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奈美はなぜライフスタジオを抜けるのか?
投稿日:2011/10/7
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奈美に出会う前まで、私の韓国での生活は社会人として、組織のリーダーとして過渡期にあった。よく言えば過渡期だといえるが実際は失敗の連続だった。もちろん、今思えばそうだったといえるのであってそのときはそれが成功に向かっているのだと思っていた。写真館はある程度の規模になったし、これから始まる何かが完成なのだと思っていた。まず規模を作り上げれば、それで終わりだと思っていたのだからどれほど何も知らない時期をすごしていたのだろうか?周囲の人にはもっともらしい理由を述べながらいろいろな場所を徘徊しているときに、奈美に出会った。一緒に日本に行って市場調査をしようというもの、私の中にあるバブルが作り出した冗談だったし、運よくコンサルティング契約ができて奈美と共に仕事をするようになった。
奈美は、私の自信を確信に変えてくれた人だ。この世の中は自信だけで生きていくことはできない。自信は複雑に絡まりあった現実だという検証過程から冷静な評価をされる。成功すれば自信が推進力に発展し、一定の段階にあがっていくための原理を知るようになる。しかし、多くは自信がそのまま執着に変わり偏食を楽しみながら自分だけの小さな世界に満足してしまう。その当時、自信はあったがその自信を現実で実現して維持する能力を持ってはいなかった。だれでも少し努力をすれば社長になることはできてもリーダーになるのは難しいように、私にはひとつの店舗オープンによって、その日稼いだお金をその日に使う程度の水準だけで、持続可能な会社を運営する能力はなかった。
自信を確信にするために、奈美は私に2つの贈り物をくれた。
奈美は、私自身が自分自身に価値を付与する方法を教えてくれた。私に対し、奈美はオーバーなほどの賞賛を、よくする。顔が赤くなることも何度もあった。一時、私は【うぬぼれの固まり】だというほど自分に酔っていたし、今も同じだ。でも、以前は相対的なうぬぼれだったとすると、今はそれが少し減って、その分だけ私が私自身を客観的に判断できるようになった。日本に来る前まで誰かから賞賛を受けることなどなかった。賞賛の文化にけちくさい韓国の状況ももちろんあったが、賞賛をうけるほどのことを何もしてこなかった。自然と、引く力よりは押す力が強まる。押せば押すほどそこの筋肉は発達するようになっている。内面に向き合うよりも、外部の状況を現在の問題とつなげていく習慣ができてきていた。それはうまくいけば私の能力が、失敗すれば状況と条件の問題になっていった。日本に来て奈美は私を受け入れる器になってくれた。安定した器の中で、私が必ずしなければいけないことについて集中して考える条件ができた。そしてその器は私にいつも賞賛を投げかけた。賞賛をうけ、若干その気分に酔うこともあったが、その賞賛の力で引っ張る力を使うようになる。引っ張ってみると自分を発見することができる。客観的に私自身に向き合うようになる。その客観視が自分自身に自らの価値を付与するようになる。価値を自ら付与するということは、根を下ろすことができるということであり、これから木が生えて成長していくことのできる条件が作られるということだ。
2つ目に、奈美は私にとってとても厳しい先生だった。こんなことを言うと奈美はとても意外だと反応するだろうが、事実だ。奈美にとって恥ずかしくない社長であり、リーダー、そして韓国人になろうと、面倒なときも、大変なときも、限界だと思っても、少し前に進んでいく力をくれた。奈美は映画の【ラストサマー(I Know What You Did Last Summer)】のように、私のことを知っている人間だ。彼女にはうそをつくことができない。上司だといって事実を変えたり、合理化してしまう場合にはとても苦しくなる。そしてあやまり反省し、気をつけるようになる。奈美は私を緊張させる2人のうちの1人なのだ。その緊張は健全な緊張だ。印象よく自分を見せるわけでもなく、間違ったとひどく悩む必要のない、そんな緊張だ。自分を管理するためのプログラムを作動させる健康な緊張感を持たせ、私は成長した。
こんな風に私の成長と発展において大きな影響を与えてくれた奈美に、最も文句を言ってきたのも、私だ。少し前にチョンアとこんな会話をした。
チョンア:なんでみんな怒りながら自分の主張を言いたいだけ言うんでしょうか?そうしたら気分がよくなりますか?なんでそんなに人の前で怒るのかわかりません。
私:お前、俺に言ってるのか?今までいっぱい怒って悪かった・・・
チョンア:違いますよ。社長は怒らないじゃないですか。怒ったところ見たことないですよ・・・
私:チョンア、俺はお前に関心がないんだな・・・お前に怒ったことがないなんて・・・
チョンアは私の秘書の役割も担っているスタッフなのに、私が怒ったことがないという言葉を聞いて、私は日本で本当に変わったんだと思った。そしてすぐに奈美のことを思った。本当に、奈美にはよく怒り、よく泣かせ、たくさん傷つけてきた。私は奈美に対して本当に【いやなやつ】だった。
奈美がライフスタジオを整理して新しいブランドを立ち上げ、新しい出発をすることになった。以前から言ってきたことだし、自分の中で整理をつけるまで2年近い期間、悩んできた結果だ。この間、少なくない時間を通して相談してきたし、ライフスタジオにおける公式活動を停止する決定をしたときから予想されたことだった。奈美がパリに行って帰ってきてすぐ、静岡の海を見つめながら、ライフスタジオを整理することにしたと言った。その話をする少し前に、こんな会話をした。‘奈美、後ろにはすぐ私たちのスタジオがあり、目の前には波打つ海があって、風も気持ちよく、天気もよくて・・・・本当に幸せな瞬間じゃないか?私たちは本当に成功したと思わないか?5年前、こんなことを想像できたか?’この言葉の後、2分程度の沈黙があり、奈美がライフスタジオを整理すると、伝えてきた。だから、【人生は、美しい・・・・】
奈美がライフスタジオを整理するということは、自分の限界を認めるという面から、とても肯定的だ。奈美はいつも私にこんなことを言ってきた。自分の中で人と組織に対する否定的な思いが出てきて、それを調整することができないと・・・・旅行に行ったり、自分に向き合ってみたり、現場でがんばって働いてみたりもするけれど、弱くなった自分を襲ってくるいろんな要素のために、幸せを感じられないと・・・・そして、2年もの間悩んだ末、ライフスタジオを抜けて新しいブランドをつくるという整理にいたった。多くの人にこんな話をよくする。【あなただったらもう爆発してただろう。奈美だから、自分の中だけで火遊び程度ですんでいるんだ。】ライフスタジオを整理すること自体はそんなに重要ではない。決定自体が何かを作り出すわけではないからだ。しかし、自分が2年あまりの悩みの結果、何かを決定してそのすべての悩みそのものを認めることができたということは、奈美が成長できる条件を、自ら作り出したということだ。だからこそ、肯定的であり、一種の勝利だと考える。
奈美もそうだし、私もそうだ。ライフスタジオを整理するということはそんなに大きな問題ではない。最初にブランドを変える過程でするべきことが少しできること、そしてライフスタジオに対してきちんと整理がつけばいい。むしろブランドの変更による心配よりも新しい環境に対する期待がもっと大きいかもしれない。自分なりに顧客管理もしてきたし、スタジオ運営についてのノウハウも持っていて、スタッフたちも同意をしているため、新しいブランドは問題ないだろうと思っている。
ライフスタジオを整理することに決める過程で、奈美はとても寂しかっただろう。2年程度の期間を悩みながら話せる人は限られていただろうし、同じ水準で悩みを共有できる人は、いっそう少なかっただろう。一緒に徹夜で話をしたり長期の旅行に行く人はいても、こんなに大きな決定について相談できる人は、思ったよりも少なかっただろう。もしかしたら誰もいなかったのかもしれない。人との関係に対しての再確認をしただろうし、それが奈美にとって肯定的な影響になっていけばと願うばかりだ。
そしてこれからは自分がすべてに責任をもっていかなければいけないという圧迫感を持っているだろう。実際圧迫はそんなに重要な問題ではない。圧迫は条件であり、決定の根本原因ではないからだ。圧迫があれば動くのか、そうでなければ自分が進めた計画で自ら圧迫をかけながら進んでいくのかということが何よりも重要なのだと思う。これから新しいブランドをつくり経営をしていくと、予想もできなかったようなことがたくさん起こってくるだろうし、その状況を危機とするのか機会とするのかを選択するのは自分自身なのだ。その中で自分を発見していくだろう。今まで自分が選択したことは多くなかったはずだ。多くはライフスタジオでつくった枠の中で動いてきたから、特別なことに悩んだり改革すべき課題がなかった。むしろ組織を維持するためのシステムと規律によって息苦しく感じてきただろう。これからは、奈美が持っている自分を管理するプログラムが実力を発揮する時がきた。ないのであれば作らなければならない。危機を機会に、先制攻撃能力と原則を失わない姿勢に対し、試験台に上ったのだ。
ひとつだけ願うならば、こんな変化を楽しんでほしいと思う。すぎてしまえば感じると思うが、今が一番幸せな瞬間だ。台風が来たときに、いつも想像だけしていた波と対面するサーファーのように、自分と直接的に出会うこの瞬間を味わってほしい。サーファーは命がけでその波と出会うが、私たちは命がけというほどではないのではないか?ライフスタジオを去るということが逃げることなのか、より高い世界に対する挑戦なのかを決定するのは、奈美にかかっている。成長する人間というライフスタジオの目標を、誰よりも先駆けて実践する人として残っていくのか、もしくは現実からの逃避なのかを決める基準は、出発地点を決定する重要なものだ。感情はそうでなくても、理性で美しい離別を作り出す必要がある。そのためには、変化を楽しまなければならない。
いつも奈美との会話で私は反対側に立つ観察者の役割をしてきた。ひとつの計画を伝えてきたら、冷たく、奈美の弱いところをついてきた。だから奈美は私との会話が微妙だと感じていただろう。私もそうだ。これからは、重要な決定をしたし、奈美と私は同じ高さで物事を見るようになった。いつも山の上から早く上がってこいと叫んでいたのだとしたら、小さな細い一本道を一緒に歩きながら、同じことを一緒に話していける人になった。同じ組織では、奈美は私をみつめ、私は前をみつめていた。これからは一緒に前をみて、未来を話しながらいち、に、さんと叫んだらお互いを見れるような関係になっていきたい。いつも言ってきたように、今までのライフスタジオを作り上げた分だけを持っていくのであれば、奈美が半分は持っていくべきだと思う。最初に枠をつくり、その後は慣れてくる。その枠を作り、方向を決定し、慣れが生じるまでを作り出したことだけでも、半分を持っていくだけある。そして今、奈美はそれだけのものを自分の中に持っている。
人が人を、人として創り上げていくことがライフスタジオなのだというのであれば、最初のライフ人が新しい世界に挑戦するために飛び出していくこの瞬間が、これを証明していると思う。完璧であることはできないが、足りない部分を認めて新しい出発地点に立った奈美こそが、本物のライフ人ではないだろうか?
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