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動かす力
投稿日:2018/4/25
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photo by kudo , cordi by yoko
ライフスタジオの撮影には自由がある。
カメラマンの自由、コーディネーターの自由、被写体の自由。
これらは単体では決して完璧には成り立たないと私は思う。
この3つは三角関係で、それぞれがそれぞれに作用しているのだ。
そして、それらが作用しあった時に「動かす力」が働くのだと思う。
先日の写真教育でも教えて頂いた事だが、我々「撮影する側」がまず一番最初にしなければならないのは被写体把握だ。
この子は一体どういう子なのだろう。
何が好きで、何が嫌いで、何が楽しくて、どこが魅力的で、本当のこの子はどこにあるのだろう。
それを知らないままではその子自身の写真を撮ることはできないのだ。
この1枚の写真が撮られる前、この子はホリゾントで家族写真を撮っていた。
その家族写真というのが少し変わっていた。
とても、楽しい方向に変わっていたのだ。
総勢6名で行われた家族撮影。
おばあさまがピアノの先生をされていらっしゃるとのこと。
それにちなみ、今回の家族撮影では全員の手に楽器が握られていた。
そして、主役である彼の手には指揮棒が握られ、みんなの真ん中、一番前で笑っていた。
その直前まで撮っていたソロ撮影とは、また全然違う「いつもの笑顔」なのだと思った。
正直、今回の写真分析はその家族写真とものすごく悩んだ。
だがこの3シーン目の写真を選んだ理由、それは、家族撮影で見せてくれたいつもの笑顔の後に見せてくれたこの表情、この動きこそが彼の本質だと思ったからだ。
この時にカメラマンである工藤さんから飛んだ声かけはごくシンプルなものばかりだった。
我々はだた支えるだけ、動きの主導権は彼にあった。
コーディネートのイメージとしてはラフ。部屋着のようなイメージをし、動きやすさに重点を置いてみた。
机の上で寝っ転がってみたり、座ってみたり、メガネをずらしてみたり。
「そのクッション、持っていいよ」
ただ一言。この一言だけというのが肝だ。
「こういう風に持って」「抱きしめて」ではなく、「持ってもいいよ」と限りなく自由な選択肢を彼に投げかける。
すると彼は写真のように応えてくれた。
自分と同じくらいの大きさのクッション。
それを一生懸命に抱え上げる。
やろうと思えばもっと持ちやすい持ち方を教えてあげたり、抱きしめられるように彼に渡すこともできただろう。
だがこれでいいのだ。これが、よかったのだ。
下から引っ張り上げるように持ち上げ、それ以上はどうしようもなくなってこの表情を浮かべる。
これが彼自身の今なのだ。
重さ、大きさ、思考までが伝わる今の記録がこれなのだと思った。
例えば来年、これと同じ状況でこの時と同じ声かけをしてもこのような写真は撮れないだろう。
被写体把握をしっかりとし、彼という1人の人間に寄り添っているからこそ撮ることのできた写真なのだと思う。
私の目指すべきカメラマン像はそこにある。
カメラマン研修を受けている私は、今はまだ撮ることだけにしか頭が向かない時がほとんどだ。
綺麗に撮れる場所、綺麗に撮りやすい光に逃げてしまい、その子がどういう子かがわかっていてもそれを反映させることができない。
これはカメラマンだけではなく、コーディネーターにも同じことが言えるのだと思う。
本当にその子を見ているのか、無難な方向に逃げていないか。
「向き合う」ということを本当にやっているのか。
私にとって写真分析とは自分を振り返る時間でもある。
その機会をくれたこの少年とご家族、そしてカメラマンとして被写体と向き合う姿勢を見せてくれた工藤さんに心から感謝を。
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