PhotogenicTokorozawa

花笑み

2020/6/20

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Tokorozawa Photo

 

Photo: Satsuki Kudo

Coordinator: Aimi Curnew

 

【花は美しく咲くのではなく、花が咲くのを美しいと感じる人がいるから、だから花は美しく在る。

人も同じですね。美しい人がいるというよりは、その人を美しいと思えれば、その人は美しくなる。

カメラマンという職業は、カメラを構え瞬間ごとにシャッターを切り続ける世界の中はその連続なのだと、つくつぐそう感じます。】

 

3ヶ月前にもそのご家族とは会っていて、その時は「次は着物なんですね~」なんて会話をしながら過していたなと思い出していました。

1月に入社したカーニューも、3月に一緒に撮影を入っていて記憶に新しく、せっかくだからまた一緒に入ろうかなと、スケジュールを見た時に考えていました。

3ヶ月後である6月、三姉弟の3人とも着物を着てくれて、華やかな出で立ちの3人を目の前にすると、撮影者である私の目は一人一人の内面を気にし始めます。

前回は、一番下の妹ちゃんの入学記念で来てくれたので天真爛漫な妹ちゃんのことはよく知っていました。そして、真ん中のお兄ちゃんも写真に撮られることが恥ずかしく感じるお年頃で撮影以外はポケモンの話などで仲良くなることが出来るのですが、いざカメラの前に来ると恥ずかしくなってしまう。そんな印象でした。

ただ、1番上のお姉ちゃんは前回の撮影だけではどんな人かあまりよく知らないままでした。彼女は、1番上の姉らしくしっかりしていて、協力的で、物静かだけど優しいということしかわかっていませんでした。

彼女も着物を着て撮影するので、撮影前に話しかけたり様子を見たりして彼女自身を把握すること。これが撮影車には必要です。このことを被写体把握と言います。

被写体把握をしようと、ヘアメイクする間一緒に過ごしてみて印象的だったのは、妹ちゃんと楽しそうに一緒に遊ぶ彼女の姿でした。それは本当に遊んでいるというよりは、天真爛漫で自由な妹ちゃんを飽きさせないようにしているようにも見えました。長い長い準備の時間、妹ちゃんが疲れて飽きてしまわないように自然に立ち振る舞っている彼女の姿を見て、このお姉ちゃんは弟や妹のためにというスタンスで日々過ごしていることがわかりました。

気を遣うと言うよりは、それが自然というように見えて、まだ11歳の彼女に尊敬の念を抱きました。物静かで無口なのは、彼女自身のことを表現することに慣れていなかったり、彼女自身にフォーカスが当たるような質問に慣れていなかったからかもしれません。

そんな彼女に惹かれて、撮影は始まりました。1人で撮られることは嫌じゃないけど、慣れていない。表情もどう作っていいかわからない。そんな彼女の心の声が聞こえてくるような空気感。微笑んでくれるけど、気恥ずかしい。彼女自身、あまり自分にフォーカスを当てられることに無欲というか、場数が少ないというか、それをかわいい妹ちゃんに譲ってきたので、こういうときにどういう振る舞いをしたらいいのかわからないのだと思いました。

彼女の美しさを本人自身もあまり認識していないような、さしてそこには関心がないような、そんな印象があったので、なおさら彼女が美しいということを表現したいと思いました。撮影者である私が思う彼女の美しさは、謙虚さと高潔さ、そして彼女の周り全てを自分自身よりも愛しているということ。それを表現するにはどうしたらいいのか。

イメージしたのは「花」でした。「花」が美しいと決めたのは誰なのでしょうか。誰とわからくとも、「花」は美しいものだという認識は、誰にでも、どこにでもあるものです。それは、人の共通感覚がそうされるのかもしれません。でも、人が「花」を美しいと思っていても思わなくても、「花」はそんなことに関係なく変わらずそのまま佇むだけだからです。彼女からはそんな雰囲気があると思いました。

新しくできた「花」の部屋があります。彼女の美しさを、誰が見てもそうだと思えるような表現方法はその「花」の部屋で、彼女を表現することだと思いました。髪飾りの花と、上から垂れ下がる無数の花、そしてその部屋を見て花がほころぶように微笑む彼女の姿。私にはそれがとても自然な美しさのように見えました。

七五三も終わり、成人式まで着物を着る機会がないような年齢になる11歳。日々大人になりゆく彼女の今の美しさ。その美しさを表現できたら、今しかないその時は、未来につながるかけがえのないひと時になる。

だから私は、彼女自身を美しく未来につなぎたかったのかもしれません。

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