フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

存在

投稿日:2017/5/31

842 0

 

 

君が存在する意味はどこにある?

君がこれからみつける価値はどこにある?

 

君は今、何を感じ、何を考え、どこに向かおうとしているの?

 

 

十歳の記念で撮影に来た彼。

ハーフ成人式。

 

何も考えずただ気楽に生きられるほど子供じゃない。

けれど、大人でもない。

 

これから歩む人生の中では

 

意味がわからない時もあるだろう。

 

価値を見失ってしまう時もあるだろう。

 

けれど、迷いや疑問、葛藤と同じくらいの希望がある。

 

そして、いつだって等身大の君がそこに存在している。

 

 

 

「私たちは、“存在者”を撮っているのか、“存在”を撮っているのか。」

 

私は参加していないのですが、ライフスタジオの全体から何名かが参加している写真哲学でそんな話が合ったそうです。

“存在者”とは、そこにいて目に見える被写体、そこに存在している者です。

“存在”とは、そこにいる被写体の存在自体を指します。

 

その答えはライフスタジオのHPにあります。

「“もう一人の私”を、被写体自らが発見する瞬間こそシャッターを押す決定的な瞬間です。人生を一編の芸術作品として、存在する美しさを生涯をかけてつくり上げていくという“存在の美学”として、それを実践していく場所になっていきたいのです。」

ライフスタジオのカメラマンなら誰しも、その“存在”を写したいと考え、そのために日々様々なことを学び、探究し、撮影しているのだと思います。

 

人に深く入る、関係や存在を撮ると一言で言ってもその撮り方は人によって微妙に異なっていると思います。そしてそれが、人の個性なのだと感じます。

ポージングや声掛けによって、その人を引き出す人。

とにかく関わることに重点を置いている人。

人の関係を分析し、再構築する人。

様々な構成要素を駆使して、その人という存在を浮かび上がらせる人。

end more

どれも正解で、どれも身に着けたいと感じることです。

 

それらのなかで、私は写真を撮る時、“その人を見ること”を一番心がけています。

その人を見ているとその人からにじみ出てくるものがあります。

なんというかそれはその人自身の訴えだったり、思いだったり、今だったり…。その人自身の表現というのでしょうか。被写体側から発信しているものを感じます。そこに存在の美しさを感じるのです。

なので、逆に言えば私の写真は被写体の力によるところが大きいです。

被写体側から発信してもらえるような空間を作ること、そして、そこでみたもの感じたものを人生を構築していくものとして、ありのままでありながら、より美しく、より伝わりやすく、形ないものを形として表現するために技術を学んでいるのだと思います。

 

 

この写真は、普段は、そんなに撮影では使わない場所で撮影しています。

水戸店は窓が多く、光が回る場所が多いため、日中陰影のある写真を撮れる場所は限られます。撮影用のインテリアスペースではない、この場所の光が、十歳の今の彼から感じられる要素と一致していると感じここで撮影しました。

 

パパとママは暖かく彼を見守っていました。

 

彼には妹が二人いて、彼はしっかりとした優しいお兄さんでした。

 

彼はまだ子供ではあるけれど、様々な考えや思いもあるし、男の子らしく少し大人びた一面を持っていました。

 

彼のもつ優しさや男の子らしさ、大人に近づいているカッコよさがポーズに表れています。

彼がリラックスして立っていた姿が、もうポーズに近い形をしていたので、ほんの少しだけ声をかけてより美しくなるように工夫しました。

まだ未知数な部分を表現するために、シルエット的な構成にしました。

彼の全身のラインに当たる光と壁にうつる影が、葛藤とこれからの可能性を表しています。

 

等身大の彼と出会い、等身大の彼を見つめ、彼と一緒に表現し形にする。

木が木に言いました。共に森に…。

 

被写体本人、パパ、ママ、兄弟姉妹、カメラマン、コーディネーター…。様々な人が“存在者”ではなく“存在”としてそこに存在して、木の写真を撮りながらも、それは森の写真でもある、そんな写真を撮っていきたいと思うのです。

 

 

Mito Photo
Photographer:erika
coodi :yuki

この記事をシェアする