Photogenic
所沢店
be Correct
投稿日:2021/1/20     更新日:2021/1/20
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Tokorozawa Photo
Photo by Aimi.
Codi by Natsuko.
毎日写真を見て撮っていると、無意識のうちに「もっと」と、漠然としたイメージを求めてしまう自分がいます。
撮りながら、そんな一時の雑念のような、、、言い方を変えれば、、欲求を明確にすることができず、目の前の恐ろしいスピードで過ぎていく撮影に
ただおいていかれないよう、気づけばただただ必死になっています。
でも最近の自分は、この「もっと」を明確にしたくて、
光を見て、目の前の被写体、存在を見て、
周りがあっと驚くような、お客さんに目を見張ってもらえるような一枚が撮れればと思う気持ちを、より強く芯に思っています。
それはたぶん、撮影に置いて自分以外のことをみれるようになったこと、自分以外の誰かのありがたさを痛感した事、
なにより写真が好きになれたのが一番大きいのかな、、なんて思います。
単純によくばりなのと負けず嫌いが顔を出してきたのかもしれませんけども。
一枚一枚へかける自分の知識や経験が、時が経つにつれ増していけばいくほど、撮影は楽しく感じられるし、写真も思い入れが大きくなっていきます。
(もちろん今まで自分が担当した撮影で思い入れが無い撮影や写真なんてないのですが、、、)
いまの自分の写真を見て感じるのは、やはり自然光をふんだんに入れた「一見自由な」写真ばかり。
そんな自然光いっぱいに被写体の視線やポーズ、構図、背景、いろんなものをみて、「一見自由」で、開放的な写真を見て撮って、写真の奥深さや自分の未熟さを感じ、
そして反対に、白背景の、特に着物撮影などに置いての「基本」を押さえるような、キマリのある写真の大切さもひしひしと感じます。
(一見自由、と書かせて頂いている理由は、自然光はたしかに明るくきれいで、とても撮りやすく思う反面、撮り方によっては被写体の魅力を生かせず、ただ撮っただけの写真になってしまうので、自分の意識によってはまったく不自由な光になってしまうと私が思っているからです。)
存在自体が自由で、私達が合わせていく必要のある自然光と、そこに「あって」私達が調整し、合わせられる蛍光灯などの人工的な光源。
撮影練習をした際も、光をみるということでこういった蛍光灯で光を制限したり、開放したりして人を撮影していましたが、
自然光を使った撮影をこなすにつれ、この蛍光灯をはじめとする人工光での撮影で得られる経験と楽しさもひとしおだと感じます。
一生に一度の、それぞれの七五三。
七五三じゃなくても、写真館に来て残す写真というのは絶対に取りこぼしてはならない、ご家族とその人たちの想い。
家族やスタッフ、その場にある関係性全部。
頭の先から足の先まで計算されて着飾るこどもたち。
その姿をあますことなく正確に、そして美しく残す。その大切さと重さ。
歴史と伝統を背負う着物と、七五三という文化。
貴重な時間とその価値を、今自分がこうやって触れられることがとても嬉しい。
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