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イチゴと狐 3. 私の主題

投稿日:2011/11/7

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イチゴと狐 3.   私の主題

 

世界にはとても多くの成功の秘法はあって新しく作られている。書店に行けば成功した人たちの経験とその経験を構造化させて一つの原理に整理した本が読者たちの選択を待っている。大部分は似ている内容と形式で成されておりそんな本を読んでみれば新しい何かを発見するというよりはその中にある内容を確認し、自己満足に陥る場合が多い。組織を率いなけれなならないリーダー達にあまりにもふんだんに整った食膳で腹が膨れ何も食べられなくなる場合が良く発生する。

そんなに多くの内容があるが自身の主題を決めるというのはその何よりも重要だ。

なぜか。

現場でその組織だけの内部文化と新しい価値を作ることに難しさを感じるリーダー達はいくつかの特徴を持っている。

リーダーシップや経営は学習するのではなく経験でわかるという信念、

推進することが持続的ではなく峠を越えることが出来ないということ、

最終的に何を作ろうとするのかに対する不明

代表的な例がいきなり新しいシステムや機械を導入して職員達にこれからマニュアルに書いてある方式に変えると宣言する。そして終わりだ。それではたいていシステムは効果や改善とは関係なく一つの過程をもっと作る事に終わり新しい機械は良く見えないところで骨董品になるのを待つだけになる。学習しない状態で周囲で聞いたり瞬間のアイディアで新しい何かを導入しようとするが現実には効果が少なくそのような活動もたちどころに中断する。そしてだんだん保守的に事業の方向が設定されて創造よりは維持を宣言するようになる。

リーダー達は水の流れを変える人たちだ。何ヶ月か何年か流れた川の水は一定の方向があり上から下に地形に合わせて流れていく。 固定されれば腐るし新しい価値よりは同じ工業品を押すように特別感が無くなる。これが固定された内部文化に連結され時代が要求する方向とは関係なく誰の意図も排除した状態につながる。慣行で固まった水の流れをかえなければならない人はリーダーが唯一である。既存の安全に流れる水の流れを変える事は考えるより簡単ではなく組織の全ての構成要素の変化を意味する。システムや機械の導入で自ら組織の全ての構成要素たちが役割を発見するということは不可能に近い。そして水の流れを変える事はリーダーに与えられた幸福な瞬間であり現在の能力以上を要求する。

現場にいるリーダー達は3ヶ月が峠であるようだ。そのような組織を作る意思を現場に入って共に食事をして話もたくさんしながらストレッチを始める。そしていくつかの新しい計画やイベントを準備する。何回かの失敗と成功があった後にその組織は静かになる、静けさの正体はわからないがリーダー達の気力は抜けていく。そして宣言する、「私はここまでだ」他の形としては適切な距離を維持することに神経を使う。たくさん与えもせず少なく与えもせず。適当に与えて適当に受ける。問題は無い。しかし「我々がなぜ共にしごとをするのか」を聞くと別に答えが無い。経済活動の意味を縮小してそのあいた空間を埋めるために自身に集中しているか何かを恐れている可能性が多い。それと同時に権威主義はむくむくと育つ。

水の流れを変える為には明確な名文が無くてはならない。イチゴと狐ではそれを「私の主題はなんだろうか」という質問からはじめようと思う。水の流れを変える為には地図も無ければならないし重装備も無くてはならないし人力も必要だ。しかしそれ以前に「なぜ」「何処に」を考えなければならない。なぜと何処には「私の主題はなにか」の中に溶けている。事業は持続的ではない理由も主題の不明確から探すことが出来る。内部文化をつくる為には一から十まですべてやらなければならない。そして少なくない時間の間観察と実行、失敗の連続の中でなされなければならない。これを乗り越える為には一つの手には自身の主題を、一つの手には自身だけの方法が必要だ。そしてリーダー達の主題は組織を我々が願う方向に行くようにする羅針盤になると同時に同時に力を生産するエンジンの役割をする、普通リーダーの役割を縮小して考える傾向がある。売り上げを維持する活動や職員達のジレンマの内容を聞いて良い環境を作る仕事位に考えている。少し楽になり少し経済的な余裕があるといって我々が幸福という事ではない。組織の構成員達は「人としての対応」を願う。

組織の構成員たちが共に仕事をする理由は組織が行こうとする流れに同意して行動することで職員として衣食住を解決する要素だけを眺めるのではない。共にその流れを変えて我々が夢見る広い海に共に行くことを願っている。その為、組織のリーダーは構成員たちの理解と要求を知らず流れを変える役割を与えられた人だ。

細胞一つ一つに「組織は追及する主題」というDNAが刻印されていることがリーダーの役割を定義する正確な表現であると考える。主題はビジョン、スローガン、目標、計画、ない部分か等の様ざまな手段を通じて現実に適用しなければならない。しかし多くが主題が無いために各手段は別々になってしまう場合が多い。主題はまず決められてそれが会社のビジョンとして、今年の目標として、この月の計画として服を着替えていかなければならない。

私の主題は2つだ。

人が人を人に…これはたくさん話したので

2番目が軽くなること

軽くなるということは「次」と連結されている。人が人らしくなければならずリーダーはリーダーらしくなければならない。息子も息子らしくあるべきだし、乗客は乗客らしくなければならない。

人が人らしくあることが自由で平穏を維持することが出来る。これは社会が作った規格や固定概念と混同してはいけない。現象よりは本質が優先され欲望よりは認定が必要だ。ジョブス氏が話したように何かを入れることが出来ない状態ではなく、これ以上何かを引くことの出来ない状態にならなければならない。我々がする教育プログラムや志向する内部文化は人間らしくなろうとする行為であり健康な市民であろうとする努力である。現在送ではないために自身に合っていない服を着て不便さを感じている。お互いの関係で楽しくないということよりは緊張することが良く、緊張するよりは健康な期待が良い。健康な期待はお互いが本当の友達のようになることでありこれは多くの不便さから解消され軽くなるということを意味する。軽くなると言う事は回避ではなく適切な位置設定である、位置を探せなければ探さなければならないしその探す過程が人生ではないだろうか。

ライフスタジオをじっと見てみれば今の話をした二つの主題が溶けている。人が人を人が人を人に作る為に教育もしてライフサークルもするのだ。人が人になろうとすることは即ちライフスタジオの目標であり、その状態が何かを選んで自らその場所に移動すること自体が自由な人の美しさである。抑圧されている我々の自我を解放して自己の内面から出てくる意志に従って自由に生きていく軽い状態がライフスタジオが願う人間である。価値はその過程から出る贈り物であり自己に出会うその瞬間、これが真理である。

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