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加治リョウジの言葉
投稿日:2014/7/20
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ある作品の中にこんなセリフがある
『逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…』 by 碇シンジ
その作品の中にはこんなセリフもある
『人は他人を完全に理解することは出来ない。
自分自身だって怪しいもんさ。
100%理解し合うのは不可能なんだよ。
まっ、だからこそ人は自分を、
他人を知ろうと努力する。
だから面白いんだな、人生は。 』 by 加治リョウジ
私は何が言いたいのか、今の自分に喝を入れなければいけないと言うことだ。
逃げているのが自分で、努力しろよともっと言って欲しいのかもしれない。
しかし、自分自身の容量を越えてしまうと思うと動きが鈍くなる。あと一歩で容量を越えて次のステージがあって今が踏ん張り時なのかもしれない。むしろそうなんだと思いたい。だからこそ逃げちゃダメだ!
限界は自分が決めるものでもないし、決めることによって自分の成長を緩めてしまうという事になりかねない。だからこそ難しいし、考え込んでしまう。
自分が何に戸惑っていて、何が欲しいのかもわからない、何が正解で何が不正解も、どれが常識でどれが非常識なのか、誰が真実か、そしてなにより自分自身を理解出来ないでいる。上記の言葉通りだ。今が自分にとっての分岐点であることはなんとなくわかる。考えることがたくさんある、それを整理しなければならない。それが苦手で逃げていた、いや実際にはまだ逃げている。人間は逃げようと思えばどこまでも逃げる事が出来るし、隠れようと思えばたやすく姿を隠せる。
過去にあった辛い記憶が脳裏にくる。人間不審になったときだ。それも原因かもしれないがある時から自分は偽りの優しさを手にした。表面的に優しい。人当たりが良いと言われることがあるがそれは千葉芳広という人間の偽りの姿なのかもしれない。もっと自分を知る必要があるはずだ。そのために何が必要なのか。。。。
人は怪我をして強くなる。骨折した箇所は丈夫な骨になる様に、筋肉痛になって筋力が上がるように。ダメージの向こう側に進歩があるのは常だ。組織と言うものにも通じるものがあるとは思う。プロ野球でも監督とコーチ陣ががらりと変わった時、つまり組織を形成していたものを破壊し、新たな形をつくりなおすこと、そうすることによってチームの雰囲気もがらりと変わる。それを内側の人で変えるのは至難の業であるからだろう。だからといって難しいから何もしないで終わるのではなく、考えるだけで終わるのではなく、行動しなければならないのだ。
だからこそ自分を変えることを考えなければいけない。一度壊すくらいあってもいい。そしてもっと広い世界を知る事が欲しいのかもしれない。根拠はないがそう思う。本能の赴くままに行くのなら、そうして行く。
「芸術は爆発だ」
という言葉がある。
音楽、映画、写真、著書、芸能
いろんなものに芸術、美学があって刺激を与えてくれたり、物思いに老けてしまうことがあり、枠を越えることもある。
その中にはどれも火薬が仕込んであって、打ち上げ花火の様に大きく爆発し人魅了して余韻を残し、その時間と共に印象づけると考える、もしくは色の鮮やかな花火をテンポ良く上げてこそ花火の醍醐味だと考える事もある。
はたまた雲の様にゆっくりと時間をかけて形や色を変え印象を変化させてそこに美学を感じることがある、時には青い空にペンキで塗ったように鮮やかな存在の雲を見て和むこともある。
芸術に限る話ではないが人によって見方は様々であるし、限度は無いとここでは言いたい。
それは生活していてもわかることではないだろうか。
人によっていろんな思考で物の見方が変化するので一つの事柄でも考えは葉脈の様に広がっていく、その広がっていくのもを集約していくのが集団の役目の一つでもあるのではないだろうか。いろんなアプローチの方法があっても向う方向は同じでないといけない。
一つの事柄でに対して皆考えること、感じること様々であってプラスに捉えること、マイナスに捉えることができるはずだ。
そうやって出た思考が物事に味付けをする。我々はその意見を感想だったり文書だったり様々な方法で伝えて相手に味わってもらう。
言葉の一流シェフというものがいたなら周りをどんどん賛同させて、三流の私みたいな見習いが言ったところで『へぇ』で終わってしまうこともある。
つまり、なにが言いたいのかと言うと、モノの見方は無限にあって、それをまとめなくていいから整理をしてそれを人に伝えられるようになるようになりたいのだ。伝えるにしてもいろいろな方法があって、力で制圧する方法もあるし、相手が分かるまで納得するまで話し込む方法もある。相手がどんな人間なのかをちゃんと整理した上で伝え方を考えなければならないのだ。そう考えるとひとつひとつの言動や行動には奥深さがあって考えれば考える程迷宮入りしてしまうのではないだろうか。
だから勉強することが必要なのだ。
言葉だったり、行動だったりで人を動かすことは可能だからだ。
ゆえに音楽を聴き、映画を観て、本を読み、写真を撮って、文字を書き、人を愛して学んでいくのだと思う。生涯学習とはそういう事だ。
人を動かすための学習
自分を動かすため、相手を動かすために生涯学習をする。
そして生涯学習を活かすために人と会話をする。語ることは意見交換の場であって自ら学習したことのリハーサルでもあって、自分の見解を修正し確認する場所でもあるのだ。それが成長を促す原動力となる。
時に周りの音が聞こえないくらいの笑い話になることや、流れている涙を止めることだって出来る。それも言葉の力で付け足すことが出来る味付けだ。
そうやって成長して、自分の変化を親や友達に少しでもいいからみせてやりたい。まだ人を動かしたりする力は無いに等しいからまずは近場で、いずれは動かす人にならないといけないと思う。
何が正解であるのかはわからないがやってみて修正をしてを繰り返しその化学反応を研究していく。
これが今、自分がすべき事なんだと思う。この先は当分。。。。
そしていずれかは動かす側の人間になれるようになって行きたい。
『人は他人を完全に理解することは出来ない。
自分自身だって怪しいもんさ。
100%理解し合うのは不可能なんだよ。
まっ、だからこそ人は自分を、
他人を知ろうと努力する。
だから面白いんだな、人生は。 』
そう、この台詞によって自分自身が動かされたように。
『逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…』 by 碇シンジ
その作品の中にはこんなセリフもある
『人は他人を完全に理解することは出来ない。
自分自身だって怪しいもんさ。
100%理解し合うのは不可能なんだよ。
まっ、だからこそ人は自分を、
他人を知ろうと努力する。
だから面白いんだな、人生は。 』 by 加治リョウジ
私は何が言いたいのか、今の自分に喝を入れなければいけないと言うことだ。
逃げているのが自分で、努力しろよともっと言って欲しいのかもしれない。
しかし、自分自身の容量を越えてしまうと思うと動きが鈍くなる。あと一歩で容量を越えて次のステージがあって今が踏ん張り時なのかもしれない。むしろそうなんだと思いたい。だからこそ逃げちゃダメだ!
限界は自分が決めるものでもないし、決めることによって自分の成長を緩めてしまうという事になりかねない。だからこそ難しいし、考え込んでしまう。
自分が何に戸惑っていて、何が欲しいのかもわからない、何が正解で何が不正解も、どれが常識でどれが非常識なのか、誰が真実か、そしてなにより自分自身を理解出来ないでいる。上記の言葉通りだ。今が自分にとっての分岐点であることはなんとなくわかる。考えることがたくさんある、それを整理しなければならない。それが苦手で逃げていた、いや実際にはまだ逃げている。人間は逃げようと思えばどこまでも逃げる事が出来るし、隠れようと思えばたやすく姿を隠せる。
過去にあった辛い記憶が脳裏にくる。人間不審になったときだ。それも原因かもしれないがある時から自分は偽りの優しさを手にした。表面的に優しい。人当たりが良いと言われることがあるがそれは千葉芳広という人間の偽りの姿なのかもしれない。もっと自分を知る必要があるはずだ。そのために何が必要なのか。。。。
人は怪我をして強くなる。骨折した箇所は丈夫な骨になる様に、筋肉痛になって筋力が上がるように。ダメージの向こう側に進歩があるのは常だ。組織と言うものにも通じるものがあるとは思う。プロ野球でも監督とコーチ陣ががらりと変わった時、つまり組織を形成していたものを破壊し、新たな形をつくりなおすこと、そうすることによってチームの雰囲気もがらりと変わる。それを内側の人で変えるのは至難の業であるからだろう。だからといって難しいから何もしないで終わるのではなく、考えるだけで終わるのではなく、行動しなければならないのだ。
だからこそ自分を変えることを考えなければいけない。一度壊すくらいあってもいい。そしてもっと広い世界を知る事が欲しいのかもしれない。根拠はないがそう思う。本能の赴くままに行くのなら、そうして行く。
「芸術は爆発だ」
という言葉がある。
音楽、映画、写真、著書、芸能
いろんなものに芸術、美学があって刺激を与えてくれたり、物思いに老けてしまうことがあり、枠を越えることもある。
その中にはどれも火薬が仕込んであって、打ち上げ花火の様に大きく爆発し人魅了して余韻を残し、その時間と共に印象づけると考える、もしくは色の鮮やかな花火をテンポ良く上げてこそ花火の醍醐味だと考える事もある。
はたまた雲の様にゆっくりと時間をかけて形や色を変え印象を変化させてそこに美学を感じることがある、時には青い空にペンキで塗ったように鮮やかな存在の雲を見て和むこともある。
芸術に限る話ではないが人によって見方は様々であるし、限度は無いとここでは言いたい。
それは生活していてもわかることではないだろうか。
人によっていろんな思考で物の見方が変化するので一つの事柄でも考えは葉脈の様に広がっていく、その広がっていくのもを集約していくのが集団の役目の一つでもあるのではないだろうか。いろんなアプローチの方法があっても向う方向は同じでないといけない。
一つの事柄でに対して皆考えること、感じること様々であってプラスに捉えること、マイナスに捉えることができるはずだ。
そうやって出た思考が物事に味付けをする。我々はその意見を感想だったり文書だったり様々な方法で伝えて相手に味わってもらう。
言葉の一流シェフというものがいたなら周りをどんどん賛同させて、三流の私みたいな見習いが言ったところで『へぇ』で終わってしまうこともある。
つまり、なにが言いたいのかと言うと、モノの見方は無限にあって、それをまとめなくていいから整理をしてそれを人に伝えられるようになるようになりたいのだ。伝えるにしてもいろいろな方法があって、力で制圧する方法もあるし、相手が分かるまで納得するまで話し込む方法もある。相手がどんな人間なのかをちゃんと整理した上で伝え方を考えなければならないのだ。そう考えるとひとつひとつの言動や行動には奥深さがあって考えれば考える程迷宮入りしてしまうのではないだろうか。
だから勉強することが必要なのだ。
言葉だったり、行動だったりで人を動かすことは可能だからだ。
ゆえに音楽を聴き、映画を観て、本を読み、写真を撮って、文字を書き、人を愛して学んでいくのだと思う。生涯学習とはそういう事だ。
人を動かすための学習
自分を動かすため、相手を動かすために生涯学習をする。
そして生涯学習を活かすために人と会話をする。語ることは意見交換の場であって自ら学習したことのリハーサルでもあって、自分の見解を修正し確認する場所でもあるのだ。それが成長を促す原動力となる。
時に周りの音が聞こえないくらいの笑い話になることや、流れている涙を止めることだって出来る。それも言葉の力で付け足すことが出来る味付けだ。
そうやって成長して、自分の変化を親や友達に少しでもいいからみせてやりたい。まだ人を動かしたりする力は無いに等しいからまずは近場で、いずれは動かす人にならないといけないと思う。
何が正解であるのかはわからないがやってみて修正をしてを繰り返しその化学反応を研究していく。
これが今、自分がすべき事なんだと思う。この先は当分。。。。
そしていずれかは動かす側の人間になれるようになって行きたい。
『人は他人を完全に理解することは出来ない。
自分自身だって怪しいもんさ。
100%理解し合うのは不可能なんだよ。
まっ、だからこそ人は自分を、
他人を知ろうと努力する。
だから面白いんだな、人生は。 』
そう、この台詞によって自分自身が動かされたように。
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