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店舗フォトジェニック集
ライフスタジオで撮影した各店舗のベストフォトを集めました。
世界で二番目に大好きな君へ
2018/4/19
4
君はまだ知らない この一瞬で過ぎ去った一年と永遠のような一夜を経て 君がここに生まれてきたことを あの日病院のカーテンを揺らしていた夜風の清々しさや月明かりの優しさ 私達の心を明るく照らしていた、この小さな手にまつわる一つの物語を まだこの体が君と殆ど変わらないころ 私は、ガンだった 一時は持って二日と言われた命だったが その後の度重なる治療により終いには完治し バリバリのスポーツ少年として活躍する事で 医学界の発展に寄与した…らしい しかしまあ当然、良いことばかりでもなく その時の抗癌剤の使用によってひとつだけ まだハイハイも出来ないほど幼い時分に私は 子供を作るという事がとても、とても絶望的となった …と日本語の表現上『絶望的』なんて書いてみたが 私自身は正直、全く絶望なんかしていなかった それは言ってみれば当然な事なのだが 物心ついた頃から知らされ自覚していたそれは 『そういうものだ』という認識以上になりえず またそれ故、自分を不幸だと思った事もない。 むしろそのお陰で今の命がある!というポジティブスタイルで 青年期を翔け過ぎた私も平和に大人への階段を登り 月日は流れ、現在の妻と若くして結婚 これからの未来を二人きりのんびり生きていくことにした 優しい風の吹く、空に近い丘の上 引っ越しと共に買ったパキラの苗木を私達は心底可愛がった 弱い二人は何も言わなかったけれど、いじらしいかな 今思えばそれは子供がいつか生まれてくるまでの代わりだったのかもしれない 24での結婚は世間的には少し早いが、平均寿命が85歳だとしてあと60年 夫婦二人だけで暮らして行くのも、結構素敵ではないだろうか 二人だけなら旅行にも行きやすいし、悠々自適に静かに暮らせる そうだ、木々をもっと増やしたらペットを飼おう 早期退職して別の国に移り住んでもいいし、自分達のお店を開くのもいい 私達は本当によく、将来の話をした 子供は、いつか出来たら奇跡 何年掛かるか、何十年掛かるかもわからない でもそんな前例は無いし、少しでも期待は持つ事は自分達を苦しめる事になる あくまで二人きりで、私達は強く強く生きていくはずだった だから、その知らせはあまりにも突然過ぎた 結婚生活が一年を迎える頃、妻の体に確かに 命が芽生え始めている事がわかったのだ お医者様さえ奇跡だと言い、周りの人々は皆喜び祝福してくれた。 寝たきりだった祖父は刮目し、広告代理店の友人達からは取材の依頼があった しかしそんな祝福ムードの中で唯一人、私だけが全く別の世界に取り残されていた… 妊娠を望んでもそれが叶わない方々がいる傍で許されざる発言であろう だからこそ自分を責める事もあったしこの気持ちを理解して頂ける事も難しい しかし… ポジティブに生きてきたつもりの私は自覚も無いままに 恐らく『覚悟』を決めていたようだったのだ 25年という長い長い時間をかけたそれは一厘も揺るぎなく その結果にいずれの生産も与えない事を約束した、ただただ負の覚悟 そしてこの人生を懸けた覚悟はこれまでの私の人生観や交際関係に これ以上なく大きな影響を与えてきた桎梏であったが故に… 妊娠を望んで歩んできた生活であったにも関わらず 実際にその場に直面して、私は心の整理をつける事がまったく出来なかった 誰か私を殴って欲しかった こんな、情けない私を しかし、しかしわかってはいるんだ 現実を受け入れ、前を見なくてはならない、そうせざるを得ない… 一生子どもを作る事が出来ない人生を宣告され25年歩んできたにも関わらず ある日突然、やっぱり産めますなんて 本来なら喜ばしい場面なのかもしれない もしこれがテレビドラマならめでたしめでたし、ハッピーエンドってやつだ でも現実は…当事者はそうは行かないんだ 人の心は、覚悟は、決意は、矜持は 自ら捨てた夢は、自ら曲げた道理は 簡単には、簡単には行かないんだ… でも…私達は、産むという決断をした もともと望んでいた命なのだから、当然だ しかしこれから私は、新たなる責任と覚悟を背負うことになる その心の準備とけじめの為に私に許された期間は 25年かけて築いた覚悟に比べてあまりにも短い、たったの1年! 悩み、責め、ぶつかって、でも答えなんか出ない、それは壮絶な1年だった 季節が変わり、私達だけが変われないまま その夜もやはり突然訪れた 急いで荷物をまとめて、駆け込んだ病院 君と君のお母さんは、本当に本当に、頑張っていたんだ 私も出来る限りの事をやった そこにいたみんなが必死だった あんな一年間の苦悩なんか、どこかに吹っ飛んでいた 頑張れー!頑張れー!頑張れー!頑張れー! みんなが泣いていた 君も、泣いていたね そして 君の小さな手が「ギュ!」と私の指を掴んだ瞬間… その力強さが、はじめて私を父親に変えた みんな笑っていた 君は、やっぱり泣いていたね ****************************** 世界で二番目に大好きな君へ 君の手は相変わらず曇りのない好奇心と深い慈愛に満ち溢れていて 不思議なんだ、その掴む先には必ず、君を想う大切な人がいる そしていつしか見慣れた、この一つのへその緒のような神聖な光景に見惚れて 今日の良き日、私は写真に収める事にした 空は花曇り、午後の柔らかな太陽が草葉のカーテンを抜け 柔らかい素肌を優しく撫でながら広がり、見慣れた部屋を幻想的な空間へと変える 優しい肌触りのクッションや天然素材のおもちゃには母親の愛が込められていて 君をリラックスさせると共に、ボタニカルな空間とも調和してくれた 光が回りすぎないよう鼻筋や指の際にハイライトを当て 立体感を与える為に背景との距離や手前に生まれるハレーションの位置を調節する 明るく柔らかく、でもスベスベ、プニッとした質感は失いたくない 50ミリのレンズは、この手を伸ばせば届きそうな距離感を表現するのにぴったりだ 見てくれ、これが全てだ まだ父親として未熟で何も持たない私が、唯一君に贈る事ができるもの これまで出会った沢山の子供達に与えてきた、一つの愛情表現の形 今日だけは特別に、君にも分けてあげたい いつか君が大きくなって、その手が沢山の手と重なる頃 この一年の家族の物語を聞かせてあげよう そして君にいつか世界で一番大好きな人が現れるまで この手をしっかりと守っていきたい
THIS IS ME,
2018/4/14
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Photo&Write by Reiri Kuroki Coordi by Mayu Kanasugi @Yokohama Aoba 撮影者としてのひとつの夢は、『家族』の写真を一枚でも多く残すこと、です。 共に笑い合う、その瞬間の記録。私はそこに、普遍的な価値を感じています。 例えばそれは、カメラの前でふざけっ放しだった男の子たちが、やがて成長して親元を離れようというその時に、持って行きたいと思うような家族写真であれば良い。 自分の大切なひとに、「これがうちの家族だよ」と見せる、そんな家族写真のひとつとして、私がここで撮った写真があれば良いと願っています。 入社したばかりの頃、 「どんな写真が好きなの?」と先輩に聞かれました。 家族写真です、と答えた私に、 「何で家族写真なの?」 「どういう家族写真が良いと思うの?」と畳み掛けられたそれらの質問に、当時は答えられませんでした。 家族写真が好きな理由は幾つかありますが、私の場合、そこに投入する自分の想いを確認させてもらえる写真が、家族写真であることが多いのだと思います。 互いに毎日顔を合わせ、共に寝起きし共に食し、話し、関わり、共に暮らしを営んでいく、『家族』という繋がり。 私は、そのひとたちが互いに関わっている、その瞬間の姿こそ、『家族』という繋がりの美しさを見る瞬間だと思っています。 お笑い芸人のネタを真似ながら、ひとつ投げれば10ふざけて返ってくるような、そんな男の子たちの賑やかな撮影現場。 子どもたちにツッコミながら笑い転げているパパママのその笑顔の眩しさは、子どもたちへの深い愛情と、彼らが楽しんでいることへの幸福感に満ちていました。 カメラマンやコーディネーターが膝から崩れ落ちる程笑う度、誇らしげに胸を張る弟たち。 その自信に満ちた表情は、その都度パパママにも向けられていて、人を笑わせることでパパママが笑っている、そのことが嬉しくて、ますますおふざけが加速していく、そんな男の子たちの生き生きした表情。 年頃になって、少し恥ずかしがりたいのに、はちゃめちゃな弟たちに巻き込まれてそうもさせてもらえない、しっかり者の長男は苦笑するしかありません。 いつも最初に、忠実にポーズ指示をこなしてくれるのに、弟たちが繰り出すお笑いポーズに思わず笑ってしまって、力が抜けていきます。 力が抜けて、カメラの存在を忘れて、笑ってしまいます。 そんな彼らの家族写真は、ホリゾントで撮影しました。 シンプルな、ホリゾントでのうつ伏せの家族写真は、ベーシックとも言える写真かも知れません。 しかし、シンプルであるからこそ、そこには『ひと』の要素が多く影響し、『写真』から伝わるものを構成します。 真っ白なホリゾントで撮っているのも、家族全員の横一列の重心を写真の3分の1のラインに置いているのも、両端のパパさん、ママさんの肘をかすめるようにフレーミングしたのも、上を少し空けてあるのも、『写真』という画的な部分をまず整えて、被写体である『家族』への集中を促す為の選択でした。 その『家族』から感じられるもの、それがこの写真の主題です。 私が思う、『家族』の美しい瞬間を、彼らは体現していました。 家族みんなが関わり合いながら楽しむ、その瞬間の姿の美しさ。 それは、いつもそばにいる、そのひとへの愛と関心と、信頼がある関係性が作り出すものではないでしょうか。 私が美しいと思う、その姿を、その空気感を、その関わりを提示できるのが『家族写真』です。 写真という客観性は、目の前の被写体を私が見て、私が感じ、私が選択した表現で記録し、提示することを可能にします。 それが上手く噛み合った写真は、その家族にとって温かな記憶を思い起こさせる記録となると同時に、そこに『私』という人間の一部を色濃く反映します。 私はその写真を見ながら、『わたし』という人間を確認することにもなるのです。 彼らは、家族みんなで楽しんで笑い合う、それが幸せなことなんだと素直に思わせてくれるような、そんな美しさを持った家族でした。 弟たちの繰り出すおふざけも、パパママのツッコミも、長男の少し澄ましたい思惑が上手くいかないのも、『家族』の中で誰もが互いに関わり合っている、その結果として笑い合っている、そんな繋がりだからこそです。 そんな繋がりを、そこから感じられるエネルギーを、私は美しいと感じます。写真にして、とっておいて、いつか彼らが大切なひとに出会ったその時に、「これがうちの家族だよ」と見せたくなるような、そんな家族写真にしておきたくなるような美しさです。 そしてそれは、きっと、普遍的な価値を持つものだと信じています。 個人的には、『家族』というその全てを、無条件に良いものだとは思っていません。 しかし、素敵なご家族にお会いした時には、『家族』というその繋がりに、絆に、普遍的な価値と美しさを感じ、心をときめかせながらシャッターを切ります。 きっとそれは、そのご家族が『家族だから』素敵なのではなくて、互いに尊重し合い、愛と関心を持って関わり合う、ひととしてのその姿勢で向き合う関係性が、そのひとたちを『家族』として繋いでいるから、素敵なご家族だと感じさせてくれるのだと思うのです。 私は、そういう関わりを、絆を、『家族』という繋がりのひとつの基準に置いている。 私がそれを知ったのは、ここで出会ったたくさんのご家族に触れながら、感じたことを考えて得た、自分の価値観のひとつです。 家族写真を撮るのなら、 そのひとたちが、愛と関心を持って相互に関わり合いながら笑い合う、そんな写真を残したい。 「これがうちの家族だよ」 「こんな関わりの中で育ったのが『わたし』なんだよ」 いつか、彼らが大切なひとにそう言って見せるような写真。 それが私の写真であり、それが『わたし』を反映した写真であるのです。
きっとそうだ、だぶんそうだ、おそらくそうだ。
2018/4/11
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Yokohama aoba Photo:gomei Codi:Mayu Kanasugi ポートレート撮影において、被写体の事を本当にわかりきって撮影する事ができるのでしょうか。 私は、おそらくできないと思います。 ポートレートにおいて重要なのは、相手の事を分かり切る事ではなく、わかろうとする行動を続ける事なのではないかと思う今日この頃です。 私は基本的に何もわかりません。彼女がどういう人なのか、どのような性格なのか、どのような思いで撮影に来ているのか、全く知りません。 自分にサイコメトラーの様に透視能力が備わっていたらどんなに良いかと思う事もしばしばですが、明日からハリウッドスターになりたいと思うくらい無謀な事なので、無理な話です。カメラマンデビューしたての頃は良く、被写体との距離が遠い!と怒られ、あんぽんたんな私は、物理的距離かな?なんて理解をしてただただ被写体とカメラの距離を縮めて撮影をしていました。今なら何となく言っていただいていたことも理解が出来ますが、当時は被写体との距離なんて全く分かりませんでした。それから数年経ち、いつも被写体との距離とは何かと考えました。毎日ワケワカラネーと思っていましたが、毎日のというスパンがだんだんと開いてきた気もします。 文頭に書いた相手の事は基本的にわからないという点では今も一緒で、わかりません。極論私は人生で誰か一人でも、全て理解出来ているのかと問うと、だぶん一人もそのような人は居ません。なぜなら主観の中でしか相手をとらえることしかできないからです。20年以上付き合っている友達の事はおそらくこのような人だと話すことは出来ますが、本当に全てがあっているのか?その根拠は?と考えると、違うかもしれないという疑問はすぐに沸いてきます。その疑問に答えられる人はいるのでしょうか?つまり人の規定も何も「きっと」というある程度漠然とした規定の中で常に判断を行っているのだと思います。 だとしたら、相手の事がわからないので良い写真が撮れないではないか!と意見が来そうなことも分かります。しかし相手の事を全て理解していないことと、良い写真が撮れないということは直結しません。重要なのは相手の仮説を立てていく事だからです。 先日参加した撮影教育の際に、被写体把握のポイントとしてvolvoさんがこのように話してくれました。 「毎シャッター、毎シャッター、被写体の仮説を立てていくことが大切だ。」 哲学の話で現象と本質という話があります。 色んな自己啓発本に本質をみぬけ!と書いてありますが、そんな簡単に本質が見抜けたら本なんて買っていないよと思います。現象は目に見える事が多く、人は現象に囚われがちです。では本質はどのように見ればよいのか、面白い事に現象からしか見る事はできません。会議では良くそのような状況に出くわすのではないでしょうか。例えば先輩が何故そのような事を言うのか、よく考えてみると裏にはこんな思いがあったんだな、なんて。 多くの現象を見て、判断をして、だんだんと本質が見えてくる、なんだか量質転化にも似ていますね。 ここまでの文章を纏めてみるとこのようになります。 極論本質を見抜くことは難しいが、本質に近づくことは出来る。 被写体を理解した撮影に重要なのは、本質を一瞬で見抜く力ではなく、本質に近づこうとする根気と行動が重要だ。だって天才でないもの。 彼女は6年ぶりのライフスタジオの撮影で、10歳のハーフ成人式の撮影で来店してくれました。とてもおとなしく緊張もしており、なにか話しかけた時には「はい」「まあ」くらいの返答をくれる程度で、おとなしい印象を持ちました。 ここで彼女に対する仮説が立てられます。 「きっと恥ずかしくて、撮影をイヤイヤながらやってくれる大人しい子」と。 衣装提案時もいくつかの服を広げながら、こういうのもあって、ああいうのもあって、こういうのもあるんですよ!とノリノリで提案をしている私に「なんでもいい」「うん」みたいな感じの対応でした。オーウ、ママも苦笑いでしたが、そんなノリでした。 まあそんなに無理しなくてもと思いながらなんでも受け入れてくれるのなーと思いながらヘアメイクの時間に入りました。 それから数十分してヘアメイクを終えた知らせを受け、部屋に入ると、彼女の表情が目に入あります。髪の毛を巻き巻きして、化粧をした彼女の表情が少し照れながらも、広角が挙がっているのが印象的でした。すぐさま新たな仮説が立てられます。 「自分の変化をとても楽しみ期待している子」と。ちょっと期待が高まります。 その後、合わせてきてくれました服装で家族写真を撮りました。私としては彼女を決定つけるような現象が起きた時間です。笑顔も噛み殺すような撮影をしており、家族写真のポーズを作っている最中にドッと笑い声が聞こえました。真剣にポージング指示をしていた私は聞こえなくて、改めて何の話をしていたか聞いてみると、パパがたじたじしながらこう答えてくれました。 「パパ口臭い、歯磨いた!?」と言われたと。 私は驚きでした、彼女がパパにそんなに強い当たりをするのかと。そして笑いました。 当たり前ですが、家でもモジモジしている10歳の子は少ないです。ある程度大人にしなやかに対応ができつつも、家では猛威を振るうような、典型的な内弁慶タイプです。私の立てた彼女の仮説に囚われ写真を撮っていたなと。改めて仮説が経ちます。「おそらく芯ある強い女の子だ」と。 撮影をしながら、いろんな会話をしながら、自分に関係ない話も聞きながら、多くの現象をとらえながら、だんだんと彼女という人柄が見えてきました。 彼女の人柄をベースに、「しなやかさと力強さを感じる写真」を撮りたいと思いイメージを作ります。きっと今の彼女を表現するには適切ではないかとこちらも仮説を立てます。 A4、3ページ目でやっと写真の話です。だいぶ遠回りをしました。 「しなやかさと力強さを感じる写真」を具現化する為に、条件を探します。うーんと10秒ほど一周してみて、青葉店の玄関横の窓から撮る事にしました。 まず彼女の芯ある力強さを表現する為に、光の使用方法を考えます。この際は光と言うより影を探す感覚です。カメラの教科書に良く書いてあるように、サイド光などの影が強く出ている写真は、ドラマティックな印象を与えてくれます。言い換えるならば写真の中での陰影差です。彼女は窓からのぞく姿勢で、私は窓の外から撮影しています。光は被写体のやや斜め上から当たっていますが、立ち位置的には順光の条件です。彼女の力強さを演出する影を作るために3つの条件設定を行っています。 1.廊下の電気を消す事。 被写体奥は青葉店の廊下です。廊下には窓が無いため暗く落ち込むことは容易に想像できましたので、被写体との露出差で、背景の暗がりを出すことを一つ。 2.被写体の立ち方を、やや斜めに。 具体的には窓枠のへりに右ひじをついてもらい斜めに出る形です。このようにする事で、顔の左側から右側にかけてグラデーションを生むことができました。 3.木の隙間をついて撮影。 これが最大の効果を発揮してくれました。木の枝と葉っぱが彼女への光をさえぎってくれることで、顔の中に影を生むことができ、よりドラマ性を強く演出してくれます。よく見るとおでこの左側の影と、右側の影はこの木によって生まれたものです。 光の使用方法は決まりました。次にレンズと設定です。 この写真のテーマは「しなやかさと力強さを感じる写真」です。それをアップで表現したかったので、背景に意識が行かない様に、背景処理が必要です。この撮影条件で背景処理を容易にしてくれる望遠レンズを使用して撮影を行いました。 見せるものは一つでいいと思い、絞りの値は2.8の開放に設定して、撮影を行います。必要な要素以外の物を整理したいので、このような設定にしました。 力強さを演出する為に次に設定したのはポーズです。 今回は何もしませんでした、強いて言うならば目線の角度くらいです。クローズアップの写真になると手の使い方が重要になりますが、ここでは女性のしなやかさを演出する指使いなどがあまりいい効果を生まないと感じたからです。あくまで力強さがテーマでしたので、ただそこにいるだけで十分な状況がそこにはあったからです。 目線は下を見てもらう事にしました。私が感じた彼女の力強さとは、内なる芯だと仮説を立てていましたので、自分と向き合うような雰囲気、それはうつむき気味な角度が一番適切だと考えるからです。 では次は「しなやかさ」です。 これのポイントは一つで、髪の毛だと考えます。ここで大切にしたことは無造作感です。 なんだかおもしろい事に、人は人の手によって作られた物に違和感を覚え一瞬で見抜けてしまいます。静止画と動画を誰もが一瞬で見抜けるのと同じように、人の違和感というアンテナは馬鹿に出来ません。髪の毛を単純に垂らすだけでも同じような写真をとることは出来ますが、単純に目にかかっている邪魔くさい前髪という印象が、どうしてもイメージと一致しません。ここでは偶発性に期待をしました。風でなびく前髪を。 なので、今年から花粉症を発症した私にとっては少々つらい状況ではありましたが、窓を開け窓の外から撮影をする事にしました。 ブワー、カシャカシャ。ブワー、カシャカシャ。と風が吹くタイミングで4~5回ほどシャッターを切ります。 心の中で思いました。 「母なる大地の恵み、伊吹よ、ありがとう」と。 最終的に私を迷わせたのは分類の時間でした。 撮った4~5カットの似た写真を見比べます。どの写真が一番私の中の彼女に近いのか。 3枚程度の写真はすぐに捨てましたが、どちらにするか迷います。 一つはぴったし目にピントが来ている写真で、もう一枚は目からピントが外れて髪の毛にあっている写真。何度も見比べます。こんなに迷うとは思いませんでした。結果的に残した写真は髪の毛にピントが来ている写真でした。 色んな仮説を立てながら彼女の本質に触れようと撮影を行ってきましたが、このしなやかさと力強さという彼女のイメージも本当に信ぴょう性高いものなのか?抜本的な疑問が私を迷わせます。極論わかりません。 だから、きっと、たぶん、おそらくそうあってほしいなという私の希望を抱き、少しだけ淡くぼけている写真を残したのだと思います。 いつまでたっても分からない、だからこそポートレートは面白く、私が撮りたいとおもう理由なのだと思います。
tiki-taka-zoku
2018/4/10
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tiki-taka-zoku ティキタカx家族 ストーリー ティキタカと家族 をかけてティキタカゾク・・・ おそらくこの一言でパパさんには通じるのではないかと思いながら・・・ ※サッカー用語としてのティキタカを知らない人の為に※ ティキタカとはサッカーでパスを細かくつなぐ戦術やプレースタイルのことで 現在はサッカー言語として定着しています。 起源はwikipedia参照 >>> ’’スペインのサッカー中継において、実況を担当したアンドレス・モンテスがラ・セクスタが中継した2006 FIFAワールドカップにおいて使用したことで一般的な言葉として普及したと言われているが、スペインのサッカーにおいてはそれ以前より日常的に用2006 FIFAワールドカップのスペイン対チュニジア戦において、モンテスはスペイン代表が正確でエレガントなパスを回すスタイルについて、 「Estamos tocando tiki-taka tiki-taka.(ティキ・タカ、ティキ・タカとプレーしている)」と発言したこのフレーズの起源はおそらく、ボールをワンタッチプレーで回し、選手間でボールが行き来する様子を擬声語で表したもしくはスペインで発売されたアメリカンクラッカーの名前「Tiqui-taka」から採ったものだと言われている ’’ >>> tiki-takaは ワンタッチでパスをダイレクトでつなぎ、相手を翻弄しゴールまでのプロセスを描いていく パスを出す方も、受ける方も技術が必要であり それがつながっていく様はサッカーでも芸術的とも表現されます 家族もtiki-takaのように表現できるのかもしれません 理想として細かくショートパスをつないでいき、家族の幸せにつながる美しいゴールを描いていきたい しかしサッカーと同じように、全てがすぐ劇的なゴールとなるわけではなく トライアンドエラーを繰り返します 幸せの瞬間、ゴールまでには時間がかかります もしかすると家族の中でティキタカのようなショートパスをつなぐのではなく 家族の休みの日に、なんとかしてつなぐ、、、ロングパス一辺倒気味に一番なりそうなのが そう、もしかしたら、私たち父親かもしれません 笑 この光景は、同じく子を持つ私にとっても、とても理想的な光景です (私は息子がまだ1歳なので、いつか私もこのような写真を撮られたいものです) このパスをつないで遊ぶ模様の写真には 美しい思い出であると同時に、家族としていつもこうありたいと願いながら 忙しく働く父親として、心にタッチする何かを写真から私は感じていました 家族みんなを大好きなユニホーム姿にすると また、たまらなく愛らしい姿になりますね お持込ありがとうございます ユニフォームでの家族写真を撮りながら これは・・・tikitakazoku・・・写真だな (ティキタカ+家族) そんなことを考えていました 今回は5歳の七五三でしたね 写真を一緒にモニターしていて、「やっぱり撮りに来て良かった」と つぶやいて頂いた時は本当に嬉しく思いました。 何気ない日々の瞬間はあっという間で 子供がボールを無邪気に真剣に追う姿は、親として自然な笑みで見守る眼差しとなり ボール遊びをしながら、家族が楽しむ姿はとても自然で美しい とても瞬間すぎるからこそ、その幸せの瞬間をおさめられたなら奇跡です サッカーで人生にたとえるなら 夫婦は家族の「前半」を描く者 次第に子供たちの時代の「後半」へと突入し始め 「アディショナルタイム」には・・・孫の姿を見ている? 笑 なんて事を考えてたりして、いつの日か 三世代でユニホーム姿のティキタカ写真をしているかもしれませんね そうするととてもワイドなスタジオが必要ですが・・・ その時は屋外の撮影もいいですね 笑 ティキタカゾクシャシン その日、何かに導かれるようにスタジオで私も初めて撮った写真です とても楽しく新しい扉が開けました 感謝 ------------------------------------------------------------------- <<<写真分析>>> ライフスタジオ社内の秘伝の書の中に<写真大辞典>というものがあります <観察><形象化><抽象化><パターン><類推> <<観察>> <観察>というのは、見慣れたものを見慣れたように見ないということです 家族写真をどう撮るか、見慣れたものはぎゅっとよせて立ったり座ったり寝そべったりのある種のセオリーポージングがありそういった基本セオリーの家族写真は無ければならないものでもあり、日々撮ります ここで、サッカー日本代表のユニホームを着た、 この年齢の子供たちがいる家族写真を その家族の今らしく・・・どう表現するか・・・ 見慣れたものを見慣れたように見ない<観察>をはじめました いつもと同じだと思ってしまえば、本当はそこにある美しさやオリジナリティの表現を見逃してしまう 家族写真は家族をバランシングし、密着させることが多いものです どこか手や肩、腰、家族の点と点がつながり、隙間が生まれないよう空白を埋めていくアプローチが ある種のセオリーです。もちろんそれはある種の基本であって必要なものです 反対に、この写真でポイントとなるのは 離れたポジショニングをしても、家族がどうつながるかという点にあります ボールがあればいいな・・・ 「発見!!」 離れても家族をつなぐ絵のそれを良く表現出来る絵が、瞬間的に想像でき、 部屋の中からボールを探し、家族にはいつも遊ぶようにパス回しをしてもらい サッカーボールを追いかけるそれができれば・・・ 躍動感や立体感、ストーリー性が生まれ表現として成立する カメラマンとして、この家族の絵が自然になる特徴はなんなのか? 今の条件で表現できるものはなんなのか? そういったことを<観察>した結果として生まれた写真です <<パターン>> いつものパターンに当てはめてただ撮影を行っていたら、このカットを撮影しようと思わないだろう 被写体に合わせてパターンを変える柔軟性のある思考が必要であり、 イメージを先行させる自身の心に描く情報があると、新しいパターンを描きやすい そういった意味で私はスポーツ全般については多くのイメージを巡らすことは多少なりとも自信がある方だ。これからもいろんなパターンをインプットアウトプットを巡らせていきたい。 今回はあえて被写体同士に距離感を作り、四方に配置、引いた距離で広角で撮るパターンを作った パパは大きく手前に、ママは対角線上の右奥に、子供たちは対照的なポジションでスタート <<形象化・抽象化>> 表現しようとしたことが、その被写体を表しているかどうかがポイントになってくる。 思い描いた表現を形象化したり、抽象化したりしても、 ただよくあるセオリーのフレームだけに当てはめてしまうだけだったら、自己満足の表現になってしまう 5歳の少年がボールを追いかける様子は純粋・ひたむき・エネルギーそのものであり 動きのある動的写真となり、サッカーのプレーを通じ家族を表現するストーリーとなる もし逆に、ボールを追いかける素振りで、カメラを気にしてチラチラ目線を向けた わざとらしい写真などとなれば絵としては不自然となり台無しとなってしまう。 演技ではなく、自然な流れでボール遊びをしてもらった イメージはすぐ伝わ長い説明もいらなかった <<類推>> 類推とは異なった要素を組み合わせイメージを想起させてくれる表現ということで 表現したいイメージにどんな構成要素を組み合わせるかということが重要だ 今回の写真では サッカーボール × ユニホーム × 家族写真 x ティキタカ(つなぐサッカー) という組み合わせを連想して表現をし 家族写真の自然なワンシーンを撮ることができた この写真を<観察>から始まり、<類推>して作ってみたとき 写真を撮る者としてまた一つ自由になれたことと出会いに 感謝
『connect』
2018/4/10
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photo by volvo codi by kudo Lifestudio TOKOROZAWA 遠い昔の君たちの記憶は ファインダーを覗くたび蘇る 遠い昔から繋がれてきた今日までの絆は まだ見たことのない新しい世界へと導き 見た事無い未来が創られる 君たちと出会えた事は 他の誰とも変わらないごく一般的な確率 だけど約5年という月日を共有できたのは何千分の1の確率 偶然かもしれないし、必然かもしれない。 だけどただ一つ言えるのは、誰でもこれだけの時間を共に過ごすことができるのか? と言われれば、答えはノーだということ。 人が私を必要とし、私を指名をしていただけるというのは本当に名誉あることで、これ以上ない喜びを得ます。 正直な話、若い頃は誰かが指名してくれる、それだけで満足していた時期もありました。 でもライフスタジオでの生活も丸6年が経とうとし、短くない時間の中でそんな時代を通り過ぎ それだけでは埋まらない心の穴が存在する事を知るようになり、次第にその穴が私の仕事に対する欲望を小さくしていくことに気づきます。 自分はいつも受動的な人間でした。 「愛されるより愛したい」という言葉を日本中に振りまいたkinki kidsと青春時代を共にしたとは思えないほどに 自分の意思を見せることはしませんでした。 どんなに好きな人がいても告白なんてしたことなかったし、というかできなかったし。 それどころか自分から好きだと言うことがむしろダサいことだといわんばかりに振舞っていたように思います。 まるで「人に求められる」事が美学とでも思ったのでしょうか・・・。 そんな風に生きてきたものだから、意思表示も微妙なまま生きてきて 人に求められる事で満足感を味わった気になり、正直ライフスタジオで忙しい毎日を送りながらもそのように過ごしてきた部分がありました。 私を探してくれる数少ないお客様は「あの人は今どの店舗にいるのか?」と、普通に予約を取るよりもひと手間多い工程を踏まなければならず 予約を取った後も店舗と連絡を取り、私の生存確認をしなければなりません。 私が人見知りが故に仲の良いお客様にはご不便をおかけしてしまっています(本当にいつもすいません) そんな私も、ライフスタジオで過ごすうちに異変が起きました。 誰かに「会いたい」という思いを、行動に表す機会が生まれたのです。 その一人が「上林ファミリー」です。 今でこそまた会いたいと思える方はたくさんいますが、最初に私にそう思わせてくれたのは上林ファミリーでした。 5年という短くはない時間を共に過ごすことができた中にはもちろん子供が成長して大きくなり 隣で撮影してる赤ちゃんが眩く見えたりもするでしょうし、サイズオーバーしてしまったライフスタジオの衣装に 失望してもおかしくなかったと思います。にもかかわらず子供たちの写真を残したいとライフスタジオに来続けてくれたママさんの行動力共に歩きつづけることができた一番の理由ではあります。 姉ののいちゃんと、弟のたくみくんの二人姉弟。 初めて撮ったときから2人はそのモデルのような出で立ちと上手さで 私が撮影には入らせてもらう前もきっとカメラマンたちを唸らせてきたんだろうなって思っていました。 のいちゃんは今年中学入学。 すでにママさんを超えた身長からは大人びた雰囲気で 私よりまだ10センチは低いのになぜか腰の位置は私よりだいぶ高い位置にあるモデル顔負けのスタイルは成人撮影をしている気になります。 この写真の被写体でもあるたくみくんはのいちゃんの 1つ下。 歳が近いからもあると思いますが、姉弟で写真を撮るという行為に抵抗感が出てくるのも当然でしょう。 もし自分が年頃に弟と仲良く肩でも組んでカメラを見て笑えと言われたらそんな辛いことはなかったと思います。 いくら毎年写真を撮ってる親戚的ポジションの私と会うといっても10歳男子。 家族のイベントや久しぶりの大人に会うという事自体に一歩引いてしまうのも当然です。 それでもたくみくんはお願いされると断れない優しさをもって笑顔を作ってくれます。 これはきっと大人の期待に応えようとしてくれた気遣いなんだろうなと思いながら、素直に楽しませてあげられない苦しさを 胸にシャッターを切らせてもらいました。 ソロ写真になり、彼をどのように表現するか、悩みました。 一緒に入ってくれた工藤さん曰く、いつもに増して私は長考していたそうです。 西さんの写真マニュアルに書いてる通り、写真は撮るための準備の工程がどのようであるかによって写真が変わります。 先に撮る写真が決まっていれば、被写体とは無関係な写真が作られますし、被写体の事ばかりを考えていれば整理されない写真が生まれます。 ポートレートというのは人を撮っているという事は誰もがわかっていることでありながら、この工程を間違えるとただ「いい光」を撮っている だけだったりとか、ただインテリアを撮っているような写真になりがちです。 大内さんの言う通り、写真は「調和しているかどうか」で美しさが決定します。私は「統一感、そつがない」なんて表現していましたが・・・。 そういう写真を撮るためには、工程を正しく踏まなければいけません。 正しい工程を踏む基準は「被写体の持つストーリーがすべての構成要素によって現れているか」です。 つまり、まずは被写体の持つストーリが何か?を規定しなければ何も撮りようが無く、ただ撮っただけの写真という事になります。 規定したストーリーがあっているか間違っているかはあまり重要ではなく、大切なのはストーリーがあるかどうかです。 私はたくみくんの事を「がんばって撮影してくれる思春期」だと思いました。 だからソロ写真で表現しようと思ったのは「頑張らないで写真に写る思春期」です。 このように規定したなら、次はそれをどう表現するのか?という工程に進みます。 まずは彼が何を着ているか?です。 工藤さんが提案してくれた、最近入れた20センチを超えるブーツとシャツにジャケットの姿は明るい雰囲気というよりは 気だるい感じとうまくマッチしていて、撮影インテリアを決定するのに時間はかかりませんでした。 次に光です。 時間的に西日の入るタイミングで、写真のように逆光で使うのか、インテリアの方を向いて(反対向きになるとインテリアがある) 順光で使用するのかはカメラマンの選択になります。 順光で撮ればインテリアが入るので背景には困らないけれど、順光の扱いが難しい。 写真のように逆光で撮れば光はいいけどインテリアがないので背景処理が難しい。 どうするべきかと悩んで決定する基準は、やはり「頑張らないで写真に写る思春期」に立ち戻る事です。 色んな場面で「どのように撮ろうか」と悩む瞬間はたくさんあると思いますが、決定する基準はいつもひとつで「何を写したいのか?」という事です。 強い逆光を見た瞬間にフレアを出して飛ばすのか、被写体をアンダーに落として写すのかの二択がありますが、先述したように 明るい雰囲気で表現するべきではないので、アンダーを選択します。この時点で「イメージカット」という選択肢が現れます。 「気だるさ」「イメージカット」「逆光」・・・・「モノクロ!?」。 状況と完成系をつなぎ合わせ、表現したいものを表現するために最善の方法を探す過程でポイントとなる言葉を探し出し 「どのように撮るか」を具体的にしていきます。 こうなったらレンズの選択も容易になってきます。 大抵、標準レンズか望遠レンズですが、この場合は85mmの単焦点レンズを選択しました。 ひとつは、背景の処理が難しい向きを選択した事。F値を1.8にできる事でできるだけ背景が気にならないようにしました。 次にポーズです。 「気だるさ」を最も表現できるのはポーズです。 まず一番似合わないのは、「写真撮りますよ?」というポーズ。 あたかも撮影用ですといったポーズをさせるのではなく、あくまで自然体でいられるような姿を維持しつつ かつ写真になるような状態、だから足組むことと上向く事しか伝えませんでした。 モノクロといっても表現方法は様々です。コントラストたっぷりにもできるし、フレア気味にする事もできる。 アンダーで落とすと決めたので、シャッタースピードは1/2500まで上げました。 首のラインと顔のラインが見えるレベルで。 全体的なバランスと状況説明は、天井と、下の光と影の境目、右のシャッターと左の街灯の四辺を囲む形である程度説明がつくかと思っています。 撮影の前日、明日大切なお客さんが来るんだけど、うちの衣装がサイズオーバーなんだよね・・・と ボソッとこぼした言葉を聞いていた工藤さん。 次の日、「多分サイズ同じくらいだから」と袋いっぱいの洋服を持ってきてのいちゃんのコーディネートをしてくれ いつもとは違う雰囲気で撮影することができました。 撮影の次の日にはフェイスブックにたくさんの写真をアップしてくれたママさん。 撮影中も、モニター中も、自分の学校話で工藤さんと女子トークを繰り広げていたのいちゃん。 毎年撮影に付き合ってくれ、私に新しい条件を提示してくれるたくみくん。 自分勝手かもしれないけれど、私自身が「また会いたい」という欲望を持つというは 関係が続く一番の理由です。また必ず会いましょうね。みんなありがとう。
姉妹の時間
2018/3/31
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ママも含めて4人姉妹と言われてもおかしくない位に仲良しのご家族でした。 予め歳の離れたお姉ちゃん達もご一緒に来店されると聞いてどんな姉妹写真を撮ろうか?悩んでましたが、悩みも吹き飛ぶくらいに4人の集合写真からノリノリで撮影してくれました。 姉妹がこんなにも仲良くいられるのは、親御さんから分け隔てなく愛情をもらっているからなのではいかと思います。 私にも兄弟がいるので、同性同士だったり年齢が近いとどうしてもどこかで親の愛情を比べる要素がでてきてしまいます。 自分が持っていないものに対してコンプレックスを持ったり卑屈になったりしますが、この3姉妹達を見ているととても真っすぐに育っている様に感じました。 友達の様に仲良く見えて、お互いに遠慮せずにハッキリと物事を云える関係がそれ以上の強い絆で結ばれているのではないか?と思えました。 歳のは慣れた妹に時に厳しくありながらも愛のこもった接し方を撮影の1時間の中で沢山感じられたので、姉妹撮影は妹ちゃんを囲んでの愛情表現をふんだんにしてもらいました。 モニターの時間も写真を見ながら、ワイワイしている姿が微笑ましくも愛おしく思える時間でした。
奇跡じゃない
2018/3/31
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第一印象がこんなに残るなんて。 7歳の一人っ子。 大人しくヘアセット中の彼女に挨拶をしました。 名前を聞いただけだったでしょうか、特にこれといった会話もしていないような気がします。 口数は少なく、こちらのテンション高めのボケには優しくハニかんでくれるだけでした。 一人っ子という環境のせいか、着物を着ているという条件のせいか、美しく大人びた顔立ちのせいなのか、本当に7歳?という落ち着きで、彼女独特のオーラを感じたのです。 どうにかその印象を写真で残せないか、と思いました。 草加店は大きな窓が特徴的で、晴れている日にはたくさんの自然光が入ります。 その為、明るい写真を数多く目にすることができます。 しかし彼女を表現する為に1カット目に私が選んだのは、普段は撮らない場所。 自然光が入ってくる窓より少し手前の位置。 いつものように光量が多い場所ではありません。 しかし私が感じ取った第一印象の彼女を表現するのにぴったりの場所だと思いました。 横顔でハイライトを作り、濃いまつ毛と綺麗な鼻筋、まだ僅かに残る頬の幼さを表現しました。 光量を調節したことで、見る人によってはアンダー気味に思える写真ですが、この色味こそ第一印象の彼女とハマった気がしたのです。 美しくもどこか影のあるような。 その後、アシスタントをしてくれた正国さんと「正国タイム(※正国さんがスベってシーンという雰囲気になること)」も乗り越え、パアッ!と明るい笑顔も見せてくれた彼女。 だんだんと私たちにも慣れてきて、たくさんの表情を見せてくれました。 2シーン目、3シーン目と、どんどん彼女の本性が現れて、最初に感じたオーラは何処へ?という状況にもなりました。 それでも分類中、私の目に留まるのは最初に撮ったこの場所でのカットでした。 私の彼女への第一印象が強く残ったのだと思います。 そして、それを写真として納得のいく表現ができたからだと。 彼女との出会いは奇跡だったのかもしれませんが、 イメージを持って条件を作って撮ったこの写真は、奇跡じゃないのかもしれません。 Photo by Lisa Coordi by Masakuni
『 旅立ちの理由 』
2018/3/31
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No.24 Life studio Shonan photographer : Masashi Kuroki coordinator : Akiko Miyokawa あなたが尊敬する人は誰ですか? 尊敬する人がいるならばそれはなぜですか? もしかしたらそれは過去の自分と重なる部分があるからかもしれません。 あなたの尊敬する人は?と問われれば、私の頭にはギタリスト、プロレスラーそして父母など様々浮かびますが その中でも映画監督で、と言われれば私はまずティムバートンを上げます。 映画「バットマン」や「シザーハンズ」「チャーリーとチョコレート工場」等々でご存知の方も多いかと思います。 その中でも、私は中学一年生の頃に劇場でバットマンを見た時に身体に電流が流れたかのような衝撃と安堵感を感じたのを覚えて います。 その衝撃というのはバットマンという人物だけにではなく、その映画の持つ世界観にです。 全体的に暗く明暗がはっきりとしてエッジの効いた画作り。 どことなく奇妙な描写。 そして、重厚で深みのある音楽。 この世界観というのは元々、もしくはたまたまその映画が持っていた訳ではなく、この監督がこの映画に付けたものです。 彼の世界観が今の自分には切っても切り離せず今の自分にへと影響しています。 彼は幼少の頃、描く絵や発想に奇妙なものが多かったため周りから奇異のレッテルを貼られていたそうです。 ある種それは「個性」であるのに周りのマイナスな感情から「奇異」となってしまいました。 そしてひとりで遊ぶ事も多くなったそうです。 彼は「子どもの頃に孤独感を経験するとその後に誰より多くの友達が出来たとしても 当時感じていた気持ちはずっと付いて回るものだ」と言っています。 そこで彼は、その自分の奇妙さこそが自分らしさなのだと受け入れ肯定することで自分を作っていったそうです。 私は小学校五年生の頃、これといった理由も無しに一年間クラスの仲間はずれにされていました。いわゆる「集団しかと」です。 当時は「引きこもり」「登校拒否」などという言葉を知らなかったので学校には毎日泣く泣く登校し、家に帰っては一人 枕に顔を埋めて泣いていたものです。 そこで、いつしか子どもながらにこの状況から抜け出すため、クラスのみんなを笑わせようと必死になりました。 そして五年生の終わり頃、クラスのボス的存在の子が私のした事で笑ったのをきっかけにその状況は元々無かったかのように 消え去りました。 もしかしたら、バットマンを観た時に感じた安堵感とは孤独を味わった事のあるバートンの世界観の何かが私に作用したのかも しれません。 彼のインタビューの言葉の中にこうありました。 「 孤独を排除するために個性をつぶすのではなく、 自分らしさと受け入れて、それを糧とすることで唯一無二の存在になれる」 Tim Burton 「自分らしさ」という言葉は私生活でもよく耳にすることですが、このライフスタジオでも「私らしさ」「その子らしさ」 「そのご家族らしさ」という言葉はいつも自分たちの隣にいます。 ここで撮影をする事になってから六年間、いつもその言葉を頭の真ん中に置き、葛藤し探究をし答えを探していました。 そしていつしかその探究は「自分らしさ」の探究に変わっていきました。 今となって私はこう思います。 「自分らしさを知らなければ、その子らしさは残せない」 したがって、この探究先の変化は自然なことだったのでしょう。 ライフスタジオでは皆、自ずと自分が自分を探し、自分を知っている自分を作ろうと努力しています。 その自分を自分で受け入れることが出来た人達が、その家族と向き合い、素直な気持ちで接し、シャッターを押せば 自ずとその家族らしい家族のための写真が浮き上がるはずであると思います。 どの照明器具も勝ることの出来ない太陽の光一発。 こちらから見て逆光に射す光が家族に当たってはじめてその光の姿を表す。 その光が生んでくれる家族のエッジ。 よりリアルな現実を表現するため一歩、いや、二歩家族に近寄る。 画角を敢えて狭くすることで無意識に想像させる空間の広さ。 そして、この写真が列記としたライフスタジオの「家族写真」であるということ。 そこにある家族の風景。 その家族は今、写真館にいます。 ですが、あたかもお家にいるような光景として残す。 それが属に言う「自然な写真」のひとつであり、 これもまた「ライフスタジオらしさ」のひとつなのかもしれません。 自分を、そして自分らしさを知る事はとても難しいことです。 もしかしたら、知っているつもりになっているだけかもしれません。 ただ、私はこのライフスタジオで「自分」の見付け方をひとつ知る事が出来ました。 それでは、私はまた新たな自分らしさを見つけに出かけます。
10分の幾つ
2018/3/31
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写真とは そこにあるものだと思っていた もしかしたら今も少し、そうかも知れない それはデジカメとか スマホとか 簡単に撮れるものだからではなく 用意されたインテリアや コーディネートや 被写体を私が追っている(物理的にではなく感覚として) からである どんなカメラを使うのかだけが ここで写真を撮る意味なのかと思ったりして 写真は芸術である ということがいまいち理解できていなかったのかも知れない 彼にここに来て欲しい と思うのは何故か 光があるから なのか もし、カメラマンになっていなければ 日常的にこんなにも光を意識することはない 窓際から光が入って そこから私に向かって光がきて カメラの前にガラスを置けば 光は広がって…と 被写体のうしろ カメラの前までに写すもの それを探る自分の動き自体が 創作だというのかも知れないが でもただそれだけなのか 写真1枚を1人でつくるわけではない ポーズをつくる過程でも 私の言葉の伝わりかた 彼の動き 例えば指先の曲げかたにしても 見えているものは全て写真になる 常に考えているのかと言われたらそれはあまり自信がないけれど… 被写体を動かす 動かした先に被写体は自らの表現をしている そうしてはじめて表現者は揃う その証拠に結局はシャッターを押すまでイメージを確信できない 私と被写体の表現 10対0は絶対に無い その比率が様々あって それぞれが完成された写真であるように… 出会いからすでに創作がはじまっている そう思うととても面白い芸術だ
Kick
2018/3/31
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彼ははじめかしこまりすぎているぐらいに、かしこまっていて、何か話しかけると「ハイソウデスネ!」などとロボットの用に答えていた。 その口調が面白く、色々話しかけていると、彼の隠していた面白いキャラクターが見えてきた。 名探偵のようにあごに手をあてて話したり、 私が変な受け答えをすると薄目でこちらを伺ったり、 撮影を進めていくうちにどんどん魅力が溢れていく。 撮影の中盤で彼が2年ほど空手を習っている情報を得て、私は最後に広角でダイナミックに彼を撮影したいと思った。 動きのある撮影には光が沢山必要になってくる。 自由が丘店でもっとも自然光が入るキューブの部屋を選ぶ。 いくつか空手の型をやってもらう。 彼の動きはいきいきとし、特にキックの時はとても高く足があがった。 私は姿勢と落として、キューブのインテリアが入るように構えた。 彼の足がキューブの四角を砕くようなイメージでダイナミックにグラフィカルに撮影した。 最初に挨拶をかわした彼とは別人のいきいきした彼が撮影できた。 Photo by Tonegawa Coordinate by Katou
らしさ。
2018/3/31
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『らしさ。』とはなんだろう。 よく人々は「自分らしさ」が大事だと言います。 しかし、本当の『らしさ。』があるのは子供の時期だけではないかと僕は思います。 僕たちは成長するにつれ、色々な知識や常識、他人の意見など様々な物を取り入れ、そうする内に自分の中にある理解されない宝物が好きという考えが、他人から理解される宝物が好きへと変わっていきます。 大人になるにつれて本当の『らしさ。』ではなく建前、表面上の『らしさ。』に変わっていく中、子供だけが自分の意思で、体全体を使って「自分らしさ」を表現するのではないでしょうか。 僕は今だけの、今しか撮れないその子らしさを撮りたいと毎回撮影に入るたびに思っている。 これから成長するたびに、色々なことを体験し、自分の中の考えとか、他人の考え、それらすべてのモノで自分が出来ていき、今ある『らしさ。』から変わっていくかもしれません。 彼女は、活発な子で時折見せるアンニュイな表情、少し明るい髪色に透き通った白い肌、楽しいと可愛らしくキャッキャと笑い、小さい体から出る行動はとてもダイナミック。今だけの『らしさ。』、それを全身で表現していた。 水戸店だけで10回目のご来店。その数だけ、『らしさ。』を残してきたに違いない。記念すべき10回目に僕はどうしたらその子の今の『らしさ。』を残せるだろうか。 葛藤の末、普段使わない短焦点レンズを手に取った。 レンズは自前の「 SIGMA 50mm f1.4 Art 」 最近のシグマレンズは色があっさりしていて寒色系なのが特徴でこの子の透明感を出すのにはぴったりだった。 絞りは開放だと周辺光量落ちが出てしまうので透明感を重視し尚且つ被写界深度を凄く浅くしたかったのでf1.6にし、SSも被写体が動いていたので1/400に。 被写体の位置も撮影時、窓から西日になりつつある綺麗な光が入ってくる窓の前に。 綺麗な光を逆行から半逆行気味に背負ってもらい、顔にはカーテンを使い光を回してあげる。 そうすることによって全体に光が回り、メインの光が後ろにあるので、彼女の明るい髪色が透けて透き通った写真になる。 僕は動いている子を撮るのは結構好きなほう。 時折、僕も予想できない行動をし、それを撮れれば面白い写真を残せる。 正直話すとこの写真は、偶然の産物です。 狙ったのはカーテンの下からチラッと顔を出しているカット、しかし彼女はダイナミックにカーテンを上げて顔を出してきました。 とっさにシャッターを切る。 そうして出来たのがこの一枚。 短焦点レンズだったからこそ撮れた一枚。 偶然の産物だからこそ彼女の『らしさ。』を撮れた一枚。 こうした一枚、一枚がその子が表現する今の『らしさ。』を残していければいいと思います。 ありがとうございました。 Photo by NIHEI Coordi by IKU
母になる。
2018/3/31
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Photo by kaori kobayashi Model by kaori sasaki In shinyokohama 写真を撮るためには、知識と技術が必要です。 知識と技術を用いて、写真を撮ろうとしたとき、表現のためのイメージが必要です。 イメージするためには、相手にタイトルをつけるように、イメージを持たなければいけません。 初めて会う相手でも、何度もあっているような人でも、同じ相手はだれ一人いなくて。 だから『今』目の前にいるあなたをどのように撮るかは、『今』の自分が持っている知識と技術と頭の中のイメージで表現する以外に方法は無くて。 それは仲良しの同僚を撮るときだって、いつだって必要だと言えます。 だから『何が残したい』『写したい』がいつだって頭の中に飛び交い、その為の条件を選択し、 技術と結びつけて、はじめて一枚の写真が残せるのです。 彼女の撮影をしたのは二度目です。 以前は同じ店舗で働いていた時に。 『互いを撮りあって発表する』という取り組みをしたことがありました。 正直に言うと、彼女とは2013年から働き始め、名前が同じで誕生日が一日違いという運命を感じながらも、こんなにも自分と真逆の性格をしている子がいるのか、と最初は戸惑った記憶もあります。 オシャレで明るくて、人に対してオープンに入っていける。 良いものは良いと言ってくれるし、違うものは『なんか、違うんだよなあ・・』とちゃんと突っ込んでくれる。それが当初の私は少し怖かったのですが、今では弱い部分を認め、突っ込んでくれる良き理解者であり、一緒に働いたときも楽しい経験もたくさんして、つらい時期を一緒に乗り越え、大切な人を一緒に見送り、 私にとってはかわいい妹、ではなく、尊敬している一人の仲間なのです。 そんな彼女が母になると連絡を受けたのは、横浜青葉店のみんなが旅行に行ったあと。 インスタグラムでみんながパラグライダーを飛んでいるのを見て、すごいなあと思っていた矢先。 妊娠の報告。 え、待って、かおちゃん、パラグライダーで、空、飛んでたよね・・・!? 衝撃でした。きっとおなかの赤ちゃんはママの行動にええ?!と思いながら、 まあ仕方ないか、ママだし、と悟っている強い子でしょう(笑) それから体調が悪いときなど心配された時期もありつつ、どんどん大きくなっていくお腹を見るたびに、 お母さんの顔になっていくかおちゃんを見るたびに、『ああ、母になるんだ』と感じました。 とはいえ、敏腕コーディネーターとしていろんなカメラマンのそばで『良い写真』を良く見て、知っているかおちゃんの写真を撮るのは緊張しました。 彼女に何を残したいか?それは、maternityという、おなかの中に生命を宿した神秘的な姿を、母になる彼女の今だけしかない母に『なる』姿を、残したいと考えました。 いつも、どんなときでも、『落ち込んでいても仕方がない』と前向きなかおちゃん。 私は何度もその姿勢に励まされ、救われました。 母になっても堂々と。 その表情は少し余裕にも見えるような微笑みを。 目線の先、お腹とは逆の空間に余白を空けることで、これまでの、 母になるまでの生きてきた彼女の姿勢や、結婚、妊娠、不安も期待も想像させることが出来ます。 しかしお腹を出して凛と立ち、微笑む彼女は、1人の命を守る立派な母親そのものだと感じます。 上下に白い前ボケを入れ、より、彼女の表情やお腹に目が行くようにすると同時に、写真に深みを与えます。 『写真に深みを与えるためには、平面な写真に層を作ることが必要だ』大内さんに教わりました。 前ボケ、被写体、背景、副主体、平面な写真の空間に奥行きと深みを与えるために、層を作ります。 ただやみくもに前ボケを入れればいいわけでもなく、何を表現したいかがそれを選択させてくれるのです。 私は彼女を尊敬しています。 大切な仲間であり、まだまだ一緒に働きたいと考えています。 その尊敬を表現するために、近くではなく、遠くから、前ボケと飛ばしすぎない程度に背景を写し込み、 水平垂直を保ちながら、前途した写したい箇所に注目が行くように整えていきました。 彼女は表情をつくることも上手だし、ポーズもうまい。 そして、口下手な私のへたくそな指示をああ、なるほど、と汲んでくれます。 私にできることは、それを、自分の技術とイメージで写し残すこと。 それが、新たな彼女の人生を写しだし、応援になる一枚になれば、という思いでした。 きっと、ママにもパパにも似た、目が大きなかわいいBabyちゃんが生まれることでしょう。 母になる事。 それは単純なことではなく、とても大きく、幸運で、これからの人生になります。 大切な時期。お願いだから無理はせず、体を大事に、元気な赤ちゃんを産んでください。 そしてまた写真を撮らせてください。 そしていつものように、良いものは良い、ちがうものは『なんか違うんだよなあ』と教えてください。 撮らせてくれて、ありがとう。
レッツゴー‼︎新生活!
2018/3/30
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・外での撮影。風船に光が当たりすぎて色が飛ばないように普段よりアンダー目に撮影した。 ・現実的な空間に対しアンダー目に撮り風船の色を目立たせ現実と非現実的なアイテムを使い被写体の目に見えぬ内面的な面と外側の現実を混ぜ合わせる事を意識しシャッターを切った。 ・左の倉庫の重めな色に対し反対側の電柱でバランスをとった。 彼は春から新一年生。これから迎える新生活にとてもワクワクしていた。 撮影しているうちに彼のエネルギッシュな面や新生活に対しワクワクしている感情を感じ心の底から私は彼の新生活を応援したくなった。 外は雲が多かったが晴れていた。彼は今にも走り出しそうなくらい元気が溢れていた。 そんな彼が新生活に伴い出てくるであろう。もしくは既に出ているこれからの 「希望」「期待」「ワクワク」「まだ見ぬ友との出会い」「学び」 などを風船に込め彼にこの風船を渡した。 「新生活!」と言われそこに着眼点を置くなら明るくふんわりとした中で如何にも「明るい未来!」の様な彼を撮ったのかも知れないがそれはきっと第三者の視点から見たイメージや希望であってから本人の内面的な部分を写したとは言えないと思いあえて彼の視点になって考えた時にこのイメージが生まれた。 何故、道路を走ってもらっているのかというとイメージして頂きたいのは「通学路」。 これから彼は毎日の様に同じ通学路を通り学校へ向かうのだ。彼の通学している様子を想像して見たとき「大人しく歩く」というイメージより「元気に走る」イメージのほうが真っ先にやって来た。彼も「もう走っていい?」と走る気満々であった。 天候はかんかん照りではなく雲が多い晴れ。 天候を今の彼の心情であろう「楽しみ!だけどどんな世界かハッキリわからない。」と見立てて見た。 きっと本人はこれからの小学校生活がどの様なものかハッキリとしたイメージは難しいだろう。誰でもまだ見ぬ世界に入り込むのは不安でイメージもし難い。 しかしそんな不安を打ち壊す様に全力で飛び込んで行く彼。彼の性格や溢れる元気を感じた。 9つある風船の中1つ1つに私は色々な彼の内面的な「これからの新生活に伴い出てくる想い」を形にして見たがもしかしたら彼の内面では「友達沢山作る」「給食」「お勉強」「思いっきり遊ぶ」の様な別な想いが詰まっているかも知れない。何を風船に当てはめるのかは見た人や本人が自由に想ってくれればいい。どれも正解。 少年よ、これから迎える新生活。 よく遊びよく学べ! きっと君の未来は明るく輝いている! photo by kazuki Cordy by toshi
ストーリーメイキングは必要か。
2018/3/4
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Shinyokohama Photo:gomei Codi:Yukika Hujimoto ストーリーメイキングという言葉をまた使うとは私としては、不思議な話で20代前半に芝居に熱打っていた頃には毎日行っていました。即興演劇と聞くと何となくイメージはつくと思います、もう少し砕けて言うとエチュードです。 ストーリーメイキングを行うには大きく分けて2つのやり方があります。何もない空間で人間の感情だけを定めて作る方法が一つ、パントマイムなどがその例です。もう一つはシュチューションだけが決まっていて、感情を作っていくやり方が一つ、例えば笑福亭鶴瓶さんが行っているスジナシという番組がその例です。 この二つはスタートが異なるだけで、やっている事にそう大差はありません。物が決まっているのか、心が決まっているのかだけです。 どちらも決められた条件からのスタートで、演者の価値観から生み出される演技によって観客達は次第に魅了されて行きます。 初めての場所、初めての共演者と共に、無言の会話をするようにスムースなキャッチボールを行って行きながらストーリーが作っていくことが、即興のストーリーメイキングとなるのです。 はて、これはライフスタジオの撮影もそう変わらないのかな。と共通点を自然と感じてしまいます。ほとんどのお客様が初めましてですし、たくさんご利用いただいているお客様ともまだお会いした事が無い方もたくさんいらっしゃいます。 初めての場所、初めての撮影、初めての撮影者と被写体。何ら変わりはないのではないでしょうか。 「こんにちは、始めまして。」 だとしたらお互いに相手に対する情報が皆無の為、「この人は大丈夫かな~」と子供から視線を貰う事もあります。当たり前に緊張と警戒心から防衛本能が働くことは仕方のない事です。特に写真の彼は大変緊張しており、表情からいわゆるガチガチだという情報は伝わってきます。さてさて彼との撮影はどんなストーリーが作られていくのだろうか、それが即興ストーリーメイキングの楽しみの醍醐味のような気がします。 では話を戻すと、ライフスタジオの撮影は撮影条件がある程度決まった状態にあるところでスタートしますので、スジナシの様な形式に近い事が分かります。撮影の条件とはまずここでは、インテリアと小物。箱という事になります。 目に見える、必ず写真に写る要素です。この要素とうまく付き合っていくことができなければ、ストーリーメイキングとはいう事が出来ないと考えます。 こと写真撮影になるとこれが出来ない状態に陥りやすくなってしまいます。その結果の写真から見受けられるものは、形は綺麗なのだが、なんだか物足りないな…そんな印象の写真と出会ったことはあるのではないでしょうか。 インテリアと小物は、写真に必ず映し出される大きな要素の反面、被写体を活かすための道具であるという側面があります。つまりはこの道具をうまく使いたいから被写体をこのように配置するとしてしまった場合には、主役はどっちだ?と根底的な矛盾点が生じてしまいますね。 道具の適切な使用方法は、人の目的に対して可能にするために使うものです。例えば、喉を潤わしたいときにコップに水を汲む時もあれば、何十年前かにはベラ(淡水魚)を気軽に持って帰れるようにコップに入れて販売がされていたり、近所の公園に行くと子供たちが効率良く砂場を掘るのに使用していたりします。 つまりインテリアと小物も、目的に対して適切に使用されることが無いのであれば、使用価値を失った物体として写ってしまうのです。 まずストーリーメイキングに必ずなくてはならないものは、人の心の動きです。喜怒哀楽が見えない即興劇に、お金を払いたいとは思いませんね。 ライフスタジオで言う自然な流れというものが、ここに当てはまります。勿論被写体の彼はもちろん役者ではないので、よりリアルな感情が映し出されることは容易に想像がつきました。 まずは演じる場所をよく観察してみてから決めます。 私自身新横浜店在勤ではないので、インテリアも新鮮な要素です。ジーと20~30秒ほど観察し、光やなんやらの条件が良いところを選びます。すると新横浜店にはストーリーメイキングにもってこいのインテリアがありました。 2Fの海外のバスルームの様なインテリアです。シャワーがあって、タオルがあって、椅子があって。ここら辺で撮影シーンのイメージがぐっと固まる感覚になります。 「いたずらな水遊びのストーリーを作ってみよう。」 この時に使用レンズは24-70に切り替えておきます。いたずらな水遊びをしているというテーマを作るにあたって、望遠レンズの特性が一緒に遊んでいる雰囲気を撮るには少々難しいと感じたからです。彼だけの水遊びだと、本当のいたずらになってしまいますから。 共に遊ぶ仕掛けを考えておきます。 これは単純に水かけっこにしました、水遊びで一番楽しいのは相手を水浸しにさせる事だと思います。 本当の水は出せませんが、ストーリーを作るにあたって見えない水を出すことは出来ます。 まずは「服着たままでシャワーだ!」といって彼に蛇口をひねってもらいます。ひねった瞬間に高いテンションでわー!びしょびしょだ!なんて言いながら、見えない水の存在を現場に作る事が第一条件でした。 そこからシャワーノズルを持ってもらい、「お姉ちゃんにもかけちゃえ!」と促します。コーディネーターのユキちゃんも、ワー!やめてーー!なんて言いながら乗って来てくれます。ナイスユキちゃん。 最後は床に置いてあるバスタオルで、「早く拭かないと風邪ひいちゃう!」なんて言葉でまくし立ててみます。 水でびしゃびしゃ→シャワーで水かけっこ→タオルで大胆に拭く この流れがストーリーメイキングの筋になりました。 写真にはシャワールームは写っていませんが、この写真の背景は以上になります。 写真奥の緑のエリアを庭と設定し、無機質な格子を大きく奥行きを感じるように写し込むことで、被写体の仕草と表情に目線が行くように設定し写真を撮りました。 構図は何かというと点構図に近いです。規律的な格子を前に、あえて小さめに動きをメインで撮る事により、写っている面積は少ないが写真に与える存在感を強く出すために、左側にポツンと配置しました。アップの写真になってしまうと、せっかくの動きや仕草を感じづらく、表情先行的な写真になってしまう可能性が高かったからです。 あくまでも道具とは、目的に対して適切に使用される事が大切です。 ここでは流れと共に楽しむために「「いたずらな水遊びのストーリー」を作る事が私の目的であり、単純に楽しみたいという感情が彼の目的だったのだと思います。 最後に私の要素をどこに入れようか、遊びながらも目は真剣に色々なものを探します。 爽やかな休日のような、ふわっと包み込んでくれる逆光に私の意図を、最後に込めました。 タイトルにある疑問にかえります。 ストーリーメイキングは必要か。 空間と人が一致された写真が良いとされるならば、必要だ。と思います。 そして私は、そこからにじみ出てくる感情は、物と人をくっつける接着剤のような物だと信じています。
『Yui』
2018/3/1
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新横浜店写真分析 人に写真に自分自身に深く入っていきたい。 どうやったら良い写真を撮れますか? 突然の質問でしたが、頭の中を独り占めした質問でした。 お蔭でその後何度も自問自答した日々が続きました。 これまでの経験の中で唯一私にも人に教えることがあるとすれば、 『良い写真を撮るためには、人に写真に自分自身の深く向き合っていくということです』 つまり、目の前にいる人と良い関係を築くことが良い写真に直結する考えます。 例えば、自身がカメラマンの場合であれば、共に撮影を創り上げるコーディネーターとお客様 この二つの対象に向けて自ら良い関係を創らなければいけません。 今回は直接的に自分の写真を変化発展(良く)させるための方法について思考してみました。 結論から言うと写真をもっと良く撮りたいのであれば、顧客対応(接客)を変えなければいけません。 つまり、私たちの撮影スタイルの傾向を大きく変えることが必要です。 今現在ライフスタジオはカメラマンとコーディネーターの二人一組で撮影をしています。 先ほど話した撮影スタイルの傾向を大きく変える極端な例として 例えばコーディネーター不在で、カメラマン一人で全てのことをやるという設定になったら必ず写真が変わると思います。 想像してみてください。お出迎えからカウンセリング、要望を聞いて衣装提案 家族写真の時の声掛けとして目線表情ポーズを引き出すこと、またソロ撮影になったときは 被写体を自らの言動で動かして、時にはお父さんお母さんを巻き込みながら撮影に協力してもらうことをしなければなりません。 また、モニターも自ら行い自分の写真について想いを述べたり商品を提供することなどなど 撮影の1から10までを自分一人でやることになったら・・・。 確実に自分自身の環境と条件が変化せざるをえないと思います。 具体的には、撮影前は、お客様をもっと深く見ようとするし、もっと話しかけたり質問すると思います。 また、撮影中は沢山の動作で投げかけると思います。つまり、自らの言動が通常の10倍は増えると思います。 2時間という短い時間の中で、自分自身の頭の先からつま先まで全神経を稼働させお客様と向き合うことが 私の考える人に深く入るという事です。一度、試してみてください。必ず良い汗かけます。 ちなみにこのYuiちゃんの撮影ではおいちゃんがコーディネーターで入ってもらっていますが ほとんど一人で撮影させてもらっていて、ポイントが欲しいときにおいちゃんにサポートしてもらっています。 もちろん、現実的に一日3件の撮影を一人でやるというのは難しいですが そのような気持ちで撮影をすることは可能だと思います。 まずは、深くお客様と向き合うことの意識を持つという事が必要です。 そうすると人や家族はみな違うように、お客様の反応は十人十色です。 その反応に合わせて自分がもう一度投げるというときにいかに自分の人に対するレパートリーが試されるのです。 そのレパートリーについては、ライフスタジオの学習や教育が関連してきます。 つまり、人を深く知らなければ人を本当の意味で映し出すことが出来ないというこです。 今までライフスタジオは読み・書き・討論という方法を用いて様々な学習を行ってきました。 しかし、その学習にかけた労力と現場での結果物がリンクしているかという評価については、 ある一定の時期は効果的に写真にもその学習効果が表れているように感じることがありましたが ここ数年ライフスタジオ全体的に写真の変化発展が停滞しているように感じます。 具体的には、1枚の写真に対してはライフスタジオ全体の質は10年前よりも確実に成長していると思いますが 75CUTの原本という観点で見るとここ数年変化が鈍くなっているように感じます。 Nasの普及で気軽に他店舗の原本が見れるようになったお蔭で ライフスタジオの写真の質を今一度見つめなおす機会を貰えた気がします。 これから写真の話を深くする機会をもう少し増やしていきたいと思います。 次は、技術的な側面からも話していきたいと思います。 今回の写真を構成要素のポンイントを3つに絞りたいと思います。 人が主体となる写真を撮りたいと考えた末の主体と副主体のバランス 被写体とどう向き合うかという想いが伝わるカメラアングル 事前準備のクッションとラグ効果により被写体の自然な動きを引き起こそうとした被写体を動かす力 上手く伝わるか分かりませんが今回の写真分析はなるべく 写真に対するマインドと技術を繋げて説明していきたいと思います。 まず初めに、『人が主体となる写真を撮りたいと考えた末の主体と副主体のバランス』について考えた事を話していきます。 私達ライフスタジオは被写体の美しさを表現するという事を念頭に撮影をしています。 目的は人であり、美しさを表現する技術はあくまでも目的ではなく方法であると考えます。 しかし、ここ数年の写真を見てみるとそうですが私自身も含め目的の人が置き去りとなっている写真が増えているように感じます。人が置き去りになっている写真というのは 写真の構成要素の中で被写体以外の要素が被写体よりも目立ってしまうという意味です。 例えば、インテリアとあまり関連性のないコーディネートで何となく撮影している写真や 被写体と色味の合わない前ぼかしを用いて被写体を隠してしまっている写真や 光の特徴だけが先行してしまい被写体と光の効果がミスマッチな写真など 被写体をより引き立たせるための技術を用いらなければいけないのに技術だけが先行している写真を見かけると 写真から伝わるライフスタジオらしさが薄れてきているように感じます。 今回の写真はそのようなライフスタジオらしい写真とは何かを追及していった過程で生まれた写真です。 私の考えるライフスタジオらしい写真は『被写体が主役になっている写真です』 今回、主役の人を引き立たせるために効果的な表現方法として主体と副主体を一枚の四角に適切に取り込んだ手法です。 この写真の場合、被写体であるYuiちゃんが主体でそのYuiちゃんの左斜め後ろにある茶色い椅子が副主体になります。 この副主体があることによって、縦写真の重心が下に来ていることがより強調されますし、写真が安定して見えます。 もし、被写体と椅子の配置が逆になっていたら、写真が不安定に見える事が予想されます。 不安定な写真は基本的に人の心に響きにくいと考えます。だから私は基本安定的な写真を残すよう心がけています。 また、椅子の効果により空間の立体性が感じられより写真に奥行き感が得られました。 その効果により、Yuiちゃんの存在感がより引き立って見えるよう演出することが出来ました。 なので主体をより引き立たせるための副主体は効果的に用いることにより写真を見たときにより人の存在感を強調させることができます。 次に、『被写体とどう向き合うかという想いが伝わるカメラアングル』という事について話をしていきたいと思います。 基本的にカメラアングルとは撮影角度のことを言います。 また、その角度によって被写体の意図的な見方を意味します。 またそれぞれのアングルによって異なった表現方法をすることが出来ます。 基本的に子供の撮影は子供の高さに合わせて撮影されていきます。 何故ならば、子供の立場に立って同じ目線で同じものを見つめることで被写体との親近感を生み出すことが出来るからです。 よく、保育園や幼稚園の先生が子供たちに真剣に話しかけるときは先生たちが子供の目線と同じぐらいになるように 先生がしゃがんで話しかける光景を見かけたことがあると思いますが その時の先生と同じように私達撮影者も子供と真剣に向き合うためには自分のアイレベルで話しかけるのではなく 相手のアイレベルに自分が合わせて話しかけるという動作が誠実な人柄の行動に繋がると考えます。 ですので、今回の写真のカメラアングルは身長90㎝のYuiちゃんが寝っ転がって遊んでいる光景を 172㎝の私が最大限しゃがんでしゃがんでYuiちゃんと同じ目線で見つめあおうとした結果が このカメラアングルに繋がったのです。 例えばこの瞬間私がしゃがまずに上から見下ろすようなカメラアングルだったら、 Yuiちゃんとの一体感が生まれずらかったと思います。 何故ならば、Yuiちゃんがこの態勢で172㎝のわたしを見上げようとしたら体の構造状首を上げずらいと思います。 また、声を掛けて目線を引いた瞬間、首を上げずらいと思うので きっとYuiちゃんは起き上がって私の返事に反応すると予想できます。 そうした場合この態勢だから撮れた、Yuiちゃんも丸々した可愛いヒップラインや 白いセーターからチラリと見えるムチムチした子供らしい手足など美しい要素が奪われてしまいます。 このように、被写体とどのように向き合うのかという姿勢とカメラアングルは密接な関係があると考えます。 最後に『事前準備のクッションとラグ効果により被写体の自然な動きを引き起こそうとした被写体を動かす力』 について話をしていきたいと思います。ライフスタジオのカメラマンとして必要な能力として良く話される 被写体を動かす力ですが実際どんな力なのかと考えると、私なりの解釈になりますが 被写体の性格と性質を見極め写真のコンセプトやイメージに合わせた環境と条件を提示しながらも被写体の動きを予測したうえで の準備と投げかけがもっとも重要だと考えます。 今回の一枚で説明すると、この写真のイメージは『無防備な寝起き女の子』というイメージを抱きました。 それに合わせて自分の部屋によくありそうな、椅子やクッションや毛布やラグや簡単な家具などをインテリアの色味に合うようにセレクトして無造作に配置しました。皆さんもそうですが、休みの日に二度寝したいときや休みの日に リビングでグダグダしているという日常の光景があると思います。 そんな時心地よく二度寝できるような条件が身近に揃っていると思います。 それが、枕やクッションや毛布などがある空間です。そのように撮影空間という日常からかけ離れた環境ではありますが 私の撮りたい写真イメージが日常の一コマだったので、なるべく日常を象徴するようなインテリア小物を準備しました。 この準備というのが撮影者自ら作る環境と条件を意味します。 また、Yuiちゃんの性質や似あう雰囲気など予測してここに寝っ転がってみてと言ったときに きっとその通り、それ以上にいい感じで寝っ転がってくれると予測して声掛けをしました。 よってこのような寝起き態勢を引き出すことが出来たと思います。 ここまで沢山の話をしたのでもう一度整理すると、 良い写真を撮るためには 良い関係性を自ら主体的につくること 良い関係作りを深くするために自分の顧客対応に変化を加えること ライフスタジオらしい写真とは何かを考え実践すること ライフスタジオらしさを学ぶために読み書き討論を持続的におこなうこと 被写体を主体とした撮影をするために適切な技術を用いる事 持続的に自分の写真を分析し続け誰かとそのことについて対話すること 良い写真を撮るために何をしたらいいのか正解は私にも良くわかりませんが それに対して持続的に考え、規定し、実践し続けることで今日よりも明日、明日よりも明後日 そのようにして自分の成長や写真の成長を感じることができるのだと思います。
見えている世界
2018/2/28
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この2ヶ月間、ありがたいことにたくさんのワンポイント店舗のスタッフが草加店にヘルプで来てくださいました。 店舗以外のスタッフがいると、その日の店舗の雰囲気も変わり、撮影にも反映されます。 普段、他の店舗で撮影している先輩が草加店で撮る写真は、新鮮味があって、なるほど!ここからこうも撮れるのか!と、新たな資料がたくさん増えました。 先輩が来てくれた日には、必ずと言っていい程、私の写真を見ていただきました。 今の私に必要なことは何か? どうしたらもっと良くなるのか? たくさん写真についての助言をいただくことができました。 所沢店のボルボ店長が来てくださった時には、 背景処理と前ボケの種類について指摘をいただきました。 お恥ずかしいことに、背景処理という基本的なことを指摘されてしまうとは。。。 撮り慣れてくると忘れがちな基本を見直す機会となりました。 インテリアを再度見つめ直し、立ち位置と背景とのバランス。 切り取り方のバランス。 今までより、よ〜〜く見るようになりました。 すると、撮り慣れている場所での撮影も見える範囲が広がりました。 今まではもっとズームをかけて切り取って撮影していた空間も、一旦見回すことで、天井近くの斜めの梁に気づきます。 子供たちが時折「なんであそこにハシゴがあるの?」と指差し、「そんなのあったっけ?」と言われて気づいた並列する板も写りました。 「見慣れた目で見ない」とはこのことか、と1年以上在籍する店舗での新たな発見をすることができました。 私が見えている世界は、私が狭めて見ている世界であって、 私が見ようとすれば世界はもっと広く見えるのだと。 大層なことを言っているかもしれませんが、いつも撮り慣れている空間での新たな発見はかなりワクワクします。 このバランスよく配置されたインテリアに、被写体を入れます。 被写体は写真内ではわずか1割くらいの割合でしょうか。 たった1割ではありますが、背景の木と左側の孔子を避けてバランス良く配置された被写体の存在感は確かです。 前ボケにカーテンを使用し、被写体以外への注目を隠す効果をつけました。 足を見てもらう指示をすることで、被写体に動作をつけ、より被写体への注目を集めました。 なぜここでこのポーズをとらせたかと言うと、 会話の中で、彼女はフラダンスをやっているそうなのです。 彼女の名前もハワイ語からとったんだとか。 草加店はあくまでも草加市内になって、ハワイアンな雰囲気はありませんが、緑を多く入れる工夫や、花冠や肩の出た衣装を着たりして、少しでも彼女の雰囲気に近づけられないか、と思ったからです。 さらにスカートながらも足を伸ばしたポーズで、彼女の自由さを表現しました。 この空間には彼女しかいないような、わずか1割の美しさに気づくことができたのも、私の視点が見える世界を変えたからです。 インテリアの構造に気づくこと、 被写体の真実を知ろうということ、 私自身の能力に向き合うということ。 ボルボさんの言葉と、この1枚が教えてくれたような気がします。 Photo by Lisa Coordi by Kai
好奇心
2018/2/28
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Photo by Tamada Coordinator by Shibata 好奇心 知らないものを知ろうとすること その日出会った彼からは撮影の中でたくさんの興味と、それに反応する表情を見ることができました アシスタントと一緒に何かをして遊ぶ、というよりは ひとりで駆け回り色々と散策したりする姿が多かったです 撮影の中で驚いたり笑ったり、時には自らの世界に入って何かに集中することも たくさんの動きの中で今までの撮影で見たことなかった彼ならではの様子がありました それは屋根裏部屋をイメージしたインテリアの中で、彼に箱をひとつ渡し 「中から音がするかな?」 と簡単な投げかけをしてみた時です 多くの子供は箱を振ってみたり、 耳に当ててみたり、勢いよく叩いてみたりします しかし彼は箱を包んでいた包装紙を躊躇なく破り始めたのです 普通だったら撮影道具でインテリアの一部の為、止めたり他のおもちゃに変更して遊ばせたりすることが多いと思うのですが、 この時溢れた感情は 「今まで見たことなかった新しい動きが見れて面白い!」でした 一緒に撮影に入っていたしばちゃんもそれを汲み取ってくれたのか、「いいよいいよー!」と止めることなくその姿を見守っていました 子供が屋根裏部屋に隠れて、たくさんある箱を散らかしたり開け始めるというその悪戯っ子のような小さな彼の姿がインテリアととてもマッチしており、そんな彼の好奇心が溢れている様子を覗くことができました。 いつしか大人になってから 全てを知っているようで、まだ知らないものとの出会いが溢れていることを忘れてしまっていることがあります 動かなければ、その狭い世界だけで知った気になって留まってしまう 逆に少し動いてみるだけでも予想していたことより何倍もの新しいことが見つかったりもします 知りたい この先に何があるのだろう そんな気持ちが子供の頃は特に大きく私の中にもありました それは大人になっただ今でも残っており、きっと幼い頃に新しいことへの道を開く楽しさを実感していたからだと思います 以前、今まで暮らしていた関東から三重県という行ったこともなく知り合いもひとりもいない土地へと大きな距離を引っ越しをするということがありました その時も新しい土地への不安やうまくやっていけるかという恐怖より こういう機会がないと行けないし、まだ新しい人との出会いがあるだろう!と楽しさやわくわく感のある気持ちが大きかったのを覚えています 子供の頃から自分の中で制限をかけて あれをしちゃダメ、これは禁止、など身近なものを次々とシャットアウトさせてしまっていたら、 その新しいことへの好奇心は今より遥かに薄れてしまっていたことでしょう こどもが見ている世界にはたくさんの新しい発見や遊びの基があります。 その体験をより多くさせてあげて、こころ踊る時を実感させてあげること それが大人になっても忘れられない大切な記憶となり、また新しい何かを生み出していくのだと思いました。 Tamada
瞬間の力
2018/2/28
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私たちが求める美しさの中にはどんな要素があるのでしょうか? 美しいと感じるものは人それぞれで 美しいと感じる対象物もまたそれぞれです。 一般的には、絵画だったり場所だったり 音楽だったり踊りだったり、人物だったり写真もその対象になり、それらほとんどが観るものという共通点があります。 今月にアンリカルティエブレッソンという 歴史的に有名な写真家の映画をみんなで見る機会がありました。 アンリカルティエブレッソンといえば、決定的瞬間というものが有名で、構図とタイミングの重要性について話しているものが多く、何を写すかではなくどう撮ったかを重要にした人物です。 何気ない毎日や見飽きた風景などに構図の力と何かの瞬間を融合して面白く仕上げていき またその瞬間は手を加えるのでは無く、スナイパーの様にひっそりと構え撮影をしていくスタイルです。 それについて彼はリアリティの追求だと話していました。 その映画に出てくる言葉にライフスタジオと共通するものがあると感じ何点か紹介します。 相手と打ち解ける事 無理強いするとその人を失う 多くのことを物語る写真が良い写真 写真家になるためには知識より見る目 自分がいるからこそ写真が生まれる 写真が自分の人生を写す 本当の知識は経験から 人は細部を見る 撮影者には瞬間を選ぶ楽しさがある 一瞬で決まる などでした。 紹介したのはごく一部でしか無く、またその意味について真に知り考える必要はありますが、この映画から共通点を感じたと同時にライフスタジオが求める美しさについて新たに考えるきっかけとなりました。 ライフスタジオのマインドに出てくる美しさは平穏という言葉が付いており、平穏という美しさという言葉で表しています。 平穏な毎日が過ぎていくとよく聞きますが、平穏というのは変わりなくおだやかな様という意味で、平穏は目には見えない存在です。 上記の、人が美しいと感じるものを考えた時に観るものという共通点がありましたが、平穏という目に見えて存在を美しくということは、瞬間的な意味を持つのではないかと考えました。 平穏と感じるのは人それぞれで、だからこそ相手と関係を深め知る必要があります。 写真に写る彼女は年齢的には2歳の女の子で この時期の特徴としては、自我が芽生え始め自主的に何かをやるのが楽しいと感じる年頃です。 そんな時期の彼女にも平穏を感じる瞬間はあり、今この場所でそれは何かについて考え撮影していきました。 彼女は暗い所が苦手で明るい場所を好みました。 また階段を登るのに楽しさを感じていた。 そこで隣の部屋で撮影していたのを一旦辞め、階段と明るい光が入るこの小屋で撮影する判断をしました。 この小屋に来た瞬間、彼女が夢中になって楽しそうに遊ぶ一面が表れ、明るい場所と大好きな階段と彼女の動きが上手く引き立てあうタイミングという決定的瞬間を待ったのがこの一枚です。 ここで撮影者がカッコ良く暗い写真を撮りたいと考え行動していたら、今の彼女の時期では平穏という感情は出なかったのではないでしょうか。 被写体は一人一人違います。 だからこそ年齢の知識や人についての哲学を通し、それぞれを理解することを通して相手を深く知る必要があり、そこから新たな一面が表れてくる。 また綺麗に型にはめるのではなく、被写体の美しく見える部分を引き出す事が重要で 楽しむ空間からお互いに心を楽しませ、お互いが自然な姿から、被写体自身の気づいていない美しい部分を私たちが発見し記録することが必要なのではないでしょうか。 その為にはカウンセリングの際の会話も重要だし、洋服選びやインテリアの選択、声のかけやポージングなど様々な構成力が必要になります。 美しいものとは、音も絵も、踊りも芸術も、思想をイメージ化し日々を潤して、毎日の生活の中で味わわれているものですが、私達の写真の美しいという要素は、日々の生活に寄り添い豊かにさせてくれるものではないかと考えました。 結果、美しい写真の要素に含まれるのは、カメラの性能や技術ではなく、撮影者や共に作るコーディネーターや家族が、このかけがえのない時間で何を築き残したいものに意識を向けられるかやどれだけ私たちがそれを伝えられるか、撮影者自身の観ようとする目と築いた関係性をどこまで大事にでき、色んな要素を判断しその瞬間を作り上げられるかが重要なのではないかということです。 出会いの分だけ形がある。 この場所では平穏という美しさを通して、成長の豊かさや深さも知れる場所でもありたいと更に思わせてくれる一枚でした。 Photo by Shie Coordinate by Gahee
Moment
2018/2/28
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写真は瞬間の芸術だ。 自然な感じの写真を撮るために私たちがやるべきことは何でしょう? 今回スタジオKでアンリカルティエブレッソンのドキュメンタリ映画を見ました。 アンリカルティエブレッソンは「決定的瞬間」で有名な写真家です。 名前は聞いたことないかもしれないですが写真が好きな人だったらたぶん彼の写真を見かけたことはあると思います。 「決定的瞬間」で有名なこともあり、彼の話をするときは必ず瞬間の話が出てきます。 瞬間でシャッターを切って写真を1枚残すという作業ですが、デジタルカメラがなかった時代フィルムカメラで瞬間を抑えるのはその瞬間が来ることをカメラマンはずっと待って構図、光など計算した上で抑えた貴重な1枚だと思います。 彼の言葉の中で自分に響いた言葉があります。写真家になるためには知識が多いことより必要なのは見る目だという言葉です。 写真はどうしても自分が描いている写真、自分が考えた構図、光、ポーズなど全部がマッチングしてからその人の写真というのが出てくるのだと考えていています。 なので写真は個人によって差がありますし、同じ子供を撮影してもカメラマンによって全然違う写真が生まれます。 どの瞬間でシャッターを切るかによって全然違う写真が生まれます。写真の要素のすべてがカメラマンの意思で決められ、写真として提供されます。 お客様から「自然な写真を撮ってください」という言葉をよく聞きます。 自然なことはその子が動いている瞬間を抑えることですが、アンリカルティエブレッソンの言葉とすごくマッチすることだと今回考えるようになりました。 撮影前は分からないですが、撮影をしていくうちに子供が好きな遊び、おもちゃ、動きを観察しそれを写真で表現していきたいと思っています。 そのときに大事になってくるのがコーディとのコミュニケーションと二人のイメージがどれぐらい合っていて息が合うのかだと思います。 実際撮影に入ってみるとお互いに写真について話をしたり子供について話をするのとしないのはかなりの差があります。 例えばカメラマンは光が入っている場所で明るいイメージの写真を撮りたいと思っていたとき、コーディも同じイメージを持っていたらそれに合わせて声がけ、小物の準備などが出来、カメラマンとコーディが思い描いている写真が撮れると思いますが、そうじゃなかったときにはお互いかみ合わないまま写真撮影になってしまいます。 今月青山店の写真主題は直射日光でした。 青山店の窓から入ってくる自然光を活かしていつでも撮影できるようにみんなで光について話をしました。 直射日光を活かせるポーズとは?撮影のときにあいそうなコーディは? いつの時間に光が綺麗に入るか、場所によってカメラマンの角度によって変わるけどどこで撮影すればいいか。そのときに声がけは? など直射日光で撮影をする上でまずいろんな疑問を持ってみんなで話しながら自分がイメージするものを固めて行きました。 その中で自分が撮ってみたい写真というのも出てきてモノクロの写真を撮ってみたり子供にポーズをやってもらい決めきめの写真も撮ってみたりしました。 その時にちょうどみんなでみたアンリカルティエブレッソンの言葉がすごく響いて、直射日光の主題の写真を撮影するときに私がイメージしたものと子供のリアクションを合わせて表現できないかと思いました。 子供が瞬間で見せてくれるもの、そこに必要な声がけなど。 自然光がいっぱい入ってくる窓側に座ってもらい窓側を見てもらいました。 光側にどんどん顔を向けてもらったときに出てきた彼の表情を切り取りました。
言葉と関わること
2018/2/28
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人といると感じるのは 自分に人が どのように接しようとして 私がどのように接しようとしているのか ということ ただ我が儘に 甘えていたとして それを受け入れてくれるとしたら 相手の中の何かしらのバランスを 崩してくれているのだろうと思っている でも 例えばお互いが譲らずぶつかり合ったとしても 当たって崩れた分だけ 一致する面は増える それが人にしかできない能力なんだと思う 少し距離のある中で カメラを向ける そのことが今でも不安だ 撮りに来ていただく そのこと自体ですでに 私が撮ることは許されている ただそれでも 私を受け入れて貰えるだろうかと いつも考えてしまう 写真1枚を見て コーディネート+色合い+光 の安定感があるとか こういう話になるけど よくよく考えてみると バランスって何なんだろうと思う 直感 感覚 加えて、 目に見えない空気 写真だけのことを 考えていて 写真は撮れない 人にカメラを向けるとは つまりそういうことなんだろう 一番にあるのは 「楽しい」感情であって欲しい その中でバリエーションを作り出すこと=言葉のバリエーションなんだと思う 「少し下を見て」以外にどんな声かけができただろう 彼女とこの前後にどんな話ができただろう 同じ撮影は決して無い でも私たちは同じだけの時間しか過ごすことはできない それなら濃い時間を過ごしたいと思う お仕事で先に出られたパパを見送ってから 店舗までの坂道を 手を繋いで帰ったこと 彼女はどんな気持ちでいてくれたのか そんなことを思いながら この文章を書いている
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