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店舗フォトジェニック集
ライフスタジオで撮影した各店舗のベストフォトを集めました。
経歴
2014/9/17
2
被写体を動かす力が大切だと誰かが言う。被写体を動かすためにどんなアプローチをし、被写体をどう動かしたいのか、頭の中でぐるぐるぐるぐる考え組み立てる。そしたら実際に動かし、顔の向き、目線、手足の位置を自分の意図に近づくように導いていく。この写真は、一切そのように導いていない。この写真は「男臭さ」をプンプンと匂わせている。それは撮影者の意図したものであり、説明が出来なければならない。まず、その渋み溢れる顔つきに男らしさを感じずにはいられないだろう。注目するは、上下身に着けているインディゴブルーのジーンズ&シャツ。ジーンズってのは実用的で、リラックスとカジュアルの空気を持っていながら、主張と抑制とを併せ持っている。またジーンズはその人の経歴であり、その人が歩んできた日常、それがその人にしかない人生観を主張させる。彼は若干7歳、まだまだ人生歩みはじめたばかりの子どもに過ぎないかもしれない。そうだとしても、この写真を見たとき、若干7歳の男の子には見えない。それは、その色が落ちたジーンズとシワなどが感じさせるジーンズからの記号が、彼のこれまでの経歴を想像させる。彼のまなざしは、どこへ向かっているのか。撮影者の方を見つめているようで、そうではない。画面の外にある人物の何かを見つめているのか。おそらく彼は何を見るわけでもなく、まなざしを何かに向けている。撮影者への意識はほとんどない瞬間だった。そこに何となく置かれたアンプの上に浅く腰を下ろした被写体である彼の体勢はとても人間らしく、自然で少々けだるい雰囲気をかもし出している。頭に違和感があった彼は右手を頭へ持ってゆき、掻き出した。けしてこちらの意図したものではない。撮影も終盤になり、彼の集中力も切れてきた頃であった。息つく間も欲しい状態であったであろう。その彼をどうにか会話や遊びで楽しく笑顔溢れる元気な写真を作ることもできただろう。しかし、そうはしなかった。撮影をしながら、彼のふとした瞬間におこる無意識の仕草・表情の魅力を感じていた。だからこそ、その瞬間を転機を消してしまわないように、遠くから静かに見守ることが必要であり、さらにその渋み溢れる表情と仕草に見合う、コーディネートが必要であり、不適切な光や構図などで、被写体の魅力を損なってはならない。
Profile
2014/9/7
0
Yokohama Aoba No.99Hairmake & Coordinate by KaoriPhoto by Kudo物語る存在であること。それを表現して伝えること。人の存在とは物語るものである、という言葉を聞いたことがあります。それは、唯一の存在であるということ。それぞれの存在が唯一の物語を持っていることであると思います。たとえ双子であっても、その2人は別人でありますし、それぞれ歩んできた過去、これからの未来、その中で出会い、経験していく事柄で、その人の性格や人となりが物語となって形成されていきます。そうした中で、人とは無限に存在し、それが唯一のその人ということになります。私たちが目指す写真とは「人」という唯一の存在を、最大限の技術で現すこと。そして、イメージをプラスしていくこと。それには、カメラマンの力のみでは限界があります。写真の要素とは、カメラマン一人の力を磨いても、それが100%の要素になるわけではありません。今回の撮影でもそうでしたが、まず私たちは2人で撮影に入っていることで、カメラマン一人の力の限界を突破することができます。ヘアメイクとコーディネートをしてくれる佐々木さんは、被写体に合わせたヘアメイクとコーディネートをしてくれます。彼女は常に「人」という観点で被写体を見ており、ヘアメイク・コーディネート中に誰よりも被写体の近くに存在するような会話をしています。そうして被写体の表情が性格、その人となりを見て、その被写体の長所を最大限に引き出すヘアメイクを提案してくれます。私一人の力では、こういった部分を創りだすことは不可能です。しかし、彼女がいることで写真の可能性が何十倍も広がります。彼女という「人」がいるということが、良い写真を生み出す大きな要素の一つになります。そして、被写体である彼女の存在。彼女が「誰」であるのか。私たちの目指す写真を撮るために、このことを積極的に知る必要があります。「10歳のお利口さん」のカテゴリーで括るのではなく、彼女が「誰」であるのか。人が唯一無二の存在であると前述しました。彼女が「誰」であるのかということは、彼女のことを唯一の存在である視点で見ること。当てはめる写真ではなく、彼女が「誰であるか」という写真を撮ることです。会話をし、反応を見て、どういう言葉が届くのか、どういうペースで、何が好きなのか。その一つ一つを撮影者たちは、観察をして、「その人」を引き出して撮影を進めていく。被写体が、家族が、「その人」であるということが現れていく空間を作り、撮影をすること。被写体の唯一の存在に、自分の知識と技術を最大限載せて表現していくことが、私たちが目指す撮影と写真であると思います。撮影者であるコーディネーターとカメラマン、インテリアと光、コーディネート、そして、被写体となるこの世で唯一の彼女。それら全てを最大限活かせる技術。常に写真の要素を100%満たすことはできないかもしれないけれど、限りなくすべての要素を100%に近づけるために、私たちが創り上げていくものを認識して、「人に入る」ということをしていくことが私たちの責任であると考えます。まだあどけなさが残る10歳らしい容姿ですが、年上の私たちの前で礼儀正しく丁寧で真面目な彼女。見た目よりも大人っぽい表情。彼女の横顔と唇に、その大人っぽい内面を感じました。それを佐々木さんがヘアメイクとコーディネートで表現をしてくれ、条件を整えてくれました。私は被写体である彼女と会話をしていく中で、彼女が「誰」であるかが見えた瞬間にシャッターを切る。「誰か」であることが最大限引き出されることと、誰も気づいていなかった魅力を伝えるイメージを加える技術と共に。
noblesse
2014/9/7
0
Photo : yatsu Coordi : kawano[ 写真は真実を守ることで、絵画の抽象化とは違った道を進むものである。単に写実ではなく、対象をどのように感じ、どのように強く受け入れるかということだ。そこに何か本当に作者が戦っている姿がなければならない。 ] これは、私が尊敬する写真家のひとり、木村伊兵衛さんの言葉です。 私たちが普段取得している視覚的情報の多くは忘れられてしまいます。約140億個ある脳細胞が、いつでも思い出せる状態にするその決定的な内容は何なのでしょうか。視覚的情報を残す仕事を生業とする写真館という職業は、その決定的な何かを論理的に展開できなければならないということになります。 ライフスタジオにおいて、フォトジェニックという場所は、そういう場所だと思っています。 ファインダーという不自由な条件をつけることで、より私たちは被写体に集中します。彼女をとりまく音、色、においや流れ。構築と、解体を繰り返し、形を調整していきます。彼女の有り余る存在感を、ファインダーに閉じ込める過程で、75cutの1つの流れを全体的な色味を統一するという選択をしました。比較的落ち着いた色味のあるカーキの廊下と、黒く少し透けるワンピース。大きな光源に対して逆光気味の位置から構えることで、ハイキーから、ローキーの流れに一貫性を与えました。 写真は必然的に何かを残します。その何かにどれだけ深く入れるかが重要なことで、それが出来て初めて表現になります。私が考える写真というものは、その表現を通して構成されていくのです。 時間が過ぎても、変わらない価値を残すこと。今も、そしてこれからも。その普遍的価値を証明していくのが、写真家として生きていくことを選択した私の果たすべき義務だと思っています。
森のなかで
2014/9/6
0
兄弟を撮影するとき、いつもの「関係性」という言葉が出てくる。仲良し ライバル 恋人のよう 少し距離がある それは、年齢差や性格によっても様々撮影の前にその雰囲気を感じ取り立ち位置を決めて形に残す。 統一感を出そうとして2人に同じポーズを要求して同じくポーズをとってくれたり、逆に下の子が頑張っている様子も可愛い。 少し大人っぽい2人には、もっと違う方法があると思っていた。その場所に立ってもらい兄には手を妹の方にポンと置いて とお願いをする。その置き方は人によっていろいろだろう。遠い方をがっしり抑えて、2人が爆笑する兄妹普通に手を置く子 このお兄ちゃんの場合は、すこし大人びていて妹とすごく仲が良いけれど、ポーズの指示に対して少し戸惑ってる雰囲気だった。2人で青白というさわやかなコーディネート、妹の服がワンピースで少しドレッシーで私の中ではグリム童話に出て森へ来た2人の兄妹というイメージになっていた。丁度後ろからのライトがあたることで神秘感も出た。森のなかに迷い込んだ2人が、何かを見つけたような・・ 左から 兄 妹 植物 と高さを変えることで左から右下への流れを作り、左上から数本垂れている葉も外の雰囲気を出しつつ右下の植物と一緒にフレーミングされている。 そしてやはり、インテリアを変えることって大事だなと実感しました。Photo by Miyokawa codi by Tonegawa in Aoyama
001
2014/8/31
0
家族写真を、残すこと。それが、カメラマンとしての、自分の至上命題だと思っている。 古いアルバムの中のモノクロ写真を見返した人が、どんな表情になるのかを、私は見た。若かりし頃の父母の姿に、今の自分の姿を重ねてみたり、幼い頃の自分の姿に照れたりしながら、すっかり忘れていたような、撮影の時のエピソードを語りだす。両親と自分が、色褪せたモノクロームの、四角い紙の中で微笑んでいる。それを見た時の、その人の横顔が忘れられなくて、私は家族写真を撮っている。 人は、いつか忘れていってしまう。変化は毎日訪れていて、気が付いた時にはその形は変わっていて、例えばその手に抱いていた小さな赤ちゃんは、あっという間に走れるようになり、その紅葉みたいな手だとか、生えたばかりの小さな歯だとか、まだ短かった柔らかな髪だとかは、今はもう目の前になくて、ただ成長した姿でニコニコと笑う。その姿。 1秒経てば、それはもう過去だ。だから、写真に残そうと思う。写真にして欲しいと思う。他人から始まったふたりが家族になって、新しい家族を迎えて、毎日泣いて怒って笑って、生きていく。その毎日の変化の中で、ふと記録される今日の写真が、家族の思い出として記憶になる。 この日。夏の終わり、数日続いた曇天の中でのわずかな晴れ間。初めての場所で、人見知りも場所見知りもなく駆け回って遊んだこと。いつかこの写真を見た時に、そんな思い出が蘇ってくるような写真にしたくて、広く空間を入れ込んだ。 新横浜店という空間で、家族と向き合う75カットの1枚目。シンプルに、真っ直ぐに。 Life studio No,17Shinyokohama Photo by Reiri, / Codi by Rika
存在させる事への意味付け
2014/8/31
1
Photo by Suwa Code by Ouchi in Gallery撮影のお客様からの要望で最も多い「自然な感じでお願いします」。この要望に対して、私たちの仕事は「自然」のまま、そのままの姿を物陰に潜んで、長いレンズを片手に、自身の存在を隠して撮影をすることではなく、あくまで「自然に見える形」を追及し、提案をし続ける姿勢が大切だと、日々感じています。私は、この場所で生まれる写真たちの最大の魅力は「引き出す力」を作り手が持つことで生まれる「自然に振舞っているように見える写真」であり、日々の生活の中ではなかなか気づけない「日常の続き」の中での再発見であり、感動であると考えています。何をお客様が望んでいるのかを察することも、思わず目にしたらワクワクと胸が高鳴るコーディネートももちろん大切です。ですが、結局、私たちが学び続けることを選択し続けているには理由があります。それは、作り手自身にも物語が必要であり、哲学が必要なのだということ。それぞれの織り成す「物語」を想像し、形にするためには何がその要素の中に含まれるのかということをとっさに判断することが求められているのだと思います。「普段遊んでいるお気に入りのおもちゃがありましたら、ご持参ください」ライフスタジオの全店舗のスタッフがお客様への確認電話の際にこのような案内をしています。「それはなぜですか?」というお客様からの質問をされた際に、案内をしている私たちはどのような言葉を自身の言葉を用いて返すことが出来るでしょうか。「お気に入りのおもちゃの持参を案内されたので、いつも一緒のわんわんを持ってきてみました」そう鞄から人形を取り出すママに対して、私たちはその人形をいつ、どのようなタイミングで登場させるのでしょうか。私たち自身が、お客様へ普段投げかけている案内に対して「なぜ」「なにのために」を考え、それらの素材を生かす方法を日々模索することが求められている と感じます。緊張していた小さなモデルさん。「いつものように、一緒に遊んであげてください」と私たちは普段何気なくその言葉を投げかけていないだろうか。「いつものように」を、私たちがどのように作り上げているのだろうか。被写体に対して逆に要望を丸投げしてないだろうか。自身に置き換えた際に、はたして「いつもの空間ではない不自然な空間」の中で、どのように「いつものように振舞うこと」が出来るのでしょうか。機械的になってはいけない。日々の流れに対して流されてはいけない。いつもと同じ案内を投げかけることに対して疑問を抱かなければ、家族にしかない「特別な関係性」を同じ方法でしか表現することは出来ない。わんわんを使って、パパがいつものようにあやし始める。きっと、小さな被写体はわんわんを見て、笑顔を浮かべたのではない。きっと、いつものように自身に対して向けられるいつもの温かい愛する人のまなざしを感じて思わず笑顔がこぼれたのだろう。そんな、瞬間を見つけたいと思うし、作りたいとも思うし、参加し続けて生きたい。そう思います。お写真の掲載をお許しいただきまして誠にありがとうございました(^^)また、お会いできますように・・・。
oneness
2014/8/31
0
No.99 Yokohama Aoba Coordinaite by Satsuki Photo by Volvo 数年ぶりの子供達に再開する機会が最近よくあります。その度に人間ってすごいんだなということと親御さんの人生の結晶であるということ、そして人生の記録のお手伝いが出来る事にこの仕事の素晴らしさをつくづく感じています。 それと同時に感じるのは大きな責任です。数ある写真館の中からライフスタジオを選択してくれて、数いるカメラマンの中から自分が人生の記録に携わるという責任。時間や場所など限られた環境の中で一体どれだけの深い内容を記録できているのだろうと時々思う事もあります。 私達はライフスタジオの人間として最大限準備をしなくてはなりません。それはお客様のためだけではなく自己の成長という自分自身のためでもあります。私達がライフスタジオの人間として提供できるものはなんだろうと考えてみると、すぐに出てくるのは1つ前の写真『DIVERSITY』にも書いた「統一性」なのではないかと思っています。 「インテリアという作られた空間に合わせた衣装を選択しその空間に合わせた撮影をしていく事で一種の統一的な世界観を生み出す事ができます。」と書いたように、元々ライフスタジオのインテリアには統一性のある要素が含まれていて、ある程度自由に撮影をしたとしても一枚画として完成度の高い写真を作り出す事ができます。 また、写真『Re:construction』では「写真に直接写る技術的なハードの面から、関係性や声かけ等のソフトの面など全ての構成要素をその一枚専用に再構築し写し出す事で初めてその写真の為だけのその時の空間を切り取る事ができる」と書きましたが、ライフスタジオが変わらず提供できるインテリアや衣装など統一感のある部分を念頭に入れつつそれをよく整理すること、そして被写体自身の多様性を認めながらその一枚の為に条件を再構築し、包括的な統一性として写し出す事。それが変化発展の原理であり、本当の意味での「お客様の為」のように思います。 初めて恵比寿で出会った一才の頃の思い出と、大きくなってほんの少し大人っぽくなった雰囲気、目指したいイメージとインテリアの配置、工藤さんがこの子専用に選択してくれた衣装とカメラの設定。全ての構成要素を考え抜いた先にある統一感を、これからもめざしていきたいです。
『 写真の成長 』
2014/8/31
2
『 写真の成長 』 Shonan photo by Kuroki codi by Sanadaあなたの原点は何ですか?ひとの数だけ家族があります。でも、全世界の家族と触れ合ったとしても一つとして同じ家族はないでしょう。したがって、到底数える事など出来る訳がないほどの家族写真が存在するはずです。しかし、私達は日々「家族写真」という一つの括りで撮影をしています。家族写真というものは、今日その時その瞬間撮って終わりなものではありません。家族写真は成長していきます。今、抱きしめられているその子は、後に母を抱きしめることでしょう。今、頭を撫でられているその子は、いつしか父をいたわることでしょう。そしてその写真を三十年後、五十年後、手にした子供達は感慨深い気持ちになることでしょう。大切なのは、その写真を見るのは今子供たちを抱いている親だけではなく、親となった子供たちも見るのだという事。そしてその時、親となった子供たちが見たその写真は、自分の体や精神の成長を感じるだけでなく、写真そのものの意味も成長している事に気が付くのです。家族写真にはそれがあります。だからこそ、私達はただ「今」を撮るだけではなく『写真の成長』をも考えて撮らなければならないのです。そのためにしなければならない家族の成長の想像と願い、これにより情熱が芽生え探求心を生み出し、必ず残さなければならない写真を作り出す事が出来るのです。自分にも八十手前の親父とおふくろ、そしてとんと合わなくなった兄貴がいます。でもこんな家族写真はほとんど残っていません。ですから、だいぶん期間は空いてしまいましたが、その写真の成長というものを自ら感じるために残したいと感じるようになりました。そしていつしか自分が親父になったその時にはそれを引き継いでいきたいと思っています。あなたの原点は何ですか?私の写真の原点は「家族の写真」です。
DIVERSITY
2014/8/31
0
No.99 Yokohama Aoba Coordinaite by Satsuki Photo by Volvo ライフスタジオの写真の構成要素の中で、全店舗で共通している事のひとつに「インテリアと衣装」があります。一般的に「かわいくておしゃれ」と言われるそれらを使って撮影をしていく事で非日常的な体験ができ普段とは違ったイメージを形に残す事ができます。私達はインテリアという作られた空間に合わせた衣装を選択しその空間に合わせた撮影をしていく事で一種の統一的な世界観を生み出す事ができます。統一的な世界観は写真にストーリー性を持たせ、一枚としての完成度を高めてくれる為に包括的な構成要素として常に意識していなくてはなりません。 しかし私達は人を撮っています。どんなに統一感のある環境を提供できたとしても「写る人」によって世界観は大きく変化していく為、どの撮影でも必ず同じような世界観が提供できるわけではなく、また、それを無視していつも同じように提供すると言う事は「写る人」のダイバーシティ(多様性)を確認していない事になります。 コーディネーターは衣装の提供をする時に「その子に似合う衣装はなんだろうか」と頭を悩ませます。 これが多様性を認めると言う事です。それなのにカメラマンがいつもと同じように撮影をするのであれば「その子の個性」は統一された環境の中に消えてしまいます。 では、逆に「写る人」の個性を第一優先に撮影を進めていけばいいのでしょうか?個性は重要視すべきですが、それだけではいつも言っているように「あるものを撮る」ことしかできず「作るカメラマン」から「見つけるカメラマン」になってしまいます。 この写真の姉弟は年齢も大きくなってきて、いつでも仲良しというわけではなく時には喧嘩をしたり、話もしなかったり。自分も経験がありますが、きょうだいというのはそういうものだと思います。写真を撮るという行為も、必ずしもうれしい年頃ではなくなってきます。 それでも協力してくれる三人の人間性を感じ取りながら撮影者が発揮できる最大限の統一性(光、表情、衣装、インテリア、フレーミング)によって包括的な構成要素を損なう事無く多様性を認める事ができ、別々だけど統一感のある、笑ってないしそれぞれのところをみているけど一枚画として成り立つ、そうした一枚になったのではないでしょうか。
gradation
2014/8/31
3
美しさとは何でしょうか。自分自身、美しさというものを考える時にはいつも音楽が流れているような気がします。細さ、深さ、濃さ、儚さや雄大さ、書ききれないほどに。音楽のイメージは無限にあり、人それぞれ美しさというイメージも様々なのではないでしょうか。美しさを美しいと定義する決定的なものは、調和とゆらぎなのではないかと感じています。個人的な意見であるので、もちろんそれが絶対だとは言いきれるものではありませんが、いつも美しさとは何かを考え音楽に没頭しながら探している時に共通するものが、調和とゆらぎなのでした。この2点は、写真の中にも現れるものでもあります。いつも聞いている音楽に少なからず写真も影響を受けるのですが、今回この写真を撮っている時にイメージとして流れていたのは、歌劇「カヴァレリア•ルスティカーナ」というものの間奏曲である「マスカーニ」というものでした。なにそれ、、と言われればきっと通じないかもしれませんが、わたしも曲名なんか知らずにずっと聞いていたもので、誰しもが聞いたことのある曲なのではないかと、そして、少なからず美しい音楽だと感じたことがあるのではないかと思います。変化を出すための転調や激しいテンポ推移や強弱も美しさや音楽で表現したいインパクトや、イメージを表現するための手段がクラシック音楽の中ではよく使われていますが、この曲に関しては1曲の中で大きな変化はありません。ただただ、ゆったりと同じ長調で、細く繊細なメロディーがいつの間にか重なっていきながら、美しく感じるメロディーとなり最後まで続きます。ただ、よく聞いていると、少しずつじんわりとテンポがゆっくりとなったり、次第に次第に強弱が変化していく場面もあります。その少しずつの変化が、少しずつ波紋が広がるようにゆらいでいき、響く。なごりが残って、また聞きたくなる。最近この曲がなぜ美しいのかと思いながら取り憑かれたように繰り返し聞いたからこそ、どことなくじんわりと変化するような諧調を取り入れた写真を撮ろうと考えていたので、撮影の中で取り入れました。 もともとわたしは、白黒はっきりとした諧調のないモノクロ写真が好きでした。黒は黒、白は白、0と50と100の3段階くらいの変化が、モノトーンの世界で引き立ちしっかりとしまった印象の中で注目するべきものに視点が誘導されるからでした。この写真においても以上の理由のモノクロであれば左半分だけでよかったかもしれません。ただ、今課題にしていたのが諧調のある写真であったので、今回は諧調のあるモノクロ写真になるように右半分を取り入れながら整理をしました。グレーの部分というのは、光があたってなければ作るといえば作れますが、それは作ることにはなりません。その上、この右部分の白い壁そのままをモノクロで写してしまうともっと白っぽくなり普段はモノクロだと綺麗ではなくしっくりこなかった部分でした。それでも成立させるために、右壁から人物の右半身までかかるように遠く離れた部分にレースのカーテンを引き、モノクロのグラデーションと人物に柔らかさを加えました。「ぼかし」というものの性質の中には、平面的な写真にゆらぎを与えるものでもあると思っています。この写真においては全体の4分の3にぼかしが入っています。しかし大々的なぼかしではなく、さりげなく見せるように人物にかぶせたのも緩やかな諧調の為でもありました。人物自体のエッジにも少しずつの変化をもたらし、シンプルながら全体的に0から100までの間に緩やかな変化を出せるようにしました。長い説明になってはしまいましたが、それもこれもこの女の子の後ろ姿の佇まいを見た時に閃いたものでもあります。見えるもの、見えてくるもの。美しさとは何かということを考えている時に、気がつくもの。それが美しさなのかもしれません。 同じ日の、同じ時間に別の場所で撮った写真を見て驚きながら。2014.8.30Lifestudio ShinyokohamaPhoto by kawanoCodi by sasaki
『Aoba』
2014/8/30
12
Photo by Ryo / Coordinate by Misatoin Yokohama Aoba 私はここで、写真により深く歩み寄る事が出来ました。尊敬できるカメラマンの存在、そして仲間達。多くの写真がうまれたこの場所は私にとってとても大切な場所です。毎日の撮影の中で、常に探し、追求してきました。毎回新しく、まだ誰も考えていないような写真をめざし。 初めて訪れるお客様は常に新鮮な気持ちでこの場所に来てくれます。だから私自身も常に新鮮な気持ちで迎えたい、そしてその都度新鮮な写真を提供して行きたい。感謝の気持ちを持ち、答えて行くために追求する事を忘れてはいけない。常にそのように考えています。写真は残るもの、だからこそ撮影の思い出も、写真自体も美しく有るべきだと考えています。 今日、この瞬間に感謝の気持ちを込めて。私は、歩みを止める事無く進んで行きたいと思います。
主張
2014/8/29
3
photo by shiiba codi by saori in Kokubunji今回3回目の彼。もう子供ではなく少年です。ふとした表情やしぐさにはいつのまにか引き込まれてしまい、自分とカメラが一緒になるような感覚にさせてくれます。 ポーズを取らせるとよく言いますが、ポーズとはなんなのでしょうか。姿勢、態度、みせかけ、色々な言葉に変換できますがその中で一番ピンとくるのが“主張”という言葉でした。 ポーズはさせるものでありますが、それはその人の主張を表すものでなければなりません。それは私の主張ではなく、被写体の主張でありそれを撮影者が受け取りまた被写体に返す作業なのです。その主張というものは言葉で表せる場合もあるし、言葉ではなく感じたものである場合もありますが、どちらにしてもその抽象的なものを形にする作業だと思います。だから何かポーズが被写体と合っていないと感じる時には私たちが被写体の主張を上手くとらえられていない時なのかもしれません。 ダンスをしている時は言葉ではなく、すべて身体で表現しなくてはいけません。表情、指先、身体のねじれすべてに精神を集中させて表現をします。言葉を発することが出来ない写真においてポーズというものはどこかダンスとも通じてる部分があるのかもしれませんね。
『家族愛の共感』
2014/8/24
0
代々木店写真 人に写真に自分自身に深く入っていきたい・・・ 写真には正解というものが存在しているのでしょうか?数値的な分析から、正解として提示された基準値を満たせば果たしてそれは美しい写真なのでしょうか?この背景ではこのくらいの数値で設定し、レンズはこのくらいの数値が適切で、角度はこのくらいが適切でというように写真には、必ず正解にたどり着ける方程式が存在しているのでしょうか?個人的には、写真に答えを見出すという行為よりも、私たちがどんな価値を生み出していきたいのかということを軸に、写真を媒体としていくことが重要だと考えます。なぜならば、ライフスタジオは「写真を通して…」というフレーズが最初に来るからです。私たちは写真を通じて何をやっているのかということを日常的に悩んでいかなければならないと思います。それがライフスタジオの構成員の宿命だからです。私の考える方向には、このような内容が存在しています。それは、写真の中に含まれる構成要素の一番核心的な「人」に集中すること。そして、その人の人生とその人に関わるすべて繋がりを理解して、それらの内容を写真を通じて表現していくということを軸に撮影を進めています。 代々木店から発信したい価値とは何か?店舗内の共通言語として存在しているスローガンは、『家族愛の共感』です。代々木店のスタッフは成熟した人間を目指しています。お客様との会話も自然と自ら家族の話をすることが多いです。理由としては、とにかく人が好きで人間愛のアンテナが高いスタッフが多く存在しているからです。また、自然と人に向き合う姿勢が備わっているスタッフだからこそ関係性を表現する撮影場面ではとにかく熱くなります。そうです、それが家族写真という場面であったり、兄弟姉妹写真や夫婦写真という場面に特に確認することができます。 この一枚の写真をおいて話してみたいと思います。この家族写真は、見る人に強い印象を与えるというよりかは、見ていて心が和むような印象を感じるのではないでしょうか。この写真は望遠レンズの特徴を用いて撮影しています。離れているものを近くで感じることができる効果によって、写真を見る人は、その被写体の家族に対して親近感を抱きやすいと考えられます。条件として、そのような意図を込めて望遠レンズの使用を選択しています。さらに、子供の肌の色と両親の白い洋服の配色が爽やかなイメージを与えてくれています。この効果で子供の肌の面積と親の肌の面積が写真全体の印象をバランスよく整えてくれる効果を齎してくれています。おかげで肌と肌が接触しているという効果をより強調させることができていると思います。これはどういう意味かというと、例えば子供が裸で親が長袖を着ていたら、親が子を抱きしめている肌と肌が触れ合っている感触が表現できないのと密着度という効果が表現しにくいことが予想されます。今回の写真は子供が裸で、親も肌の露出も雰囲気に適正な半そでやVネックだということで、私たちにとっては、とても好条件であったことを確認することができます。視覚的な効果の支えもあり、外的な効果と加えて内的な家族の関係性の表現も自然と出来るようになったと思います。 『父親が子供抱き上げる関係から、子供が母親に触れる繋がり』 これは、人工的な香りではなく、無理が無いアルファベットのW(ダブリュー)のような流れが確認できると思います。この人と人の繋がりこそ私の求める価値だということを再確認できます。そして、ここまで好条件で撮影に集中できるということは私たちの撮影技術以外にも、お客様自らが主体性を発揮してくれたことが分かります。確認電話の歳、スタジオから家族写真のときの衣装は、シンプルな色味やデザインの統一感を意識してご準備くださいとお願いしていると思います。それはどんな意味かというと、ライフスタジオで過ごす一日をよりお客様と共に作り上げていきたいという想いが含まれています。だから、ライフスタジオに来られるお客様は撮影が近づくに連れてより自分の家族のことを深く考えると思いますし、どのような『家族愛』を残そうかと想いを巡らせてくださっていることでしょう。これからも、そのような想いに寄り添いながら美しい家族写真を追い求めていきたいと思います。 Photo by Ouchi codi by Ishigaki in yoyogi
幸せ者
2014/8/18
2
photo By Nousaka codi by kazumiママの手の上にのっていた小さな水色のBOX。中から出てきたのは『1』ってついた手作りのバースデークラウンだったね。 その素敵なスペシャルクラウンをおばあちゃんもいっしょにわいわいしながら君のくりくりヘアーの上にのせてそのすがたをみてみんなで『最高!かわいい!』って大興奮したんだ。 でもね(*^_^*)ママから君へのサプライズはまだあるんだ。後ろにかざったフラッグひとつひとつが君の成長記録。ひとつひとつ手作りで工夫されていて。写真一つ一つを選んで、貼って。その作業をしながら、きっとママは君のことをたくさんたくさん考えて『愛してるよ』『たいせつだよ』『すくすく育ってくれてありがとう』って何回も何回も心に思ったと思うんだ。そんなたくさんの愛を1枚の写真にどうやって詰め込もうってどんな世界をつくろうかなってお兄さんたちすごく考えた。そしてやっぱりシンプルに整理して君が持っている存在感と君への愛情で写真をいっぱいいっぱい満たすのが一番だと思ったんだ。 『幸せだね』 撮影中みんなで何回ことばに出しただろう。 君の存在がみんなを幸せにする。 そして君は最高に幸せ者だぞって思う。 君が大きくなってこの写真をみたときこめられた愛をたくさん感じてママやパパやおじいちゃんやおばあちゃんをより一層大切に感じてくれますように。
役割①
2014/8/17
0
photo by rolly codi by kazumi着物の縛りをほどいて広がる解放感とともに心の距離も一層近づいていく。 ドレスをきたときのそのわくわくの感情・表情をそのまま大切に大切に。 細かな動きの指示を言葉で伝えていくことよりも自然な流れのなかで導いていきながら、優しい表情を引き出していくこともある。 カメラマンの計算のなかでどうやって被写体を動かしていこう。 『どんな写真が撮りたいの?』ってそばで集中しているカメラマンの気持ちを感覚を研ぎ澄ましてキャッチしながら。 ときに遊びを加えながらときに役者のように物語を演じながら。 思うようにいかず壊してしまうこともあるけれども 失敗したらまた新しいアクションをおこして創造すればいい。 コーディネーターの役割の一つはそういうこと?
+αの要素
2014/7/31
0
Koshigaya photo by hachiyama/codi by katsuポージングとは ポージングというのは、私たちの技術が反映される方法のひとつだと考えています。美しく、かつ不自然に見えないよう細心の注意をはらいながらポージングは決定しなければなりません。 この写真の特徴は、「指先の動き」だと思います。私たちは常にアンテナを巡らせながら、子どもたちの特徴を瞬時に捉え撮影にのぞみ、その中で最適なポージングを選択し指示していきます。スタジオに来る子どもたちはプロのモデルではないので、理想的な表情を引き出すことは簡単なことではありません。表情を作りあげることは大人であっても緊張し強張るものです。しかし、体そのものを動かすことは、そこまで難しいことではないと思います。そこで重要になってくること、それがポージングです。ポージング、または手や指の動きというのは、写真における様々な要素を補助するだけでなく、被写体を魅力的に表現する役割をもっています。だから私たちは一定の水準以上を保つ必要があり、自分の世界を広げるためには常に探求することが求められます。 それであれば撮影者は条件を決定していかなくてはなりません。それが撮影者にとって必要な技術であり、またその条件を変えることができなければ、写真は変化していくことはないでしょう。 条件を決定していくとは 私たちは毎日同じ場所で繰り返し撮影を行っています。そうするとさまざまな経験を積み、頭でなんとなく知っていたものを体で理解していきます。この理解していくことはとても重要なことです。これまで意識的に行っていたことを、呼吸するかのように日常的に、無意識の中で行うことができるようになります。 しかし、ある時期を過ぎると、自分の限界にぶつかります。別の言い方をすれば、そのものに「慣れて」くるということです。限られた環境の中で新しいものを見つけていくことは、慣れれば慣れるほど難しくなります。「慣れる」ということ自体が悪いわけではありません。しかし、自分の中にそれを突破するためのシステムを作る必要があります。システムというのは100人いれば100通りの方法があるかもしれません。自分なりに見つけるか、わからなければ誰かに与えてもらいながら発見を続けること。条件を決定していくとはこのことなのではないでしょうか。
偶然を引き寄せる
2014/7/31
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写真を撮るときにいつも考えることがあります。それはその子らしさをどう活かせるか。 行動一つ一つを見ながらこちらからのアプローチにその子がどう反応してくれるかを予測しながら適切なインテリアに配置する。 そして何より一緒に入っているコーディネーターとの撮りたいものの意思疎通が必要となってきます。 インテリアの色や形状・そこに配置する小物・撮る角度・光など自分自身での研究も必要となることはもちろんのこと、その空間を共有するコーディネーターとの話し合い被写体のその子らしさを引き出していきます。 偶然に撮れた写真は追求がそこで途絶えてしまうかもしれませんが、偶然を引き寄せた写真は追求に追求を重ねたものであると思います。 この写真は大宮店から循環勤務で来てくださった鈴木さんからヒントをもらった写真です。 床のブルーの爽やかさが光が入り込むことによってさらに際立ち、その光とブルーに反射するようにシャボン玉の輝きがまた増して見えます。 この条件を満たすため浦安店の玄関の床はブルーでも壁が白なので、なるべく排除する必要があるためかなり上の角度から撮る必要が出て来ました。被写体が前に行き過ぎてしまうといらない床が映り込むため後ろにある玄関の色を活かしてなるべくブルーの面積を増やす形を取りました。それによって一枚の写真として色が統一された物になりました。その条件で子供を配置すると下を向いて笑顔でないかっこいい感じの被写体では合わないので、笑顔で上を向いて伸びてくるような被写体の動きが必要となります。よって先にもあげたインテリアを強調させるシャボン玉で同時に被写体の動きを強調させる形になりました。 今回のように分析をした上で被写体の動きを分析して偶然に撮れてしまった一枚ではなく、偶然を引き寄せた一枚の写真となりました。 urayasu photo by Fujigoe, coordinator by Okamura
『 カメラとの約束 』
2014/7/31
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Shonan photo by Kuroki codi by Sanada 温度のある音、絵、そして写真。 何にでも温度はあります。確実に。では、いったいそれは何度なんでしょうか?どうすればその温度を保ったまま写真に封じ込める事が出来るのでしょうか? 家族を写真に残す事は誰にでも出来ます。でも、その家族の持つ「温度」までをも封じ込められるか封じ込められないかはその人次第。だからこそ、その温度の封じ込め方を毎日追求しているのです。追求をし続けていくと、ふと、ファインダーの中の「枠」いわゆるフレームが気になります。そして改めてこう思います 「写真は四角いんだ」 と。これを考えると子供の頃、親父にした質問を思い出します。「なんでカメラの目はまるいのにしゃしんはしかくいの?」この質問に親父が何と答えたかは覚えていません。でも、毎日変わらない家族の温度と接していると、この四本の直線で囲まれた枠がその温度を封じ込めるための枠でもあるのだと感じました。そしてその温度をしっかりと封じ込めた瞬間、ファインダーの中からその枠は消えていきます。いや、正確には消えて感じます、というのが正しいでしょうか。 何事にも、そのものの意味を変える事で創造の幅を広げ目的に近づけてくれます。だからこの「枠」は決して狭めるものではなく、家族の温度を封じ込めるために又は私たちを自由にさせてくれるためにカメラがくれたルールであり、決して変えてはいけないカメラとの「約束」なのです。
イメージのための必要性
2014/7/31
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kawaguchi Photo by kanami Coordinaite by matsuyama 写真は奥が深い。難しいことが多く私にはまだ足りないことが多い。私は私の今ある最大限の力を使って表現していきたい。そう思っています。 私の強みはなんなのか。もしあるのであれば、被写体の姿を一番に写真から感じられるものを撮れることが強みであってほしいと思う。構図よりも光よりも、なにより人の素直な姿を大事にしていける自分でありたいと思います。 人のどんな些細なしぐさも見逃さない、どんな表情もとらえていたい。そのために、真っすぐ真っすぐその人を見ることが必要で、しかし私だけでは足りなく、環境やコーディネーターの存在も不可欠です。この写真は一瞬の出来事でしたが、小物もポーズも声掛けも、イメージを作るために考えたものでもあります。 足を組んでいなければ、この振り向きはしない。アンティークな小物でなければ、統一感もなくイメージが崩れてしまう。衣装から伝わるこの子の姿を表現したいと思った私に対して、コーディネーターも一緒に考えていた結果のものであります。 この子自身は、とてもピンクが好きで、笑顔がかわいらしい子でした。表情が愛らしく、元気いっぱいの女の子以上に女の子。この前に着てたピンクの服も、ドレスもとても似合っていました。それがその子の姿だと思います。だけど、この姿もこの子だと思います。環境を作ったのは私たちでも振り向いた姿や写真から伝わる雰囲気は紛れもないこの子自身であると私は思います。
たべる
2014/7/30
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photo by Shiiba codi by Itagaki at kokubunji人間として欠かすことのできない動作の中でも食べること。食べるという動作はその人の本能が出ててくるようなどんな環境であっても、素。いや、それよりももっと奥の部分を垣間見れるような気がします。だから私は食べている仕草が大好きです。(食べることも好きですが笑) ママが作ってきたおにぎり。まだ器用ではないけど、ごはんつぶをつけながらほおばる。とても本能的な動作、しぐさに切り込みたいと思いシャッターを切りました。そして質感も大切にしたいと思いました。 どんな時代でも変わらない動作やしぐさ。着替えてる仕草、食べる仕草、手遊びだったり、人に寄り添っている仕草にはとても愛おしいさを感じます。
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