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所沢店
想いを掬う。
投稿日:2019/2/27
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photo by satsuki , coordinator by yoko
1枚の写真の中には実に様々な要素が組み込まれています。
被写体や環境に合わせ組み立てられた条件の中にコーディネーターが準備した要素を組み込み、加味した上でカメラマンはシャッターを切る。
一瞬のうちにきられたシャッターにも、本当に様々な意味が込められているのです。
そして、その一瞬できられたシャッターによってカメラマンが生み出した写真を見た時に、自分の思う要素が表現されていたり、カメラマンと同じ景色が自分の中に見えていた時なんかはコーディネーター冥利に尽きるといったような嬉しい気持ちを抱くものです。
カメラマンがカメラを構えた時にコーディネーターは同じ目線に立つことが多くあります。
それは被写体の目線を引くためであったり、カメラマンと同じように光を見て被写体の顔の角度を誘導するためであったり、カメラマンと同じ目線でインテリアを把握するためであったりします。
要は、「カメラマンが何をどのように撮ろうとしているか」を知ることがコーディネーターにとっては非常に大切で必要不可欠なことなのです。
そしてカメラマンとコーディネーターが同じ認識を持っている時にフォトジェニックが生まれるのだと私は考えています。
これまでの写真分析にも書いてきましたが、「思い出を記録する撮影」というのは決して誰か1人のエゴではいけない、独りよがりではいけないと思うのです。
だからこそ被写体把握と想いの共有が必要になるのですね。
しかし、この1枚の写真を見た時に、私が思っていた以上に私の想いが表現されているのではないかと思いました。
何と言ったらいいのでしょう。上手い言葉は見つかりませんが、私が言葉では伝えきれなかった部分をカメラマンが写真で表現してくれている。そんな風に思いました。
写真人文学で「プンクトゥム」と「ステディウム」という言葉が出てきますが、私がこの写真から感じたものはまさにそれに近いかもしれません。
では私はこの写真のどのステディウム(要素)にプンクトゥム(感動)を感じたのか。
一番わかりやすいステディウムはやはり前ボケでしょう。
一般的に(少なくとも私は・・・)金属の前ボケは重くなる印象があります。
例えば硬いイメージの写真を撮りたい時などは金属の前ボケが適しているのではないかと私の単純な頭では思ってしまうのですが、しかし今回は姉弟写真。しかも衣装はドレスを組み合わせたカジュアルフォーマル。
暗く落として撮るのはそれはそれで雰囲気が出るとは思います。でもこの姉弟は超絶元気で無邪気100パーセント。むむむ、一体どんな写真になるのか。久しぶりにイメージがつかない感覚。
と、思っていたら、この出来上がりの写真を見て守屋絶句です。お客様と一緒にモニターでこの写真を見た時にその場にいた大人全員が息を飲んだのを覚えています。
重たくなるイメージがあった金属の前ボケが全く思っていたものと違う。
工藤さん、絞りが、えげつない。
そしてこの前ボケの配置がすごい。この前ボケ、実際には椅子の背もたれなのですが、その大小の曲線をこの姉弟に合うように配置をしている。
何より、この写真の一番感動すべき部分はカメラマンの妥協が一切ないということです。
それは写真をじっくり見ていただければ伝わるのではないでしょうか。
絞り値、配置、そして被写体。「伝えたい」「表現したい」という気持ちがあるからこそ生み出すことができた1枚だと思います。
そして、この1枚の写真に携われたことを嬉しく思います。
やっぱり工藤さんすごいなぁぁぁ・・・。
最後に。
一番わかりやすいステディウムは前ボケではないだろうかと前述しましたが、もう一つだけ。
この2人の「視線」に私はプンクトゥムを感じずにはいられません。
何気なく見つめる弟、それを少し微笑みながら見つめ返す姉。
この時私は彼女たちに詳細な指示は出していません。
ただ「鼻と鼻をくっつけてみて」とだけ。
この表情は、本当に彼女たちの中の全て。本質なのではないでしょうか。
ああ、この写真もみんなで作り上げた1枚だなぁ。
この写真分析を書きながらそう思わずに入られませんでした。
「伝える写真」、「伝わる写真」。それを生み出すことへの歩みを止めてはならない。
むしろそれに携われることに感謝の気持ちを感じる今日この頃です。
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