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所沢店
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symmetry.

投稿日:2020/5/3

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Photo by Natsuko , Coordinator & Write by Yoko

 

 

 

 

突然ですが私は着物が大好きです。和装が大好きです。

以前、ずっと昔に私は別の職場でブライダルのスタジオ撮影をしていたのですが、その時に初めて白無垢や色打掛を着ている女性を見て、ただ漠然と「なんて美しいんだろう」と思ったのを覚えています。

 

ただ着物が綺麗だからとか、和装と洋髪の組み合わせが素敵とか、まぁそんな理由もあったんですけど、一番魅力に感じたのは「日本ならではの美しさや決まりが一つで表現されているから」というところです。

 

和装、着物ってご存知の通り決まり事が実はとっても多いんですよね。

例えばのところで言えば生者は左前、死者は右前。帯の高さ(年齢によって違うんですよ)、裾の長さ、衣紋の抜き具合などなど。

あとは着物の合わせは写真に写してはいけない、必ず左側から撮らなければならない。みたいなね。

年齢によって衣紋の抜き具合や帯の高さが変わるなんておもしろすぎません?昔の人はなんでそんな決まり作ったの?って思うけど、ちゃんと意味があってそれがまた日本の奥ゆかしさみたいで美学なんですよね。

 

で、こと写真において私が一番面白い!って思うのが、「和装=シンメトリー文化」であるというところです。

これ、言われてみると確かにってなりません?

左前で着付けをして首元を真ん中で合わせて、3歳さんならお被布を着る、お被布には両胸に飾りがついている。5歳さんなら袴をはいて腰の真ん中に十字結びをする。7歳さんなら帯を巻いて帯締めを真ん中で結ぶ(この時帯締めの端の長さも左右合わせます)。

ね、左右対称なんですよ。正面の立ち姿なんかはわかりやすく対象なんですよ。

こと所謂「写真館」では昔からこの「和装の左右対称」っていうのを重んじていて、着物だけではなく被写体周りの空間も基本的には左右対称を推奨されていました。

左右の空間は対象に、上下は2:1みたいなね。

特にバック紙で着物を撮る時なんかはそれが如何に上手にできるかで着物の見え方が変わるように思います。

 

とにかく、和装本来の美とはシンメトリーだと私の中では定義されていたわけです。

 

ただまぁ時代は変わる。時代が変わればニーズも変わる。和装にも新しさが求められ始める時代が来るのです。

例えば白無垢。花嫁さんの白い花嫁衣裳。私すっごい好きです白無垢!綿帽子も角隠しも大好き!!

(余談ですけどスタジオで綿帽子撮るのってすごい難しかった思い出。ストロボで顔に影できやすいし花嫁さんの顔の大きさで綺麗な見せ方変わるし頂点の尖がり難しいし・・・)

そんな古き良き白無垢でも頭にごっついフラワーヘッドドレスつけてみたり、本来見せてはいけない草履を見せてみたり、むしろ色打掛の時なんか花嫁さんを正面向きで立ち姿撮ったりし始めていました。足首は見せないように、可愛い草履を履いてそれを見せるようにね。

これ、マジで昔はご法度撮影だったんですよ。

 

最初はまぁすごく戸惑いました。だってシンメトリー感が少なくなっちゃうじゃん!「和装だからいい!」っていうのがなくなっちゃうじゃん!古き良きはどこにいっちゃうのよ!って。

でもその「古き良き」と「新しいこと」を合わせて実際にやってみたらね、めちゃくちゃいいんですよ。笑

特に写真にしたときなんてのは正直そっちの方が目を引くものや色が増えるわけですから、撮影者にとっても想像と創造の幅が広がるんですよね。見せ方が何倍にもなる感じ。

こと私にいたってはライフスタジオに入ってから結構和装に対する考え方も幅広くなっていった感じですね。まだまだ「和装の決まり」に囚われてはいますが。笑

 

ただ自分の中でいただけないなって思うことがあって、それは「ただ奇をてらって新しいことをる」ということです。

着物でも、飾りでも、写真の撮り方でもそう。なんでも新しいことをやればいいってわけじゃないだろう、っていうのは、今になっても私の中では抜けない感覚ではあります。

「奇をてらうこと=そのものの美しさ」ではないだろうと。被写体はどこにいるんだと思ってしまうわけです。

 

そんな時こそ初心にかえることって本当に大事。そう思います。

 

だからなっちゃんが撮ったこの写真を見て、「あ、もう、これは綺麗だ」と感動しました。

 

見た瞬間に手に取ったようにわかるシンメトリー。それをするには並行、垂直を的確にしなければなりません。

この白いホリゾントで並行を維持して被写体を真ん中に据える。

被写体が中央になるように、後ろには同じ大きさの2つの傘を据える。

更に言うなら、この写真は被写体の目線に対して並行に撮られています。だからこそ違和感がない写真になっている。

 

「違和感がない」っていうのは、良い写真のひとつの定義だと私は思います。

この写真には違和感がない。だからこそ所沢店のBestPhotoに選ばれて、私は見た瞬間にただ「綺麗だ」と漠然と思ったのだと思います。

 

こういう「なんでもない写真」を「ちゃんと撮る」というのはとても難しいことだと思いますし、それができてこその土台なのではないでしょうか。

と、偉そうに言ってみますけどねすみません。

 

しかも、この撮影時になっちゃんがちゃんと考えてこの1枚を撮ったことを私は知っています。

着物ソロ撮影のラストにこの写真は撮られました。

基本的に3歳さんは着物での疲労もたまりやすいですし、あまり無理をさせたくないなというのが正直なところではあります。

でも、この被写体の女の子は元気いっぱい。笑

着物も喜んで着てくれて、撮影もずっと楽しんでくれていました。

そしていつもだったら撮影を終えてもいいくらいのタイミングで、なっちゃんが「ごめん!もう1個だけ撮らせて!」と言ったのです。

 

撮影最後(あるいは途中でも)に1枚の写真に時間をかけること、これがある意味リスキーであることは私もなっちゃんも知っています。

一番リスキーになるのは時間と体力面。特に着物撮影は諸々を鑑みて一番最初に行うことが多いシーンですから、そこに時間と体力をかけすぎてしまうと次のシーンや全体の流れに影響が及ぶ可能性があるのです。

でも、だからと言って、カメラマンが被写体のことを考えて「こだわり」を持った「意味のある1枚」を生み出すのに、コーディネーターが反対する理由はあるでしょうか。

カメラマンのチャレンジや、意味のある行動に異を唱えるのはナンセンスだと私は考えます。

(もちろん被写体優先。限界がきている時は止めますが。)

 

この時も、なっちゃんがこの1枚にこだわりたいという気持ちを感じたので、私はコーディネーターとして場の流れを止めず、そこにいる全員を支えることに徹しました。

もちろん、シンメトリーになるよう着物を整えて。

 

その結果この1枚が生まれたとして、なっちゃんの撮ったこの写真の生みに関われたのであれば、それはコーディネーターとしてとても嬉しいことだと思います。

 

 

「なんでもない、とても綺麗な写真」。

ある意味、それは美しさの真髄なのかもしれません。

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