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投稿日:2011/5/30
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暗くなったギャラリーに帰ってきた。雨もふって気分もさえないから、焼酎をのんだ。そして「私は歌手だ」を、みた。最近韓国では一流歌手たちがサバイバル形式を通して歌の対決をする番組が最高の視聴率を勝ち取っている。その番組の名前が「私は歌手だ」なのだ。
金ヨヌの歌を繰り返し聞いた。涙が出そうなところでとまった。その日1位になったイムちぇボムもよかったけど、なんだか金ヨヌを聞いてしまう。
人の心を動かすというのは一種の魅力を超えた、人生を生きる理由とも言える。
私の人生は基本的になまけている。‘どんな女性が理想像ですか?’と聞かれたら、いつも‘エネルギーあふれる人’だと答えてきた。そうすると‘怠け者が嫌いなんですね’と聞かれ、‘そうです’と、確信していた。それから私の人生は基本的に、怠け者なのだ。周囲から自分の怠け癖に対しての指摘がなく、むしろがんばって生きている姿がとてもいいといわれたりする。私に対して、とても遠い理解をしているのであり、または私が人気者だからなのだろう。今日みた金ヨヌの公演は歌唱力をこえた楽しみの美学だった。チャンハンジュン監督がこの公演で‘緊張したものが負け、楽しんだものが勝つ’と言った。この日金ヨヌは公演が終わり足がしびれていた。それほど全身全霊をかけたということであり、その中に緊張もあっただろう。しかし、1年、10年過ぎて金ヨヌの記憶の中にこの公演が緊張よりは自分のすべてを見せた情熱だったのだと思わないだろうか?だから、緊張を超えた楽しみ、自分が歌手であり歌を楽しんでいるのだと感じる瞬間だったと感じるのではないだろうか?
私に緊張を超えた楽しみがあっただろうか?緊張も楽しみもない、人生の延命だったのだろうか?
金ヨヌの公演途中、写真が私の頭の中に浮かんできた。いつも写真は私の関心外だと言ってきたしそれほど重要ではないと考えてきた経済的な道具にすぎない。サンプル撮影をするときだけ少し悩んで、周囲の人と写真に対して話をするとき、分析の対象でしかなかった。金ヨヌの公演は私を動かした。そしてそのことにより、心の中に写真という単語を連想させた。写真を通して怠け者の私の人生の態度を変えていくことができるだろうか?
福岡に行こうと思っている。海のある場所で住み慣れた東京とソウルの中間地点で、もう一度始めてみることを想像している。新しいインテリア、システム、写真、内部文化に対するアイディアを集めている。だから、最近本をもう一度読んでいる。福岡で心からさがすべきものは写真なのか?
10数年間写真関連の仕事をしてきた。写真をしてきたとは言わなかった。写真関連の仕事をしてきたのだ。写真関連の仕事で私をもう一度探すということは、違う言葉にすると私の可能性を試す新しい条件を作るということだ。その可能性をつかむためにはそれだけ遠くにある蜃気楼のようなものではないのか?
本当に深く入っていくとはなんだろう?今年企画していた自然と文章・・・ここに写真をひとつ追加してみようか?それを、福岡で・・・
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