フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
Profile
投稿日:2014/9/7
1199 0
Yokohama Aoba No.99
Hairmake & Coordinate by Kaori
Photo by Kudo
物語る存在であること。
それを表現して伝えること。
人の存在とは物語るものである、という言葉を聞いたことがあります。
それは、唯一の存在であるということ。
それぞれの存在が唯一の物語を持っていることであると思います。
たとえ双子であっても、その2人は別人でありますし、
それぞれ歩んできた過去、これからの未来、その中で出会い、経験していく事柄で、その人の性格や人となりが物語となって形成されていきます。
そうした中で、人とは無限に存在し、それが唯一のその人ということになります。
私たちが目指す写真とは「人」という唯一の存在を、最大限の技術で現すこと。
そして、イメージをプラスしていくこと。
それには、カメラマンの力のみでは限界があります。
写真の要素とは、カメラマン一人の力を磨いても、それが100%の要素になるわけではありません。
今回の撮影でもそうでしたが、まず私たちは2人で撮影に入っていることで、カメラマン一人の力の限界を突破することができます。
ヘアメイクとコーディネートをしてくれる佐々木さんは、被写体に合わせたヘアメイクとコーディネートをしてくれます。
彼女は常に「人」という観点で被写体を見ており、ヘアメイク・コーディネート中に誰よりも被写体の近くに存在するような会話をしています。
そうして被写体の表情が性格、その人となりを見て、その被写体の長所を最大限に引き出すヘアメイクを提案してくれます。
私一人の力では、こういった部分を創りだすことは不可能です。
しかし、彼女がいることで写真の可能性が何十倍も広がります。
彼女という「人」がいるということが、良い写真を生み出す大きな要素の一つになります。
そして、被写体である彼女の存在。
彼女が「誰」であるのか。
私たちの目指す写真を撮るために、このことを積極的に知る必要があります。
「10歳のお利口さん」のカテゴリーで括るのではなく、彼女が「誰」であるのか。
人が唯一無二の存在であると前述しました。
彼女が「誰」であるのかということは、彼女のことを唯一の存在である視点で見ること。
当てはめる写真ではなく、彼女が「誰であるか」という写真を撮ることです。
会話をし、反応を見て、どういう言葉が届くのか、どういうペースで、何が好きなのか。
その一つ一つを撮影者たちは、観察をして、「その人」を引き出して撮影を進めていく。
被写体が、家族が、「その人」であるということが現れていく空間を作り、撮影をすること。
被写体の唯一の存在に、自分の知識と技術を最大限載せて表現していくことが、私たちが目指す撮影と写真であると思います。
撮影者であるコーディネーターとカメラマン、インテリアと光、コーディネート、
そして、被写体となるこの世で唯一の彼女。それら全てを最大限活かせる技術。
常に写真の要素を100%満たすことはできないかもしれないけれど、限りなくすべての要素を100%に近づけるために、
私たちが創り上げていくものを認識して、「人に入る」ということをしていくことが私たちの責任であると考えます。
まだあどけなさが残る10歳らしい容姿ですが、年上の私たちの前で礼儀正しく丁寧で真面目な彼女。
見た目よりも大人っぽい表情。
彼女の横顔と唇に、その大人っぽい内面を感じました。
それを佐々木さんがヘアメイクとコーディネートで表現をしてくれ、条件を整えてくれました。
私は被写体である彼女と会話をしていく中で、彼女が「誰」であるかが見えた瞬間にシャッターを切る。
「誰か」であることが最大限引き出されることと、
誰も気づいていなかった魅力を伝えるイメージを加える技術と共に。
Hairmake & Coordinate by Kaori
Photo by Kudo
物語る存在であること。
それを表現して伝えること。
人の存在とは物語るものである、という言葉を聞いたことがあります。
それは、唯一の存在であるということ。
それぞれの存在が唯一の物語を持っていることであると思います。
たとえ双子であっても、その2人は別人でありますし、
それぞれ歩んできた過去、これからの未来、その中で出会い、経験していく事柄で、その人の性格や人となりが物語となって形成されていきます。
そうした中で、人とは無限に存在し、それが唯一のその人ということになります。
私たちが目指す写真とは「人」という唯一の存在を、最大限の技術で現すこと。
そして、イメージをプラスしていくこと。
それには、カメラマンの力のみでは限界があります。
写真の要素とは、カメラマン一人の力を磨いても、それが100%の要素になるわけではありません。
今回の撮影でもそうでしたが、まず私たちは2人で撮影に入っていることで、カメラマン一人の力の限界を突破することができます。
ヘアメイクとコーディネートをしてくれる佐々木さんは、被写体に合わせたヘアメイクとコーディネートをしてくれます。
彼女は常に「人」という観点で被写体を見ており、ヘアメイク・コーディネート中に誰よりも被写体の近くに存在するような会話をしています。
そうして被写体の表情が性格、その人となりを見て、その被写体の長所を最大限に引き出すヘアメイクを提案してくれます。
私一人の力では、こういった部分を創りだすことは不可能です。
しかし、彼女がいることで写真の可能性が何十倍も広がります。
彼女という「人」がいるということが、良い写真を生み出す大きな要素の一つになります。
そして、被写体である彼女の存在。
彼女が「誰」であるのか。
私たちの目指す写真を撮るために、このことを積極的に知る必要があります。
「10歳のお利口さん」のカテゴリーで括るのではなく、彼女が「誰」であるのか。
人が唯一無二の存在であると前述しました。
彼女が「誰」であるのかということは、彼女のことを唯一の存在である視点で見ること。
当てはめる写真ではなく、彼女が「誰であるか」という写真を撮ることです。
会話をし、反応を見て、どういう言葉が届くのか、どういうペースで、何が好きなのか。
その一つ一つを撮影者たちは、観察をして、「その人」を引き出して撮影を進めていく。
被写体が、家族が、「その人」であるということが現れていく空間を作り、撮影をすること。
被写体の唯一の存在に、自分の知識と技術を最大限載せて表現していくことが、私たちが目指す撮影と写真であると思います。
撮影者であるコーディネーターとカメラマン、インテリアと光、コーディネート、
そして、被写体となるこの世で唯一の彼女。それら全てを最大限活かせる技術。
常に写真の要素を100%満たすことはできないかもしれないけれど、限りなくすべての要素を100%に近づけるために、
私たちが創り上げていくものを認識して、「人に入る」ということをしていくことが私たちの責任であると考えます。
まだあどけなさが残る10歳らしい容姿ですが、年上の私たちの前で礼儀正しく丁寧で真面目な彼女。
見た目よりも大人っぽい表情。
彼女の横顔と唇に、その大人っぽい内面を感じました。
それを佐々木さんがヘアメイクとコーディネートで表現をしてくれ、条件を整えてくれました。
私は被写体である彼女と会話をしていく中で、彼女が「誰」であるかが見えた瞬間にシャッターを切る。
「誰か」であることが最大限引き出されることと、
誰も気づいていなかった魅力を伝えるイメージを加える技術と共に。
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