Photogenic
所沢店
人生の枝折
投稿日:2021/1/31
2207 3
Tokorozawa Photo
Photo by Satsuki Kudo
Coordi by Aimi Curnew
生きるということは道程。時間は前にしか進まない。
人は皆、その先に何があるのかわからない道を前へ前へと歩いていて、決して過去には戻れない。
先のわからない未来も、戻れない過去も、唯物論的には存在しないのかもしれない。
だけど、確かに私はここにいて、その私という一人の人間を表すということは、私が過去を歩いてきた道程のことを表すということになる。
私という人間が一歩一歩を歩いてきたその足元には確かに道ができていて、その道のことを人は人生というのかもしれない。
人の記憶は時に曖昧で不確かなものだから、時に忘れたり、誤魔化したり、改ざんされたりして、その繰り返しの中で生きていると、ふと自分が何者か見失うこともある。
だから、人は記録をつけたがるのかもしれない。
日記に書いたり、数字をメモしたり、ボイスメモを録音したり、絵に描いたり、とにかく様々な形式にして、その日のことを、忘れないように。
その日のことを忘れないようにする理由は様々だけど、その日がいつかになってしまうとき、そのいつかが大切な記憶であればあるほど、美しいものであると思い返せるものであればあるほど、
人は自身の人生を肯定できるのかもしれない。
私たちが撮る写真はそんな人生の枝折(しおり)。
道の迷った時の道しるべ。
踏み出す一歩一歩に、折った枝を道しるべに置いて歩くのは、道がわからなくなったときに、立ち戻って自分自身を取り戻せるように。
あの時の記憶が、今の自分を形作るものであったと、思い出せるように。
私は4人姉弟の2番目に生まれました。お世辞にも仲がいいとは言えない姉弟で、だけど全く絆がないわけでもない。
そんな可もなく不可もない関係性の姉弟だという記憶しかなくて、特に十代の頃はお互い敢えて近づくことはなく、逆に近くにいるということに居心地の悪さすら感じていたように思えます。
大きな喧嘩をするわでもない。かといって、一緒に頻繁に話すこともない。
言葉を交わすのは、「おはよう」・「いってらっしゃい」・「おかえり」・「おやすみ」、その4語だけの日もありました。
当時、私は家の中でも笑っていることは少なく、冷めた関係性だと思っていました。
私が22歳の時に家を出て、茨城県で一人暮らしをしていました。初めての一人暮らし、慣れない生活の中で、心細くなった時期でした。
実家から持ってきたアルバムの写真をふと見たくなり、手に取りました。
その写真の多くは、私一人のものはなく、姉弟や家族で写っていたものでした。
私の記憶の中の姉弟のイメージとは大きく違った当時の姿。
無邪気にはしゃぎあって、笑いあって、誰にどう見られているかなんて関係なく、素直に笑っている私たちの姿が、その写真には写っていました。
当時の写真は35㎜のフィルム写真。データではなくプリントされた写真。今のクオリティから見ても綺麗な画質、というわけではなかったのですが、何故だか心の奥が温かくなっていくような写真の数々でした。
その写真を見て、その当時の私たちを思い出しました。一緒にいるだけでただただ楽しかった。くだらないことで笑いあって、一緒にいるその時間そのものを楽しんでいたあの時を思い出しました。
些細な反抗心で距離を取っていたのは何故だったのか。あまり話さなくなっていたのはいつからだったのか。
ただ意地の張り合いになってしまっただけだと気が付いたとき、無性に姉弟と連絡が取りたくなって、一つ下の弟に電話をして久しぶりにくだらない話で笑いあいました。
それからは、実家に帰るたびに私から家族に話しかけるようになったり、少し優しくなったりと、一緒にいる時間を大切にしようと思えるようになりました。
それから5年後に写真を職業にしようと思い、ライフスタジオに入るわけなのですが、私が写真を職業にしようと思ったきっかけは、その気付きがきっかけだったからかもしれません。
よく写真は記憶のインデックスという役割があると言われます。インデックスとは、その名の通りページに貼る付箋のような役割を果たします。
記憶とは曖昧ですぐ忘れてしまうものだけど、記憶とは形のないものだから、鮮明にその時の感情や気持ちを覚えていることなんてできないけれど、その時にしかない大切なこともあるものです。
だから、人は写真という現実的な形式のもので、できるだけ正確にその時のことを形にしようと思うのかもしれません。
実際に、私自身が写真があったおかげで姉弟との当時の関係性や姉弟へ向けた感情、そして無条件の愛を思い出すことができました。
今回の写真の姉弟と出会ったとき、懐かしい感覚を覚えました。
仲が悪いわけではありません。一緒にいること自体が楽しいお年頃です。
お姉ちゃんは明るくハキハキとしていて、気が強く、たまに弟に対して強く言うこともあります。
した二人は仲が良く、冗談を言ってもなんでも楽しそうな感じ。
3人でいると、些細なことが楽しくていつもふざけあっている。
この撮影も、たびたびふざけ合っては笑いあっている姿が印象的でした。
懐かしい感覚を受けたのは、私たち姉弟のことを思い出したからかもしれません。
こんな風に無条件に楽しい時代もあり、意地を張って疎遠になって時代もあり、それぞれの道を歩いて振り返ったときに、また大切な家族として立ち戻れた。
目の前の3人も今は無条件に楽しい。これからもそうかもしれないし、もしかしたら関係性が変化していくときもやがてくるかもしれない。
たくさんの変化があって、それぞれの人生がそれぞれの道を歩いたときに、この写真が大切な時の一部分をを思い起こさせる枝折であったらいいなと思いながら写真を撮っていました。
声かけは、家族の話題。その話題だとなおいっそう楽しく話していた3人の姿が印象的でした。
その姿をこれからも大切な絆としての証となるように、その時の記憶がより鮮明に輝いて見えるように、画角を決めて、光を決めて、声をかけて、あとはその瞬間を私が逃さないようにシャッターを切ることに集中する。
今の3人の関係性をいつまでも大切に。
それぞれの道程の枝折のひとつとなるように。
そんなことを考えながら、この写真を撮りました。
ライフスタジオは人生の写真館。
毎日、いろんな家族の人生と、いろんな人の人生の、大切な道程の一部分の枝折(しおり)を一緒に作るお手伝いをするのが私たち。
そんな私たちは、自分の人生を時には重ね、たくさんの人の想いに寄り添いながら、日々を過ごしていくことが使命なのだと、最近改めて思います。
別々の道程を歩く人たちと出会い、この場所では一緒に人生を見つめながら豊かにしていくこと。
写真を通して関係を作るということは、その想いと同時に、写真で今その時をいつ見ても美しいと思えるように表現していくこと。
だから、常におごることなく、真摯に誠実に写真を撮っていくことをしていこうと思うのです。
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