Photogenic
所沢店
君にとっての大丈夫になりたい
投稿日:2020/4/18
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Photo by Volovo , Coordinator&Write by Yoko
美しい写真の定義は様々あれど、その写真が撮られる条件というのには共通点があると私は思っています。
私が何より大事だと思っているのは「撮影に関わる全員が自由であること」。
誰か1人だけではなく、誰か1人が欠けていてもいけない。
先日所沢店で企業理念「美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間を通して、日本の写真文化を変えること」について討論を行い、改めてそういう思いが強くなりました。
私はコーディネーターですから、被写体とカメラマンに自由があることをここにおいては最優先に考えています。
その2人の自由が交わった時、その空間に私は自由を感じるのです。
撮影に関わるものを繋ぎ合わせること。それが私のやるべきことと言っても過言ではないかもしれません。
そしてそれに加え、コーディネーターには「整える」という役割もあります。
私がここで言う「整える」というのは割と物質的な部分についてです。
例えば髪の毛や衣装の乱れ、時には被写体の動きを制すこともあります。
被写体の行動に事故等の危険を感じた時、明らかに画角や光から外れた時。など。
コーディネーターはカメラマンの意図を察しながら被写体に無理がないように判断をして行きます。
しかし、時に例外があります。
簡単に言えば、「被写体の自由(動き)を優先する時」です。
例えば、適した光の中に被写体がいて、カメラマンが撮る位置についている。そしてコーディネーターにはカメラマンの意図が通じているものとします。
その時、被写体が我々の予想外の動きをしたり、ただ思うがままに動いたとする。
そうすると、ほとんどのコーディネーターは咄嗟に動くと思います。もはや条件反射かもしれません。
ある程度は見守り、そのある程度を過ぎたら止め、導く。それに至っては間違った動きではないと私は思います。
ただ、先に言った通り例外があります。
我々の予想外の動きを被写体がとった時、そこに美しさが現れる時があるのです。
要は私たちの想像や指示だけでは表現できなかったもの。被写体の意思によって生まれる美しさと言えるのではないでしょうか。
そこに一番に気づくのはやはりカメラマンです。
コーディネーターももちろんセンサーを張り巡らせていますが、やはりレンズの中でみる景色と、レンズの外から見える景色は異なります。
ここで大事になるのはカメラマンとコーディネーターの疎通。
先ほども言ったように、コーディネーターはカメラマンがシャッターをいつ切っても大丈夫なようにほぼ条件反射で動いている時があります。
それが咄嗟に止まる合図。カメラマンが「(そのままで)いいよ!」「なおさないでいこう」、とコーディネーターに言ってくれる時。
私はその言葉を聞くと咄嗟に立ち止まり、その場所から空間を眺めます。
その時、確かにそこには美しさがあるのです。
ではその美しさを求めるには、我々はただ被写体が自由にしている様子を眺め待っていれば良いのか?
それは違うでしょう。
私がしなければならないことは、被写体が自由に動けるような空間を作ること。
そして、カメラマンが自由に思考できるような環境を整えること。
それによって、ある一種の美しさが表現されるのだと、私は思います。
被写体にとって、私たちがいるその環境が違和感ではなく自由な環境であること。
カメラマンにとって、思考し続けることができる環境をつくること。
彼ら、彼女らにとって「大丈夫」と思えるような環境を作れるように。
それが私にとっての自由だと、私はそう思うのです。
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