています。 正座をみんなでするところまではよかったのですが、 いざみんなで挨拶をしようとしたら下の子だけ早くお辞儀をしてしまい、 お兄ちゃんたちも続くのですが、その時には下の子は顔を上げ何故かこちらを指さすという3段落ちのような流れ・・・。 同じタイミングでのお辞儀はうまくいきませんでしたが、それが今の彼ららしくてそのまま原本に入れました。 その三枚の写真はブログで紹介していますので、よろしければご覧ください。 https://www.lifestudio.jp/?run_id=staf_blog&bs=staff_blog&po_u_seq=116135&po_seq=149928 ライフスタジオでは、 「関係を美しく表現する」という言葉を聞きます。 見た目的に美しくとか神秘的に表現するということももちろん美しく表現するということに繋がりますが、 関係の中に存在する本質を見つめ、 それを捉えて適切に表現をすること。 それも関係を美しく表現することなのではないかと今回の写真を分析する中で気づかされました。 それがなんでもない日常に美しさを発見するポイントなのかもしれません。 美しさはもうそこにあるのだから。 撮影はやはり始めの予感通り終始楽しいものになり、 最後にはみんなで記念写真を撮り、また次回の再会を約束してお別れしました。 後日写真を添付して送ったメールの返信にもたくさんの嬉しい言葉をいただきました。 改めて一つ一つの撮影の時間が大切な思い出を作る時間だということを再確認させていただいた撮影です。 いつか三人が大きくなった時に柔道着を着て同じように撮影してみたい。 その写真にはどんな姿の三人が写るのでしょうか。 きっと逞しく育った彼らがいるのでしょう。 関口さんFamily、またお会い出来る日を楽しみにしています。
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