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新横浜店
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[ライフサークル#1] 4月 25日

投稿日:2017/4/27

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※サークルの討論の現場 



 現在、月一回に自由参加のサークルを行っています。 まだサークルの名前は決まっていないですが、「情報共有、映画討論、写真人文学」の大きく3つのカテゴリーで行っています。 個人的にはこのサークルの日が待ち遠しいです。 毎日繰り返される日常から離れ、自由に情報を共有してお互いの壁を超えるため努力をし、映画を通じて新しい考えを受け入れるのが生活の活力になっています。 そして写真に対する哲学的なアプローチの討論は、最近スタジオで写真を撮る機会が少なくなった私に刺激を与えてくれます。
 
そのため、このサークルの活動をこれから少しずつ共有し発信していこうと思っています。
それでは今月のサークルの内容の紹介を開始します!





情報共有の時間にはライフスタジオの未来に対するMr.LEEの質問がありました。
内容をシンプルにまとめると【拡散、ビューティープロジェクト、全国化]の具体的な方法に対する自分たちの意見を共有する場でした。
そのほか、現状に対する情報共有としては、現場でお互いの活動や悩み、状況などを自由に共有しました。
 
この内容と関連してMr.Leeがこのような話をしました。
個人の浮き沈みがある時どう解決するのか?
上がるときには拍手を送るが、下る時は単なる個人の問題と認識している。 しかし、下る時も組織的に補完をしなければならない。 下る時に堂々と言葉で出来る環境を作らなければならない。
人間関係というのがこの人生の上り、下がりを共有して一緒に話をすることだ。









今回の討論は最近、人気が上昇しているかつ君が準備しました。
映画を見て自由にお互いの考えを共有し、それを私たちの社会や日常にも代入し、分析もしてみる場でした。
映画のタイトルは「メッセージ・イン・ア・ボトル」でした。
 
この映画に対するメンバーの感想は下記の通りです。

各自映する感想は?
 
- 主人公が元妻に対する申し訳なさと新たな女性に対する愛の間での葛藤を感じた。
- 女主人公を通じて辛い世界を抜け出す過程が印象深かった。
- 主人公が痛みを乗り越える過程が描かれている。主人公に手を差し延べてそれをきっかけに勇気を持って一歩前へ進む過程を描いている。
- 対立している二人の主人公の姿が描かれている。
 
で感じる愛とは?
女主人公が何か満たされない愛を感じていたが、手紙が自分の心を満たすことができる一つの宝の地図のようだった。 そして直接会ったとき、手紙からは見えなかった偉大な男主人公の存在が見えた。 それで愛が始まった。
 
それでは愛とは何ですか?
愛はお互いに強要せず、その自体で存在すること。
相手のすべてが私に無条件的に入ってくることだ。




今回の時間のテーマは[ベンヤミンのアウラ]でした。
所沢店の工藤さんの分かりやすい整理と資料を土台で講義と討論が行われました。
 
写真人文学はこれから下記のように当日は3チームに分けて進められる予定です。
 
工藤さんの講義、Mr.Leeの説明、自由討論
※時間でチームを交代する方式です。
 
#1 Mr.LEEの説明
写真人文学について話をする前に、たくみ君のためMr.LEEの哲学の講義がありました。
 
とは?
私の土台を構成している最も根本的なものについた質問である。
考えと考えを重ねてみると,根本的な考え方の出発点に到達することになる。
最も底と始まりを知らなければ、自分の根幹が揺さぶられる。
 
その過程は3つに分けられる。
 
1)何? という存在に対する質問
特定の存在がその名前で規定されて呼ばれている理由についた問い
 
2.どうして知らなければならないのか?
 
3)私の人生にどのような価値があるのか?
このように根本的なものを考えることが哲学だと思う。
 
それでは写真人文をする理由は?
私たちが写真と関連した行為をしながら、我々が規定したものがあり、そのように定義した理由がある。 写真、人文学をする理由はそれを認識する過程だ。
 
例えば、ある写真をこれだと規定したとしたら、 なぜそのように規定をしたかの過程を知らなければならない。そして、それが価値があるのかを知るべきだ。
 
写真人文学は本に出てくる哲学者を注目し、その哲学者たちの観点でどのように規定されていて、なぜその規定になっているのかを知って行くことだ。 そして、それがどんな価値があるかを判断することである。
本に出ているものが全部合っているかはわからないが、このような哲学的思惟は私たちをワンランク上の段階に押し上げてくれる。 現場で実践のみになると、自分が知っている段階の理由だけで、写真を撮る。 もっと高い段階の内容を知ったならばそれだけの結果物が発生される。
 

#2. 工藤さんの講義容をもとにした討論
 
ライフスタジオの写真は事実性か? 芸術性(自己表現)か?
 
Mr.Leeの意見
事実性と自己表現はどちらかが先行される関係ではなく、別に同時に存在するものと考えている。
日常で自己表現は少ないと感じる人が多いかもしれない。 それは、自分の中に自分だけのフィルターがないからだ。 赤い色で世の中を見て、青色で世の中を見る、多様なフィルターが必要である。 つまり、自己表現のためには自分の基準が必要である。
写真に適用する基準が少ない理由は「見慣れたものを見慣れてないように見よう」とする自分だけのシステムがないからだ。 ライフスタジオは自由を言う。 それは「見慣れたものを見慣れてないように見よう」とする環境は比較的に整っているとのことだ。
 
もっと高い事実性を追求する人は多いかも知れないが、自己表現の追求をする人は少ない。
当然のことを当たり前に思って、そのような人生を生きてきたため、その自己表現が足りないのだ。

写真分析は、自分が青色か赤色か知って行くのであり、基準を作る過程であると言える。
 
日常ではないところにいれば、全てのことを当たり前に受け入れることが出来ない。
例えば、外国に行くと外国の日常が不慣れに感じられているのと同じだ。
 
写真もそうだ。 現在、複製物が蔓延した社会において見慣れたものを見慣れてないように見ようとして自己表現をすることは容易ではない。 そのため、意図的に多様な試みと観点を育てなければならない。



以上です。次回もお楽しみに!
 
 
 
 

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