フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

存在させる事への意味付け

投稿日:2014/8/31

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Photo by Suwa  Code by Ouchi  in Gallery

撮影のお客様からの要望で最も多い「自然な感じでお願いします」。
この要望に対して、私たちの仕事は「自然」のまま、そのままの姿を物陰に潜んで、長いレンズを片手に、自身の存在を隠して撮影をすることではなく、あくまで「自然に見える形」を追及し、提案をし続ける姿勢が大切だと、日々感じています。
私は、この場所で生まれる写真たちの最大の魅力は「引き出す力」を作り手が持つことで生まれる「自然に振舞っているように見える写真」であり、日々の生活の中ではなかなか気づけない「日常の続き」の中での再発見であり、感動であると考えています。
何をお客様が望んでいるのかを察することも、思わず目にしたらワクワクと胸が高鳴るコーディネートももちろん大切です。ですが、結局、私たちが学び続けることを選択し続けているには理由があります。それは、作り手自身にも物語が必要であり、哲学が必要なのだということ。
それぞれの織り成す「物語」を想像し、形にするためには何がその要素の中に含まれるのかということをとっさに判断することが求められているのだと思います。

「普段遊んでいるお気に入りのおもちゃがありましたら、ご持参ください」
ライフスタジオの全店舗のスタッフがお客様への確認電話の際にこのような案内をしています。「それはなぜですか?」というお客様からの質問をされた際に、案内をしている私たちはどのような言葉を自身の言葉を用いて返すことが出来るでしょうか。
「お気に入りのおもちゃの持参を案内されたので、いつも一緒のわんわんを持ってきてみました」そう鞄から人形を取り出すママに対して、私たちはその人形をいつ、どのようなタイミングで登場させるのでしょうか。私たち自身が、お客様へ普段投げかけている案内に対して「なぜ」「なにのために」を考え、それらの素材を生かす方法を日々模索することが求められている と感じます。

緊張していた小さなモデルさん。
「いつものように、一緒に遊んであげてください」と私たちは普段何気なくその言葉を投げかけていないだろうか。「いつものように」を、私たちがどのように作り上げているのだろうか。被写体に対して逆に要望を丸投げしてないだろうか。自身に置き換えた際に、はたして「いつもの空間ではない不自然な空間」の中で、どのように「いつものように振舞うこと」が出来るのでしょうか。
機械的になってはいけない。日々の流れに対して流されてはいけない。
いつもと同じ案内を投げかけることに対して疑問を抱かなければ、家族にしかない「特別な関係性」を同じ方法でしか表現することは出来ない。

わんわんを使って、パパがいつものようにあやし始める。
きっと、小さな被写体はわんわんを見て、笑顔を浮かべたのではない。
きっと、いつものように自身に対して向けられるいつもの温かい愛する人のまなざしを感じて思わず笑顔がこぼれたのだろう。
そんな、瞬間を見つけたいと思うし、作りたいとも思うし、参加し続けて生きたい。そう思います。

お写真の掲載をお許しいただきまして誠にありがとうございました(^^)
また、お会いできますように・・・。

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