フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

共感覚者のディアレクティーク

投稿日:2017/12/31

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サムネイルを見ただけでは、それが何か判然としない

拡大してみるとまずギターの存在がわかり、そこに乗せられた手が見えてくる。
演奏の為だろう。袖が捲られたその腕は無骨なようにも見えるが、繊細さも感じられる。
もう片方の腕は袖が捲られず、その対比がより右手のアクティブさを強調する。
曲げられた足はステップの途中なのかもしれないし、力強い音を放出した瞬間なのかもしれない。
背中側で上着のような物が揺らいでいる事から、モーションの瞬間である事は確かなようだ。
足元にある四角い箱のようなものは、前述の状況からアンプであろう。奥と手前にも似たような物がある。共にはっきりとは写っていないものの、それらが同じものである事が想像できる。
シルエットで辛うじて髪と鼻筋が見えるが表情はわからない。目を閉じて音楽やこの場の空気に酔いしれているようにも、真剣な表情で指先を見つめているようにも見え、それは見る者の想像に自由に委ねられる。


芸術と名のつく物は押し並べて概念化の方向に進む傾向にあるが、写真館のフォトグラファーは今以って実存に敬意を払う必要がある。
それが今日の私達を制限してきたが、撮影における切り口を転換する切っ掛けも提案してくれる。
即ち実存の為の概念ではなく、概念の為の実存であると。


例えば普通にスマホで自分の手を撮れば、撮られた手の写真はそれが手である事を容易に認識できるはずだ。
しかしこの写真の彼の手はそうではない。この手だけを切り取ってしまうと、それが何であるかは判断が難しい。全体を俯瞰してみてようやくわかる構造だ

表情もそうだ。顔だけを切り取っても、表情を想像するのは容易ではない。足元のアンプも、この人物がいなければ何なのかさっぱりわからないだろう。
見る者によってはギターの音色が聞こえてくるかもしれないし、これが舞台に見えた者には観客の歓声さえ聞こえてくるだろう。
描かれ切れていない物を、実は脳が補っている。
こうして1を描いて、2を感じてもらう。広義の共感覚がそれを助ける。これはそんな戯れ者のディアレクティークだ。



- 夜目、遠目、笠の内 -

日本人古来の感性を表すこの言葉が好きで、写真人生が始まった時からこの概念は大切にしてきた。

一説には江戸時代に端を発するこの言葉。
夜の行灯や月明かりの下でぼんやりと見える女性。遠くからなんとなく見える距離の女性。笠を被り、時折チラリとその顔が見える女性。
この三つの条件はその女性本来の美しさをより引き立たせてくれるという、日本人が持ち合わせている曖昧さからアプローチ。
もちろんこれは女性だけでなく、男性やその他人間以外の対象物にも適用される。
しかしこれが極まれば共感覚の一辺に到達する。即ち印象が実存への依存から解脱し、それ独自の構造を作るストラクチャーだ。

例えばこんな三つのアレゴリーを参考にしたい。

①おばけ屋敷は、おばけが出て来るまでが怖い。
②銃口は銃弾よりも支配力がある。
③25日に至る12月の全ての日が、クリスマスである。

①は最も興味深い事例だ。
そこにまだおばけはいなくても、視覚を含むあらゆる体験のプロセスをジャンプして「恐怖」という感覚へ直結させる。どんなおばけが現れるのか。そこを歩く人によってその想像がそれぞれ異なってくる点も面白い。誰もまだ体験していないのだから、当然の事だが…
日本と欧米のホラー映画の性格を比べるとこの違いは顕著で、「13日の金曜日」のジェイソンは序盤から大暴れだが「リング」の貞子はラスト5分まで現れない。にも関わらず「匂わす」演出によって、見る者に終始不安と恐怖を与える。
実存に頼らないこの手法。興行物である事を無視すれば、一切おばけの出て来ないホラー映画も作れるだろう。

②は少し誤解を招きやすい。
もし目の前の相手に突然くすぐられたら、次その人が同じ仕草を見せれば、実際にはまだされずともくすぐったいと感じてしまうだろう。しかしこれはただの生理的反射であり、①と似ているようで全く異なる。誰かにくすぐられた経験は誰しもあっても、銃で撃たれた経験は殆どの人はまずない。
それでも、もし目前に暴漢が現れたら銃弾ではなく銃口に恐怖する。
それが例え箸であっても、向けられる事を人は嫌悪する筈だ。

③はわかりやすいシンプルな方程式だ。
12月になると、街角ではあらゆる場所でクリスマスソングが流れる。
あらゆるお店の装飾はクリスマス仕様になり、あらゆるメディアがクリスマスの特集を取り上げる。
25日になるまでの期間は全て、人々の心はクリスマス一色になりうる。
人々はクリスマスでなくても、「クリスマス」を楽しむ事ができる。
ただその期間に置かれている間はそれに気が付きにくい。
26になった瞬間夢から覚めさせられ、改めてその事実に気付かされる構造だ。



被写体の概念化における、たった一つのルール。
画面内の要素は、説明する為ではなく、誘い込み、想像させる為にある。



photo:Hisho Morohoshi
model:Masashi Kuroki

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