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所沢店
scrollable

謙虚に、増幅させるイメージを。

投稿日:2021/7/20     更新日:2021/7/20

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Tokorozawa Photo
Photo: Kudo
Coordi: Natsuko

 

繰り返される日常の中で、たくさんの出会いと喜びの中で、
人間とは傲慢なもので、いつしかそれが言いも言われぬ停滞へと知らず知らずのうちに滑り落ちていることがあります。
変化していないことなど何もないはずなのに、何も変わらないと退屈になる。
その退屈は、やがて自分への退屈であるとおのずと気付きます。
変に経験だけを重ねると、かたくなに自分への過信と経験のみで偉そうな理屈を唱えるのみの人間になっていると気付きます。
7年目まではがむしゃらに、誰が何を言おうと真っすぐに、写真へ向かい走り続けることをしていたような気がします。
では、10年目の今は…?

「何のために写真を撮っているの?」
きれいごとではなく、現実に自分にこの質問を落とし込めているでしょうか?
では自分自身の写真の目標はあるのか?
10年目になると自分のみに集中するポジションではなくなります。お客様のこと、一緒に働く人のこと、ライフスタジオはどういう場所で、所沢店をどういう場所にしていかなければいけないのか。
毎日毎日、自分の感情や感傷に浸る暇もなく、ただただそれらのことに集中していると、いつしか過去の経験と過信のみで写真を語るようになっている自分がいることに気が付きます。
そんな自分自身を見ると、自分自身の写真に飽きが来ていることにも気が付きます。
つまり自分の写真に目標が無いということですね。

かつて、哲学でもそんなことを常套句のように言っていました。
「すべては変化している」「弁証法的発展をしないと停滞していくだけだ」と。
とても理想的なことでよく口にしていましたが、果たしてその理屈を今自分自身の変化のために使っているのか?
無意識の人のセルフイメージほど現実と乖離しているものはなく、現実的に自分の姿を見ると情けなく反省だらけの姿をしています。

そこまでわかっているなら、今どうするのか?
大体の場合、成長するにはインプットとアウトプットが重要だと言われます。
インプットは自分以外の何かの要素から、知識を得たり学んだりすること。
アウトプットは自分自身が現実に何をして、何を成すのかということですね。
私はインプット・アウトプットの質よりも、インプットした材料を私自身がどう解釈しどう料理するか、という私自身の思考回路が最も重要だと思います。
この思考回路次第では、センサーも敏感に反応しませんし、他人に対してフィルターをかけて見ることになってしまいます。
例えば、失敗しても落ち込んだり誰かや何かのせいにして言い訳することはセンサーが鈍くなりそこから思考停止してしまいますし、
誰かが自分のために叱ってくれたりアドバイスしてくれたことでも、反感のみを覚え批難されたと捉えてその人を拒絶することになります。
そういう人は、痛みを回避している代わりに成長もあまりできないのかなと思います。
反対に、常に謙虚にインプットをしてすべての出来事に変化するヒントを見出そうと生活していれば、
現実から価値を創ろうとして成長し、より良いアウトプットが成されていくものだと思います。

自らの戒めのために述べますが、重要なのは自分の意志と謙虚さです。
自分がどうなりたいのかということと、そのため行動へ向けた姿勢の問題です。
写真の話に戻りますと、私にとって写真は方法であり手段です。
それは言い換えるとアウトプットするためのツールです。
私は人とつながるツールを写真として仕事をしているので、その写真でより良いアウトプットをしていきたいと思っています。
写真の表現方法は、様々ですがアウトプットばかりを繰り返しているといつしか自分の中で意志もイメージも枯渇していくことになります。

長々と話してしまいました。写真の話をしましょう。
この写真はお客様のご希望のイメージがあり、それをかなえる形から撮り始めた写真ですが、そのイメージの写真を見て、素直にそれがいいアイデアだと思い、
せっかくならより良い光で、より良い形で撮りたいと思い撮らせていただきました。
100日前後の赤ちゃんは、とても自然です。ありのままですでに素晴らしいのですが、大人は写真の出来映えのために変に制約を求めがちです。
手足を元気にばたばた動かせることも、自然に出る動きも、全てが愛おしい。写真ではなく動いている姿にそう思います。
ならば写真はただそれを写せばいいのか?そうしてしまうと写真の価値は無いですね。
写真の付加価値は、現実を誰が見ても善いように増幅させたり強調させたりすることだと私は思います。
その瞬間をまるで止まったように見せる技術は、動きの中ではすぐ過ぎてしまう瞬間を決定的に捉えることで、それだけですごいと感じてしまいます。
そこから派生して、現実に在ることを撮影者の視点を通して、どう写していくのかということになります。
イメージも、光も、形も、瞬間も、
何に反応して、何を選んで、何を変えて、どう写すのか、
それが写真の四隅の空間の中で起こる全てです。

この写真は、お客様のお持ちいただいたアイデアから、赤ちゃんの元気な様子から、お持ちいただいた祝い着から、
私がその場所から善いと感じたすべてを、なるべくベストな形で表現しようと思った一枚です。
手足が元気にバタバタ動くので、祝い着をかけられてもすぐに剝いでしまうのを都合が悪いと思うのは、大人が勝手につけたイメージであり赤ちゃんには関係ありません。
でも、思い入れのあるお着物をちゃんときれいに表現したい。
そんな狭間の中で、撮影者である私が選択したのは、そのどちらも美しいと思えるように表現することでした。
自分勝手な写真は誰からも受け入れられるとは限りません。しかし、撮影者が写真の中に何を入れるのを判断することは誰にも介入できる余地はありません。
つまり、感じる力や思考することは撮影者の能力に大きく関ります。そこから撮影技術を向上したり、矛盾から何かを変える原動力になるのですから。

そんなときこそ、謙虚なインプットを。
とにかく良い写真を見ること。散歩している中で、誰かと話している中で、日常の中に良いイメージを見つけること。
いったん、自分の傲慢さを無くし、素直な目で世界を見つめること。
空を見てちゃんと美しいと思えているか。ご飯を食べて美味しいと思えているか。人と話して楽しい以上に感動しているか。
そのセンサーを鈍らせているのは、自分にとって都合の悪い特定の誰かでも、自分が望まない現実でもなく、自分自身の心と姿勢次第だと。
そこから、現実に表す術を持っていないなら具体的な練習や勉強を自分からするようになりますしね。

自分の弱さに浸るのではなく、ただひたすらに自由に真っすぐに、
この現実の上に、写真を撮っていこうと今一度決意をしたのでした。

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美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
人を、人生を写しています。

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