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所沢店
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彼女の世界

投稿日:2018/8/10

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我々の世代の七五三写真というと、今に比べて実に凝り固まったものだったと思う。

それは決して全てが悪い意味ではなく、ただ「こうあるべき」という感覚が全てだったのだと思う。しかし私たちの残しているものはただの記念写真ではなく、その子の今の姿、記録なのだ。その方法は無限であり、自由であり、だからこそ自由に表現するには全ての構成要素を整理し、殺さず生かす必要がある。

それが成されて、初めてその1枚はこちらに語りかけてくるような意思を持つのだと思う。

 

前置きが非常に長くなったが、この写真で写真分析を書こうと思ってから書き始めるまでに随分時間を要した。

この写真と見つめあった時に、ただ構図や光についてだけではなく、何か感じるものがあった。有難いことに今の私には時間が与えられていたのでしばらく向き合ってみることにした。

なんだろうな、この写真の何が気になるのだろう。それを考える作業(作業と言っていいのかは不明だが)は、まるで点と点を繋ぎ合わせていくような感覚だった。

 

まず最初に目に入ってくる情報としては「着物+洋室」というものだろう。これは「=モダン」と持っていくこともできるが、この写真に関して言えば安易にそこには結びつかないだろう。

そも着物という強い要素は我々の中に固定観念を植え付けやすい。

それを違和感なく良い意味で壊すには、先に述べたように全ての構成要素を整理し、殺さず生かす必要がある。

主役は着物を着た彼女、インテリアはあくまで彼女を引き立たせるための一要素だ。

 

ではその為にしなければならないこととは何か?まず第一に基本に忠実であることだと私は考える。この写真は決して奇をてらったものではない。

背景に位置する縦横の線は綺麗に整理されている。

手前の抜けは角に梯子と色のある前ボケを入れることによって安定感を出している。これがなければこの写真は恐らくベストフォトに入らなかったのではないだろうか。

 

光はサイドから強めに入っている。それによって鼻と頰に影が落ち、大人になりかけている少女の顔立ちがしっかりと写されている。

 

そして、仕草。この写真の一番の魅力は被写体である彼女自身だ。

鏡を握り、いつもとは違う自分を見つめている。その目に写っているのは紛れも無い彼女自身で、この写真の中には決して我々は居らず、彼女しかいないのだ。

 

よく「その子が普段通りにしているところを覗いているような~」という表現を聞くが、この写真と時間をかけて向き合った結果、その際たるではないかと思うようになった。

この撮影に私はいた。だが、この写真の中に私は微塵もいない。その場にいた私が全くそれを感じないのだ。この写真を見て抱いていた不思議な感覚の正体はこれだ。

「ただ当然のようにそこにある風景」。この写真はそんな言葉で表現できるように思う。

 

 

私の目指す写真の指針がまた一つ具体化した気がする。

写真分析をする意味、意義を再確認することができたように思う。

その機会をくれた彼女とこの写真に感謝を。

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