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この1枚の写真…18 魚

投稿日:2011/8/31

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魚を釣りたかった。

7年前にさかのぼる。偶然知りあった人がルアー釣りをいているという話を聞き、彼と共に行った。ルアーを水に投げた。何故沈黙を守っているのか?

その後、韓国のサガナムの家族達とも一緒に行った。サムギョプサルも食べ、酒を飲みながら一日中投げ入れた。魚を釣りたいという切実な思いで、水の中にある釣糸を見ている。本当に疲れる。あまりにもたくさん投げたので右腕だけが5センチも長くなった感じだ。

日本に来た。10回は釣りに行った。あの高い通行料ともったいないガソリン代をかけて、水のあるところに行った。そして投げた。もう一度質問する。何故魚間沈黙を守っているのか?

今は静岡の海の前に住んでいる。朝海に投げ、午後また投げ。。。体中が黒く日焼けするくらい、私の心も燃えている。2週間の間に14回試みた。周囲にいる人たちは、わらわらででてくるホッケぐらいの大きさの魚を簡単に釣り上げる。そして、あまり喜びもしていないようだ。毎日釣っているかのように。。。

夢によくでてくる。魚と死闘のすえ起きてみると体から汗がでている。

私にはやりたいことがあまりない。しかし、やりたいことができた。魚を釣ること。。。

 

何日か前に、ウニョンと西と私はもう一度あの海に行った。投げる。海の下から動きが感じられる。誰かに冗談でこんなことを話した。「あなたが本当に私を好きならば、私も気づかないうちに潜水し、私の針に魚をかませてくれ」本心であった。何か感じる瞬間、まさか!その友達が潜水を。。。

海から現れた魚を見た。あふれ出てくる感情を我慢することができなかったが、隣で西が見ていたため、何もないかのように振舞った。その後もずっと釣れた。ウニョンも釣れ、西も釣れ。。。   

なんともないように釣れる魚を見ながら自信がでてきた。自信の実態を感じた。人にとって自信を持つということがこんなにも重要なことなのか。と知った。回りの人たちは私を見て自信を持っているというが、それは自信ではなく慣れからくる自慢と倦怠の繰り返しでしかない。何の準備もせずにただ針だけを海に投げただけなのに、ありがたくも魚が捕まってくれ、私は自信を持つことができた。その瞬間私の体にあった鎧を脱ぎ捨てる感じであり、これから良いことだけが起きるような気がする。ライフスタジオでしようとしていることは、こんなことなのかなと考えてみた。

結局鎧を脱ぎ捨てたその感覚を教えてあげるという名目で慣れからくる自慢と倦怠を使用していた。私自身も自信と何かを投げるような感覚を知らないまま繰り返し再生されていたのではないか?

これからは、疲れるまで、海に行き魚を捕まえる。そしてこの自信が慣れからでてくる自慢と倦怠になる瞬間を覚えておこう。

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人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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