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所沢店
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伝えたいこと

投稿日:2018/8/22

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写真が好き、おしゃべりが好き、遊ぶのが好き。とても活発な彼女。

でも、いざカメラを向けられると「ちゃんとしなきゃ」と思うのか、一気に表情が強張り顔を作ってしまう。

それは彼女が姉だからなのか。

そんなことを私に思わせる少女だった。

 

とても楽しんでいるのだけれどカメラを向けられると緊張してしまう。そういう子は実は結構いると思う。

それは無理もないことだと思う。大人だってカメラを向けられたり、注目されたりすると緊張してしまうのだから。

だからこそコーディがいるのだと思う。

 

おかしなことを言って笑ってもらったほうがいいこともある。

逆に無理に笑わせずそのままでいてもらったほうがいいこともある。

そのどちらがいいかというのは状況だったり、カメラマンの意図だったり、光やポーズだったり、諸々の情報から推測と想定をして判断をする。

 

「カメラを見て欲しい」というこちらの希望は彼女にとってはとても緊張することだった。

おしゃべりをして自然に笑っていても、レンズに視線が向くとその笑顔が作られたものに変わっていくのがわかる。

お着替えも好きで、可愛く着飾るのもそれを写真に撮られるのも好き。でも「ちゃんとしなきゃ」と思って緊張してしまう。

無理しなくていいんだよ、そんな言葉をかけてあげたくなった。

 

そんな時に彼女が見せた表情がこれだった。

 

砂の中に座り、膝を曲げ、視線を落とす。彼女の力が抜けているのがわかる。

彼女の本当の姿が垣間見えた瞬間だと思った。

 

片方の目が前髪で隠れていることによって、より彼女の表情に見る側の視線が向く。

何も考えずに視線を定めているのではなく、そこに何か意図があることが伝わってくる。

私たちに何かを伝えようとしているのではないか、そんな力をこの写真の彼女から感じた。

 

私にそう感じさせた理由の一つはトリミングにあると思う。

無駄なものを入れない寄り写真。無駄な構成要素を入れないことにより、被写体の何を見せたいかがとてもわかりやすい。

寄り写真というのはどこまで切ってどこまで入れるかというのが核心だ。頭を全て入れるのか、それともあえて切るのか。背景は入れるのか、入れるとしたらどこまで入れるのか。

この写真の場合は頭を少し切るという選択をしている。

それによってより彼女の表情がクローズアップされ魅力的なものになっているのだと思う。

 

私は寄り写真を撮るのが苦手だ。というのも、先述した「どこまで切ってどこまで入れるか」というのが難しいと思っているからだ。

違和感がないように撮った結果、綺麗に撮れていることはある。だが、それはあくまで偶然であって、そこに私の想定と意図はないのだと考えている。

「撮らされる」のではなく「意図して撮る」。これは私の課題の1つだと思う。

 

 

被写体把握を含め、全ては想定をすることから始まる。

それは最初から100%合っていなくてもいい。想定をし、撮影を進める中で修正を繰り返し、だんだんと100%に近づけていく。

今の私ではそれさえも意識をしなければ忘れてしまう。何を撮りたいのか、その子をどう撮ってあげたいのか。

ただ無心にシャッターを切るのではなく、全てに意味を持たすことができるようにして行きたいと思う。

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それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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