フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

10分の幾つ

投稿日:2018/3/31

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写真とは

そこにあるものだと思っていた
 

もしかしたら今も少し、そうかも知れない
 

それはデジカメとか
スマホとか
簡単に撮れるものだからではなく
 

用意されたインテリアや
コーディネートや
被写体を私が追っている(物理的にではなく感覚として)
からである
 

どんなカメラを使うのかだけが
ここで写真を撮る意味なのかと思ったりして

写真は芸術である
ということがいまいち理解できていなかったのかも知れない

 

彼にここに来て欲しい
と思うのは何故か

光があるから なのか
 

もし、カメラマンになっていなければ
日常的にこんなにも光を意識することはない

窓際から光が入って
そこから私に向かって光がきて
カメラの前にガラスを置けば
光は広がって…と
 

被写体のうしろ
カメラの前までに写すもの

それを探る自分の動き自体が
創作だというのかも知れないが

でもただそれだけなのか
 

写真1枚を1人でつくるわけではない

ポーズをつくる過程でも
私の言葉の伝わりかた
彼の動き
 

例えば指先の曲げかたにしても
見えているものは全て写真になる

常に考えているのかと言われたらそれはあまり自信がないけれど…

 

被写体を動かす
動かした先に被写体は自らの表現をしている
そうしてはじめて表現者は揃う

 

その証拠に結局はシャッターを押すまでイメージを確信できない
 

私と被写体の表現
10対0は絶対に無い

その比率が様々あって
それぞれが完成された写真であるように…
 

出会いからすでに創作がはじまっている
 

そう思うととても面白い芸術だ
 

 

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