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ソフィーの世界討論材料

投稿日:2011/2/16

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ソフィーの世界は読む人によって簡単だと思う人もいれば、難しいと思う人もいるだろう。小説としてよめば面白いし、哲学と理解をしたら興味がなくなるかもしれない。そしてソフィーに投げかける先生の質問を自分に適応したら、難しくソフィーの考えに従っていってみると簡単だと思うかもしれない。こうして説明されるととても簡単なようで自分が実際に考えてみると難しいというのが、哲学のようだ。簡単なことは力をつかわないのであまり残らないが、難しいことほど頭をつかうので、痛みを伴なっても自分がどこかに使う筋肉を作っているということ自体、いいことなのだろう。

ライフスクールで哲学を選択した理由は、理性よりは感情に流された思考と自分の経験に基づいた結果を優先させる傾向を変えていくためだ。普遍的で根源的なことに対する悩みそのものを本格的に除去していくことこそが発展。ソフィーの世界は日本と韓国で同時にある哲学の基本書の中ではもっとも理解しやすいものだったので決定した結果なのだ。内容は簡単でもそれを自分自身に質問してみると、そんなに早く落ち着いていられないだろう。簡単か難しいかということは各自の選択であり、この文章は不安を若干へらすためのものにすぎない。

 

どんな本でも一番最初に出てくる文章や主張が重要な場合が多い。

ソフィーの世界でもそうだ。

 

私たちがどこに向かっているのかをしりたければ,

私たちがどこから来たのかを振り返ってみなければならないでしょう。

 

過去3000年の歳月を語れない人は

気づきもないまま真っ暗な暗闇の中で毎日を生きていくーゲーテー

 

この2つの文章に、作家がソフィーの世界という本をこの世に出すことになった理由が凝縮されている。‘ソフィーの世界’は哲学の歴史をソフィーという子供に簡単に説明しながら、私と世界、人生と精神に対する話をしている。ライフスクールで‘ソフィーの世界’という本を前におき、一番最初にするべき質問は‘ライフスクールでなぜ哲学の始まりを、哲学の歴史からするのか?’ということだろう。この質問は本を読んでいる最中ずっと考えるべき主題である。この回答を探し出すことができれば、哲学の勉強をするための準備ができたといえるだろう。

 

. 各自ノートに書いてみよう。‘哲学の歴史を勉強する理由’ これは自主的に

 

12ページめくると韓国の読者へという著者の文章の中に、私たちはすべての人生と存在に対して同じような疑問を持っている人間だといいながら、哲学の基本主題に対して熱く語る。

 

人間とは何か?

世界はどこから生まれたのか?

宇宙には神が存在するのか?

世界は自ら存立するといえるか?

意識とは何か?

世界は私が感覚を通してみるものと同じだと確信することができるか?

正しい人生とは何か?

死の後にも何かが存在するか?

 

この内容はソフィーの世界とライフスクールを進行しながら持続的に一緒に討論する内容だ。本を伏せ、少し考えて整理する時間をもってみる。これらの主題をひとつずつまな板の上にあげ、どうやって料理していくかを考えてみる。そして配られたノートに簡単に書いてみる。たとえば‘人間とは何か?’に対して考える。幸せになりたいという欲望をもっている理性的な存在だと考えたならば、そのように書く。そしてもう一度考えてみる私はいつ幸せなんだろうか?と考えてみると、人から認められたとき、自分が幸せを感じるから‘可能性をためし、それが内外部から認められたいと葛藤する存在’だと書く。でも、その認められるということが何十年も続くものではないし、もう一度誰かに思い知らされてしっかりと気を引き締めたりしながらつかれた自分をみつめ、もう一度後悔したりもする。それならば、認められるということは永遠ではなく、何かあるような気になる。それが私の存在を確認する過程の一部分になり、エンドレスに続く成長というものに注目する必要がある。そのような成長の原理を理解し、

簡単に到達したり急がずゆっくりと実践して観察していく過程そのものが、人間なのかもしれないという悩みを持つようになる。このように各自の考えが少しずつ落ち着いて、それが一定の論理をもったときに自分自身を客観視することのできる条件がつくられる。

ノートはただ、渡したのではない。上記の主題を簡単な文章に継続して作っていってみることがライフスクールで奨学生になる最も早い道のり・・・・

 

. 上記の主題を一ページに1つずつ書いていく。そして考えを整理してひとつの文章につくる。それからその次にもう一度その文章を読んでみて、もう一度考える。少し落ち着いて、もう一度何かあれば書いてみる。討論の過程でその主題がでてきたら、手をあげて自然にそれを読んでみる。人々のうらやましさをいっぱいに含んだ拍手をうける。 これも自主的に

 

22日に行うソフィーの世界の上巻討論は3つの主題をもって進行する。

 

まずは自然哲学者-ギリシャの哲学者3人-ヘレニズム-中世-ルネッサンス-近代哲学の始まりの過程が移り変わる理由に対し、各自が発表。

哲学者一人の論理を理解することも重要だが、どうして次の段階に転換していくのかに対する理由を知っていくことが哲学を全体的に見れるようにし、哲学をより私たちに近づけてくれる。各自が約510分程度段階の変化に対して説明する時間をもつ。または、誰は自然哲学者を説明し、ギリシャの哲学者に移っていく理由を話したら、次の人はギリシャの哲学者について発表し、ヘレニズムに変化していく段階を話すという方法を考えてみることもできる。1時間の中でソフィーの世界の上巻に対する発表を終えたら班長の司会により文章整理をする。討論をしていくと哲学の歴史を勉強する理由についておおよそわかるようになるし、その次のソフィーの世界の下巻の討論をより潤滑にしてくれる。(全1時間30分)

整理された文章は全体が集まった場所で発表する。

 

. 段階の変化により哲学の主題も変わる。その理由をノートやブログに書いてみる

-これも自主的に

 

2番目、‘正しい認識は内から始まる’に対する討論。

ソクラテスを説明する過程で出てくる内容であり、理解できるまで読んで、考えて、自分だけの意見を持つようにすること・・・・

ライフスクールをはじめた理由のひとつが‘正しい認識は内から始まる’というものが真理をすべてが理解したらいいと思う希望をもっているからだ。ライフスタジオのスタッフたちと話をしていると自分の問題に対する悩みが想像以上に多いということを感じる。討論をすると冗談で はい、ここは精神科第13病棟ですといってしまう。程度の違いはあれ、何か自分の内側で自分を縛りつけているものがあり、それ自体が本人の最大の課題になっている。未来を語らず過去に縛られて現在の成長よりはつまらない希望を再生産している。自分をとりまく条件の小さな変化でも自分の基準が完全に揺さぶられていく姿を何度も見てきたし、条件の変化に対する原因よりは目に見える現象に対する執着と自虐の可能性まで感じたりする。周期的にたずねてくる自分の中の問いに対し、それを出迎え見送ったりするよりは、目と耳を違う主題に向けるべきだ。その問いに対し真っ向から向かい合うためには自分の内部の中にある修正すべきその塊を育てていかなければならない。自分の内部はその問いだけではない。それらは身動きできないほどの正義の味方であり、何人もいる。そのを呼ばなければならない。、学ばなければならない。そうしたら、その彼が誘惑をしても忙しくてそれどころではない。そしてすぐに彼との時間がつまらなくなる。私たちにはだれも知らない驚くべき未来があるからだ。感情は彼の違う名前であり、正義の味方は理性と呼ばれる。このように修正されていく原理に対する理解が必要だという考えをするようになった。それはすなわち、‘正しい認識が正しい行動につながる’から、正しい認識が内から始まったという言葉の意味につながる。

正しい認識は自分の外部からくるのではなく、どうして自分の内側から来るといったのだろう?では、外部からうける知識と経験は何の役割をしているのだろう?(1時間討論)

 

. ‘正しい認識は内側から始まるということの意味を説明する。ノートやブログに これも自主的に

 

3つ目、アリストテレスは‘感覚の中に実在しないことは意識の中にも実在しない’と、主張した。この言葉の意味するところは何だろう?もしかして、間違ってはいないか?

 

この文章の本文を引用すると

プラトンは理性で考えたことが最高の現実だと考えた。ところがアリストテレスは、最高の現実は知覚でとらえたこと、あるいは感じ取ったことにあると考えた。プラトンはぼくたちの身の回りの自然界に見えることはイデア界にある何か、ということはまた人間の魂のなかにある何かのただの反映でしかないと考えた。アリストテレスの考え方はまるきり反対だった。つまり、人間の魂の中にあるものが、自然界の事物の反映なのだ。(p143

 

誰の言葉が正しいだろう?もしくは2人とも少しずつ違うのか?

哲学の基本主題は事物と意識の関係だという。いつも行き来する質問は昨日みた東京タワーと今日の東京タワーは同じか?そうでないか?

これから世の中を認識する原理と方法に対する論理をはじめようと思う。私たちを取り囲む認識の方法はいろいろだ。固定概念、先入観、我執、経験の一般化、深く自分と世の中をみつめること、実践と評価の繰り返しなどがそうだが、簡単な例を出してみると

AをそのままAと考えることが固定概念だが、Aの中にBもありCもある。状況によってはAの内容がDに表現されることもある。先入観はAだとみたら他のB,CをずっとAだと解釈しようとする傾向であり、Aだと無理強いすることが我執なのだ。そしてAを経験したら少し過ぎてからA+を見るようになる。しかし、客観的な認識の方法がなければAとA+を区別する能力が減り、だんだんBをAと考える可能性が高くなる。これが経験の一般化に対する憂慮だ。私と世の中を深くみるということはAを横からもみて上からもみて、殴ってみたり一緒にお酒を飲んだりしながら可能性と認識の違いを区分し、真理に向かおうとする努力なのだ。そして実践と評価の繰り返しは存在に対し変化する認識を認め、より客観的に認識し、良くなろうとする方法論だ。

このように世の中をどのように認識し、規定して行動し、変化する内容にまたもどって始まる循環をもとうと、人々は努力する。このような論議を継続していくと、最後にぶつかる疑問が上記のプラトンとアリストテレスが言っている理性と感覚、魂と自然対象の関係なのだ。何が何に先行されるかに対する論議は認識の地平を広げ、事由する人間としての基礎を提供する。

討論の過程ではいろいろな例を登場させる。

感覚のなかでだけ存在したら私たちの想像力と創造は単純に経験したことだけの総合体になるのではないか?人間の理性で心理を発見することができるか?

本有観念がなければ‘人間は善なる存在だという誠実説’は否定されるべきなのか?

見て聞いて感じることに従うのであれば、私たちの環境と条件を克服する能力はどこから生じるのだろう?

 

私たちの目にはみえないが、すぐ横に多くの電子が絡まりあっている。同じように私たちは感じることができないけれども哲学の基本主題を土台に考えて行動する。もしその原理をしっているのだとしたら、少しいい人生を送ることもできる。そしてその始まりに関する主題がこれなのだ。避けられないのであれば、楽しもう。(1時間30分)

 

. アリストテレスが主張する感覚の中の実在しないものは意識の中でも実在しないという主張に対する意見を、ノートやブログに書く。- これも自主的に

 

ソフィーの世界上巻討論に関する内容はこの程度に整理し、ライフスクールの運営に関していくつかのお知らせ事項があります。

-. 2回目のライフスクールは22210時から所沢で行います。特別な集まりやお知らせなく、各個人の2010年の評価、何をするのか?2011年の計画に対する文章と、前回選択した人の文章を読み直す時間を持ちます。‘話をしない’ということを原則にすることは同じです。

そして前回わけたライフスクールの参加者の文章がのっているファイルとノートは、ライフスクールに参加時は必ず持参してください。

-. 班編成がなされたら2回は同じ班で行います。前回の班編成と同じ班のメンバーで2回目も進めます。

-. 217日に各支店に配送予定。本には所有か、存在か、哲学とは何かなど定期討論の主題ではないです。二コマコス倫理学にプラスになるように難しい単語になれるための本であり、参考として送るので必ず読んで参考にすれば、より嬉しいです。皆さんが・・・・

-. 2回目の所沢では討論が終わって簡単な飲み会を準備します。希望する人は会費2000円を準備してください。今回の飲み会ではジョンリーダー兄弟の踊りが見られるかもしれません。

-. ライフスクール学習水準に関するアンケートをする予定です。上・中・下に分けたとき、どの程度の水準に合わせていくのがいいか悩みます。上といえば主題に対して3ページ以上の作文(3つの主題が通常なので、あわせて9ページ)、読書感想文5ページ以上、個人主題3ページ以上を言います。中は読書感想文5ページ以上、個人主題1ページ以上であり、下は今くらいの水準です。アンケート調査を通してすべての意見が上になったら、‘ハーバードの勉強虫’を想像するくらいの水準で、NHKで取材に来るようなものですが、皆さんの考えはどうなのか、気になるところです。

-. それでは、所沢で22日・・・・ 

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