Photogenic
所沢店
目に見えぬもの
投稿日:2024/9/30     更新日:2024/9/30
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Photo&Write by yoko , Coordinator by Miyazaki
「写真」とは定義できるものなのか、否か。
なんていかにも難しそうな言葉を使ってみます。
私の答えは、「写真そのものの意味は定義できるが、写真の持つ意味は定義しきれないものである」ということ。
意味がわからないですね。私もです。
要は、「写真」という物質の説明はできるけれど、その写真の持つ意味や発する感情は定義しきれないのではないか(あるいは答えはひとつではないのではないか)ということ。
良い写真悪い写真などなど様々な討論を日々行う我々ですが、いつもたどり着くのは答えはその時々で変わっていくものではないかということです。
(もちろん最低限のラインというかお約束などはありますが。)
例えばお子様の「泣き顔の写真」。これなんかは非常にわかりやすく意見が分かれるものではないでしょうか。
通常、お子様の泣き顔より笑顔の写真のほうが欲しい親御様が間違いなく多いと思います。
ですがライフスタジオに努めること早8年。
大人の思うようにいかない、どうしても我々の力が及ばない状況なんてことは数え切れないほどにありました。
にっちもさっちもいかないそんな時に私がカメラマンとして思考するのは、この後の撮影の流れと感情への寄り添い方。
そして、どのように美しく写真を残すか。
撮影という非日常の環境は、お子様の感情を多少なりとも揺さぶります。
人見知りや場所見知りなどがあればなおさらです。
本当に悔しいことに、我々の力が及ばないこともあります。
ただ、その感情の揺れ動きはすべてがいけないことなのか?と問われれば、それもまた違うのだと私は思います。
その姿は、紛れもなくその時の自然な姿の一部なのです。
だからこそ美しく、数年後に思い出したくなる”今”として残せるように私たちは思考します。
写真はもちろん、時間や、関係性も。思い出したくなるような今を残せるのは私たちの特権なのだと思います。
この写真を見た人は何を感じるのか。
お子様の泣き顔からの感情を感じるのか、お母さんの声が聞こえるような笑顔からの感情を感じるのか、その2人を見つめるお父さんの視線から感情を感じるのか。
写真とは、見方によって様々な感情(意味)を感じ取ることができるのだと私は思います。
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