Photogenic
所沢店
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ウラハラ
投稿日:2017/4/10
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Tokorozawa Photo
Photo: Satsuki Kudo
Coordinate: Kaori Kinoshita
振り返ってみるとわかることがある。
想いはいつもウラハラだって。
春になる。
少し暖かくなってくると、太陽の光も変化しつつあり、外を照らす色がやや黄色を帯びてくる。
植物も芽吹き、花も咲く。
そんな外側の変化のせいか、春は少し私の過去と向き合う勇気が出てくる。
こどもの頃の写真を整理していると、私の頭はいつもぼさぼさで男の子かと思うくらい髪の毛が短かった。
Tシャツもよれよれで、弟と兼用の短パンを履いていた。
帽子はキャップを被ってることが多く、今見るととても恥ずかしいカッコをした小学生だったな、
と写真を見るという勇気がくじけそうになってくる。
幼少期、自分の外見を気にしたことがあっただろうか。
自分がどんな風に見られているのか、気にしたことなどあっただろうか。
正直言うと、あまりなかった。
鏡を見て、容姿を気にしだしたのは中学生に上がってからだし、
そもそも成長しても大人になった今でも鏡を通して自分の姿を見ることがあまり好きではない。
小さな一重の目、低い上向きの鼻、だっこちゃんみたいな小さな口。
その割にほっぺはパンパンで、私の顔の小さなパーツがより小さく見えた。
髪の毛は父親譲りのくるくるとしたくせ毛で、いくら髪を梳かしても広がりくるくるの勢いは増していた。
どこかで、女の子になることがいやだったのかもしれない。
女の子になるならば、綺麗で可愛くなりたい。
大きな瞳、通った鼻筋、サラサラで流れるような髪の毛。
憧れても私はそんな綺麗になれない。
だからなのか写真が大嫌いだった。
正確に言えば、写真に撮られるということが大嫌いだった。
少なくともその被写体になるの大嫌い症候群は、20代半ばまで続き、まさか私が写真館に勤めるなんて、
幼少期の私からは想像がつかなかっただろう。
ライフスタジオで働くようになって5年。
七五三の撮影をするたびに気付く。
「皆、撮影をされるのが好きなんだな。」
皆、それぞれ違う顔だけど、各々が思う自分の可愛い顔を良く知っている。
それが自然に見えるかどうかは別として、それは自分のことを良く受け入れている証拠なのだと思う。
それは、カメラがデジタルになったのですぐ画像が見れることが要因のひとつかもしれないし、
それとも今の写真館のクオリティの高さを現しているのかもしれない。
なんにせよ、自分を受け入れがたかった私にとっては、
カメラ技術の向上がこどもたちの自己肯定力育成の一因を担っているので、とても微笑ましく思う。
その日、その子に会ったときまだ私は彼女の声を聴いていなかった。
しかし、彼女から醸し出される雰囲気は緊張感なんてものは無く、
かなり落ち着いた雰囲気で昼下がりの西に傾きかけた光が薄く入る和室で佇んでいた。
ヘアメイクをして、小菊柄の着物を纏った彼女の表情は、涼しく流れる切れ長の目に、
すっとまっすぐに通った鼻筋、そして口角が常に上がっている口元。
赤い口紅がよく似合い、大人っぽい彼女の雰囲気がその口紅によって増しているように錯覚した。
声を発していないけど、何かを楽しみにしているのは分かった。
これは、彼女自身を綺麗に撮るように期待されている眼差しだ。
だからこそ口元は常に微笑み、私の指示にもスムーズに応える。
しかし、笑顔も難なく作って見せるし、ポーズや体の角度をつけるのもお手の物。
しかし、造作に隙間がないので、私は何とか隙間を空けようと彼女自身に投げかけ続けていた。
造作の隙間とは、動きと動きの間に見える表情のことを言う。
「足をこうして、手を口元に、目線はあそこに…」なんていう指示は完成形を目指している。
しかし、「鞄を開けてみて」とか「背中を掻いてみて」とかそういう類の指示は、
一見何の意味があるのかわからないが、その意図は動きと動きの隙間を撮ることを目的としている。
動きと動きの隙間には、誰にも当てはまる美しいポーズではなく、その人ならではのその人を表す動きがある。
そこにこそ、「その人だけの美しさ」を捉える瞬間がある。
その造作に穴を開けるのに、いろんな質問や投げかけをしていた。
大人っぽい彼女に合わせて女の子が好きそうな話題や小学生の女子っぽいテンションで話していたが、
いまいちつかめない。
窓際に立たせ、ゆっくりと傾く西日を見たときに、なんとなくピンときた。
そして言った。
「ねぇ、お外に見える電線さ。なんだかお蕎麦に見えてこない?」
自分でも何を言っているのかわからない。
その言葉を、まるでしようもないことを明るいテンションで話す芸人のように言ってみた。
「ふ」と口元が緩んだ。
今までも微笑んでいたが、虚を突いて息が漏れた。
少し糸が切れたような一瞬だった。
そのとき、やっと彼女自身が見えたような気がした。
私が最初に彼女に抱いた印象と、今一瞬だけ緩んだ彼女自身の存在を掛け合わせるように、
写真に表現することが今ここで彼女しか持たない美しさを引き出すことだと思った。
口元が緩んだ一瞬に、露出を下げる。シャッタースピードを速め、光を制限する。
右側に前ぼかしで使っていた暖簾で右側の壁の質感を消し、彼女の緩んだ表情にだけ光が当たるようにする。
それは、露出を抑えることと光の当たる幅を調整することで、私が最初に捉えた彼女の印象を消さずに、
かつ彼女の表情に目が行くように周囲を暗く落とすことによって、彼女の緩んだ空気を強調する。
それは、隙間のない空間に隙間を空けるような西日だった。
だから、私はピンと来たのかもしれない。
かくして、少し彼女を掴んだが、結局撮影が終わるまで彼女はその隙間をそれ以上広げることはなかった。
私たちのテンションはどんどん上がるばかりだったのに…。
しかし、やはり彼女は上手いので、彼女のおかげで75カットの構成のクオリティはかなり高いものとなった。
モニターが終わり、
彼女は大人たちの話に飽き、モニター室を離れ和室で隣のお客様のこどもたちと
別の撮影に入っていたHIROと遊んでいた。
その男の子のような遊びにきゃっきゃとはしゃぐ彼女に、撮影では見たことのない表情が見えた。
「あぁ、なんかわかる。わたしもそうだった。」
七五三の撮影の時に、どうして「ふ」と息が抜けたように一瞬笑ったのか、そこでやっと謎が解け、
やや悔しさが湧いてきた。
去り際に疲れてやや拗ねた彼女に向かって、
「また来てね。」
と、心からそう思いながら手を振る。
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