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店舗フォトジェニック集
ライフスタジオで撮影した各店舗のベストフォトを集めました。
好きなことを
2018/5/31
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好きなことを スタジオに撮影しに来てくれる赤ちゃんたちの動きを見るとみんな好きなように動いて興味あるものを触ってみたり、声を出したり、自分の気分、動きを全力で表現しているんだなと感じます。 初めて出した声。 初めて歩いた一歩。 初めてママパパの動きを真似したり。 初めてのことが多い赤ちゃんのとき。 徐々にそれに慣れてきて小学校に入って中学校に入って。 周りのいろんなものを吸収して自分を作って行きます。 自分が赤ちゃんのときには覚えていません。 特に記憶のない赤ちゃんのとき。 でもどれぐらいお母さんとお父さんに大事にしてもらったのかスタジオで撮影していて気づくところがいっぱいあります。 ご飯のときもお母さんに何年も手伝ってもらう時期。 言葉にしても物事を覚えるとしても親が何百回教えてくれてやっと覚える時期。 赤ちゃんのときからみんなは変わらないものを持っていると思います。 好きなことをすること。 好きなことすることで他の人よりそれに興味を持ち、時間を費やして上手くなる。 自分が興味を持っていることをする時間があるからこそ成長できるんだと思っています。 撮影のときに好きそうなおもちゃを何個か置いてみんなで見守っていました。 動き出す彼女。 小さい体で大きいクマのぬいぐるみに抱きついたりぶつけたり、倒して上にのったり。 ぬいぐるみと遊ぶ彼女の姿を見てママさんパパさんも私たちも笑ってしまいました。 全力で遊び。全力で笑う彼女を見てすごく力をもらった気がしました。 Jiyugaoka Photo by serin Coordinate by Kiji
今日という芸術
2018/5/31
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Jiyugaoka Photo Photo by Ren Coordi by Asana Title : 『今日という芸術』 写真は現実に充実な記録であるために、すぐ古くなり、記録となる。 一度見た現実は次にはもう過去のものとなってしまう。 だから、一枚の写真は「今日」という芸術だと思う。 今日の現実のなかに、今日のわたしにつながってからこそ生み出される。 今日を感じられなくなった人には“記録”としてしか認められない。 この日出会ったのは、3才の七五三で撮影に来てくれた女の子。 実は彼女、朝まで風邪で熱があったらしく病みあがりの状態だった。 ママさんと私は大丈夫かなと思いながらも彼女のテンションを下げないようにそういう素振りを見せないようにしていたが、大人達の気持ちをわかっているかのようにルンルンと楽しそうに鏡の前でメイクをしてもらっていた。 心配していたことが恥ずかしいほど元気に撮影についてきてくれる彼女をみて「今日」の彼女をどう残してあげたらいいんだろうと悩んできた。 とっても元気な彼女の動き、そして彼女を包み込むような暖かくて強い光。 窓の柵が影を作ってくれて外から入ってくる光の動きを表現してくれた。 そして広い場所で解放された彼女がキラキラした目で“次はななして遊ぶ?”と聞いているような目でわたしを見つめていた。 “次はくるくるして遊ぼ!”と声をかけてあげた。 そしてファインダーのなかにいる彼女と目が合った瞬間シャッターを切ってみた。 彼女のなかで「今日」はどんな一日だったのかな。
意志との連動
2018/5/31
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どちらかといえば 理性的であって 本能的ではない どちらにも悪いということはないが 私はブレーキを利かせすぎる 例えば個性という言葉に悩まされるのは 結局は模倣から抜け出すことはできないからだ そしてはじめからそれを分かっている (と思っている) たが模倣ならば ある程度保証がある それを個性だと言い張れば 私も傷つかず 自分自身をごまかすことはできる …そうは言ってもこれには 危険があるわけで.. 模倣からかけ離れることに対して 見えてしまう自分 それを隠す方へ進んでしまうことだ 理解されたい 当然の思いだが それが一番になれば 誰かの理解の中へ飲み込まれていることに 気づかないまま 自分の感覚へ変わってしまう 私がいつも フォトジェニックを選ぶとき 誰かの意見を必ず聞いている そういえばそうだ そしてこの写真も 「綺麗だと思う」 の言葉に後押しされたからだ だが私には 「綺麗だと思う」 それ意外にどんなことを語れるだろうか 間違いなく この写真を撮った時に テンションは上がった その感じは確かだ だが 私が撮ったという絶対的要素を 語るにはどうしたら良いだろう 絶対的要素 …本当にそれがあるのかはわからないが 私が解釈し 伝える言葉が多ければ 誰かの理解を優先するのでなく 自分の感覚を理解しようとする方へ 必然的に変わっていけるだろう 今のところは それくらいしか方法はなさそうだ そうしたら 少し踏み込んでも 自分の意思で 楽しめるようになるだろう 今はまだ 「綺麗だ」 まずは大事だけど 本当に語りたいことを 語ることができるように…
Reason,
2018/5/31
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Photo&Write by Reiri Kuroki Coordi by Kazuma Gomei @Yokohama Aoba 「どんな写真が撮りたいですか?」と問われた時、浮かんだ答えはひとつでした。 「写真を見たそのひとが、自分という存在を肯定できるような写真を撮りたい」。 私は、ひとの写真を撮っています。 ライフスタジオでカメラを持つ以上、基本的には常に『ひと』と向き合っていて、カメラという機械の色んな機能を駆使しながら、その『ひと』を写真で表現する、ということをしています。 そのひとを写真で表現する、なんて言葉は言うが易しで、実際に具体的にどうそれが反映されたかなんて、本当のところはわかりません。 表現は多様であり、見る人によってその受け取り方は千差万別であるからです。 それでも、被写体の前に立ち、よく観察し、そのひとの情報をかき集めながら、その場での最適解を探します。こういう感じなのかな?と仮説を立て、それに基づいた検証を経て、『こういう感じ』を規定し、それをベースに発展的な表現を模索します。 そんなプロセスを経て撮られた写真を、そのひと自身がどう受け止めるかは自由です。 ただ、願わくば、その写真がそのひとにとって(あるいはそのひとを大切に想うひとたちにとって)、新しい魅力を発見するものであったり、そのひとを大切に想うひとたちの愛情を感じられるような、そんな伝わり方をすれば良いなぁと思っています。 だからこそ、撮影者としては自分の写真表現を、撮影技術を、追求していかなければなりません。 折に触れ言っていますが、芸術的な表現の為の撮影技術のみを追求する程ストイックな『写真家』ではありませんが、自分がライフスタジオのカメラマンとして『写真を見たそのひとが自分の存在を肯定できるような写真』を撮りたいのであれば、その為の努力は惜しみません。 横浜青葉店の写真担当であるこばちゃんは、個人のテーマやシャッターへの動機を尊重して、写真主題を設定してくれました。 彼女と話しながら、改めて自分が見直していったのは、『光』でした。 『光』は、その写真の世界観を決定づける、極めて重要な要素であることは言うまでもありません。 自然光やライトボックスの光に始まり、その方向、強弱、硬軟等々、様々な側面から『光』を分析していくことができます。そして、その様々な要素をどう構成していくかにより、写真はまるで異なる印象を与えるでしょう。 微妙な変化と効果を、被写体の表現に合わせて使用するには、それを知っていなければなりません。 強い光がもたらす効果やイメージ、弱い光が持つ印象、柔らかい光はどのように被写体に当たるのか、硬い光が描くエッジをどう活かせるのか…… 『光』を観察しながら、色んな使い方に気が付きます。 75カットの中で、5種類の光を使いながら撮影をすること、が、私の撮影における実践的なテーマになりました。 被写体の、その『ひと』の魅力は、その存在は、ある一方向から語られるだけでは不充分です。 75カットという写真の流れの中で、勿論全てを表現することはできないにしても、色んな側面から色んな要素を使いながら、多面的に、立体的にその『ひと』の美しさを表現しようとする、ということが、『自分の存在を肯定できるような』写真として受け止められる可能性を、少しでも高めていけることであるのではないでしょうか。 この写真の男の子のことは、1歳の時から知っていました。 babyの頃から知っていて、毎年撮影をさせてもらっているからこそ、比較できる成長による変化と、変わらない部分とを、彼の魅力として写真の中で表現していこうと試みます。 カウンセリングの際のコーディネートのご希望は、『可愛い感じで』だったそうです。 5歳の七五三を迎えた彼でしたが、着物に怯むことなく無邪気で、やんちゃで、むしろちょっとふざけ気味なその姿は、天真爛漫で愛おしい男の子。初めて会った頃から変わらない、ふっくらしたほっぺたは、4年の年月を経てもあの日のbabyの名残を感じさせてくれる、彼の『可愛い』特徴でした。 その特徴を、敢えて全く違うイメージで写真に残したくなったのは、着物から着替えて2階に上がった時に差し込んでいた『光』に誘われたから、でした。 よく晴れた5月の午後、青葉店のメインルームに燦々と差し込む光は、窓を開けることで強く真っ直ぐ、青葉店の床に落ちました。通常は、青葉店の曇り硝子の窓で拡散される光ですが、今回は強くて硬い、エッジを描ける程の光を使います。 強くて硬い光は、コントラストの効いたモノクロームで構成することで、その存在感が際立ちます。黒から白への階調が濃く表れ、ちょっと硬派な、ハードボイルドな印象を生みました。 しかし、そこにいるのは『硬派でハードボイルド』とは少々ギャップのある、愛らしい彼の姿。それこそ、上から俯瞰で撮ることで、その特徴であるふっくらしたほっぺたのラインがよくわかります。しかし、だからこそ、この世界観において彼の存在感は強調されました。 直線的な影を描く硬くて強い光に対し、彼の存在は有機的な曲線で浮かび上がります。強い光をそのまま直接彼に当てるのではなく、床に反射した光が彼の特徴である柔らかな曲線をなぞるように調整することで、愛らしい丸みと強い光が混ざり合い、違和感のない程度にまでまとまります。 彼に持ってもらった、古くて角ばった無骨なカメラは、彼の興味関心を惹きつつその世界観を媒介する役割を担いました。例えば彼が手に持つものが、お花やフルーツのおもちゃといったものであったとしたら、この1枚の構成は一気にバランスを崩します。 うつ伏せで手元に集中する、その仕種自体は、幼い男の子によく見られる特徴でもあります。その『男の子らしさ』と、彼の幼さ、愛らしさを、ちょっと硬派な構成の中で違和感なく、効果的な対比として成立するように、光の効果を狙いました。 無邪気で天真爛漫な、可愛い男の子。その笑顔は勿論素敵ですが、敢えてちょっとだけ、集中した時に見せる男の子のかっこよさ、を、硬くて強い光は演出してくれました。 写真を見たそのひとは、そのひとを大切に想うひとたちは、モニターに映し出されたこの写真を見て思わず声を上げてくれました。 彼本人に、 「どうだい、かっこいいんじゃないかい?」と聞いたら、まん丸いほっぺたをふくふくにさせながら、笑っていました。 見慣れた表情を、変わらない特徴を、いつもとはちょっと違う表現で、より印象的に残すこと。 写真を見たそのひとが、自分の新しい魅力に気付けるように。その存在を、肯定できるように。 写真は、そういうことができると信じています。 そういうことができる写真を残せる撮影者である為に、今また改めて学び直すこと、新しく挑んでいくべきことがたくさんあって、 それがとても、とても幸せなことだと、思っています。
選択
2018/5/31
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「良い写真」について考えることがあります。 周囲の客観をもらったり、自問自答してみたり。 構図や光など技術面から見たり、何を考えて撮ったのか概念面から見たり。 もちろん基礎がなくては得られなかった技術(=視野)があると思っています。 その為に日々写真について学んでいます。 写真教育や写真アカデミー、先輩からいただくフィードバックなど、学びは、自分の写真の為に行っていることです。 そこで得たものをどう使うのか、シャッターを押すときにやってきます。 良い写真を撮ろうと、1枚の為に踏んだ過程は自分で選択したものです。 例えば、光の選択。 この写真は顔に光が当たる位置を探して、被写体に立ってもらいました。 上から直接的に当たる光は野外で得られる条件の一つであると思います。 色味の選択として、今回モノクロを選択した理由は、光をポイントとした写真を撮ろうと思ったからです。 たくさんの緑に囲まれた森の中で、被写体を照らす差し込んだ光がメインとなるよう、緑の量を隠すためにモノクロの効果を考えました。 数々の選択を形にできた写真であると思いました。 良い写真は、 シャッターを押した瞬間の自分が決めるのです。 自分で撮った写真にもっと自信を持つべきであり、そうなりたいと思っています。 「自分の写真」というものを評価という形だけで見ずに、自分でも認めることが私には必要だと感じたのです。 少し話が逸れますが、ライフスタジオの大きな価値は「人」だと思います。 「人」を育てるのは「人」だと思いますが、その「人」の中には、周りの人もいれば、自分自身もいるのです。 今までは、指導してくださる先輩の言う事が全てで、それが私の目指すもののように思っていました。 ありがたいことに先輩方に恵まれ、真摯で正しいお言葉をいただけています。 言われたことが出来なくて歯がゆく落ち込むこともありました。 けど言葉そのまま形にすることが、私の写真をつくれるのか?ふと思ったのです。 自分の意志は、考えはそこにあるのか? いただいた言葉を自分に落とし込む方法、身に付けて武器としていつでも使える方法は自分で考えなくてはいけません。 私の意志によって、私の写真も、私自身も作っていかなければいけないのです。 つまり成長するかしないかは、結局自分自身の選択だと思います。 自分の写真と、自分と向き合いながら、 歩みを止めないこと。自分を認めてあげること。それでいて驕らないこと。 今一度思い返されました。 Photo by Lisa Assistant by Masakuni
生命力
2018/5/31
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photo by Manami codi by Nasu ベイビー写真を撮る時は、被写体の動きに助けてもらう事がとてもよくあります。 ベイビー写真とキッズ写真が大きく違う部分は、ベイビー写真では赤ちゃんはまだ言葉をすべて理解できる年齢ではないという部分です。 赤ちゃんたちには言葉で指示が出来ない分、赤ちゃんたちの動きに任せて撮影する事も多いですが、その赤ちゃんたちの動きを最大限に見せる為には撮影者の意図をどうやって出していくかがとても重要になります。 今回被写体の赤ちゃんは人見知りもほとんどなく、撮影している周りの人たちの声などにもよく反応してくれました。 今回の写真にはポイント大きく2つあります。 ①前ボケの効果 この写真には2つの前ボケが使われています。 一番手間にあるのが薄い緑の前ボケ、もう一つがシャボン玉の前ボケです。 シャボン玉は被写体の近くではなく、カメラの近くで吹いてもらいました。 カメラの近くで吹いてもらったのは、カメラとシャボン玉の距離が近くなればシャボン玉の形ではなく、シャボン玉の色を効果的に使用する事が出来ます。 シャボン玉には光を通すと虹色の様な色味が出ます。シャボン玉自体もとても薄い層で出来ているものなので繊細な色味を表現する事が出来ます。 シャボン玉をカメラの近くで吹いてもらった理由がもう1つあります。 シャボン玉を被写体の近くで吹いた場合、被写体がシャボン玉へより意識が向くので、シャボン玉の行方によって顔や身体の向きの自由さが増えます。 もちろん動きがある写真も可愛らしいですが、今回は被写体の赤ちゃんはシャボン玉に対して彼女なりの反応を示してくれていたので、それがもう1つのポイントでもありました。 ②被写体の仕草と表情 彼女は自分が興味のあるものを見つけた時、目の前にあるものを一点に見つめながら口がちょっとすぼまる表情をしていました。 彼女は集中力がとてもあり、シャボン玉を吹いた時もすごく興味を示してくれて、 目の前にある不思議なものへの好奇心が彼女の身体全体から伝わってくるように、両手を上に向かってぐっと伸ばしていて、 全体を見ると座っていた足も、片足は最大限のばしながらも反対の足は中にぐっと納まっていて、 彼女の身体から出るエネルギーを感じてシャッターを切りました。 ちょうどシャボン玉も彼女の顔にかかるギリギリの部分にあったので、全体をつつむような前ボケの色味が彼女の仕草、表情をより活かし、無垢で優しい赤ちゃんの可愛らしさを出す事が出来たと思いました。 彼女のもつエネルギーは写真への生命力にも繋がっていると思います。 写真はそこにあるものを写しだすものですが、 その場所にあるものをカメラというフィルターを通す事で、撮影している人の意思と表現が生きる世界を作りだす事ができます。 だからこそ写真には1枚も同じものがなく、人の数だけ写真の表現が存在します。 表現の方法を模索しながら学んでいき、被写体に対して最大限に出来る事をその瞬間、瞬間、適切に出したり、意図をしっかりと持ちながら撮影する事で 被写体が表現してくれた事を更に、素敵に表現する事が出来るのではないかと思います。 写真に正解はないからこそ、無数の中から自分の最大限を表現できるように学びは終わらないと感じます。
憧れを抱くこと
2018/5/30
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男の子は恰好よくいて欲しいし、カメラマンとしてカッコよく残したいと考える。 かっこいいとは?シンプルに辞書を引くとこうだ。 「見た目や言動が人に好印象を与える。」 こうやって聞くとわかりやすいようにも感じるし、難解にも感じる。 要は外見もさることながらその人自身から醸し出されるものである。 それをカメラマンとしてどういう視点から見つけて切り取り形に出来るか。ということなのかもしれない。 私が思う格好いいとは、一番に顔面。俗にいうイケメン。ジャニーズ?三代目?山崎賢人? 単純・・・。涙出るほどに単純・・・。 ではイケメンってなんなのかな?とか漠然と考える。 調べてみると 「容姿が端麗で優れている男性の事を指す俗語」だそうでまあ、思っていた通り。 ただ、人それぞれ好みもあるので絶対にこれだ!という顔立ちの正解はない。 私個人的に、容姿端麗に加えて少しの色気がある人が恰好良い人ではないのかと。それは見た目に備えられたものではなく、醸し出されるふっとした瞬間に垣間見れるもの。 または、その人の才能などの内面的なものも相まってその人が最高にカッコいい!となり、そこにときめきが生まれイケメン!とつながるのではないかと。 男性は見た目じゃない!と言われる所以はそういうところにあるのかもしれない。 彼の変わりようには驚いた。 皆での撮影の際はやんちゃで元気すぎてこりゃ大騒ぎだ~!なんて思っていたにも拘わらず、ソロになったとたんにスイッチオン。ポージングまで提案してきてくれた(笑)←笑ってしまうくらいにきたので語尾に付けましたが。 一つ一貫して彼のこだわりは恰好よく。 この時点で、オンオフのギャップに驚いた。しかし、オンがオン過ぎて可愛い男の子の笑顔が満載である意味とても撮影が楽しくさせてくれたモデルさんだった。 そんな時、渡した帽子で新たにポージングをしてくれた。 帽子のつばを人差し指で上にあげるしぐさのポーズ。 格好いいにこだわりを持つ彼に似合っている。 印象的な目を強調したカットももちろん撮影したが、なぜ私がこの写真を選んだかというと上に書いた内容に付随する。 彼は格好いい子だ。イケメンだ。可愛い笑顔まで兼ね備えている。 そんな彼のふとした瞬間に、私はそれまで見なかった色気を感じた。 敢えての印象的な目を伏せ端正な鼻筋と手の隙間からみえる唇。 これは偶然かもしれないし、撮影の流れからの必然かもしれない。 でもこれは紛れもなく彼自身で彼にしか出せないものなのはたしかである。 彼が拘っていた格好いいはすでに彼自身に備わっていたのだ。 理想に憧れを抱くことで自然と自身に備わっていったものなのかもしれない。
明日も
2018/5/30
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photo by Chappy cordi by Momo 「良い写真」とはなんだろう。 光がきれいな写真か。 被写体が笑っている写真か。 インテリアが美しくトリミングされている写真か。 ライフスタジオでは写真の要素を3つ規定しています。 <interior design> ただ撮影の空間としてあるのではなく 被写体を動かしイメージを演出し 写真全体を調和させるインテリア <Eyes> まっすぐな瞳に はっとして 伏せたまつ毛に見惚れてしまう 瞳を写す瞬間 時に多くを語るその瞳は 目に見えないけれど 写真の中に見える大切なもの <Daylight> 晴れの日に差し込む 溢れるような暖かい光 雨の日に漂う しっとりと寄り添う光 さまざまな顔をもつ自然の陽の光によって 被写体の美しさを最大限に表現していく つまりライフスタジオが考える「良い写真」とは ・被写体とインテリアが統合されていること ・目線、表情が写真の雰囲気に合っていること ・被写体に合わせた光の使い方ができていること 以上の要素が組み込まれているものが 「良い写真」に必要な要素だと考えられています。 そんなライフスタジオには撮影時の ポーズ形式(フォーマット)のような 決まりごとがありません。 これが一体何を意味するのかというと 1から10まで全て自由にできるという意味です。 それは一方で全てを自分たちで考え、予測し、 作り上げなければいけないという意味も含みます。 さて、ここまでは良い写真と ライフスタジオの撮影について まとめさせていただきましたが、 ここからは自分自身について 書かせていただきます。 僕は前職でもカメラマンをしていました。 そこはいわゆる第二世代の写真館で、 ポーズや画角、カメラの設定など、 会社に決められた状態で臨むスタジオでした。 それは自分じゃなくても、誰が撮っても 変わらないのではないか。 そう思った日から悶々とした時を経て、 現在はライフスタジオのカメラマンになりました。 そんな僕だからこそ、最初は1から10を作る 撮影の大変さに苦戦し、一時期写真が あまり好きではない時期がありました。 ただ今なら、写真が好きだと断言できます。 それは自分が感じ取った「その子」を残すために 1から10を全力で作り上げようと 一緒に協力してくれる仲間がいるからです。 #what makes you beautiful? (美しさの規定) この写真を見たときに人は何を思うだろうか。 小さな男の子が服を着ようとしていて、 服を見る目は笑顔ではなく少し憂いを帯びている。 その表情とは裏腹に、彼を照らす光は白く明るい光だ。 また右側に何かがあり、そこには光が当たっていない。 撮影者ではない人がこの写真を見て思うことは おそらく上記の内容ではないだろうか。 ここからは自身が感じ取った彼と この写真に込めたイメージについて明記したいと思う。 まず彼はとても利口な2歳の男の子だった。 はじめは緊張していたものの、コーディのモモちゃんが クマのぬいぐるみで遊びを仕掛けたら すぐに笑顔を見せてくれた。 撮影が進むにつれ、いたずらな笑みなどを 出す彼に、僕もモモちゃんもどんどん魅了されていた。 (撮影中はアイドルのコンサートのように きゃー可愛い、かっこいいーと叫んでいた僕ら笑) そんな彼も3シーン目で少し疲れがみえ、 その時僕には彼の中に 「期待に応えたい気持ち」と「もう疲れた帰りたい」 という感情がせめぎ合っているように見えた。 これも今現在の素直な彼であり、彼の感情である。 何とか形に残したいと思い、声かけは 表情ではなく動作についてのみ行った。 するとどうだろう。 僕の指示通り、服を着ようとする彼。 ただその表情は少ししぶしぶな様子。 「今の彼」を残すための瞬間はできた。 あとはイメージに合わせたトリミングを行うだけ。 僕がこの写真に込めたイメージは 「まだ明るいのに遊んでた公園から 帰らなければいけない男の子」だ。 楽しかったのに帰らなければならない。 これは誰しも経験のあることではないだろうか。 その時、何ともいえない名残惜しさや 寂しさ、帰りたくないという反抗心が 芽生えたことが僕にはある。 「今の彼」を表すのにぴったりだと思い、 そのイメージの元、画角を決めシャッターを切った。 あ、撮れた!! シャッターを切った瞬間に何か熱い気持ちが過った。 #photo×recipe (撮影技術) sh 1/125 f 3.5 ISO 200 標準レンズ 67mm 今回は撮影前の被写体観察から、モモちゃんと 一緒に撮影を作り上げるため、念入りに話し合った。 服の提案はセンスのいい彼女にお任せだが、 フォレストの光の具合、彼の顔立ちを見て、 「できるだけシンプルな服で」 と先にお願いしていた。 僕の中の彼とモモちゃんの中の彼は、 100%とはいかないが恐らく90%近くは 一致してたと思えるほど服と彼、 そしてインテリアはマッチしていた。 次に光とロケーションを決めるにあたり、 逆光ではなく半逆光を、そして扉を前ボケとして 使用できる位置に決定した。 今回半逆光を選んだ理由は、写真教育で新たに 学んだこの光の特徴が僕のイメージに 1番近いと判断したからだ。 光と被写体の距離により当たる光量や、陰影を つけやすく、顔の角度によって、輪郭や 写真の雰囲気そのものを調整しやすいのだ。 そして植物や白いイスではなく、 光の当たっていない扉を前ボケにしたのは、 背景の整理はもちろん、少し暗めの印象が 彼の感情や写真のストーリー性を表現する上で、 相乗効果をもたらしてくれると考えたからだ。 あとはその割合と彼の仕草が行われる瞬間を 見極め、シャッターを押した。 ----------------------------------------------- ライフスタジオでの「良い写真」の要素を 自分の中で改めて思い返し、その上で 僕が考え感じたことを、モモちゃんに共有し、 たくさん協力してもらいながら 撮れた結果物がこの写真です。 正直カメラマンだけで写真を撮ることは ものすごく大変です。 その質は信頼できるコーディネーターが いるかいないかで格段に変わると思います。 だからこそ僕の想いに共感し、 時には思いがけない 提案や発想を与えてくれる、 信頼できる仲間がいるからこそ 僕は写真が好きなんだと思います。 大切なことを忘れないように、 明日からもまた「良い写真」を 撮れるよう、精進していきます。
「 Format and content」
2018/5/28
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形式と内容が一致した瞬間、僕はシャッターを切りました。 Photo by takumi Coordinator by kudo 僕が写真と出会ったのは中学校の体育祭でした。 近所の写真館のおじさん、無精髭を生やしたとてもきれいとは言えないような見た目の人でしたが、 砂埃をかぶっても動じずカメラを構えるおじさんの姿はどうしようもなくかっこいいものでした。 僕が出会った写真はとても商業的なもので、芸術的な写真とは程遠いものでした。 でも僕は今ライフスタジオにいます。 ライフスタジオの写真は、 商業的で、記録的で芸術的だ。 と、定義されています。 ライフスタジオに入社したこと これは僕が2度目に写真と出会った瞬間です。 HPのフォトジェニックに上げられた写真はどれも僕の心を打つものばかりでした。 それはただ商業的なものとは違い、被写体の色(記録的)、撮影者の意図(芸術的)が感じられるもので、 僕にとってフォトジェニックはとても神聖なものでした。 僕もライフスタジオのカメラマンになり、いつの間にかフォーカスを合わせるごとに、その人たちの内面を探すようになってきました。 ある時店長のボルボさんに写真を見てもらった際に、 「これいいじゃん」と言ってもらいました。 それは和室の鏡を使った写真でした。 でも僕はその子から読み取って撮ったものの、その場で初めてのことを実践して撮った写真をフォトジェニックに上げることに対して疑問を感じました。 今まで学んできた基本と、自分の挑戦を合わせてフォトジェニックに上げるべきと考えたからです。 その日から鏡との戦いは始まりました。 縦横を安定させること、被写体をシンメトリーにすること、 鏡を使ってどんな感情を表現できるか、出来るだけ多く書き出しました。 そして撮影の回を重ねるごとに自分の中でこの場所に対しての考えがまとまっていくのを感じました。 そしてこの日が来ました。 彼女は以前僕がコーディネーターでご一緒した家族の妹ちゃんで、 恥ずかしそうに、でも楽しそうに、にやにやと笑うような、 そんな子でした。 僕は彼女に対してこの鏡の場所を案内するのはなんだかイメージが違うような気がしました。 それは鏡がもう一つの自分を表すような静的なイメージを持っていたからです。 だから僕は最初に整体や、楽しく笑っている姿を残すようにしました。 家族に見守られながら撮られる彼女はまた、恥ずかしそうで、嬉しそうな、にやにやとした表情をしていました。 「感情がもれてるぞー(笑)」 そう思った途端に頭の中にイメージがおりました。 真実を覗こうとする鏡だからこそ、この隠せないほどの恥ずかしさ、嬉しさを表現できるのではないか。 そう考えがまとまって初めて鏡を使った写真の撮影準備を行いました。 カメラを構えると先輩たちのたくさんの言葉を思い出します。 「フォトジェニックに上げる写真を撮るときジェットコースターで落ちるような感覚になるんだよ」 「最後はその被写体になんと声をかけるのか、だよ」 「いつか拓巳の本当に撮りたいと思うものが見つかるといいね」 高ぶる物を必死で抑えながら、彼女に集中していきました。 現したいのは彼女の恥ずかしくも嬉しそうな明るいイメージ。 世界観を彼女に合わせ、いつも鏡の前で撮っている時よりも露出を2段階上げました。 そうしたことでフレーミング全体が彼女を表す土台になったような感覚がありました。 照れくさい表情をするとき彼女は必ずと言っていいほどお姉ちゃん、お母さんを見ます。 「授業参観の時の子供みたいだな」と思いました。 そうか、家族に普段見られない姿を見られているから恥ずかしくてニヤニヤしちゃうんだ。 そう感じ取った時にポーズと声掛けが決まりました。 口元のゆるみを隠すように扇子を口に当て、 「あの上にちっちゃいお姉ちゃんが飛んでるよ!」と声を掛けました。 そうすると彼女は恥ずかしそうにそちらを見上げ、あのニヤニヤをしてくれました。 この状況が出来上がった時、ドキドキと胸が高鳴りました。 工藤さん、本当に撮りたいものが出来ました。 形式と内容が目の前に揃い、シャッターを切りました。 写真を一瞬確認し、彼女に「ありがとう」と告げた後も、ずっとドキドキは収まりませんでした。 ジェットコースターってこれですね、ボルボさん。 「僕らがお写真を提供しているのは、お客さんであり、一人の人。 だから写真を残すには商業的だけでは足りず、その人らしさ、それを表現する意図があり、 その意図は常に人の中身を探し続けるように撮られるべきだ。」 ライフスタジオと出会ったおかげで、 たくさんのアドバイスをくれた先輩たちのおかげで、 写真を撮りに来てくれた家族のおかげで、 自分の写真に対する考え方が整理されたように感じます。 出会えてよかった。
写真を構成するもの
2018/5/25
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Photo by Kaori Kobayashi Cordi by Natsuko Takagaawa In Yokohama Aoba 【その日の天気によって写真は変わりますか?】と聞かれることがあります。 答えはYESで、その日の天気、季節、時間によって、光はもちろん異なり、写真にも変化があります。 それは良い天気だから良い写真というわけでもなくて。 それはそのときの撮影の条件になり、それを有効的に利用しながら、撮影者は撮影をしていきます。 たとえば天気が悪かったり、真冬の夕方の撮影で光がなくても。 部屋の中に入る外光がないからこそ、ひとつずつ光を組み替えて作り上げることができたり。 その日、そのときにしか撮れない写真を撮ることができます。 【その日、そのとき】をそのときにしかない条件の下、最大限表現すること。 それは、私たちの使命だと思います。 じゃあ、その日の条件をうまく利用し、どうやって撮影していくのか? まずは、目の前にいる被写体の観察から入ります。 どんな子?どんなものがすき?今の気持ちは?緊張?うれしい?恥ずかしい?性格は・・・・・ そして、顔立ち、体系、表情、しぐさなど、目で見てわかる部分の観察まで。 そしてそれに合わせて、コーディネーターがお洋服の提案をしてくれたり、髪型をアレンジしてくれたり。 一個ずつの要素が組み合わさって、その子のイメージが固まっていきます。 撮影をするとき、そのイメージを最大限表現したいと思います。 そこで、場所はどこで?光はどのように?レンズは?前ボケは? 写真の構成要素を組み立てていきます。 そのときに、天気や季節の光の条件をうまく利用していきます。 ある程度場所に慣れてくると、おおよその時間や天気で、どこの場所にどのくらいのどんな色の光が入るのかがわかるようになってきます。 様々な撮影者がその条件の下、いろんな表現をしていきます。 それを見ているほかの撮影者も、それを真似したりしながら、表現の幅を広げていきます。 光の使い方に慣れてくると、同じように撮影することが増えてきます。 もっと表現を変えたい。と思ったとき。 その光の条件の下、変えるべくはほかの写真の構成要素。 構図なのか、露出の変化なのか、副主体なのか・・・ 私は今回、いつも撮っている光+前ボケの効果で、 奥行きと光のきらきら感を増して表現できるように構成しました。 場所は部屋のすみ。 光がはいる窓に腰をつけてもらって撮影をするため、そのまま何も工夫せずにとっても光はきれいなのですが、若干平面的になります。 そこに緑の前ボケときらきらしているビーズがついたリボンを前ボケにして、 色味ときらきらの効果をつけると同時に、平面的な写真に層を作り、奥行きをプラスします。 肩から腕を出し、すっきりとまとめてアップにしたヘアスタイルは、さながら夏の装い。 西日を最大限きらきらと写しだし、明るく彼女のしぐさと表情を際立たせます。 何をどう構成するかは撮影者次第。 それをイメージさせるのは、撮影者の観察力とイメージ力、目の前のあなた、 コーディネーターの視点と提案と協力。 【人】の要素が合わさって、写真は生まれます。 それがライフスタジオの写真の魅力だと思います。 その魅力を絶えず、そして高めて、表現していけるように、撮影者の努力に終わりはありません。 なのでもっともっと、がんばろうと。 こうして文章を書くたびに強く思っています。
近くで見るか、遠くでみるか。
2018/5/13
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Shonan Photo:gomei Codi:Nozomi Kawashima 学生時代に見た岩井俊二監督の打ち上げ花火下から見るか、横からみるかという映画を思い出しました。 劇中では登場人物の小学生たちは「花火って横から見たら丸いと思う?平べったいと思う?」という小学生によくありそうな議論から、実際に確かめてみようとなる話だったと思います。 意外にこのようなシンプルな疑問への回答に困ってしまう大人は多いのではないかと思います。大体のことは気にもなっていないことでもありますし、だからこそ実体験を通した知識が備わっていないので、普遍的な回答をすることができないのではないでしょうか。 実はよく考えてみるとこのような疑問は誰しもが抱いたことがあるでしょうし、現在も実は抱いていることも多いのではないでしょうか。 私は「とにかく猪木と馬場が戦っていたらどちらが強かったと思う?」です。 このような漠然とした問題定義こそが、行動の根源となりえることが日常的に非常に多く、では確かめてみよう。やってみたらわかるさ。そのように物事はなされていく過程で、一つ一つの仮説が立てられます。 もしもの例えですが、猪木対馬場が戦い、猪木が勝てば、猪木のほうが強かったという仮説が経ちますが、その後2戦してどちらも馬場が勝てば、2勝1敗で馬場が強かったとなりますね。1戦終わった時と3戦終わった時では仮説が変化しています。このように仮説とはあくまで仮なので、常に変化をしていくものです。 それを知りたいという欲は好きなことをしていれば当たり前に抱く感情であり、行動の根源だと考えています。 これらの考えを踏まえて、この写真のテーマはこのようにしました。 【彼の特殊性は近くで見たほうが伝わるのか?遠くで見たほうが伝わるのか?】 あくまで特殊性の話ですので、人が変われば方法も変わるものです。 私の観点から見た話しになりますので、あしからず。 まず近くで撮るクローズアップと、遠くで撮る引き写真の要素を整理したいと思います。 ●クローズアップ 主体となる要素の存在感を最大限に撮影ができる。 ポートレートの場合、被写体の一部分のピンポイントでフォーカスすることができる ●引き写真 多くの要素が映るため情景を残すことができる 体全体が入るので、被写体の動きが分かりやすい 簡単に挙げてみるといくつかの違いが出てきます。 本当に簡単に書き出しただけですので、詳しく知りたい方は参考書で各自研究してください。 個人的にはクローズアップの写真は大好きで、被写体の良い特徴を大きく存在感ある形で残せることは大変楽しいのですが、今回の彼の特殊性を生かすことに選択したのは引き写真です。 その選択を決定するために、撮影中に得られるの情報はとても大切で、きっとこうだからこうしてみようと仮説の根拠になります。 それでは彼に対してはどちらが適切なのかを考える上で必要な彼の事を書いてきます。 5歳七五三撮影で来店いただきました。 大好きなおもちゃを兄弟そろって沢山持参してきたことが、今回の撮影への期待値を伺えます。 兄はスターウォーズのフィギュアを3体、弟はトイストーリーのフィギュアを2体ほど。どのフィギュアも片手で収まりきら居ないほどの大きさなので、子供からしたら本当にお気に入りの宝物と言うものでしょうか、私自身も幼少期は大きなおもちゃは中々手にすることができずに、大切に何年も遊んでいた様な覚えがあります。 単純に好きという気持ちと、誰かに見せたい気持ちなどポジティブな感情を色々と含んでいた事でしょう。 ママに聞いてみます。 「本当にはまっているんですね」 「もうずっとそうなんです」 たったこれだけの会話にすぎませんが、この会話から読み取れる彼の日常は、きっと好きな物には一直線の直球タイプの少年なのでしょう。好きな事にはどっぷりと。彼の印象を何となく知りながら撮影に向かいます。 さて撮影ではどのようなものか。 恐ろしいほどに緊張をしていました。簡単な質問にも答えられないほどに、顔からも緊張!という文字が書いてあるのかの様に緊張しつくしてしまっており、まずはこれを解いてあげる事が必要ですが、一度固まってしまた心と体を解いていく事は至難の業です。 ふざけたことを言ったりやったり、兄に協力してもらい一緒に悪ふざけをしてみたり10も20も投げかけましたが、緩む口元を開かせることは出来ませんでした。 ただ撮影の指示に関しては頑張ってこなそうとしてくれている姿は健気で、やりたい事は他にあるが淡々と行ってくれていました。 延々とどっぷりの対義語は淡々となのかな?なんて思いながら、着物での撮影は終わっていきます。 次に大きなヒントになったのが、着物撮影後のカジュアルです。 着替えましたーとコーディネーターからの声を貰い撮影場所に行ってみると、これまで袋の中で保管がしてあったフィギュアたちが出され、すでにスタンバイされています。 その時間を目にはしていませんが、きっと我慢の時間は終わった!これかやっとあそべるぞ!そんな気持ちと時間が流れていた気がします。 私も心の中で「では遊ぼうか」とつぶやきながら、撮影を行って行きます。 しかしいざカメラを向けると先ほどの緊張が読みがってくるのがすぐにわかりました。撮影で遊ぶことと公園で遊ぶことは異なります。公園の様に自分が思った通りに走り回るような事はできず、撮影では撮影エリアやポーズと言う制限がある為、好き勝手には遊べません。その制限された環境と条件を逆手に取る様に遊びを提案していかないとすぐに子供は飽きてしまいます。 そういう時に強いのは兄の存在です。まずは兄とふざけながら「撮影にならない!」様な雰囲気を作りながらいつもの3割増しのオーバーリアクションをしていく事で、彼が抱く撮影中にやってはいけない事の幅を緩和させていきます。するとすぐに反応がでて、兄と同様にふざけてみたり、あえて指示と異なるだらしないポーズを取ってみたりと、徐々に素直な笑顔がほころび始めます。 ここでようやく好奇心と行動をつなげるための準備運動が完了しました。 写真はまず大前提としてファインダー内の記録という大きな要素がありますので、好奇心があっても行動に表れなければ、なかなか写しだすことは出来ません。 もっと言うと子供の素直さの一部に、というものは好奇心と行動の一致が挙げられます。 この一致した状態を作り出すことができないと、自然な写真が撮れない可能性が大いにあると考えます。 ここでやっとこの写真のテーマ「好奇心と行動の一致」が洗いだされました。 そして彼から読み取る事の出来たポイントを羅列してみます。 ・おもちゃなどの物に興味を抱く傾向が高い ・遊びたい、自由に動きたい欲がある ・同時に真面目にやらなくてはという観念もある このくらいの要素を挙げることができました。 ではこれらを踏まえたうえで、どのようにするか考えてみると、湘南店にはベストともいえる撮影エリアがありました。 大きなスクールバスです。 まず日本ではあまり見かける事のないバス。 運転席や座席を自由に乗り回る事の出来る環境。 この2つの要素が、おそらく彼の好奇心を持った行動を誘発する事ができるだろうと、最終シーンで使用する事に決めました。 きっと自分の思った事を行うだろうと、そして思わせてあげる事ができるだろうと。 物理的な距離が近いとやはりカメラの意識が強くなってしまうので、まずはある程度距離を保つことが優先事項となりました。 ここでバスの中を一度観察します。 光は窓を通して間接光が緩やかに入り込んでいました。 色は思っていたよりも多く、クリーム色の天井、椅子の茶色、バーや窓枠の銀色、空調パーツの黒、私の手前にある椅子は黒潰れするだろう。 同系色ながら4色~5色程度はパッと目に入りましたので、今回は彼の動きに注目したいので、モノクロ設定にて撮影をする事としました。 すると輝度がより重要になってきますので、ここで彼に行う声掛けも同時に決定がされます。 次に画角です。 この時には私の選択肢は2つありました。一つは望遠レンズで彼の嬉々としている表情をメインで撮影をする事です。ある程度楽しそうな表情をしていたり、真剣な表情をする想像はついたのですが、なんでそうなったのか?という説明が写真から見て取る事が困難になる可能性が非常に高いと考えます。物理的距離を遠く保つことで、ズームを使用します。ズーム効果によって写真に写る事が無くなったバスの要素によって、ここはどこ?なんでこんな表情?という説明がつかなくなってしまいます。もちろん想像力を掻き立てるという効果はあるかもしれませんが、今回のテーマには適切ではないと考えたので、標準レンズ広角効果を使用して撮影をする事にしました。 すると写真に写る要素は多くなりますので、画角の整理が必要になります。ポイントはバスである事ですので、バス車内のど真ん中にカメラ位置を設定し、天井にある2つの荷物置きをある程度対象に設置する事で、アシンメトリーな内装を整理つける事にしました。 整理された状態に一つだけ彼という整理ついていない行動をしてくれる姿を映すことで、より「動き」を強く捉える事が出来ると考えたからです。 カメラの設定はある程度決まりましたので、最後にどのように撮ったかを記していきます。基本的に難しい事は一切しませんし、シンプルな事の方が相手に伝わります。 彼に座席にいてもらい「外になにが見える?」と一言声を変えます。必然として彼は窓から外を覗きます。 弱い光の条件でしたので、しっかりと光源に顔を向けてもらわないと、どす黒く被写体が落ち込んでしまうので、そのように声を変えてみる事にしました。 シャッターチャンスはそう多くありませんので、声を変えて振り向いた瞬間に合わせてシャッターを切りました。 最後に冒頭で挙げていた【彼の特殊性は近くで見たほうが伝わるのか?遠くで見たほうが伝わるのか?】に戻ります。 今回の条件内では、遠くから撮影した方が伝わったというのが適切かと思います。極論はわかりませんので、この写真を見てくれた方々に決めて頂けるといいと思います。 昔親に口うるさく言われていたことを真に受ける事が出来なくて反抗していたことも、偉人の自伝などに同じことが書かれていて、スッと自分に入ってくる経験がありました。 遠くの方が良くつたわるという事ですね。 クローズアップの写真が好きな私で、一番特徴をとらえられるのがクローズアップかな?なんて思っていたりもしますが、無作為に寄るだけではなく、例と同様に遠くから捉えてみたほうがスッと入ってくる気づきがあるなと勉強になりました。 そんな一枚が古巣の湘南店が気づかせてくれました。
情景
2018/4/30
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本を読んでいたら、偶然「情景」という言葉に目が止まった。 本の中では、「人の心を動かす風景や場面」という解釈も付いていた。 人の心を動かすというのは撮る側の話なのか撮ったものを観ている側の話なのか?気になってきた。 もっと調べてみると、「心を通じて感じ取る景色、心に何かを感じさせる風景や場面」という解釈を見つける事ができた。 撮る側から感じたことを観る側からも感じさせる事はできるのかな? 人はそれぞれ見方、考え方、感じ方があると思う。 たぶん同じ風景の前にした10人のカメラマンがいれば、10通りの写真ができあがるだろう。 その中で私が感じたこと、伝えたかったのは、毎日全力で泣き、笑い、育っていくその光景をレンズ越しに眺めながら成長していく彼らの姿、その一瞬をママ、パパと共感したいのではないかなと思えてきた。 この日に出会ったご家族は、子供の泣き顔や嫌がる顔、真剣な表情全てを残したいと言ってくれていたが、3ヶ月の赤ちゃんだったせいかずっと泣いてばかりの状態だった。 しかし、その風景を微笑みながら見てくれているママとパパから何かが伝わってきた。 その「情景」を見ていた私の気持ちが動いたのだ。 そして、しばらく押せなかったシャッターが押せるようになってきた。 Photo by Ren Coordi by Nishijima
大切な気持ち
2018/4/30
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Lifestudio Aoyama Photo by Shie Coordi by Gahee 人にはその人にしか無いその人だけの物語があって、それが今のその人自身を作ってくれています。 ただ単に年齢や見た目などで撮影を進行していればその人自身を理解した事にはなりません。 それはもぬけの殻を動かしているようなもので、この場所ではその人だけの物語を知り、かけがえのない物語を共に作るお手伝いをしていく事が必要なんだと考えています。 世界には自分が知らない事がまだまだ沢山ありますが、いろんな土地やいろんな場所、たくさんの人や出会い、経験などを通じて知った事は、私が生きる理由に密に繋がっているなと感じます。 それは色んな人からもらってきた汗が滲むほどの思いや大切な気持ち、愛された記憶などからくるものが大半です。 たくさんの人が自分と何かを作り上げていきたいと考え行動してくれた気持ちは、今の私を作るにあたって、大切なもの=かけがえのないものになっていて、それが私の写真を撮る理由にも繋がっています。 かけがえのない記憶は何事も自身をより良く動かす原動力になっているという事です。 写真の彼女には、はじめましてで、とても緊張しており、2シーン目まで緊張感が取れていなかったのですが、パパさんママさんから聞く彼女の事実や関係性を見ながらそれを元に、より彼女の内面に秘める彼女の良さを伝えたい、それが彼女の自信になり自分らしく生きる力に少しでも豊かにしてくれたらと考え撮影を進行していきました。 何故か3シーン目辺りから彼女の様子が変わり始めました。後から聞くと、「お姉ちゃんが頑張ってくれていたから」と彼女が言ってくれ、またモニターを見た時に、特にこの一枚に歓声が上がり、パパさんママさんや彼女自身がイメージしていなかった自分を発見できた瞬間であった事を教えてくれた事に自然と涙が溢れてきていました。 帰り側に、こんなに人前で明るく話しているのは初めてでしたと言ってくれた言葉に彼女だけでは無く、私達にもかけがえのないものを与えてくれた出来事でした。 良い写真とは、大切な気持ちやかけがえのないものが記憶に残るものから生まれるのかもしれません。 彼女が感じたもの私が感じてきたもの。 かけがえのないものになっただろうか。 彼女がこの日感じてくれた気持ちを私たちも大切に。
今日という日
2018/4/30
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今日まで来たる日々は奇跡の連続と言えます。 ライフスタジオで働きながら何百何千といろんな家族とふれあい、常々思います。 家族っていろんな顔があるなあと。 そして ふと 私自身どうなのかなって。 ライフスタジオに入社し毎年年末に帰ると家族写真を撮るようになりました。 以前の私は想像していませんでした。 しかしライフスタジオで働くと考えるようになります。 家族のことを。 私の両親が出会い姉が生まれ、そして私が生まれた。 両親は結婚して7年かけ姉を産んだ様です。 その時私の父親は40歳を越えて、私を産むという選択をしていなかったとかもしれないといってました。 もしかしたら私はいなかった。 でも今はここにいます。 今は変なブログを書いたり、飲みにいって笑って笑われて 実家に帰っては溜まっていた掃除や片づけをやって、父親の仕事手伝って 2年前に結婚して、嫁さんの言うこと「はい!」と元気よく返事して 不機嫌な時はスイーツを買って帰り 嫁のお義父さんとベロベロになるまでお酒飲んで 母親とは毎日のようにLINEで日報を送ってくるので返信しています 姉の息子たちもテレビ電話で「う〇こ!う〇こ!」と聞いてあげます。 私は紛れもなく幸せです。 もちろん切り出しているのが綺麗な部分であって 小さな嬉しさの数が この綺麗な思い出の数々が家族をつなげてくれるんだなあと思いますね。 それは当然の事でなく、必然でもなく偶然の重なりで今があると思いました。 「今日という日」 Photo by CHIBA Coordi by MIKA KATO この撮影日は天気も良く、来店されたご家族の皆様も明るくていらっしゃいました。 主役である彼女を除いては 今日は七五三撮影。 かなり緊張しつつメイクや着付けしている時間、彼女は笑っていました。 しかしそこにいた大人はみんな知っていました。 に、苦笑いだ。。。。 対照的に兄は余裕の表情といたずら心をちらつかせながら着付けが終えるのを待っていました。 両親や両家祖父母の方々は楽しそうな会話をずっとしていてなんて仲の良い家族なんだろうか。 彼女は普段ラフな格好が多い分締め付けられる感覚に苦しさを感じていました。着付けの先生はそれでも緩めにしてくれてはいたのですが苦しいという感覚からなかなか抜け出せない。暑いかもしれないからうちわで仰いだりしてみたものの納得の表情ではない。そして自分が注目の的という点においても少し気に食わない様子でした。 実際、私も被写体となるとうまく笑えないし、どことなく彼女の気持ちがわかります、、 カメラマンの私とコーディネーターの加藤さんで撮影前にいろいろと彼女に対して押したり引いたりアプローチをかけ、いろんな苦笑いを引き出してきました。 いわゆるすべったってやつです。 うーん、と考えた結果。 家族写真から始めることにしました。 家族写真を撮るといって靴を履いてもらう時や鏡の前でネクタイを調整している合間も会話が弾んでいる家族でした。 そこで 夫婦、兄弟で会話でなく無言で見つめあってもらいました。 祖父母たち:「え?」 会話の多い家族だから無言は効果あり。 ………. フフッ………w 笑うはずもないのに笑ってしまうのがこういった空気の無言だと思います。 結果的に一歩引いて笑ってしまう方と少し隠れてしまった方、しっかり見つめた方と出てきました。大人は笑い、兄は少しふざけ、主役の彼女は苦笑い。 しかしこの後から少しづつ表情は柔らかくなり撮影の空気もより良くなったと感じます。 「そういえばこの撮影の時ね、、、」と思い出してもらえる場面を作りたかったのです。 この後、兄と妹で椅子取り競争など競い合いながら撮影をしていくのですが 緊張していた彼女が眼を輝かせ兄を越えようとしている姿がとても印象的でした。 勝った!負けた! 「お兄ちゃんずるした!!」「ありえない!」 私はその場面を引っ張り出したかった それもひっくるめてライフスタジオ内で起きた出来事は75cutに収容されます。 出来事をつくっていく 私は好きです。 小さな出来事を一つでも多く、 この家族とどう時間を作っていこう? 今日という日のライフスタジオで過ごした時間を 良かったって思ってもらえたらいいな さあどうする? 競い合うこと? 協力すること? 別々に? あえてそのままに? 考えるのが好きです。 この日も素晴らしい家族に出会えて感謝です。 写真で魅せる裏側は視覚を通し記憶の中で生きています。 記憶に残す写真。 そんな撮影が毎日の目標かもしれません。 楽しんで下さいライフスタジオというショーってやつを。 私「今度は違うゲームをしよう」 「いいネタ考えておくね」 と約束をし、また会える日を楽しみに待っていようと思います。
基準を変える。
2018/4/30
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基準を変える。 今までの写真を撮影する方法を変えようと思います。 私の撮影方法は、瞬間を逃さないように、 瞬間を良いフレームにつかまえる、 アシスタントが作ってくれる良いイメージを逃さないようにしていて、 写真を自分で作る撮影方法とは距離がありました。 長い間の習慣のように撮影してきた私の撮影方法について、非常に大きく問題があることを 認識するようになりました。 この撮影方法では、お客様の基準を満たす写真を撮影することができないことが確認できました。 避けたい逃げたい気持ちもあるのですが、 私の弱さを今から強みにします。 写真を撮影する前にイメージを作成し、撮影しようと思います。 瞬間を単に撮影するのではなく 私が望むイメージを作って撮影したいです。 何を作りたいかをアシスタントと共有して、 75カットを作るときもっと1シーンを小さく分けて、 10カットで15カット程度を集中して流れを作ろうと思います。 毎日店舗のベスト写真を見ながら目で確認して、 撮影している間ベスト写真と同じ写真を撮影するために努力しています。 最近社長の写真教育に参加して感じています。 撮影をするときに必要なものを、自分が作って撮影をしなければならないということ、 与えられた条件に合わせて撮影するのではなく 私が条件を作ることができなければならず、 私が与えられた条件を理解していなければ、単純にシャッターをきる方法しかないことをもう一度確認した。 これから変える撮影方法で、一枚を大切にして意図が込められている写真を撮影するように努力したいです。 今まで私の足りない部分がある写真でお客様に満足感を与えていない時もあったことをもう一度 反省して、再び同じことが起こらないようにするために基準を変えて撮影します。 より発展した姿を期待していただければ幸いです。 基準を変えること、、、 難しいですが、努力します。 他の目線で、より発展した技術で写真を撮影することを楽しみにしています。
引き算
2018/4/30
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あなたの笑顔はとっても素敵だけれど よく笑う子でした。本当にずっと笑っていた印象です。 笑いすぎてママさんが心配しちゃうくらいに。 私はグラグラしている前歯が取れちゃうんじゃないかと心配しました。 一人っ子の為、3シーンで作られる原本はもちろん本人のシーンのみで独占できます。 いかに75枚にバリエーションを持たせるか、ということはライフスタジオのカメラマンなら誰しもが考えます。 1枚を綺麗に作ることも大切ですが、75枚という原本は流れるようなストーリーを収めることができるのが特徴です。 表情は写真を作る上で重要な構成要素な一つです。 表情ひとつで写真の印象は変わりますし、見る人に被写体の雰囲気や魅力を伝えることもできると思います。 そこで、今回はとってもよく笑う子。笑顔の写真は正直お腹いっぱいでした。 バリエーションのことを考えても、笑顔以外の写真が欲しいと思っていました。 緊張してなかなか笑顔を出してあげることが難しい状況の方が多い中、 笑顔が多すぎて困るなんて、贅沢な悩みかもしれません。 笑顔いっぱいの可愛い子でしたが、普通に考えれば彼女の日常で四六時中笑顔でいることはないでしょう。 ただ、笑顔以外の写真を!というより、笑顔以外の顔も彼女の顔なんじゃないかと思いました。 3シーン目で黒いジャケットを羽織り、帽子を被ってもらい少しクールになった彼女に「帽子が曲がってるよ」と指示で動作に集中させるように呼びかけました。 間にはガラスを挟みこっそりのぞき見しているだけのように。 その時、今まで見てこなかった表情の彼女を写すことができました。 写真を作るまでに被写体から感じたイメージやコンセプトを作ることが大切です。 それは「被写体を観察し、被写体らしさを写すこと」で、その子だけの写真になるからです。 「らしい写真」とは被写体に寄り添っているからこそ、らしさを引き出された写真となり、親御さんからしたら一番嬉しいものではないでしょうか。 しかし今回「私は笑顔こそが彼女らしい」と感じていたにも関わらず、「被写体らしくない写真を撮ること」をしました。 となると、今回撮った「らしくない写真」は被写体に寄り添えていないことになるのでしょうか。 私は「撮影を楽しむこと」をモットーにいつだって全力で子供と接することを目標に、また実現させているつもりです。 「撮影を楽しむこと」は自分が楽しむことで子供も巻き込んで「楽しませること」に変えようとしています。 楽しませる上で「どんなことをしたら喜ぶのか?」「なにが好きなのか?」「どんな子なのか?」相手を観察して知ろうと呼び掛けを続けることは自然にされます。 観察(どんな子?)と提案(質問)と少しのボケ(反応を探る)を繰り返して被写体を知っていくプロセスが生まれます。 そしてお互いが楽しんでいる時に心が通じたと感じることができるのです。 楽しむこと→楽しませることは、被写体に寄り添いたいと思う私なりの方法です。 笑顔いっぱいの撮影だった今回ですが、笑顔は私から引き出したものではありません。 この笑顔は彼女から湧き出たものです。被写体の彼女が率先して楽しんでくれたのです。 では、今回私にできることは何か?変化を加える為にも、笑わせないことにしました。 笑顔以外の構成要素を作ること。 もちろん彼女から湧き出る笑顔はとっても素敵で笑顔が伝染して私たちも楽しませてくれました。 サボらない為に、彼女に私から寄り添いに行くために、新たな顔を見つけることにしました。 写真は足し算だけじゃなく、引き算もあることに改めて気づかせてくれました。 この写真を撮っておいて、ですが…私は彼女の笑顔が大好きです! Photo by Lisa Coordi by Kubo
よいしょっ
2018/4/30
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やってはいけない事をやりたくなる心理が人間にはあるかと思います。 特に子供の場合「これは、触っちゃダメだよ」と言われたモノにわざと触ったり、自分より手の届かない高い位置にあるモノに手を伸ばそうとする事は多く見られます。 私も子供の頃、よく高い棚の上にあるお菓子を脚立と背伸びで無理やり取ろうとして、お菓子を落として床にばら撒くという事をしました。でも、そんな子供ならではの動きが、とても愛らしく感じます。今回の写真は、そんな子供の一生懸命な愛らしい様子を残したくて、シャッターを切った1枚です。 また、今回の写真で個人的に意識した点は、3つあります。 一つは『写真の調和』もう一つは『視点』あと『テーマ性』となります。 『写真の調和』とは、1枚の画面の中で、ある一点ばかりが目立つというのでは無く、同じ量で空間、小物、衣装、被写体それぞれが自身の役割を果たしているかどうか意識してみました。この写真でいうと、先ずは色味です。鮮やかな野菜や果物は、どうしても色彩が強く出てしまいますが、空間量を少なくする事と、写真の中の主役である女の子が着ている青系の衣装を対照的に持ってくる事で、色のバランスを調整しました。また、床の白い空間を入れることで、逆三角形の構図をつくり、画面に動きを出してみました。 『視点』は、画面を見る時の人の視線の誘導。視線の流れでもありますが、空間の強弱や小物や被写体の立ち位置によって、見せたモノへ視点を運ばせるように出来ているか気をつけました。一見、鮮やかな果物に目がいくかと思いますが、それはその次にその果物を取ろうとする女の子へ繋がる視線誘導であり、広角で俯瞰から見ることで、視線を底辺に集中させる効果を持たせています。 『テーマ性』は言葉通り、その1枚からストーリーが生まれるように、小物、衣装、被写体の動きから、その空間のテーマを想像しながら撮影する事です。キッチン使用なインテリから連想させるのは、ちょっとやんちゃな女の子が、大人サイズの大きなアイランドで、お母さんの真似事をしようと、まだ手が届かない果物を取ろうと一生懸命手を伸ばそうとする図です。さながら『となりのトトロ』に出てくるメイちゃんのような、大人の真似をするのが好きな女の子が想像させられました。実際にこの女の子は、初めて出会った瞬間から一か所に留まる事が無いくらい、活発な女の子でした。 子供の仕草は、突拍子もない偶然の産物から生まれるモノもありますが、それを第三者により臨場感を与えらるように1枚の写真に収めるには、常にそのインテリと被写体を観察する事から始まり、そしてそこから素敵な偶然がうまれるように、写真の種を巻く事が必要なのかと思いました。
同じ世界
2018/4/30
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photo by Manami codi by Makita カメラマンになって数年がたち、 少しづつ写真を撮る時に、自分の中のイメージに近い状態で撮影が出来るようになると より被写体を動かす為に出来る事は何だろうと考える事がとても多くなります。 多くのカメラマンが被写体を動かす力という部分に対して、 無限にある可能性を模索しながら挑戦し続けていて、 私もその中の1人であり、今回私が撮影した写真では被写体を動かす中で被写体が自由に カメラの存在をあまり感じる事なく、自分の意志を表現出来る瞬間を撮るには どういう部分に気をおくべきなのかという部分に注力した写真でした。 越谷では12月末から1月頭にかけて一部のインテリア工事を行い、 部屋の途中の一か所を取り外した事で印象がまた変わり、撮影方法も新しく出来る形となりました。 けれど、もし反対の側面で見た場合には何も工夫をしなければ奥行が出ない、 平面的な場所になってしまう可能性もあります。 今回の被写体の彼は3歳でまだまだ幼さの残る可愛らしい元気な少年でした。 彼の身体はまだ小さかったので例えば、ただインテリアの中でそのまま立たせてしまうだけだと 空間に余白が多く出来てしまい、インテリアとのバランスの取り方が難しくなるのではと感じました。 なのでこの時、なるべく画面が平面的にならないように被写体の彼よりも手前に 本を置いたトランクを用意し、前ボケとして使用し、彼にもうつ伏せになってもらう事にしました。 けれどただうつ伏せになってもうらうだけだと、今度は左側の空間が少し空いてしまう、 なので彼にはクッションの上でうつ伏せしてもらいながら手が前に出る様に小物を目の前に置いて いじってもらえるように配置しました。 うつ伏せになる事で彼が見ている世界に一歩近づく事が出来ます。 私たちは普段こんな低い体勢で世界を見る事はないけれど、彼が見ている世界の雰囲気を一緒に写しだしたいと思いました。 モノクロでの撮影は彼が少し下を向いて目の前にある小物に集中している姿を私が見守っているような雰囲気で残したいと思ったからでした。 色の情報が少ない場合は情景は見えている状態により集中する事ができます。 彼の行動、目線、手前と奥の色の濃さをより強調する為に選択をしました。 彼はまだ幼く、細かい指示を与えてその指示のように動く、そんな事もちろんそんな出来る訳ありません。 でも撮影していく中で、彼は自分の目の前にあるものに対して興味をしっかり持って 自分なりに遊んで、私が思い少し考えているイメージの状態にちょっとしたスパイスを入れてくれる子だなと感じました。 被写体を動かす力というものに方法は本当に沢山あると思いますが、 被写体が自由に動いてくれた部分を演出して画角の中を作り、写真におさめる事が出来るかも 力の1つであると思います。 写真にも美しさの基準はもちろんあれど、100%の正解はありません。 撮影している人達が一生懸命試行錯誤しながら生まれる写真には いつも新しい発見と驚きが存在していて、私たちは同じ写真が撮れないからこそ、 目の前にいてくれるその子に合う撮影の方法を選択していく事で また新しい発見をする事ができるのだと思います。
感情が向かう先
2018/4/29
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彼女は手を繋いで誘う そして抱っこをせがむ 自由なその行動には 彼女が「そうしたい」相手の存在を感じられるだろう 抱っこをしてほしいのは誰なのか 目の前にいて手をとって話して欲しいのは誰なのか 彼女が「そうして欲しい」 それに合わせて少しだけ声かけをする どんなご家族か? イメージが分からなくて 定番に寄って撮ってしまうことが多く さらにそこに表情という要素があるから難しい 何年もお会いしている方でも1年に1回 はじめましての方も多い だが家族のイメージとは 私が頭のなかで考えるものではない 例えば 「話をする」というのは前からよく言われることだ でも 「質問をする」その真意はその情報を聞いてご家族の会話を聞きたいというもの 言い換えれば空気を家族の普段に近づける 良い顔だね というのはいつも柔らかい印象を受けるものだ それは子供に限ることなく 大人も そして私自身も安心できる人の前では 無意識に良い顔をしているだろう (というのも会話に無理がないことから大概気付く) だからご家族の会話にはとてもたくさんのヒントが隠されていると思っている 結婚をして「家族」になる 子供ができて「家族」になる でも子供ははじめから「家族」の中にいる だから誰に言われることもなく 感情を向ける相手が 自分の中で決まっている そう考えると 彼女が発した言葉とその行動がこの写真をつくる最も大きな要素となった理由が分かる 感情のままに動くことも無くなってきたこの頃 でも彼女を見ていると少し思い出してきた 自分の感情を感じつつ素直に捉えて人と向き合うことで 新しい発見があるのだと思う 写真にも 写真以外にも
ひとつずつ、少しずつ。
2018/4/28
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Photo by kaori kobayashi Cordi by kazuma gomei in YokohamaAoba 何故、写真を撮るのですか? 何が、良い写真だと思いますか? どんな、写真が撮りたいですか? ライフスタジオに入社して早6年と9か月。 それまで「写真」という分野においてほとんど関わることなく生きてきた私ですが、 この会社に入社したその日から、 自分と、人と、店舗と、会社と、写真と、向き合ってきました。 繰り返される質問に、最初は戸惑っていました。 私にとって写真は、学び手に入れた、唯一人に対して自分が残せるもの、提供できるもので、 唯一私が誰かに何かが出来ること、だと思っています。 勿論、空間、コミュニケーション、接客、環境づくり、、、 1から10までの全てが揃ってこその写真という結果物ですが、 その確かな『何か』を『あなた』に残すことが出来ることが、 私にとってはとても大きな事でした。 そして繰り返される質問に対して、私はいつも必死でした。 技術が無ければ表現は出来ないし、 表現したいイメージが頭の中に無ければ、技術を持っていても表せない、と。 写真の課題はいつもあふれていました。挑戦することもあれば、見直したり、 自分のスタイルを崩したり、 また立て直したり。 でもどれだけ努力しても、この質問に対して明確に答えが無ければ、 自分の軸にはなり得ないことを知りました。 ≪あなたは、写真で、何を撮りたいですか?≫ 私は、相手の魅力を引き出し、日常の中で見逃してしまう瞬間を切り取りたい、残したい。 と答えます。 そうすると、そのために何が必要であるかを考えるようになります。 私は、撮影の空間が好きです。 張りつめた緊張感がほぐれていき、最高に楽しい思い出の場になる事。 人と、一歩、また一歩と近づいていく、撮影。 楽しい撮影空間の中で、いつでも素敵な瞬間はこぼれています。 それを救い上げるためには何が必要か? 私は“表現力”だと思っていました。 その為、沢山の写真を見て、真似して、イメージを広げる努力をして、 それに必要な技術を模索し、基礎を見直しました。 でも、大事なことが抜けていました。 それは自分自身がとても≪受動的≫な撮影をしていたことです。 私が残したい瞬間は、いつどのタイミングで訪れるか分かりません。 そのため、シャッターを切る瞬間、偶然的にその瞬間がうまく残ればGOOD。 でも、その確率はかなり低いのです。 それは自らその瞬間を引き出したり誘導したり、予測が出来ていないから、 どれだけ技術や知識や表現力を持ち合わせていても、最高な0.0000….1が、残せない。 そんなジレンマがありました。 その子らしさ、自然、楽しい空間、はあふれています。 だけどその中で「待っている」受け身のスタイルを、 私は一番に崩さなければならないと思いました。 今のスタイルであっても、楽しい瞬間は切り取れますが、 自分が残したい写真を規定したことで、自分の中の課題がまた明確になったのです。 見えたものを表現するのではなく、見ようとすること。 それは『観察』であり『コミュニケーション』を変える必要があります。 その情報の中から、相手に『テーマ』をつけて、自分の中で撮影を組み立て、楽しい空間を作り上げながら、予測の範囲の中で誘導をしていき、シャッターを切る瞬間を『つくる』こと。 私は自分のプロジェクトを通し、自分の課題を明確にしました。 ただそれがプロジェクトの中のひとつの撮影方法、なのではなく。 日常の撮影においても、自分の中の撮影スタイルをつくりあげていきます。 しかし、いきなり全部をスタートして100%をつくりあげるのは簡単ではありません。 段階を踏む必要があります。 4月から、横浜青葉店に異動になりました。 2013年7月から、2017年3月まで、一番長く、在籍していた店舗であり、私にとって特別な店舗でもあります。 ここへ異動を希望したその瞬間から、『戻る』ではなく『新しいスタート』をイメージしていました。 それは、私が店舗を抜けてから、 今のメンバーが作り上げてきた青葉の文化や撮影、関係、細かな変化が、 たくさんあふれていることを知っているからです。 そして、私自身も変化があったと思います。 戻る、ではなく、新たな姿を、見せていかなくてはいけない。 それが、私が青葉に異動すると決まったときに掲げた、まず第一の目標でした。 では、何から学び、見せてく必要があるかを考えます。 大きく二つ、店舗での役割と、自身のやるべきことを、進めていく過程と結果を見せていくことです。 店舗の役割として、メインとして担当することになったのは写真でした。 自身のプロジェクトも写真であり、これを手段として、私は前に進まなければいけません。 では、何から始めようか?と1週間探りながらスタートを切りました。 この1年で生まれた青葉の写真は、私にとっては刺激となりました。 それは長年この場所にいたが故に身に染みている固定概念を崩す視点となったのです。 青葉のいまの写真と、新横浜で大内さんに学んだこと、そして私の課題。 それらを頭の中でぐるぐると駆け巡らせながら、撮影をします。 すぐに、私の中に青葉店という撮影空間として見ている視点に固定概念が強くあることを思い知らされます。 それが悪いわけではありませんが、 自分が課題とした『良い瞬間を自ら作り出していく』ことに対して、 まずはそれを変える必要があると感じました。 かといっていきなり何か違うことをやるのは難しい。 私が始めたのは、 『少しだけ視点を変えること』と、『今ある固定概念を最大限整えること』です。 この場所はこう撮る、と定番化されたもの。 それは自分が『一番最適だ』と撮って培われてきたバランスや光、構図。 それをもう一度見直しいきます。 そして、作り上げるための前段階として、『観察』をして、視点を変えていきます。 家族、その子、性格、顔の特徴、身体の特徴、仕草、身に着けているもの、空間、光、、、 新しい挑戦を一気にするのではなく、 定番として自分の中にあるもののひとつひとつを細かく『見る』こと、 本当に最適か、『考える』ことからはじめます。 とっても元気な女の子が来ました。 お兄ちゃんも負けず劣らずの元気さで、明るいママと穏やかなパパと一緒にご来店。 実は彼らはライフスタジオ4回目のご来店だったのですが、 一番初めの撮影時に私がアシスタントとして撮影に入っているご家族でした。 もしかしたら覚えてないかなあと期待をしつつご挨拶に伺うと、 「こばさんですよね!?」と言っていただけて、なんと3年ぶりにもかかわらず、覚えててくださいました。 当時はまだ赤ちゃんだった妹ちゃんも大きくなりふくふくBABYではなく、女の子になっていました。 かわいいワンピースを着て部屋に入るやいなや、 ホリゾントの部屋をごろごろとしてきゃはきゃは楽しそう。 元気で人懐っこくて、顔を上げてあははと笑う笑顔はお兄ちゃんにそっくりです。 はじめましての五明さんに一瞬でふたりとも懐き、妹ちゃんに至っては全体重を五明さんに預け寄りかかるか飛びつくか、もうそれはそれは面白い光景でした。 この時点で何かを指示して、ポージングから崩す、という一瞬を狙う、 というよりもしぐさの中の一瞬を予測して撮影する瞬間が多くなることを頭で察します。 では、そのなかで自分が何を探っていくのか。 自然に遊ぶ楽しい中で、一瞬の「静」を撮る事。それをテーマにしました。 よく撮る場所に座らせて、横顔を撮るために五明さんに正面から目線を引いてもらいます。 持たせてもらったお花でえいえいと楽しそうに笑う笑顔。 時間が10あるとしたら9.8くらいはこの場を楽しみ笑顔100%、いたずら心100%、ママやパパに怒られてもお構いなしってくらいに楽しんでくれる彼ら。 それでもその一瞬は訪れます。簡単です。一番楽しそうな瞬間に、声掛けをした『瞬間』を狙います。 声掛けをした2秒後にはいつもの笑顔に戻るので、声掛けをして「え?」ってなった瞬間を狙います。 いつも撮りなれた場所で、いつも使う前ボケ。 茶色の格子を、ちょうど表情よりも下あたりに配置し、表情に目が行くようにします。 右端の緑は、葉っぱとして写しだすよりも色味として入れて鮮やかをプラスします。 前ボケの効果により、目が行く場所を強調すること、単調になりやすい平面的な場所に奥行き、深みを出すことができました。 そして前途して狙った0.1の静を捉えます。 ≪何を狙うか≫+≪いつも撮る場所で何を条件として使うのか≫ これだけを頭に常に入れるだけで、 固定概念は「確認」と「修正」を測ることが出来、 それが整った後、また違う挑戦が出来るようになると考えています。 同じ場所でも出会う人たちは同じではありません。こどもたちも成長するし、 そして自分も成長をします。しなければいけません。 この場所で自分が撮りたい、魅力の表現や一瞬を捉える力を、軸から見直しながら質を高めて、 確信をもってこの写真を撮りたかったのだと、言えるように。 進んでいきたいと思います。
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