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この一枚の写真2011-2-27

投稿日:2011/2/28

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この前関東地域に多くの雪が降りました。 こちら相模湖にも午後から降り始めた雪は、暗くなりながらスプーンですくったアイスクリームほどの雪が降りました。 朝になり辺りは銀世界になっていました。 映画‘アメリカン’でジョージ クルニが丸太小屋の別荘で美しい女性と楽しい夜を過ごし朝、手を握って雪で覆われた外を散歩している場面が出てきます。 世の中は美しい銀世界で、その雪の上を歩く若いカップルの姿は、‘ラブ ストーリー’を思い浮かぶが、誰かの足跡を発見しながらカメラは揺れて、狙撃手を殺して警察を呼びに行く女を後から銃で撃ちます。 女は男を誘引する任務を引き受け、狙撃手は配置され、遠くから指揮するバーバリ コートの中年男も登場します。 そして私も美しい女はいないが、一人で外に出て行き、どこで私を狙っている狙撃手を探しました。

私が生きてきながらこのように目の前に広がる純白の雪のように、きれいに生きてこなかったが、それでも他の人の心に傷をつけながら生きはしなかったようだったが、考えてみるとそうでもなかったような気がします。 椅子に座りながらマキシム モカゴールドを飲んで狙撃手を探しながら、もし私の死を望む人がいるならば何人ぐらいなるかと考えてみました。

3人、5人ぐらい、でなければ数 百人….

もう愛しないという私の言葉にすぐに指輪をはずしてテーブルに上においたKさん、どんなに話しても状況把握をできなくて5秒間間を空け“君はバカか!!!と話をしてもその話の意味を分からないままあやふやな表情を浮かべた軍隊後任、挨拶のため行ったスタジオで全職員を集め社長が撮った写真を見て101個の問題を指摘した私の傲慢さに自ら驚いたが、そのような無礼にさらに驚いたその社長、一夜のことで私は失敗と感じたが、背信に受け入れた彼女、そして酒の席で良いつまみの種になったその数多くの人々…..

雪により相模湖のすべての空間が真空になったようなこの状況で白い雪が、灰色になっていくような気がしました。 いつからか心を白色と近い方にフィルタリングした装置が稼動を止めから、長い時間が経ちそれが人生だと論理を合わせている長い弁解の連続線上にあります。 そして雪だるまを作り、雪合戦をしたいという考えもしません。 雪がからだに入って、服はぬれて雪が顔に当たったら、いくら愛する人々でもすぐにげんこつが出て行きそうな心配が先んじます。 怠惰と倦怠が私のからだに染み込んでいるようです。 もう感動し、心を動かす感性もかすんできて、体の動きも鈍くなりながら、後に来る出来事を心配する大人になっているように思います。 大人になれば“帰ってこない矢になって決戦の戦場で”もう少し成熟するように、もう少し緻密に、もう少し余裕をもつ事が出来ると思ったのに、矢は折れて決戦は人生の反復で戦場は、干からびた土ぼこりに覆われています。

雪を見ていたら、突然土を掘りたい衝動に駆られました。 土を掘り北極の熊と一緒に冬眠をして、新しく生まれたくなりました。 何ヶ月の冬が過ぎて太陽が大地を映る時ぐらいにその小さい穴から出て全身捻ることをすれば私の中のすべてのカスが、出て行きそうな気がしました。 そして新しく1年を再び始めるでしょう。

 

2週が過ぎてこの写真をまた見ると、写真に私の今の人生がありました。 工事をして小さい傷に対する心配で用意した救急薬、1月初めもらった年賀状、‘ソフィーの世界要約に関する文’を書いていた情況、ヒョヌギが持ってきた20年前の韓国の代表的飲み物セクセギ(韓国風ポンジュース)、そしてこれから読まなければならない本と、一緒にある菓子たち・・・

 

少し後にある<喪失の時代>を見れば開始の部分に、ハンブルグ空港で主人公は“今までの人生過程でなくした多くのものを考えた。 なくした時間、亡くなったり、去って行ってしまった人々、今は元に戻すことはできない思い出たち”を思い出させるが“私ではナオコの顔を正しく思い出す事さえできない。 私が持っているのは人影一つない背景だけである。”と話をします。 しかし20年前の主人公は“それでも幻想というにはあまりにも鮮やかに細かい部分まで思い出したし、実際であったことというにはすべてのことがあまりにも美しかった。 そのナオコのからだも、月の光も”と話します。 何かをなくすということは、何かが新しく入ってきたという意味の他の言葉です。 なくしたことに執着すればそれだけ新しく入ってきたものなどを疎かにすることになります。 そして新しく入ってきたことに、生きることを感じることができないためです。

雪を見ながらなくした、多いことに対する罪悪感が、狙撃手を思い出すようにしたとすれば、この写真で見える私の人生は今入ってきているものなどの一種だろう。 しかし入ってくることらは弱まってしまった私の人生とその残滓らの確認です。

むやみに降る雪をむかえて山に登った数日らがありました。 その雪と一種の同じ思いをしながら私が踏み出す一歩一歩に答えたりしました。 しかし今は雪の中に、孤立になった感じです。 雪が降ればどこかに電話をして無駄口をたたいて会おうと哀願してそれでもならなければそのまま離れていました。 その道で会うことになる雪との対話を期待しながら…しかし今は直ぐ前の雪を片付けなければならなくてそうでなければ誠実でないおとなだと話を聞くことになることです。

 

写真の役割がこうしたことでしょうか?

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美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
人を、人生を写しています。

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