フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
MOVE
投稿日:2017/4/30
1150 0
ドレスを着た女の子を見て、いつも思い出す写真があります。
その写真は、私が入社する前に撮られた浦安店での写真で、撮影者も浦安店を離れた後だったので、撮影におけるバックボーンはわかりません。
だからこそ、その1枚の写真の中に写っている、絵としての部分に惹かれています。
白いドレスを纏った女の子が、その裾を翻して踊る写真でした。
動きの速さにピントが追いついていなかったり、ブレている箇所があったりと、ひょっとしたらそれは『良い写真』と言うには足りない部分も多かったのかも知れない。
それでも、その写真からはとんでもなく、凄まじく、「その子」がみなぎっているように感じました。
まるで、笑い声やドレスの衣摺れの音まで聴こえるようで、体を動かす喜びに満ち溢れたその子の表情は、あまりにも活き活きとしていました。
入社間もない私に、その写真のイメージは強烈に焼きついたように思います。
でも、6年経っても忘れられない写真になるとは、当時は思っていなかったかも知れません。
ライフスタジオに入る前、ほんの10ヶ月ほどですが、ストロボを使って撮影するスタジオで写真を撮っていました。
自然光を遮る為の、奥まった暗い部屋。背景紙の幅は、せいぜい3メートルくらいだったでしょうか。
勿論ストロボのセッティングもあるので、被写体の動ける範囲は限定的になってきます。背景紙が切れない範囲で、光の当たる範囲でなければ、撮れません。F値は8.0〜11で撮影、とほぼ決められていました。
仕上がった写真はどれもくっきりと、瞳の中にライティングのセットが写り込む程、それは精細に記録された写真になっていました。
私が最初に、商業写真として撮影技術を学んだのは、そういうところでした。
だからこそ、浦安店のその写真に自分が惹かれたことが、当初は不思議でさえあったかも知れません。
前述の通り、ピントが甘かったりぶれていたりといったことは、ストロボを使う写真館で培われた価値基準では有り得ないことでさえありました。
それでも私は、ことあるごとにその写真のイメージを追っていたように思います。
それは多分、自分にとってはあまりにも新しい価値だったから、ではないでしょうか。
自由に動くこと、動かすこと。それによって発現する楽しさと喜び、生命力、その子自身の存在のあるがまま。
それは、自分がその時まで撮って来た写真からは感じられないものでした。
言ってみれば、写真から伝わるイメージが、私の固定概念を打ち抜いた出会いだったのだと思います。
ピントの合う範囲で動かなければならない、でも光量が足りないから絞りは解放気味でないといけない、シャッタースピードを上げ過ぎるとフリッカーが出てしまう……いずれも、撮影の際に注意するべき点ではあります。決して、ピントの合わない写真でも良いと言っている訳でもありません。
しかし、そういった注意点を頑なに守っていれば、『良い写真』が撮れる、とは思えなくなりました。
浦安店のあの写真は、確かに細かな粗は探せば幾らでも出てくるのかも知れない。しかし、それを忘れさせてしまう程、説得力のある中身がありました。
被写体である、その子自身。それが溢れている写真。
「動き」は本当に、瞬間です。軸足から伝わる回転と、その動きを受けて翻るドレスの裾、空気の流れ、残像、余韻。そして全てを自分で巻き起こしているその子の表情は、その子自身のみなぎる生命力は、その一瞬に凝縮されていました。
だからこそ、こんなにも強烈に、7年経った今もひとりのカメラマンに記憶されているのだと思います。
脳裏に焼き付いたそのイメージは、いつも私のファインダーにちらつき、消えていく。
青葉店で、ドレス姿の彼女に会った時もまた同様に、そのイメージは通り過ぎていきました。
しかし、彼女の長い髪を見た瞬間、それにもうひとつ加えることができると感じました。
生まれた時から切っていないという、長い髪。お腹の中で育まれていた時から繋がっている、7年分の時間を象徴するそれは、同時に彼女の存在に強く関連づけられたアイコンでもあります。
動きの中に、その髪の存在感を加えることで、彼女自身をより感じさせるイメージを伴う写真にすることができるのではないだろうか?
そう考えた瞬間、目の前にばらばらと散らばる環境や条件といった要素が、完成図に向かって組み上げられました。
動き、という、ある意味では予測不可能な形を作るそれを誘発することは、賭けでもあります。恐らく、浦安店で見た写真に関しては、突発的な被写体の行動をカメラマンが瞬発力で撮影したものなのではないかと思います。
今回は、あのイメージを踏襲しながら、準備と予測をした上で臨みました。
軸になる部分を見極め、その軸を中心に回転が加わる範囲を可能な限り予測します。その予測の確実性を高める為に、右手で窓枠を持ってもらい、一定の安定感を持たせました。
全てが克明に写ることは少し無粋な気もして、F値は3.2に設定しています。しかし、翻る髪やドレスの動きはその一瞬の表情を止めたいと思い、シャッタースピードを1/400まで上げました。
シャッタースピードを確保したまま、髪の質感を損なわないだけの明るさを得る為に、この時期のこの時間は光が溢れている窓の近くへ。西陽と言うにはまだ早い、爽快な太陽の光は、彼女の髪にまとわりついて艶やかな質感を見せてくれました。
思いっきり、振り向いてみようか。
ドレスの裾をつまんだ彼女にそう声をかけて、合図を送った時、またあのイメージはちらついて、それが目の前の彼女に重なっていきました。
振り返る、その回転する動きに合わせて翻る、彼女の7年分の時間を蓄積した長い髪と、ドレスの裾。
彼女の表情は少し悪戯っぽく、動きの中で発現する彼女自身の感情の昂りを見せていました。
それは多分、動きを加えていくことで生まれる活き活きとした躍動感と、生命力。バイタリティ。
6年前に出会った、忘れられない写真。
ベースに敷かれたのは、その写真から感じたイメージで、自分なりの幾つかの要素を加えて、整理して、彼女を表現することを試みました。
「動き」は予測不可能です。
しかし、予測不可能である、ということを予測しながら撮影をすることは、可能です。
固定概念に縛られた狭い範囲の外に飛び出していくような動きの中に、そのひとの輝きが見える瞬間があります。
その一瞬に、躊躇いなく飛び込んでいける自由を持った撮影者でありたいと思っています。
Life Studio No,99
Yokohama Aoba
Photo by Reiri / coordi by Satoshi
この記事をシェアする