menu
menu
ログイン
予約
LifeStudioとは
ライフチャンネル
ライフチャンネル一覧
ライフNow
ライフ人
MVP店舗
イベント
フォトジェニック
コラム
店舗紹介
ギャラリー
ギャラリー一覧
Baby
Kids
753
1/2成人式
Birthday
Otona
撮影プラン・料金
(料金/システム/商品)
初めての方へ
撮影プラン
商品
Q&A
コミュニティ
コミュニティ一覧
ライフファミリー
ゲストストーリー
ライフストーリー
スタッフブログ
店舗フォトジェニック集
ご利用の流れ
よくある質問
Official SNS
サイト内投稿の検索
Official SNS
サイト内検索
LifeStudioとは
ライフチャンネル
ライフチャンネル
ライフNow
ライフ人
MVP店舗
イベント
フォトジェニック
コラム
店舗紹介
ギャラリー
ギャラリー一覧
Baby
Kids
753
1/2成人式
Birthday
Otona
撮影プラン・料金
(料金/システム/商品)
初めての方へ
撮影プラン
商品
Q&A
コミュニティ
ライフチャンネル
ライフファミリー
ゲストストーリー
ライフストーリー
スタッフブログ
フォトジェニック
ご利用の流れ
よくある質問
ログイン
予約
フォトジェニックアーカイブ
Photogenic Archive
トップ
ライフファミリー
ゲストストーリー
ライフストーリー
スタッフブログ
店舗フォトジェニック集
ライフスタジオで撮影した各店舗のベストフォトを集めました。
【抽象化】
2017/9/30
0
タイトル:『抽象化』 サブタイトル:『光で描く絵』 F:f/2.8 Shutter speed:1/100s ISO: 1600 焦点距離:85m ICHIKAWA Photo:sb-Kim Codi:Murayama 【写真とは何なのか?】 【私たちがスタジオで撮っている写真は、どのような写真なのか?】 【写真的要素が複合された写真は何であり、このような写真を撮るためには何が必要か? 】 写真に関する基本的かつ原初的であり、基本的な質問と疑問は、撮影者なら誰でも持っている。そして、それを研究し、実験し、持続的に発展させていこうと努力する。 ウギュリーダーが作成した『写真大辞典』には、このような文章が書かれている。写真大辞典を介して得たいと思うのは、『分析的方法』と『直観的方法』をマスターすることが目的ではなく、二つの方法が『統一された方法』を探して新しい方法の中で、『分析的方法』と『直観的方法』を超える『洞察』を得ることが私たちの目的であり、その方法の一つであるのが『写真の分析』であり、『写真の分析』をするということは、私たちが求めている写真が何かの説明を必要としていることを意味する。 ライフに長年勤務しているスタッフは、記憶していると思うが、7~8年前のライフスタジオのモニターの仕方は今みたいにスライドショーと音楽を流しながら感動を与えるシステムではなかった。撮影者が写真一枚一枚をめくりながら写真に対する撮影者の意図や撮影方式に関する内容を直接お客様と話しをする。写真を観賞するお客様の目線だけでなく、撮影者の説明を介して写真に含まれているいくつかの意図を伝えようとしていた。それを別の言葉で表現すると関係の形成と共感であるだろう。 私たちが求めている写真は、いくつかの分野に集中しているジャンルではなく、様々なジャンルと色んな欲求の複合が統一された状態の写真である。そのためには『写真の分析』が必ず必要である。『写真の分析』がどのような意味を持っているのかを理解することと撮影された写真の意図をお客様に伝えるのは非常に重要である。 上の写真は、『写真大辞典』の『思考と表現に対する話Part3の主題である抽象化』を表現したものである。 まず、『抽象』の辞書的意味は存在しているものを全体から分離させて知覚すること、他には、考えることができるある物事の特性、特徴、属性、関係、形態などを総称するときに使う言葉で具体的という意味に反対される単語で定義されている。 まとめてみると、不要な部分を除去しながら、物事の本質を明らかにする過程であり、より簡単に言えばある対象の全体を再現するのではなく、目立たないように1つか2つの特性だけを示すものである。この特徴を前提として、タイトルとキャプションを定めて撮影してみた。 【個人主題:光】 【タイトル:抽象化】 【キャプション:光で描く絵】 すべての撮影には、流れがあって主題がある。特に抽象化というテーマを持たなくても、私たちは撮影の前にある程度のテーマとイメージを思い浮かべながら撮影に入り、頭の中にイメージ化された形状を表現するために、撮影の流れなどを考えて空間を選択し、絵を描くようにシャッターを切る。私も同じだ。ある主題が与えられた時の主題をどのように表現するかについて継続的に考える。そして主題が持つ単語の意味を分析し定義を下す。 今回の主題である抽象化のポイントを一言で定義すると『すべてを排除して、主題になるものだけを残す。』である。そして、もう一度考えてみる。光だけを残してすべてのものを排除させるために必要なものに関して、すぐアイデアが思い浮かばず、自分の中から一つの疑問が生まれた。写真の主体となる被写体を排除して光だけ残して撮影することが正しい選択なのかの判断が出来ない。 【光だけを残さなければならない!】 考えの端に被写体と主題である光を同時に表現することができる撮影技法であるフレアの強い光を利用して被写体をシルエットで処理、明と暗というコントラストを与えれば光と被写体が主体となる写真を表現することができると判断した。そして2~3日間市川店の全体的な光の流れをもう一度観察してチェックをしてみた。フレアを作れる強い光が出る場所を見つけるのが簡単ではなかった。そしてフレアを利用した撮影技法は、いつでもどこでも撮影できないし、天気、時間、空間、被写体等、様々なことが制約される。表現することができないのではなく制約されるから持続可能性が落ちると思った。 【他の方法を見つけてみることにする。】 撮影の空間、時間、天気に制約されずに、いつでもどこでも撮影が可能でありながら段純化させて被写体も主体になることができることを考えてみる。なおさら考えの転換の必要性を感じる。そして至った考えが写真の主体となる被写体を線と面と点だけで描写させて、光の散乱や反射を利用してみることだった。 着物という派手な色感と葉の間の後ろから入ってくる逆光は、光が反射され散乱することを表現するのに十分である。 【存在するものが、すべてを排除して存在しないように表現すること!】 【結果は出てきた!】 【後はどのように説明するかだ。】 おそらく『写真大辞典』を一回でも読んでみた人であれば、そして同じ主題で撮影してきた市川店の撮影者なら、詳しく説明をしなくても誰でも知っていると思う。『抽象化』を表現した写真であることを··· しかし、お客様は違う。どんなに良い意図が含まれており、芸術性と価値がある写真であっても、撮影者は、自分が撮った写真をお客様に説明する必要があり説明する義務がある。ジャンリュック・ゴダールの言葉のように、『写真は物理的に何も言わない写真の下に書かれているテキストを借りて説明する。』 写真を説明する過程を通じて、お客様との新たな関係が形成され、共感が始まる。そして、少なくとも写真が持つ意図と意味について撮影者は定義を下さなければならない。ただ75カットの中でピントが合わない写真一枚が偶然に入ったのではない。そして、私たちが撮影している75カット中に説明をしなければならない写真が存在しているのも事実であり、説明されていない写真に関する再定義と分析は必ず必要である。 最後に、私たちはもっと果敢になる必要がある。撮影だけでなく、すべてのことに対して『自分の枠を破ること』、『固定観念を捨てること』、『自分の壁を越えること』、最終的に思考の転換と小さな変化から開始される。 まるでバタフライエフェクトが蝶の小さな羽ばたきから始まるように・・・
鏡
2017/9/30
0
鏡を使わなければいけない状況が、この撮影にはありました。今回は、そんな鏡に纏わる話しをしたいと思います。 赤ちゃんの撮影において、何が大変かというと被写体のコンディションだと先ず言えるでしょう。大人の撮影などでは、おおよそ気にする事の無い事柄ですが、赤ちゃんの撮影においては、撮影を左右する重要事項となります。赤ちゃんにとって世界は、自分と自分を庇護してくれる存在としてママが居ます。その二つの関係から外れた第三者の存在は、どの様に写るのかは明白でしょう。 今回の撮影で最も感じた事は、やはり母の力は大きいなって事です。何故そう感じたかをここで少しだけお話しします。 昼過ぎくらいに来店された小さな赤ちゃんは、少し人見知りも入りつつある月齢と共に、眠くなる時間帯に差し掛かり、被写体のコンディションが落ちやすくなりやすい状況でした。撮影ではご家族の協力も沢山頂き、皆んなで有らゆる手段を試しましたが、一向にコンディションが回復する手立てが見つからない撮影に対して、全員がほとほと困りかけていた時に、ママの「そう言えば、この子鏡好きかも」と言う一言に藁にもすがる思いで、鏡を赤ちゃんの前に差し出してみました。 最初はとても警戒していた赤ちゃんですが、鏡の中に写るモノが、ママと自身だけしか存在しないと分かると、それまでママの膝から決して離れる事を拒んでいた赤ちゃんが、ママの膝を降りて鏡越しにママと楽しそうに触れ合い始めました。私たちはその様子を伺い、なるべく離れたところからもその二人の空間を維持するべく、敢えて言葉を発する事を止めて、この空間の流れに身を委ね、二人を見守ることにしました。 この撮影で、鏡というアイテムは普段24時間赤ちゃんと接しているママの観察眼だからこそ発見出来た物だと思います。また、鏡の世界と言う他者が一切入り込めない空間が、赤ちゃんにとって心を落ち着ける場所となったからなのだと考えます。被写体にとって、もっとも輝ける空間をつくるという事を日々考えていますが、たった一枚の鏡でも、その被写体やその家族にとって輝ける空間にするための大切なアイテムなのだとこの撮影で実際に実感しました。 普段何気なく使用しているスタジオには、被写体の魅力を最大限に引き出してくれるアイテムが沢山あります。それらのアイテムをどのように使うかによって、モノの価値を違うものへと変化させるのだと思いました。また、隔たりがあった被写体と撮影者を繋ぐという役割も秘めたアイテムは、撮影において簡単に考えてはいけない存在だと感じます。
「待ちわびて」
2017/9/30
0
待ち合わせの時間より早く着いた。 なので改札が見渡せる時計台の下に寄り掛かって待つことにした。 自分が早く来ただけなのに、約束の時間までは長く感じる。 そわそわドキドキ。 まだ時間までしばらくあるのに、気になって改札の方にばかり目がいってしまう。 早く来てほしいけれど、最初になんて声を掛けようかまだ決まっていない。 この待ち時間がもどかしくも心が自然と踊っている。 こんな始まりをイメージした1枚。 この子の持つ妙な色気と雰囲気にそうインスピレーションさせられたのかもしれない。 衣装とイメージ、インテリア。それが一本につながったシーンとなった。 自由ヶ丘店のこの廊下は、とても想像力を膨らませられる。 男の子を撮影する事の多いこの場所で、女の子を撮影する時はどうもストーリーが頭の中で作られてしまう。そもそもの場所のイメージから、秋や冬を連想させられる。 私のイメージではそこの場所に似合うのは特に女の子のほうだと感じてる。 この1枚は、ストーリーそのものも意識しましたがいかにリアリティが出せるか。背景が暗いとメリハリが出やすくなってしまう点をどうカバーするのかを考え意識しました。 冬の外というと、空気も冷たく暗い中にも息の白さで柔らかく見えることがあり不思議なことに柔らかく優しい雰囲気を感じることがある。 今回は、背景のライトを全部消し真っ暗にしたため通常の通りに撮影した際には、くっきりぱっきりとした印象の写真に仕上がってします。私自身もそれが好きでここを使用する。 が、今回は前ボケを透かす程度にいれることによりイメージしていた雰囲気を演出するこができた。全体の雰囲気のアクセントにもなると同時に、真っ暗にした背景にも反映されて重々しい印象を与えることなく柔らかくどこか曖昧な質感を出せたと感じています。それに加え彼女自身の醸し出す雰囲気と表情が重なってイメージがより形になったのだと感じています。 本来の彼女は、良く笑う女の子なんです(笑)笑顔の多い75カットにはなっていますが、女優でも目指しているかのような表情のコントロールがうまい!こちらがのせられているような感覚にもなる魔性?ともいえるものを持っていた彼女。 また都市を重ねたときにどんな表情を見せてくれるのか今から楽しみです。
軸を持つこと。
2017/9/30
0
Photo by Kaori Kobayashi Coodi by Yuko Oikawa In Shinyokohama 私は今年に入って、人に伝えるという事を通して、伝えられる自分自身の持っているものを整理してきました。 相手に出すためには自分自身の写真や撮影で見せていく行為が絶対的に必要になってきます。 基礎基本を教えながら自分自身の軸になっている基礎というものを何度も何度も見直し、そして確認し、自分が持っている軸に自信を持っていくことができます。 この基礎基本に立ち返る、ということは技術的な側面が多くありますが、もっと内面的にどのように撮影や被写体、その空間を捉えているのか、を再度確認することも含まれます。 空間を捉える力、というのも、そこにいる人たちの空気自体をも指しますし、今私たちが持ってる撮影条件の一つとしてインテリアとその空間の構造もその一つになります。 私たちはよく自由に撮影したいと想い、被写体にも自由であってほしい、と思います。 しかし決まった空間で撮影を続けていると、空間の視野が狭くなり、自分が枠の中で不自由を感じてしまうこともありますし、被写体を自由にさせたいと願いながら枠に当てはめていないか不安になるときもあります。 しかしそれにには必ず条件が必要です。なぜなら必ず空間、撮影時間、天気、被写体、、 決められたその撮影の枠は必ず存在しているからです。 だからその枠を自分自身で“撮影の条件”に変えて、それに合わせて視点を変えていくことが必要になるからです。 その条件とは、自分自身が今持っているもの、インテリアを含めた撮影環境、撮影のスタイル、基本技術、被写体との距離、自分の固定概念・・・すべてが“枠”ではなく、自由に自分が撮影するための条件の一つとして見ることで見方を変えることが出来ます。 撮影空間は毎日同じ視点で見ていないか。空間は広がっています。 まだ知らない視点はたくさんあります。そして同じようにこれが正解だと思っているものに対してもいつでも“本当にそれが一番良い選択なのか?”をその時の状況や相手によって視点を変えていくことが出来たのなら、それは枠ではなく自分が選択の幅を持っている自由になれる条件の一つであると考えます。 その条件の中に技術も必ず存在します。これが無ければどれだけ全てを把握していても、イメージしても、一枚に表現し、収めることは難しいでしょう。 基礎基本に立ち返り、自分の視点を見直すこと。そして改めてファインダーをのぞき、世界を見ることで当たり前の世界は一つも存在しなくなります。 教育をしていると、最初に水平垂直に空間を切り取る事、光を見ること、を中心に全身、ミドル、アップを撮ってもらうところからスタートします。 空間を真正面からとらえることとはどういう事なのか。 それは必ずこれが正解、という場所は存在しません。 ただ、線が多い真四角の空間ですから、必ず水平を保つ正面側、というものは存在し、水平垂直を保つために床の線や窓枠の線、縦と横の線を真すぐ、きれいに、そして適切に切り取っていきます。 では斜めから入ることはいけないことなのでしょうか。よく最初にカメラを持つとたくさんの視点から探しながらシャッターを切っていく過程において被写体や空間の斜めから入って中途半端に切り取ってしまう傾向がみられます。 これが絶対だめなのではなく、“何が撮りたいのか”“どこからどこまでを切り取るのか”“本当にその角度が一番美しいのか”“不安定な要素を生み出していないか”考えることや整理がとても難しいため、撮影者はその視点に自信を持って答えられなければいけません。 そこに絶対的な正解はありませんが、より良い選択をするために、私たちは一枚に対して、撮影に対して考えることをやめてはいけないのだと感じています。 では、今回の写真を説明してみたいと思います。 この写真は被写体とは正面から向かい合っていますが、空間は斜めから入っています。 その為生まれる歪みや不安定さを真ん中に白いぼかしを入れて空間を平面的に見えるようにしています。フォレストパークにある格子越しに撮り右側、下側に少しだけグレーのぼかしを入れることで被写体に当たっているサイド光と同じように、右側グレーから左側白へグラデーションになるようにしています。左側にはただ空間が真っ白にならないように、被写体のポイントになっているカメラ部分と対照的部分にポイントとしてかごのインテリアを少しだけ入れました。 横写真のバランスはとても難しいです。そして斜めから空間に入ることで不安定な要素がたくさん入ることを自分自身で整理して切り取ることが課題でした。 余白があること、その余白の色味写り込む背景、ぼかし、全ての色味、露出を統一することにより、あえて距離感を出さずに平面的に写し込むことで、この横写真のバランスは保たれていると感じます。 毎日の撮影が楽しく感じます。毎日の出会いに感謝します。 ただ、何年たっても自分自身の技術や基本と向き合うことはその出会いや楽しい空間を作るためにも必要な一つの要素だと、人に伝える行為の中で強く感じています。 必ずそれが自分の軸になり、確認と強化をすることで軸を固く、太くもてるようになります。 視野を広く持ち、いつもいる空間でどれだけ多くの発想とイメージを探し、出会い、表現が出来るのか。それは自分自身がどこまで撮影の条件に軸を持てているのかにかかっています。出会いに誠実でいられるように、自信を持ってその日の出会いに真正面から向き合えるように、ひとつひとつ自分が持っているものを確認し、これからも向上し続けられるように努力していきたいと、改めて思いました。
Answer
2017/8/31
5
Photography by oikawa Coodi by Kanasugi Life StudioのHPの中で、 Life Studioは写真館の定義を、美しさを表現し思い出を記録する楽しみの空間だと述べています。 対象が被写体だからこそ、被写体がメインになった写真が多くなってしまいがちですが、被写体メインの瞬間だけを収めた瞬間以外にも目を向けるべきなのです。 インテリアがわかる写真と被写体との融合があってこそ、LIFE STUDIOらしい写真であると私は考えます。 白と黒が織りなす世界 写真を撮影する際、光はとても重要です、光がなければ、色は生み出されません. それは、色をなくした世界でも同じです。 光があるからこそ、白と黒の世界であっても、”色の濃さ“や”柄“として表現することができます。 白と黒で織りなす世界は、被写体をメインとするのではなく、ひとつのシルエットとして表現することもできます。 逆に空間を主体として表現することも可能となるのです。 あえて色を消すことで、色の濃さを強調することが出来る世界があり、それは“被写体”と“副主体”の壁を壊すことが出来る、ひとつの手段でもあります。 私が目指しているものは“インテリアのわかる写真”と“被写体”との“融合”です。 “融合”という言葉を“統一感”という言葉で表現することも出来ます。 統一感を出すために 統一感を出すために、ただモノクロで撮影したわけではありません。 今回は、被写体を一つのシルエットとして考えてみているからこそ、モノクロの撮影を選びました。 モノクロで設定し撮影をするだけだと、ただの被写体とインテリアのモノクロ写真になってしまいます。 インテリアと被写体を融合させるために、“前ぼかし”の方法を用いることにしました。 前ぼかしは色々な役割持っているからです。 前ぼかしの役割として、被写体との距離や奥行きを出す、いらないものを消し被写体に目線が行くようにする、その他“柄”を作りだし、写真を演出することが出来ます。 今回は、被写体をひとつの“シルエット”として考えていたからこそ、被写体の上に”柄“としてプラスし写真を演出しました。 撮影した場所は、廊下に設置してある棚のゾーンで、廊下の境目のドアの“窓”を前ぼかしとして使用しています。 ドアを前ぼかしとして使用する際、ドアの角度を少しずつ変える度、窓に光が反射して”鏡“のようになり、もう一つの部屋のインテリアが反射して窓に写っていました。 ドアの窓に反射しているインテリアの窓際のライトが、十字のように浮かび上がって、その線が”被写体とインテリアを融合させるための“つなぎ”の役割をしています。お子様をシルエットとして見ているからこそ、十字の”柄“をプラスしました。 それは、被写体とインテリアを融合させるためにあえてのせています。 この背景のインテリアがタテの線とヨコの線で構成されているからこそ、気を付けた部分がありました。 この窓のガラスが反射している線を、変な角度で前ぼかしとして使うと、バランスが失われ写真に統一感がなくなってしまうことです。 縦横のインテリアの線と被写体の立っている位置を気をつけながら、前ぼかしの線をその線が交差する被写体のシルエットとなり強調される部分の前ぼかしとして、この十字を置いています。 被写体とコーディネート この被写体の男の子と会った時、とても恥ずかしがり屋なところが見えていました。 ママの後ろに隠れたり、ママの膝の上に座ったり、まだ可愛さが残る男の子。 でもそれはその男の子の一部分であって、色々な表情をどうやって表現しようかなと考えていました。 被写体をどうやって表現しようか、その“ヒント”としてコーディネーターが選んだ“服”がありました。 さきほどの男の子のかわいい部分を見ていたコーディネーターが持ってきた服の中で、ママたちが選んだ服は“かっこいい服”だったことです。 そこで“服”が与える印象をくみ取り、服、被写体の雰囲気にあうインテリアを選び、撮影をしました。 そしてあえてかっこいい世界観を引き立てるために、表情が見えないようサングラスもかけてもらいました。 サングラスをかけ、あえて表情が見えないようにしても被写体から、“恥ずかしさ”が写真から見えるのはその為です。 コーディネーターが被写体を見たときに感じた“雰囲気”を“服”で表現し、その雰囲気を感じ取ってカメラマンが世界観を写真で表現している結果であり、それがつながっている写真が統一感をより一層引き立てています。 最後に、モニターが終わりスタッフルームに帰って、データを作っている際、モニタールームから聞こえてきた声。 それはパパの声で、「ジャケット写真みたいでかっこいい!!!」という一言が、被写体、インテリア、すべてが統一され、それが見る側に“世界観”が伝わったことを物語っていた言葉だと感じました。 私がずっと目指している写真は、被写体とインテリアが融合した写真であり、それが私の“答え”だと感じています。 そしてこれからも私は“被写体とインテリアの融合”する世界を追い求めていくのだと思います。
写真を好きな理由
2017/8/31
0
Photo by HIRO Coordinated by Takumi 最近、所沢店のプロジェクトの中で他のメンバーからインタビューをされるという機会があり、 工藤さんからこんな質問を受けた。 「なぜ写真が好きなのか?」 ものすごく単純な質問だ。 写真が好きでこの仕事をしているし、写真が好きだから休日でも写真を撮る。 今までいろんな好きなことを探したり、仕事でも自分が熱中できるものを仕事にしたいと考えてきて、 人生の中で初めてこれは本当に好きだから仕事にもしたいと思えた。 もし一年後に死ぬとわかって、何をするかと考えてもやっぱり写真は撮っていたいと素直に答えられる。 でもなぜ好きかと聞かれると一体なぜ好きなのだろうか? 理由はいろいろあるだろうが、考える中で一つその理由が浮かんだ。 「普段見ている世界を、写真を通して見たことのない新しい世界に生み変えることができる」 それが僕が写真を好きな理由の一つである。 写真を通してそこに新しい世界を生み出すことができるのだ。 絵やデザインとは違って、リアルにそこにあるものを使って写す写真だからこそ、 リアルであるのに普段とは違った新しい世界が生まれる。 写真だからこそ見つけられるものがあり、 写真だからこそ写し出すことができるものがあり、 写真だからこそ伝えられるものがある。 見たことのない世界を自分のファインダーを通して見つけ生み出すことができることが、 写真の面白さであると思う。 僕の大好きな写真家・ソールライターはこう語っている。 「写真を見る人への写真家からの贈り物は、 日常で見過ごされている美を時々提示することだ」 普段、当たり前の日常の中では見過ごしてしまう美しさ。 本当は輝きを放つ見逃された美しさを写真は見つけ出してくれ る。 この子との撮影も正にそれを実感するものだった。 玄関のドアを開け、スタジオに入ってきた彼への印象は中学生になりたてな、 とても可愛らしい子というような印象だった。 年の離れた妹にとても信頼されているお兄ちゃんで、その姿からも優しさが溢れていた。 ママさんはとてもオシャレな方でお兄ちゃんのコーディネートをかっこよくしてくれていたが、 彼はまだそんなことなど関心がないような素ぶりだった。 まだあどけない少年のようなこの子を写真の世界の中で、彼らしく輝かせたい。 中学生になってちょっと大人になった彼の魅力を表現したいと思った。 どうやったら彼の魅力を引き出せるか? そう思って彼のソロシーンの1枚目のシャッターを切った瞬間、そんな問いは一瞬で吹き飛んだ。 そこに写し出された彼はどこか大人びた雰囲気に溢れ、雑誌の中のモデルのような佇まい。 カメラは彼の内側にある大人な一面をしっかりと写し出していた。 写真は被写体の内側に眠っているまだ見ぬ魅力を引き出す、そう改めて思わされた瞬間だった。 やはり写真は面白い。 あとは見つけ出した彼の魅力に合わせて撮影を進めるだけだった。 この写真はそんな撮影の中の一枚で、彼の魅力にグッと寄った写真にしたいと思った一枚だ。 彼の特徴はなんといっても無造作に伸びた生まれつきのパーマヘア。 それは見た目だけの特徴ではない。 そこに彼に対するママさんの愛が詰まっていたのでそれを活かした写真を残してあげたかった。 カウンセリングの時間 、彼の無造作ヘアをワックスできっちり整えてあげると、 ママさんからあまりきちっとさせないで無造作な感じのままがいいとご要望があった。 きっとママさんはそこに彼らしい美しさを見出していて、そのままの彼を愛しているのだろう。 そこに彼を愛するママさんの愛を感じた。 そんな彼の魅力の詰まった髪型を活かしたクローズアップ写真を撮影することを決めた。 クローズアップ写真ではインテリアなどがあまり入らないため、 画面の中にどんな構成要素を入れ、どうやってまとめるかというのがポイントになる。 構成要素がシンプルになる分、一つ一つが持つ意味が重要になり、 それだけ写し出したい魅力を凝縮することもできるだろう。 今回のクローズアップでのポイントは、彼に対する愛が詰まったヘアスタイルだ。 動きのあるパーマヘアの特徴を生かして彼の魅力を引き出そうと考えた。 ふわっとしたパーマヘアは前後差を作ることで写真の中に立体感を出してくれる。 まず焦点を合わせる彼の目から髪の毛との間に距離を出すために、頬を肩にくっつけてもらう。 こうすることで顔に角度がついて前後差が生まれ、目にはピントを合わせて髪の毛はボカけすことができる。 また顔に角度をつけることで、真正面から撮影するクローズアップよりも動きのある写真にする効果もある。 髪の毛を活かした立体感を出すために、絞りは標準レンズの開放値f2.8に設定し、手前がよりボケるようにする。 フワフワの髪型に隠れた瞳を、髪の毛をかき分けるようにして分け目の間に配置。 あえて片目は無造作な髪の毛に隠れたままで。 彼のまだ隠された大人びた魅力を探し出すように。 優しく手にしたメガネも彼のチャームポイントだ。 メガネもママさんがつけたまま撮影したいと願われていて、彼を表す一つのアイテムだった。 そんなメガネの奥に見える彼の優しい眼差し。 それを表現するためにメガネを下に少しずらしてみる。 光は彼の優しい雰囲気を表現するように逆光気味な光で、少し露出を高め、光が回り込む優しい雰囲気に。 そして最後は彼らしい可愛らしい魅力も残すように、口元は口角の上がった笑みになった瞬間を残す。 コーディネーターのたくみが彼との接点を作り、笑顔を作ってくれた瞬間にシャッターを切った。 見逃してしまう日常の中の美しさ。 それは自分たちの固定概念というフィルターによって見えなくなっているのだろう。 始めは髪型をきっちり整えて撮影を始めようとしていた。 でもママさんにはちゃんと彼らしい美しさが見えていたんだと思う。 だからこそ、彼が持つアンニュイな雰囲気を残し、大人びた魅力を発見することができた。 ママさんは、 「うちの子写真で見ると大人っぽいのに、実際はほんとダサいですよねー笑」 なんて笑いながら話していた。 そんな冗談も笑いながら話せるのはママさんの中にしっかりと彼の中の美しさが見えているからなのだろう。 ママさんが笑いながら話す冗談を聞きながら、なんだかとても心が暖かくなった。 きっと彼に対する愛の深さがあるから、彼の深くにある美しさを見つめることができるのだろう。 ママさんが見つけていた彼の深い世界。 それを知るともっともっと自分も被写体を見つめる深い視点を持たなければと思わされた。 写真は撮影者の認識によって大きく変わる。 どんな想いで被写体を見つめて、どう認識するのか。 それによってファインダー越しに見える世界は大きく変わってくる。 日常の中に見逃す美しさも、固定概念を外しそれを美しいと認識すれば、 見逃さずに捉えることができるだろう。 始めの話に戻るが、写真を好きな理由は新しい世界を生み出すこともあるが、 日常の見過ごされた美しさを見つける視点を教えてくれるから写真が好きなのかも知れないと、 この文章を書きながら思わされた。 それは自分だけでなく、その視点を持つことで写真を見る人に、 自分が見つけた美しさを届けることができるということだろう。 誰かと世界の新しい接点になれる。 やっぱり写真が好きだ。
Bright Lights
2017/8/31
0
光の中に飛び込んでください、 それはこの神聖な光、 光の愛は、あなたの周りのすべて。 ライフスタジオを追求し続ける美しさとは何か? 私は常にその問いに対し真剣に取り組んでいます。 まるでそれは美術史の様に常に時代を先行し続け新しい価値観を想像するマインドのことを指すのかもしれません。 いろんな写真館に行き写真に撮られ慣れている彼女は不思議な魅力を持っているのと同時に、なにか難しさを感じる存在感を持っていました。 それは慣れ?とでも言うのでしょうか。 撮影は楽しんでいるはずなのに何かもう一歩踏み出すことができるのではないか? そんな感じがしました。 この写真がとった背景には「子供の素の姿」を撮りたいと思ったことが始まりです。 素の姿とは何か一言で言えば何者にもとらわれない様子とでもいいましょう。 ここでの問題はどこにそのような瞬間が現れるかわからないということです。 我々も人間ですから常にファインダーを覗き構えるということは難しいでしょう。 ここで一つのキーワードとして出てくるのが「規定」です。 簡単に言えばルールとも言えるでしょう。 撮影空間がスタジオということはある一種の規定はすでに完了していますが、被写体も人間ですから動きます。 そこで被写体に与える要素は遊ぶことを通して「規定」するということです。 しかしこの写真にはその要素は重要ではありませんでした。 撮影をワンシーン行い衣装替えする際にふと見つけた要素があったのです。 写真の彼女はシーン替えの際髪をくくってもらっていました、私はその様子がなんとも懐かしく思えたのです。 椅子に座っていたかどうかは忘れましたが、その身を委ねるという動作は、何か人間的に懐かしさを抱くような部分があったのです。 私が感じたのは多分私の妹が母に髪を結ってもらっている何気ないひと時を思い出したのでしょう。 そのノスタルジックな要素を私は純粋に美しいと思い、その情緒が溢れるような光を満たし撮影しました。 写真には平面的な美しさと何者にもとらわれない情緒的な内面の美しさがの存在の必要があると私は思います。 それは言うなれば心の被写体深度とも言えるでしょう。 ただ美しくただ純粋にその思いは被写体の存在に無意識に惹きつけられ弁証法的に発展していく、それは75枚の写真に存在する一枚の奇跡、我々が求める美しさなのかもしれません。 from:YOYOGI Photo:Tomiki Coordinated:Yu
写真の力
2017/8/31
0
写真はなぜ力を持つのでしょうか? 写真には私たちがスタジオで撮っている写真以外にいろんな種類があります。 個人的にはその中で最も力を持っているのは報道写真だと私は思っていました。 写真1枚で伝わってくるものは一つではありません。 写真を撮った場所、被写体、背景、なぜこの写真を残しているのか。なぜ写真にこれを写しているのか。 写真一枚を見て私たちはいろんなものを考えるようになります。 たとえば私が思っている最も力を持っている報道写真は1枚で自然の大事さを教えてくれたり、 戦争の怖さ、命の大事さ、世界で起きているいろんなものことを写真一枚で分かるようになります。 そしたら私たちが普段撮っているスタジオの写真はどうでしょうか。 私たちスタジオで撮っている写真は雑誌とかネットで検索して出てくる写真とはまた違う形の写真だと私は思っています。 私たちが撮っている写真1枚をみて私たちが読み取れるのは写っている被写体、スタジオのインテリア、光 、小物、洋服、ポーズ、カメラマンの意図だと思っています。 この子が何歳の子なのか。どの背景を使っているのか。自然光が入っているのか光を作っているのか。 どんな小物を使用してどんな洋服を着せているのか。手のポーズ、足のポーズ。カメラマンは子供の笑顔を意識したのか仕草を意識して撮っているのか。 スタジオで撮っている写真にはいろんな要素が入っていますが私たちが撮っている写真の力を持つ理由は一つだけだと思います。 それは「家族の思い」です。 私たちは毎日撮影をしています。毎日行ってその中いろんな家族に出会うことができます。 ある日は1歳のお子様がいるご家族。兄弟がいる家族。姉妹がいる家族。 皆様家族の形を写真に残すためスタジオの扉を叩いてくれます。 一家族に出会う時間はわずか2時間ぐらいでその中、私たちはママさんパパさんとお話をし、洋服を決め、 子供の撮影とご家族の撮影をします。 その短い時間の中私たちはお客様といろんな話をし、 お客様は撮影中または撮影された写真を見て話をしてくれる場合もあります。 毎日この流れが続いている中私たちはなぜずっとこの仕事をしているのでしょうか。 写真を撮ることでこの家族と子供の成長が分かるようになり、 写真だけでは伝えきれないお話を聞く機会もあります。 モニター室で写真の見ているお客様の顔を見るとみんな笑顔だったりたまには泣いているお客様もいらっしゃいます。写真1枚で家族の思い出を作り、家族が幸せになり、それを感じて自分ももっと頑張れるようになります。 この写真は今回の撮影でそれが最も響いた瞬間の1枚です。 今回撮影したのは7歳の七五三撮影でお持ち込みのお着物でした。 落ち着いている7歳のお姉ちゃんと3歳のかわいい弟、二人兄弟のご家族でした。 撮影はスムーズに終わりモニターのときママさんからのお話を聞きました。 お姉ちゃんが着たお着物はおばあちゃんが一つ一つこの子の7歳七五三のためにずっと準備してきたものだというお話とおじいちゃんおばあちゃんにずっとずっと愛されてきたとのお話を聞きました。 この話をママさんは涙を流しながら話をしてくれました。自分のことではないですがおばあちゃんの思い、 そしてママさんの感情がすごく伝わってきました。 家族の思いがあったからこそこの写真にもっと意味を付与すると思いました。 本当にこのご家族に出会えてよかったと思いました。 Jiyugaoka Photo by Serin Coordi by Gahee
見るも法楽。
2017/8/31
0
Yokohama aoba Photo:gomei Codi:Itou ■顧客に対する話 彼女は3姉妹の次女でした。 実は数か月前に3番目の妹ちゃんの撮影を横浜青葉店で行っており、今回はハーフ成人式でのご来店となりました。 一見恥ずかしがりなのかなとも思いつつも、元気に受け答えをしてくれる女の子でした。私が最初に感じる印象は、元気な女の子です。 それは誰が見ても感じるものであり、また不確定な認識にすぎません。 本当はどうなんだろう?本当はこうなのでは? 自分の認識に根拠を持つために、彼女を確りと見ます。 勿論そのために会話という行為も存在します。 言葉のキャッチボールをしながら、自分の考えと彼女の考えを出し合ってゆくうちに、だんだんとお互いが警戒心を解いてゆきます。 どんな話をしたのか。 一語一句までは覚えていないのですが、多分私のことですから、あんまりたいした話をしていないのではないでしょうか。 そんなやり取りを行っているうちに、彼女は笑うのを我慢できなくなっていました。 一つ、関係によって壁を超えたのではないでしょうか。 ■概念に対する話 美しさとは何か、それはカメラを握るので毎日考えます。 一眼レフで撮る時も、携帯電話で撮る時もいつもシャッターを切る前には一度考えてしまいます。 美について少し調べてみると、価値観念、価値認識の一つであると記されていました。 簡単に考えると、人によって価値観って違うよねという事です。 その人がどう感じるのか、それに尽きてしまいます。 姿かたちが美しいという事については、ある程度の普遍性があるかもしれません。 勿論、規定をする事は大変困難な話になりますが、もしこの形式的な美しさが各人バラバラならばダイヤモンドの価値をどのように決めましょうか。もちろん希少価値も関係してきますが。 それで私がこの写真で撮りたかった物は、現象から見る事の出来る内面の美でした。 では、あなたの求める美とは何?と聞かれると弱ってしまいます。 人によっても持っている者が異なりますし、私自身もそれをキャッチできるアンテナがそんなに長けているわけでもありません。 でもその人の美が見えやすくなる、方法はあるのかもしれません。 自分の認識しているイメージと、異なるイメージでの撮影を敢行する事で、彼女の特性を美しさという要素に近づけるのではないでしょうか。 私は固定概念を壊した先に、美しさがあるのだと信じているからです。 ■技術に対する話 ここでの撮影は割とします。 しかし中々私的にバチっ!とはまる写真に巡り会えていなかったことも事実です。 まず、ここで撮る理由は、奥の緑をほぼ解放気味で撮ることで、光の玉と緑色だけが写るようになるのでスタジオでの撮影よりも、より被写体を際立たせててることができます。 そして玄関に立ってもらうことで、基本的には被写体奥から入ってくる光、つまりは逆光やサイドからの光が包み込んでくれるような演出をしやすいということです。 しかしいつも嵌らないということは、なぜかと言うと被写体から貰ったイメージによって設定が変わるからです。 私達がいい写真という認識をするためには、私達なりの基準が必ず必要になりますね。 相手の情報、撮影を取り巻く状況、自身の概念、それらをまとめて適切に設定がする技術をもち、これらを一致させた写真が良い写真ではないでしょうか? つまりは、毎回同じ設定はありえないのです。 今回は前途したように、イメージを逆につくってみます。 彼女の元気で天真爛漫なイメージを壊す決定的な要素は、彼女のドレスの形状でした。 チューブトップのドレスの上に来た網目の服から見える背骨のラインをまずは綺麗にわかりやすくすること。 そのために大きくカメラに背を向けてもらい、そこから肩を見てもらいます。 体がねじれるようになりますので、褐色の肌にグラデーションが生まれました。 ポージングの形は作られましたので、あとはどのような表情か。 なんとなく漠然としたイメージはあったのですが、色っぽいということです。 何が色っぽいのかわからなかったのですが、なんとなく探りながら撮影をすることになりました。 彼女はゲラゲラと笑うので、ちょっとの事でも笑い崩れてしまいます。 なんとなく彼女に無理を強いりながらも何カットも同じような写真を撮ります。 なんとなく画角を変えようとした瞬間に、ふとこの表情がでました。 我慢する技術も人の行為なので、あるものだと確信しました。 ■意味に対する話 普段からも写真から感じることはものすごく多いですが、この写真をもって気付けた事は、芯と固定概念は表裏一体ながら、固定概念はつくづく自身には枷になるなと感じました。 今回は被写体の美という題材をもち、話されましたが凝り固まる前に壊したい。そんな自分自身への欲望に気がつきました。 写真は相手を写すと同時に、自身を写します。 相手の要素に気づくように、自身の要素に気づきます。 他人は自分を写すが鏡と言いますが、ポートレートは人を撮るわけですから、変わらないなと思います。 だから写真を撮って何も感じないときは、人にも自分にも興味が薄れてる時期ではないでしょうか。
第一印象
2017/8/31
0
「第一印象」 第一印象とは・・・ :物事に接して最初に得た印象。 この子が何歳か分かりますか? 表情だけをみるととても小学校の1年生の子には見えませんよね。 私の彼女に抱いた第一印象はクールビューティ。 この年代にしては、ふっとした時のまなざしの強さが私にはとても印象的でしたしグッと引き込まれる感じに非常に惹きつけられました。 実際の彼女はというと、実にその年齢らしく着物での撮影は緊張しきっていたにも関わらず洋服に着替えたら元気に弟とはしゃぐという実に一年生らしい一面を見せてくれた子でした。時折見せる、いたずらな顔にキュンキュンさせられたり(笑)そんな姿をみて、何故かほっとしたのも事実。それほどに彼女の眼差しは印象強く、同姓であるの私が惚れてしまう強くそして格好良さがありました。 第一印象というのは良く作用すればとても素晴らしいのですがマイナスなこともある。 印象と言うのは人との関係性において欠かせない、いや必ず通るものです。 その印象が今後の関係を決めてしまうこともある。 私はよく第一印象で「恐そう。話しかけずらい。」このような印象を良く持たれます。だと思います(笑)人見知りが故に、物凄い表情と壁を作っているからなのだと自覚はあります。 後々、仲良くなった人からはこの点を指摘される必ず「損してるわ~」と。 この仕事をするようになってかなりその要素は消えてはきました。それは、日々のお客様と言うより子供たちとの関りが私に変化をもたらせてくれたように感じています。大人より素直で真っすぐで嘘が付けないのが子供だと思っています。そうなれば自分も真っすぐに向き合う必要があるからです。 話は少しそれましたが、第一印象とはそれほどに大切なものだといこと。 ましてや、それが良いものならそこを残したいと感じるのは当たり前の感情ではないでしょうか? 今回、この写真を74カット目に持ってきました。 インパクトと私の最初に印象を形にしたこのカットを最後にするかを非常に悩んだのですが、最後は笑顔の彼女らしい1枚を入れました。 もしかしたらこの写真をカットして笑顔の写真を入れることもできたのかもしれませんが、今回はそれをしたくなったのです。きっと、それほどまでに魅力的な眼差しだったからなんですよね。こんな一面があるんだよ、ということも伝えたかったし知って欲しかったのもあります。 75カットの流れは毎度考えさせられます。どういう流れを作っていくのか。自分はどう伝えたいのかなど。毎回が新たな発見であり、これだ!!!と言う正解は未だにみえてません。しかし、自分の中に最後の1枚への拘りやその子らしさ・その家族らしさと自分の欲をどうバランスを取るか取れるか、それはあくまでも感覚をいう曖昧でしかない中でも自分の中に「ある」という事だけはわかってつもりです。言葉として出せないことがまた次へと繋がっていくもののようにも感じています。 Photo by ASANA Coordi by AMEMIYA
秘密
2017/8/31
0
青山、自由が丘店は今年1カ月ごとに様々な光を主題に写真に取り組んでいます。 8月の写真主題が『弱い光』でした。 『弱い光』というテーマは曖昧で、とても悩みました。 イメージがないと、ただ適正露出でない写真になってしまうと思いました。 そこで『弱い光』とは何か? 弱い光と思われる写真の資料を集め、そこから抱くイメージを連想しました。 弱い光の資料を集める中で、1人の被写体だとアンニュイな雰囲気や、寂しさや、もの悲しさが漂い、ひとりぼっちのようなネガティブなイメージが湧いてしまい、写真スタジオとして喜ばれるものなのかな?と葛藤がありました。 しばらく『弱い光』とは何か悶々とする中で、更に資料を集めました。 集めた資料の中で、恋人たちがうす暗い中で抱擁しているシーンがあり、それは“秘密感”があってとてもドキドキするものでした。 自分の中で弱い光の撮りたいイメージが『秘密』というテーマに決まりました。 2人兄妹の撮影を狙って、何度かチャレンジしました。 廊下を暗くし、被写体から離した奥のほうの場所に小さめのライトボックスを配置しました。 前後の露出差を作り、核心的な部分だけがくっきりとしたシルエットになるように調整しました。 両サイドからも補助光をあて、全体がノッペリとしたシルエットにならないよう、洋服の部分は立体感がでるようにしました。 部分的にシルエット化することで見る人の想像力を掻き立て、『秘密』というイメージがより強く演出できるのではないかと思いました。 「2人で私達に聞こえないように内緒話をして!」と声をかけることで、横顔のシルエットは笑顔のわかるものとなりました。 この姉妹はちょうど7才と5才で七五三の着物の撮影でした。 ご両親も着物でいらして、洋服の撮影はおまけのようなものでしたが、モニターの際には着物とはガラリと変わった二人の姿を見てとても喜んで頂けました。 『弱い光』は私のなかでとても難しい課題でした。 自分の中では初めネガティブなイメージでしたが、別の強いイメージを持つことで、自分の中で新しい写真を作ることができました。 また、ご家族に喜んでいただけたことで“顔のはっきりわかる笑顔の写真”とは別の写真の価値感を感じました。 これからも自分の中に課題を持ち、新しい写真の価値を発見できるように取り組みたいと思います。 Photo by Tonegawa Coordinate by Kashiwagi
写真分析 〜エッセイ〜自然な写真
2017/8/29
0
よくライフスタジオにお越しいただくお客様が私たちに伝えることがある。 【自然な写真を撮って欲しいです。】 その言葉を聞くたびに感じるのは、自然な写真とはなんだろうか? 自然という意味を見たときに辞書にはこう定義がされている。 人為が加わらない、本来そうであること。とある。 写真は意図して撮ることが多い。それは写真という結果物はカメラマンのシャッターで現れる為、人為的なものである。 それはつまり、自然とは言えないのではないかと毎回矛盾を感じながらも 私はシャッターを押している。 なんて私は失礼なんだろうか。そんな思いが溜まれば溜まるほどカメラを持つことが怖くなる。 毎月ライフスタジオでは写真と深く向き合う機会がある。 それは毎月行っている写真大辞典の主題だ。 大辞典の主題は、毎月変わって写真を撮っている。 最初は観察→形象化→抽象化→類推とこの順番で写真を撮っていたが、毎回主題をやる時に思ったのが、言葉を理解できない…だ。 その都度、心からあーーーちゃんと勉強しておくんだったと感じる。 だから言葉の意味をまず知り、その言葉を持ってどの様に被写体撮るのかを考え、自分の意味と被写体の持っている要素があっているのか写真を撮り確認する。 この一連の過程は、僕にとって"人とどの様に接してきたのか向き合う時間だ。" よくスタジオで僕自身が言われる事がある。 "写真が安定していてつまらない。" しかし、何がいけないのか分からなかった。 だって安定してるってことは、悪くないって事でしょう?と考えていたからだ。 しかし、逆を言うならば来る人みんなに同じ様に写真を撮っているという事である。 みんなに条件と環境を同じ様に使って写真を撮っていると言う事である。 それは、僕自身がその様な人生を接してきているという事だ。 問題なく人間関係を作りたい。安定した生活を送りたい。という誰しも思う事だ。 それが写真に出ている。 それだったら、プログラムを打ち込まれたロボットでもできる。 この意味を感じた時に僕の中で人にならなくてはという衝動にかられた。 よく同僚のカツに、マサクニはロボットって言われている。 その都度カツはゴリラでしょ!って思って野生的でない分、理性的なロボットの方がいいと思っていたが、 そうではなく、カツが僕に伝えたかったのが、人をちゃんと一人一人見なくてはダメだよ!という事だ。 上の方で伝えた様に、写真はとても主観的である。 だからこそ自然な写真の言葉に矛盾を感じる。 しかし、こちらの意図だけで写真を撮るのと、 被写体を知って、被写体に合う写真を撮るのとでは、 主観的な写真の意味が変わってくる。 ロボットの様に誰にでも安定した写真を撮ったり、カメラマンが撮りたい写真しか撮らない写真は、被写体を無視した写真という意味で絶対的主観であり。 被写体のたくさんの事を聞いて、知って、それらをスタジオのインテリアや光などを関連して撮る主観的な写真は、被写体が軸で作られているので客観と主観の写真になる。 それが、毎月やっている写真分析主題を通して知る事ができた。 観察を通して私がどうやって被写体を見ているのか知り→形象化を通して自分の見ている被写体を具現化して→抽象化を通して、果たしてそれが本当にそうなのかまた確認して→類推を通して、また新しい視線で被写体を見る。 これの自分が人を見るフィルターを変える事が自然な写真を撮る為に私に必要であり、人生に必要な事だ。 ライフスタジオには毎日多くのお客様が起こしいただいている。 十人十色、撮影内容は同じでも、被写体が違うので写真も変わらなくてはいけない。 この写真も一歳の誕生日記念という撮影内容であった。 スタジオに入るなり、警戒心を強めてパパとママから離れない姿を見たとき ゆっくり彼を知っていこうと感じた。 ママやパパと撮影の話をしながらも 横目で彼を見てどんな状態なのか、何を感じているのかよく見る。 時間がたっても僕に対して警戒心がなくなる事はなかったが 彼の生き生きとした瞬間が現れた。 その先には、車があった! 性別関係なく子供たちは車が大好きだ。 なぜか車に魅了し惹きつけられている。 それは、車が好奇心の塊だからではないかと感じる。 男の子にとっては、特におもちゃとして毎日遊んでいるものがスタジオでは自分より大きくなっている。 私たちがガラケーがiPhoneに変わったとき感じたもの、それは日常的に接してきたものが、突如姿を変えたら好奇心がわくのは当然ではないだろうか。 自然な写真とは、被写体の日常の姿を美しく撮るだと私は考える。 彼は仕切りに車をずっと眺めては、ママの方を向いて泣きながら向かう。 でも、それが一回ではなく何度も同じ様に繰り返すので、きっとこの子は何か車に好奇心を持っているが、 踏み込めないでいるんだと感じたので、彼の好奇心を表現したく、この瞬間でシャッターを押した。 モニターを通してパパとママの反応を見た時に、その写真が少し75カットの中で少し反応が違かった。 それは、可愛いではなく、よくこの顔する。この子らしいと、とても喜んでいた。 僕達は写真を美しい撮ることは、必ずしなくてはいけない。 美しく撮るということは、被写体を良く観察して、自分の中の持っているイメージを具現化して、本当にその被写体にあっているか確認して、予想する必要がある。 それは、被写体と自分に深く入り一緒に作らなくてはいけない。 その為には、まずは私が人をどの様に見ているのか相手にあったフィルターを作らなくてはいけない。 それがロボットでは撮れない、自然な写真を撮る事だと私は思う。
一歩ずつ
2017/8/28
0
「一歩ずつ」 赤ちゃんの撮影の時には作ることなくそのままを撮る時が多い。 もちろん自分がイメージした物を撮る事もすごく大事だが、 それに縛られてしまうと被写体も自分も自由ではなくなる。 それは色んな意味で“その人らしさ”を失ってしまう。 彼らとは会話ができる訳でもなく音やリアクション、その場の空気で誘導する事が多いが、 その分彼らは空気を察知する能力が発達している。 人見知り子だと尚更である。 ママ、パパとはまた違う人と出会う事に恐れを感じ、人見知りをすると言われている。 それは大人になっても同じ様な気がした。 新しい事に恐れ、なかなか前に踏み出せなかった経験は誰でもあると思う。 人はみんなそうやって成長していく。 この日出会った彼女は1才の女の子だった。 人見知りで私が少しでも触れると泣いてしまいすぐにママの所へ行こうとする。 その時に思ったのは「どうしたら彼女と共感できるか?」だった。 自分が前に進めなかった時に一番力になったのは、 家族からの応援の言葉だったのを思い出した。 彼女が恐怖心を勝ち抜いて「一歩ずつ」踏み出せる様に 色んな方向から応援してあげないといけないと思った。 ママパパを含めその場にいる皆が 自分を受け入れようとしていると繰り返して認識させる事に集中した。 皆が一つの気持ちになって彼女に近づいていった。 その色んな条件が重なって彼女の心も少しずつ動いていると確信した。 その時、一瞬彼女の表情から微妙な変化を感じた。 そして、シャッターを切った。 彼女と私たちが一歩近づいた瞬間だった。
働きかける
2017/7/31
0
Photo by Shie Coordi by Gahee 母と子が寄り添う 自然な姿。 この写真はご家族と私たちが一生懸命リラックスさせてあげようと努力して生まれた一枚です。 ママさんの顔は見えていません。 しかし顔と重心を自然と子供に近づけ、彼の顔を確認している姿は、ママさんの彼に対しての喜びと彼への愛を感じた瞬間でした。 彼は一歳特有の人見知りと場所見知りがあり、ワンシーン目もツーシーン目もどこか不安げで、彼の好きな歌や普段遊ぶ遊び、好きそうな物など色んな事を駆使しながらみんなが笑わせようとしましたが、ことごとくヒットせず。 そんな姿も今ならではと泣き顔なんかも沢山残させてもらいましたが、果たしてこのままで終わってしまって良いのか? 今まで経験が無いくらい敏感な彼に、私達が提供しているモノはどの様に見え感じているのか、どの様な空間を提供すればリラックスしてくれるのか、ご家族と彼の立場に立ちもう一度考えてみました。 パパさんママさんが汗かきながら一生懸命参加してくれるのは、一つに彼のいつもの姿を知っているからなんだと思います。 いつもの姿の中には、彼の人見知りな姿も泣いてる姿も怒ってる姿も含まれますが、笑っている姿も含まれています。 ここで、私達はまだ知らない事があるのでは無いかと、一旦撮影を止めてみて、ありとあらゆる話をしながら見えてきたものがありました。 それは最近座るのがブームという事。。 そこでこちらから提案したのは、広いスタジオに少しでも落ち着く空間を作るため、ソファーを用意し隅の方に彼と大好きなママも座ってもらい、近くにはパパとお兄ちゃんもいて、彼の好きを集めてリラックスしてもらう空間を提案しました。 サンシーン目で私がイメージしていたものは、彼の笑顔と寄り添う暖かい眼差しを感じれる写真。 私達はできる限り彼に緊張感を与えない様、見えない位置に隠れつつ撮影する方法を選択 ソファーの前にはライトボックスを置き、彼には私が見えない様に設置。 またソファーの位置は、丁度鏡が飾られている場所からママさんと彼が写るよう配置したため、彼の変化を見逃さずにキャッチする事ができ、残せた写真です。 構図は彼の目線の先にいるパパとお兄ちゃんを意識し四分割の一番右上に設置。 目線の先にある物語と鏡の白い縁を利用し流れを作りました。 頭の中にあるイメージを具現化するには、イメージする対象について知らなければイメージをする事すら出来ません。 その対象に対して知る事が増えるという事は、見る側にとってもイメージさせる事が増えるという事でもあります。 見る人にどこまで伝わるか、何を伝えるか、何が伝わらないかなど撮影者の見る視点考える視点で背景や構図、光などの要素は変わり写真の意味も変わってきます。 見る側が意味の分からないものや知らないもので構成された写真よりも、知っているもので構成された写真の方が伝わり易く、撮影者の意図を感じ、写真を残す意味に繋がるのではないかと考えるからです。 またご家族や被写体に対しての提案次第でも写真は変わります。 常に自分自身に働きかける事と同時に、関わるモノに働きかけ、見る側に意味のある写真を目指した一枚。 彼の目線は、沢山笑わせてくれたパパとお兄ちゃんに。重心は寄り添うママに。 彼の笑顔と寄り添う暖かい眼差しが感じられる写真を残せた瞬間でした。
笑えば尊し
2017/7/31
1
『笑い』ということについて私は人生で2度考えたことがありました。 1度目が私が小学校くらいの時だろうか? [笑ってればいいことあるよって] バカの一つ覚えみたくどことなく頭から離れず、なんとなく笑って、なんとなく友達を笑わせて、たまに心では笑ってないけど笑っていれば私を満たしてくれてるんじゃないかと思ってました。 現在も笑って過ごせるようにと、考えることは多いかもしれません。笑顔は連鎖するということを私は体感してきました。私の笑顔や周りの笑顔というものは私自身の心を満たしてくれます。 そして2度目に、誰も知らないであろうお笑い芸人「骨をも砕く」というコンビの1人と約1年同居していた時代です。笑いということに人よりも考えている人がそばにいる。そんな状況は今思えば貴重な時間だったと思います。いろんなお笑い芸人のネタをテレビでみて「タモリさんはさすがだね」「今の突っ込みはまねできないなー」とテレビ画面にむかって話し、あの頃は豊だったなーと青春時代を語らうように今でもお酒を飲みながら笑い話として語っています。 そんな彼と“笑い”ってなんだ?という話をした時のことです。 彼は言いました。 「笑いってさ、観察する力が大切で自分の周りで生活している人からエピソードをもらい自分の中で調理するものだと思うんだよね」 「くりぃむしちゅーとか中川家ってそこんとこほんとにすごいから!!!笑いって案外他力本願なんだよなあ」 なるほどーと私は思います たしかに笑いのネタって常に人の行動や考え方をつっこんだりしている光景をよく見ているとそのころから意識するようになった気がします。 笑顔でいるということは状況作りであって、笑顔になってもらうということは状況把握なのかもしれません。 まあ、そんな話はさておき、、、、 笑顔を引き出すにも写真にも撮影にも共通して言えるのが観察をすることです。 私たちは感動を与える仕事に属していると思います。写真館は記録を残すことから少し離れ、エンターテイメントな仕事に変化してきていると思います。感動してもらえるように、被写体の日常的な姿、非日常的な姿を様々な要素を現場で見つけイメージ、流れをつくり、その日の撮影背景も一緒にお客様に提供しています。その中で笑顔というものは絶対でないものであると思いますが、笑顔を引き出せるのであればどうにかして笑ってもらいたい、私たちは笑ってもらえるように日々奮闘しています。その理由は心を満たしてくれるのが笑顔という場合が多いというか、喜びに直結しているのが笑顔だからだと思います。 笑顔の良さを引き出す条件は何かを考えます。 彼女(絵麻ちゃん)のどの角度がその子の良さが伝わるのか?つまり私が接して気づいた私なりのベストを決定します。 私はこの写真の彼女絵麻ちゃんという本日の主役の笑顔をどうみたのか。ストレートに正面からのくしゃっと目を細めた彼女の笑顔が好き。それだけです。 次にカメラでどう表現するのか? シャッタースピード 1/1000 絞り 1.8 レンズ 85mm 西日の強い直射日光でした。絞ることによって表情以外はボケ、シャッタースピードを上げたことによって影となる部分は色濃く残ります。 モノクロで撮ったのも陰影とその良さを引き出してくれるためです。 映したいのは彼女の笑顔のみ、クローズアップでいきましょう。 そしてどのタイミングでどの様に? 彼女の声が聞こえる写真となればこの写真はうまく着地したと言えると私は思いました。 私が見た絵麻ちゃんは妹の紗世ちゃんのイヤイヤも優しく見守る優しいお姉ちゃんです。そんな彼女は2つの笑い声がありました。クイズや冗談ではわはははは、あはははははと笑ってくれます。 しかし、もう一つの笑い声が存在しました。妹がイヤイヤし泣いたり叫んだりした時はシシシシシシシと笑いました。これが今しかない絵麻ちゃんなのだろうか?いやきっとそうだ! この瞬間シャッターを切りました。 「シシシシシシシシ」 そして思いました。 この笑顔は人柄がにじみ出ている、と。 笑顔の良さを引き出す条件を整理した時、その笑顔の裏側と写真から出てくる笑い声は成立したのではないでしょうか。 1時間とちょっとだろうか話して、接して、観察して見えたその彼女のこと。素の絵麻ちゃんというか、紗世ちゃんのお姉ちゃんである現在の絵麻ちゃんらしさ。 今回の写真のように笑っている時、優しさや我慢、自分の立ち位置を幼い彼女の人柄がわたしには突き刺さりました。 この絵麻ちゃんがこれまで過ごしてきた今日までの背景がほんの1部みえ、 彼女らしさがこの1枚に詰まっているとご両親が感じてくれること そして本人がいつの日か私ってこうだったんだと思ってくれること、そんなことを私は願っています。 この撮影を通じ、一つの笑顔の理由を知ることが出来ました。 この日の笑顔の理由が将来語られたら嬉しく思います。 撮影背景込みでの1枚は エンターテイメントな写真館だから残せる1枚とそう思っています。 一人一人に笑顔の理由があり ひと家族ひと家族に笑うストーリーあり! そして、この幼き尊い笑顔にありがとう。 Photo by CHIBA Coordi by GAHEE
アイデンティティとは
2017/7/31
0
Photography by oikawa Coodi by takagawa ライフスタジオのフォトジェニックを選ぶ際、未来やアイデンティティを表す写真がよいと言われています。 ライフスタジオのアイデンティティとはなにか 被写体の美しさ(その人らしさ)と、楽しみの空間(インテリア)がわかる写真こそ、ライフスタジオのアイデンティティがわかる写真だと私は考えます。 Life StudioのHPの中で、 Life Studioは写真館の定義を、美しさを表現し思い出を記録する楽しみの空間だと述べているからです。 対象が被写体だからこそ、被写体がメインになった写真が多くなってしまいがちですが、被写体メインの楽しい瞬間だけを収めた写真だけでは足らないということなのです。 インテリアがわかる写真と被写体との融合があってこそ、アイデンティティに近づく写真であると考えます。 “被写体”+“インテイリア”との融合“ インテリアと人の融合が見える写真こそ、今回の目的だったので、あえてモノクロを選びました。 モノクロは色がなくなるため、“光”や”色”などに左右されなくなります。 インテリア写真を考えるうえで、光や色だけを見るのではなく、小物などが写る背景についても考えなくてはいけません。背景について考えるということは整理するということになります。 整理するとは、どこでトリミングするかということです。 写真を整理する際、写真に写っている範囲を少なくすることで、整理された印象を与えますが、今回は被写体とのSTORYがあったのであえて横でトリミングをしています。 横写真は沢山インテリアが写り込む為、トリミングをする部分を慎重に決めなくてはいけません。 撮影スペース全体を見回した時、整理する部分は“衣装を展示しているスペース”と左の“窓”でした。 ファインダーをのぞくと“窓枠”が強調されてみえたので、被写体の動きとインテリア(背景)に目線が行くようあえて前ぼかしを使い、窓を消す必要があったからです。 ひとつのリボンで、前ぼかしで使ったとき、窓際を消しているという印象しか与えることが出来ず、左に余白ができるだけで不自然な印象を感じました。重たさをなくす為に、二本のリボンを使って前ぼかしを重ねています。スパンコールを前ぼかしにつかうことによって窓から差し込む光の透明感を表現することが出来ました。 次に被写体について 被写体について考える時、まずその被写体がどんな子なのか分析する必要があります。 被写体を分析することは、インテリアが持っている世界観と被写体とを繋げるためのSTORYを作ることができるからです。 被写体をただ立たせて表現するのではなく、その子らしさを理解し、演出しすることによって、被写体とインテリアが融合されていきます。 STORYのヒントは、撮影前に彼女が自分でドレスを選び、髪飾りなども自分で選ぶ姿に“こだわり”が垣間見えた瞬間があったからでした。 ドレスを着た彼女の表情は、心躍るようにワクワク感に溢れていました。 それをどうやって表現しようか考えた結果、“どんな洋服を着ようかなと、自分で洋服を選ぶ”楽しさ”を表現することで、インテリアとの融合に結び付けることが出来ました。 ドレスを着た彼女に、沢山の洋服と髪飾りが並んでいるインテリアの前に案内し、どんな洋服が似合うかな? 自分で選んで取ってみて。と声をかけました。 彼女は自分の好きなものがわかっており、自分で服を選ぶことが出来ることを理解しているからこそ、シャッターを構え、彼女が自分の好きな服を取るその瞬間を待って押した写真なのです。 被写体とインテリアを理解し撮影することがアイデンティティを表現する一枚だと考えるのです。
[RESONANCE]
2017/7/31
0
Photo by volvo codi by kudo PHOTO IN Tokorozawa 「この写真すごくいいね」 モニター中。 この写真が流れた瞬間 パパさんはモニターを指差し ママに向けてこう言ってくれました。 10回目のご来店。 1歳で初めて撮影に来てくれたお兄ちゃんはもう10歳に。 妹である彼女も7回目。 ご家族全員がライフスタジオをとても熟知していて、それと同時に ライフスタジオで過ごす時間をとても楽しんでくださっているのがわかりました。 私は普段あまり撮影履歴は気にしないのですが、今日までに行ってきた9回の撮影で 様々なカメラマン達が写真を撮り、いろんな美しい記録と楽しい記憶が彼女達に蓄積されている事を 冷静に考えてみると、今日の撮影で自分が彼女達に何をする事ができるのかと考えては 撮影前に珍しく動揺する自分がいました。 ここ数年そんなことで動揺などした事がなかったのになぜこんな気持ちになったのかというと この撮影に一緒に入ってくれた工藤さんの言葉があったからです。 ある日、唐突に「撮りたい写真が撮れていますか?」といった趣旨の質問を私にしてきました。 長年同じ仕事をしていれば変わっていくものではありますが、私の撮影スタイルや写真の傾向が少しずつ 変化している事に工藤さんはここ数ヶ月で気づいたようでした。 例えばサッカーで、若い頃にガンガン走って点を取っていたフォワードが年を取ってくるとバランスををとる役目や ゲームを作る役割に変わっていく姿を目にしますが、それに少し似ている変化かもしれません。 質が変わったというよりは傾向が変わったという表現が正しいように思います。 店長という役柄なのか、自分が点を取る役割ではないという認識が私をそのように動かしたのでしょうが 工藤さんの言葉は「もっと自由に」と言われたようでした。 よくよく考えてみれば、動揺していたのは彼女達に何をする事ができるかわからないからではなく 自分の力を発揮する事ができるのかという自分自身に対する懐疑心によるものであったのかもしれません。 その瞬間、数年前ギラついていた頃に発した 「写真の距離は心の距離だ」という偉そうな言葉を今の自分に言い聞かせなければいけない。 そう思いました。 自分で作った言葉なのにこんな事を言うのもあれですが 彼女達を撮影しながらつくづく写真の距離は心の距離だと 感じる瞬間が何度もありました。 子供達は変わっていくもの。 毎年来てくれているとはいえ、子供の一年の変化はとても大きいものです。 7歳の彼女はこれまでの撮影は積極的だったという話を後から聞いて驚いたくらい照れ屋さんでした。 最初にドアを開いた瞬間に抱っこするにはちょっと大きいその体が背中を向けて 玄関を入ってきたことから誰でもわかるくらいに・・・。 多少打ち解けてきた事もあり、撮影中に笑顔を見せる事はいつの間にか当たり前のようになっていましたが 人には慣れても写真には慣れない。そんな雰囲気でなかなかカメラを見たり、こちらのお願いに応えるのは照れてしまいます。 恥ずかしい、でも本当はやりたい・・・。 一生懸命やろうとしてくれる彼女に対して、私たちは彼女のその一生懸命さに甘えてはいけないと思い 工藤さんと二人で指示よりも楽しく、ポーズよりも面白くが勝るような喋りかけと場の空気を作る事に集中しました。 なぜなら、彼女の一生懸命さに甘えてやってくれることをただ撮るだけならば 彼女にとって写真撮影というものが、写真が残っても楽しい思い出にならないかもしれません。 それに、その程度の距離感ならば私の写真が撮る事ができません。 その度に思い出します。 「もっと自由に・・・」 自由に写真を撮りたいならば、何を撮りたいのかがはっきりしている事と、それが撮れる条件を自ら作り上げる事が必要です。 彼女の日焼けした褐色の肌と新しく取り入れた肩の見えるドレス、工藤さんが編んでくれたラプンツェルの髪型 そして照れながら期待に応えようとする彼女のいろんな感情の混ざった笑顔。 今この瞬間にしかないこの組み合わせを表現したい・・・。 それがこの撮影における私に取っても「もっと自由に・・・」でした。 そのためにはまず光を選択する必要があります。 私の写真はオーバーにもアンダーにもなります。 明るい写真もあれば鼻筋に光るものしか見えない写真もあります。 ただひとつ共通してるのは「光」に集中している事です。 当たり前を美しく、当たり前を少しだけ特別に。 これが光を操る理由です。 この写真の光はいたってシンプルで、ただの逆光です。 しかし、そんな当たり前を少しだけ特別にするには適切で自然な露出差が必要です。 露出差を作るのは当たり前な事ですが、考えると奥が深いものです。 明と暗の差を3:7にするか2:8にするか・・・ちょっとの差で表現が変わります。 結局はどうしたいかです。 今回は4:6位を選択しました。 理由は強めな光が背中と頬をオーバー気味にする事で幻想感と被写体のラインを綺麗に見せる事。 次にどのように実際にそうするかですが、これには答えがありません。 なぜならその時々で状態は変わるからです。 今回で言えば背中が見えなくなるくらいの露出を設定する事と表情が白飛びしない事が必要でした。 背中を見えないくらい飛ばすのは簡単です。あとはその露出に表情の部分が耐えられる根拠が必要で それは彼女の日焼けをした褐色の肌が私に根拠を与えてくれました。 次にトリミングですが、被写体である彼女が右に寄っている理由は二つ。 「光を背負う」意味と右端で少し輪郭を切るためです。 「光を背負う」というのは構図上「何もない」所に光を置いて「何かある」ように余白に意味付与をさせる事を意味します。 左半分はただの白ではなく、彼女の背中が前面に光を受け取って光に背中を押されているようなイメージです。 輪郭を切るというのは被写体のバランスを意味します。 彼女は細身でもあったし、衣装や光の関係上、体がすごく細く見えるため写真の上半分と下半分で重心に違和感が出ます。 しかし、右側の輪郭を少し切る事によって体の厚みとほぼ同じ幅になるため重心に安定感が出ます。 そしてこの写真の一番重要なポイントでもあり全体の統一感と核心を生んだのが前ボケと表情そのものです。 前ボケは主に遠近感とデザイン性、または被写体との距離感作りに利用しますが、この写真における前ボケは そのどれでもなく、料理で言うと味を引き締める最後の調味料のような役割です。 具体的に言うと左の白い部分と被写体である彼女のつなぎ役です。 4:6で作られた明暗差にフィルターをかける事で明暗差を維持しつつも暗が目立ちすぎず 白い光と調和して見える事、右下の彼女の腕に対してもフィルターがかかってる事で違和感を最小限にしています。 表情についてはいつも心がけている事があって、それは「最後の一押し」というやつです。 例えばこの写真を作るにあたって彼女が笑っていなくても(笑わせなくても)似たような写真を撮る事はできます。 しかしそれは形式は同じ写真でも全くの別物「似て非なるもの」です。 「きた!」と思った瞬間からのもう一声。これが写真の質を大きく変えます。 「写真の距離」はこういうところから縮まっていきます。 モニター後、彼女が私とサッカーがしたくてボールを抱えてスタッフルームの前まできたものの、恥ずかしくて開けられずに 戻っていったという話を帰り際、工藤さんから聞いて、今日の撮影は大成功だったと確信を持つ事が出来ました。 結局、目の前を明るく照らしてくれるのはいつだって関係性です。 この写真に出会わせてくれた工藤さん、そして大村ファミリーに感謝です。 「写真を通して関係を作る」
ふたり
2017/7/31
1
兄弟ならではのしぐさや表情は、その兄弟でしか出来ないものだと思います。 面白い事に同じおもちゃ、同じ向き、同じポーズの指示を促したとしても、どの兄弟としても同じモノは無く、むしろこちらが予想だにしていなかった動きや表情をみせてくれます。それらの予期せぬ出来事は、時にこちらの意図を越えてより写真にストーリー性を与えてくれれのです。これが兄弟写真を撮影する上で、最も撮影者を夢中にさせてくれる魅力の一つだと私は思います。 この小さな兄妹も、このように私たちのイメージを越える深みを与えてくれた二人でした。 小さな兄にとよく笑う妹、それだけで既に十分な写真が撮れる被写体だと思いますが、この兄妹をこの2人ならではの関係を表す何かがまだ足りないと、撮影しながら私は物足りなさを感じていました。そこで、この2人のそれぞれの動きや、他者との関わり方などをよくよく観察してみて感じられたのが、この小さな兄妹の幼いながらに妹にたっぷり愛情を注ぐ兄の姿と素直な妹、特に兄の兄たる自覚を強く見てとれました。 私にも1人弟がいますが、18歳になると私も弟も進学により一人暮らしをする為、それぞれ実家を出たので姉弟で共に過ごした期間は、とても短いものだったと思います。今では年末年始の時くらいしか会う機会はありませんが、父が残してくれているアルバムや、母から聞く幼い頃の私達姉弟は、私達の記憶には薄い思い出しかなかった事が、写真と共に語られるエピソードを通して、思い出が鮮明によみがえってきます。 その写真は、カメラを向ける父に向かって田んぼの泥をひっかけようとイタズラを仕掛ける私と、それを少し離れた泥がかからない位置から眺めている弟でした。自由奔放で向う見ずな性格な私と、慎重で計画的な性格の弟との昔から変わらないこの立ち位置である姉弟の関係性は、今も続いています。そしてその私達姉弟ならではの関わりを表すものが、写真というツールで今もなお家族の大切な記憶としての役割を示し、また家族の大切思い出を記録するという事を仕事する私に少なからず影響を与えているという事に、改めて写真と人との関係性の深さを感じました。 冒頭に戻りますが、この写真は兄妹との関係性を写しだすと共に、撮影者である私と共に撮影空間を作ってくれるコーディネーターとの関係性をも写すものでもあります。スタジオでの撮影は決して1人で作り出せるものでは無く、いろいろな人の想いが交差し、誰かと共に作りあげていく事で、世界でだった一つの写真が出来上がるのだと思います。それには、共に撮影に対して向き合う人への信頼が大切になってきます。 この時の撮影では、兄妹ならではの関係性を写す事に四苦八苦していた私を何気ないコーディネーターの行動により、小さな兄妹の関係性を写し出す結果へ導かれました。二人でイチゴを食べてという指示に兄が取った行動は、妹の小さな手をつつみ込みながらイチゴを食べる様子でした。年齢的に、もっと大胆にイチゴを食べるのかと思いましたが、予想を反した行動に驚いた。この小さな妹の手を包み込むというしぐさは、この兄妹でこの兄ならでは関係性をありのままに表していると撮影しながら感じました。 コーディネーターの考えと私の考えは、一緒の撮影空間にいるから絶対同じとは限りません。ですが、この兄妹のようにそれぞれの自分の立ち位置が見事に違うもの同士だからこそ、その関係が交差した時、思わぬ化学反応が起こり、その人の記憶に残る忘れられないエピソードが生まれるのだと思いました。1人より2人、そして関わる人の数だけ、様々な物語が生まれのです。 photo byYuko coordi byShie
大きな羊
2017/7/31
1
ずっと不思議でした。 なぜ『美』という字は、 羊が大きいと書くのか… 美のモチーフとするなら、羊という生き物はあまりふさわしくないような気がしていたんです。 もこもこ丸いフォルム、のんびり穏やかで食いしん坊、眠りたい時に数えたくなるほど、安らぎを与えてくれるキャラクター。 『美しい』よりも、かわいいとか、やわらかいとか、やすらぎみたいなニュアンスの漢字の方が合ってる気がします。 動物をモチーフにするなら、もっとこう、馬とか良いと思うんですよね。 あの毛並み、骨格、筋肉美。古来より絵画や彫刻のモデルになりやすい動物ですし、漢字発祥の中国でも馬の美しさにまつわる故事は沢山ありますから、少なくとも羊より『美しい』はずです。 しかし現に美が羊によって構成されているのを見る限り、私のこの考え方は見直さなければならないでしょう。 職業柄『美』というものを追求する上で長い間気にはなっていましたが、なんとなく考えるのを避けていた問題でもあります。 ちょうど自分の限界に直面していた私は、『美』の本質について改めて考えてみる時が来ていました。 我々の使命は、ビジュアルに訴えかける事です。 写真を『聞く』『食べる』といった事はしませんから、これは間違い無いでしょう。 しかしいざ実際に写真作品を作るとなると、昨今の私は見た目の美しさを如何するかに足を囚われてしまってその先に行けない。そんな日々が続いていました。 その思考の結果が『馬』止まりで、いつまでも『羊』なるものに昇華する事ができないのかもしれません。 ではこの羊とは一体何者なのか このスランプを脱するヒントになるのではと、今回この文字を解剖してみる事にしました。 しかしただ漢字辞典を開いても面白くありませんし、今の自分の状況に必要な回答が得られるとも思えません。 そこで今回は、実際に調査する事が困難な内容を百科事典もGoogle先生も使わず、今持てる知識と少ない手掛かりを元に論理的に概算する『フェルミ推定』によってこれから解を辿ってみたいと思います。 この方法を辿れば『シカゴには何人のピアノ調律師がいるか』『東京にはマンホールはいくつあるか』などの途方もない問いも一般知識と論理的計算のみで導き出す事が出来ますので、頭の体操にももってこいです。 さて、何かと言われる『中国四千年』という言葉から察するに、中国の有史時代の始まりは四千年前であり、中国文字の祖で知られる甲骨文字の発明も恐らくその頃である事が推察できます。 万里の長城は紀元前に北部の遊牧民族と南部の農耕民族の争いの結果出来た物ですが、その頃の王朝の勃興が黄河文明と無関係のはずがありませんので、文字の発明も当然黄河付近(中国北部)であったと見るのが妥当でしょう。 つまり北部で最小限の荷物や家畜と共に大陸を渡り歩いていた遊牧民族の生活スタイルや価値観が、この甲骨文字に対して与える影響はかなり大きいはずです。 家畜といえば、定番は羊。 その毛は衣類、乳や肉は食料、骨は他でもない甲骨文字の材料として政治や重大な決定の場で使われ、余す事なく人々の生活を支えていました。 ここで注目したいのが、聖書などを見ても羊は神様へのお供え物という重大な任務を果たしていたという事。 上記のような特別な存在だったからでしょうか…? 勿論現代でも神様へのお供え物にあえて痩せた作物を使ったりしませんから、当時においても相当大きく立派な羊が相応しかったと思われます。 供物とは言うなれば、地上と天界の橋渡し。 仏閣や神殿に代表されるように、いやもっと遥か昔の先史時代の陶片や洞窟壁画にもあるように、芸術や美しさへの追求は常に信仰を、人知を超えたモノへの感情を基盤にしてきましたから、人々はこの羊という存在に対して並々ならぬ感情があったはずです。 それは例えば、感謝とか、畏敬。生活に密着した温もりと、アニミズムを母体とした神々しさ。 そう、神々しいのです。 外面ではなく、内側から輝いているのです。 それはまさしく、僕がこの親子の光景を見た時に襲って来た感覚そのものでした。 もう一度写真を見てみます。 当然ですが、このbabyが飲んでいるミルクは彼が自分で買って作った物ではありませんから、きっと誰かが与えたものであるはずです。 左上の大きな手からはbabyへの愛情が感じられますので、おそらくこの手の主が与えたと考えるのが自然でしょう。 そしてそれを、何の疑念も抱かずに必死に飲む。 口元に入った力からは生命力が、優しく閉じたまぶたからは、安心感が伺えます。 babyが頭を預けているのは、クッションか、誰かの膝でしょうか。 どちらにしても、信頼関係無くして出来る事では決してありません。 そしてその額を優しく撫でる慈愛に満ちた左手には、薬指に愛の歴史が感じられます。 写真には写っていませんが、きっとこの手の主はbabyをやさしく微笑みながら見守っている事でしょう。 ふとした瞬間に出会った、美しい、午後のひと時。 この光景、この写真でまた一つ、美とは何かへのヒントを得る事ができたような気がします。 馬を脱し、少しでも羊に近づけたような気がした、そんな一日でした。 No.24 Lifestudio Shonan Photo by Hisho Morohoshi Coordi by Akimi Yoshikawa
写真を撮る理由
2017/7/31
1
美しい写真をのこす。 私自身必ず写真を撮るときに心がけています。 美しさという言葉にはたくさんの意味が含まれています。 その中で1番私が重要にしているのが被写体が持っている一番いい要素を綺麗に残すことです。 人は人それぞれ外見も違えば中身も違います。 そしてその一つ一つがその人を表す要素であります。 要素をただ撮るのでは、その人の現状をそのままただ撮っただけになり、 美しい写真とは言うことができません。 美しく要素を撮る為には、まずは被写体が持っている1番良い要素をカメラマンはみつけないといけません。 そのために、いろいろな角度から被写体をみたり、会話をして感情を表して貰ったりと 被写体をよく観察することです。 そしてその観察が終わったら、カメラの中の限られた空間の中でどの様に残すか考える。 ファインダーの中の限られた空間では、何を足して何を引くのはを瞬時に行わなければいけません。 それは1秒1秒過ぎることで、被写体の表情は変わり、外からくる光も変わるなど、その時の被写体は戻ってこないからです。 私はこの2つを必ず組み合わせ、被写体の持っている1番良い要素を美しく表したいと思ってます。 写真の彼女は出会った瞬間にこれを撮らなくてはいけないと感じた。 琥珀の様な瞳は、光を浴びることでキラキラと輝きが増した。 この輝く瞳を私は撮らなくてはいけないと感じた。 そのために、店舗で光が最も入り、そして反射光を使って彼女の瞳が輝く様に全ての環境を整え 美しく撮ることができた。 私は今まだ美しさを表現する方法を多く持っていない だからこそ私の知らない美しさはまだまだあります。 だからその未知なる世界をさらに追求して表現することを追い求めていきます。
前へ
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
64
65
66
67
68
69
70
71
72
73
74
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
90
91
92
93
94
95
96
97
98
99
100
101
102
103
104
105
106
107
108
109
110
111
112
113
114
115
116
117
118
119
120
121
122
123
124
125
126
127
128
129
130
131
132
133
134
135
136
137
138
139
140
141
142
143
144
145
146
147
148
149
150
151
152
153
154
155
/ 155
次へ
コミュニティに戻る
フォトジェニックに戻る