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店舗フォトジェニック集
ライフスタジオで撮影した各店舗のベストフォトを集めました。
Look for...
2017/5/31
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あなたを探すこと。 それは自分を探すこと。 新しいあなたを見つけた時、 新しい自分を発見する。 あなたとの出会い、 それが新しい自分への道しるべ。 Photo by HIRO Coodinated by Takumi Written by HIRO なんの変哲も無い日常。 朝起きて眠気まなこのままシャワーを浴び、そそくさと家を出る。 出勤に間に合うように乗る、いつも同じ時間の電車。 店舗の朝ミーティングで決まって飲むほうじ茶。 いつも決まったルートでの帰り道。 休日前の帰り道に寄るラーメン屋。 休日に週1で行く銭湯。 ある程度パターン化されている日常生活。 パターンが全く無い人などいないだろう。 それがあるから効率が生まれるし、行動パターンがあるから余裕ができる。 でもふとそんな日常に嫌気がさし、 何か変わらなければという焦燥感に襲われたりする。 「ああ、こんな退屈な日常なんてぶっ壊して・・・」 なんてカッコつけた歌詞みたいなことを考えたり。 結局そんな大げさなことはできなくて、ちょっと日常のパターンを変えてみる。 帰り道、寄ったことのないお店に立ち寄ってみる。 久しぶりに友達に会ってみる。 慣れない本を買ってみる。 行ったことのないラーメン屋に行ってみる・・・(やっぱり休日前はラーメン屋・・・) そんなちょっとしたことから新しい出会いがあったり、 知らなかったことを知れたり、自分の幅が広がったりする。 当たり前に繰り返していることから抜け出した時、そこに新たな世界の扉が待っている。 いきなり話の次元は大きくなるけど、 世紀の大発見だって、今までの思考パターンから抜け出すちょっとのひらめきから生まれているのだ。 行動や思考パターンを抜け出すということは大きな可能性をもたらしてくれるのだろう。 写真においても重要な、パターンを抜け出すということ。 その可能性はもちろん自分自身の撮影を退屈なものにしないということもあるが、 大きいのは被写体の魅力を引き出す新しい可能性があるということ。 見慣れたものを見慣れたように見ないことで、そこに新しい表現の可能性が生まれてくるのだ。 最近自分の中で撮影で悩みというか、よく考える課題がある。 それが 「どうしたらその被写体が持つ自然な姿を写真の中に写すことができるのか?」 ということ。 それを考えながらパターンという写真課題の中でもう一度自分の撮影パターンを考えてみた。 いつものパターンを抜け出し、被写体の魅力を自然に引き出すことができる方法は何か・・・ そこで見つけた一つの答え。 それが白い砂場での撮影だった。 所沢店にはライフスタジオでもここだけしかない白い砂のインテリアがある。 今回はこの砂のインテリアを 写真に写すインテリア → 被写体の動きと笑顔を引き出すツール というように考え方を変えてみた。 足が汚れるので靴を履かせて静かに撮影をするというのがいつもの撮影パターン。 そのパターンを脱するために、 裸足になってもらい砂を利用して遊ぶように撮影を行なった。 子供のころ、砂場や砂浜に裸足で入って行くだけでワクワクした気持ち。 足の裏に伝わる砂のジャリジャリした感触。 その感触を確かめながら砂に絵を描く姿はきっと表現として美しく写るだろうと想像できた。 パターンを変えるということは、ただいつもやっていることを変えればいいわけではない。 写真には被写体がいて、その被写体はいつも違う。 パターンを変えても、そこにただ被写体を置くだけでは結局パターンに被写体を当てはめているだけだ。 その被写体に合わせてパターンを変えなければただの自己満になってしまうだろう。 今回の写真の被写体は、弟の面倒をよく見てくれるしっかり者の6歳の女の子。 彼女は話もよく聞いてくれて、ポーズも上手にとることができる子だった。 だからこそもっと彼女の自然な表情や仕草を美しく残したい。 どうしたら彼女の自然な魅力を写すことができるのか? そんな彼女の魅力を自然に引き出すために、白い砂場で裸足での撮影を行うことにした。 砂場に裸足で入ってもらい、立ち位置を指定する。 そのままイメージのポーズに近づけるようにスカートを握ってもらい、 あとは一言 「その砂に足でマルって描けるかな?」 彼女は砂の感触を確かめながら、楽しそうに砂にマルを描いてくれた。 この写真について分析をまとめてみるとこうだ。 砂に足で絵を描く仕草をしてもらうことにより、 ポーズを作らなくても自然と女性を美しく表現するポーズになっている。 絵を描くために片足のつま先をたてることで、スっとつま先まで足が伸び、 足も自然とクロスされて、女性のしなやかな美しさを表現しているのだ。 また、ガチガチにポーズはつけずに、遊びながら撮影をしていることで、 絵を描いて遊ぶという目的が彼女の中に生まれて、 自然と笑顔が生まれている。 そんな彼女自身の自然な仕草と表情に集中できるように、 頭からつま先までギリギリ入るトリミングで撮影を行なった。 前ボケは、彼女との距離感を物理的に離すために入れている。 より自然な表現にするために、彼女がこの写真の中で周りとの関係が切られている状態を作る必要があったためだ。 右半分を前ボケで隠すことで、より被写体に集中できるようにしながら、 彼女を包む明るい光としても表現を助けてくれている。 コーディネーターのたくみが選んでくれた白いドレスも、 この白い砂場で裸足というイメージにぴったりだったので撮影の決め手となった。 出会いは人を変える。 そんな言葉をよく耳にする。 確かに自分のパターンを抜け出させてくれるのは人との関係が多い。 人との出会いに真剣に向き合うことで変化発展するのだろう。 日々の撮影において、毎日たくさんの新しい出会いがある。 その一つ一つの出会いを大切にして、 どうしたら目の前の被写体だけが持つ魅力を引き出すことができるのか、 それを真剣に向き合うことが自分のパターンを抜け出す一番の方法かも知れない。 そして、そこに新たな可能性が生まれてくる。 自分の中にパターンを抜け出す方法を持つこと、 それは無限の可能性を持つということなのだろう。
存在
2017/5/31
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君が存在する意味はどこにある? 君がこれからみつける価値はどこにある? 君は今、何を感じ、何を考え、どこに向かおうとしているの? 十歳の記念で撮影に来た彼。 ハーフ成人式。 何も考えずただ気楽に生きられるほど子供じゃない。 けれど、大人でもない。 これから歩む人生の中では 意味がわからない時もあるだろう。 価値を見失ってしまう時もあるだろう。 けれど、迷いや疑問、葛藤と同じくらいの希望がある。 そして、いつだって等身大の君がそこに存在している。 「私たちは、“存在者”を撮っているのか、“存在”を撮っているのか。」 私は参加していないのですが、ライフスタジオの全体から何名かが参加している写真哲学でそんな話が合ったそうです。 “存在者”とは、そこにいて目に見える被写体、そこに存在している者です。 “存在”とは、そこにいる被写体の存在自体を指します。 その答えはライフスタジオのHPにあります。 「“もう一人の私”を、被写体自らが発見する瞬間こそシャッターを押す決定的な瞬間です。人生を一編の芸術作品として、存在する美しさを生涯をかけてつくり上げていくという“存在の美学”として、それを実践していく場所になっていきたいのです。」 ライフスタジオのカメラマンなら誰しも、その“存在”を写したいと考え、そのために日々様々なことを学び、探究し、撮影しているのだと思います。 人に深く入る、関係や存在を撮ると一言で言ってもその撮り方は人によって微妙に異なっていると思います。そしてそれが、人の個性なのだと感じます。 ポージングや声掛けによって、その人を引き出す人。 とにかく関わることに重点を置いている人。 人の関係を分析し、再構築する人。 様々な構成要素を駆使して、その人という存在を浮かび上がらせる人。 …end more どれも正解で、どれも身に着けたいと感じることです。 それらのなかで、私は写真を撮る時、“その人を見ること”を一番心がけています。 その人を見ているとその人からにじみ出てくるものがあります。 なんというかそれはその人自身の訴えだったり、思いだったり、今だったり…。その人自身の表現というのでしょうか。被写体側から発信しているものを感じます。そこに存在の美しさを感じるのです。 なので、逆に言えば私の写真は被写体の力によるところが大きいです。 被写体側から発信してもらえるような空間を作ること、そして、そこでみたもの感じたものを人生を構築していくものとして、ありのままでありながら、より美しく、より伝わりやすく、形ないものを形として表現するために技術を学んでいるのだと思います。 この写真は、普段は、そんなに撮影では使わない場所で撮影しています。 水戸店は窓が多く、光が回る場所が多いため、日中陰影のある写真を撮れる場所は限られます。撮影用のインテリアスペースではない、この場所の光が、十歳の今の彼から感じられる要素と一致していると感じここで撮影しました。 パパとママは暖かく彼を見守っていました。 彼には妹が二人いて、彼はしっかりとした優しいお兄さんでした。 彼はまだ子供ではあるけれど、様々な考えや思いもあるし、男の子らしく少し大人びた一面を持っていました。 彼のもつ優しさや男の子らしさ、大人に近づいているカッコよさがポーズに表れています。 彼がリラックスして立っていた姿が、もうポーズに近い形をしていたので、ほんの少しだけ声をかけてより美しくなるように工夫しました。 まだ未知数な部分を表現するために、シルエット的な構成にしました。 彼の全身のラインに当たる光と壁にうつる影が、葛藤とこれからの可能性を表しています。 等身大の彼と出会い、等身大の彼を見つめ、彼と一緒に表現し形にする。 木が木に言いました。共に森に…。 被写体本人、パパ、ママ、兄弟姉妹、カメラマン、コーディネーター…。様々な人が“存在者”ではなく“存在”としてそこに存在して、木の写真を撮りながらも、それは森の写真でもある、そんな写真を撮っていきたいと思うのです。 Mito Photo Photographer:erika coodi :yuki
贈り物
2017/5/31
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Photo by Shie Coordinated by Lee younseong 写真を見る人の写真家からの贈り物は 日常で見逃されている美を時々提示すること この間ある写真家の写真展へ足を運び、ここ数年ほど日常という美しさについて考えているところに出会った言葉でした。 私達は写真で何を残し伝えていくのか、、、 この場所にいればどこかで悩み考える場面があると思います。 このご家族とは半年前に一度会っていて、その時はママさんと上のお子様の2人で遊びにきてくれ、下のお子様はまだお腹の中。 ママさんは元気いっぱいに動くお子様を時に叱りながら時折、愛おしい表情で見守っている姿が美しくとても印象的な方でした。 お子様が人前で恥ずかしながらも元気いっぱいに遊ぶその姿はいつもの光景なのでしょう。 笑みがこぼれリラックスしながら見つめる姿に、その日常の風景が浮かびました。 2度目に会ったのは、半年後で下のお子様が生後1ヶ月の時でした。 その時はパパさんも遊びに来てくれて家族4人で。 ワチャワチャと元気に楽しく進む撮影に常に笑うご家族と私達。 常に笑い声が飛び交っていました。 興奮が冷めあらぬ中、中盤で今回メインである下のお子様のソロのシーンという所で、 泣き出してしまったお子様。 その時、自然と近寄り安心させてあげようとお子様を抱きかかえた姿は前回見た表情と変わらないものでした。 表情から読み取れるものは沢山あると思いますが、1つに気持ちと繋がっているという事があります。 自然と出たその行動と表現から、きっと普段もそんな姿や表情でお子様を育ててくれているのだろうと思います。 しかし、その思いや気持ちを伝えているママさんの姿を自分自身で見る事は中々出来ません。 ここで私が重視したポイントは、リラックス空間を作ることでした。 何故ならば、馴染みのない場所でよく知らない人達との大人同士の関係は複雑なもので、赤の他人となると更に複雑。 相手の表情や言葉、仕草などからその人が考えている事を読み取ろうとしますが、その読み取り方は人それぞれで、深読みする人もいれば、言葉の解釈の違いがあり話が変わってきたり、無関心さを表立てに意思疎通にならないなんて事もあります。 もちろんそれだけではなく、素直に接してくれる人や理解しようとしてくれる人など様々です。 色々様々多種多様、それが人です。 そんな中で共通している要素の1つに、自分のリラックスできる空間では自然な表情を出せて、気持ちも安心している余裕から楽しめるという事があります。 そこから関係を深められる事が多いという事。 記念写真館のように決まったポーズや表情で数枚撮影する方法では残せない表情でもあります。 元々壁が無く素直に向き合ってくれるママさんの人柄と楽しい雰囲気の中、この瞬間で自身ができる事を精一杯考えた時に、リラックスする空間を作ると同時に、前々から考えていた日常というものを惹き出し美しく残すことでした。 よく日常とはつまらないものだとか平凡な日常など、日常というものに対してマイナスなイメージを持つ言葉が存在しますが、本当にそうでしょうか? もちろん毎日同じことの繰り返しで変化のないように思える日々が続く事もあると思います。 ただ少なくとも私達はそのように感じている事を写真を通して残すのではなく また日常を日常としか見ていなかったものや何かに縛られている固定概念を崩していく必要があります。 時間の流れの中でその人の思いや考え、誰かと共に経験してきたものなど様々なものが含まれ作らる日々。 そこで育まれるもの失うもの。 自分がいて誰かがいてくれるから作られる存在。 人生とは人と共に生きると書いて”人生”です。 そう考えると日常とはその人が選択してきた、かけがえのない宝物のように思うのです。 自然な姿を残して欲しいという言葉の中には、この日常から通づるものも感じます。 そんな日常という存在を美しく残し贈ろうと考えました。 この写真にはもう1つ光と色というポイントが含まれています。 肉眼で、見えないものまで表現するには、沢山の要素があると思いますが、この写真は光と色に重点を置き、伝えたい事をシンプルに伝えられる手法を取り入れています。 まずホリゾントに布団をひき、そこに被写体であるお子様を寝かせてもらいました。 広く何もない空間のホリゾントは邪魔をするものが少なく、容易に被写体以外の人も被写体に近づけるというポイントがあり、どんな時間帯でも光を作る事が出来、シンプルに伝えたい事を伝えるのに打って付けです。 また、色という存在は人に与える印象を変えてくれる効果があります。 暖色系の心理的効果は、暖かさや優しさ、リラックス感や嬉しさ、時間を長く感じるなどがあり、その中でも赤というのは情熱や愛という印象を与えます。 カメラの設定はオートではなく太陽光に設定し、前ボケにはすこし赤色のイスの反射光を利用し、ママさんの気持ちという目に見えないものを光と色に込めて表現しました。 彼がこの写真を見返した時、何を感じてくれるのでしょうか。 日常の風景はいつかは忘れ去られてしまうかもしれない日々でもあり、平凡で毎日同じような繰り返しに思えるかもしれない。 しかし、日常の中で生きるからこそ気づかれない驚きや感動がある。 それに気づき美しく残し、贈ること。
幾何学的建築に在る
2017/5/30
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お客様と階段を降りながらよく交わされる会話で 「面白い建物ですよね」というものがある。 階段を登り降りしていると自分が何階にいるのかわからなくなるほどだ。 自由が丘店ならではの、特徴的な建築を活かして撮影したいと、いつも考えていたが、階段は移動だけで終わってしまう。 なぜかというと、とても暗い場所で、しかも狭い。 ライトをいれて撮影をしてみても、一部だけを切り取る写真になり、全体を写せない。 全く良さが活かせないのだ。 ある日の撮影で、シーンの切り替えの時、階段を降りていたら、天窓から降り注ぐ光が、 階段の一部にスポットのように光を落としているのを見つける。 ちょうど14時くらいの太陽が真上にある時間帯だ。 なるほど、上から見る階段は幾何学模様を描き、とても面白い。 私はここで撮影をしたいと思った。 光があるうちに撮影したい。 ただ、実験的な撮影で独りよがりなものになってはいけないなとも思う。 次のシーン、私は普段撮影している別の場所を選択した。 彼は写真を撮られることが好きで、こちらの声がけにすぐに反応してくれる。 どこに行っても主役になってしまうような人だと思った。 大げさなポーズではなく、ひとつひとつの動作が様になる。 撮影をしながら、私の中で確信を得た。 この人なら、自由が丘店の個性的な建築物の中にいても、存在感を引き立てることができる。 撮影の最後に「撮影してみたい場所があるんだけど良いかな?」と聞くと快諾してくれた。 光はまだ階段の一点に落ちていた。 「ここに座ってほしいんだよね。」 コーディネイターの戸田さんが頬杖をつくポーズを誘導する。 私が階段を駆け上がりカメラを構えると、視線をチラとあげた。 力強い視線。 光と影が強いコントラストを生む。 建築のグラフィカルな幾何学模様に彼が存在している。 私が撮影したかった、自由が丘店ならではの写真が残せたと感じた。 Photo by Tonegawa Coordinate by Toda
家族写真への想い
2017/5/29
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ご家族に会うのは今回が2回目でした。「前回担当しました〜」と挨拶したけど私の事はさっぱり覚えてないみたいで、、、 しまったぁ!!私だけの片思い。私の中でのあるあるです。 でも、こうやってライフスタジオに何度も遊びに来てくれる事、また再会できた事はとってもとっても嬉しい事です。 ちょっとだけ長くスタジオにいると、嬉しい偶然の再会がたまにありますが、また片思いは寂しくなるので挨拶だけして話しを進めて行くと、「前回入って頂いた方ですよね?」と逆に気を使わせてしまったパターンもあり、、、 しまったぁ!!と、これもまた私の中でのあるあるです。 前回の撮影は、私はコーディネーターとして入ったのですが、 しん君はスタウォーズが大好きで、カメラマンのお兄さんもスタウォーズが大好きで2人で盛り上がっていました。 話しの内容は全く分からないのですが、しん君とカメラのお兄さんはとても楽しそうにお話しをしていたし、同じ年齢の子であればアンパンマンとかトーマスとか好きなのに、3歳の男の子と20代の大人のお兄さん。 年齢が離れていてもスタウォーズを通して意気投合していて2人の会話がとてもマニアック過ぎて私は終始ぽっかーんでしたが、そんな2人の楽しそうな会話をパパさんママさんが微笑ましく見てくれていたので、とても楽しく居心地のよい空間だったのを覚えてます。 1年ぶりの再会は家族が増えて4人でのご来店です。 生まれてまだ1ヶ月も経ってない妹ちゃんはスヤスヤと気持ちよさそうに眠っていて、しん君は、お話し上手で少し背が伸びて、しっかり者のお兄ちゃんになっていました。 色々撮りたくて撮影中は、パパさんと眠っている妹ちゃんの2ショットを撮ろうかなと思ったけど、おにいちゃんも隣で一緒に眠っている3人の姿が可愛かったので、そのまま3人でパシャリ。ママさんが眠っている妹ちゃんのお鼻にキスをする2ショットを撮ろうかなと思っていたら、たたたたーっとお兄ちゃんも走って来てくれたので、仲良く3人でパシャリ。 次は、子供たちの2ショット。 赤ちゃんとの2ショット撮影は、とてもドキドキします。 スタジオで仕事を初めてから、”赤ちゃん返り”を知りました。 赤ちゃん返りとは、文字通り幼い子供が赤ちゃんのような行動をするように戻ってしまう事。上の子が寂しがっているサイン。2歳〜8歳程度までと意外と幅広く、接し方は今の年齢よりマイナス2歳の子供に接するようにしてスキンシップをとってあげる事。 私は、しん君の気持ちを汲み取れているかなと思ったけど、お兄ちゃんは元気一杯です。小さい妹ちゃんを優しく抱っこしてくれる姿は小さなパパみたいで、しん君の大きな大きな成長を感じました。 家族写真を撮影しようとした時は、 抱っこが上手なパパさん。赤ちゃんを良い感じに少し起こしてくれて、撮影するにはパーフェクトな抱っこです。 むしろ私がその抱っこの仕方を教わりたいぐらいです。普段、オムツ替えやお風呂に入れたりとパパさんの育メンぶりを伺えます。お顔が分かるように少しだけカメラ側に向けて貰っている赤ちゃんもパパの親指をギュッと握っている、お兄ちゃんも赤ちゃんの反対側の手を握っている。 私達が投げかけた言葉は2つだけ。目線を赤ちゃんに向けてもらう事と、皆の表情が分かる全体図を残したかったけど、もうちょっと近づきたい気持ちもあったのと、家族の繋がりを表現したかったのと、ちょっと欲張り過ぎましたが、ママさんの手を赤ちゃんの足に触れてもらう事で、私たちとの距離も近づきました。 空っぽで不安定な私のこころは、「かぞくのしあわせ」を写真というカタチで残せることで、あたたかい気持ちになります。 それはきっと、小さな赤ちゃんを見守る皆の優しい表情から、家族への憧れを強く感じ、今しか撮れない私らしい写真を残したいと想ったからです。 photo by matchan coordi by amemiya aoyama
写真が写すもの
2017/4/30
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Photo by HIRO Coordinated by Yoko Moriya 小さなかわいいあなたの手。 それを包む大きく優しい母の愛。 今はまだ小さなその手も、いつかは大きくなり、 誰かを優しく包み込むのでしょう。 今はただ無邪気なあなたでいればいい、 その大きな愛の中に。 写真は何を写すのか? これは写真に携わる者であるならば必ず考える永遠のテーマみたいなものでしょう。 絵の具などを使い、誰かの想像によって作られる絵画などの芸術とは違い、 写真はカメラを通してそこに写るもののそのままの姿が残されます。 そのままの姿が写し出されるからこそ、そこに写るものがあるのでしょう。 それが写真の持つ一つの大きな魅力だと言えます。 学生の頃に友達と撮った何気ない写真。 それはいつでも僕をあの日、友達とはしゃいで遊んだ時間へと連れて行ってくれます。 あの時感じた想い。 写真の中にその想いが詰まっていて、それを時間を超えて届けてくれる。 そのままの姿が残る写真だからこそ、その時の情景が浮かび、その時の想いが呼び起こされる。 いつも見ているものをそのまま残すことができるからこそ、 そこに想いを写真に残すことができるのでしょう。 写真は何を写すのか? その一つの答えは「想い」であると言えるでしょう。 そんな想いを写し出す写真。 それはその写真に写っている人の想いだけでなく、 そこに込められた周りの人の想いも写し出すものです。 今回の写真は僕にそんなことを教えてくれる写真となりました。 「手と足の大きさがわかるような写真を1枚ずつ撮ってもらえますか?」 撮影も終わりに近づいた時のママさんの一言からこの写真は生まれました。 その一言から感じたのは、ママさんのこの子に対する深い愛情でした。 手の大きさを残しておきたいというのはお願いされることもあるので、 それほど特別なことではないのですが、そこから深い愛情を感じたのには理由があります。 この被写体の女の子はプリンセスが大好きな無邪気な可愛らしい女の子でした。 撮影の3パターンの衣装は全てお持ち込み。 その中の2つはこの子が大好きなプリンセスのキラキラなドレスでした。 「本当にプリンセスが大好きなんですね」なんてママさんと笑いながら話していると、 「本当は可愛いオシャレな衣装とかも着せたいけど、もう少し大きくなったらこういうのも着なくなっちゃうし、今のこの子が大好きなものを残しておいてあげたいんです」 と話してくれたのです。 本当は女の子として美しく残してもあげたいけど、それよりも等身大のこの子をそのまま残してあげたいママさんの愛情がすごく伝わってきました。 そして撮影の最後にも今のこの子の姿を残したいと、手足のカットをお願いされ、 「本当に今のありのままのこの子を愛していて、それを残してあげたいんだな」と無条件の深い愛情を実感させられました。 ママさんの想いを写真で残そう! そう想い、手のカットに臨みました。 ただ何も考えずに手だけを写すのであればフォトスタジオで撮る必要などありません。 手を記録するだけであればiPhoneでママさんが撮影するので十分でしょう。 わざわざライフスタジオで写真を撮るということは、そこに付加価値を付与できなれば意味がありません。 それがカメラマンに与えられた使命です。 どうしたら価値をさらに付与できるのか、今回の写真の場合そのポイントは 再構築とストーリー性 の2つでした。 【再構築】 最近所沢店で写真の話をする際によく耳にするワードがあります。 それが再構築です。 見慣れたものを見慣れたように見ずに、その被写体に合わせて写真を構成する。 写真大辞典では観察という内容で取り上げられていますが、この再構築というのは写真に非常に大きな可能性を与えてくれます。 冒頭で「そのままの姿が写るからこそ想いを残すことができる」と書きましたが、 再構築を撮影者が行うことで、身近なそのままの姿だったからこそ残った想いの域を脱し、 さらにもっとたくさんの想いが詰め込まれ、そしてそこにストーリーが生まれます。 今回の写真でいえば、見慣れた手をアップで写すという記録的な役割から抜け出し、 ママさんのありのままのその子を残してあげたい気持ちと、 女の子らしく美しく残してあげたいという気持ちを表現として構築することでした。 【ストーリー性】 今回の写真は顔が写らない抽象的な写真です。 ワンポイントの写真主題で抽象化に取り組んだ時に所沢店では、 「前後の動きや、写っていない顔の表情が想像できるストーリー性のある写真」 を抽象化のポイントと考え行ってきました。 ただのイメージ写真になっては意味がなく、 その抽象化している構成要素がその被写体そのものを語る物語のようにならなければなりません。 ストーリー性が生まれることにより、その被写体が持つ雰囲気が写真に滲み出て、 そしてそこに想いが表現されるような写真になっていきます。 今回の抽象化の写真ではそのストーリー性を生み出す必要がありました。 【構成要素】 まずは、プリンセスに憧れる女の子の気持ちを表現するドレスの絨毯。 写真を縦の構図にすることによりドレスの余白が大きくなりドレスに包み込まれるような表現になっています。 それはまるでママの愛情に優しく包まれているように。 小さな手に持つのは3歳の女の子にはおませな香水瓶。 「今日は私もお姫様みたいに綺麗になるわ」なんて言いながらお出かけの準備をする、彼女の楽しそうな表情を連想させてくれます。 女性を象徴する香水瓶には、 本当はキャラクターのドレスでなく女の子として美しく残してあげたいママの想いも込めて。 コーディネーターのようちゃんが準備してくれた、 首から下げた花のネックレスも彼女の女の子な魅力を引き出すのに一役かってくれています。 光は逆光を利用し、前ボケも入れ幻想的な表現に。 まるで夢の中、心躍らせながら王子様が待つ舞踏会に向かう準備をしているように。 そのふんわりとした全体の優しい雰囲気は、3歳の女の子らしい丸みを帯びた手の曲線を表現するのを助けてくれています。 そして、何よりの構成要素は彼女に向けられたママの愛情だと思います。 この写真を撮ることになった理由はこの子のありのままを愛するママの想いです。 決して目には見えないですが、今回はあえてこの写真の一番の構成要素と書かせていただきます。 いい写真とはその被写体がその写真に表れている写真だといいます。 被写体が表れてる写真というのは、もしかしたらその被写体自体だけでなく、 その被写体を見つめる想いが表れることも、被写体が表れている写真になるのかもしれません。 そんなことを気づかせてくれる写真でした。 いつかこの子が大人になった時、 また同じように香水の瓶を持ってもらって撮影をしてみたい。 その時はきっと丸っこかった指はすらっと伸びて、香水瓶も小さく見えるんでしょうね。 いつかこの子のそんな写真を撮れる日を楽しみにしながら。
関係
2017/4/30
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17歳。 あの頃、なにがそんなにおもしろかったのか訳が分からないくらいに、 毎日笑っていたような気がします。 小学生、中学生という段階を経て、思春期にもぶち当たりながら だんだん自分という人間性が自分でもなんとなく受け入れられて分かってきたくらいの高校時代。 各地からバラバラと集ってきた高校には、やっぱりどこか似たもの同士のような仲間がいたり、 今まで全然関わってこなかったような仲間もできたり、不思議な空間でした。 男子がいない女だらけの環境というのもあったせいか、 体育祭はみんな男かってくらいに激しくて、 文化祭はわいのわいの拍車がかかって、 普段も普段で廊下で笑い転げている人もいれば、 休み時間もみんなよく喋りよく食べる(想像以上に!)という、 何をするにも勢いが有り余っている女子高生ばかりでした。 この7人も、かつてはそんな17歳。 高校3年生当時、わたしの隣のクラスにいたメンバーです。 ほとんどの人と同じクラスになったことはないけど、 毎日グランドを走っている姿だったり、 ユニフォーム姿で体育館にいる姿だったり、 ローファーを履いていたり、デカめのバッシュを履いていたり、 やたらと髪が短かったり、ダンスに打ち込んでいたり、そんなひとりひとりの姿と、 この7人で教室のどこかに集まって話をしているだろう笑い声と7人一緒の制服姿を今でも覚えています。 卒業後はそれぞれ進学をしたり、留学をしたりでバラバラになりましたが、 お互い疎遠になるどころか全くもって逆で、離れても環境が変わっても、 13年経った今でもあの頃の勢いそのまま、変わらない7人の姿がスタジオにありました。 事の発端は、3月に行った写真展に訪れてくれた時に、展示していた成人式6人組の写真を見ながら 「いいねー、成人式でもみんなで撮りたかったよね。でもあの時はみんなでスタジオとか考えつかんかったよね。 でもさ。別に今でもいいよね。ね。ちょうど30歳やし!春にみんな揃うし!三十路写真!!!!!」 とそんな話が出て…それから1か月で撮影が実現しました!この行動力!! 「今日はこどもやなくて、わたしたちが主人公やけね!しっかり準備しよっ!」 っと、撮影前に鏡に向かう姿をとても嬉しく思いながらわたしも準備しました。 今日は、自分自身の写真。 自分が出会ってきた友達との写真。 30歳の自分。30歳のそれぞれの姿。 なんかいいなぁと、撮影前からしみじみ。 撮影前に色々と考えながら、それぞれの被写体をバラバラに配置して、 それぞれの雰囲気を出すようなものもイメージしたりもしましたが、 やっぱりいざ撮影になったら変わりました。 7人がこの7人でいるからこその写真。 ならどう撮ろう? 即決。あの頃のように、ただ、喋ってみてから撮り始めようと考えました。 最初は7人の雰囲気が見たかったので「適当に喋ってていいよー」って声をかけたのですが、 「「「「「「「………!!!!!あんさー、この前のあれが、どねーの、こねーの×7」」」」」」」 文字になりませんが、一瞬で会話がドッカーンです。 わたし、この勢いに笑いが出てカメラが震えてしばらく写真撮れませんでした。 アシストしてくれた手塚さんはすかさずiPhoneを取りに行って、 この様子を思わずムービーで収めていました。それくらいの記録的なドッカーンでした。 この瞬間に思いました。 成人式6人の撮影の時と、威力が全く違うぞ。。。。っと…。 20歳6人組は大学で出会ったから友達になって2年ですが、 この三十路7人組はもう10年を優に越してずっと繋がっている仲。 会話の途中にひとりが大切な報告をした時も、さらなるドッカーン。 7人に垣間見えるそれぞれの驚きと、把握しきれずに数秒後に驚くだろう顔と、喜び!!! 突然の瞬間でしたが、ここはブレちゃだめだ!!と気合いを入れて撮りました。 全力で話す。全力で驚く。全力で喜ぶ。 友達ってすごい。ただただ圧倒されました。 おめでとう、ありがとうの連鎖だけではおさまらないこの感じが、大切な人の喜びが、友達という存在が、 きっとそれぞれの心強さになるんだろうなぁと感じました。 大事なことを、改めて考えました。 自分として生きていく中で、信頼し合える仲を築くということ。 人間性を受け入れること。 ライフスタジオでは友達同士の撮影は小学生以上でお願いしています。 きっとそれは「友達」とお互いに意識しながら撮影が出来るのがそれくらいの年頃だからだと考えています。 生まれた時から一緒、幼馴染として普段一緒に遊んでいるというのもあるかと思いますが、 スタジオといういつもとは違う空間で撮影となるとその時々の機嫌や、 自分の思うように遊びたい気持ちが強くなったり、 集中力がなくなったりで撮影どころではなくなることが多くあるので、 小学生未満の友達同士の撮影はそれぞれの家族で1枠ずつ連続で予約を取っていただくなど 店舗ごとに取り組みがあるかと思うのですが、 そんな幼馴染の時代や、それぞれ幼稚園などを共に過ごした時間を経て、 小学生になってから、また中学生や高校生、大学生になってから、 そして大人になってからでも、「友達」との関係性を撮影することによって 「家族の中での自分」とはまた違った「自分」を発見できる機会になるように思います。 (友達同士の撮影は念のため予約前に各店舗にお問い合わせください。) わたしは元々この場所がこども写真館だとは思ってもなければそう言ってもいません。 大切な人と過ごす場所のひとつとしてあればいい。 大切だと思う人と写真を撮るというきっかけを作る中で、自分の人生を振り返り感じながら、 写真を見てまた笑えれば、ちょっとでも救われるような気持ちになったら、と思います。 そしてまた、大切なものをより大切に。 しかしながら、本当にみんな変わらなすぎてこの写真たちを見るたびいろんな記憶が蘇ります。 でも間違いなく、あの頃よりもみんないい女だと確信してます。 まだまだこれから。 10年後も、20年後も、もっと先も。 変わらない勢いで。 下関店 kawano yoh
受けとめる
2017/4/30
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何かに没頭し、無我夢中で遊ぶ子供たち その自然な姿が、あんなにも愛おしく美しいのはなぜなのだろう 子供たちは何にも縛られていない どんな時も、ここがどんな場所であろうとも 世間のルールも常識も、関係ない ただ世界をあるがままに受け入れて その中で思いきり楽しむことだけを考えている そんな風に"こころを自由に遊ばせている状態"が 本来私たちのあるべき姿なのかもしれない そしてそんな姿は愛おしく美しい -代々木店 overviewより- スタジオに来た彼女は少し憂鬱であった。 心の壁の衝動が全面に伝わってくるそんな空気感が存在していた。 撮影を始め少し緊張した面持ちの彼女は最初はどんな質問をしても「わからない」と返してくるだけであった。 カメラに対してそっぽを向き「撮られたくない」という意思表示を全面に表していた。 「年頃の女の子なら恥ずかしいよね」と考えれば簡単だが、それが彼女の中にある写真を取「撮られたくない」答えだというふうに私は思わなかった。 私は撮影をする中で彼女の答えを探していこうと考えた。 カメラを持ち始め少しずつ写真を撮り始めると、彼女は少し少し目をつかい私達の様子を慎重に伺っていた。 彼女は私達が自分自身を受け止めてくれるか私達の様子を見ていたのだと思う。 私自身も人見知りなので彼女の心は何となくわかったような気がした、 この人達は私を受け入れてくれるのかと新しい環境・初めての人と接したときはそう思うのが普通である。 彼女に心を開いてもらうために私はシャッタを切るよりも、そのために何をするかを強く考えた。 心を開いて欲しいという一心は私もコーディの優ちゃん同じだったと思う。 撮影も堅苦しい雰囲気ではなく、遊ぶように自由な空間を意識した。 彼女の心のドアを少しずつ少しずつノックすると恥ずかしそうな顔を少しずつ見せてくれ始め、関係性が出来たとき初めて彼女自身も私達を受け入れてくれ最高の空間ができあがっていた。 最後には沢山笑った撮影となった。 最初に画面構成は非常に明るくなっている。 また余白を大きくすることにより被写体の存在を印象的にしている。 この画面構成には大きな意味がある。 まず第一にあえて余白を大きくすることにより 自由な空間、何者にも汚されてない空間、彼女だけの空間を再現した。 それはまだ心を開いてくれてなかった彼女に自由な空間で心を開いて欲しいという意味づけであった。 余白は被写体の空想や心理状態などを表現することができ、その中の心理的描写を表現した構成となった。 更に線をしっかりと整理することにより画面構成がよりまとまった統一感を持つフレーミングに仕上げてある。 前ぼかしは彼女の視線に誘導するために自ずと余白に色を足した結果である。 第二に光に関しては比較的明るい表現をした。 それは上記の心理状態を表現するために自ずと導かれた答えであった。 更に光が髪の曲線を際だたせることにより被写体に柔らかな存在感を与えている。 第三にポージングであるが、最初に無理にポージングや仕草を指示することはあえてせず、少しずつ語りかけながら写真を撮れる状態に(顔がこっちに向いてるなど)して始めて写真の表現が成り立った。 第四に圧縮効果を使い画面内の距離感をなくすことにより一枚の絵のような表現をすることにより、また後ろの整理された線と相乗効果を生み 写真自体を引き締めている。 統一感を強め安定感をもたせたいる。 写真が人を無意識に否定することがある、写真とは本当に難しいものだ。 彼女はこの一枚を気に入ってくれ、この写真が彼女の特別な存在となったことを私は嬉しく思う。 写真:tomiki コーディ:Yu 著:tomiki
MOVE
2017/4/30
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ドレスを着た女の子を見て、いつも思い出す写真があります。 その写真は、私が入社する前に撮られた浦安店での写真で、撮影者も浦安店を離れた後だったので、撮影におけるバックボーンはわかりません。 だからこそ、その1枚の写真の中に写っている、絵としての部分に惹かれています。 白いドレスを纏った女の子が、その裾を翻して踊る写真でした。 動きの速さにピントが追いついていなかったり、ブレている箇所があったりと、ひょっとしたらそれは『良い写真』と言うには足りない部分も多かったのかも知れない。 それでも、その写真からはとんでもなく、凄まじく、「その子」がみなぎっているように感じました。 まるで、笑い声やドレスの衣摺れの音まで聴こえるようで、体を動かす喜びに満ち溢れたその子の表情は、あまりにも活き活きとしていました。 入社間もない私に、その写真のイメージは強烈に焼きついたように思います。 でも、6年経っても忘れられない写真になるとは、当時は思っていなかったかも知れません。 ライフスタジオに入る前、ほんの10ヶ月ほどですが、ストロボを使って撮影するスタジオで写真を撮っていました。 自然光を遮る為の、奥まった暗い部屋。背景紙の幅は、せいぜい3メートルくらいだったでしょうか。 勿論ストロボのセッティングもあるので、被写体の動ける範囲は限定的になってきます。背景紙が切れない範囲で、光の当たる範囲でなければ、撮れません。F値は8.0〜11で撮影、とほぼ決められていました。 仕上がった写真はどれもくっきりと、瞳の中にライティングのセットが写り込む程、それは精細に記録された写真になっていました。 私が最初に、商業写真として撮影技術を学んだのは、そういうところでした。 だからこそ、浦安店のその写真に自分が惹かれたことが、当初は不思議でさえあったかも知れません。 前述の通り、ピントが甘かったりぶれていたりといったことは、ストロボを使う写真館で培われた価値基準では有り得ないことでさえありました。 それでも私は、ことあるごとにその写真のイメージを追っていたように思います。 それは多分、自分にとってはあまりにも新しい価値だったから、ではないでしょうか。 自由に動くこと、動かすこと。それによって発現する楽しさと喜び、生命力、その子自身の存在のあるがまま。 それは、自分がその時まで撮って来た写真からは感じられないものでした。 言ってみれば、写真から伝わるイメージが、私の固定概念を打ち抜いた出会いだったのだと思います。 ピントの合う範囲で動かなければならない、でも光量が足りないから絞りは解放気味でないといけない、シャッタースピードを上げ過ぎるとフリッカーが出てしまう……いずれも、撮影の際に注意するべき点ではあります。決して、ピントの合わない写真でも良いと言っている訳でもありません。 しかし、そういった注意点を頑なに守っていれば、『良い写真』が撮れる、とは思えなくなりました。 浦安店のあの写真は、確かに細かな粗は探せば幾らでも出てくるのかも知れない。しかし、それを忘れさせてしまう程、説得力のある中身がありました。 被写体である、その子自身。それが溢れている写真。 「動き」は本当に、瞬間です。軸足から伝わる回転と、その動きを受けて翻るドレスの裾、空気の流れ、残像、余韻。そして全てを自分で巻き起こしているその子の表情は、その子自身のみなぎる生命力は、その一瞬に凝縮されていました。 だからこそ、こんなにも強烈に、7年経った今もひとりのカメラマンに記憶されているのだと思います。 脳裏に焼き付いたそのイメージは、いつも私のファインダーにちらつき、消えていく。 青葉店で、ドレス姿の彼女に会った時もまた同様に、そのイメージは通り過ぎていきました。 しかし、彼女の長い髪を見た瞬間、それにもうひとつ加えることができると感じました。 生まれた時から切っていないという、長い髪。お腹の中で育まれていた時から繋がっている、7年分の時間を象徴するそれは、同時に彼女の存在に強く関連づけられたアイコンでもあります。 動きの中に、その髪の存在感を加えることで、彼女自身をより感じさせるイメージを伴う写真にすることができるのではないだろうか? そう考えた瞬間、目の前にばらばらと散らばる環境や条件といった要素が、完成図に向かって組み上げられました。 動き、という、ある意味では予測不可能な形を作るそれを誘発することは、賭けでもあります。恐らく、浦安店で見た写真に関しては、突発的な被写体の行動をカメラマンが瞬発力で撮影したものなのではないかと思います。 今回は、あのイメージを踏襲しながら、準備と予測をした上で臨みました。 軸になる部分を見極め、その軸を中心に回転が加わる範囲を可能な限り予測します。その予測の確実性を高める為に、右手で窓枠を持ってもらい、一定の安定感を持たせました。 全てが克明に写ることは少し無粋な気もして、F値は3.2に設定しています。しかし、翻る髪やドレスの動きはその一瞬の表情を止めたいと思い、シャッタースピードを1/400まで上げました。 シャッタースピードを確保したまま、髪の質感を損なわないだけの明るさを得る為に、この時期のこの時間は光が溢れている窓の近くへ。西陽と言うにはまだ早い、爽快な太陽の光は、彼女の髪にまとわりついて艶やかな質感を見せてくれました。 思いっきり、振り向いてみようか。 ドレスの裾をつまんだ彼女にそう声をかけて、合図を送った時、またあのイメージはちらついて、それが目の前の彼女に重なっていきました。 振り返る、その回転する動きに合わせて翻る、彼女の7年分の時間を蓄積した長い髪と、ドレスの裾。 彼女の表情は少し悪戯っぽく、動きの中で発現する彼女自身の感情の昂りを見せていました。 それは多分、動きを加えていくことで生まれる活き活きとした躍動感と、生命力。バイタリティ。 6年前に出会った、忘れられない写真。 ベースに敷かれたのは、その写真から感じたイメージで、自分なりの幾つかの要素を加えて、整理して、彼女を表現することを試みました。 「動き」は予測不可能です。 しかし、予測不可能である、ということを予測しながら撮影をすることは、可能です。 固定概念に縛られた狭い範囲の外に飛び出していくような動きの中に、そのひとの輝きが見える瞬間があります。 その一瞬に、躊躇いなく飛び込んでいける自由を持った撮影者でありたいと思っています。 Life Studio No,99 Yokohama Aoba Photo by Reiri / coordi by Satoshi
今日が人生になる
2017/4/30
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「人生は選択の連続である」 まさにそうだと、つくづく思います。 「一生お酒を飲める友人をつくってこい」 と父親に言われ私は故郷である岩手県を飛び出し上京してきました。東京はとにかく流れが速く、人の歩く速度ですら速いと感じました。私は東京へ行くと選択したわけですが、私はちょうど東京に来て10年の月日が経ちました。この10年の中で様々な選択をし、いろんな場所へ行き、いろんな人と出会い、その中で自分の中にある知識と言葉を選択してきたわけです。 この被写体の女性もその中で出会いました。大学の先輩の奥様にあたる方です。「一生お酒を飲める友人」の中の大切な先輩になります。 野球だ!合宿だ!飲み会だ!ゼミだ!いろいろしてきました。 そして今では私の人生の中ではおおきな存在となっている大切な家族になります。 そしてつい先日、無事にご出産されたようです。 おめでとうございます。 私はこの写真を分析するにあたって2つのポイントがあります。 【コントラストと余白】 青山店の廊下は水色で塗られていて爽やかなイメージの場所になります。そして廊下にはスポットライトが3つ設置されています。ホワイトのスポットライトが2つ、オレンジのスポットライトが1つ。 色相環というものがあります。赤の対照は緑、黄色の対照は青、水色の対照はオレンジ、こういった様に色Aには対照の色Bがあります。 つまりこの水色の廊下においてはオレンジのライトが対照的なカラーとして効果的に活用できる場所ということになります。 そのために水色とオレンジを分けるようにライティングを調整する必要があります。なので壁にオレンジ色の光が当たりすぎぬ様被写体に当てました。それによって生み出されるコントラストは立体感を作り出します。今回はお腹にスポットライトを当てよりその部分を強調するように意識しました。 ポイントとなる部分を導き出すためのライティングと配置です。設定は既存のポートレートで撮影後も調整はしておりません。 そしてこのトリミングの中で3分の1が被写体、3分の2が余白です。これは余白が大部分を占めることによって逆に注目できる視覚的な効果です。注目させたいから余白を作るというのはシルエットを意識した写真や映像でよくあるものかと思います。 この対比と逆説,つまりはコントラストと余白を利用し子を宿すお腹を強調する1枚を作り上げました。 このようにしてつくっていくことには私自身の土台となるものをちゃんと整理し向き合っていかなければ。。 そこで土台を考えるべく企業理念と私の理念について考えてみました。 まず理念という言葉こうです。「ある物事についてのこうあるべきだという根本的な考えまたは哲学で純粋に理性によって立てられる経験的な最高の理想的概念。」 以下HPより ライフスタジオの理念 Life Studio は写真館を 3 つの概念に分けて考えます。 ・美しさ ・表現の楽しさ ・思い出の為の記録 中略 現在は “記念写真” だけで構成されている日本の写真館の概念を変えなければなりません。 Life Studio は写真館の定義を、美しさを表現し思い出を記録する楽しみの空間と規定します。 Life Studio は自由 / 関係 / 楽しみを優先します。 その次に、写真だと考えるのです。 人生を一篇の芸術作品として、存在する美しさを生涯かけてつくりあげていくという “存在の美学” として、 それを実践する場所になっていきたいのです。 私たちは Life Studio が写真と撮影のサービスでつくられた経済活動の空間だとは考えません。 ゆっくりと、そして原則を守りながらお客様とスタッフが “一緒に楽しむ” “人生の写真館” になっていくことを 希望します。 とあります。 では私の理念はどんなものなのか? 私の理念とまではいかなくとも意識はどんなものなのか? 私はとにかく楽しい時間になることを目指して仕事や私生活を考えてると思います。写真と私という点ではカメラマンデビューをして1年くらい経ったころから意識しているものがあります。それは「私らしく、あなたらしい写真」です。今でもこれを意識し目指しています。まだまだその道の途中ですがこの写真は千葉っぽいからこの写真は千葉だねと思われるように日々奮闘しているわけです、、、 そのために私らしさを考えることがあります。自分らしさを出す方法の一つが自分の好きな写真を整理することだと思います。なぜ好きなのかを言葉にして、そしてその言葉を写真に表現する。真似て撮ることもいいと思いますが自分で考え表現をするということを繰り返していくほうが私らしい写真になっていくと信じています。その好きな写真からどんな言葉を感じ、どんな表現していけばいいのかを考える。苦しい時間を過ごすことがあるかもしれませんが自分の表現の広さと表現の楽しみが増えてきた時によき時間に思えてくるのではないかと思います。そして好きな人や家族の写真を残して行けたらなと、近い存在でいつまでもいられたらなと、そうなっていけば自分は人生の仕事してると感じれます。 文字にしてみたらライフスタジオの理念に近くなっていましたね。 いろんな道があるのが人生だと思いますが自分の理念を少しだけ整理してみるとまた違ってみえてきた気がします。これまでしてきた選択とこれから自分がする選択。 写真は人生と似ていて長きにわたりこれからも進むべきものと感じます。 ひとつひとつが人生の選択で、今日した選択も人生にとっては大きなものになってくるのではないでしょうか? そして私は思いました。 だから写真は面白い。
usual but unusual
2017/4/30
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Yokohama Aoba Photographer: Satsuki Kudo Coordinator: Kaor Sasaki いつもだけど、いつもとちがう。 いつものように見える日常の景色は、本当は存在なんてしていないってこと。 列車に乗ったときに見える流れる車窓のように、同じ用で同じものはない。 本当は知ってるけれど、気付かないふりをしていたってこと。 いつの間にか忘れていたよ。 春の終わりに、夏の初まり。 花は散り、緑は深く、空は近くに。 日差しがジリジリと刺し、少しずつ汗ばむ肌に、 気持ち良く触れる風は爽やか。 そんな季節。 いつも、毎年、彼はいる。 ずっとずっと、私たちの近くにいたような彼。 4年前、私が最初にいた店舗が閉店になると知った彼は、お家のお風呂でこう言って泣いていたそうだ。 「親しくなったら、いつかはお別れしなくちゃいけない。」 そんな寂しくも、綺麗な言葉を発した彼の心が、本当に純粋で、現実的で、美しいと私は感じた。 その美しさは、瞳の美しさにも現れる。 透明感のある、色素が薄い彼の瞳は、出会ったときから吸い込まれそうで、端々に現れる綺麗な心とともに、彼自身の存在が本当に美しいといつも感じる。 結局は、お別れはしないで済み、今もこうして毎年初夏の奔りには会う仲なわけで。 でもそれは、現実を粛々と受け止めながらも、健気に少しでも一緒にいてくれようとして、距離が遠くなっても諦めずに、こうして今も会いに来てくれる彼の熱意の結晶のおかげなわけで。 真っ直ぐに、きらきらと、私たちへ向かう気持ちが、 純粋で透き通って見える。 そんな澄んだ心の持ち主は、いつも同じように私たちに会いに来てくれるたび嬉しそうにしている。 身体は大きくなっても、相変わらずだね。 なんて、そんな言葉がいつも出るけれど、本当は相変わらずなんてないことに気付いてる。 身体の大きさも声も変わり、それとともに心も少しずつ変わっていくことを、私は気付いてる。 だけど、相変わらずだねなんて裏腹な言葉が出てくるのは、どんどん変化していく彼に留まっていて欲しいからか。 それとも、先を走る彼に私が置いていかれることが怖いのか。 私が彼の変化を無意識に留まってほしいと願っても、時の流れと彼の心と身体は変化していく。 いつもなんて、本当はない。 相変わらずなんて、幻想だ。 だから、私も彼に真っ直ぐに向き合い、 歩みを進める勇気を出そうと思った。 変わっているからと言って、別人になるわけではない彼。 いつもの延長線上に在る、いつもじゃない現実。 日常の中の中にある、非日常。 何の変哲も無い、変化。 それが、人生を生きるということならば、 そんな彼の現実を写真に表すには、 気を衒うことじゃなくて、 無理やり曲げることじゃなくて、 今ある事実を、写真の撮り手である私が解釈して、もう一度組み立てること。 それが必要なんだ、と思った。 ここは青葉店。 彼の中のいつも。 それを象徴するカフェの棚。 その中で、すっかり大きな身体になった彼は、 いつもと同じようでどこか違う。 瞳の美しさも、心の美しさもそのままに、 だけど、そのままじゃない。 力強く、凛とする。 少年から青年へ。 棚に寄りかからせ、力を抜いてもらう。 カメラを構えて、私を撮るように指示をしたのは、 写真にしたときに、彼が彼自身を撮るように見せるため。 いつもの場所の、いつもの姿勢。 だけど、いつもになり得ない現実の真実は、 前へと走り出した彼の未来。 それを私が受け取って、彼のいつもを崩してまた組み立てる。 そうして創られた写真には、今の彼の真実が写るような気がして。 写真を見ると、いつもの彼のように見えて、全然違う彼が写る。 彼は一体誰だろう? そんな錯覚を覚えながら撮影をして、彼自身を探す。 そして、また彼を見つける。 撮影のあと、誕生日プレゼントのケーキを頬張りながら学校の話をしている彼がいつも通りすぎて、笑いながら拍子抜けしちゃうんだけどさ。 変わらないものはない、なんて言っておきながら、 それでも変わらないものを信じてるどうしようもない私は、また来年もその先も彼が来てくれることを心待ちにしている。
「ピュア」~ウツクシイモノ~
2017/4/30
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あなたの思う美しいものとはなんですか? この質問に目のみえない4人の人はこう答えたそうです。 「朝起きて目を開けると、窓の外で小鳥たちのさえずりが聞こえて…“生きている”と感じること。」 「周囲の人の人柄が感じられること。その人が“その人自身”であること。」 「生を“体感する”こと、そして“喜び”を見つけること。」 「焼きたてのクッキーの匂い、顔に気持ち良く当たるそよ風、庭を裸足で踏むときの芝生の心地よさ、海岸の砂浜に座って海がどんな姿で空はどんなに広がっているか想像すること」…毎日は“感じること”に満ちている。」 あなたの思う美しいものとはなんですか? 写真は目に見えるものだけれど、目に見えない美しさを表現するものでもあると思います。 写真を撮るとき私たちはその人の美しさとは何だろうと考えます。 愛おしさ、純粋さ、今心が向いている所、夢中なこと、夢や希望、心情、幸せの瞬間、その人からにじみ出てくるその人らしさ…。 彼女は、お兄ちゃんととっても仲がいい、よく笑う、愛らしい人でした。 そんな彼女がふと笑うことを忘れて、シャボン玉がキラキラと大きく膨らむ美しさに魅了されていた瞬間、私には彼女のピュアな美しさそのものがそこに見えた気がしました。 彼女の“ピュア”な美しさをより引き立てている構成要素は、色、光、前ボケの3つです。 【色】 白のドレスに白のヘア飾り、白いお花。インテリアは、本来は黄緑をベースに緑の葉や青いブルーベリーが飾ってあるナチュラルな庭園のような場所なのですが、撮った角度により、そのグリーンの部分は落ち、白い窓枠のみを写しています。白の英語Whiteは「善意」「純粋」などの意味を包括します。 【光】 逆光で、ふわふわと彼女を包み込むような光で撮影しています。彼女のもつ透明感のある空気、髪や肌、心の透き通っている様子を表現しています。 【前ボケ】 透き通った白くまあるい前ボケを入れることで、暗く落ちている部分を減らし、光や色、イメージの統一感をより強調しています。 様々な美しさと出会い、たくさん感じて、いろんなことを知っていきたいです。 Mito Photo Photographer:erika coodi :karen
瞳
2017/4/30
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自由に表現をする事に必要な事 それは 人を心から好きである事 人に深く入れなくてはならない 人について知らなくてはならない お互いを理解しあって通じ合わなくてはならない 自分の壁を開かなくてはならない ・・・etc この様な行為が行われそしてその先に自由になれるのだと思う ただただ被写体にカメラを向けてシャッターを押すことは違う 撮影する事には変わりはないけれども写されてくるもの写すもの表現したいものが全く違ってくる 色々な方法で彼女の沢山な要素を感じ彼女が自分を出しやすい雰囲気を作り観察し受け取りそしてシャッターを押す 他にも、もちろん沢山の必要な要素がこの一枚には含まれている インテリア、光、構図、アングル、小物、衣装など全てがとても大事なポイントとなっている 私が彼女に会った時彼女の印象は可愛い女の子であった きっとみんな可愛い女の子って思うだろう しかし私の中ではこの子から感じるものがあった それはちょっとクールでボーイッシュな雰囲気を漂わしていた気がした だからこそいつもとは違うちょっとクールでボーイッシュの方を残したかった 彼女の瞳には何かを強く訴えているかのような純粋で真っ直ぐと輝いている瞳 その瞳とクールを一緒に残したい そんな私の思いからこの一枚が撮影されました しかし普通にアップで瞳だけを写しても何かちょっと違うと感じ片目でも十分に迫力がある瞳だからこそ両目を入れるよりわざと片目にしてどの様にしたらその片目をいかせるのか?考え私はあえて帽子を斜めに被ってもらうことにした その事によって真っ直ぐな線だけでは平凡な写真になってしまうが斜めの線が出来た事によってよりこの写真を引き立ててくれている気がする 彼女を光に近づけて手でサンを持ってもらった事により前ボケ効果のようにスーッと彼女の瞳に目が行くようにそして真っ直ぐ被っていない帽子のおかげで線が出来ギュっと引き締めてくれて更に彼女の瞳にぐっと注目させる事が出来た 彼女の表情も笑うこともなく怒るでもない素の彼女の表情で撮影したかったからこそこっちをそのままジーっと見てと伝えた 色もほとんど白と黒の2色で構成されているのでより統一感が生まれた 彼女の事を知りたい、感じたい、入り込みたいなどと思ったからこそ彼女もまた私を受け入れてくれたのだと思う いつもこの思いを忘れずに撮影して行きたい photo by yuki coodi by kazuki
人
2017/4/27
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有る程度生きている、という程度を越えていくこと。 惰性で生きているつもりでなくても、時にふと自分自身に対して少し冷静な目を向けてみると、 一体なにに対して今いちばん強く考え生きているのだろうかと思うことがある。 考えていないことはない、けれど、それでもそれは有る程度の意志だけのようにも感じことがある。 有る程度のものだけで、ほぼ無意識的にこの世界の中に居座っているようなそんな感覚が、 少しずつこの世界の脅威になっているのではないか、などと感じている最近の状況の中で、 当たり前にただそこに平和という環境があるのではなく、 人間ひとりひとりの理性と意識によってもたらされる状態が平和なのではないかと思うばかりだ。 有る程度生きているということで、満足するのか。 自分の人生がよければそれでいいのか。 それとも、この程度を越えていけるのだろうか。 きっとそこに、平和という未だ曖昧でもある世界への手がかりがあるのかもしれない。 性善説だとか性悪説だとか、昔からわたしは理解しきれなかった。 善や悪というどちらかというものではない、 人間そのものの根源がもっとあるのではないかと思いながら色々な考えに触れてきたが、 その本能的なもののひとつに「人間の暴力性」という文献があり興味を持ったことがある。 人間は本能的に暴力的であるのならば、 ただ生きるということは生きる為に戦うという戦争状態であるということの方が自然かもしれない。 だとしたら、人間に与えられた課題は、本能のままに生きるだけではなく、 教育や学習によって後天的に理性的な人としての姿へと成っていきながら、 ひとりひとりが、ただ生きるという生ではなく、なぜ生きるかという問いの中で、 この世界を繋いで行くために智恵や知識を引き継ぐこと、 いかに理性的な関係を築きながら、かつ平和的な世界を持続させられるかという、 人間の本能への克服であり、人間という存在に対する証明なのではないだろうか。 なんて。 特に一定の思想や宗教を信じている訳でもない身でもありながら、このような話が毎日尽きない。 こんな話に付き合ってくれる、というか、お互いがお互いに考えていることを話し合える人と働いているということはありがたいことでもあり、 しかしながらなんだかんだは実際のところ、ここはここで争いが絶えないものだ。 1対1の関係でも、争いは生じる。 生きる為の戦いというよりは、それぞれに生きてきた中での価値観や行動においての自分自身と相手の差異によって起こる衝突。 それは自分の生き様に対しての否定への対抗となる場合もあり、 「こう思う」「いや、そう思いません」「なんで」「結局どうする」 ざっくり言うとそんなやりとりの中で、どうしても譲れないものや、分かり合えないこともどんどん、どんどん出てくる。 わたし自身、とても感情的な人間だ。 感情に任せての発言や態度で問題を解決できなかったことも多々あった。 「なんですぐに怒るのか」と言われることもありながら「そんな態度なら話にならん」と言い返すしかない繰り返しもあった。 「もういい」と強制終了してしまえばそれだけの話で終わるのだが、 実際にその強制的な納得はずっと尾をひいて納得できないままであり、ある周期が来ればまた争う種となる。 感情が感情として必要な部分はもちろんあるけれど、ただ自分の意見を否定された場合、 感情的な対抗ではなく、違う考えに耳を傾け頷けるようになるには、結局こどもやおとなという線引き関係なく、 絶え間なく日々学びながら理性というものを身につけ、自分自身の幅を広げていくしかないのだと気づく毎日でもある。 ただひとつ分かったのは、何一つ自分を否定されないということほど恐ろしいことはないということ。 否定されることは怖い。 ただし、今の自分が完全であるとも思わない。 自分の意見に全て同意をしてくれる人よりも、意見に対しての意見を言ってくれ、それが時に衝突したとしてもお互い許容しながら、 有る程度を越えていける関係を持つということは、自分が生きるための戦いではなく、共によりよく生きていくための闘争であるようにも感じる。 自分が自分を越えて行くために。 下関店3年目の写真の主題は「人 Human」だ。 人という存在をもう少し深く観察していきながら、その人自身の真実に近づいていきたいと考えており、まずその先駆けとしてわたしたちの互いの姿を撮影した。 この場所で撮影する写真の条件として美しさの表現や楽しみの空間というものは切り離さず大切にしていきながら、 出会ってきた人の「人」としての存在感をより表現していくために、かわいいだとか、綺麗に見えるとかそういう形容詞だけではない、 究極的な「あなた=わたし 自分という存在」を写し出せたらと思っている。 わたしが見ているあなたは、あなた自身としての「私」であるのか。 真実はどこにあるのか。そんなことを更に1年かけて追求したい。 よく見える写真でもなく、 よく魅せる写真でもない。 ただ一心に集中して、嘘偽りのない、わたしが見て感じている「手塚瑶」を撮影した。 色々と撮影した中でこの1枚を撮った時に本当に不思議な気持ちになった。 撮れた、としっかり感じた。これがこの人だと確信を持って。 マクロレンズで撮影した近すぎるほどの距離感の中で感じる、不本意そうでもの言いたげな視線。 2年共に過ごしてきた中で、一番あなた自身を感じる姿であり、 もしもあなたが世界からいなくなってもわたしはこの写真1枚があればあなたについて全てを思い出せるほどだと言い切った。 「それくらいの写真だけど、自分ではどう思う?」 そう問いかけると、 「自分でいつも自分を見てる訳じゃないから分からないけど、こんな不服そうな顔をしてるんだと思う」 そう言って笑っていた。 この存在感が、わたしを躍起にさせる。 有る程度という程度を、突きつけてくる人。 ひとつひとつの存在を響かせていくこと。 かけがえのないものだという意識の中で、 見過ごしてはいけない真実の部分により目を、感性を、向けていきたい。
[次のステップ]
2017/4/15
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photo by katsu coodi by makita 僕は、自分の撮影を通して写真を撮られる楽しさを知ってもらいながら、美しい写真を撮って感動を与えられるカメラマンになりたいと思っています。 そのために、大きく言えば2つのことを撮影時に心掛けて行っています。 1つめは、楽しさの連鎖を広げること。 2つめは、美しい写真を残すこと。 1つめの、楽しさの連鎖を広げることとは、 ・自分自身が楽しんでやらないと楽しさが広がらないから何事も楽しんでやる ・相手に楽しんでもらえるように自分から楽しさを作る ・楽しさは居心地の良い空間から生まれるから積極的に関係を作っていく 2つめの美しい写真を残すこととは ・その子らしさを撮る(個人) ・関係を美しく撮る(複数) ・写真の質をあげるために主題と知識を身につけていく ・写真分析で整理をする ・客観の意見をもらう この2つを意識しながら日々最善を尽くして過ごしています。 そんな中で1番今集中しているのは、主題もそうですが、「その子らしさ」を撮ることです。 なぜ「その子らしさ」なのか。 今年に入ってからたくさんの写真を見るようになりました。もちろんライフスタジオで撮られた写真も見ます。そんな中写真をみながら手が止まる写真があります。それらをピックアップして分析してみると1つの要素がでてきました。それが「その子らしさ」が出ている写真でした。 多分自分の撮っている写真の中であまりない写真がその子らしさだったから無意識に手を止めて写真をピックアップしていたんだと思います。 では僕のいう「その子らしさ」とは何なのか。自分なりに分析をしてみました。 「その子らしさ」を違うライフの言葉で説明するならば、「生命力」かもしれません。 結論から言ってしまえば、その子を感じる瞬間であると定義しました。 その要素は、表情と行動に現れます。 また、被写体によって1回の声掛けででてくる子や、2回も3回も声掛けを投げかけないと出てこない場合もあり人によって様々です。 例えば、よくありがちな大きい子が撮影に来た時に、ポーズを付けて撮影をしていきますが、「あれをやって~」とか、「こうしてみて~」で声掛けが終わってしまうことがあり、結果写真もただポーズをしている写真、ただポーズをさせられている写真になってしまっています。 しかしここから「その子を感じる瞬間」を撮るためには、ポーズをつけた写真を撮るなら、ポーズをつけたところから、その子自身からその子自身の表情が出るまで声掛けをしてみたり、ダメだったらポーズを変えて見たり、小物を変えてみたり、相手に投げかけていかなければならないと見つけることが出来ました。 その子を感じる瞬間を撮るのであれば、ただ「あそこを見て」ではなく「あそこの椅子の上のリス見える?」では、被写体の心境が違うので表情も行動も変わってまったく違う写真を撮ることができ、なおかつ「その子を感じる瞬間」を撮れるのだと思います。 しかしいつも僕の課題はここからです。 何かモヤモヤがあったらすぐ解決したいタイプです。しかしこの時によく錯覚をおこしてしまうのですが、何か新たな疑問、問題、課題がでてきて、分析とか自分の持論をもつと、あたかも自分はそれに対して知っている、やったと勘違いしてしまいます。 それは頭だけで理解していると同じで結局理論だけでおわり、結果何も証明もできていないし、知らないと同じと言えます。 だから僕は分析した結果を、実践の現場で行いました。そうしないと何も証明できないし、説得力にかけると思ったからです。 そんな背景から生まれたのがこの1枚です。 テーマは、「その子らしさ」 この子は、3人兄弟の真ん中の子で、美男美女夫婦の遺伝子を引き継いだイケメン3歳です。女の子達は本当に可愛く、この男の子は3歳の可愛さがありますが、3歳でありながら本当にイケメンでした。 3歳でもうすぐで4歳という時にきたライフスタジオ。やはりまだ3歳らしいキャピキャピ感と、この年齢から始まる恥ずかしさや照れがありましたが、それもかわいらしくこの子をどう撮っていこうか、カウンセリングの時間から観察を始めました。 最近、観察の仕方というか原理が自分の中で定着してきました。 被写体がどういう子か。また特徴。 クール、元気、綺麗、日常、どのカテゴリーでいくか 時間帯と光で場所を決める まずこの子は照れや恥ずかしさはありましたが、よく笑う陽気な子でした。なので、元気な感じで撮ろうかと思いましたが、案外話をしていると、しっかり話しをきいてゆったことをやってくれる子だと感じました。 そして、全身を見ると、髪の毛はパーマをかけ、顔は整っていて、目も大きく、コーディはウォッシュ加工されたデニム、上もデニム、このデニムで統一されながらも、赤のシャツがポイントとなり、クールさを引き立たせていました。また黒のブーツもクールさを引き立たせており、自分の中で、3歳だけど少しクールに撮れるかもしれないと思い、最近自分の中で開拓したクールゾーンで撮ろうと決断しました。 お昼の時間帯でまだ2階のボルボゾーンの窓から光が少し入っていたので、電気は何もつけず少しの自然光で撮影を行いました。 そしてアシスタントで入ってくれた高徳さんと向かあうように立ち位置を決め、静かに普通の話をしていてくださいと頼み、2階のメインルームに入る窓を前ボケに準備しました。 しかし窓の反射を調整していた時に、子供と高徳さんが意気投合し、仲良く話している姿をみました。高徳さんが笑わせると顔を隠して喜び、その姿がとても特徴的でした。 その瞬間に頭がシフトチェンジし、もう「その子らしさ」を高徳さんが引き出してくれている。そう思い、そのままの姿を残すことにしました。 この特徴的な動作を残したい。だから圧縮写真にし、その動きに注目がいくようにしました。しかし本来動作に目がいくように頭と足を圧縮写真では少し切りますが、今回は頭の先から足の先までコーディが格好良かったので切りたくないと思い、あえてきりませんでした。 また、光の反射を前ボケとしていれた理由は、正直ただ後ろのカラフルゾーンの色が邪魔しないでほしかったのと、僕の感性でそのまま被写体がドーンってくるより、前ボケを入れて少しでも雰囲気を出したかったからです。 また、光の露出はあえて暗くしました。僕の中で露出が高いとふわふわした雰囲気になり、暗くするとクールなイメージとか冷たいイメージがあったので、あくまでクールな写真を表現したかったので、暗くしました。また赤シャツがポイントとしてあったので暗くすることができました。 その子らしさを出していくためには、何かをさせてから、さらに何かを投げないと撮れません。今回の写真のように偶然にその子らしさが出てくる時もあります。臨機応変に頭を硬くせず、ライフスタジオらしく、一緒にアシスタントの方と撮影を作っていきながら、その子らしさを残していきたいです。 また、僕の写真はまだまだ改善しなくてはいけいない要素があります。 ・75カットのストーリー性 写真が数字の順番のように1,2,3,4,5、と流れをもって撮るストーリー性 ・75カットの中でインパクトのある写真を残すこと 75枚の中で決定的な写真を残すこと ・自分の色を出すこと これはカツの撮った写真だという自分の色を写真に残すこと ・75カットのバリエーション 映画のように起承転結が75カットの中に生まれれば見ていて楽しくなる ・1枚ずつの質を高める 75カットのストーリー性も重要だが、その1枚1枚がフレームにしたいと思える写真を残すこと これらを1つずつこなしていき、僕が考える理想のカメラマンになれたらと考えています。 僕の写真がお客様に感動を与えることは当たり前の目標として、スタッフにも火をつけて、僕より先輩は、カツにはまだまだ負けないと、僕より後輩はカツさんには早く追いつくと、ライフスタジオの中で美しい競争が行われてくれることを期待して、僕は今後も写真をフォトジェニックにあげていきます。
Colin
2017/3/31
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人に写真に自分自身に深く入っていきたい・・・ 写真を撮るときにどんなイメージを持って撮影しているのか? この問いかけをするかしないかで写真の仕上がりが本当に変わるのか? 私の考えはこうです。 絶対に変わると思う。です。 この話というのは写真の仕上がりという、カメラマンの立場の達成感だけで考えてはいけない。 私達は商業写真という業種であり、趣味で写真を撮影しているわけではない。お客様という相手がいて初めて成り立つ事なのである。 だから、お客様の立場を思考(イメージ)するところから私たちの撮影は始まっているのだ。 なぜ、お客様は写真館に行こうと思ったのか? なぜ、数ある写真館の中からライフスタジオを訪ねてくださるのか? お客様はライフスタジオにどんなイメージを抱いているのか? お客様はどんな写真を求めているのか? お客様は写真を通じて何かを得ることができているのか?また、それは何か? お客様はライフスタジオの撮影を終えて、帰宅後 どんな生活を送るのだろうか? ライフスタジオをまた訪ねたくなる時は、 どのような時か?また、それはなぜか? このように、お客様の背景まで含めて深く思考することにより、ライフスタジオのアイデンティティが確立されるのではないだろうか? 更に突き詰めていくと、今の時代や社会が何を求めているのか?大きな視野を持って撮影していく事で、お客様とライフスタジオの求めている価値が一致、融合されライフスタジオらしい写真が産み出されるのだろう。 私はお客様が見たいもの、欲しいものを私も極力同じ目線で見たいと思っているし、欲しいと思っている。 だから、家族の一員の気持ちでお客様と交流するし対話もするし、お互いの考えるいい写真について語り合ったりもする。 イメージは相手を思い考え、それを含めて技術に乗せるのだ。 今回のイメージは、幸福感である。 幸福感を連想させやすいポイントは2つ 色 冬の15時すぎの光は、温かくてまろやかだ。 夏のように強すぎず、主張しすぎない存在感が 冬の光の持ち味である。また、空間全てを包み込むタオルケットのような心地よい風合いがある。写真では光の重要性もさる事ながら、私は写真全体の色味にも重きを置いている。 一枚の写真を視覚的に捉えるとき、色形は必須であり、今回のテーマである幸福感はクリーム色とベージュを足して二で割ったような、風合いのある色味である。 正直、何色と例えずらいが 環境(冬の光) 条件(白い前ぼかし、私が決めた露出) 被写体(被写体の髪や眉毛の色味) など、まさに写真を成り立たせる構成要素がうまく融合して産み出した唯一無二の色味である。 表情 幸せは自分の心が決めるもの。 誰かが決めるものではない。 と、相田みつをさんが言っていました。 私も同じくそう思います。 また、幸せは自分が分かることだと思うし その幸せさは滲み出ているものだと思う。 だが、幸せは目に見えるか分からない。 何故ならば、幸せは感情が満たされることを示すからだ。 であれば感情を一番表現できる方法は、 被写体を動かすことであると考える。 では被写体の何を動かすのか? 私は表情というものに着目している。 役者が表情で演技をして観客を魅了する事と同じ原理である。だから被写体の表情というものは写真の構成要素には欠かせないものである。 このシーンは、朝起きて枕を抱きしめながら今日という1日を喜びで始めよう。というストーリーである。目を閉じて口を少しあけて、両手いっぱいに枕をギュッとする。 『いつもそうしているよ!』 そう言っているかのような、彼の動作は私の心を攫ってくれた。 幸せが見えた瞬間だった。 イメージとは、いつもしている事を いつも通りしている君に近づける事であった。 写真や人はやっぱり奥が深い… まだまだ深く向き合っていきたい。
はじまりへの旅
2017/3/31
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はじまりへの旅 Photography by oikawa Coodi by arai “人生”を“旅”に例えている名言が沢山ある。 その内容はさまざまで、行き先(目標)のことについて話していることもあれば、過程の話をしているものもある。 仮にもし人生というものが“旅”に近いのならば、なぜ私たちは“旅”を続けるのだろうか。 私はこう考えることにした。“出会い”こそが、旅を続ける理由であり、出会いによって、“私と対象物”との“関係”を知ることになっていくのだと。 お互いを知っていく過程の中にこそ自分を成長させてくれるきっかけがあることを・・・・ 4つの“関係”を軸として構成された今回の写真は 被写体との関係 主体と副主体 コーディネーターとの関係 スタッフとの関係で話していく。 被写体との関係 少年とは2年ぶりの再会だった。出会ったのは“越谷店”だった。 2年ぶりの草加店での再会。2年たっても相変わらず、少し甘えん坊な彼だった。思い出話に花をさかせ、色々話しかけながら、2年前の姿を思い返していた。そんな彼は今年1年生を迎える。 撮影が始まりカメラを向けると、前回とは違った姿を私に見せてくれた。 それは彼から“余裕”を感じられたのだ。撮影を楽しみながら、私の投げかけに、色んな表情や動きをくれた。そんな姿に“成長”を感じ、私はいろいろな瞬間をカメラにおさえた。 成長した彼に、前回とは違う撮影をお願いした。 それはポーズの指定である。それは体を横にして、重心をかけ“ライン”を作ることだった。横顔に入る光で撮影しようと思ったからである。なぜ横顔で撮影したのか。それは正面からの撮影よりも、横顔の方が輪郭を強調することができる。目線の先には、本を持たせることによって“ストーリー性”を与え、見ているものに写真のテーマの印象を与えやすくしたのである。 主体と副主体 被写体とインテリアの関係ともいえる。だいたいが、被写体がメインとなる写真が多い。しかし、ライフスタジオの写真はインテリアと、切っては切れない関係である。今回、モノクロにした意味として“被写体とインテリアの統一”であった。色や光は人に与える印象が強い。 モノクロ写真にすることによって光や色の強さはなくなり、見ている側がより一層“ストーリー性”に注目しやすくする為である。 コーディネーターとの関係 今回の撮影が“入学”であったが、新たな旅立ちとして違った形で写真に表現したかった。そして一つのテーマが思い浮かんだ。 それは“旅”であった。 以前からコーディネーターと今回のテーマについて話しあっていた。 草加店のインテリアは全面ガラス張りで光の良い店舗である。光を消して、もっとストーリー性に注目させるためにモノクロにすること。 そしてテーマは“旅”であると。 草加店のインテリアを良く見ると、おしゃれな空き瓶が飾ってあり、ここがどんな場所なのかイメージを掻き立てるインテリアで構成してあるからだ。 あらかじめモノクロの写真で撮影すると決めていたからこそ、色の濃さや小物にもこだわった。 帽子は始め色が薄いものであったが、濃いものに変えてもらった。色が濃いほど視線が向くからである。 そして小物も、地図のような本をたくさん重ね、トランクも何個か用意してもらいセッティングしてもらった。 “旅”のイメージをより一層与えるためである。カメラで色を合わせている間、コーディネーターの彼女が本の横に虫眼鏡も置いてくれた。 後々聞いたら、“旅”のイメージに合うし、このあとの写真の展開でも使えるようにしてくれたのだった。事前に今回のテーマについていろいろ話してきたからこそ、ストーリー性を強めることができたのである。 スタッフとの関係 今回の写真ができるまで、草加店のスタッフからたくさんアドバイスをもらった。光や色の濃さはもちろんのこと、一番話したことは“ストーリー性”についてだった。 なぜなら、原本の75CUTはストーリーを考えながら構成しているからである。 だからこそ、“テーマ”が重要であるということ。草加店のインテリアを見返し、インテリアを分析しながら、被写体のポーズや小物でストーリーを作ることであった。 被写体は、ただ本を持つだけのポーズしかつけてなかったが、もっとストーリー性を持たすために、横に本を置くなどアドバイスをもらったのだ。 今回は2年ぶりの再会という“出会い”を通じて、写真で繋がりあいながら“形”となって表現された一枚になっていった。 写真分析をしていくなかで、たくさんの人たちによって写真が作られていることを知った。 “写真はひとりでは作ることができない”ということを。 私も来月からあたらしい場所で、新しい第一歩が始まろうとしている。 人生の“旅”がはじまろうとしているのだ。 2年ぶりに再会した彼も4月から始まる新しい場所にドキドキしていることだろう・・・ 出会いは人を成長させてくれる、だからこそ私たちは旅を続けるのだ。 また、何年後か互いに成長した姿で会えることを願って。
心から
2017/3/31
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心から 先日、心という名前のお子さんが撮影をしにきました。 私は心という名前が素敵だと思いました。 子供の名前を呼びながら撮影をする私の姿の中で、私は今、心の中で 最善を尽くしていること、また、心から最善を尽くさなければと決意し撮影をしました。 今回アップした写真は、そのお子さんの写真ではないです。 一緒に仕事をしているAさんの写真です。 Aさんの「心」について話をしたいです。 長い時間を一緒に働いています。 常に誰よりも先に、心で人に近付こうと努力する人です。 Aさんの行動を見ると、持っている基準を知ることができます。 人に深く入っていきたい…。 心を共有したい。 自分の持っているすべてを表示する。 自分の持っている長所を最大限に活かし、人に近づいて 写真でうまく表現する人です。 写真で見ると、本当に小さな部分まで考えながら撮影しているということを感じます。 フレームを見ると、 頭部と脚部がトリミングされており、写真を見る不快感を与える場合がありますが この写真は見るのに不快感がありません。 精密に自分の意図が入って計算されたプロであるということを感じています。 写真に集中して人に集中して最大限にそれを独自の方法で表現することができる 人だということを感じることができるフレームです。 ポーズを見ると、 帽子を持っている手の動きがポイントで、子供が本当に帽子に持って楽しく遊んでいる という姿を作ってくれて、子供の顔の表情で口の形でも子供が表情を 感じることができます。 そして目が子供をすべて表見しています。 帽子を眺める視線と手の動きが一致する瞬間が接続され上から下に視線の流れを自然に作ってくれています。 子供のお腹が出ている姿と、おむつをしている姿が1歳という子供のイメージを作ってくれていて、 逆に視線と表情が1歳の子供というには信じられないほどの表現力を発揮しています。 光を見ると、 逆光を使用しています。 子供を見るのは良い印象を使用しており、おむつの白と帽子の白が非常にスムーズに表現されており、 子供の肌と体の大きさをバランスよく表現しています。 逆光を使用すると、人物の露出オーバーが表示される場合が多いが、 上の写真は、露出が人物適正に合わせながら、光が強くなくスムーズに使用されて 良いイメージを作っていることです。 このような技術的な部分だけで完成度の高いものではなく 自分の持っている考えとお子さんの心が、うまく組み合わせて一枚の作り出す能力 そして人を配慮する姿が心から感じています。
Switch
2017/3/31
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Photo by CHIBA Coodi by ASANA 条件にみあった条件を並べるのは私自身。 選べる組み合わせは可能性を組み合わせる。 switchは遊びの原点でswitchを私は探し創作する。 Switch→ポイントとなる部分 ここではSwitchをボタン、電流の流れを止めたり流したりするものではなく、ポイントになる部分を指します。 撮影中のどこかにガチッと一致するタイミングがあると思います。 その′どこか′は遊びのなかの誘導が緻密に計算されているからだと私はそう思います。 ここに座ってみよう!手をこうしてみよう!足をばってんさせてみよう! いろいろあります。 声をかけての計算とは少しちがく直接的な誘導で瞬間的にゴールを迎えることができます。 しかし、小物やおもちゃを活用しタイミングを作る、待つという状況をつくり間接的な誘導も私は好きです。 子供なら、いや、私もまだ 目の前にスイッチがあったら好奇心で押してしまうでしょう。 なぜならそこに好奇心の塊があるのだから その瞬間に出会えて、むしろ出会わなくても私はそれで好きな時間になります。私の選択とあなたの選択。これらがかけ合わさった瞬間に私らしい写真とその子らしい写真が生まれるのだと思います。 しかしながらその生まれた写真には様々な要素が凝縮されているはずです。 今回の写真では小物をたくさん活用して私らしさとその子らしさを表現しています。 なぜ私はこの写真を撮ったのかというところから整理させていただきます。 ライフスタジオの特徴の中でインテリアを利用し自然光で撮影をしていく、おおざっぱに言えばそう言える写真館だと思います。もちろん人と人の関係や個人の思考や哲学という点もありますがその部分は除いて環境という点ではインテリアと小物を利用して自然光やライトもしくはライトボックスを使い撮影をしてきます。 それらの要素が活かさないのであればライフスタジオである本来の要素を活かしきれていないのではないでしょうか? インテリアはどんな場所でも小物の配置や配色でイメージは変えることができます。常にポイントなるのは小物でそれが小物の醍醐味であり、インテリアの強味でもあると思います。 いつもの場所に配置した小物は現環境でベストな状態で、もっとも万人が利用しやすい状態になっているのではないでしょうか? しかしそこにある小物を新たな味付けをし調理するのも私たちに出来る表現です。 見せたいものを見出すこと、見せたくないものを曖昧にすること、色味を一定のトーンにとどめることによって統一された空間にすること、これらは小物の配置配色でガラッと変えることの出来る内容になります。 これが『活かす』ということになると思います。 それをするための見極めがその子はどんな子であるのか、コーディネーターがその子のために選択した衣装小物はどんなものなのか?がきっかけです。 コーディネーターの存在があるからこそ私にはシャッターチャンスが生まれ、コーディネーターの意思があるからこそお客様の喜びが生まれ、コーディネーターが存在するからこそコンビで撮影できることになります。 私はその子の今したいことも私の今表現したい思考もコーディネーターの表現した衣装も常に取り入れます。 基本的な部分と自分の中にある確信的な部分、そして被写体が選択したその動作それが、その瞬間のシャッターチャンスこそが私のスイッチの探し方になります。 This is my SWITCH
カウントダウン
2017/3/31
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カウントダウン 目をそらすな 最高の瞬間はもう始まっている 私はあなたを見ている 1・2・3 彼女がライフスタジオに来たのは久しぶりであった。 最後に写真を撮ったのは7歳の七五三。 10歳という節目にスタジオに足を運んでくれた。 彼女は実に天真爛漫で撮影中は本当に楽しく時間を忘れて撮影をしていた。 泉のように溢れ出る彼女の魅力を取りこぼさぬようにだからといって、せき止めぬように道を作り川を流すように写真を撮った。 被写体をどのように動かすか? いつも頭のなかにはそのクエスチョンが存在します。 「どのように動かすか?」ということを考え出すと、 カタチにとらわれがちになってしまう。 ではどのように撮影することが大切なのであろうか? ポージングを指示し被写体に自分のイメージを投影し写真を撮る。 美しい光を使いその光で写真を取れば誰でも美しく見える、 写真は被写体にとって何の価値が在るでしょうか? そのような一方的な写真を私は良い写真だとは思いません。 閑話休題、被写体をどのように動かすか? という答えをグルグルと頭のなかで撮影を考えすぎると頭のなかで戦争がおきます。 永遠に終わらぬその戦いには終止符を打つことは出来ない 写真を撮るということに存在する永遠の課題なのかもしれません。 もう一度被写体を動かすという観点と被写体がどのように動きたいか?という観点に視線を向ける。 違う言葉で言えば撮影者の意思と被写体の意思が交わるタイミングを探し出さなければいけないと考えたのだ。 そのような瞬間は実はたくさんあるが私たちはどのように動かすか?というカタチに囚われ満足しその瞬間を逃してしまう。 写真を撮るさいに撮影者のイメージに近づけるそれは美しい写真を撮る際には必ず必要である。しかしそこで完成させた瞬間を撮ってしまえば私(撮影者)の写真になってしまう。 そこで必要なことが被写体の意思が現れるのを待つということである。その瞬間が被写体の意思と撮影者の意思が一つとなり両者にとっての意味のある写真となるのではないだろうか? 私は天真爛漫な彼女を10歳の大人として写真を撮りたいと思った。 それは決して作った大人らしさではなく彼女の内面から静かに現れる、 大人の魅力を撮りたいと。 面白おかしくしていた撮影の中で帽子のつばを持ってもらい手前の置物とバランスを整えファインダーを覗き1・2・3彼女の素の表情が何とも大人のようになりその瞬間にシャッターを切った。 撮影の後ママの「少し大人びた娘の成長を感じた。」という言葉に何だかホッとしました。
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