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所沢店
目に見えぬものを写す
投稿日:2018/8/20
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マタニティフォトというものは女性にとって特別なものだと思う。
人生の中で何度とあることではないその時。それは母にとっても、これから姉、兄になる子供達にとっても特別な時なのではないだろうか。
この写真で一際目を引くのはこれから姉になる彼女の視線だ。
まだ幼い彼女には「姉になる」という自覚はきっとまだないだろう。
だが、「何か」を理解し、感じているのがこの写真からは伝わってくる。
それは彼女の視線と動きが「意図のあるもの」だということだ。
例えばこの動作の全てが我々の指示によるものだとすれば、それは「意図のないもの」になりかねない。
写真の完成形を想像して組み立てて行くことは言わずもがな大事なことだが、そこに被写体の意思が反映されていなければそれはただ撮影者側のエゴに他ならない。
この写真が撮られる時、私たちからの声かけとしては「お腹に触ってもらう」ことに付随する言葉だった。赤ちゃんのいるお腹に触って欲しいな、できたらお顔を近づけて欲しいな、とう気持ちはもちろんあった。
しかし、そこで彼女が見せた表情がこれだった。
「あ、何かある」。漠然とそう思った。それは撮影時にも思ったことだが、改めて写真を見た時にもやはり思ったことだった。
何かおしゃべりでもしているのかな、そんなことを想像してしまう。
私にそう思わせる理由のもう1つは光にあるだろう。
所沢店の庭を背景にして撮られたこの写真。窓を大きく解放することによって背後からの光が十分に回るようになっている。
一番強い光が逆光として入ること、そして被写体の2人が着ている白い服に光が反射し顔が明るく見え、2人の頰に光のラインが入り、女性らしさと赤ちゃんらしさが際立っている。
また、色の統一感もこの写真の優しい雰囲気を演出している。
この写真の多くを占めているのは緑と白。背景には自然の緑、手前には前ボケの緑。無駄な色が入らないことによって被写体の存在を邪魔せずに際立たせている。
そして無駄な余白がないこともこの写真の要素の一つだろう。
下の前ボケももちろんだが、写真の上部分にリンクするように葉が入ることによって安定感が生まれるとともに、まるでこの空間には2人しかいないような感覚を見るものに与えているのではないだろうか。
日常を切り取った瞬間、有り体の言葉だがそんな言葉が似合うのかもしれない。
見る者に幸せを分けてくれるような写真。お母さんが2人の子供を見つめる眼差しがそんな気持ちをより高めているのかもしれない。
この子はどんなお姉ちゃんになるのかな。また会いたいな。
お母さんになるという気持ちは私にはまだわからないけれど、なんだかその気持ちをお裾分けしてもらっているような気持ちになれた気がする。
私たちができるのは「今、その時」を残すお手伝い。だからこそそれを全力でできるようにしていきたいと思う。
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