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経済的自立の意味

投稿日:2011/9/30

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経済的自立の意味

我々の人生にお金が与える影響力はどのくらいになるだろう?


人によって変わるだろうが、お金が我々の人生に与える影響は各自が考えるよりも大きいだろう。自身の所得で価値が評価され消費基準で生活パターンが変わるのも事実である。資本がどの様に形成され自身の労働力が評価される原理を習った事のな我々は漠然とかかせがなければと考えるだけだ。膨大な影響力を持っていて現実でその実力行使をしているお金というものにあまりにも無知な我々がおかしいのではないのだろうか。自身の体重をそんなにも調節してどんな服を買おうか何時間も悩みながら、資本と所得、、消費の連結部分に対してはなぜ無関心なのだろう。一生懸命すれば所得は自然に高くなると考えるから。ライフスタジオで一生懸命やって所得があがった人を見たことがあるだろうか。唯一オーナーの所得が高くなったふぁそれは一生懸命やったからそうなったのだろうか。皆が所得が高くなる事を願っていて自身のもらう給料が少しでも低くなる理由が発生すれば首の血管が浮き出るくらいにその不合理を訴えながら、どうしたら給料が上がって自身の価値が高くなるのかについては具体的に悩まないのだろうか。もしかして徒競走が上手くなろうとする陸上選手が走らずに毎日鉄アレーで腕の筋肉だけ強くしているように方向を間違っているのではないだろうか。


経済的自立とはなんだろうか。普通経済的自立といえば平均以上の収入をあげ、自身ののぞむ消費を不自由なくすることだと理解している。それではその基準とはなんだろうか。沢山の収入がありながらもより多くを望むために悪い人になろうとする人があんなにも多いのは何故だろう。ではライフスタジオのオーナー達は日本の社会平均を上回る収入を上げていながらも自身の収入が少しでも下がる事にたいしてなぜそんなにも拒否反応を見せるのだろうか。経済的自立はお金にたいして執着がなくなる事ではないだろうか。多ければ多いほど良いということではなく、自身の価値が優先順位にありそれを社会で通用する金額で設定する知恵がある状態をいうのではないだろうか。


現在のライフスタジ緒で使用とする会計公開とオーナーと職員の給料、インセンティブ制度を公開的に論議して改善しようとしうる理由を何だと考えるだろうか。もう少し公平に分配するためだろうか。そのように公開して透明に会計をすればより自発的に仕事をするだろうから。オーナー達自ら本人達が得るお金の正当性を与えるためだろうか。もちろんこのような事も現実的には理由になり得る。しかしより深いところで経済的自立の為の集団的な努力が隠れている。


お金はとても相対的だ。皆が20万円をもらえば相対的な貧困は発生しない。日本の社会は終身雇用と年功序列で代表される調和的な経済模型で注目を受けたことがあった。大部分の資本主義では三角形の形体で所得が分配されるが日本は様々な制度を通じ強力な終身雇用が形成された。周辺の人たちが一緒ならば相対的な剥奪感や一種の被害意識は少なくなる。漠然とした成功よりも着実に仕事をすればこの道で離脱する事がないという一種の安心感を受けることが出来る。しかし資本が国境を自由に越えより消費を奨励する社会に進出しながら所得の両極化が深刻化しお金に対する相対的な疎外が発生するようになる。自身のもらう20万円にが問題ではなくともに働く同僚がなぜ22万円をもらうのかにより神経を使うようになる。そして銀座の百貨店でブランド物を買う人と自身を比べるようになる。


お金は金額だけ変え、人生の質はそのままだ。社会に初めて出て、税金を除いた13万円程度をもらい、生活をする。当たり前だと考え、支出を最大限抑える。3~4年が過ぎ、20万円程度になる。若干の余裕があるが、コンビニ弁当からガストのランチセットに変わる程度だ。2~3年が過ぎると28万円程度を貰う。アパートからマンションに引っ越し、小さな軽自動車でも買おうかなと考えるようになる。また2~3年が過ぎ、32万円を貰うが、酒一杯人に奢る余裕がない。結局100円ショップから無印良品に消費が変わり、騒音が聞こえたアパート1階からコンクリートで立てられたマンションで少し静かに暮らせるようになったからといって、幸せになったといえるだろうか?お金を少し多く稼ぐからと言って人生の質が変わり、より幸せになるだろうという、漠然とした考えをするが、少し多く稼ぐようになっても消費パターンが少し変わるだけで、人生の質は同じだ。少し楽になることと、幸せはそのように連結されない他の属性を持っている。


お金で心の貧困を埋めることはできない。価値ある人になりたいという心は誰でも持っている。価値ある人はそれ自体で幸せであり、自然にその価値をわけるようになる。そして私達は常にこのように話す。「少し余裕ができてそんな位置に上がったら何か心が満たされ分け与えるようになる。そしたら価値ある人になるだろう。」そうだろうか?ライフスタジオのオーナー達はそうだろうか?そのようになれる可能性は少し多くなったが、むしろ反対になる可能性がある。給料が上がるからといって心の貧困が埋められないということは経験上しっているのではないか?

お金は被害意識を持たせる。自分の価値が自分の所得で照明されると考える。しかし、現実はお金がない。なので自分の価値がなかったり、まだ発揮できていない状態だと自分に催眠をかけるようになる。時には、見栄を張り、時には自責の念を抱いたりしながらその危機をうまく逃れようとするが、お金に対する被害意識はだんだん積み重なってくる。そして、自分の所得に対する不満を抱え生きていくようになる。TVにでてくるいろんな映像を見て代理満足する。それなのに問題は、上でも書いたように、お金が多くなってもその被害意識はなくならないということ。その被害意識をなくすために自分の給料を自慢したり、無分別な消費がなされる場合がある。でなければ、オーナーになり、スタッフにインセンティブをあげながら揮発性の快楽を楽しみもする。


ライフスタジオは現在最大の売上をだしている。現在のクオリティーを維持する線での最大の売上だ。売上だけを考えるならば今の予約状況を2倍に増やせばよい。そうなると売上は上がるが、クオリティーはおちるようになる。私達は現在のクオリティーを維持することに同意している。現在ライフスタジオスタッフの平均所得は23~25万円程度だ。最大の売上をあげているのに平均所得が23~25万円だ。これ以上所得を上げることはできない。方法は2つしかない。オーナーの給料を下げ、スタッフの給料を上げるか、発生する利益を全てスタッフの給料にするか。。


だからといって私達が皆金持ちになるのか?この2つの方法を全て使用したとしても、平均給与は28~30万円程度にしかならない。上でお金に対する強迫観念と被害意識などを話した。現在の給料より3~6万円程度給料が上がるからといって、私達のそのような強迫観念と被害意識などがなくなるのか?今の状態で働くならば、10年が過ぎても30万円で止まるだろうし、その状態を受け入れるか他の会社に転職して、33万円をもらうために走っていくだろう。結局お金について説明できない状態になる。


ならば、経済的自立は何を意味しているのか?


自ら自分の価値を判断し自分の所得を決定する自信と謙遜さの中間くらいじゃないだろうか?矢川が、自分はインセンティブを貰う資格がないと、封筒にお金を入れ私に渡したことがあった。そして少し前に給料を上げる過程でも自分の給料が過度に上げられたとメールをよこした。矢川のそんな考えと行動は謙遜の部分に適用されたと思う。自分の情熱よりもお金が先だって行った時、強迫観念が現れその反対に謙遜がついてきたのではないか?自信と謙遜を確保するためには、全体的に判断しなければいけない。その判断をするためには情報が必要だ。オーナー達の収入はいくらで、500万円の売上にどのくらいの利益がでるのか?そして私達は最大売上をあげている会社から23万円程度の収入を貰っている理由を知らないといけない。


そんな情報が頭の中に入ると、相対的に低いという強迫観念と漠然と多く稼ぎたいという根拠のない期待、お金がないという被害意識は相当な部分で解消されるだろう。そしたら、私達が会社に勤めて、その活動で収入が作られ消費をする過程に対する意味が少し変わるのではないか?人生を見つめる方向が少しはより価値ある所に向かうのではないだろうか?


価値が発生すると、お金は自然と後ろについてくるのではないか?でなければ、お金を多く貰うと価値が発生するのか?簡単に結論付ける事の出来ない部分ではあるが、確信してることは一つある。価値が発生すると必ずお金は自然と後ろに付いてくる。しかし、お金を多くもらっても、価値を発生させるために努力もするが必ずしもそうでもない。


経済的自立とは、お金に対する一定の部分に距離を置くことだと思う。何日か前に有休活動リーダー会議で韓国の社長がこんな話をした。「何年か前、皆がスタッフの時はお金に対する強迫観念があった。そしてお金を多く稼ぐということは、何を意味するのか興味深くもあった。そして、一定の期間稼いだ。そんな強迫観念はもうなくなったのではないか?ならば、もう方向を変えないといけない。あなたがわずか2年前までスタッフでいたとき、給料が少ないと嘆いていたではないか?その時と比較してみると、今は所得が何倍にも上がり、時間も自由ではないか?」


それなのに、スタッフの給料10%を上げることに対して、それはバブルだと話し、自分の所得から10%程度を他の所に使用することに対して、沈黙を守るということは何を意味するのか?こんな姿を見るためにあなた達に加盟店を出させたわけではない。私達がリーダー会議をする理由もリーダーがまず変化する人になろうということなのに、歳がまだ40歳にもならない人達が保守的になっていく姿を見ながら策をもう一度ねらないといけないという考えをするようになった。

 

学習休暇を自分たちが送ってやっているという錯覚をしているオーナー達がいる。それはオーナーでなく会社が決定し、執行していることだ。直接的に自分の所得を話すと沈黙してしまう。それはまだ経済的自立ができていないということだ。上でも書いたように経済的自立は消費を自由にできる条件ではなく、お金と一定の距離を持ち、自分の関心をより高い価値と共同体に置くことを意味する。


経済的自立が私達を幸せにすることなのか核心することはできないが、自由にできるということは確実だ。収入が多いオーナー達も経済的自立がなされないならば、社会が作っている枠から自由になれない。スタッフとの関係も経済的自立と密接に関連されている。オーナーが給料を上げることと、給料が上がったから頑張ることでは小さな違いしかない。この2つに経済的自立が介入されると大きな違いがでてくる。


落ちてくる柿を口を空けて待っているように「頑張ったら給料を上げてくれる。」という考えは、受動的な典型的な姿である。自分がお金の執行を決定する人だという権威意識を持っていて、価値を作り出す過程が何か分からない人だ。会社のお金を自分の所有物と考え、スタッフの価値生産に参加せず、発生したら、あげるという安全策を選ぶ。典型的な軒店のような方式だ。動物はしょうがないが、理性をもった人間だけができるのが投資だ。それも人に対する投資はより精巧でなければならない。そこにお金を投資するということは、お金に対する一定の距離を持たないことには不可能に近いと考える。


経済的自立に対する会計公開と、効果的な支出に対する方法を論議する水準まできたライフスタジオを誇りにも思うが、ある面では心配でもある。冷徹な現実の目撃を前にし、より心をしっかり持たなければならず、より良い方法を作るための過程だと考えるが、[お金]という主題の前に揺らがない自信がないというのも事実だ。

 

 

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