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「規定」するということ
投稿日:2018/5/31
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Photo by satsuki
カメラ教育を受け練習していく中で、私が一番難しいとおもうのが実は「被写体把握」である。
カメラマンが写真を撮る順序でまず一番初めにしなければならないのは被写体把握だ。
その子はどんな子なのか、どんな性格をしているのか、何をしたら嬉しいのか、家族からはどう思われているのか、など、自分の中でその子を規定しなければならない。
もちろんこの規定というのは最初から100%正解していなければならないわけではない。
撮影の中で、この最初にした規定を段々と完成させていくのである。
ここで私が難しいと言っているのは「被写体が把握できない」ということではなく、「撮り始めると枠にはめてとってしまいそうになる」ということだ。(もちろんまだまだ規定が甘い部分はあるのだが)
どうしても光を優先してしまったり、場所を先に考えてしまったり、撮影のテンポのことばかり考えてしまいがちになる。
被写体を蔑ろにしているというわけでは決してないが、被写体を自由にしてあげる余裕がまだ私にはないのだ。
この1枚の写真は私がコーディに入った撮影ではない。
だが、説明を聞かずとも伝わる魅力がこの写真にはあると思った。
ただ可愛いだけの写真ではない。この兄弟の関係性、いつもの姿、そして距離感。初めて彼らを見た人にも伝わるものがあると思った。
この写真を撮った工藤さんにこの時のことを聞いてみた。
まずやはり気になったのはどうしてこのように彼らを座らせたのかだ。
だが、工藤さんから返ってきた言葉は「私たちが座らせたのではない」という言葉だった。
彼らが自分からこのように座ったのだという。
「このソファに座って」という声かけはこのリビングではよく聞く言葉だ。そしてその後には大抵2人がくっついて座るように誘導する。
これは2人が遊んでいる様子を捉えるためであったり、光の関係であったり、アップ写真をスムーズに撮るためであったりと言った理由がある。
だが確かに、必ずしもそのように座らなければならない理由があるわけではないのだ。
もちろん工藤さんにも何かしらの意図はあっただろう。それはこのソファの位置から察することができる。
そして結果として彼らが自分からこのように座り目を合わせているということは、工藤さんの被写体把握が的確だということになるのではないだろうか。
「規定」をせずにはこの写真は撮れないだろうと私は思う。
またそれと同時に、「規定」をして撮ったこの写真と、「規定」をせずにこれに似せて撮った写真とでは全く伝わるものが違うのではないかと思った。
「規定」をするということは非常に難しいと私は思う。
だが、「規定」をしなければ本来のその子の写真を撮ることはできないのだ。
写真教育を受けながら悩んでいたことを証明してくれたのがこの写真だ。
技術的な部分はもちろんだが、この写真のように見る人の心を掴むような写真を撮れるようになりたいと思った。
その為に、「ただ撮る」のではなく「その子を撮る」という意味をもう一度しっかりと考え、見つめ直していこうと思う。
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