Photogenic
所沢店
一途に、永久に
投稿日:2020/12/20     更新日:2020/12/21
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Photo: Satsuki Kudo
Coordi: Misaki Nakagawa
一途に、ただひたすらに、生きていることの素晴らしさを伝えたい。
永久に、普遍に、そのことが美でありますように。
そんな想いで毎日撮っています。
私の自分勝手な持論ではありますが、ポートレート写真の本質はその人が生きているということを写すということに尽きるのではないかと思います。
私の自分勝手な持論ではなりますが、生きているということ自体に美しさがあると思うので、私たちはその美しさを可視化するお手伝いをしているに過ぎないと思うのです。
そんなことを、ただひたすらに、だけど私が誰かを写真に撮っていくうえでの一筋の道として、歩んできました。
その写真に写る姿が、何年後か、何十年後かに、見たときに記憶を呼び起こす温度のあるインデックスとして残ることを願いながら、撮影をしてきました。
そんなことを思っていても伝わらないことの方が多いのだと思いますが…。
そのたびに、私の実力不足だと実感しながら、だからこそまだまだ先を見ていかなければいけないと考え、藻搔きながら歩んでいかなければいけないと思います。
そのこと自体があることが、ある意味では幸せなのではないかと思う今日この頃です。
さて、私が写真を撮るうえで大切にしていることは、目の前のその人が「生きている」ということを写そうとすることです。
それは、世間一般的な流行とか、いわゆる映えのテンプレートなどには、必ずしもハマらないものになることは多いです。
情報ばかりが溢れ、錯綜しがちな現代では、よく誰かのSNSの写真を見ていいなと思ったりしても、自分には当てはまらない現実とかに打ちのめされそうになることもあるかもしれません。
誰かの私生活が充実しているように思えて、自分もそうでなくては充実していないような気がするし、誰かと自分とを比べながら、生きる人も生きてきたのかもしれません。
いわゆる「隣の芝は青い」ということですね。
自分がそれ以下にならないように、自分がそれ以上であることを見せるように、生きていかないと承認欲求が満たされないのかもしれません。
しかし、「人」は皆違います
そこに良いも悪いも、優も劣もありはしないと私は思います。
同じ人生を歩む人は一人もいない事実がある中で、誰かと比べ、世間一般的な幸福の枠組みにはまる必要はないのかなと思います。
私は、人は皆それぞれの姿があり、まっすぐに偽りなく、その人自身を表現しながら生きていくのが一番美しい姿なのかなと思います。
その中で他者のことも同様に認め、それぞれがそれぞれを尊重しながら生活を営む姿が、人間的な生き方なのかなと思います。
私は、ライフスタジオで学んだことがります。
それは、私は「人間」としてライフスタジオにいても良いということです。
カメラマンとしての私、すなわちシャッターを切るだけのマシンのように存在することもない。
私は、人間として毎日誰かと接し、人間として写真を撮る人でいいのだということです。
だから、目の前にいる人を愛おしいと思うことや、美しいと思いながら、ここにいさせてもらっています。
その人を美しいと思うことについては、もちろん親御さんにはかなわないかもしれません。
だけど、困りながらも愛おしいという目でわが子を見る姿。
一生懸命、自分の意思を発揮して生きようとする姿。
親御さんがお子さんを愛している姿を見て、私はそのことを丸ごと美しいと思うのです。
その人の美しさは、自分で望んでその姿になることはないのかもしれません。
見かけじゃないくて、内面に宿るその意志を。
パット見ても見えないところにこそ、その人自身を創る何かがある。
私たちは、その1%くらいしか垣間見ることができないのかもしれません。
だけど限られた時間だからこそ、深くその人を見ようとする。
そこから、その人らしさを写真という形の中に収めようとする。
それは誰かと比べるという概念が入り込める余地は、本来なら無いと思うのです。
私は、ライフスタジオで写真を撮るうえで、
被写体が変わっても、
時代が変わっても、
私がと年老いても、
「生きていることが素晴らしい」ということだけは、一途に、普遍に、表現したいと思うのです。
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