Staff Blog
本社
イチゴと狐 第1回目自己命令
投稿日:2011/10/12
660 0
イチゴと狐 第1回目自己命令
最初のセンサーを作る
リーダーシップとは何か?という質問に正解はない。範囲が広く、その多くの内容に優先順位を決めることもできない。そんな行為自体が無意味である。世の中のすべてのことは、お互いに連結されていて、その関係網の中で存在していると仮定するならば、各自が主張する幾つかのリーダーシップの内容だけでもリーダーシップを十分発揮できる。これは、普遍性と正当性を持っている可能性がある。
リーダーシップの本があるくらい、リーダーシップに対する数多くの主張がある。または、リーダーが持つべきリーダーシップに対する数多くの内容事体に飽きてしまうこともある。しかし、普通の人にとってのリーダーシップに関する本とは、リーダーシップを学び習得するというよりも、確認し強化する素材としての役割をもっている。不利儀な技術を学び、現場で使用するよりも、現在自身がやっていたり、必要だと思う内容が簡単であり、一目で表現されているため、自身の考えを整理し確認する場合が多い。旅行に行き新しいことを知る楽しみよりも、自身を発見しながら成熟していくことと少し似ている。そのため、リーダーシップを育てようとする時に、どんな新しい技術で接近するかよりは、自身が今まで習得してきたものに対する考察がより重要だ。このように、リーダーシップは実践と理論の調和から、自分独自のリーダーシップを探していくことがより効果的だと考える。
普遍性と正当性は発見されるものではなく、創造するものだ。普遍性と正当性は一度で確保されるものではなく、少しずつその実態が現れるようになっている。また、経験だけでできるのでもなく、学習や省察、関係等の複合的な作用により、形が作られていく。リーダーシップが発揮されていれば、それは人生の原理と一定部分繋がっている。全ての人が同意するリーダーシップとは、その中に普遍性と正当性を同時に兼ね備えている可能性があるということであり、これは、人生が繋がり循環する原理に近い。そうでなければ[リーダーシップの発揮]という言葉自体が成立することができないからだ。
ライフサークルのリーダーシップで、共に討論し確認しようと言うのもこのことである。新しい技術よりも自身の中にあるものを確認、修正し、繋げる作業を通して自分独自の武器を決め、それを実践で検証することがイチゴと狐の基本骨格だ。そのために、イチゴと狐の第一回目の討論の課題を、[リーダーシップと自身の目標との合意]と設定した。特別に本を選定したわけでもなく、リーダーシップの基本的な内容も整理しなかった。自身が確認し決定し、実践すれば、それがつまり自分独自のリーダーシップであり、その過程が繰り返されれば普遍性と正当性を確保できると信じている。
私はリーダーシップは[目標を達成すること]それ事体だと考える。個人、家族、組織には目標があり、その目標達成のために皆が朝目覚め、夜寝る。リーダーシップはリーダーだけが発揮するものではなく、全ての構成員達に該当する話だ。私達は数字を入力し、スタートボタンを押すとセーブされているプログラムで任務を遂行する機械ではない。自ら考え判断し、自身の方式で物事を処理する。
特に写真館はそうでなくてはいけない。機械を対象に撮影するのではなく、他のDNAを持つ人を撮影し、関係を作り出していくからだ。撮影者ごとに笑いを誘発するための行動が違う。そして、反応する被写体も各自違う。私達には自分独自の特別な目標がある。その目標を達成しようとあがくことが人生ではないだろうか?なので皆リーダーシップが必要だ。
では、目標をちゃんと立てないといけないが、それはそんなに簡単ではない。そして、目標というと[30歳には結婚する]又は、[私のスタジオをいつかオープンする]というように、遠い未来のことを考える傾向がある。細胞一つ一つにその目標達成のための任務があるのではなく、漠然とした希望を私達は目標と考えている。そして現在与えられたこと、決まったこと、社会で要求されている姿の誠実な遂行を最高の道徳として考えている傾向がある。そうだろうか?
目標設定がうまくいかない1つの理由としては、私と世の中の構成要素が送る信号を完治するセンサーがないということから見ないといけない。以前よく表現した[冷蔵庫に材料がない]の状態は目標設定自体ができない状態だ。自身に入ってくる数多くの情報が私とは関係がないことになり、単純な感情の変化や刺激にのみ反応し、社会が要求する整形的な人間になるようになる。よくセンサーということは、本をたくさん読んだり頭がよかったり、元々センサーが持っている人があるのだというように考える。勿論それも重要だが、センサー自体に対する認識無くして、どんなに多くのことが入ってきたとしても、底に小さな穴が開いた壷にずっと水を入れている状態を避けることができない。私達はその間どれくらい多くの言葉を話してきたか?目をつぶらない以上数多くの情報が私達の目にしか入っていないのではないか?耳を手で防がない限りずっと聞いているしかない。日本に来てもう6年が過ぎたが、まだ日本語の[能力]と[努力]を区分できない。理由は簡単だ。基本がないからだ。センサーを育てる方法として、本を読み討論をすることも良い方法だが、一番重要なのは、1つのことに主題を広げ、じっと見つめることから始めないといけない。[リーダーシップを3つの単語で整理し、それを3分の時間で発表してください]というのは、このように広げる作業の始まり段階である。それを、言葉と文章で繰り返していくと、リーダーシップの辞書的な定義ではない[私が定義したリーダーシップ]が創造される。[私が定義付けしたリーダーシップ]が創られれば[私のリーダーシップ]を考えざるを得ない。リーダーシップを定義した目的は、私のリーダーシップを知ろうとする目標から出発したためだからだ。私のリーダーシップを知るためには、自身がこれまで言ってきた言葉と行動、信念、経験を総動員するようになる。そして、私のリーダーシップが整理されれば、すぐに実践意思がでてくるようになる。そして、実践してみると左のどこかから、3トンのハンマーが私の頭を打ち、体が痛くなり会社を1日欠勤することになる。そんな欠勤は[栄光の欠勤]だ。そして、どこで問題が発生したのか知るために、書店のリーダーシップコーナーに行くようになる。そうしながら、自身のリーダーシップと失敗の原因を確認するようになる。これが自身の中に変化発展プログラムが創られる過程である。普通は始まりがないので終わりもない。私と世界から送られてくる情報を知識に、そして自身の人生観に移すためにはまず最小のセンサーを創らないとならず、そのセンサーは主題を広げることから始めないといけない。広げることを繰り返し、話し、聞き、整理し、内面から命令されるがまま実践してみることの連続が必要だ。数年間の教育プログラム、教育チーム、集中討論、ライフスクールに続く読書、討論の繰り返しをしているにも関わらず、私達には何故自身の精神世界に対する基本の枠が創られなかったのか?前回の討論で何でもよく受け入れるチョンアを見て[もやし]という表現がでてきた。もやしを育てるために水を与えるがその水の多くは外に流れていく。その水の一部分がもやしを育てる栄養分になる。もやしにはその水を受け入れるセンサーがあるからだ。そのセンサー無くしてどんなに水を与えても、もやしはもやしにはなれない。焼酎を前にし、発する沢山の言葉はみんなどこにいったのか?
イチゴと狐では、新しい知識の習得よりもこの始めのセンサーを創ることに2011年を使う。主題は2つ。[リーダーシップと自身の目標との合意]、[私のストロングポイントは何なのか?]
この2つが決まったら、ストロングポイントとして私の目標とし実践できるだろう………
-. 主題を文章で表現する。1度書いたものをブログにアップし、1週間に1度再度ワード上で修正する。
-. イチゴと狐の集まりで3分間、3回以上発表
-. 1週間に10回以上周りの人に説明する。
方法は幼稚である。[私が学ばないといけない全てのことは幼稚園で学んだ]という本があるように、幼稚園生にもう一度戻らないといけない。幼稚ではあるが、幼稚園生の時に学ばなかったため、今まで知らなかった。なので私達皆、幼稚になろう。まずはやってみよう。
この記事をシェアする
サイト内投稿の検索
- トップ
- Staff Blog