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越谷写真 1.

投稿日:2012/3/1

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越谷写真 1.

静岡の海はやるべきこととやりたいことの適切なバランスを物語っていた。私はそれをつかんだ。だからその基盤を準備し、現場での実践のために直営店オープンという方向を突然、掲げた。たくさんの費用を使い、より多くの新しい関係をつくりながら、越谷店の最初の撮影が始まった。現場に固定で出勤をして撮影をすると宣言した4ヶ月前から、ふとした瞬間瞬間私に罪意識が降りかかってくるようになった。約数秒間発生する微妙な感情の変化は、慣れた生活を新しいものにしながら、一種の罪の意識は自らを戸惑わせた。

写真館を運営し、写真に対していつも話をし、教育をしながら撮影行為自体が負担に感じる理由はなんだろう?

罪の意識をもっているということは、誰かに借りがあってまだ返していないということだ。支店をまわったりカメラマン全体が集まっているとき、写真に対して多くの話をしてきた。それをうけとめていい教育だったといわれれば気分がよくなり、同時にため息がでたりもした。それでもだんだん撮影の回数は減り、口だけで写真と撮影技術に対する話をしながら教育や学習の段階を超え、仮想空間を作り出す自分を発見するようになった。論理は精巧になり、技術の難易度は高くなるがそれが現実に適応されたことのない希望のようなものが羅列されていくような構造が作り上げられた。自ら技術を保有していると信じていればもっともっと口数はふえ、自分の実力が世の中に公開されたとき、存在と観念の間は想像できないほど遠く離れてしまうという恐れがあった。

4ヶ月前‘地上に降りていく’という表現に、本社のスタッフたちは本当に大きな笑いをもって答えてくれた。机の前に座って論理的な言葉でユートピアをつくる過程で、スタッフたちが受けた喪失感を考えれば、その笑いの多くはせせら笑いだったかもしれない。“どれだけうまいのか見てみよう・・・”という観客意識もあっただろうし、一種の期待もあっただろう。思索と、私の中の整理過程を通って実践を通して何かを言うのではなく、正確に言葉で伝え、その言葉を守ろうとするみもだえが大きくなって破けてしまう音が聞こえる状況こそが、私の現在の状況になった。

そして2月16日・・・・初めての撮影。

何年かぶりに顧客の撮影に入った私のために、スタッフたちは拍手を送ってくれた。その音を聞きながらカメラをもって1階に降りていく私の心情は、K-1で言えばヒョードルとの対決のために競技場に入っていく新人選手のようだといえるのではないだろうか?緊張をしたり不安を感じる気持ちはなかった。長い眠りからさめて、すぐに世の中にでていこうとしているが、私自身をはじめとする多くの人に対する罪意識と申し訳なさからくる、隠しがたい気持ちだった。

とてもありがたいことに、笑顔のきれいな人選抜大会があったならばそこに日本代表として参加できるほど素敵な笑顔の母親をみながら、私の心の中では“ありがとうございます。ありがとうございます。”を繰り返していた。5歳の娘は好奇心と緊張感でいっぱいの表情で撮影を待っていた。本当にありがたいという思いで撮影が始まり、最初の20分ほどは道に迷ったように必死で探していた。露出とピントから問題が始まり、長い間使っていなかった錆をとって機械を動かしたときのような鈍い音が聞こえてきた。奈美のすばやい進行によってその鈍い音は顧客に聞こえなかったようだが、私の耳にはこの間の私の中に住み着いていた権威意識を確認する厳粛な時間となった。最初のセット撮影を終え、事務所にもどって写真の分類をしながら、私の口からは微かな笑いが出ていた。

歯が痛くて夜通し眠れずに次の日の朝、歯医者に行ってその歯を抜いたときの気分のような・・・・

私が存在している低い場所を確認しながら、バブルが除去されたその安定した状態になったということ、

そしてその次を予想することができるという喜び・・・・

2階で2つ目のセット撮影に入りながら、決定的な時間が発生した。全てのことが停止した状態で、何の理由もなく体が空中浮上し、そのまま落ちた。プロレスで空中に浮かびあがった状態に攻撃をするように、私の体はそのまま落ち、その音を越谷店全体が聞いた。そのときそこに奈美がいなくて、両親はその姿をみて笑うこともできず、驚きを隠せない様子だった。(この人どうしたんだろう?)理由が理解できない空中浮上にたいし、沈黙だけが流れていった。この微妙な瞬間をどうやって脱出するのか?子供だけが笑っていたので、“おもしろいだろ”といいながら、もう一度転んで見せたりしながら繰り返していた。そして両親も、子供も、みんなが笑いながら撮影の雰囲気は急展開をとげた。同時に私の中にあった錆も剥がれ落ちていきながら、眠っていた機械たちも正常に作動するようになった。

この間私が強く願ってきたことがあっただろうか?風が吹く方向に自分の身をまかせ、自然に流れていく人生を歩んできた。強く願うことも、だからといって流れていく私をつかんでおくことも特別にはなかった。そうして流れていく人生に正当な論理を加える瞬間だけがあったのだ。こんな人生をそのまま受け入れ、私の道を歩いていこうと決めたのが3,4年前だった。地上に降りてきて最初の撮影と空中浮上、そしてほこりのかぶった機械が正常に動き出す状況が連続して起こった2時間は、人生に対する意味をもう一度考えさせてくれる時間になった。天に昇った体は地上に落ちるようになっていて、現実と理想がひとつになる瞬間に地上に戻ってきた私を発見することになり、落胆よりは喜びが先立った。

この1枚の写真は私にとって、空中浮上をした後にやってきた喜びの詰まった写真だ。山の頂上がどこなのか期待をせずにこの渓谷、あの尾根を宿命として感じながら持ってきた無意識中の怠けから抜け出してくれたこの家族に、感謝の気持ちを伝えたい。そしてこの写真は技術的な問題を超え、私には特別な意味をもっている。だから写真は常に存在を基盤として理想を表現しようとする身もだえだといえるのではないだろうか?

 

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それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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