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仙台泉店
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essay 1 使命

投稿日:2014/9/30

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時間が欲しいってふと思う時に写真の偉大さがわかる。

少しだけ前に立ち寄りたいと思う瞬間、そこに訪れたい衝動的な気持ちが来た。
その瞬間が写真の最大価値だと私は思う。
一人で見る、家族で見る、兄弟で見る、友達と見る。なんにせよ、幸せな雰囲気で物思いにふけることができるし、動画や文字ではなく写真として見ることによって感じ取る物は大きく変わってくる。その写真とその空間はどの様な雰囲気だったのか、緊迫していたのか、盛り上がっていたのか、たくさんの苦労があったのか様々な背景がある。つまりそれの持つ意味は。。
『証明ではなく思い出でもなく写真という記憶』

それが大前提にある撮影風景というより、撮影背景のほうが重要ということ。1枚の写真に辿りつくまでの間になにがあったのか。その後はどうだったのか。事象には必ず過去、現在、未来がある。当然、写真もそれなのだ。
写真は常に過去になるが思い出すその瞬間は昔の現在を表す。過去であり現在なのだ。その撮影の前後に何があったのか、たった一枚の写真によってその3起点から考えさせられる。写真の可能性という部分になる。

しかし条件がある。
その場にあなたは存在していたのか?
存在していたのなら効果的に写真を楽しむことが安易にできる。
では存在していなかった場合はどうなるのか?
それは想像でしか見ることができないものである。
その1枚のストーリーを知った時にまた想像に変化が加わり、真実へとなる。その1枚の写真でどれだけ表現がされているのかも重要ではある。
本来、ライフスタジオでは75cutで作るの写真である。つまり1枚完結型とは少しだけ違う。1枚でもあるが前後の写真とのつながりをもたせる事を重要とし、ストーリーと呼んでいるのだ。故に、1枚では完結していないと言える。
ライフスタジオでは代表的な写真と定義し、閲覧出来る場所が存在する。それはフォトジェニック。
フォトジェニックは1枚で完成された写真を説明文章とともに投稿する場所である。
ストーリーがその1枚1枚にはあるのだがこの場所は1枚完結の作品展であり、各カメラマンが真剣に取り組んだ作品を提示しる神聖な場所でもあるのだ。文章があることによってそのカメラマンからみた撮影背景を伺うことができる。
つまり1枚でありながらそうでもないことがあるということだ。
それは写真の表現と文章の表現が合致していなければ伝わらない、だからこそ伝えるために写真をとり、文章を書く。私が見てきたフォトジェニックには些細な所にも意味が隠されていることが多く、その大部分が写真と共にあるのはカメラマンからみた背景なのだ。



写真の力
すなわち表現の力
それはどんな方向に向かって、どんな意味を植え付けるのか。

写真館にいく理由。ほとんどが記念だ。そもそも自分自信のほとんどが記念としてシャッターを切っているからだ。家族や友達、恋人と。
そこに商業的要素が入ってくるとまた違ってくる。それはお客様に写真を見せる責任感というものと表現者としての役割が加わってくる。

撮影において生まれてくる物は何か?家族の関係性、兄弟の関係性、友達との関係性、日常で行われている風景がそこには出てくる。しかしながら、スタジオもしくは普段行かない場所での撮影は被写体にとって不自然で緊張する場所となってしまう。当然といえば当然のことなのだが、初めての場所であり初めての人と話すのだから。そこで新たに生まれてくるものがある。それはカメラマンとの関係性がある。
言うなれば、関係性を作るのが責任でもあり、環境を作るのも必要でそれが表現方法の一つだと感じます。相手にとっての日常という部分を引き出す環境。距離を詰めなければ見えてこない相手の部分もあるのです。


この写真を捉えた時にわかることとして、2人であること、それは幼い兄弟であること、白いテイストの洋服を揃えてコーディネートしていること、白い背景であること、茶色いスツールが2つあること、そしてイキイキとした表情であること。

イキイキとした状況をつくり何枚かの写真で表現されている1枚。右側にあるスツールに姉がいて左側に弟がいるのがスタートだと思う。
写真からは姉と弟は相思相愛な関係性なのではないかと感じられ、それが伝わる1枚がこれではないでしょうか。背景が白だからこそそこに集中できるということもある。連続性のある写真がここにも存在しているということである。

私にも一人の姉がいます。小さい頃の写真はたくさんあります。姉の写真は私の写真に比べる限り多く残されています。それはいつの時代でもそうなのですが、
我が家でも隣の家の友達の家でもそうなのではないかと思います。今は1年に一度写真を撮りに行くという概念が出来始めているのがそれが羨ましいと思うと同時に、今それがあって素晴らしいと思う。10年前にはない文化だが今は存在する文化なのである。さらに10年後はどうなっているのでしょうか。いつかは写真を残す文化から動画を残す文化になって、いつしか家族で映画を作るのが流行る日があってもおかしくないと思ってしまっている。

写真でストーリーが作れるのが当たり前になるこの日までどれだけの時間がかかってどれくらいの人の汗が染み付いているのかは想像でしか語れないがおそらくは100年前から何度も歴史の中であったのだがそれが定番化した最初の世代が現在だと思う。何千人何万人のカメラマンがいてそれを表現する者がそのなかに何百と存在し出来た文化。繰り返しのなかでこのストーリーという写真の表現こそがまた歴史に刻まれるという事なのだ。その渦中に私自身はまだいるとは言えないがまだある文化はこの先に存在している。写真で出来る表現はもう出来っていると耳にしたことがある。
しかし先の100年にはきっとたくさんの発見があるであろう。それを作っていくのが全ての写真家の使命になるのではないだろうか。

Photo by Uchiyama ,Essay by Chiba

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それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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