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写真人文学: 第3章 哲学サークル主題①

投稿日:2017/9/26

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第3章 哲学サークル主題①
 

皆さま、こんにちは!暑かった夏の影もあまり見えずすっかり秋ですね☆
ダイエットも、スポーツも、秋はいろいろ集中できてはかどります!さぁ、写真人文学もますますはかどりますね!!!
 
写真人文学の一貫したテーマが写真は芸術になれるのかどうかです。
その中で今回はハイデガーの芸術に関する考察を軸として話が進んでいきます。
ハイデガーの芸術とは「何かになるではなく、似ることにある。」これは、古典的な芸術観のひとつであり、芸術とは人間の及ばない領域である自然の中から、美とは何かという法則を見つけてそれを模倣すること(ミメーシス)にあることが真理であるという考え方ですね。要は、「美とは何か」から派生して「人とは何か」や「世界の真理」を見出して制作したものが芸術作品であるという見方です。
ハイデガーはヘーゲルを批判します。それは、実在の事物である「存在者」と、目に見えない隠された本質である「存在者」がごちゃまぜになっているからです。ヘーゲルは、芸術鵜とは内容が先行して形式へ表れるべきと考えていました。しかし、作品とは内容だけでは目にすることができないため、形式にしますがその形式自体が内容である本質なのか、その本質を表そうとするのだけど、形式が先行することもあったりと、いろいろ矛盾があったようです。
そこでハイデガーは、芸術の真理を整理しました。ここでざっと言葉の整理をしておきましょう。
 
「存在者」→“目に見えるもの。秋になると木の枝から落ちる落ち葉を見ながら雨水に濡れているときの、その落ち葉のことを言う。”
つまり「存在者」とは、実際に存在しているもので、それが誰にどう思われようと、とにかくここに存在していることは変わらないものです。
例えば、私がAさんからは尊敬されていて、Bさんからは嫌われているとします。私という存在の本質は、Aさんから思われている私の存在が正しいのか、それともBさんから思われている私の存在が正しいのか。しかし、この二人の私の存在をどう思われていようと、私は私でしかなく、それは変わらない事実です。誰にどう思われようと、なにが正しかろうと、私という存在がここにいて生きていることは変わりません。誰にどう思われようと、その誰かの思ったように変化はしないということです。これは、哲学用語で「唯物論」と言い換えることもできるのかもしれません。「唯物論」とは、観念的にどのような思索をしようとも「唯(ただ)、物が在る」という事実からは逃れることができないということです。(詳しく知りたい人は、私に聞いてね♡)
             
・「存在」→“目に見えないもの。オーヘンリーの小説に出てくる、最後の葉を見ながら生命と死の本質を体験させること。
「存在」とは、目に見えている事象や現象からその本質を探ろうとしたところで見えてくるものとも言えるし、その人の主観やそのときどきの感情や感覚によって変わるものと言っていいかもしれません。文章中にも出てきた、ロラン・バルトの母親の例やハンウンヨンの歌にもあるように、実際にそのものや人がどうであれ、それを見ている人に何かを体験させ、意味を持たせるもの。そういったその人の主観によって、対象の存在が規定されること。それが対象の存在を決めるものになるのです。「存在者」の概念を唯物論というのと対照的に、「存在」の概念は観念論というのかもしれません。観念論とはその人の観念によって、見るものの存在が変わってくるという概念です。例えば、自らの人生を悲しく寂しいものだと嘆くと人生は悲観的に見えるし、楽しく希望に満ち溢れていると見れば、人生は命の煌めきに満ちた素晴らしいものだと認識できるのです。その認識がその人の人生の在り方を決めます。これは観念論的認識の為せるものかもしれませんね。
 
これらの言葉の意味を整理したところで、「存在者」と「存在」の関係について、少し考えてみたいと思います。
ハイデガーはその関係性を、「道具」と「作品」に分けて説明していると文中にあります。
 
「道具」…徹底して何かの目的のために作られたもの。実用性と用途。
「作品」…何の目的も無く、存在そのものに異議を持つもの。どんな意味も含んではいけない。純粋な顕示。

 
どちらも人が作った事物のことです。それが、作り手や使い手の意図のよって、在り方が異なってくるものですね。
陶芸の作品を例にしてみると、同じ有田焼でも陶器市に売られていれば食器に見えるし、展覧会に出品されていれば芸術鵜作品に見えますよね。それは、ハイデガーのこういった事物の区分によるもので説明ができますね。
 
「存在」と「存在者」について。文章中の理解はできますね。
では、ライフスタジオの話をしましょう。
 
ここで重要なのは、「存在」と「存在者」という概念が写真とどういう風に結びついているのかなのです。
概念の説明が出来ても、それを写真の中に感じることが出来なければこの概念を本当に知っているとは言えません。
 
そこで今回の主題です。

 主題1:「存在」と「存在者」の意味をしっかり理解しよう!
「存在」と「存在者」の説明は写真人文学の文章中でも書かれていますし、私もブログにあげています。また、今回は自分の言葉で説明することが重要になってきます。
 
主題2:「存在」と「存在者」をライフスタジオの撮影に置き換えて説明してみよう!
「存在」と「存在者」という言葉を使わなくてもいいです。ライフスタジオで日常的に使っている言葉で、撮影に密接した言葉で説明してみましょう。そうすることで、「存在」と「存在者」の概念を現実に基づいて関あげることが出来ます。
 

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