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視線

投稿日:2016/6/3

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Photo by Choi Eunpyo
Coordi by Nishijima Yoshie

 視線について話をしてみたい。 視線は、辞書的に目が行く方向または関心を指す言葉である。 そして、私たちは日常生活で数多くの視線を意識しながら暮らしている。 写真を撮る行為においても同様である。 写真撮影において撮影者は大きく二つの視線を意識しながら写真を撮っていると思う。 一つは自分の心が投影される撮影者の視線であり、また他の一つは写真を鑑賞することになる鑑賞者の視線だ。
 
撮影者は写真を四角形の枠の中に構成して配置をする際に、瞬間的に様々なことについて悩む。 誰もが共感することができ、誰でも好む感想者の視線も考慮しなければならず、自分の心と感情の視線が多く投影されている写真も積極的に撮ろうと努力しなければならないからだ。

写真は撮影者の視線によって時には全く違った結果として表現されるときもある。 それで写真自体を感情の表現とも言う。 何をどのように撮ったとしても写真は目の前にある現実的状況を選択的にしか構成できない表現であるため、撮影者の視線によって強調したいとする対象も違って表われるからである。 もし、現在私たちがスタジオで撮っている写真が単に芸術写真であるとすれば、鑑賞者の客観をあまり考える必要はないかもしれない。 なぜなら、芸術写真は特殊性または感覚の新しさを主に追求するため、最も優先視されるのは自分の独特の視線、または感情が優先視されると考えているからだ。だからといって単純に誰でも好む一般的な視線の写真だけを撮ったら、写真の発展もそれ以上行われず、鑑賞者の立場ではもう一般的なものではなく時代遅れのような写真で認識されてしまうことになるだろう。 そのため、私たちが現在スタジオで撮っている写真は自分の視線の主観と鑑賞者の視線の客観をすべて適切に考慮して撮影しなければならない写真と考えている。

特にライフスタジオの撮影者なら誰でも日常的に考えて悩んでいる内容だと思う。 なぜなら、ライフスタジオは表現の楽しさを追求して、その中での表現の自由を保障しているからだ。 同じ場所で同じポーズをし、笑顔だけを撮影する撮影方式ではなく、撮影者が被写体を積極的に動かして自分の意図を表現する撮影を保障する方式であるからだ。 そのため、現場の撮影者はいつもこの二つの視線を適切に反映しながら、自分の写真を発展させるために努力をしていると思う。

現在、個人的に行っている「イメージ写真で状況を伝える。」というテーマはこのような努力の一環と考えている。 イメージ写真でその状況を伝えるというのは、どんな写真よりも自分の視線が深く反映された写真だと考えているためだ。 イメージ写真は代替的に被写体がカメラを見ていない写真または特定の対象を強調させて撮る場合がほとんどである。 また、簡単に被写体の表情を読むことができないため、自分だけの視線でその対象に多くの意味を付与しなければならない場合が多い。 例えば、雨の日のマラソンというテーマで写真を撮るとき、ある撮影者は、雨の中を走る選手の顔を強調して撮影をし、ある撮影者は雨にぬれて、泥水がごちゃまぜになった靴を強調して撮影をしたとする。 この時靴を強調して撮った撮影者はその現場の困難な状況を最大限伝えられる自分のだけの視線の表現としてこのような方法を選択したと思う。
 
上の一枚のイメージ写真を構成する際も、この好奇心旺盛な女の子の状況を私だけの視線で表現したかった。スタジオのいろんな小物を触りながら歩き回る子供が鏡を見つめ、立ち止まった時に好奇心に満ちた子供の感情とその状況を最大限表現したいと考えながら、息を止めてファインダーを通してその子の次の動作を待っていた。
この時、鏡を触る子どもの行動を見て私の視線は、自分も知らないうちに鏡と手が合わさったところに向かった。 まだむちむち感が残っていて、幼い子供ということが一目で分かる白い手と、鏡の出会いは「まだ経験したことより経験していないことが多い子供と世の中の出会い」という刹那の感じを受けたためだ。
鏡は世の中をありのままに照らしたりもするが、目に見えるのがすべてではないことが、世の中である。 そのため、ありのままを映すという鏡の性質は世の中で生きていくにおいて「ありのままのこと」と「みられること」の差について考えさせてくれる一つの媒介体と個人的に考えている。 この小さな子供が鏡を触った手は、これから展開される世の中の一部分との出会いだと感じ、それを写真でも表現したいという私の視線が内包されている。
 
このように私の視線と感情が写真に表出され、それが美しく表現されたと感じるとそれを通じて私という存在を確認するようになり、一段階発展したという喜びも感じる。 自分の視線を他人に見せ、それをもう一度整えていく作業、これは撮影者として絶えず行わなければならない努力だと思う。
 
自分の視線が淘汰されず発展させるために。。。
 

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