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2012年私は何をしようとするのか?

投稿日:2011/12/5

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私は何をしようとするのか?

                                                 2011.12.01

 

 

去年の今頃「私は何をしようとするのか?」という主題の文章を書き、討論を行い、1年が過ぎた時点でもう一度同じ主題の前に立っている。去年の文章を読みながらたくさんの考えが交差した。方向は間違ってはいないが行動は忘却の森を過ぎたという感じだ。一環していたいという気持ちと、即興的な選択が混ざっていた2011年であった。だから去年の文章を写してみて、もう一度方向性に対する確認と共に方法を明確にする必要がある。

 

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私は何をしようとするのか?

                          2011.1.10

水は上から下に様々な形の集合体を作る。資源と呼ばれる水の始まりから、苔と土に乗って動いていないように見えるが下に移動したモノ達が一つ二つ集まって流れの傾向を持つようになる。そして渓谷を形成して森の左右を区分する。またそのモノ達が一つ二つ集まれば川になり海になって平和をなす。
そんな区分は自然では意味がないが我々は区分する。渓谷と川は違い川と海はさらに違う。

今私は川から海に出て私の存在を希薄させてもっと透明にしていかなければならない。完結をするということではない。そういう風に流れ、広い海と合流しなければならない運命を感じている。
それがなぜ今なのかを自問してみるが特別に考える理由はない。一つ確実な事は矢印の方向を変えなければならないと言うことであり、再度回帰しなければならないという意思がはっきりしている。
少し前に誰かに「定着すると言う意味」という表現をした。太陽を目指して飛んでいった種のように、私の反動がどこまでであるかに対する自己の確認と、憐愍にくたびれているということも事実だ。そして私がこの状態で行っている限界地点に対する私の予想もする。定着すると言うことは、安住したり退歩するという意味ではない。行動が先に、意識が後からついていくような方式の変化を望んでいる。また現在の位置もそれを必要としている。共に行動し地雷を踏み皆殺しになる危険を回避しなければならない。
20代中ごろ、私は50歳まで生きれば良いと考えていた。今もその心に変化はない。平均寿命に対し、短い期間の設定は母の死と連結される。15年前の事だが、私の歳は既に母がこの世を去った歳まで10年しか残っていない。私は悲観的な人間ではないが、だからと言って楽観的でもない。現実を受け止めるが未来に希望を持ったりもしない。私にとって海とはそのような10年を過ごすそれ自体だ。飛翔するある瞬間に燃え尽きたくない。旗手を戻し私が出発したその場所に行きたい。

私が出発した所があっただろうか。どこに帰らなければならないだろうか?

2ヶ月ほど前から、私がある転換点に立っていて、本当に向かう目的地に対して考えている。現段階での結論はこうだ。

「ああ、目的地はどこにもなかったんだな!!!」

何かを決めておき、そこに向かっているという希望をもち生きてきた。虚像と弁明の繰り返しからこのように生きてきた。こう生きてきながら私の存在のかすかなささやきを外面してきた。。。
人生は、このように見えるようで見えないような具体的でないため、生きていくこともでき、つらくもある。ある面から見ると、目的地の変更はあまり重要な問題ではないように思う。目的地は結局海になり、その中に様々な形態として存在することだ。

私が集中して見なければいけない事とは、どんな海で何をするかというよりは、
その海を見つめる態度なのだと思う。

目標に向かう能動的な行動や未知の世界に対する挑戦は、今まで私を守っている人生の方式であり、態度であった。具体的な課題や事業に対し、克服し得たことが基準になり、そんな視点から人生を見つめ考え行動してきた。渓谷や川ではそれが有効な武器になった。世間は広くやることはなかったため、やることをつくり、私の存在を確認する作業は何よりも重要なことであった。目の前に立ちはだかっている壁は、自ら招いたものであり、広く言うと私の責任の下にある。深く根付いた責任の重さに絶え、再び新しい環境と条件をつくり、その重さが喜びでもあり、つらくもあった人生の連続であった。

私の人生の基準は私が作るものなのか?
社会が要求することと、自分の中から沸きあがるものが出会う視点で適度な妥協があった。時には、社会の要求が優位であり、私の中の主張に説得力を持っている時もあった。経済的自立に対する各種抗議を避けるための動きもあったし、口から出た言葉に対する負い目から行動の包装術も高くなっていった。そんな過程で嘘のカスが沈殿し、化石のように固まった。人生をプレゼントとしてもらったが、人生の過程で起きる意識の死を認識し、治療しなければいけないという、説明書は入ってはいなかった。おもちゃをプレゼントされた子供は、これが何の材料で誰が作ったのかに対しては知らずに楽しく遊ぶ。そして、時間が過ぎると、そのおもちゃは忘れられる。しかし、人生は使って捨てることができない。人生から忘れられるのは死である。自分の中に時を待ち、機会を待っている大きい奴らがいる。随時、小さな手下達を送り、私の敏感な部分を突っついてくる。そうすると、もっと大きな抗生剤を投与する。その抗生剤は私自身が眠ってしまうほどの麻酔薬に似ている。逃げれば逃げるほど、抗生剤の強度はより強くなり、私も知らないうちに嘘を言い続ける悪いやつになってしまった。

コーヒー、お酒、たばこは私を作っている重要な構成要素だ。人、関係、変化は社会と私が妥協し作り上げた戦利品である。口では人との関係形成について話し、変化を望んでいる。そのたびに、彼らとはだんだん遠くなりながら、タバコを吸う数は増える。お酒が人との関係をつなげ、眠っていた変化の種を呼び起こす場合もあるが、より自分の中に隠れてしまう偽造の方法として、効力を発揮している。
メインとなる材料の純粋さが引き立つ料理が一番だ。時間が流れ、個人の意思と社会の要求が妥協し、だんだん調味料が行動隊長としてでてくる。そして、それが最高だとして固まる。主体と客体の位置が変わり慣れてしまうことの恐ろしさを忘れている。それが現在の私の姿である。

相模湖に暖炉がある。薪を焚きながらいろいろなことが交差する。木を持ってきて火遊びを始めながら燃え上がる赤い気運を感じる。時には、小さくなり、時には大きくなる。ここそこと木を移しながら、彼らが繰り広げる宴会を見物する。位置を少し動かすと、怒りもし、良いと明るい笑顔になりもする。とても熱かったと思うと、下の火も残らない。そして、もう一度木を持ってきて始める。
客観的になるということだ。客観的にこのように変化の過程を長い間見てきたのは、本当に久しぶりだ。彼らが繰り広げる姿は私と私達に似ている。少しの忍耐もなく、回りの条件に対してすぐに反応する。自分ができることはそのまま立っていることか、燃えて灰として残る方法しかない。一定の武器と形が材料に変わる過程は存在と意識の長いトンネルに入るようになる。

私は誰なのか?という前からの質問をもう一度するようになる。転換をしないといけないという圧迫と、海と合流しなければいけない視点に「私は誰なのか?」という自らの質問がでるのは自然なことだ。しかし、この質問は私の命が続く瞬間まで持っていかなければいけない永遠の課題であるため、結論を出すことができず、だしてもいけない。
転換とは、目標や計画の変化や修正のことを言っているのではない。人生に向き合う態度と方法の転換を意味している。計画し経験し、得た心理の一部分として、私に合う服を作った。過ぎた時期を振り返ってみると、それは姜尚中さんが言っている青春であった。あちこちぶち当たり砕けながら息がつまり、私を確認する時間であった。我慢できない存在の軽さを忘れようともがいている世の中と合わせて伝説を作りたいという欲望の力を信じた。
そんな欲望が私の中の偽りから始まったということを少しずつ知るようになりながら、その推進動力は消耗されてきている。伝説は生きているが欲望は泡である。欲望の位置に謙遜が入らねばいけない。歩きながら出会う山奥の山荘のように、私の中のエナジーを自分の中で生産する謙遜な態度が転換を可能にする。謙遜は皆知っている、またはある程度は知っているため、この程度で大丈夫だ。という程度を超える主題だ。今まで外部から来る刺激に対する反応が、1次的な人生のエナジーであったなら、もう私の中で私をゆっくり見つめながら、その変化を認識する人生の態度が必要だ。想像できないその広い海で、私の存在は砂漠の砂粒のように小さい。いくら、もがいても救助隊や偶然通り過ぎる船を発見することはできない。発見できたとしても、光に反射する瞬間的な銀の光の波模様のようなものだ。私が私であることは、私が私を見つめること、そしてその過程で発見する存在の美しさである。

よく「私がやりたいことは何なのか?やりたいことを探しだせたら、本当に一生懸命できるのに。」と考えながら、探しだせない現状を追いながら、決まったレールを走る人達が多い。私がやりたいことではなく、慣れていることを好きになっているということも知らず、自分にとって全ての基準になることを探しまわっている。私もそうだったし私達も大部分そうだ。私自信を見つめるということに慣れていない。ある日、それはふと訪れることであり、特別努力してできるものではないと感じた。与えられた人生を生きているのであり、選択した人生ではないという話しになる。学校を選択し、職場を選び、愛する人を引き付けることを、選択する人生だと錯覚している。神を呼ぶ呪い師のように、自分に魔術をかけ自分自身との対話を導いていく努力が謙遜として表現されるのだ。

謙遜という主題で、転換を成すための手段は何があるか?
「自然」、「文章を書く」

軍隊では1日に少なくても2時間から6時間程度、部隊の境界勤務がある。30度を超える夏の日でも、重たい鉄の帽子を被り、太陽の日差しに耐えなければいけなかった。雪が降ったり風がふくと、足から凍りついてくる。秋の風が心地よく吹き、稲が黄色い色に変わる頃には眠くなる。その時初めて自然を知ることができ、一つの場所を見つめながら世の中と私を見つめなおす機会になった。軍隊が終わった後、自然の中にいかなければということが、私の頭の中を埋め尽くした。今、私の目の前の木には鳥がとまる。2羽がお互いを呼びあい、再び飛びさっていく。私に見られているということを意識しているが、何か変化があるわけではない。そのように鳥を見つめていると何年か前のことを思い出す。相模湖に来てから夢をたくさん見るようになった。楽しくもあり、辛くもある。その夢は私を反映しているのであり、今そのエナジーが充満している。自然の中で少しずつ私を見つめながらでてきた癖が、夢以外に「ボ~」っとする時間が増えたこと。「ボ~」っとしていると良い思い出より隠したい事が思い出される。窓の外の木を見ながら独り言をつぶやいている自分をみながら驚きもする。この癖が瞑想という行為につながる事を願う。

表現しなければいけない。勝てないお酒と伴奏に合わせて、金属製のマイクに自分を表現することは、そんなに悪い事ではないが、それだけだと問題が起きる。写真を始めながら何故写真を撮るようになったのかという質問をたくさん聞き、また、その理由を答えてきた。内容は写真とは関係ないことばかりだ。巨視的なことで私を表現してきた。私の計画と現在の状態、未来にどのようになるかということ、それが私が生きているということを証明することであり、私を表現することだと考えた。勿論それも私だ。それだけだと、問題になる。数千年の歴史から答えを得られない問題を、1年に何ページかで書かれた計画書と評価書で説明することができるだろうか?私を見つめるということは細胞1つ1つを見つめるということ。一瞬す~っと通り過ぎる形態に対する大体の形ではなく、聞いて、触って、破って、壊さなければいけない。文章1つ1つが私に対する規定であり、そのくらいのことを確認しなければいけない。

何をするかが重要な時期は過ぎた。どのようにするのかは人生の態度が決定する。謙遜という言葉は私を見つめることであり、今まで私に入ってきたものを外に出していく事だ。このような人生の謙遜な態度のために、自然と文章を書くことの力を借りようと思う。

誰かが私にこの道を行くように言ったわけではなく、私自ら選択し、責任をもつと決めたことなので、心がとても良い。心が良くなるということは本当に良い事だ。

 

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今年の始めから探し回った。大地震が起き、しばし停止していたが、根拠地を探すために海岸線沿いを探しながら静岡に発見した。契約をし、釣り、報告書、読書の均衡を維持しながら、何ヶ月を過ごした。上で話した内容は大体が間違っておらず、私が行くべき方向が明確になった。全国化は、うまくできることと、現実的な要求の妥協物としてはまだ有効な方法だ。しかし、やりたいことと、やらなければならないことが抜けていた。謙遜を私の主題として受け入れていくには大都市を中心とした全国化は、何か合わない洋服を着るようなことだという結論にたどり着いた。そして、思いついた名前が「沖縄」。自然と余裕、そして自由が結合された全国化という具体的な方法が、静岡の海が私に教えてくれた答えだった。これを実現するためのシステム、経済的安定、人的構成のために、本社拡大を通した単一な体系と直営店オープンという順番に計画された。

私は何をしようとするのか?という主題は分けて共有する人生と緊密に繋がっている。少し前に本社のスタッフ達に、ライフサークルを行う理由に対して質問をしたことがあった。その時、追われる人生ではなく、追っていく人生に転換することが、ライフサークルを行う本当の理由だと話した。予習、復習を行わず、与えられた課題だけを嫌々行う学生の悲惨な人生を私達みんなは経験した。決められたことの6~70%だけを行い、適度な不安と安住の綱渡りを中止ししなければいけない。自ら決定し、行動し自身の道を作っていく傾向に転換しないといけないという話を正確に説明した。そんな追っていく人生の次のバージョンは分けて共有する人生ではないだろうか?単純に空気の良い所でサムギョプサルに焼酎を飲むということをいっているのではない。私の傾向を変えるために、条件として、自然、余裕、自由と文章を書く方法を選択したのだ。

20歳まで、空を見上げながらたくさんのため息をついてきた。私の胸の中に、しこりで固まった何かがあった。「こうではない。」という漠然とした考えは、曲がった現実を説明することができなかった。そして、抵抗の時間が10余年続き、正しいと思う方向を設定し、その目標を追うようになっていった。追うということは、それ自体にエナジーが生産される。前に進めば進むほど、私に結果や成果を与えてくれたからだ。しかし、その成果が人生の目標ではない。その成果に酔っていると私が従属され、より強い甘さを望むようになる。そしてこの社会の構造も成果の確保と共に、より強い甘さを作る形体に発展している。問題はその甘さをだすためには、不平等と破壊を同伴せずには成せないということが致命的なのだ。甘さを感じると同時に虚しさも比例してくる。

だから、究極的には永遠なもの、あるがままの姿を志向するようになる。

それが何なのか?分けて共有することではないか?

「沈潜」という言葉がある。心を落ち着かせ、深く考えた没頭することを意味する。謙遜は私自身を沈潜しようとする意思である。追われる人生から、分けて共有する人生に傾向を変えようとする意志が謙遜と表現された。謙遜になろうという気持ちは、現在の私の状態が謙遜とは反対にあるということを意味してもいる。追っていく中で私が良いと判断することだけを選択し、間違っていないことには理由を付け加え、言いつくろってきた。つまり、私だけの世界を構築したという自慢は、即ち俗物になっているという意味であり、偽装術もより発展したということだ。これは自分だけが知る隠密な秘密である。

 

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